~魔法少女リリカルなのはReflection if story~   作:形右

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 それは、護りたいものを背負った戦い。
 いつかの始まりから続く、少女の物語の一つの節目。

 傷つき、傷つけ……その果てに、彼女が得たものは。

 少女の歪みと、彼女に寄り添う絆。
 その答えの一つが、この終結によって明かされる。

 ───これはそんな、ぬくもりを知る為の旅路。


第二十五章 守りたいもの、魂を繋いだ絆

 瞬く死兆星

 

 

 

〝―――そう、もう遅い。

 空をご覧、そうすれば分かるだろう? 君たちの側の敗北がね―――〟

 

 戦いが終わりを迎えたかに見えたその刹那。

 マクスウェルは不敵にそう言い放った。その言葉を、通信を介して聞いていた面々は、それぞれの持ち場でおのずと空を見上げてみる。

 すると、

「なんか……変や。あんな明るい星が……」

 ぽつり、と呟かれたはやての声に合わせ、いよいよ誰しもが空に瞬く『星』の真意に気づきだす。

 はやての放った〝ウロボロス〟の余波が引き次第、残された量産型への対処を行おうとしていた司令部に、戦慄が走る。

 マクスウェルがフェイトとユーノに語った、空を見ろという言葉。それを受け、本部では急ぎ奇妙な光を放つその『星』の詳細を確かめようとしていた。

 今さら何のための悪あがきなのか、と誰しもが思ったことだろう。しかし、それは悪あがきなどではなく、最悪極まりない置き土産であった。

「まだ、あんなものが―――!」

 本部で軌道上に浮かぶ異物を観測したレティが、そう苦々しく吐き捨てる。

 普段理知的な彼女さえ、この展開には苛立ちを隠せない。だが、アレだけならばいくらでも対処のしようがある。少なくとも無人かつ無差別に攻撃するだけでは、意味をなさない。とりわけイリスとマクスウェル自身はともかく、彼が欲しているユーリについてはアレの効果に晒されては、無事では済まないだろう。

 しかし、当のマクスウェルは冷静なまま言葉を紡ぎ続ける。ここまで追い詰められておきながら、彼はまるで自分の『命』を省みていない。自分という個に価値を見出していないと言わんばかりに、ただ淡々と今起こりつつある悪夢を語っていった。

「ここへ来る前に〝種〟を仕込んでおいたのさ。『イリス』を生み出すための〝種〟をね。

 あの〝衛星砲〟は、今ちょうどこの一帯(あたり)を狙える位置に来ている。小型ではあるが、街一つくらいならば吹き飛ばすのは容易い。そしてアレは今、命令一つで何時でも発射出来る状態にあるんだ」

「そんなことをしたら、あなたも死にますよ……⁉」

 自暴自棄になってすべてを巻き込み殺して終わるつもりなのか、とフェイトが詰め寄るが、マクスウェルは『それは違う』とばかりのこう返した。

「死なないのさ。少なくとも、私の〝記憶〟と〝意志〟は」

 巻き添えなど構わない。どうせ、いずれは戻るものだから。

 それはまさに、今を生きることへのこだわりを捨てた狂人の最後通告だった。

 言葉を失っているように見える二人にほくそえみ、マクスウェルはフェイトとユーノにこう持ち掛けた。

「―――取引といこう」

 と。

 その内容とは、

()()()()()()とイリス、ユーリの三人をここから離脱させてもらいたい。そうすれば、君たちとこの街は見逃そう。

 もし了承しないというのなら、この一帯へ向け衛星砲を放つ。そうなれば君たち自身の命が失われるのはもちろん、友達や家族もいるんだろう―――?」

「っ……!」

 フェイトは悪魔の言葉に歯噛みするが、傍らにいたユーノは彼女の不安をなだめるように軽く肩に手を添えて、前に出るやこんなことを口にした。

「駄目です。その取引には応じられません」

「ゆ、ユーノ……!」

 何を言い出すのか、とフェイトが驚いたように彼を見るが、別にユーノは何も絶対的な正義を取ったわけでも何でもない。大丈夫、とフェイトに言ってマクスウェルに向け、さらにこう続けた。

「あなたの取引は、そもそも成立していない。そんなものに乗る意味は、此方にはありません」

「―――ほう?」

 指摘を受けて尚、マクスウェルは何処か楽しげだ。

 先程のなのはとの戦闘で危機感(きょうふ)を感じていた彼だが、ここまでくれば寧ろ恐怖に竦む方が馬鹿らしい。

 あの場で死にはしなかったという事実と、最後の手段への信頼が彼を少々昂揚させていた。

「成立していない、というと?」

 例えば、交渉(あそび)に興じる程度には、彼は今すっかり落ち着きを取り戻していた。

 ユーノもその気配は察していたようだが、構わず乗ってやるとばかりに言葉を並べていく。

「〝衛星砲〟について語った事自体が怪しいんです。あなたは、〝自分は死なない〟と言った。イリスさんの中にある欠片のことを言っているのかとも思いましたけど、そうじゃなかった。駅であなたがアミタさんに語っていた〝記憶データの一欠片からでも甦る〟という言葉が真実なら、今すぐに〝衛星砲〟を撃つだけで事足りる。むしろ、そっちの方が良い目眩ましになるのに、あなたはそうしなかった……。

