今回は事実上問題を出すだけで、本体はこれからでしょう
恐ろしいことを思いついて考えてしまいました。
人類は客観的には『スタートレック』のボーグでは?
異星人が今の地球を観測したら、活動している人類文明は、ボーグに似た集合精神では?
個体の頭の中身や、行きかう言葉も無視できるのでは?
そしてその集合精神は、人間とは性格のたぐいが、似ても似つかないのでは?
前に、人は国を擬人化する、と書きましたが、その「擬人化」自体が、間違った対象の捉えかた、あるいは多くの面がある対象の一面しか見ていない……三位一体の一つだけとか、本当は紫外線色で進入矢印を昆虫向けに出している花を人間が違う色で見ているとか、である可能性が高い。
でも人類には擬人化でしか、なにかを見る方法がない。人類の言語自体が、擬人化でしか物事を表現することができない。自分にも他人にも、擬人化して言葉にするか絵にするかしかない。インプットもアウトプットも擬人化。……本当は音楽とダンスがあるが、それは自分との対話でも、他人への伝達でも、使いにくい。
緑のメガネのように。赤外線センサー以外が壊れたMSのコクピット、いや『火の鳥 望郷編』の、目がなくて振動センサーで活動するムーピーと地球人の雑種が、可視光で見る計器やモニターしかないMSに乗ってしまったように。
実際には人類の巨大集団は、『ソラリス』の海のように、擬人化すること自体が不適切な、ものすごく異質な存在なのでは?
その集団がやることだけを異星人の視点で見る……
森林が減っていく。
大型動物が絶滅する。
生物種が少なくなり単調な生態系になる。
水が富栄養化し、地面の塩分が増え、海岸線が異常に変化する。
などの現象は観測できるはず。
根本的には、多くの物質をとりこみ、変化させ、放出する、という巨大な生物、あるいは山火事やガス噴火のような自然現象に近い存在とも言えます。
筆者が上で、第一次世界大戦の各国を、人間ではなく巨大な機械にたとえたことも近いかもしれません。
人間の巨大集団は、擬人化は間違っているかもしれない。
またここで二つの予備知識も加えておきましょう。
ダンバー数、150人ぐらいが、人類という動物が個体を識別し社会を作れる限界。それが中隊などの人数を決める。
その上に1500人ぐらい、+腰兵糧三日の制限で、なんとなく同じ部族、と感じた人たちが指導者なしに瞬時に集まって戦ったりする、という現象があることが『集団とは何か』という本の論文の一つに描かれていました。
さらに上の人数は、今一番多い説明が『サピエンス全史』でしょう。
ですが、筆者は疑いを持っています。本当に物語がすべてなのか。もっと違う、大集団の、今はまだ言葉にできないナニカがあるのではないか……
それは、小人数が言葉ではなく無意識~肉体の微小な動き~五感~無意識~と、高速で循環しながら形成するナニカではないか。
そのナニカは、きわめて強く心を支配する。論理的な説明がしがたい。虐殺をやってからその時の心や理由を言葉で説明する、ということが多い。先に虐殺や差別が起きる。
人が群れる・社会を作って社会で活動するのは、ムカデの歩き方同様説明不能、無意識が大きい?
筆者が何を言おうとしているか、おそらくすぐれた学者にはわかるでしょう。何か名前があるのかもしれません。
この視点から、『三体』の暗黒森林を考えると?
暗黒森林の宇宙社会学は、本質的に、すべての文明を擬人化することから始まっている。
地球人の宇宙社会学者が、宇宙のすべての文明を、利害があり、生存したがる存在とする。第一の法則自体が、完全に擬人化。
そして文明が、人間と同じように合理的な推論をした結果、暗黒森林になるのが確定とする。そこには、精神病の人間と同じような心の持ち主もない?
