宇宙戦艦作品の技術考察(銀英伝中心)   作:ケット

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 今回は、『書物の破壊の世界史(フェルナンド・バエス)』『なぜ人類は戦争で文化破壊を繰り返すのか(ロバート・ベヴァン)』『攻撃される知識の歴史(リチャード・オヴェンデン)』と三つも、読みたくないけど読まなきゃいけない本を読んで……
 筆者にとってこの上なく嫌いなことです。
 それに単に文字の歴史とかでもその手の話は大量に読まされるんですよね……特にスペインやナチスや共産主義やボスニアやイラク戦争のどんな罵言でも卑語でも足りない連中……


言語、文字

「文字」からは本当に多くの項目が分岐していきます。

 言語。

 紙や印刷など産業面。

 貨幣・負債・略奪・奴隷。

 情報への発展。

 文化・科学の抑圧・破壊。

 精神論。道徳と宗教と法の混同・暴走・強制。

 始皇帝に至ればそれこそルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの半分が終わってしまいます。

 

 

 以前、作品ごとに暦・年号があることに触れましたが、言語・文字もかなり作品ごとに存在しています。

『スタートレック』のクリンゴン語は後に情報が加えられ、完全に機能する人工言語として完成しており、母語を名乗る人すらいます。

『星界シリーズ』のアーヴ語もきちんとした人工言語のような形です。

 

 もちろん、地球人の子孫でも『真紅の戦場』のように多数の国があれば国ごとの言語があります。

 多くの異星人が交易・角逐していれば、それぞれの言語があります。

 

 そうなると、話を簡単にするために作られるのが翻訳機です。

『レンズマン』のレンズは翻訳機でもあります。

 他にも多くの作品で、即時にあらゆる星人と会話できる万能翻訳機が出てきます。

 それこそ『スターウォーズ』のC-3POは翻訳が本職です。

 

 逆に、『工作艦明石の孤独』など「それはなに?」を延々と聞くことからのファーストコンタクトを丁寧にやることもあります。

 

 ただ、心の在り方の違いが大きいと、翻訳は簡単ではありません。

『スタートレック』でも意思疎通が困難な、異質性が大きい異星人との交渉努力はしばしばあります。

『彷徨える艦隊』ではスパイダー=ウルフ族は根本的に図形で思考するため、翻訳にかなり時間と労力がかかりました。

『イデオン』では白旗の意味が文明によって違ったことで取り返しがつかない泥沼戦争になりました。

『エンダーのゲーム』では集合精神型異星人と対話できるようになるまで膨大な犠牲と時間がかかりました。友好関係になってからもバガーとの異質性は強く、会話は困難です。ペケニーノは一見対話が楽ですが、その本体との対話には同様な困難があります。

『孤児たちの軍隊』『太陽の簒奪者』など、集合精神型との対話までの話も定番です。

『ソラリス』は根底的に相互理解が不可能ですし、『彷徨える艦隊』でもベア=カウ族とまともに交渉交易することは不可能です。基本的にバーサーカー型の異星人とも対話は難しいです。

 ただ、『スタートレック』では交渉不能と思われていたボーグと、『ボイジャー』でかなり対話し協力したりセブン・オブ・ナインをクルーに入れたりしました。

 

 地球人がほぼ皆、どの言語でも学習することができ、翻訳が可能であるというのはかなり奇跡的なことと言えます。

 それでも、美しい言葉は本質的に翻訳できないという人もいますし、「コーラン」は根本的に翻訳を拒みます。

『宇宙軍士官学校』では味方でも星が違う人の標語を口真似したり、地球の日本の地方生まれの子の「ずくを出せ」という方言が部隊全体の標語になったことがあります。

 

『スターウォーズ』にはベーシックと言われる標準語があります。

『銀河英雄伝説』でルドルフが帝国語を定めたのも、本人の趣味以上に、人類圏全体がバベル……言葉が通じない状態になっていたからもあるのかもしれません。

 自由惑星同盟は同盟語という言葉を共通語として、帝国に対する反抗を形にしました。

 ついでに、同盟語が英語、帝国語がドイツ語をもとにしていて、その二つの言語はかなり近く互いを学ぶのが楽であることも結構ストーリー上重要でしょう。

 

『現実』でも、多くの、それぞれ違う言語の群れが接触し、交易したり戦ったりして、有力な帝国ができると共通語、リングワ・フランカができていきます。

 中東ではアラム語が発達し、ギリシャ語が侵入し、後にはアラビア語に席巻されました。アラビア語は広く東南アジアまでも通用する、今も非常に強力な言葉です。

 ヨーロッパを作っているのは古代ローマ帝国の、ラテン語とラテン文字、アルファベットとキリスト教の組み合わせです。

 東洋では漢字そのものがきわめて強い共通語となっています。中国内でも話し言葉の違いが大きくても、漢字さえ扱えれば意思疎通ができます。奇妙なことに中国語そのものとは切り離されて。また漢字文化圏には、インドからの梵字、また易の八卦や算木など文字に準じると言っていいものも混入しています。日本人は漢字の文、漢文を、中国語を理解するのではなくレ点返り点で無理やり日本語にする奇妙な方法を発達させました。

 ラテン語や漢文のように、上流階級が宗教儀式や政治・学問だけに用いる言語と、庶民が普段用いる文字が違ってしまうケースもあります。

 ヘブライ語・ヘブライ文字などは特定民族の宗教儀式に主に用いられ、その日常会話からもかなり乖離しました。

 モンゴル帝国はその規模のわりに、宗教もそうですが言語面でも自分たちのものを強要しなかったのが奇妙なところです。北方から征服した騎馬民族である清も強い権勢をふるいながら、漢字・中国文明を完全に破壊することはできませんでした。

