宇宙戦艦作品の技術考察(銀英伝中心)   作:ケット

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帝国の宗教・普遍的道徳

 なぜ筆者がこのように、『現実』の様々な古代帝国のいろいろな面を比較しているのか……

 知そのものが面白いこともありますが、何より、膨大な宇宙戦艦SFには「帝国」があり、そこでは現代の民主主義・近代法・人権とは異なる社会が多くみられるからです。

 皇帝があれば貴族もあります。

 また建前はともかく、『真紅の戦場』の西側連合、『ガンダム』宇宙世紀のジオン共和国のザビ家・カーン家など、連邦のピスト家やマーセナス家など、どちらも強い有力家が支配する超格差社会である作品も実に多い。『銀河乞食軍団』の星涯の地方では無法と言っていいほど官憲の横暴、企業の奴隷がひどい。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国を真に理解する、という目標のためには、それら昔の……『現実』の今でも多くの国ではそうであり、先進国もかなり格差世襲が強まっているし極端な権威主義支配が横行する部分集団も少なくない……社会を、本当に理解する必要があると思います。

 民主主義が失われた理由として多いのは、多くの作品の過去にある、核戦争などの文明崩壊の影響です。しかし原理的には他にも多くの理由でありえるのです。

 また「人間とは何か」を理解するうえでも、そのような社会を理解することは必須なのではないでしょうか。多くの人類学フィールドワークのように。

 

 

『現実』の歴史、また多くの作品に、多くの帝国や国家があります。

 それぞれの多くに宗教があります。ある程度はもう検討しましたが、上では武装テロ組織としての面を強調したと思います。

 いうまでもなく、宗教は法と強く複合し、魔術として科学技術の役割も……暦をはじめあらゆる技術の形で生活や農業を深く支配し、道徳として一人一人に幼いころから教えられて心を作り上げ、戦争の理由にもなるし強大な精神兵器となるものです。

 多くの儀式、神殿や陵墓などの建設を通じ、「国・政府がやること」の大半でもありました。

 狩猟採集群れでも普遍的であった、この世界の創造と自分たちの由来を説明し、自分の群れに誇りを持たせ、その群れの正規の一員となる儀礼を定める、神話としての機能も当然あります。

 

 

『スターウォーズ』のパルパティーン帝国は宗教自体を否定したという情報が。皇帝は宗教的な雰囲気なのに。

 厳しい法、将軍でもささいなことで恣意的に処刑される恐怖支配が強調されます。ストームトルーパーの残忍さと高い規律・勇敢さも。恐怖による統治の究極のものがデス・スターですが、エンジンを管理する多くの人をどうやって支配するか、という問題は出てきます。皇帝自体にかなりの暴力はありますが……

 

『銀河英雄伝説』のゴールデンバウム帝国は、昔の核戦争でキリスト教などが消滅し、古代ゲルマン神話が一般人には信仰されています。重要人物である高級軍人も、「ヴァルハラで会おう」とよく言います。

 ここで奇妙なのが、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムおよび歴代皇帝が、古代ローマ式であっても神格化されている様子がないことです。たとえば元帥量産帝に息子が戦争から生きて帰りますよう、と祈ったりする描写は覚えがありません。逆に子の戦死で皇帝の写真に八つ当たりして罰された人はいます。考えてみれば、それは古い意味での神……てるてる坊主の歌に、願いをかなえてくれなかったら首を切るぞと脅す面がある……として扱っているとも言えます。

 地球教は裏で強大な力を持ちますが、それは麻薬の力や上層に食い込む政治力が大きく、たとえばヤンが懸念した古代ローマにおけるキリスト教のように、教義自体の力によって下層に信仰を拡大している、という感じではありません。

 

『ガンダム』宇宙世紀でも宗教は弱めです。あれほど多くの死者が出、極貧状態の人も多数いるのに。ジオニズムはある程度宗教の代用になっている感じもあります。また、連邦が宗教を支配に用いている様子はなく、アムロが儀礼を強制されることは見当たりません。

 ただしのちに貴族を標榜するコスモバビロニア建国紛争、宗教色が強いザンスカール戦争などが見られます。

 

