~魔法少女リリカルなのはReflection if story~   作:形右

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 始まりの力は、何のためのモノか。

 固い決意。
 揺らがぬ意志。
 先を目指すための力、それこそが――戦う意味。

 しかし、時は少しだけ遅く――――悪魔(てんし)が、目を覚ます。


第十六章 抱く決意、先を目指すために

 ――〝(まほう)〟――

 

 

 

 ある一つの真実が露見した頃。

 二つの恒星の激突があったエリアBで、ユーノは起こった戦闘で負傷を負ったなのはの治療を行っていた。

 ただ、本来の集束魔法(ブレイカー)による傷の治癒は、そこまで厳しいものではない。

 威力は高いが、基本的に非殺傷(スタン)設定の魔力による攻撃では、生物への物理的な攻撃力が伴うことはない。だが、なのはたちの様な魔力量が膨大な魔導師が行う高威力攻撃は余波だけで無機物を壊してしまうこともある。

 それでも生物が死に直結するだけの傷を負うことはない筈だが、

「…………」

 なのはの治療をしていたユーノは、彼女の()を見て、苦い顔をする。

 『機動外殻』との戦闘やキリエとの戦闘。そして、アミタから聞いたことで『フォーミュラ』や『ヴァリアント』が物理的な攻撃力を伴うことは判っていた。……判っていて、自分たちが戦わなくてはならないということも理解していた。

 けれど、実際にこうして無茶をしでかしたなのはを見ていると複雑な気分になる。

 先程なのはと戦った、シュテルという名の少女。どことなくなのはと似通った出で立ちをしたあの彼女は、魔法までなのはと酷似していて、集束砲を用いた。

 それを相殺するためになのはもまた、同じように集束砲撃を用いて、ユーノは彼女らの放った砲撃の余波を抑えたわけなのだが――その時にシュテルの使っていた攻撃には、非殺傷設定が適用されていなかった。

 それが、今なのはが負っている明確な傷の理由である。

 あれだけ激しい魔力の渦を越えたのだ。如何にA.C.S.によって、突き抜ける様な形になったとはいえ、身体に掛かった負担は大きいと言わざるを得ない。

 おまけに、

 

 《――クロノ執務官および、武装局員十六名が重傷。対象『キリエ・フローリアン』は確保しましたが、対象『イリス』は上空へ逃走。

『機動外殻』の対処に当たっていた局員は、状況が済んだ者から至急応援に向かってください。ですが、対象『イリス』は何らかの大型エネルギー反応を伴って居る為、激しい抗戦になる恐れがあります。負傷や魔力切れの者は、絶対に無理をしないように……》

 

 思念通話から流れ込んでくる状況報告に、ユーノはますます表情を曇らせる。

 ……大局を見れば、管理局側の現状は少なくとも悪くはない。

 《オールストン・シー》へ進行を掛けて来た『機動外殻』は全て倒されているし、なのははシュテルを破り、フェイトもリンディの助力を受けレヴィと名乗る少女を確保したという報告があった。

 それに、はやても残る一機の『機動外殻』を撃墜したという。

 操り手らしい少女――シュテルやレヴィの発言にあった〝(ディアーチェ)〟――は取り逃がしてしまったらしいが、逃げた方向は《オールストン・シー》の側であるため、つまり用意をしておけば確保することは可能だ。

 キリエは確保され、残るはイリスとディアーチェのみ。

 事態は間違いなく解決に向かってはいる。……だというのに、粘つくような嫌な空気は依然強まるばかり。

 割と喧嘩も多いが、クロノの実力はユーノも判っている。そんな彼が出し抜かれたという時点で、相手側はまだ何かしらのカードを残している可能性が高いとユーノは見ている。

 そもそも、わざわざ現場へ向かう時間を削ってまでアミタに『フォーミュラ』について訊いたのも、未知の力を用いる相手を警戒したのもあるが、それ以上に腑に落ちない部分があったからだ。

 

 ――まだ、相手側が隠している目的がある。

 