 対照的にスペイン帝国は徹底した強制で現地語を破壊し、現在も膨大な人口のスペイン語圏を作りました。

 大英帝国もフランス帝国も、特にインドや東南アジア、アフリカでは完全に現地語を根絶することはできませんでしたが、それぞれの言葉がかなり広範囲に、部族・国家の枠を超えた地域共通語となっています。

 そして現代は英語が圧倒的な地位となっています。また、目立ちませんが、アラビア数字などの数学の文字や記号、英語に付随する標準記号、元素記号や単位記号なども強力な国際共通語です。単位も後に詳しくやる必要があるでしょう。

 SOSモールスやメーデー、パン‐パン、その他各種救難信号、旗などでも目立たない国際共通語があります。

 コンピュータ・インターネットの中心的な規格も、目立たない国際共通語と言えるでしょう。

 西洋音符・ギターコードなどもかなり強いです。

 

 

 言語、そのものを考えてみましょう。それも地球人の特徴の一つであり、当然違う形をとる異星人はいてしかるべきです。

 今の『現実』であっても、コンピュータ同士・コンピュータと人間はどう意思疎通しているかを考えると頭を抱えるべきでしょう。

 さらに知能が高いと言われる動物に犬、豚、ヨウム、イルカなどがあります。

 植物同士の情報交換、物資交換も研究されており、きわめて大きいとのことです。

 ミツバチはフェロモンとダンスでかなりの情報をやり取りします。アリも敵味方識別など多くの情報をにおいで交換します。

 細菌も遺伝子を交換し、近くにいただけの系統的に離れた細菌が抗生物質耐性を学んでいることがあります。

 

 人類の言語は、音声言語が最初・中心であり、人類が生活する一気圧・窒素ガスと酸素ガスの混合大気の陸上という条件・その生理によって作られています。

 呼吸と摂食の器官が鼻・口・喉として密接にかかわり、多くの筋肉の精妙な操作で空気の振動、音を出します。それを聞き、脳で判断します。そのシステムは餅をのどに詰まらせる、また誤嚥性肺炎という代償を払っています。

 話し言葉は世界のどこの辺境でも共通、ヒューマン・ユニヴァーサルズの一つです。まず音声言語があり、文字はかなり歴史の後のほうであり、文字に至らない地域・文明も多くあります。

 

 さらに人間は、耳が聞こえない人が集まれば手話も作ります。手話に似たものとして兵士のハンドサインもあります。また、身振り手振りも重要なコミュニケーションの手段です。

 

 人類と違う存在……

 体内にアンシブルを器官として持つ『エンダー』のバガー。似たような異星人も多くあります。

 地球人から見れば超能力であるテレパシーなどが当たり前である種族も、『レンズマン』などに多数あります。

 ロボットであれば電波や、それ以上の様々な波による交信をそのまま用います。『叛逆航路』のアナーンダ・ミアナーイどうし、艦船と属躰なども同様です。

『ファウンデーション』の第二ファウンデーション人は人間語に翻訳しなければならない高度な何かでやりとりしています。

 

 言語から双方向性を除いたものに近い、一方的に人類を支配するタイプの、超能力者や機械もあります。

 

 地球人の音声言語は、すぐに消えてしまうという欠点があります。

 一度に聞かせることができる人数も、電気的な増幅がなければ非常にいい劇場で千人いくかどうか。

 それを聞いて、覚えて、次代に伝えるのが人類の長いありかたでした。古代ギリシャでも、文字に反対する人は多くいました。古代インドでは反文字が勝ったようです。

 

 それが消えなくなり、多くの人が見る、遠くに運ぶことができるようになったのが文字です。

 インカ文明などは文字ではなくキープ、縄の結び目を用いて数字などを記録しました。

 文字の前の段階として、トークン……物のやりとりを記録した、しるしのついた小さい塊なども出土します。それこそ、集めた小石と羊を一対一対応させる、から始まることです。

 古代中東の楔形文字などの非常に古いものは、詩などではなく会計情報ばかりだったりします。

 それが、人が口で歌っていた詩歌、武将の自慢話なども記述できるようになったことが実に大きな変化でした。さらにそれはフェニキア由来のアルファベット、人が口から出す音にほぼそのまま対応する文字を作ったのです。初期はヘブライ語のように子音のみの文字だったそうです。

 古い文字には表意文字、絵を文字としたのもヒエログリフや漢字などがあります。それと表音文字の歴史が絡み合っています。ただ極端な説だと思いますが、漢字もマヤ文字も完全な文字は全部地中海文字の遠い伝播だという話も……

 変種の文字として、点字もあります。

 

 

 文字の歴史は、同時に文字を記録する媒体の歴史とも言えます。要するに紙とペン。だからこそ文字は、心と物が交差する話題なのです。

 そして文字は当然、強力な魔術でもあります。

 はるか昔の文書にあるように、書記は地位が高く収入も多い職業であり、高貴な身分でもありました。

 

 紙のような素材だけでなく、特に今残っているものでは土器や、建物の装飾である浮き彫りも重要です。浮き彫りは文字だけでなく、絵を併用していることも重要と言えるでしょう。

 読み書きができない人にも、今の王がどれほど戦争で強いか見せることができるのです。また燃えにくく運びにくい、壊したつもりでもたとえば建物の基礎や都市を埋める瓦礫として使えば後に復元できる可能性がある、ということも残る理由でしょう。