『タイラー』での、数々の宗教団体による内戦は上述です。ラアルゴン帝国の生贄を含む宗教も。そういえばタイラー自身は寺出身であり、暗殺者でもある僧がかなり重要な役割を持ちます。

 

『真紅の戦場』では敵国の一つが極めて狂信的なイスラム教国です。主人公の国は宗教色がほとんどありません。

 

 ほか、いくつかの作品の宗教は上述です。

 統治にどの程度宗教を用いているか、支配者が自分を神としているか、かなり違いがあります。

 

 

 宗教と古代帝国の関係を考えると、この『現実』において、中国の異質さが際立ち、それが一般論を壊しているような感じがします。

 

 無論、それぞれの帝国が違うシステムであり、「一般論」など存在しないと考えるのが正しいでしょう。

 しかし、一番標準的な「帝国」のイメージがあります。

 古代エジプト・メソポタミアの帝国……砂漠気候、大河の灌漑と湿地干拓でできた巨大農業帝国は、皇帝・王が自分こそ神の子であり神だ、と主張します。

 中南米のインカ・アステカも同様に、王家は自分の先祖が神であり王自身も神だと主張して統治するものです。

 人間には、魔法や超能力を使える人は上位者であり従わなければならない、という共通の考えがあるようです。神の子であり神である王は、気軽にはやらないだけで強力な超能力はあるし、顔を見ただけで焼くほどの力も、雨や日食を予言する力もある、と思わせることができます。

 それで支配される巨大な地域、様々な民族……それが一番一般的な「帝国」ではないかと。

 

『宇宙戦艦ヤマト 完結編』のディンギルは、頭が「大神官大総統」であり、神像を強く崇拝するなどそれに近い感じがあります。

 

 中東では法も神=王の名において書かれ、破ったら神=王が呪うぞとも書かれます。それは道徳であり、科学であり真理であり「許される歴史」であり、呪詛でもあります。

 灌漑など大工事にも使える巨大な労働力で、巨大な陵墓や神殿も作ります。

 多神教でもあり、多くの征服した部族の神々を下級神に加えます。

 多数の女を入れた後宮……ハーレム・大奥をつくり、多くは宦官に管理させます。

 奴隷制も一般的です。大規模な道路を作ることも。

 何よりも、王の仕事の多くは宗教儀式でした。征服戦争、裁判、建設などはごくついで。

 

 中東の帝国は得られる情報が、法の碑文・遺跡のレリーフが中心になるから思うのかもしれませんが……

 古代ギリシャと比べて、残された本が少ない。逆に古代ギリシャ・ローマ、そして中国は残った本の量がけた外れに多い、それが歴史全体を見る目をゆがめているのかもしれません。

 

 たとえば多くの国の憲法の前文に、断片的でも歴史的なことが書かれる……それは古代帝国の法碑文に、初代皇帝の偉大な征服が書かれるのにも似ています。神話が書かれている古代法典も多くあることを考えると、比較すると面白いものです。

 それは公式な=疑うことが許されない、唯一絶対真理である歴史でもあります。

 歴史を自由に学問できる現実現代の民主主義国は、あくまで例外と思うべきです。多くは、たとえば共産主義国やファシズムの国のように、歴史も公が国益のために定めるものであり、疑うことは罪にほかなりません。それこそゴールデンバウム帝国でも現実の共産主義国でも、歴史を学ぶことは家族ごと拷問の末に死ぬ覚悟が必要でした。何を学ぶにしてもですが。

 現在の日本国憲法前文と2012年の自民党憲法改正草案と比較すると、「日本は長い歴史を持つ」が自民党幹部にとって何より重要であることが伝わります。さらに中曽根試案が「波洗う」にこだわっていることと比べると……

 さらに、大日本帝国憲法を調べて、告文を見てみれば、それは天皇が神様に新年の抱負を語っているようも思えるのです。

 それを考えると、『銀河英雄伝説』の自由惑星同盟憲章、またゴールデンバウム帝国についても想像できそうです。

 

