宇宙戦艦作品の技術考察(銀英伝中心)   作:ケット

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注意!「三体」三部作の根底的なネタバレがあります!注意!


滅亡・道徳・法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『銀河英雄伝説』の深い根底に、滅亡に対する恐怖もあります。

 13日戦争で人類滅亡寸前になったこと。それはキリスト教やイスラム教を完全に潰し、核兵器をタブーとしました。また「人類は一つでなければならない」が心の底まで刻まれ、ゴールデンバウム帝国の根本にもなり、同盟に対する戦争の大義ともなりました。

 元々ルドルフが出たことには、「このままでは人類は滅亡してしまう」というほどの、退廃を恐れる感情がありました。

 

『三体』三部作は、人類が失敗し滅亡するまでの話となりました。

 人類の子孫が一部いたり、つがいが惑星の開拓を始めることは二度ありましたが。

 

 人類の性質自体が、生存へのルートではなく滅亡へのルートを選ばせました。

 特に二度、間違った選択をしたチェン・シン。

 ただし、暗黒森林すら気づかないような人類の能天気さは、三体人から見れば衝撃的であり、三体人も変えるきっかけにもなりました。三体人にも、博愛の心を持つ者もいました。

 人類が間違っていると断罪するだけではないのが、『三体』三部作の面白さです。

 

 全体の最初が文化大革命……それ自体が巨大な伏線ともいえます。

 人類は愛を持つ。反面として人類の心は、文化大革命もやってしまうし、文革と同じ心の在り方……世界をきれいにしたい、体制が否定する心を持つ人の存在自体許せない、というものでもある。それが宇宙の外を経験した艦のクルー、また技術禁止に反抗した者の処刑にもつながり、技術を抑圧し、滅亡への道を選ばせた。

 

 そして『三体(1)』の最後。

 虫けら呼ばわりされた地球人、普通の強い人代表のシー・チアンが、虫害を受けている畑を見せて、人類が頑張っても虫に勝てない、虫は強いと言いました。

 そこに答えはあったのです。虫の強さの源泉、r戦略。「すべての卵を一つの籠に入れるな」。多数の子孫を広くばらまき、変異を容認し、多様であれ……変わっているが殺虫剤に耐える子、変わっているがより深く土に潜る子、変わっているがより遠くに飛ぶ子が、いや別に何があるわけでもないが運がいい子が多数の中にはいることで、虫は生き残る。

 地球人はそれを捨てたことで滅びたのです。答えはあった。なのに無視して滅んだ。童話に「盾の陰に隠れる」がなかったのに、ガス惑星の陰にスペースコロニーを作る方法に固執し、童話に示唆されていた新技術を禁じ、滅んだ。

 一巻が文化大革命に始まり、虫に終わる。それが全体に写像されている。

 文化大革命。その時代の法・道徳・方針が絶対に正しいとする。それでr戦略・多様な技術、虫を真似ることを否定し、滅びる。

 

 やや細部を言えば、まず地球から離れて別天地を探すと決めた戦艦が、皆殺しの戦いをして資源を奪い合い、人の死体すら食べたことが、人類全体に強い衝撃を与えました。宇宙に出ると人は変わってしまう、変わりたくない、だから宇宙に出たくない。

 その民意は、「逃亡主義」禁止という法となり、道徳となって地球人を締め上げたのです。

 地球人が別の怪物になってしまう。それはあまりに大きな恐怖なのでしょうか。『キャプテン・フューチャー』の『恐怖の宇宙帝王』で、人が獣に変貌する恐怖だけで太陽系を手に入れることができると見えたように。

 変わりたくない。変身してはならない。それも究極的な道徳の一つ、タブー、自然な法、保守……いろいろな名で呼ばれます。

 しかしそれが、『三体』では滅亡を招いたのです。

 虫のようであること、何よりも「すべての卵を一つの籠に入れるな」に背いたことで。

 

 ついでに、宇宙に出て地球から離反した船は、座標公開を通じて地球人と三体人の戦争で勝利を導きもしました。一時はそれで称賛もされました。

 ルオ・ジーも、時に救世主としてあがめられたり、世界絶滅罪で非難されたりと激しい毀誉褒貶を受けています。それもあって人間には幻想を抱かず、より高い視点で生きており、三体人にも尊敬されています。