 貨幣も、昔の硬貨も今の紙幣も、多くの文字・文明によっては浮き彫りなどの情報が加えられるものです。硬貨も残りやすい遺物で、考古学上も重要です。

 

 

 それを考えると、実際には文字だけでなく、雷紋のような装飾文様、また入墨、単純な絵、それらも人間の重要な表現手段のはずです。

 その素材や技術は、かなり文字に近似します。そして間違いなく、弓に文様を描き入墨を彫るのは、文字よりもはるかに古くからあるはずです。ラスコーなどの壁画は文字より圧倒的に古く、多くの原始部族が入墨をしている……

 その多くは呪術・魔術であることにも疑いはありません。

 複数の文明にある紋章、軍旗や手旗信号など象徴から文字の役割も果たす旗も文字と同様の役割を果たす、重要なものです。

 

 

 書写素材……それ次第で、文書が残るかどうかも決まります。そしてどの素材であっても、常に書き写されていなければ容易に失われます。古代ギリシャローマの惜しまれている文書の多くは、禁じられ焚書されたからというより単に誰も書写しなかった、人気がなかったから失われたのです。

 そして書写素材が悪いと、保存されません……筆者が図書館や本屋をすこしうろつけば、古代ギリシャ・ローマの古典がたくさんあります。あまりに多くが失われていると惜しまれますが、逆に膨大にあるのです。中国の古典も膨大にあります。なのに、アケメネス朝ペルシャの武将が書いた自慢本や皇帝が書いたエッセイや恋の詩など見たことがありません。神話や法が多少あるだけです。当時の中東の気候と、粘土板から進歩した書写材料が合わなかったのでは?

 膨大な文書を残した文明と、ほとんど残さなかった文明は確実にあります。その差は何でしょうか。征服者が徹底的に焼いたのもあるかもしれませんが……でもなぜ、ローマ人が翻訳したのがたまたま残ったというのもないのか……

 ついでに今、世界中の図書館で、昔の酸を用いる紙が急速に劣化しているという問題が指摘されています。ハードディスクやDVDのような電子データ保存も短寿命が言われます。

 

 古代エジプトではパピルスという、大河だからこそ豊富にある素材が用いられました。とても便利ですが、非常に弱い素材でものすごく条件がよくなければ残りません。

 古代メソポタミアの楔形文字は粘土板に書かれたことが知られています。とがらせた葦で粘土に彫り込む、だからあの文字の形でもあります。

 ある時期からヨーロッパ・中東では羊皮紙、動物の皮を極端に薄くし磨いたものが広く用いられました。両面に書け、冊子本の形にできることから愛されます。パピルスよりも保存性もいいです。

 東洋では竹簡木簡、絹、そして紙と発達していきました。木材を用いる紙はきわめて遅い伝播で中東、ヨーロッパと伝わっていきました。

 古代のインドは、もともと文字・歴史そのものをあまり好みません。伝説や真理を、口から口に覚えさせ教えることを好みました。また書くのもヤシの葉を用い、極端に保存性が悪いです。

 

 そして印刷。

 印刷以前、あらゆる本は手で書き写されました。実際、本を手にして、それを全部ペンでノートに書き写していく、というのを想像してみてください。

 逆にそれは強力な学習法でもありました。……また誤った書写がテキストをある意味失わせ、また伝播などについて多くの情報を与えてもくれます。

 有名な話ですが、ファイストスの円盤があります。古代ギリシャよりさらに昔のギリシャから、明らかに活字を用いた……何種類かの絵文字をハンコのように刻み、それで文章のようなものを押した……遺物が出土しましたが、活版印刷という形にはなりませんでした。人口も少なく、産業規模も小さく……だとせっかくのアイデアも流産するのです。

 むしろ印刷は、東洋において盛んでした。昔の日本が経典を印刷したことも知られています。活版印刷の概念もありました。

 ただ、漢字という極端に文字数が多い文字の性質上か、活版印刷は普及しませんでした。むしろ浮世絵などの木版印刷は発達しています。

 

 活版印刷が発展し、文明そのものを変えたのはヨーロッパでした。火薬や羅針盤が、発明された中国をそれほど変えず西洋で発達したのと同じように。

 グーテンベルク……紙、インク、ブドウを絞るなどに用いていたネジ式プレス、それを可能にする金属加工技術など……それらは、権力の激しい攻撃を受けつつ、膨大な本を作りました。

 それは宗教改革という巨大な歴史の変化にもつながりました。パンフレットや翻訳聖書を印刷してばらまいたからこそ、権力者がいくら禁じ焼いても焼き洩らしが出たのです。

 また紙やインク、本を売る産業自体が、大きな工業になりました。

 聖書を英語やドイツ語に訳した、それ自体が英語・ドイツ語そのものを書き言葉として成長させ、多くの人が読み、書き、印刷する社会を作りました。また多くの傑作も生じました。同時に地方言語を消滅させる、破壊的な面もあります。

 

 対照的にイスラム圏は、コーランは手書きすべきだ、というような伝統に縛られ、印刷が発達しませんでした。それこそが文明そのものの強弱・明暗を分けたと言ってもいいでしょう。

 中世ヨーロッパの手写し本もそうですが、手で文字を書く、それ自体が絵を描くのと同じように芸術でもあります。それこそ日本では書道がありますし、もちろん中国にもあります。アラビアにもヨーロッパにもあるのです。