 なら話は簡単です。やらなかったんじゃない、今のあなたは()()()()()()んでしょう?」

「ふふっ……。なるほど、君は単なる支援役という訳でもないようだ。

 イリスの調べたデータの中には、それほど重要とも書かれていなかったが……興味が湧いたよ。その洞察力(みいだすちから)は、是非とも助手に欲しいね」

「あなたが罪を償って、今すぐこの悪あがきを止めるなら吝かじゃありません」

「そうか。……いや、実に残念だよ。ならば、第一次交渉(このカード)は決裂だ」

 二人のその言葉に、聞いていた皆が息を呑む。けれど、マクスウェルは即座に〝衛星砲〟を撃つ、などと言うことは無かった。ユーノの憶測は当たっていたらしい。

「ふぅ……少々厄介な子に当たってしまったらしい。

 だが、まぁ良い。では君の……あぁ、名前はなんというんだい?」

「ユーノ・スクライア。スクライアは部族名なので、ユーノが名前です」

「ではユーノくん。君に破られた第一カードに続いて、此方は第二カードを提示させて貰うことにするよ」

 そう言った瞬間、どこかで何かが天へと駆け上っていく音がした。

「―――っ⁉」

「君は優秀だ。しかし私とて、そう易々と全部を見抜かれる運びなどしていない」

 すると、マクスウェルの言葉に合わせるようにして、新たな緊急連絡が入る。レティやクロノの下へ飛び込んできたそれが、通信を介してユーノたちの元へと送られてきた。

『―――《オールストン・シー》より、緊急連絡! 施設の一部に偽装された打ち上げ台より、小型のロケットのようなものが発射され、以降すごい速度で上昇中ですッ!』

 告げられたそれにマクスウェルはますます笑みを深め、ユーノたちは悔しさに歯噛みする。

「これで、取引は続行(せいりつ)だ。

 ああ、あの打ち上げは気にしないでくれていい。空で待っている娘へのちょっとした差し入れだ。

 ……尤も、仮に気になったとしても、追いつくのは簡単ではないがね」

「くっ……」

「記憶を移植した、といっただろう?

 何もバックアップはデータだけではない。ここにいる私が駄目だったというだけで、次のデータしか残さないと思うかい?

 君たちの相手をするには確かに不足ではあったが、別段いまの段階(バージョン)が全く劣るわけでもない。なら、繋ぐさ―――残された娘にも、次の自分にもね。

 全てを捨てるだけなど勿体ないだろう? 一度目の結果が、同一個体の二度目に直結するなんてことはない。往々にして、同一から全く別のものになることもある。私の元々の研究も、そうした『死んだ星』を幾多のケースで救うためのものだったのだから……」

 その言葉に、今度こそユーノも黙るしかなくなった。

 〝衛星砲〟へ向けて打ち上げたのは、恐らく記憶の継続と、軌道上にいる『イリス』への攻撃指令を乗せたモノだろう。しかし、それを敢えて語ったと言うことは、通常の魔導師では追い着けないだけの速度で上空へ上がっていると言うことだ。

「通信は確かに遮断されている。先程の攻防で私自身の能力も失われてしまったが……アレが着けば別だ。アレが『イリス』へ渡されれば、即座にこの一体へ砲撃が放たれる。

 あとは分かるだろう? ―――五分だ。

 その間に私とイリス、ユーリをここから離脱させて貰いたい。その結界解除に伴って、イリスから軌道上の『イリス』へ砲撃中止の指示を送ろう。

 もう一度、重ねて言おう。これは君たちの命はもちろん、友人や家族の命も賭けたものなのだ、と」

「…………」

 思い沈黙が場にのし掛かかる。油断と言えばそれまでだが、結局のところ化かし合いに負けたようなものであった。

 《オールストン・シー》にいた固有型は素材を集める目的でいるという先入観で以て、施設を解体し形状を変えている事への不信感を無くしていたのだ。加えて、テーマパークという場所だからこそ、施設の一部に偽装するのも容易かっただろう。

 何せあの施設はまだ完成(オープン)前で、隅から隅まで知り尽くしている人間は局の側にはいなかった。無論、知ろうと思えば知れたのだろう。だが、途中から明かされた真実に暈かされ、逆にその先の理を隠していた。

 こればかりは此方の敗北だ。しかしこれで、「はいそうですか」と終わる気など誰にもない。

 対抗策は幾つかまだ残されてはいる。

 結界班を集め直し、街一帯を今度は防御魔法で覆うと言う手段。若しくは、砲撃魔導師たちに相殺を任せその間に対処を行うと言う手段だ。

 ハッキリ言って、どちらもあまり建設的ではない。無論、追い掛けて撃ち落とすと言う手段もなくはないが……アレに追いつくのは難しく、また仮に転送魔法を使うとしても使いどころが難しい。

 〝衛星砲〟が自動迎撃を積んでいないとも限らない上に、そもそもの高度(ざひょう)が高すぎて、仮にコンビで上へ飛んでも、その先で転送直後を撃ち抜かれたら話にならない。

 その上、舞台が軌道上ということは、高度戦闘の更に上位に位置する超高高度戦闘を行うということ。それが出来る魔導師は限られており、且つその上でコンビを組ませることが出来る人物となるとますます限られてくる。

 実現可能なのは、ユーノかシャマル、或いはアルフか。

 しかしアルフは指揮船におり、合流するまでに時間が掛かりすぎる。シャマルとユーノを投入しても、当然〝衛星砲〟を撃ち落とすだけの相方が必要となってくるため、万が一失敗すれば地上の防御が疎かになってしまう上に、地上で迎え撃つだけの人材が減ってしまうのだ。

 となれば、地上で衛星砲を引き付けながら迎撃をするしかないのだが―――それにもまた欠点がある。

 今は海鳴市を狙える場所にいるが、時間が経つにつれ他の場所を狙える位置に来てしまう。そうなっては、今度こそ対処のしようがない。

 まさしく八方ふさがりな状況だったのだが、それを打ち壊すようにして、なのはの声が場の流れを変えた。

《―――みんなゴメン、勝手に空に上がった!》

《なのは、何を……!》

《皆さん申し訳ありません、わたしも勝手に上がらせてもらっています!》

《アミタさんまで……!》

 しかも、そこにはアミタの声まで。焦り空を見上げると、赤と桜色の光が勢いよく空へと昇っていくのが見えた。

 フェイトとユーノを始め、誰しもが二人の無茶を止めようとするが、

《勝手は承知ですが、わたしたちならギリギリアレに追い着けます! それに、万が一失敗しても、これなら他のメンバーは地上の対処が可能なはずです!》

《だからゴメン、ユーノくん、フェイトちゃん。所長さんには悟られないように、そのまま話してて!》

《危険だ、二人とも戻れッ!