ここで気がつく。擬人化とは、人間の感情を持つ存在と、人間の理性を持つ存在の両方がある。人間は両方ある、が普通の擬人化。それが西洋限定かどうかはわからない。
本当にそれが正しいのか?『三体シリーズ』で暗黒森林説正しかったのは、偶然でしかないのでは……圧倒多数の文明がディンギルのようにうぬぼれと侵略の文明で、超光速や『ドラゴンボール』型の個人の修行が星系破壊につながる世界だったりしたら、違ったかもしれない。
この仮説的考えの根本は、人間が集団になったときに、ある行動命令・判断基準のような、筆者はまだ明確に言葉にできない何かが生じ、それが各個体を強烈に支配し、その行動・価値観などを変えてしまう、ということです。
現象としての根拠は、いじめ、カルト、戦場での虐殺、突発性が高い魔女狩りや人種暴力、などがあります。
僕が思いついた強い比喩は、少女マンガのパターンで何人かの女の子が、女子Aと男子Bは会話したり近づいたり愛し合ったりしてはならない、という強烈な決定をしてしまうこと。それは法律よりも重く、違反に対する罰はどんな犯罪より重い。不潔感、嫌悪感、宗教的タブーなどにも心理的に接近する。根拠を説明できない、説明したとしても強烈な感情を無理に言い訳しているだけ。
客観的に見て個々から見れば不合理であることも多い。損になることも多い。
集団にとっても不合理であることが多い。
そこまでくると、進化心理学さえ使いにくくなる……集団自殺とすら言える行動もある。
それは、百万人を超える群れは、進化心理学のように何百万年も百人を単位として自然淘汰されていないから、まだ進化で最適化されていない、とも言える。
そう考えると、これまで読んできた制度論・社会学などで、集団のジレンマなど損得計算が多いのも間違っている可能性があります。
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』で道徳感情が5つの受容器になるというように、損得とかとは別の、心を強く動かすナニカがあってもおかしくない。
以前の、指導者が擬人化された集団=「神」を演じ、演技し続けることで洗脳と同じように指導者自身の人格が侵食される、という考えとも矛盾しないでしょう。
精神そのものをとても深い部分から支配される。肉体の運動や衣類が重要になり、それは演技という言葉にできる。
国を擬人化すると「神」、というセオリーはどうなるか……人の目は擬人化しかできず、「それ」の一面しか見えない。
人に似るが、違う存在の見える部分だけを切り取り、擬人化して、「神」としてしまう。
支配者はそれを演じて狂う……タコを演じろと言われたら相当難しい、もっとひどい……
また、こうたとえることも……『銀河英雄伝説』のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムがやったことと、中国の神話にある、混沌というよくわからないものに目や口や耳を刃物で切り付けて作ったら死んでしまった、という寓話……ルドルフは、巨大すぎて動かなくなった人間集団という変なものに、無理にハンドルをねじ止めして動かした……強い私利私欲もあったが。
これも物語化・擬人化の一種でしょうか……
以前から考えていた、アイルランド飢饉など餓死虐殺でなぜ合理的な抵抗……協力できる少人数が結束し、食人も辞さずに自分たち以外を攻撃し続ける……が見られないのかも、集団のナニカが人を支配する力が、死にたくない、食べたいより上回る、と言えてしまいます。
今暮らしている制度・社会を肯定する強い感情、強い公正世界仮説、などかなり不合理な感情も多くあります。
こう考えると、上位存在・集合知性の人間化が美談ではなく問題なのでは?とも出てきます。
上述のように『サイボーグ009超銀河伝説』『孤児たちの軍隊』などで集合知性の巨大な存在が、まるで人間のように主人公を認め、努力を認めて仲間を生き返らせてやろうとか、戦争をやめて仲よくしようとか言ってきます。
でも、それが人間が一番高い、という勝手なモノサシを押しつけているのでは?それこそ大航海時代・帝国主義時代の、西洋白人キリスト教徒がもっとも高い、という態度に近い。
それに対する疑問がある作品もいくつかあります。
『ソラリス』『砂漠の惑星』は、徹頭徹尾人間の理解を絶し、対話できない存在でした。
『キカイダー』の最後は、ピノキオは人間になった、それが幸せか?という問い。
『新スタートレック』では、Qが人間として人間の生活を経験し、不死全能の存在に戻ってから、世話になった人間になりたがるアンドロイドのデータに、お礼をしようと言います。データは人間にしてくれるのですかと言いますが、Qは君を人間なんかにおとしめたりしない、と笑いを経験させます。Qのモノサシでは、人間は低いのです。
ここで問題なのが、人間が本当に人間ではない存在になってしまい、それを成功・幸福とする作品がとことんないことです。
『火の鳥 宇宙編』ではヒロインが牧村を世話するためにイソギンチャクのような不死の固着生物と化しましたがその後の彼女からの情報はなく、『復活編』では主人公はロボットとの融合を望みましたがすぐ記憶を失いました。
我々は、人間集団さえよくわかっていないかもしれない……暗黒の森は間違った前提に依拠しているかもしれない……今の人類そのものも。『スタートレック』の人類も。『銀河英雄伝説』のヤンも。
このことは?