 特にアラビアは普通の絵の制限が厳しい分、手書き文字の美にこだわるそうです。

 海外の目から見れば、日本の平安時代などの、文字の美しさで人格を評価し恋愛にも結び付ける文化はとても印象的だとか。

 

 クリンゴン語やアーヴ語は文字そのものが美しく、効果的に使われます。

 アーヴ語は日本語のルビを用いることで、独特の表現となります。……あれたとえば英語に翻訳するのどうするんでしょう……

 

 そして宇宙SFでは、すでに滅びた文明の遺跡も多い……ということは、その技術を手に入れるためだけでも、その文字を解読することが求められます。

『スターゲイト』は遺物の解読から始まり、異端の言語学者が主要人物です。

『インディペンデンス・デイ』は、カウントダウンだと気づいたシーンがとても印象的です。またコンピュータ言語を解読したからこそハッキングに成功したのです。

『現実』ではある時期から、古代の文字の解読に西洋文明の本流が奇妙な情熱を傾けました。

 昔から、本来聖書を深く研究するためなど、昔の言語の知識は求められていました。

 ただ、コロンブスから各地の先住民の文字も彫刻もすべて焼き破壊したスペイン……そっちのほうがむしろ常識的だったかもしれません。

 が、それと違ってたとえばナポレオン率いるフランス軍は学者を連れてエジプトに行き、スフィンクスの鼻は撃った話はありますがロゼッタストーンは掘り出しても破壊しませんでした。それはナポレオンが逃げて降伏したフランス軍からイギリスがせしめ、イギリスはとにかく今生きている文明の宝物でも失われた文明の遺跡でも大英博物館に略奪して、古代エジプトの文字を解読しました。

 まあ、異星人の遺跡を解読できてみたら「宇宙はわれらのものだ、死ね」ととんでもない敵が出現するのも定番……

 

 

 文字。それが必然的に生み出すものに、官僚制があります。

 統治を仕事とする、文字の読み書きができる、身分といえばいいでしょうか。

 国、たくさんの人が生き、農作物や魚や木を収穫し、鉄剣や家や服や酒を作り、王に納税し、戦い、道路や堤防を掘り……

 人を把握する。一人の目では到底とどかない広い範囲、多くの人を。

 戸籍、国勢調査……聖書でイエスが生まれたときにもローマ皇帝がやったと言われますし、また古代中国の皇帝もやりました。イギリスのドゥームズデイ・ブックは有名で、コニー・ウィリスの傑作があります。

 暮らしている一人一人、どんな名前、家族は何人……古代では当然家が単位で、家長とその奴隷という感じになる……どこで暮らし、何を仕事にし、どんな名前……

 それを記録する。徴税や徴兵のために。

 当然人の記憶では無理、文字が必要になる。国家関係者なら共通に読める文字が。

 その記録を集めたものが、国……

 

 それはある意味大魔術でもあります。

『三体』にあった童話を思い出します。あれは本来より進歩した文明に潜入した工作員が、高度技術を示唆したものですが、とても普遍的な話でもあります。

 魔法じみた名人の画家が王の絵を描いたら、王が消えてしまう。王が絵の中に引き込まれ閉じ込められてしまう。

 国民に名前を付け、文字で竹簡なり粘土板なりに名を描き、神殿に保管する……それは魔法名人が絵を描いて相手を絵に閉じ込める魔術と、あまり変わらない。

 文字の集合に、世界そのものを写像し、文字の集合そのものを世界とする。逆に世界を、文字の集合に合わせてねじ曲げる。

 全てに、文字・言葉に従えと命じる。小さい世界を支配し、その小さい世界に合わせて大きい全世界をねじ曲げれば、全世界を支配できる。曼荼羅とも、小さい子の絵とも共通する魔術かも。

 

 だからこそ、土地と人を対応させることができない遊牧民・狩猟採集民・ロマ人・商人・実体はともかくサンカ・修験者などを、国家は嫌って皆殺しにしたがる……

 農耕民になることを強制したがる古代国家と、居住可能星系で暮らさせたがるSF国家が似たようなものなのかもしれません。

 

 軍事においても官僚制はできます。兵士一人一人の名前、技能、階級、持ち物などを記録しておかなければ、どの隊が何人いてどんな戦力になるか、どんな補給が必要かもわからず戦いになりません。

 ごく少ない人数ならそれは一人の頭でどうにかなるにしても。

『ガンダム』『銀河英雄伝説』『タイラー』……多くの作品で、主人公たちは、上のほうの軍人の、官僚の面をとても嫌います。しかし、優れた軍官僚が仕事をしていなければ戦争では負けます。

『銀河英雄伝説』のオーベルシュタインやキャゼルヌなどは官僚として特に優れています。

『彷徨える艦隊』では人事部を爆撃したい、と主人公と旗艦艦長が冗談を交わします。

『銀河戦国群雄伝ライ』では軍人優位の雷に反抗した官僚がストライキをして、雷たちも筆と紙で仕事をし、紫紋も役立っていた、それで師真が猛烈な勢いで仕事を済ませた話があります。

 

 ただ、その官僚が嫌われる……官僚システムは本質として、奴隷化・徴税との関わりが大きい。

 徴税は事実上、盗賊団に近い暴力集団が略奪殺戮する、に近いものがあります。それを「もう今年の分は渡したから勘弁してください」と言えるのが税の領収書、徴税記録。

 文字自体がそこから発達したと言ってもいい……

 そして徴税は、税が払えなければすぐにその人たちを奴隷として破壊し、売り払うことにもなるのです。

 官僚は法とも不可分です。上述の、部族、自分たちに近い親戚をひいきする自然感情に反することが求められます。職務に忠実であればないがしろにされた親戚に嫌われ、職務を曲げて親戚をひいきにすれば親戚以外全員に嫌われ亡国に至ります。