 中東のような、王=神を普通と考えると、現実の西洋史はギリシャ哲学、ユダヤ・キリスト・イスラム教という厄介な異物に強く支配されています。

 さらに中国史という巨大な例外があります。

 インドも、モンゴル帝国も宗教と統治の関係が「一般論」とはわずかにずれているのです。

 

 

 古代ローマ帝国、それ以前の共和国から、多くの国を征服するローマは独特の宗教統治を用いました。

 一言でいえば寛容……戦争では残忍であっても。征服した部族の神を自らの神殿に迎え入れ、古い習俗と認められればローマが嫌う儀式も許し、できるかぎり信教の自由を認めました。

 ユダヤ教徒とキリスト教徒は、客観的に見れば単にわがままが過ぎます。

 人を生贄にするのを嫌うことも特徴とされます。ただしギリシャ神話の水準ではかなり人の生贄もあります。

 ただ、帝国の規模が大きくなり、共和制から帝政になったときに皇帝を神格化し、そのことがユダヤ戦争などの軋轢も生みました。

 さらにのちにはキリスト教を国教化し、その不寛容であらゆる異教を厳しく弾圧し膨大な文化破壊・暴政となりました。……それが大規模反乱にならなかったのも不思議なほど。

 

 前述と思いますが、『叛逆航路シリーズ』のラドチ帝国の、皇帝に秘儀を見せることなどを条件に被征服民の宗教を認める態度は古代ローマ帝国、それを模倣したと思われる大英帝国と大きく共通します。

 

 古代ローマに多くの影響を与えている、ギリシャ諸国。

 もとから地形が複雑で統一に適さず、海に面し、農業の面ではやや貧しいかわりにオリーブ・ブドウ酒・羊毛など交易に適していました。

 ローマとも共通性の高い多神教で敬虔には違いないですが、多様な哲学が特徴です。詩文・劇も洗練されており、相対的に多くが古代ローマに、さらにイスラム帝国に引き継がれてのちの世に残りました。

 近代科学の源流ともされていますし、近代の政治制度にギリシャ哲学、特にプラトンの影響は大きいです。

『共和国の戦士』のクローン兵士システムはプラトンの『国家』を下敷きにしたもので、だからこそクローンの人権を完全に無視できます。

 実際にはプラトンの思想はおぞましいディストピアともいえるもので、多くのユートピア・ディストピア作品にも強い影響があります。

 ほかにもキリスト教の教義とギリシャ哲学の統合もあり、のちの西洋文明全体に与えた影響は計り知れません。またイスラム文明にも大きな影響を与えています。

 

 ギリシャに近いマケドニアから生じたアレクサンダーの帝国は、皇帝があまりにも若く広大な領土を征服して死に、強い後継者もいなかったために四分五裂する、という経緯をとりました。

 破壊はありますがペルシア帝国の文化を受け入れようとし、むしろそのために以前からの部下と軋轢になるほどでした。

 宗教的にも、時間がなかったこともあり、とんでもない強制をしたということは見かけません。ただしアレクサンダー死後分け合った武将の一人が作ったセレウコス朝シリアは、ユダヤ人を残忍に弾圧したことが伝えられています。

 

 

 何より異様なのが、中国。

 中国にも、普通に神々があり、盤古からの創世神話があります。

 にもかかわらず、中国を本当に作ったといえる秦の始皇帝は、要するに自分は太陽神の子であり太陽神だと、言わなかったのです。

「天」という、神話で動き回る人格のある神とは異質な神をまつる儀式はあります。泰山などを用い、皇帝という霊的地位を作り上げたこと、それも中国史全体を縛る始皇帝の遺産と言えるでしょう。

 ただ、知る限り中国の巨大な宮殿の中心は、巨大な神像ではないはずです。皇帝自身が着飾り自分を隠してその立場に立ちます。ですが着飾る王と巨大神像は両立できるはずです……やはり違うのです。

 動き回る人格のある神を描く偶像や絵画も、特に宮殿の中心ではないはずです。

 始皇帝はむしろ神仙になる、修行して普通の人間とは違う不老不死の存在になる、という考えに取りつかれたといいます。皮肉にもそれで水銀や鉛を摂取して寿命を縮めたとも……まあそれは世界のどこの帝王や金持ちもやらかすんですが。