 そう思えて仕方がない。

 キリエが確保されたのも、イリスが単独で行動を始めた理由も、何もかもが不明瞭だった事件を更に掻き乱す。

 ……そして、こうした不安が蔓延するとき、必ずなのはは。

「……? ユーノくん、どうしたの……?」

 向けた恐れを感じ取ったように、なのはは僅かに不安そうな顔をしている。

 それを受けて、ユーノはすぐさま自分の中にあった嫌な予感を握り潰しながら、優しく治療が済んだことを告げた。

「あぁ、ごめん。――よし、応急処置はこれで終了。でも、全快まではまだ少し掛かるからね?」

「うん。ありがとう」

 柔らかな笑みを交わし合うなのはとユーノ。

 だが、既にその心の行く先は決まっていることを、言葉にしないままに、互いに理解し合っていた。

 案じる気持ちも、支えようとする気持ちも。

 守りたいという願いも、救いたいという意志も。

 何方も大切で、重い決意だ。

 それ故に、二人は互いの道を阻む事は出来ない。……否。それ以上にこの二人は、自分の役割を放棄できるようなタイプでもないのだ。

 

 ――だからこそ、決意が揺らぐことはない。

 

 再度それを認識し合い、ユーノは一度目を伏せてから顔を上げ、なのはの傍らから離れる旨を告げる。

 ただ、最後にもう一度だけユーノは、なのはに告げなくてはならないことがあった。

「なのは」

 真っ直ぐに名を呼ばれ、なのはは「なぁに?」と首を傾げる。

 彼女の顔を見て、ユーノは改めて思う。止められない事や、止めたくないという気持ちが自分の中にあることを。

 半ば予期していたが、それでも心配なことに変わりはない。

 だから、ちゃんと言葉にしてそう告げる。

 それは共に立って空を翔ることの出来なくなった少年が、これからも輝きを放ち続ける少女の背を守る覚悟の言葉。

 

「――無茶しすぎちゃ、だめだよ?」

 

 決して彼女の心が曇ることの無いように。

 迷ったとき、そっと振り返った彼女の行く先を示せるように。

 翼を鈍らせることの無いように。

 そして、必ず帰って来られるように願いを込めて、少年は飛ぶことを止めない少女を送り出す笑顔を向けた。

「うん」

 するとなのはも、ユーノに笑みを返した。

 ……ある意味それらは、どちらにとっても残酷な行為である。

 しかし、そんな感慨は寧ろ、彼らの決意を貶めるに等しい。

 抱いたのは、折れない覚悟。

 まさしくそれは、二人の絆を表すに相応しいといえる。

 そんな不屈の魂こそが、なのはとユーノを初めに繋いだ絆なのだから。

 

 覚悟を確かめ合った時間は、ごくごく短いものだった。

 だが、それで十分。

 切なくも、けれど満足そうに二人はもう一度笑みを交わして離れた。

 そしてユーノは治療のためになのはを寝かせていた車両から降りて、外で待っててくれていたヴィータに声を掛ける。

「じゃあ行こうか、ヴィータ」

 すると、ヴィータは「おう」と頷いた。

「二人共、気を付けてね」

「わーってるって。

 ま。あっちはアタシらに任せて、なのはは大人しくしてろよ。すぐ片付けてくっからさ」

 ニカッと笑って、なのはの声に応えると、ヴィータはユーノと一緒になのはの寝ていた車両を離れ、イリスの居るというエリアへ向かおうとした。

 しかし、少し離れたあたりで、向かってくる人影に気づく。

 三つ編みにした赤い髪と、ユーノより少し濃い緑の双眸をした、高校生くらいの少女。

 この事件の首魁だったキリエの姉、アミタである。

 彼女の姿を見つけたユーノは、ヴィータには先に現場へ向かってもらうように頼み、頼んでいた件を確かめるべく彼女の元へ足を向けた。

 

 

 