 僕が変わる! 〝デュランダル〟なら、高高度戦闘も―――ッ!》

 あまりにも強引な頼みに、ユーノもフェイトも思わず言葉を失ったが、現場指揮を担当するクロノはそんな勝手(きけん)を許さず、二人を止めようとする。

 だが、二人は―――

 

 

《―――わたしたちの方が、(はや)く飛べる!》

 

 

 そう言って、なのはとアミタは更に速度(ギア)を上げて空へ昇る。……情けないが、確かにその速度は他の誰にも真似出来そうになかった。

 二人が今使用している『アクセラレイター』だからこそ、あれだけの速度が出せている。如何に他の魔導師が代わりを務めようとしても、きっとあの二人には及ばない。

 唯一希望があるとすればフェイトやキリエたちくらいだが、フェイトの高速機動(ソニックフォーム)はあくまでも戦闘時におけるものであり、軌道上のような高度の高い場所で防御力を捨てては、生命維持に必要な分のリソースまで捨ててしまうことになる。

 また、キリエやイリスの『オルタ』は『アクセラレイター』とは異なり、制限なしの出力強化である分、消耗が激しく長距離移動には向いていない。

 しかし二人はその点をクリアし、且つマクスウェルの逆転を防ぎうるだけの可能性を秘めている。

 とどのつまり、微かな光明を実現するには二人に託すしかないのだ。

 無論、成功すればこれ以上ない結果である。だが、逆に失敗すれば被害は甚大となるものの、それは二人が空に上がらずとも、〝衛生砲〟を放置する限り変わらない。

 こうなってしまった以上、仲間たちの取りうる選択は一つしかなくなった。

 状況的にも、

 可能性の上でも、

 この二人に託す以外に道がない、ということに。

 皆からの制止がなくなった二人は、更に速度を上げ宇宙(そら)への路を走り続ける。そして、それが暗に託されたのだということを察して、

《大丈夫です、逆転なんてさせません。協力して、撃ち落としてきますよ!》

《軌道上の〝衛星砲〟もしっかりと!》

 と、最後にそう黙認への感謝を残して通信を切り、一気に空へと駆け上る。

 

 これにより、街と魔導師たちの行く末は二人の少女へと託された。

 無論、彼らとてただ手をこまねているわけでもない。最悪の場合に備え、それぞれが出来ることに全力で動き始める。

 手始めは、軽い時間稼ぎから―――

「で、どうするかね?」

「……検討の為、一度本部と連絡を取ります。詳しくは、そのあとに。構いませんね?」

「ああ。しかし、時間は有限だ。決断を誤らないように祈るよ」

(誤る……過ち、か)

 そういわれても、ユーノもフェイトも、今に正しさなんてものがあるかどうか考える気にもならなかった。

 すべきことは決まっている。その上で、過ちなのかどうかさえ分からない。―――いや、本当に過ちというならそれは、二年前の始まりだったのかもしれない。

 けれど、確かにそこから始まったものもあった。

 ならばもう、すべきこと以上に目の前に置く事柄はいらないといえる。そして託してしまったのなら、託しただけの覚悟を示さねばなるまい。

 そのために、ユーノとフェイトも動き出した。

 この選択がどういった結末を迎えるにせよ、いま出来るだけのことをするしかないのだと心に決めて。

 自分たちを救ってくれた少女が今もなお戦いを続けるように、彼らもまた、同じように彼女を支えるために動き出す。

 

 

 

 *** 軌道上(そら)

 

 

 

 ある街の、そしてある星の行く末を決める時の中を、二つの星が駆け上り続ける。

 雲の層を越え、高く、更に高く宇宙(そら)の果てまで―――二つの星が空へと昇り、護るべきものを背に飛び続けていた。

 そうして、追いつく。

「―――射程距離です」

 まずは、一つ目の目標へ。

 アミタは、静かに拳銃形態(ザッパー)から狙撃銃形態(ロングライフル)へと武装(アームズ)を換装。

 構え、狙いを定める。

 彼女らの速度は、もう既に小型ロケットを追い越している。このまま追走していれば、追い越してしまうのは想像に難くない。……けれど、こんな時だからなのか、アミタはふとある思いに駆られていた。

 

 

 

 ―――四〇年前。

 

 もしもエルトリア政府が、惑星再生への道を諦めていなかったのならば……マクスウェル所長は今も、イリスやユーリ、仲間である研究者たちと共に『エルトリア』の為に働いていたのだろうか? と。

 しかしアレは『ウソ』になってしまった事で、今更考えても仕方の無い事だというのは分かっている。だが、それでも思わずにはいられなかった。

 彼女の狙い澄ました先には、所長の『記憶』が込められている。それを壊すということは、ある意味で人殺しと同じだ。止めなければ成らないと分かっていて、そしてそれを壊すと決めてしまいながら、こんな事を考えるのは烏滸がましいのかも知れない。

 同じように、こんな事件まで起こした相手に同情するのは、体の良い綺麗事なのかもしれない。

 しかしそれでも、アミタの両親がそうだったように、彼女自身も『エルトリア』を甦らせたいと願った者であるからこそ、彼に同情する。偽善であろうと、その命の欠片を奪うことに対しての弔いとして、その死を悼もう―――

 

「フ―――ッ‼」

 

 そんな思いを込めた一弾が、銃口より迸り狙いすました標的を撃墜する。

 赤い閃光が空へと昇る箱舟を砕き、霧散させた。しかし、それに合わせ―――空から碧銀の閃光が注ぎ、彼女の身体を貫いた。

 

 

 

「っ、……ぁ―――が、ぁぁ…………っ」

 

 

 

 アミタが撃ち抜かれたのを見て、なのはは叫ぶ間もなく飛び出していた。

 空から注ぐ光は、彼女を撃ち抜いた一つだけではない。二つ、三つ、と太陽へ近づきすぎた英雄を墜とす神の怒りの如く、光は続けざまに注いでくる。

 しかし、二人はそれをどうにか耐える。それ以上動かない標的に、空からの光はやがて止んだ。どうやら、近づく標的のみを墜とせという指示が組み込まれているらしい。この事実と、マクスウェルの行動から鑑みても、軌道上に据えられた『イリス』は限定的な役目しか果たせない型のようだ。

 つまり、動き近づく標的のみを狙うというのならば―――

 

「―――アミタさん。ここから先は、任せてください」

 

 アミタを自分とは逆の方向に退避させ、なのは自身が真っすぐにブレを少なくして軌道上へ向かっていけば、彼女をこれ以上傷つけさせずに済む。

 だが、

「なのはさん……ですが、わたしは……っ」

 アミタの悲痛な顔に、なのはの表情(かお)が僅かに揺らぐ。

 二人は、ほんの少しだけその気質が似ていた。真っすぐに何かへと飛び込んでいくその心の在り方も、意地っ張りなところも。そして、それゆえになのはは、アミタに敢えて「大丈夫です」と告げた。