 神話、神の像、それらをそれほど強調せずに法で支配する。それが、エジプトやメソポタミアとは微妙に違うのです。

 かわりに巨大な陵墓と巨大な宮殿を築きました。それはその後の皇帝にも受け継がれます。

 古代中国法と宗教の関係はすぐには資料が集まらないので……少なくとも、法は神様が書いてくれたものだ、守らないと神様が罰を当てるし限度超えると国を亡ぼすぞ、というようなものではないようです。

 

 また仏教。のちに中国は体系的で像と文書を使う宗教として、はるかインドから仏教を輸入しました。

 同時に密教に代表される魔術・呪術でもあります。日本でも鎮護国家、国を守り気象を制御する魔術の面が強かったです。

 その後も中国は交易のついでに、景教=ネストリウス派キリスト教、イスラム教も入れますが、それらは仏教ほど多数の信者は得ていません。太平天国の乱はキリスト教の影響も多少ありますが。

 道教という形で、元の民俗信仰も強く残っています。

 また代々の帝国は儒教という、神を信じ他の神像を焼き、世界の創造を説明するのとはかなり違う、道徳の面が強い教えを主としました。仏教に統一し全人民に仏教を強制する、ということすらなかったのです。

 仏教自体、常に多くの宗派がありました。

 

 古代ローマ帝国も、発祥のイタリア半島、主に文化を得たギリシャとは別に、中東からのキリスト教を国教としました。

 インドの宗教の変遷も不思議なものです。ヒンズー教のもとになる宗教、ジャイナ教など多くの宗教があり、仏教もとても有力だった、それがイスラム教の侵入で仏教が衰退し、のちにはイスラム教とヒンズー教が争い、ついにインドとパキスタン・バングラディシュと分かれるに至った、と。

 大帝国には、それまでの部族・先祖の信仰がうまく調和しなかった、ということでしょうか?

 

 日本、東南アジア、ロシアなど相対的に遅れた地域は、技術や文字、法や儀式、文化の多くとともに近い先進文明の宗教を受け取るしかなかったようです。

『火の鳥 太陽編』で、侵略者としての仏教に苦しめられる地方霊の苦しみに共感した主人公に火の鳥が、宗教自体はどれも正しいけれど権力と一体化した宗教が残酷だ、と諭したような残酷さもあります。

 それをどのように消化吸収するかが、各文明の個性となったともいえるでしょう。日本にひらがなカタカナ、さらに文法的には興味深い漢文書き下し、さらに鎌倉仏教や武士道などがあるように。

 

 モンゴル帝国は勃興がかなり後であったこともあり、自分たちは特に強い宗教を持たず、征服した人々の宗教に一般に寛容でした。

 長期間大帝国を維持できませんでしたが、できていたら何らかの宗教を受け入れて、統治と一体化させたでしょうか?

 

 むしろ徹底的に不寛容な、スペイン帝国こそが大帝国としては異質でしょう。

 

 異民族を支配するのではなく皆殺しにするかわずかな居留地に押し込める事が多いイギリス・アメリカも。

 

 

 

 あらゆる、ある程度帝国の規模になってきた人類に共通する道徳を考えてみましょう。

 本質的に共通するのは、多数の群れが集まっているということ。

 

 その群れには、かなり共通性がある道徳があります。文化人類学からも見えますし、イスラムやモンゴル、近代におけるマフィアなどに色濃く残ります。

 ある研究によると、家族、自分の群れを助ける、借りを返す、勇敢、上位者を尊敬し服従する、公平、人の財産を認める、が共通規範だそうです。

 その一部ですが、多く見られるもの……

 

 先祖崇拝。特に中国はそれが極端であり、それは規模の大きい葬式のために多量の木材を消費し森林破壊を早めたとさえ言われます。

『彷徨える艦隊』は地球があるのですが、奇妙にキリスト教などは消えていて、ご先祖様と星をあがめる独自の宗教があります。どの艦にもご先祖様に祈る場があり、ギアリーはそこで戦いのヒントを得たこともあります。デシャーニは軍法違反でしたが慣例化していた虐殺について先祖に聞いたら否定された、とも言います。またご先祖様に女を紹介するのは特別なことです。