 

 

 大きく言えば、「その道徳は、果たして正しい生存戦略か」というとてつもない問題です。

 考えてください、「今『現実』の人間の道徳は何で、そしてそれは生存につながるのが滅亡につながるのか」。

 今の人類の道徳が何なのか、それすら難問です。少なくとも多くの群れごとに違うのは確か。また、同じ群れでも、本当に一つの道徳なのか。

 そしてある道徳が、生存につながるのか滅亡につながるのか、何が知るでしょう。

 核兵器は、人類を滅ぼすかもしれないから廃絶すべきだ。と思ったら、巨大隕石を迎撃するのに必要だったのに廃絶してしまった、となるかもしれない。

 核兵器によるロケットを禁じる条約。誰もが正しいという。でも、それが二百年後滅びる瞬間の人類から見て取り返しのつかない過ちだったかもしれない。

 

 

『老人と宇宙』のかなり深いテーマに、道徳と種族の生存があります。

 まず最初に、平和な地球の老人の常識が否定されます。宇宙は弱肉強食だと。特に、地球では外交官だった男が愚かにも、人食い種族に話し合おうと飛び出して殺されます。

 しかし、主人公の上官は、主人公が属する宇宙生活人類の軍……コロニー防衛軍が絶対に正しい、とは言いません。出世して変えろと言います。

 何が正しいのか。地球人ではないガウ将軍が共存の道を見出します。ゾーイは殺し合った先住知的種族と平和的なコンタクトに成功し、そのことをガウ将軍にも伝えます。

 圧倒的に技術に優れるコンスー族は、意識を捨てることが正しいと思っています。

 コロニー防衛軍の、とにかく戦う、というのは短期的な生存としては正しい、でも強くなると他の全ての種族を敵に回し、宇宙全体に包囲され滅びることになります。そんな長期的な視点は誰にもないようです。

 

『航空宇宙軍史』を貫くのは、戦争のための非人道と、人間らしく生きたいという自然な心の葛藤です。そして常に前者が勝ちます。

 戦争に勝つことはすべてに優先する絶対正義だ。という人間の、あまりにも強い道徳感情が、他の全てを圧倒してしまうのです。

 軍人側に、日本の保守独特の、『国体の本義』『臣民の道』から今の保守論壇誌も貫く、「個人主義」という言葉を「利己主義」と同一視して否定する言葉遣いが出たことが重いです。

 

『宇宙戦艦ヤマト』では、古代進は常に愛を言います。復讐のためにガミラスを滅ぼした後悔もあるでしょう。

 力を主張するズォーダー大帝、弱肉強食を信仰するディンギルに、違うと叫び続けます。

 

『マクロス』では人類の文化、愛が生存のためのキーになります。

 それは『第三次スーパーロボット大戦α』などでも。

 

『エンダーのゲーム』のエンダー・ウィッギンは、「異類皆殺し(ゼノサイド)」のエンダーと呼ばれ忌み嫌われています……が、それも自分が滅ぼした種族についての本を書いたからこそです。彼は誰よりも罪深いと自覚しているので、どんな罪人でも許し愛することができます。

 前半生では、人類のため、勝利のためならだれであれいくらでも踏みにじる、という軍人たちの勝手に振り回されました。本人はただ放っておいてほしいのに。

 エンダーの影響があるからこそ、人類は二度目に接した知的種族ペケニーノとはとても慎重に接します。しかし、実際には恐怖し原始的なまま封じているのだと見透かされています。

 

 

 道徳と関連し、法も重大な問題になります。

 

『三体』シリーズには、いくつかの法があることも問題になります。

 逃亡主義の禁止。

 反人類罪。

 地球を守り抜いたルオ・ジーを裁こうという世界絶滅罪。

 技術を名指しで禁止する法もあります。

 それらは世界全体で犯罪とされます。それも、その時代の価値観を絶対化し、疑いもしない姿勢です。

 別のところで指摘されることですが、世界が一つの国になったら逃げ場がない、という問題ともつながります。

 コロンブスや科学者たちは、この国でダメと言われたら別の国で、とやって最終的には進歩につながりました。それが、「なぜ産業革命がイギリスであって中国ではないのか」という問いの答えであるとも。ヨーロッパは川や山があって統一しにくい、中国は統一しやすい。統一された中国は、全体で科学や探検を禁じることができてしまう。……レイ・ブラッドベリの短編で、中国の皇帝が紙と竹でグライダーを作った男を処刑したように。