「このままゆっくりと、わたしの飛ぶ方向と逆に降りて行けばきっと大丈夫です。それから、地上班の救護を待っていてください」

「っ…………」

 悔しげな表情に心が痛む。―――が、なのはが譲ることはなかった。

 アミタには帰るべき場所がある。

 遠く離れた星に残してきた両親の元に、もっと近くにいるキリエのところへも、必ず帰したい。

 だから、なのはは引かない。

 これ以上進めばアミタの命に関わると分かっているからこそ、ここから先には進ませない。

 ある種の残酷さではあるが、理に適ってしまっている。

 アミタが一番『悔い』に思ったのはそこだろう。……それしかないと認めざるを得ない、この状況に陥ってしまった自分にも、それだけの力を持ってしまったなのはに対する複雑さにしても。

 いくら『魔法』を使えて、最後の希望を紡げる存在だといっても……自分よりもずっと年下で、しかも自分の故郷から齎された事件の決着を担う為に、その命を賭けようとしているのだから。

 けれど、これ以上待っていては何もかもが最悪に変わってしまう。

 迷う暇も、

 引き止めるだけの余裕も、

 そうした何もかもが、あまりにもこの状況には欠落していた。

「……なら、せめてこれを……」

 が、それでもアミタはせめて行き掛けの駄賃代わりに、手にしていた『ザッパー』を、なのはに託した。

 余分な荷物かもしれないが、『アームズ』はイリスやマクスウェルの『ウェポン』に比べ、本来の危険区域での活動に際した機能が多く備えられている。この先において、万が一なのはの武装が消失しても、多少なり助けになるように。

 ()()()()()()()()()()()()()()()ということが、彼女の道標(かえりみち)を示す助けになれば、と願って……。

 そしてその意思は、なのはにも伝わったらしい。

「分かりました、お預かりします―――()()()()()()()()()()()()

 その言葉に、アミタはもう、自分に出来ることはやり切ってしまったと知る。これ以上の言葉は、単なる蛇足だ。

「ええ……約束ですよ?」

 だからこそ、彼女は最後に短くこう告げた。ちょっと卑怯な気もしたが、それでもこれは偽らざる本音であるがゆえに。

 アミタの心に、なのはは静かに「はい」と頷き、

 

「―――行ってきます!」

 

 と、いつもと変わらない言葉だけを残して―――再び空の果てを目指し、翼を広げ飛び立った。

 

 

 

 

 

 

「……こんなに高く飛ぶのは、初めてだね」

 

 アミタと別れ、一人軌道上を目指し続けていたなのはは、ふと思い至ったようにレイジングハートにこう訊ねた。この問いかけが、彼女の昂揚からのものか、或いは恐怖からなのかは、彼女自身にも分からない。

 しかし、

生命維持フィールドは万全です(Life support system is working)

 ―――快適な空の旅になりますよ(Have a present flight indeed)

 そんな主の問いかけに対し、レイジングハートは迷いなくそう返す。その頼もしい応えに、なのはは何となくおかしくなり、笑みが溢れる。

 こんな状況で、初めて行く場所への旅路で―――こんな時に笑えるなんて、それこそおかしなことかもしれない。けれど、恐れなのか昂揚なのかもよく分からないこの感覚も、悪くない気がしていた。

 空を飛ぶ魔法は、彼女が一番初めに使った魔法だったから。……だからだろうか? よく分からないこの感覚に、何故かとても馴染み深い気がしているのは―――

 

 

 

 ―――そんな事を思いながら、なのはは高く高く空を駆け昇る。

 

 

 

 

 

 

 高く―――

 

 

―――更に先へ。

 

 

 高く―――

 

 

―――また、その先へ。

 

 

 そして、もっと高く―――

 

 

 

 

 

 

 軌道上(きょうかいせん)へ至るまで、決してその翼を止めることなく、注ぐ光を全て弾き飛ばしてなのはは進む。

 

 誰しもが息を呑み、行く末を見守る中―――遂に彼女は、そこへ至る。

 

 

 

 

 

 

 *** 守りたいもの、大切なもの

 

 

 

 軌道上に至り、なのはは〝衛生砲〟を守護する『護衛機(イリス)』と対峙した。

 今しがたアミタを撃ち抜いた相手ではあるが、なのはは直ぐに武器を構えようとはせず、静かにこう語りかけた。

「初めまして―――武器を降ろして、少しお話しできないかな……?」

 この状況で、明らかに戦うしかない状況で、それでも言葉を交わそうとする姿勢は、綺麗事に過ぎないのかもしれない。けれど、彼女は何時もこうしてきた。

 初めて魔法に出会った時から何も変わらない。ずっとずっと、そうしてきたのだ。

 だから、今もこうして向き合っている。目的や望みの為にぶつかり合ってしまうのだとしても、何も分からないままでいるのは嫌だから……目の前にある何かが、自分にどうしようも出来ないことが嫌だから。

「――――――」

 返事は皆無。それが喋れないからなのか、或いは、彼女自身の意志によるものなのかは分からない。ただ一つ明示されたのは、ここから先は戦うしかないということだけだ。

 

「………………」

「――――――」

 

 一瞬の静寂を経て―――二人の構えた砲口が輝きを増し、一気に膨れ上がった光が解き放たれる。

 交錯する砲撃の合間を越えて、なのはが相手へ向け近づいていく。向こうは近づく気配さえない。機械的に砲撃を撃ち、なのはを墜とそうとしているだけ。……単純だからこそ、向けられた悪意―――否、『込められた悪意』は明確だ。

 ……それは、とても悲しいことだとなのはは思った。

 別に同情でも何でもなく、こんな戦いは酷く空しいだけだと判っている。だが、そうだと判っていても、ヒトは必ずその心をぶつけ合う。……当然だ。だってヒトは、どうしても異なる生き物だから。

 

〝……いろんな場所で、いろんな人が、いろんなことを考えていて―――時々こんな風に、分かり合えずに、折り合えずにぶつかることがあって……〟

 

 『幸せ』も『悲しみ』も、ヒトによってその形がどうしても異なる。そのズレが、ヒトを争いや憎しみ合いへと駆り立てる。

 世界には、そんなことばかりが溢れている。そうして加速し増えていく連鎖が、小さなことから、こうして星一つを巻き込むに至るまでの嵐を呼ぶ。

 失わない為、成し遂げる為に、ヒトは争う。しかしそれは、

 

〝…………戦って意思を通すなんて、本当は良くない―――でも、戦わなきゃ守れないものもある……!〟

 