レコンキスタ以前のイスラムが支配した、スペイン・ポルトガルのイベリア半島。
世界でも最も文化に優れ豊かで人口も多い、科学技術もとても高い地でした。
風や海流はコロンブスと同じ、しっかり真水を用意して適切な風に任せればアメリカ大陸・カリブ海諸島は目の前でした。
ですが、千年近く繁栄し、真水を入れる樽、方位磁針、頑丈な船、帆、はあったのに、イスラムは大西洋を渡りませんでした。
少なくとも継続的に多数出なかった動かぬ証拠が、コロンブスが新大陸についた時現地の人が大量に伝染病で死んでいったこと。彼らがイスラム教徒でなかったこと。
伝染病、免疫の不在は、ずっと以前から長期間継続して広範囲に接触した旧大陸人がいなかったことを明白に証明しています。
イスラムの文献に何度かの冒険は記されています。そして現実では考えられないほら話になります……探検がほら話になるのは西洋も同じです。
それに対し、コロンブス以後のスペイン・ポルトガルのあの情熱は何でしょう。
どの航海も半分は軽く死ぬ……主に壊血病で。
熱帯伝染病がひどくなってからは、新世界に人々を住ませようとしてもとんでもない率で死んでいく。
それでも、何万人でも人間を流し込み続ける。
何が何でも地球全部を征服しなければ、というとんでもない意欲。
これも集団を擬人化している自覚はありますが、そうとしか言いようがないぐらい、死亡率も、出航し続ける船も変なのです。
かたくなに出港しないイスラムも。
なお、甘蜜柑さまが、なぜイスラムは新大陸に行かなかったのか、という問いに、地中海貿易が儲かったからという説明をくださいました。
ほかにもアリストテレス世界観の強さ、という説明もあります。
ですがそれは、そんな経済や学問ということが、これほど大きな巨大集団の行動の理由となった、そう考えると驚きなのです。
またフェルミのパラドックスの、オリジナルな答案の一つも作ってくれます。すべての文明にとって、恒星間航行は、ナノマシンでさえも、スペインのイスラム帝国にとっての大西洋同様ばかげていた……もっとお得なことがある。
もし、今の地球人には届かないけれど大体の文明はそのうち手が届く、今の地球人の限度であるLHCの、改良で13兆電子ボルトよりずっと上、でも何十桁ではなく数桁程度、1000兆とかそのあたりに、今の人類には未知のものすごくとんでもなくお得な物理法則があり、それは航行には有利にならないけれど、満足・経済的利益はけたはずれなので、誰もがそれで満足してしまう……
この手の説、たとえば動物園仮説や、『スタートレック』と同様の艦隊の誓い仮説は、違反者が必ず出る、と反論されます。
しかし、実際に、一つの知的生命体の、巨大集団が、違反者が出なかったという実例を地球人は知っているのです。スペインのイスラム帝国と、明の中国……オーストラリアを先に征服していない。
われわれは、同じ地球人でも、集団との接し方を知らないかもしれない……
今この世界で、かなり大きな問題が、「法の精神」「法の支配」の作り方を誰も知らない、ということではないでしょうか?どうすれば南米などの国をそれにできるか、誰か知っているでしょうか?それがどんなに難しいかはダロン・アセモグルらが何度も語っていますが、ではどうすればできるのかは言わないのです。
これまで人類がやってきたことが、医学誌における瀉血=血を流すことや水銀薬のように根こそぎ間違っているかもしれないのです。
このような状態を考えてみてください。
異星人がやってきて地球人は交渉しようとするが、うまくいかない。理不尽で意味不明な攻撃さえ時々やってくる。
だが、異星人の側から見れば、地球人の集合精神そのものと交渉していただけ。人間が人間と交渉するのに、小指と心筋と視床下部と右前頭葉に別々に話を聞くことはない。
……これは、AIと人類の関係でもそうなる可能性があります。
実際には国家と国家でもやっている可能性も。
ピーター・ターチンの、人間集団を直接コンピュータで読もうとするクリオダイナミクスは、筆者が考えたこれに少しでも近いでしょうか?
近ければいいのですが。
こう考えれば、常識が間違っている可能性も出ます。
人、特に支配者は、他人の心を読めないのが苦しい。でも実際には心配はないのでは?
集団が動くときには想像を絶する従わせるナニカがある。逆らう人はほとんどいない。
群れが崩れる、その時だけが怖い…それさえ理解していれば?
最近指摘される、子供に対する教育、厳罰、知能評価、災害などでのパニック、「愚王なら滅亡・賢王なら勝利>愚民なら滅亡・賢民なら勝利」などのように、神話でしかないことも多くあるのでは?