「……すみません、ユーノさん。妹の所為で――」

 開口一番に謝罪を述べて来たアミタだったが、ユーノはそんな彼女を制した。

「それについては、また後で……。今はまだ、事件の途中ですから」

 全てを終わらせてからでなくては、話は始まらないと。

 もちろん、目に見えるだけでも罪は大きいと言わざるを得ない。しかし、それを騒いでも解決できる問題は何もないのだ。

 故に、

「それよりも、お願いしていた件は……?」

 まずは、事件を終わらせるために出来ることをしなければならない。

 ユーノの意思に触れ、アミタも思考を切り替えて、説明を始めた。

「準備は行いました。幸い、『コア』の予備は一つしかなかったのですが、ユーノさんの方は使わないとのことでしたので、『ナノマシン』の予備だけで事足ります……でも」

 しかし、それでも無茶だとアミタは言う。

 頼まれた無茶の度合いでいえば、ユーノの方はまだマシな方だとはいえ、それでも無茶苦茶なことに変わりはない。

 不安げなアミタは、ユーノを案じるようにそういった。

 それに対し、

「……確かに、無茶だと思います」

 ユーノはまず、自分の考えが無謀さを孕んでいることを認めた。

「なら、こんなことは――」

 と、アミタは彼に思いとどまるように言おうとしたが、ユーノはそれに対してこう応える。

「本当なら、多分……僕は此処に必要ないのかもしれません。僕のやろうとしていることも多分、究極的には必要ないんだと思います」

 口調自体は、酷く平坦に。

 事実のみを述べるかのような話し方で、ユーノはぽつりぽつりと語っていく。

「なのはたちは、必ずこの事件を終わらせます。僕はみんなが未来を掴み取ってくれると信じていますし、キリエさんもイリスも、彼女たちなら救えると思ってます。……だけど、そこで自分たちの負う傷を顧みずに戦うのを見ているのだけは、出来ません」

 弱くて、戦う力に乏しい。

 それは間違いない事実だ、と。

 ユーノは自分が戦いに向いていないことを認め、それでも我慢などできないと言った。

 自分は、物語の上で必要とされていないかもしれない。少なくとも、この場には英雄(ヒーロー)と呼ぶに相応しいだけの役者がそろっている。だが、そこに割り込んででも、果たしたいことがあると。

「無茶だから止めて欲しい。止まって欲しい。

 ……そんな気持ちはありますが、みんなが止まれないんだっていうことも、解ってしまうので」

 困ったように笑うユーノを見て、アミタは何を思い浮かべたのだろうか。

 胸を占める感情は、靄が掛かったように不明瞭極まりない。重なりすぎた感情が声を上げるように、それまでの自分やこれまでの時間が思考を過ぎる。

 余りにも膨大過ぎて、障りの良い言葉は吹き飛んでしまったが――ただ、そんな中でも一つだけ確かだと思ったことを口にした。

「……ユーノさんは、弱くはありません。まして、必要とされていないなんて」

 自分を認めた少年の心は、決して要らぬものなどではない、と。

 と、そこまで言って、また一つ思考の中に答えの様なモノを得た気がする。

 事情聴取を受けた時、フェイトとユーノを選んだ理由をふと考えて、何となくキリエに似ている節があるように思えたのだが、こうして話していると、ユーノの方は少し違うのが分かった。

 ……たぶん、アミタは羨ましかったのだ。

 ずっとキリエが求めていたことを、本当の意味で認めることが出来なかった自分とは違い、支えるという行為の意味をちゃんと知っていたユーノが。

 

 無茶であろうと止まれない。

 無茶だから止まって欲しい。

 

 仲間たちの中にある二つの気持ちをちゃんと理解した上で、自分の中の気持ちにさえも整理を付ける。

 それは果たして、どれだけ重い事なのか。

 アミタにもよく分る。なぜなら彼女は、片方を()り損なって来たのだから。

 ただ一方的に守るだけでも、ただ留め置くでもない。

 それは信頼と背中合わせの苦悩で、同時に現実だ。

 たった一人で全てを守ることが出来ないように。たった一人であろうと、誰かを支え切ることは難しいのである。

 

 本当は、全てを守りたい。

 本当なら大切な人を絶対に傷つけさせたくない。

 

 それらは当たり前の感情であり、

 不可能な現実の写し鏡でもあり、

 そして同時に、酷く傲慢な考えだ。

 だからこそ、ユーノは悩みながらも、自分がそうした事柄に向き合っていくべきなのかを考え、決めたのだろう。

 

 ――仲間を支えるために、己の取り得る最良を。

 

 であればこそ、アミタが言うべきことはもうない。

 ユーノの覚悟を受けたアミタは改めて、用意した『ナノマシン』を投与するための準備が出来たことを告げる。

 適合確認(バイタルチェック)をするために、別室でモニターの用意がしてあると。

 それを訊くや、ユーノはもう一度お礼を告げて場を離れた。その背を見送りながら、アミタはもう一方の頼みを果たすために、一人の少女の元へ向かう。

 

 同じように言葉を交わし、アミタはまた揺らがぬ覚悟を聞いていた。

 諦めて後悔することも、自分が諦めたことで誰かが悲しみ続けるのを見ているのも、嫌なのだ、と。

 そして、自分の〝魔法〟はそのための力なのだ、とも。

 