 また、官僚制は軍からの逆輸入もあります。上位者の命令に絶対服従することが当然で、普段の生活の細部から徹底的に指導され常に罰される場にもなります。後には常に試験が多いのも、軍隊との共通点かもしれません。警察や消防など軍隊により近い公務員はもちろん、税務署員や教師なども研修や試験に追われる仕事であり、軍隊的な面が強くあります。

 

 完全な文字はなかったインカ帝国も、キープを用いて官僚制・徴税ができていた、だからこそ巨大な建築や輸送ができていました。

 

 文字による官僚制は、学問というものも生みだします。

 文字を用いて余計なことをしてしまう、それも人間の普遍ともいえるでしょうか。始皇帝はそれをなくし、法・軍事・農業と税のみにしようとしました。

 宗教や道徳を深く探求してしまう、様々な好奇心で活動する。政府にとってはそれは恐ろしいことであり抑圧もしますが、統治の道具として利用もします。

 

 本はものすごい贅沢品でもあり、富を見せつけるという権力者の共通点を刺激するのか、多くの新しくできた王朝が膨大な書物を集めます。

 アレクサンドリア大図書館の伝説は西洋文明の中核の一つと言えます。

 特に中国は新王朝ができると、全国から膨大な本を集め、編集して一つの超巨大百科辞典のようなものを作ってしまう癖があります。一権力者であった呂氏春秋から永楽大典、康熙帝……そして滅亡時に焼かれるのも常。

 図書館、というものにはそういう意味もあります。また、官僚機構が動くための公文書館からの発展でもあります。

『ファウンデーション』では、普通なら大略奪で最優先で焼かれる図書館が第二ファウンデーションの拠点となりました。

『銀河戦国群雄伝ライ』では、史実の秦の滅亡で蕭何が公文書を保存して統治の基としたエピソードを下敷きに、骸延・華玉・師真が金銀宝玉などそっちのけで公文書館を争った印象的なエピソードがあります。

 

 

 文字・言語そのものが交代するという事態さえ歴史的にはあります。

 エジプトは昔のヒエログリフから、ギリシャ語のやり方でエジプト語を記述するコプト語、そしてイスラム帝国の征服アラビア語と変遷しました。キリスト教に席巻されたときにはもうヒエログリフの読み書きは誰もできなくなっていました。

 中東も頻繁に、文字と言語そのものが入れ替わります。

 特に激しいのが、ササン朝ペルシャからイスラム帝国。……トインビーによれば、アレクサンドリア大図書館についていわれる、イスラム教の武将が「コーランにあるならいらない、ないなら有害だ」と全部焼いた、というのはペルシャで実際やられたと……徹底的に、アラビア文字がしみついています。言語はある程度、ペルシャのほうではペルシャ語が残ってはいますが。

 ヨーロッパはアイルランドなど辺境を除きラテン語が支配し、比較的短期間でローマ帝国が弱ってから各国の言語ができました。中にはバスク語という変な言語が残っていますが。ルーン文字を用いていた地域もありましたが、それはキリスト教が徹底的に抑圧しました。

 スペインによる中南米の、徹底して信仰・文化・言語・文字・作物を破壊し禁止し、徹底的にスペイン語・カトリックキリスト教・パンを押し付ける言葉にならないおぞましさは帝国としても異例なほどです。

 また、強い文明に隣接する地域はどうしても、特に文字は文明の影響を受けます。日本が漢字文化圏になったことなど。日本ははっきりした武力征服なしにそうなったのです。

 反面、距離がある分日本やベトナムは独特の文字の受容の仕方をしています。日本は漢字を変形して平仮名やカタカナを作り、和歌・連歌・俳句という独自の詩歌も作りました。

 漢字そのものも、中国本土・台湾・日本・日本の過去でそれぞれかなり異なってしまっています。簡体字、繁体字、新字体、旧字体。

 西洋でも、ある発音そのものが消えたり変化したりすることはありました。

 

 近代では、近代国家を作り、そのアイデンティティを確立するため言葉の意味で無理をすることも多くあります。

 トルコ語とか、イスラエルが無理やりヘブライ語を復活させるとか。現代ギリシャ語も。

 

 言語、文字……それ自体、どの近代国家もきわめて暴力的に、「国語」を作り上げます。

 日本でも色々な悲惨な話があります。特にアイヌや沖縄の言語弾圧の厳しさ……

 日本にはまだ、漢文というある意味共通語がありました。ですが、それでも「国語」は巨大な事業でした。

 また以前から、脇のような特殊な言葉ができることもあります。花魁の言葉とか、不良独自の言葉とか、お笑いの変な関西語とか、軍や体育会系部活とか。

 フランス革命と「国語」の関係も多くの良書があります。どの近代国家の歴史にも。

 間違いなく、『銀河英雄伝説』でゴールデンバウム帝国ができたときにも。

 

 言語、歴史を権力で作る……さらに権力、国家と、宗教、暴力、国家システム、経済など全てが絡み合っている……

 その時おぞましい残酷さが生じます。

『太陽編』で火の鳥が、権力と結びついた宗教は残酷、と言ったように。

 それは取り返しがつかないものを失わせることが多いのです……焚書。

 