 どうしても譲れないもので、

 同じくらい失くしたくないものだ。

 

〝……守りたいもの、護れなかったものを……! わたしの背中にある、『大切なもの』を守る為に―――ッ‼〟

 

 これまで重ねてきたものを、これから先へ繋がれていくものの為に戦う。

 なのはの背には、大切な人の暮らす場所がある。それを奪おうとするこの悪意を撃ち砕く為に。

 超近距離(クロスレンジ)まで迫り、なのはは砲撃を放つ。

 けれど、威力の圧し比べはなのはの敗北だった。なのはの放った砲撃と護衛機の放った砲撃とがぶつかり合い、腕部固定砲(ストリーマ)の砲身が砕けていく。……しかも、まだ相手の得物は一撃の余裕を残していた。武装を失ったまま、次撃を受けるわけにはいかない。―――だが、なのはにもまだ、相手のそれと同等以上の得物が残されている。

「―――――ッッ‼」

 放り出されていた右手で、アミタから預かったザッパーを引き抜いて撃ち放つ。

 倒し切る事は出来なかったが、その一撃でお互いの(ハンデ)無手(ゼロ)になった。だが、腕力だけでいえば子供(なのは)護衛機(イリス)に敵う道理は無い―――無いが、感情も慈悲も無い拳を向けられて尚、なのはは引こうとはしなかった。

 飛行魔法(はじまりのまほう)が、なのはをまた前へと羽ばたかせる。そして、向けられた拳を左手で受け止め、なのはもまた護衛機へ向け拳を見舞った。……左腕が鈍い音を立て、軋みを上げる。しかし痛みよりも嫌な感触が、護衛機を殴りつけた右手から伝わってきた。―――が、それでも止まらない。

 何かを壊す力。

 相手を傷つける力。

 確かに『魔法』は、そういう力でもある。けれど、込められた意味はまた別のものだ。

 ぶつかり合う事すらできない小さな手を伸ばしてくれた。だからこそ、今もこうしてなのはは戦えている。

 それが、『魔法』の意味。今こうして、戦っている理由そのものだった。

 

 

 ―――わたしたちの『魔法』は、その為にあるんだ!

 

 

 そんな決意を込めた、(オト)になりもしない叫びと共に、なのはは最後の砲撃を撃ち放つ。

 二年前の出会いに置いて、彼女が初めて放った()()()()

 今や彼女の代名詞ともいうべきこの『魔法』は彼女の意思に応え、今度こそ完全に、悪意の根源を吹き飛ばした。

 

 

 ───瞬間、軌道上で眩いばかりの光が地球(ほし)を照らす。

 

 

 空を超え、地上まで注いだ光が残した(ひかり)の残滓が、恒星が破裂した際に生じる星屑の様に散って行く。

「っ……ぅ、ぁ……」

 激しき交錯を経たなのはが途切れた意識を取り戻した。

 周囲を見渡すと、〝衛生砲〟の残骸が漂っている。砲身を失い、制御を無視して掌から撃ち放った直射砲撃魔法(ディバインバスター)の影響で防護装備の一部が喪失しているが、身体に致命傷に至る傷は無い。

 勝敗は決した。〝衛星砲〟は完全に消失し、これで地球が狙われることはない。あとは、なのはが帰投するだけで事件は終わる。

 ……決着を迎えたそこは、酷く静かだった。

 そんな誰一人として他者を存在させない空の果てに、なのはは一人漂っていた。自分が消し去った護衛機に対し、微かな憐憫と哀愁を感じながら───が、それは。

 あまりにも的外れな油断であったと、なのはは身をもって知ることになる。この瞬間を狙いすましていた、最後の最後に仕掛けられた奇襲によって。

「ッ―――――⁉」

 バッ! と背後から羽交い絞めにされたなのはは、拘束から逃れようと踠いた。

 だが、拘束自体は長く続かなかった。顔部分の表層が失われ、機械部分が剥き出しになった護衛機の瞳が、赤くチカチカと点滅していた。すると、もう碌に残っていない防護領域にも拘わらず、まるで本当の終わりを告げるような音がする。

 

 ピ……ピ……ピピッ、ピピピッ、ピピピピピピピピピピ―――ッ‼

 

 やがて、その音が止むと同時。

 軌道上は、再び激しい光に包まれた。……ただし今度は戦いの勝敗ではなく、戦いの決着(おわり)を歪ませた逆転(わるあがき)の証として―――

 

 

 

 ***

 

 

 

 桜色の光に続け、不自然な光が瞬いた。

 地上に注いだ光は、明け方に差し掛かった空を照らし、何か不吉な色を地上の人々へ伝えて来た。

 既になのはが地上より飛び立ってから、約五分経過している。

 だが、一向に空から砲撃が注ぐ気配はない。街の命運は守られたのだと、場の誰もが理解した。―――にも拘らず、帰って来る少女の姿はない。

 取り戻された穏やかな時間が、少女を取り除いた様な世界で流れていく。

「…………なのは……っ」

 それは、誰の呟いた声だったのかも分からない。ただ誰しもが、浮かぶ最悪の結末を否定しながら、空に向かった少女の無事を案じていた。

 しかし、時間は無常に過ぎていき―――すでに針は、次の時を刻み始めていた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「っ…………」

 激しい爆発(しょうげき)の後。暗転した空白を越えて、なのはは意識を取り戻した。

 しかし視界に映るのは、先程の空白と同じ暗闇の世界。ただ先程とは異なり、そこは黒いだけの世界ではなかった。

 遠くに自分の暮らす青い星が見える。そして近くには、自身の愛機の姿があった。しかし、いつもは鮮やかな輝きも今は酷く弱々しい。

 その姿が、二人の迎えた勝敗の結果だった。

「…………最後に、やられちゃったね……」

申し訳ありません(I’m terribly sorry.)……》

 擦れた声が返ってくるが、なのはは「ううん、こっちこそ……」と言って、レイジングハートに手を伸ばそうとしたが、それは叶わなかった。……そこでなのはは、漸く自分の状態を気づく。

「――――――ぁ」

 何かを守れる力を得たはずの手は、

 最後の魔法を撃ち放った彼女の左手は、

 護衛機の殴打を受け止めた事と、最後の魔法。そして、先程の爆発によって失われてしまっていた……。

 もう、戦うことは出来ない。地球に帰ることもこの状態では難しいだろう。むしろ、この状態で意識を保っていられること自体が異常だと、なのはは他人事のように己を見ていた。