 ですがそれは、常に先送り、一時しのぎなのです。誰かが技術を進歩させたら終わるのですから。

 ……ただし、『現実』の地球は、独裁国家や麻薬組織が国際社会が許さない実験で超技術を発達させることは起きていません。むしろそれが不思議なほど。

 法による貿易や科学技術の禁止。それは長く進歩を抑圧し、ヨーロッパの世界征服にもつながったのです。

 

 

 法。それは人類世界の、きわめて大きな特徴の一つです。

 客観的に地球人を見た時、火、言語、数、体を隠すなどと同等に、法の存在も重大と言えるでしょう。『ヒューマン・ユニヴァーサルズ』でも「〈人間〉には、法がある」とあります。処罰も。善悪の区別も。礼儀作法や性的つつしみも普遍的で、それも法です。

 法は原始的には、タブーが多くを占めます。宗教・魔術・神話・予言とも一体不可分です。何を着るか、どんな入れ墨などをするか、何を食べるか、どんな武器を使うかなどテクノロジー・ライフスタイルとも不可分です。

 言葉によって、何をしていいか何をして悪いかを規定する。

 特に近代国家は、憲法として支配者も束縛する。それによって政治が安定する。道徳・宗教とも分離する。…完全には無理にせよ。

 

『スタートレック』の艦隊規約は常に重要な役割を果たします。

 アシモフのロボットシリーズの、三原則もそれに似ていますが、そちらはハードウェアに組み込まれています。それが人類と違うと言えば違いますが、人類の「法」もかなりハードウェアに組み込まれたものです。

 

 近代は、法と道徳(と宗教・呪術)が別であるというのが重大な建前です。

 しかし実際には、それらは切り離せません。

 たとえば裁判で証言するとき、軍の入隊時、国に帰化するとき、アメリカ大統領に就任するときなど、きわめて多く「誓約」はあるのです。それは人間にとって強力なバックドアになり、虐殺でも神風特攻でもさせます。

 他にも、今の先進国でも法・道徳・宗教呪術の関係性の強さはいろいろなところで感じさせられます。

 

 

『ヴォルコシガン・サガ』の、貴族の私兵を禁止する法。これにより、星外に出てデンダリィ自由傭兵隊を作ったマイルズが危なく処刑されるところでした。

 

『銀河英雄伝説』では、劣悪遺伝子排除法というルドルフの祖法が話の根源を作ります。

 それゆえにこそ、オーベルシュタインはゴールデンバウム帝国を憎みぬくのです。

 また、帝国ではあらゆる刑罰などの根幹が、ルドルフであることも注目すべきです。

 

 

 貴族・皇帝の国では、決闘も重要な法的問題を作ります。

『三銃士(デュマ)』にあるように、国家ができて近代国家に化けていく中で、とても重要なことの一つです。

 ヨーロッパや日本のような、馬を飼う武装地主が騎士道・武士道を名乗って支配する世界では、名誉が最大の価値。その名誉、勇気を証明するもっともよい方法に、決闘があります。

 また王の警察力などが低すぎ、迷信が強い世界では決闘裁判が強いものです。

 決闘裁判の前の段階として、日本ではクガタチとして知られる、焼けた鉄を握ったりして潔白を競う裁判も普遍的に用いられました。

 ですが国が近代化すれば、法の支配を貫徹し、暴力を王が、国家が独占するため決闘は禁止されます。それは武人の道徳、騎士道武士道と反するため、現場の貴族たちは抵抗します。決闘すべきところを、法が決めてるから嫌だ、と言ったら臆病者と蔑まれるのです。それだけは容認できないので決闘します。さて憲兵はそれで、両方処刑すべきか見逃すべきか。

 時代水準が違う、複数の道徳が対立するということでもあります。

 

 