 その少女の言葉に、アミタはどこか納得を得た。

 ――ユーノの言っていたのは、間違いではなかった、と。

 確かにこの真っ直ぐな視線には、救ってしまうだろうと思わせるだけの力がある。……ただ、それと同じだけ、危うさも感じさせる。

 ユーノが我慢できないと言ったのはこれが理由だろう。

 誰かを助けたいという願いは、酷く美しく、同じだけ尊い志だといえる。

 しかし、度が過ぎたら意味がない。そうなったが最後、美しさは醜さに、尊さは歪みに変わってしまう。

 狂気にも似た感覚は間違いではないのに、過ちを生みかねない。

 だからこそ、ユーノは支えたいといったのだ。どこかへ飛んで行ってしまいそうな少女の、帰るべき道標を示すために。

 これを改めて知り、アミタはつくづく思う。

(……本当にあなたたちは、まるで外れてしまった欠片の様ですね)

 声には出さなかったが、それが正直な感想だった。

 まるっきり、欠け合った欠片が互いを求め合っているかのようだ。この縁だけは、どうやっても外しきれないのではないかと思うほどに。

 例えるなら巣、或いは剣と鞘か。

 長い長い時を経ても、最初の縁を手繰るようにして――どれだけ離れていようが、いつかは戻ってくる。

 ぼんやりとだが、そう確信できた。

 それを知れたからだろうか。

 アミタはもう、協力してもらう事に抵抗を失くしていた。むしろ、自分もこの結末を見届けなくてはならないとさえ思う。

 

 ――――そうして二つの〝翼〟が再び、空を目指す。

 

 

 

 

 

 

 決意(かくご)代償(えるもの)対価(うしなうもの)

 

 

 

「…………」

 やるべき事は決まっている。

 ユーノは緑色の液体が入った注射容器(アンプル)を見ながら、改めてそう心に言い聞かせた。

 怖くないわけがない。

 これから手にしようとしているのは、未知の力。

 ある程度は情報を頭に叩き込みはしたが、それでも自分たちの知り得る理の外にあるものだということに変わりは無い。

 だが、

「――止めるなら今のうちだぞ~?」

「そうね……。やり直して別の方法を探すなら、投与しない方が身のためと言えば、その通りね」

「ロッテさん。アリアさんも……」

 決意を固め直そうとしたところで、声を掛けられた。

 夏期休暇を取ったユーノの代わりに、『無限書庫』のバックアップに出てくれていたリーゼ姉妹だった。

 数時間前に彼が資料のデータをヒットした物から全て送ってくれと頼んだのに合わせ、ひとまずここまでに集まったデータ全てを直接渡すついでに、バイタルの調整にも一役買ってくれたのである。

 ……とはいえ、今の彼女らは公には活動できない。

 書庫でのバックアップすら、元々はリンディやレティ、そしてユーノ自身が書庫の責任者であることなどからの特別措置だ。

 その為、ここに来ていることさえも秘匿事項であるし、戦闘に参加するなど御法度である。

 尤も、今回の相手は通常の魔法は効果が薄い。

 彼女らの主人であるグレアム元・提督もここ数年で前線を退いてから、だいぶ衰えが始まっている。そうした要因もあって、彼女らの力は僅かに落ちてしまっている為、前線に出すのは好ましくないと言えるだろう。