 つまり、これは終わりを迎えるべき時なのかもしれない―――と、なのはは、ぼんやりとそう思った。

 ……ただ、一つだけ気がかりがあるとすれば。

「…………ねぇ、レイジングハート……」

何でしょう(What)?》

「わたし……()()()()()()()()()()()()……?」

 気になっていたことは、ただそれだけ……。

 それ以上でもそれ以下でもなく、果たせたのかどうかが気になっていた。

間違いなく(without fail or doubt)

 そしてそれは、間違いなく果たされていた。

 結果が敗北であろうと、確かに勝利を得ていた。それなら、もうこれ以上ここに漂っているのは……疲れた。

 

「そっか…………うん……なら、いいや―――」

 

 小さく瞬く愛機を残った手の中に納め、胸の辺りに抱く。柔らかな闇の中で、段々と残された感覚が薄れていく中、なのはは小さく呟いた。

 

 たった一言───満足、と。

 

 今際の際にしては、あまりにも空っぽな響きだった。

 だが、闇はそんな彼女を静かに受け入れ、微睡みの中へと誘って行く。……けれどその時、段々と消えていく視界(セカイ)の端で、手の中の()()()()()()()と共に―――なのはへと向けられた、在る筈のない声を聞いた。

 聞こえて来たのは、

 

 

 

 

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 ただ純粋に問い掛けるような、そんな言葉(オト)だった。

 

 

 

 

 

 

 *** ―――狭間(ブランク)―――

 

 

 

「…………」

 

 三度(みたび)、目を覚ます。

 閉じた瞼を開き、初めて飛び込んで来たのは、先ほどまでいた宇宙ではなく、なのはは薄い靄の掛かった狭間のような場所だった。

 そこで、弛緩した身体は力なく仰向けに転がっている。

 

 そして―――そんななのはを覗き込むようにして、幼い少女が見下ろしている。

 

 茶髪の髪を、短い二つ結びにした髪型。自分と同じ色の瞳と、同じ顔立ち。……それは、その少女は()()()()()()()()()()()

「――――――」

 ……が、不思議と驚きはなかった。むしろ、驚きがあったとすれば、投げかけられた言葉の方だっただろう。

 

 あの時、あの瞬間。

 確かになのはは、言葉通りに満足して終わりを迎えようとしていたのだから。

 しかし、

 

『ねぇ……本当に、満足?』

 

 幼き頃の自分(なのは)は、今の自分(なのは)に対し、重ねて問い掛ける。

 ……その問いかけに、なのはは直ぐに応えられなかった。出していたはずの答えは沈んでいき、真逆の感情が浮かび上がってくる。……でも、今の自分は終わってしまっていて、戻ってもまた。

 すると、そんな動揺を感じ取ったようにして、

『なら、あなたはきっと―――あんまり自分のことが好きじゃないんだね……』

 と、幼いなのははそう言った。

 自分の中にある、ずっと前から続く、その疵を確かめていくように。

 

『誰かの役に立って、()()()()()()()()()()()()()じゃないと、好きになれないんだ』

「…………そう、かもね……」

 

 ……指摘されたものは、間違いではなかった。

 ずっとずっと、今はもう遠くなったはずの疵。だけどそれは、なのはの中にある根底でもある。

 誰にも手を伸ばせない弱い自分だった頃の、恐れと苦しさであり……目の前にいる年頃の自分が抱いていた、痛くて、辛かった記憶だ。

『―――辛いね』

「……少し、ね。……だけど、」

 そんな傷も、段々と消えて行った。―――ある出会いを経て、その疵が埋められていったのだ。

 

「〝魔法〟に出会ってから…………みんなと出会ってから、随分と辛くなくなったよ……?」

 

 そんな小さな『出会い』から、全てが始まった。

 浮かんできたものは、今度は自然と口から出て来た。先ほどの満足などよりも、ずっとずっと確かなものとして……。

 ───そう。何時だって、そうした『出会い』が彼女の心を満たしてきたのだ。

 

 その中で一つ一つ知っていった。

 必要とされていないわけではなく、愛されているからこそ、小さな自分は守られているのだということを。

 ……でも、独りぼっちは寂しくて。

 傍に誰もいてくれない時間は、酷く空虚で悲しくて。

 だから、もしかすると〝要らない子〟なんじゃないかと思うことは何度もあって。

 

 愛されていても、自分が誰かの笑顔の元になれても。ただ守られて、心配されて……何もできないまま、〝待っているしかない自分〟が悔しくて。

 …………だから泣いてた。一人の時に、ずっとずっと。

 

 けれど、段々と……段々と。

 紡がれ始めていった『絆』が、何もできないわけじゃない自分を教えてくれた。

 

 言葉では足りなくても、ぶつかり合って分かることもある。

 それが、目の前にある悲しみや苦しさに向き合う『勇気の一歩』の意味。

 

 自分の助けを、自分だから必要としてくれた人がいた。

 狭い殻の中から、大空へ翼を広げていく為のきっかけを貰った。そしてそのきっかけから始まった『魔法』が、新しい『絆』をくれた。

 

「〝魔法〟と出会うきっかけをくれたユーノくんは、今でも私の魔法の先生で……大切な友達で―――」

 

 その『絆』は今も続いていて、新しい『絆』へと繋がってる。

 

 自分がぶつかり合うことで助けられた人たちがいて、

 守ることの出来た『幸せ』が、自分の周りで日常として回っている。

 

 それがとても嬉しかった。『自分』を必要としている場所にいられることが、とても『幸せ』だったのだ。

 

「クロノくんやリンディさん、エイミィさんは色んなことを教えてくれるし……。

 楽しそうにしているはやてちゃんや八神家のみんなを見てると、切ないくらいに幸せな気持ちになって、胸の中が温かくなって……アリサちゃんとすずかちゃんたちが、何時も話を聞いてくれて……心配してくれて……。

 フェイトちゃんと友達になれた時…………そうやって、みんながわたしの名前を呼んでくれるのが……それが、うれしく、て……」

 

 ぽろぽろと、熱い雫が零れだした。

 言い訳などではない、本当の気持ちと共にあふれ出していくその雫に、なのはは己の中にあるモノを確かめることが出来た。

 