『銀河英雄伝説』でロイエンタールは決闘で降等しました。決闘を申し込んだ相手も。ラインハルトが決闘騒ぎに巻き込まれたことがあります。

『タイラー』ではラアルゴンに決闘の伝統があります。ドムは数々の決闘に勝利した名声を持ち、イサム・フジも戦艦での決闘に勝利し戦局を変えました。

『ヴォルコシガン・サガ』のアラールも若いころ問題を起こしたことがあります。

 

 決闘は、現実の戦争では見られない一対一、刀剣、ナイフ、拳銃など限定された武器による戦いになるため、見栄えがする場面を作りたい作家にとっても便利です。

 

 

 複数の道徳の対立。法と道徳を考えるうえで、きわめて根本的な話です。

 法の根本の一つが、未熟な若者が自然発生的に作る不良群れの掟。それは常に公法と対立します。

 軍隊においても、現実には上層が強制する公的な軍人道徳と、実際に下で叩き込まれる「道徳」の対立があります。単純に言えば、栄光あるわが軍の兵士は虐殺をするな、と、虐殺痺れる憧れる皆でやろうぜ仲間を売るんじゃねーぞ、と。

 下側の違反も、「道徳」なのです。

『真紅の戦場』や『老人と宇宙』では主人公は民間人虐殺も、幼児の拷問惨殺さえ「なすべきことをする」と冷静に、喜ばず楽しまずにやっています。勝利のために。

 ひたすら残忍に、虐殺を楽しむ側を主人公として描くことは難しいのでしょう。

 しかしそれも、人類の軍事の避けがたい現実です。

『銀河英雄伝説』のヤンは一人も民間人を殺さなかった、が勲章になっています。逆にラインハルトはヴェスターラントや、同盟の帝国侵攻に伴う焦土作戦が汚名となっています。

 

 結婚や相続も法の問題です。

『ヴォルコシガン・サガ』で、逮捕を免れるためにとっさに結婚する、という手が使われました。結婚に必要な手続きが法的に少ないからです。

 また、ある貴族の娘は男に性転換して相続権を要求するという手を使いました。女を相続から排除する法があり、法を新技術に合わせて改正するのが不足していたからです。

 

 法が、貴族と平民で不公平であることは大きな不満の種になり、革命の原因にもなります。

 フランス革命やロシア革命は、法の不公平がひどかったことも大きい要因です。

 アメリカの独立も、「代表なくして課税なし」の一言に集約されます。

 だからこそラインハルトは公平な税と公平な法、と言いました。

 

 法は財産を保護するものです。それは近代の、資本主義の巨大な生産と貿易による豊かさも作り出します。反面奴隷制度を長く保護しましたし、また財産権を理由に貧困層に対する福祉を拒む政治勢力も常に強大です。

 

 

 

 さらに、最も根源的な問い。種族の生存は最高善か、否か。

 現実の倫理学は、少なくとも倫理学の本の第一章にはそれは書かれません。ものすごく後の方にハンス・ヨナスの名があればいいほうです。

『三体2 黒暗森林』は、全種族の普遍的な目的が生存であることを前提とし、そこから暗黒の森が導かれました。

 ですが、外から見れば人類には、種族の生存より優先順位が高いことがあった、としか思えないのです。

 

 種族の生存より優先順位が高いこと。

 特に大きいのは『天冥の標』で、播種船が出発直前、準備ができた時に太陽系が大変なことになった時、すぐ出発して人類の種を絶やさない、という決断ができなかったことです。

 また、『復活の日』にあるように、そして『現実』の人類が膨大な核を配備したことで分かるように、国家の戦争などの必要は、「事故で人類が滅んでもいい」というほどに、人類種の存続より優先順位が高いことになります。

 

 

 

 滅亡を考えるうえで『危機と人類(ダイアモンド)』も考えに加えましょう。最後に提示された、「国家的危機の比較研究というプロジェクトの第一ステップ」に加わりましょう。そのための多くのサンプルに宇宙戦艦作品も加えましょう。

 そう考えるために、同書の「12の要因」も意識することにしましょう。

「1危機に陥っていることを認める

2責任を受け入れる。被害者意識や自己憐憫、他者を責めることを避ける

3囲いを作る/選択的変化(変えるべきことと変えるべきでないことを区別する)