「銀河英雄伝説」全体がこの罠にはまっていないでしょうか?ヤン・ウェンリーさえも愚民を憎む部分と、それでも民主主義を選ぶ…この罠から出ているのか、出ていないのか?
誰もあの世界では、制度によって愚王・愚民でも滅びないように、は考えていない?
愚民、というのも徹頭徹尾、擬人化です。
擬人化というなら、『三体シリーズ』では、「地球人」「三体人」と、登場人物表に載ってほしい存在があります。
三体人は前半では慈悲の観測員と厳しい独裁者がいましたが、後にはほとんど個体が出なくなりました。
地球人も、勝手にとんでもないことを決め、かたくなに説得を聞かない「地球人」という登場人物がいるかのようです。
ルオ・ジー、ジャン・ベイハイ、ウェイドというわかっている人は、「地球人」と交渉しようとしません。皆をだまします。
イェ・ウェンジェは、「地球人」そのものを憎み裁き殺そうとしたのです。
……これで思い出すのが、『ダイの大冒険』のバラン。大切な人を殺され、人間全体を憎み、愛した相手も人間の個体だったという矛盾を指摘されます。人間とは少し違う動物だったからこそ、人間そのものを一つとして扱うことができたのですが。
「愚民」という概念自体、「地球人」そのものを擬人化しての言葉であることがわかります。
ここで一人一人を説得する、別のプロパガンダを流す、などを考えますが……今回の筆者の考えを使うと、もっと違うやり方があるのかもしれません。「地球人」そのものを変え、その「地球人」が各個人の善悪モノサシも深い感情も全部作り変えてくれる、というような。できるかどうかはともかく。
とにかく、言葉にできないナニカがある、という感じがする、としか言えないのです。
「心か物か」という、このシリーズ自体のテーマ、それが根こそぎ間違っていたかもしれない。
まちがいなく筆者はワインバーグ・セーガン・ドーキンス・デネット・ピンカーの側、人類は原子でできている、と考えています。
しかし、電子の波動関数を計算しても第二次世界大戦の勝敗を計算できるわけがないこともわかっています。
創発。アリの巣のように、膨大な単純に動くものが集まって、複雑な巨大高知能動物のように活動する。質的に違う存在ができる。
同じように、地球人も、集団になると、人間……感情と理性があり、損得計算で行動する、擬人化によって表現される存在とは、まったく違う「入力~行動」があるのかもしれない。
言葉によって見える人類全体とは、まったく違う可能性がある。人が対面で、無意識の感情を伝え合うこと、ともに歩いたり食べたりして同調することによる無意識の変化こそが主役なのかもしれない。
それ……【地球人の集団】は異星人、『ソラリス』の海と同様に、怪物なのかもしれない。
『啓蒙思想2.0(ヒース)』が述べた、人類は単独・裸では二桁同士の掛け算も暗算できないが紙と鉛筆があればできる、人と紙と鉛筆を合わせてやっとそんな存在になる、そして集団はもっと別な存在だ、という考えにも似ていると思う。
こう考えると、『超知能AIをつくれば人類は絶滅する(ユドコウスキー)』は、それこそ聖書にある他人の目の塵を取るより先に自分の目の梁を取れ、という話です。
超AIを設計できない、思い通りに教育できない……一人の人間の子供だって思い通りにできないし、巨大な国家を思い通りにできてない。アメリカはイラクなどを豊かな民主主義国にすることに失敗した。
あれの多くの警告は、全部AGIを人類と置換しても成り立ってしまうのです。
知能爆発だって、自滅だって、この地球人全体がいつ引き起こすかわかったものではない。
地球人が、これだけやらかしの実績があるのに、なぜ信用できるんだ、と。
筆者には、本当に今回の考えが、自分が何を考え何を言っているのかわからない、としか言いようがありません。
人間は徹底的に擬人化・物語でしか考えられず、歴史を学べない。ですが……根こそぎ間違っているかもしれない。
クリオダイナミクスも、入力変数が違うかもしれない。
もっと上のAIに、百年分の新聞4紙をまるごと放り込んだら違うものが出るかもしれない。でも言葉世界は、人類世界のごくわずかな、余計なことかもしれない……メジャーリーグワールドシリーズのチケットを手に入れて休み時間のチアだけ楽しんで野球を見ないで帰るぐらいに。
とんでもなく、わからない。とにかくわからない。
誰もわかっていないのかもしれない。
皆が間違っているのかもしれない。
どの本を読めばいいかも見当がつかない。