 しかし、そういった事情を除けば、リーゼたちは経験豊富なアドバイザーとしてこれ以上無い存在だ。

 彼女らもまた、自身がそうであると言う自負があるからこそ、こうして忠告をしてくれている。

「迷っているなら、止めるのもまた選択の一つよ」

 アリアは真っ直ぐにユーノの瞳と向き合った。

 引き返すならば今だと。

 そして、そこから先に進むのならば――決して後悔しない様に全力を尽くすだけの心構えを損なうな。

 と、二つの事柄をユーノに向け、彼の覚悟を確認している。

「――――――」

 恐らく、コレが最後の機会だ。

 引き返す為の、戦いから背を背ける為の機会。――なら、論外だ。

 考えるまでもない。

 当たり前だ。自分という駒を加えることで、逆にみんなが戦いにくくなる可能性(リスク)を背負うと判っていても尚、この道を選ぼうとしたのだから。

 それなら失敗は出来ない。まして後悔など、ふざけているにも程がある。

 余計な道理を挟もうというのであれば、結果がどうであれ、後悔するなど戦いに身を窶す人々全てを侮辱する行為だ。

 コレはあくまで、ユーノ自身が背負うべきもので――。

 懸けた想い、賭した危険性。それら全てをひっくるめて、押し通したいものがあるという決意。

 ――――なら、もう言葉などでは軽すぎる。

 躊躇いを捨てて、ユーノはアンプルを腕に刺した。

「……っ」

 身体の中に入ってきた異物が、段々と肉体と同化していく際の痛みが額に汗を滲ませる。

「あーあ、ったくいきなりするなっての。最初から引くような玉じゃないことは判ってるってのに……」

「そういうとこも、男の子の意地なんじゃない? クロノもそんなだったし――っと、バイタルの方、少しだけ拒絶反応あるわ」

「オッケー。治癒術の応用で緩和しとく……」

 傍の筈が、一枚壁を隔てた様な聞こえ方をする二人の声を聞きながら、ユーノは脳裏に自分の身体の中が書き換えられるようなイメージを浮かべた。

 違う(すべ)を用いる為の代償(いたみ)を、歯を食いしばり耐える。

 此処で根を上げるわけには行かない。

 何のための覚悟なのか、何のために伸ばした手なのか――その意味をもう一度、己に刻み込む。

 

 そんな精神的な心構えがどれだけの効果があったのか。

 不明瞭この上ないが、それでもどうにかユーノはその変化に適応した。……しかし、まだやるべき事は山積みだ。

 術式の記憶に応用。そして、資料の検閲。

 時間はいくら合っても足りない。

 足りない中でも、刻限(じかん)は彼らを待ってはくれない。

 

 ――――もう既に、事件の最奥までの道は見え始めているのだから。

 

 

 

 

 

 

 目的(ユメ)の代価、刻む血と目覚めた〝悪魔(てんし)

 

 

 

 《オールストン・シー》上空。

 夜の帳が下ろされた静寂な場で、イリスは〝悪魔〟を伴って佇んでいた。

 街々に灯された明かりを見つめる瞳に、苛立ちと哀愁の様なものが掠める。

 それは、懐かしさと憎しみ。通常では決して背中を合わせはしない二つの感情が、イリスの中で綯い交ぜになっていた。

 けれど、そんな感覚に意味は無い。

 瞼を閉じ再度開くと、イリスの瞳からはそうした色は消え、再び氷の様な印象だけが残ったものに(かわ)っていた。

 ――そこへ、三つの影が現れる。

 ディアーチェと、彼女の作った〝門〟によって回収されたシュテルとレヴィである。……だが、その姿は随分と傷だらけだ。

 

「あら。少し見ない間に、随分とボロボロになったわね」

 

 そんな三人を小馬鹿にしたようにイリスが言うと、ディアーチェは眉をひそめ、シュテルは「言われていますよ」と意識がぼやけているレヴィを起こそうと揺する。僅かに唸りながらレヴィが目を開けたのを見計らって、ディアーチェはイリスを見据えて問う。

「……貴様、名は確か〝イリス〟とか言ったな。いったい、どういうつもりだ?」

「何のこと?」

「とぼけるな。貴様と謎かけをする気などない。良いから答えよ。――――我は、ソレが何かを訊いておるのだ」

「…………」

 鋭く詰問をしたディアーチェだったが、イリスは飄々とした態度を崩さない。むしろ、そんな質問の方がナンセンスだと言わんばかりに笑みを深めるばかりだったが、それでは話が進まないと理解したのだろうか。

 イリスは一つ息を吐いて、こう答えた。

「どうもこうも、わたしのするコトは一貫してるわよ」

 まず口にしたのは、最初の質問への解答。

 己の目的。行動理由における心変わりなどない、とイリスは言う。

 が、ディアーチェたちからすれば、そこからして疑わしい事この上ない。

 変わってなどいない、と、イリスは言った。

 しかし、その割には成そうとする事柄が一切浮かび上がらない。一緒だったはずのキリエの姿もなく、加えて得体の知れない『何か』をここへ連れて来た彼女への疑心が深まるのも当然だろう。

 ……いや、違和感を覚えるというのなら、イリスの連れている発光体(つばさ)もそうだ。

 微かに記憶を掠める、既視感のようなもの。

 どうにも掴めない。もちろん、先程目覚めたばかりのディアーチェたちがイリスという人物のことを把握しきれないのは当然だ。――だが、それにしてもイリスの語る言葉は本心らしきものを覗かせない。