4他国からの支援

5他国を手本として利用する

6ナショナル・アイデンティティ

7公正な自己評価

8過去の国家的危機の経験

9国家的失敗に対する忍耐

10状況に応じた国としての柔軟性

11国家の基本的価値観

12地政学的制約がないこと」

 

 たとえば『ヤマト』は、(1)危機の存在を認め地下都市を作りました。宗教などに走らず、及ばずながら兵器を研究し艦隊を作って戦いました。

 それがあったからこそ、イスカンダルからのメッセージを受け取り、ヤマトを建造できたのです。(4)他国からの支援を正しく受け取ることができたわけです。

 しかしその後、さらば/2では白色彗星、テレサのメッセージという危機を認めず(1)、ヤマトの反乱を招きました。また自分の戦力を正しく評価できず、艦隊を全滅させました。

 波動砲マルチ隊形という実戦で否定された戦法を続け、繰り返し危機を招きました(10)。

 逆に、「新たなる旅立ち」でイスカンダルを、またデスラーを救援したことは、基本的価値観(11)に基づいて行動したとも言えます。

 

 宗教に走ることも多い(2)『三体』の人類と比較しても面白いところです。さらに結局人類を滅ぼしたのは、(3)宇宙に出ると人類が変化してしまうことに抵抗する感情です。

 また『宇宙軍士官学校』では、異星人の支配に激しく抵抗する(6)(3)(4)地球人が描かれています。主人公も自爆テロで危うく死ぬところでした。

 アイデンティティを守ろうとして、地球人自体の生存を度外視したのです。

 

 無論、侵略者に激しく抵抗するのが英雄的であるケースも多くあります。しかし実際には支援であるのに抵抗するのは正しいでしょうか?

 ここでは何が正しいのか、という問題にもなります。

 

 

 言えることは、まず願望と現実を混同してはならない。傲慢ほど危険なものはない。

 精神の清らかさを強制することも危険。

 別のゲームをしよう、とすることにこだわる、穢れを避けようとする……その自然な情を自覚し、抵抗しなければならない。

 自分が絶対正しいとは思わず、別の方法も生存の道かもしれないと思うべき。

 

 

『火の鳥 未来編』のラストでは、火の鳥は繰り返される滅亡、自滅に向かっている今の人類を見て、「こんどこそ生命を正しく使ってくれる」ことを祈ります。

 ではどうすればいいというのでしょう。

 地球人の、欲望。個人の利益と集団の利益、家や部族や部局や教団の利益と、公の利益。国の利益と人類全体。その矛盾。

 後先を考えず限られた資源を浪費する。とりかえしのつかない文化財を破壊し、絶滅寸前動物の最後の一頭をすさまじい情熱で狩る。

 人類の圧倒的な闘争心。国家で戦争をするとなると損得勘定が吹っ飛んでどこまでもやる。少人数の虐殺でもすぐにエスカレートする。

 それらを棄てればいいのでしょうか?

『クライム・ゼロ(マイクル・コーディ)』という小説で、ある遺伝子書き換えウイルスがばらまかれた結果、地球人全体から闘争心が消えた……でも、誰かが星空を見上げてふと考える。もしどこかの異星人が襲ってきたらどうするんだろう、闘争心を失った人類は戦うことができない、と。

 あまりにも多くのSFは、SFだけでなく社会評論や大きい歴史書の末尾でも多くは、「人類はこのままではだめだ、少なくとも科学を進歩させるだけではだめだ、人類全体の心が変わらなければならない」といいます。

 ではどうなればいいのか。どのように変えればいいのか。それは誰も言わないのです。ああ、啓蒙=教育と技術と経済成長のプラス効果を称揚するスティーヴン・ピンカー『暴力の人類史』『21世紀の啓蒙』は別ですね。

 言うとしたら妙な宗教や、共産主義のイデオロギー。そのまま実行したらろくなことにならないのははっきりしています。

 

 

 一体何が、最高の善なのか。人類の存続なのか。違うなら、何なのか。

 筆者自身は、虫のように、「一つの籠にすべての卵を入れるな」「広くばらまいてどれか一つが生き残る」「多様な子孫のどれかが適合している」が正しいと確信しています。

 しかし、人間は極端なまでにそれを嫌います。人間が描き買う物語も。

 

 何が正しいのでしょう?


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