 人間はとても、とても本を焼くことが好きだ……そう言わざるを得ないでしょう。本だけでなく建築物・美術品・芸術・日本刀でもなんでも。

 上述のように、魔術、敵の神、悪そのものを殺すため。

 ただそこまで考えているとは思えない、蛮族や、ただ飢えて不満を抱き政府が崩れたと感じた暴徒も、自分自身が危険になっても本を焼きます。アメリカがイラクを滅ぼしたときなど。

 その情熱は信じられないほどです。

 若い男子の集団が、抑制を失ったときには残忍さがけた外れにエスカレートする……その時に、女子供を拷問強姦虐殺する、捕虜を惨殺する、に並んで、美しいもの・本を何が何でも破壊する衝動があるように思えます……といっても進化とは関係ない、本が生じたのは人類が進化してからあまりにも遅く……敵のトーテム、呪術師の力の源泉になっている彫刻などを焼くのは進化してきた原始狩猟採集民の時代からあったでしょうか?

 定住民に見下されることで恨みをためた遊牧民の怒り、贅沢と文化そのものに対する憎悪もあるでしょう。それこそ「デカルチャー」そのもの。

『銀河戦国群雄伝ライ』では、文化的に遅れた南蛮が文化そのものを憎み、残虐に新五丈を攻撃したことが語られています。それはのちに英真の悲劇につながりました。

 宗教的な理由も大きいです。特にレコンキスタ、十字軍を国の基とするスペインはイスラム圏であったイベリア半島でも、海を越えたアメリカでも焚書の限りを尽くしました。インドで仏教が衰退したのも、イスラム軍が巨大寺院を焼き尽くしたからと言われます。ほかにも無数に。

 

 大英帝国は、確かに多くの遺物を大英博物館に集めて保存はしましたが、破壊したのもものすごく多いです。

 アメリカとの戦争でアメリカ議会図書館を焼いたり、中国の庭園と図書館を焼いたり、と、大英帝国軍の偉大なる伝統では敵国の中央図書館は要塞以上の最優先目標、焼き尽くせば敵将の首より大きい手柄、と骨の髄にしみついてるとしか思えません。

 他にもありとあらゆる軍勢が、図書館を焼きます。アレクサンドリア大図書館は嘘でも、バグダッドの大図書館を焼いたモンゴル、ベルギーの図書館を二度焼いたドイツ、などなどあまりにも多く。

 

 文字を焼く理由として、下層民からすれば文字は自分たちを奴隷とする証書だ、ということもあります。農民戦争では頻繁にそれで文書が焼かれました。

 農民の子供や老親が飢え死にしているのに、もうその穀物は買われたんだと収穫を全部運んでいく商人は家も証書も焼きたくなるでしょう。

 

 むしろ、近代以前の医学に似ているのかもしれません。瀉血=体を切って血を抜いたり、水銀を薬にして飲ませたりしたら、むしろ死ぬ確率は上がる……でも弱って影響が出る、それを治療としました。

 非常に皮肉で覚えている話ですが、アメリカ独立宣言の起草者の一人であるベンジャミン・ラッシュという医者がいました。フィラデルフィアが黄熱病で膨大な死者が出、患者の家族すら見捨てて逃げるほど悲惨な状況……そこで彼は、とどまって貧しい人でも献身的に治療をしました。まさに聖者のような博愛の行いです。医学も大きく進歩させました。……でも瀉血。もちろん当時のヨーロッパの一番偉い医者に聞いても瀉血が正しいというでしょう。でも、彼が〔治療〕しなかった方が助かった人数は多いかもしれない……

 征服し統治したい、でも手段として、何をすればいいかわからない。とにかく、征服した都市で反乱が起きないようにしたい。

 だとしたらとにかく本を焼くのがいいと、みんな言うし、先輩にも言われたし、昔の本にも書いてあるし……

 ……ランダム化プラセボ対照二重盲検法で征服と統治を研究するなんて無理ですしやってほしくないですが。

 

 

 とにかく、征服者・独裁者は、本を焼きます。暴徒も革命も反革命も宗教も遊牧民も戦略爆撃もみんな本を焼きます。

 イデオロギーや宗教が強いスペイン内乱などでは、奪い合われる街でカソリック保守・共産の両方の勢力が本を焼き、両方が許す本などなく全部なくなったとのこと。

 

 常の統治としても、検閲は重要であり、それは焚書につながります。

『銀河英雄伝説』の社会秩序維持局の重要な機能に検閲があります。ほかにも多くの帝国に検閲局があります。

 軍の特徴の一つが、あらゆる手紙が検閲されることであり、悪の帝国は軍のその面が国全体に広がったともいえるでしょう。

 検閲と禁書は古来カソリック教会の重要な権能の一つでもありました。

 

 焚書の本質には、「自分が全知・絶対に正しい存在だ」があります。

 焚書はとりかえしがつかないものを失わせる。戻せない。人の死、生物の絶滅とも同じく。

 それで本人が後悔することがない、そう確信している。損得で考えても。

 それをやってしまえるというのは、……容疑者を死刑にできる、それは絶対に冤罪ではない真犯人だ、と確信しているから、でなければならない。そうでないとしたら、良心がない、あるいは「黒人だからかまわない」とか。

 自分の正しさを徹底的に確信している。

 それこそ、『銀河英雄伝説』で言われるルドルフの核心ですし、歴史上のあらゆる権力者、また宗教関係の人の核心です。

 前述の、軍・指揮官の本質、自分が完全に正しい神であることを演じなければ指揮はできない、心の中まで絶対服従させなければならない……それが本質的に科学・民主主義・資本主義・進化とは相容れない……