 ディアーチェたちの覚えている限りでは、キリエの故郷であるエルトリアを救うために自分たちが失った『力』を取り戻させる必要があると語っていたのが最初か。

 要するに、取り戻すための手伝いをする代わりとして、力を貸せという事なのだろうと思った。

 無論、ディアーチェとて〝王〟の名を冠される者としては、ある程度の供物には相応の対価を払うべきだという心づもりはあった。己が目的として刻まれている命題を成すために、不足した力を補う役者が必要だということは明白だったのだから。

 故にこうしてイリスらの助力を受けつつも、まずは邪魔者の排除を行おうとしていたのだ。

 けれど、いま目の前にある状況は些か語られた情報との齟齬を感じる。

 力を貸し、目的を果たす。

 それはそうなのだろうが、思えばイリス自身が最終的に遂げようとする目的を、ディアーチェたちは勘違いしていたのかもしれない。彼女はキリエとまったく同じ望みを抱いていたわけではなく、別の目的を持っていたという事なのだろう。

 ――――では、その目的とは何か?

 ディアーチェが最も問い質したいのは其処だ。

 しかし、イリスは結局それについて語ることはなかった。代わりに、まだ協力している体で話を進めていく。

「目的のためにすべきことがあって、わたしはそれをしているだけ。最初から、何にも変わってなんかないわ。――そして、王様たちが欲しがってる『(モノ)』は、()()()の胸の中にある」

 再び冷たい微笑みを浮かべながら、イリスは連れて来たモノに視線を向けると、彼女はソレを〝この子〟と呼んだ。

 まるで、その『何か』がヒトであるかのように。

 が、そう評した直後であるにも関らず、イリスはこうも言った。

「ココから抉り出せれば、無限の力が手に入る……。まあ、〝この子〟は抵抗するでしょうけどね」

「…………」

 その言葉に、今度は詰問していたディアーチェたちの方が口を閉じた。

 ヒトであるかのような言い回しであるのに、『抉り取れ』とはどういうことなのか。……否、理屈は解る。

 とどのつまり、イリスはこう言っているのだ。

「……わたしたちに、〝その子〟と戦え、と?」

「ええ」

 シュテルが訝しむように訊ねると、酷く軽い肯定が返って来た。

 そうして、招き入れる様な所作でシュテルたちへ片方の手を差し出すと、イリスは今こそが本当の〝始まり〟であると謳うかの如く、差し出した手で円を描いた。

 振り払ったその手は、踊り狂う者たちの舞台を示している。

 

「――――そう。

 ()()()()()()()()()()

 何の遠慮も要らない広大ステージで戦い、何もかもを捨て去って挑み、そうして勝ち取りなさい。

 『無限の力』を――この子を殺して、ね」

 

 その時、初めて話を聞いていた三人は、イリスの腸を垣間見たような気がした。

 込められた思いはドス黒く、しかし何処までも憎悪の炎を灯し続けている。まさしく、そこには何らかの本音が覗いている。

 だが、その気迫の様なものに、僅かだが三人は気圧されていた。

 ――――三人は知る由もないが、エルトリアにはこんな訓話がある。

 〝悪魔は、天使より綺麗で優しい〟

 もしも今のイリスを例えるのなら、それ以上に正しい表現があるだろうか。

 柔らかな声音と、冷たい微笑。美しさと畏れ、そして一種の慈愛さえも同居させている今の彼女は、紛うことなく〝天使よりも美しい悪魔〟だといえる。

 まさしく矛盾の様で、矛盾でない。

 イリスから感じ取れたのは、言うなればそういった類のもの。

 そんな道理さえも無視したような感覚(いわかん)に苛まれながら、三人はイリスとその背後にあるソレを静かに見つめていた。

 

 戦うべきかを迷う必要はない。

 確かに本能に刻み込まれた衝動が、アレの中に目的の力があると告げている。元々、ヒトでない彼女らにとって、定められた行動理念に逆らう意味などないのだ。

 何故かなどと問う意味すらない。

 仮に人間が生まれて目的を成すのだとすれば、ヒトならざる彼女らにとって、その工程はまったくの逆だ。

 目的があって、初めて彼女らという存在を生み出す工程が成立する。

 それこそが、彼女らが生まれた意味。

 こうして活動している理由そのものなのだから。

 