 それは、何を否定されても変わらない、『なのは』だけの感情。

 少しくらい歪でも、彼女が確かに持っていた幸福の証だ。決して幻想(ウソ)なんかじゃない、本物(しあわせ)だった。

 

 ―――嘗て、自分だけの〝価値〟が欲しかった少女がいた。

 何も出来ない自分ではなく、誰かのために出来ることを求めていた少女が……それが欲しいと願っていた小さな子供がいたのだ。

 けれど彼女は、したいこと、やりたいことは見当たらず……心のどこかに空白を抱えたままであるように、日々を過ごしていた。

 本当に、たった一つ―――自分にしか出来ないことを求めて。

 過ぎゆく日々のどこかに、抑えきれない慟哭の(しずく)を落としながら、彼女は〝満ち足りた日常(しあわせなじかん)〟を過ごしてきた。

 

 だが、その欠落は―――自分を認めてくれる場所は、自分が守ることの出来た場所から生じている。

 ただの自分を、自分で認められない。

 ……ただ愛されるだけの自分は、あまり好きではないから。

 目の前にある悲しみを放っておくことも、苦しんでいる誰かを見過ごすのも、嫌だから。

 

 だから、守ることが出来た満足も、その嬉しさも嘘ではない。

 

 ……だから、思ってしまった。

 自分がやるべきことをすべてやり遂げて、護ることが出来たなら……それに満足できたなら、終わりを迎えるのも良いかも知れないと。

 そうすれば辛さはなくなる。何時までも戦い続けて、もしもを考えなくて済むから。

 ───だけど、

 

『直ぐに自分を好きになれなくても良いよ。

 でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()がいる事を、忘れないで……大切な人たちを泣かせるのは、イヤでしょ?』

「……うん……」

 

 それはまた、同じように悲しみを生むきっかけになるのだという事を、なのははちゃんと知っていたはずだった。

 

 愛されている自覚も、大切に思われている自覚もあった。

 それは幸せなことで、でも同時に、自分が何も出来なくても肯定されてしまうという事でもあった。……しかし、何も出来なくなってしまっても愛されてしまうなら、それは苦しみに変わってしまう。

 

 これらは皆、蜜のように甘い誘惑だ。

 誰かを救える魔法も、無償の愛も、その全てが等しく甘く心地良い。

 

 出来ないことが苦しくて悔しいのと同じくらい、愛してもらえることは嬉しくて切ない。

 だから、判らなくなる。求められる力のほとんどを失って、傷だらけの命になった今の自分が、本当に戻っても良いのかと。

 

 が、大切な人たちのところへ戻りたい気持ちや、悲しませたくない気持ち。

 これから先に待つ何かと、今を捨て去った先にある安心を天秤にかけて、なのはは幼き頃の自分へ向けて小さく呟いた。

 それが何だったのか、言った本人さえも分かっていない。けれど、本能か衝動か、反射の如く漏れ出したその心を、幼きなのはは確かに受け取って微笑んだ。

『……そっか。()()()()()()()()()()()、今の内にそれが聞けて良かった』

 その言葉の意味は、よく分からなかった。けれどあの頃の、本当の笑顔を忘れかけていた自分が浮かべた笑みに、なんだか救われたような気がした。

 だってそれは、

『自分を好きになれる日も、きっと来るよ』

「…………ぅ、ん……っ」

 自分の手に入れて来たものの価値を、()()()()()ような気がしたから。

 

 そして―――

 

『だから、ほら……』

 

 柔らかな笑みと共に向けられた言葉と共に、幼い自分(なのは)の手が、自分(なのは)の胸の辺りをそっと押した。

 圧された力に反し、身体は深く後ろへ倒れていくが、不思議と抗おうとする気は起らなかった。

 何故か、と訊かれても、正直よく分からない。

 ……ただ、その時。

 自分を押した手から伝わる柔らかな銀色の風が、とても優しかった気がして、なのはは静かに身を任せることにした。そのまま沈むように倒れていくが、恐怖はない。それは墜落の感触ではなく、暖かなぬくもりに包まれていく様な感覚。

 そのぬくもりに呼応するように、周囲の光景が変わって行く―――

 

 

 

 

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 そうして、倒れる身体に合わせて変わって行った光景は、とても綺麗なものになった。

 無機質だった狭間は鮮やかな花畑に。

 天井も分からないのに狭苦しい空間は、果て無き蒼穹と白い雲を靡かせながら、陽の光を花畑へと注いでいる。

「………………」

 ふと、顔を逸らして傍らに咲いた花を眺めてみた。

 大地に根を下ろした、緑の葉と茎の先から、綺麗な黄色の花を咲かせている。

 ───菜の花。

 彼女の名前の由来でもあるその花は、彼女の始まりをくれた二つの色を写し取ったように彼女を優しく包んでいた。

 まるで、夢の様に優しい静かな時間。

 忘れかけた事、失くしかけていたモノを確かめる為にあった、どこか〝赦し〟にも似たその時間に、なのはは知らず涙を流した。

 

 無機質な狭間に在った種も、いつかは咲き誇る時が来る。

 行く末も、目的もあやふやで、周りに置いて行かれてしまうことがあっても、いつか必ず咲くことが出来る。

 与えられるだけの幸せも、与えて行ける優しさも。

 そうしたすべてを、また次の絆へ繋いでいけるのなら。

 

 

 

 〝―――いつか、きっとね―――〟

 

 

 

 やがて、祈りにも似た言葉が空の彼方へ解けていく中、静かにまた視界(セカイ)が暗転していく。

 けれど、今度は真っ暗な無機質さではないぬくもりに包まれるように。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

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 *** (こころ)を繋いだ(ひかり)

 

 

 

「…………」

 また、なのはは目を覚ました。

 暗い空の果て、戦いの痕になった場所で……一人の少年の暖かな腕に抱かれながら、なのはは意識を取り戻した。

 

 

 

 

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「ぇ……?」

 ユーノ、くん……? と、呟きが漏れるよりも早く、ユーノは先ほどよりも強くなのはを抱きしめる。

 言葉は無く、ただ静かに時が流れ行く。

 冷え切った心を癒す様な、柔らかなぬくもり。それは、彼女の背を守り続けて来たもの。

 傍に寄り添う熱が沁み渡り、罅だらけの心を治していった。

 圧迫感はいっさい存在せず、優しい静寂が二人を包む。

 そんな穏やかな時間から暫くして、ユーノがようやく口を開こうとするが……彼も色々な感情が入り混じって、上手く言葉を紡げていない。喜怒哀楽のどれもが混ざり合い、複雑な思いだらけで言葉を発することが出来なかったらしい。