『ヴォルコシガン・サガ』のバラヤーでも先祖をまつる、供物を少しささげる儀式があります。伝統性が強い村で、ある罪人に対してはその儀式から排除するという罰を言い渡し、それがとてつもなく残酷とみられました。

 

 群れのメンバーを守ること。名誉を守ること。勇敢であること。

 群れのメンバーでなければ裏切っても嘘をついてもいい、虐殺してもいい。

 基本的には群れの中で財産は共有される……中国などでは先祖を同じにする血縁群れの中で、かなり徹底した財産共有があったそうです。

 けちけちしないこと。

 客人保護。客となったものは、たとえ指名手配犯でも国と戦ってでも守り抜くこと。

 昔の旅行記などでは、各地の王侯貴族の異様なまでの歓待が様々な形で描かれます。

 ただ、その富の共有が極端になると……特に狩猟採集民の水準になると、飢えた旅人に当然食べ物も女もくれるかわりに、旅人も当然愛用のナイフも靴も全部あげなければなりません。近代所有権の世界と接するとそれで相互理解ができなくなり、争いになることも多くあります。オーストラリア先住民の悲劇でもそう解釈できることもかなりあるのです。

 共有、惜しみなく与えることと、盗みの禁止という遊牧民でも強くある法・道徳の関係は極めて微妙で、争いの理由にもなります。

 

 上位の者に服従すること。

 

 群れの宗教教え、特に穢れと清浄を守ること。

 人間の道徳感情の本質に呪術・穢れがあることは常に意識しておくべきでしょう。だからこそ、完全に同情を失いいくらでも残酷にできることもある、と。

 群れの中での礼儀も、法や宗教と一体化して重視されます。中国はその部分が事実上国教と化しました。

 食べること、性などの複雑なタブー。

 

 ほかにも膨大にあるでしょう。あらゆる部族に共通するというだけでも。

 

 

 それら、本来小さい群れの中の普遍的な道徳の相当部分は、普遍化されながらも帝国の法・道徳・公式宗教の教義として受け継がれます。勇敢に戦えとか、うそをつくなとか。

 ただし、帝国となる場合には、「別の宗教を信じる人が生きていることを容認する」とか、「裁判官になった場合には親戚にも有利な判決を出してはならない」など以前からの当たり前の道徳とは違うことが求められます。「群れの神やメンバーを最優先せよ」が、以前からの普通の道徳ですから。逆に以前からの道徳に従ってしまうと、それは腐敗となるのです。

 今でも途上国などでは、公の仕事に就いたものは仕事を腐らせて賄賂など大金を得て、その金で一族の貧しい子を学校に行かせる義務が出てしまう、という問題が常に報道されます。

 中国史でも強調されますが、それは世界全体で普遍的というべきでしょう。

 

 以前新しい道徳と古い道徳の話をしたと思いますが、帝国の道徳というのはどちらでしょう?

 欠乏と豊穣でいえば明らかに欠乏の側にあります。奴隷制が普遍で、自然も人間も使い捨てます。

 しかしある程度でも普遍性があり、全人類に適用されるとしています。

 寛容であっても基本的には奴隷制を容認し、厳しい家父長制をとり、人権とは異質です。

 道徳はもっと分けたほうがいいかもしれませんね。部族の道徳、帝国の道徳、さらに近代・豊穣の道徳、と。近代国家であっても、豊穣の時代はかなり後です。

 狩猟採集、遊牧なども別の道徳体系を持っているかもしれません。

 

 上述ですが、多くの帝国できわめて普遍的な法・道徳に、利子の禁止があります。

 だからこそヨーロッパでは、人の外であったユダヤ人が金融業を独占し、さらに富んでは憎まれて虐殺されることが続けました。

 

 人が集まることを禁止するのも、多くの帝国に共通します。

 だからわざわざ結社の自由などと憲法に書かれているのです。

 