 ……だというのに、疑う必要のない衝動を圧し留める衝動もまた、今の彼女らの中に存在していた。

 アレを手に入れろ。

 決してアレに手を出してはならない。

 どうしたことか、自分たちのコトさえ判らなくなり、三人は己の中にある感情と意識を改めて確かめてみる。

 相反する二つの意識を鑑みるに、同じところから派生しているわけではなかった。

 手に入れろという衝動が、刻まれた本能であるならば――手を出してはいけないという衝動は、経験した恐怖からの警戒。

 ここまで来ると、流石に判り始めて来た。

 朧であろうとも構わないと道を探していたが、本当はもうその道をディアーチェたちは知っていたのかもしれない。

 否、それどころか。

 もしかすると、この二つと共に感じていた既視感は。

 今はただ忘れてしまっているだけで、きっとアレと彼女らは、共にあった存在だったのではないか――?

 と、そこまで思考が至った直後。

 閉ざされていた記憶の扉を叩こうとした、その時だった。

 

 ――彼女たちの周囲を、魔導師たちが取り込んだ。

 

「そこまでよ。全員動かないで……ッ!」

 聞こえた声は、凛とした女性のもの。

 平時であれば穏やかであろう(それ)は、警戒の為か、とても鋭い色を帯びていた。

「シャマルより、東京支局へ――。

 対象を捕捉。イリス以下、容疑者四名の姿を確認しました。これより次元法違反の現行犯で、彼女たちの逮捕に移ります!」

 報告と宣告を済ませ、シャマルを始めとした局員たちがイリスたちを見据えている。

 だが、

「――――――」

 イリスはそんなシャマルの声を耳にしても、一切の動揺を見せない。それどころか、逆につまらなそうに溜息を零すと、状況を手短に見て取った。

 どうやらその弁から推察するに、この場の指揮は彼女が取っているのだろう。

 事前に閲覧したデータにもあった顔だ。

『闇の書』の本来の〝守護騎士システム〟として据えられた『ヴォルケンリッター』の一人で、騎士たちの参謀兼支援役を務める湖の騎士・シャマル。優れた補助系統の魔法と、それらに付随する死角を突くような戦法を得意としている。

 補助系と言えども馬鹿には出来ない。実際、『トゥルケーゼ』を機能停止にまで追い込んだのは彼女だ。元々警戒はしていた。爆発的な破壊力を伴う技こそ持たないが、〝旅の鏡〟などのトリッキーな戦法は少々懸念材料でもあった為である。

 しかし、

(……まあ、この状況ならあんまり関係ないだろうケド)

 残る顔ぶれを見渡し、他に留意すべき点が無いと判断したイリスは、行動に移ることに決めた。

 本当ならもう少し揺さぶりを掛けたかったのだが、仕方がない。

 捕まってやる意味も無いし、これ以上邪魔されるのも好ましくはない。

 ――というより、単純に目障りだ。

 微かな煩わしさを込めると、イリスは拳を軽く上げる。

 すると、武装隊員の中にいたヴィータがいち早くその動作を察知するや、「動くな」と警告を発した。

 けれど、イリスはヴィータなど眼中にない。

 ここまでの戦いでデータは十分に得た。

 躍らせていた駒たちも、それなりに情報収集に役立ってくれた為、主だった『魔法』はもうイリスには効かない。まして、それが単純な物理攻撃であるのならば尚更だ。

 それに加えて。

 むしろこの場に留まる気なら、攻撃よりも自分の身を守ろうとする方が賢いと言えよう。

 まあ、それは無理な相談かとイリスは微かに鼻で嗤った。これから始まる、皮肉さを伴った惨劇を思い浮かべて。

 

 正義を振りかざした者たちは地獄を描き、

 逆に自分の身可愛さに逃げる方が地獄を回避出来る。

 

「……まったく、いつまで寝てる気?」

 そんな光景を場に生むための引き金を、イリスは一切の躊躇いなく引き絞った。

 文字通りに、眠れる〝悪魔〟をその手で叩き起こして――――

 

 

 

「――――さっさと、起きな……さい!」

 

 

 

 ――瞬間。

 また、地獄が生まれた。

 

 そして、また同じようにもう一羽の――――〝天使の様な悪魔〟が、目を覚ます。

 

 

 


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