 

 文化大革命にもつながるでしょう。

『三体』の冒頭。科学者が虐殺される。

 現在の人、現在の権力が絶対に正しい、とすると、文化大革命のようにあらゆる知を破壊することが正当化されるのです。

 

 もっと幼い感情もあるでしょう。とにかく汚らわしいから存在を消したい、というような。精神性が幼い人間の暴力も、後先・結果を考えることはありません。まして後世の歴史家の非難など。年齢がある程度いっても、同質な男性が集団になったときには信じられないほど幼く、かつ残忍になります。

 

 宗教としては、きわめて魔術・呪術的な感情が根にあります。

 敵対する神、悪そのものを焼いて清める。

 神にもらった炎の剣で魔王を切り倒すのと精神的には等しくなる。

 一人でも悪人、神を信じない人、別の神を信じる人、偶像を崇拝する人、間違った形で神を信じる異端がいるだけでも、神は怒って世界を滅ぼし、疫病や凶作で人類全体を罰するかもしれない。

 だから絶対に人も本も焼き尽くす。

 

 少し異質な感じがするのが、元祖というべき始皇帝の焚書坑儒……今伝わる歴史からは、何が正しい、とか取り返しがつかない、とかそういうのとはちょっと違う考え方を感じます。とにかく支配が完全であれば、それ以外の「真実」「真理」「善」「美」「知」「学問」「貨幣価値」「神霊」「神罰」などは徹底して無価値。批判を絶対に許さない、批判のもとを断つ。

 価値観、それも重要な要素です。

 多くのコレクターが苦しんでいる、自分が死ねばすべてゴミ……何十年分もの瓶の蓋など……それと同じく、権力を、松明を持つものが無価値と決めれば灰と化す。

 自分の価値観を押し付けられる、自分の価値観が絶対正しいと言って全員に強制できる、それも権力の本質です。

 

 また、ボスニアやナチスの破壊・焚書の計画性として、「歴史を支配する」ということがあります。

 ボスニアであれば、「イスラム教徒が昔からそこに住んでいて、さまざまな民族が仲良く暮らし、優れた文化を育んでいた」という歴史自体を消し去りたい。イスラム教徒など最初からいなかった、最初からこの地は**人の聖地だった、と書き換えてしまう。そのために、歴史的建築物も、本も、博物館の歴史遺物も、全部普通の軍事標的より優先される攻撃対象として焼いてしまう。

 ナチスも、ポーランドでも、ドイツ国内のユダヤ人でも、ウクライナでも、ロシア本土でも……ありとあらゆる気に入らない歴史を、何もかも破壊しつくした。人を殺すだけでは気が済まない。生まれてこなかったことにしたい。

 それはもう、古代ローマにあったダムナティオ・メモリアエ=存在を抹殺する、あらゆる文書からも壁の浮き彫りからも名を削り落とす刑罰……スターリン時代のソ連が得意とした、粛清された政治家の存在をあらゆる文書や記録から抹消する……

 

『火の鳥』にはかなり歴史と書物をめぐる争いがあります。

 ヤマト編自体、墓と同時に歴史書を国家事業とする大王、それが大和朝廷の歴史を否定する歴史書が書かれているという話を聞いて、殺して阻止せよと主人公が命じられたのが話の根幹です。

 黎明編のニニギ、残忍な征服者の姿ではなくそれを美化して支配しようとする、大和朝廷のための歴史書。残忍な征服者という真実の姿を調べて書いた歴史。

 後に、大化の改新の時お上で焼かれた、と、結局クマソ側の本は焼かれたことが伝わります。逆に火の鳥に関する断片が残ってもいました。

 

 歴史戦、という言葉は今の日本の特殊な右派の言葉であり、むやみに使っていい言葉ではない……けれど、まさに歴史戦という言葉がふさわしい。

 歴史というのは要塞・国土のように争奪すべき戦争の目的であり、どんな手段を使っても守り、自分のいいように書き換えなければならないもの……その前では、本の価値とか真実とかは、徹底的に焼き尽くさなければならない、ゴミ以下、敵、悪霊に他ならない……

 

 歴史はそれ自体が武器でもあります。

 ジャレド・ダイアモンドが、中南米の帝国がスペイン人のバカバカしい策略に引っ掛かったのは、古代ローマの戦争文学や、それこそ中国の三国志のような話を読んでいないから…

 陸奥宗光は、春秋戦国の教養と、幕末からの世界情勢を重ねたといいます。

『宇宙軍士官学校』ではあらゆるSFが教科書だ、頭を柔らかくしろ、と主人公がはっぱをかけたことがあります。

 だからこそ、歴史は破壊しなければならない、戦って勝ち取る、自分に都合よく書き換えなければならないものなのかもしれません。

 

 また、文書は危険物でもあります。『魔女の鉄槌』『シオンの長老たちの議定書』『我が闘争(ヒトラー)』、マルクス・エンゲルス、毛沢東……それらの本が、どれほど多くの虐殺につながり、政府を転覆させたことか。

 考え、言葉自体を、魔術としても実際の反乱のきっかけとしても、政府は誰もが恐れている……

 反乱を芽のうち、種のうちに滅ぼすためには、徹底して危険な本を禁じ焼かなければならない……

 伝染病に対する恐怖とほぼ同じです。

 また、法・宗教・呪術・道徳が分離されていない、一致してしまっていることもその本質にあるでしょう。

 