 良い政治をしなければならない、というのも世界中の国が信じることです。

 その根本に宗教があるでしょう。神が喜ぶように統治しなければ神が怒って罰を下す、と。

 ですがそれはどこかで、民の生活水準も上げるべきだ、という考えにもなるのです……たいていは不公平な「民」であっても。

 

“社会福祉に関心を持つことは政府の義務の一つであるというこの歴史的認識は、疑いもなく文明の過程にある人類の政治史の注目すべき事件だった。しかし、それが全く新しい出発であったということは、それほど確実ではない。というのは、歴史に知られている多くの国のなかで、その人民の福祉を全く無視して、それ自身の権力の維持だけに関心をおいた国家を見出すことは困難であるかもしれないからである。~~彼らは通常、人民の繁栄と幸福をはなはだしく損なうほどこの活動を遠く押し進めないことが政治的に賢明であることを見出した。~~”A・J・トインビー『歴史の研究』

 

 

 その帝国の道徳が、子供の教育にどう入っていくか……古代国家における子供の教育は、古代ギリシャ・ローマについては多くの情報があり、また中国では教育を受ける階層については多くが知られています。日本の武家や寺についてもかなりの情報はあります。

 宇宙戦艦作品では、とても多くの帝国が、人権とかがないきわめて悲惨な国でありつつ、子供の義務教育と兵役だけはきっちりあることが多いです。『銀河英雄伝説』のキルヒアイスも、平民上層ですがかなり高水準の教育を受けています。

 ただし完全に棄民となっている、教育がない層がある作品もあります。『銀河の荒鷲シーフォート』『真紅の戦場』『目覚めたら~』など。……棄民についてはのちにきっちりまとめるべきでしょう。

 

 そして国家というものの怪物性も、多くの昔ながらの道徳を守っている群れには意識されます。わけのわからないルールを押し付け、圧倒的な暴力で踏みにじる怪物としか思えないのです。さらにその多くは腐敗していて納得いかない形で踏みにじられることも多いのですから。

 中国は最初から政府は何をしてもいい、怪物が無限に人々を支配するのが当然。苛政は虎よりひどい、という説話もあります。史記などでは、孝文帝など名君が親切心で刑罰を軽くしたりしますが。

『スターウォーズ』のパルパティーン帝国などは、絶対悪としての帝国、という分かりやすい存在でした。逆にならばなぜ多くの人がそれに従うのかを追及してほしいものです。

 

 のちの話ですが、西洋では、政府という手綱を放したらとんでもないことをするリバイアサンに対する恐怖と、また野放しにしたらこれまたとんでもないことをする民がお互いに恐怖ししています。

 だからこそ貴族たちは労働者に強い恐怖と憎悪があり、残忍と言えるほど冷酷な経済的自由主義を作り上げもしました。

 アメリカではわざと、道路のデコボコのような憲法・体制を作って、国家が暴れないようにしています。銃を持つ権利を重視するのも、国が狂ったら俺たちがこの銃で抵抗する、という覚悟でもあります。日本ではその考えは完全に理解不能です。

 そうそう、『銀河英雄伝説』の同盟の憲章には抵抗権がありましたね。

 

『ネアンデルタール・パララックス』では、監視なんて許したら全体主義になるぞ、という人類(グリクシン、クロマニヨンの子孫)的な被害妄想を持っていません。犯罪も本人ではなく遺伝子を罰するものです。

『断絶への航海』では、政府・警察・法というものがない、完全なリバタリアニズム……だからこそ評判で殺されることすらある、肩をすくめるしかない体制が描かれました。プラトンの後裔であるユートピアともディストピアとも言えない、トピアという言葉自体の反対側でしょう。




今回は筆者自身にとってもかなり不満です。

普遍的道徳のリスト、その構造をはじめ、どれもこれももっと追及してから出すべきでした。
ですがそれぞれ、間違いなく膨大な話になり、大量に調べなければならない…

時間があればできるだけの改稿はしたいですが、本質的には今回は予定リストと割り切って後に一つ一つ深めるしかないかもしれません。

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