『エンダー』ではエンダー自身が偽名で書いた「窩巣(ハイブ)女王」「覇者(ヘゲモン)」がベストセラーを通り越して全人類の価値観を変え、「死者の代弁者」という大きい宗教も産みました。後に「ヒューマンの一生」が加わりました。それ以前にも、エンダーの姉や兄が書いた文書が人類に多くの影響を与えていました。

『共和国の戦士』でも教祖が書いた聖典が重要な役割を持ちます。

 

 

 世界を思い通りにするため本を焼く……それが、権力を持つ、また民族や宗教で狂信的に戦う人の普遍的なありかたなのでしょう。

 それは、ゴールデンバウム銀河帝国も、パルパティーン帝国も、シンディックもそうであることは確信できます。

 おそらく、自由惑星同盟にもそのような面はそれなりにあるのでしょう。憲章がどれだけそれを抑止したのかは知りません。また、救国軍事会議が徹底的にそちら側だったことも間違いないでしょう。士官学校という特殊な環境でですが、ヤンたちが有害図書愛好会を作ったそうです。

 はっきりとは描かれていませんが、13日戦争でも、シリウス戦役でも、そしてゴールデンバウム朝も、凄まじい焚書・知の損失があったことは間違いないでしょう。それこそヤンが過去の歴史を学ぶことができたことが不思議なほどに。技術によって保存拡散が容易になったことを考えに入れても。

 もちろんパルパティーン帝国も、『真紅の戦場』の各国も、多くの国が凄まじい焚書の限りを尽くしたことは疑いようがありません。

『三体』の、童話で教えられた空間歪曲技術を禁じた政府も。

 

 

 それこそ、本というのは化石と同じように残ること自体が奇跡なのかもしれません。

 多数の恐竜のうち、化石になったのがどれほどわずかか。想像を絶する比の「ほとんど」は骨も食われ、土の酸に溶け、カビに分解されたのです。

 さらに人類の祖先は熱帯アフリカ、熱帯雨林はそれ自体化石が残りにくいと言われます。そういう、地理による残りやすさもあるでしょう。インドや中東のように、ならアフリカや東南アジアにどれほど本があってもどれほど残りにくいか。

 取り返しがつかない、という点では、本の散逸は生物の絶滅、言語の絶滅、伝統武術の失伝などとも共通します。失われてしまえば決して取り戻すことはできない。

 せいぜい、引用されているほかの本から断片を集めることができることがあるぐらい。

 また別地方も……日本に保存されていた漢籍、またローマからは消えていてもビザンツ、イスラムと訳されながら受け継がれたギリシャ諸書がイタリアで訳されてルネサンスを産んだ……

 

 人間がどれほど本を焼くのが好きか、歴史がどんなにどうなるかわからないかを考えると、国会図書館というのは狂気の沙汰にも感じられます。

 アメリカ議会図書館だっていつ焼かれるかわからない。

 いや、単に火事で焼けた図書館だって多数ある。

 それを考えれば、あらゆる本をせめて電子テキスト、貴重な本や芸術は高解像度でスキャン……建物などは再建可能なように正確に記録を取り、その記録も焼かれた歴史があるので徹底的に電子化して多数複製……し、できる限り多くの場所に埋めるべきでは。

 いや国会図書館の納本を一部ではなく二部にして、一部は徹底的に隠し埋めるべきでは。ISISやロシアに降伏し、あらゆる関係者がどんなに拷問されてもたどれないように。それこそチンギス・カンが墓を知る人間を皆殺しにして隠したと言われるように。2022年12月現在も、ウクライナでも香港でもミャンマーでも本を隠した人が拷問され、本が焼かれているはずです。

 

 ですがその発想は嫌われるでしょう。祖国が負けることを前提に準備すること自体敗北主義だ、と。権力者がいつ死ぬか考えたり、いつか死ぬ定命の人間だ、と言葉にするだけでも犯罪だったように。

 ちょうど『三体シリーズ』にそれがあります。記録を冥王星に残そうとするルオ・ジー、それも逃亡主義だと反対されるのです。彼は長期保存できる媒体を探求し、ついに岩に刻むという方法にたどりつきます。

 今も、電子情報の寿命の短さが言われ、長寿命媒体の研究もあります。

 救命ボートの発想、播種船の考え、「全ての卵を一つの籠に入れるな」という考え、それ自体人間には激しく嫌われるのです。

 

 

 筆者は「自分が絶対に正しい」、それ自体が絶対に間違っていると確信しています。

 空間歪曲技術を捨てたために滅んだ『三体シリーズ』の地球人。

 想定外。考え切れていなかった。十分に賢明ではなかった。全知とは遠かった。無知は滅亡につながらないが、傲慢は滅亡につながる。

 

 自分が完全に賢明だとは限らない。自分が正しいと思ってやった手が、何十手も先には詰みにつながるかもしれない。

 自分が全知とは限らない……科学、民主主義、資本主義、そして進化。

 くだらないと焼いた本に、まさに不老不死の薬の、人類を救う超兵器の、最後のピースが書かれているかもしれない。アマゾンをはじめ多くの森が破壊され、毎日多数の昆虫や植物が絶滅し、その中にはガンの特効薬があるかもしれないように。

 失われた「知」、不老不死の薬に必要なものの灰を前に絶望し泣き叫ぶ愚か者の話も、SFでもファンタジーでも民話でも無数にあります。

 そのような愚か者にはなりたくない。


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