 けれど、それでも―――

「―――なのは」

 見つからない言葉の代わりに、今の心を込めて彼女の名前を呼ぶ。

 その響きが優しくて、……少しだけ心に刺さって、なのははまた、一筋の滴を零した。

 やがて、そんな静寂を打ち破るように、ユーノは短くこう告げた。

 

「…………お疲れ様、なのは―――遅くなったけど、迎えに来たよ……」

 

 向けられた優しさに、なのはの目からたくさんの滴が溢れてくる。

「…………ぁ……ぅ……っ、ふぇ……っ」

 あふれ出した(しずく)が宙に浮かんで、朝焼けの光を反射して星になる。漏れ出す嗚咽(オト)が二人の間に響き、またいっそう二人の距離(あいだ)を埋めた。

 なのはも同じように、色々な感情がないまぜになって、ユーノの腕の中で膨れ上がった思いをぶつけていく。……益体(いみ)の無い事も、様相(かたち)を得ない事も、ただただなのははユーノに告げる。

 ……本当に、たくさんのことを。

 やがて、落ち着き始めたなのはが「……だめだよ……こんな、むちゃして……」と、搾り出す様に告げると、

「それはおあいこ」

 ユーノはそう言って、力の抜けたなのはを優しく抱きしめて、そのまま柔らかく彼女のことを撫でながら、こう返す。

「……僕は、なのはが困っているなら力になりたい―――なのはが僕に、そうしてくれたみたいに……なのはが帰り道に迷わないように支えたい」

 いつかの言葉と、今の言葉。

 何の気負いもないそれに、なのはは言葉に詰まってしまった。変わって行くとしても、本質を違えないその言葉に。

 そうして、やがて止んでいく音に連れて……なのはは最後に、ユーノにこういった。

「…………ねぇ、ユーノくん……。一つだけ、ワガママ言っても、良い……?」

「いいよ。

 前のお礼もちゃんと出来てなかったし……なのはのお願い(ワガママ)なら、何でも聞く」

「じゃあ、ね……?」

「うん」

 ユーノの答えを受けて、なのはは少しだけ恥ずかしそうに、

「……一緒に、いて……?」

 と、お願いする。

 それに対し、ユーノは「どのくらい?」と、ちょっとからかうように訊くと、なのははこう応えた。

 

「…………ずっと、ずっと一緒にいて欲しい」

 

 その答えに、ユーノは「分かった」と微笑み頷いて、また優しくなのはを撫でた。

 いつも何処かへ飛んで行ってしまう無鉄砲な小鳥を宥め、労わるように優しく、ユーノはなのはを撫でていた。

 伝えられてきたぬくもりを傍に感じながら、なのははまた静かに目を閉じて身体をユーノに預ける。そうして静かにまた時を過ごした二人は、追って軌道上へ来た二人の少女と共に地上へ降りることになった。

 

 

 

「帰ろう―――皆が、待ってる」

「……うん……っ!」

 

 

 

 長い長い夜の果てに、様々な傷を伴って、同じようにある少年少女の心を少しだけ近づけながら、事件は終わりを迎えた。

 

 ───そしてまた、新しい朝がやって来る。

 

 守り抜いた世界で、守り通した大切なものと共に……新しい朝から、またその先の未来へと繋がっていく。

 

 

 




どうも、予告の時間を半日程度オーバーしてしまいました駄作者です。
 
 遅れてはしまったものの……ついに、ここまで来ました。
 思えば去年の九月ごろ、Refのコミックス発売と同じくらいに始めた本シリーズですが、オリジナル√を経て、映画本編沿いの話もいよいよラストへと至ることが出来ました。
 尤もまだエピローグも残っていますし、いくつか補完すべき部分もありますのでこの先も全力で行けるように頑張っていきます。

 と、前置きはこの辺にして、本編の方に少し触れていきます。

 今回の話は、とにかく以前から言っていたとおり、『ユーノくんがなのはちゃんを迎えに行く』という事を前面に押し出した作りになっていますが、前半の部分に比べると後半はユーノくんの心情はあまり表立って描写してはいません。この辺は後述しますので、とりあえず順を追って触れて行こうと思います。

 所長の取引については、映画に比べかなり改変・妄想・捏造が入り混じっています。一応外れ過ぎてはいないつもりですが、かなり趣味が入った造りになってしまいました。
 以前もあとがきに載せましたが、映画そのままを文章化しても迫力が薄いというご指摘をいただいたことが在るので、今回は特にその辺りを意識して作り込んだ話になっており、ここがその起点な感じですね。

 前回、『なのは』という少女に対し妙な恐怖を感じていた所長ですが、今回は次へ繋ぐ気まんまんなので大分言葉遊びを楽しんでいる感が出てます。あと、何というか所長の性格だとユーノくん気に入りそうな気がして、言葉遊びの相手役にしてみました。
 映画の流れだと『五分あげよう』という台詞は非常に判り易いんですが、小説にすると、いくら何でも軌道上まで短くないか? と思ってしまう部分があるので、その辺りを映画の流れに深く踏み込んで説明したかった目的もあります。
 結界により外と通信できないため、打ち上げをギリギリまで隠して追いつけもしない指令を飛ばして五分、という時間を示した所長。しかしロケットをアミタが撃ち落した時点で指示は届かないわけですから、後は衛生砲自体に自動発射のリミットが掛けられているかどうかによるという感じでアミタとなのはの別れに繋がる感じにしてみました。

 あとはアミタのザッパーを託すシーン。時折、『直ぐにお返しします』って言っときながら壊しちゃってるじゃん、というツッコミを目にするので、それに対する自分の考えをここでは文章にしてみました。
 まあ、戦いの中で託した武装が破損するのは仕方ないというか、ロボ系だとよくある別れの展開なのですが……ここでは、あの状況でなのはを一人で行かせることに対するアミタの危惧からの行動だったという事にしました。
 まるで弾丸みたいにどっかに飛んでっちゃいそう、というのはアリサちゃんの弁でしたが、今回の映画で『キリエとフェイト』が対比されていたように、『アミタとなのは』も相似点がありました。なので、その辺りから無茶をしても良い、せめて帰って来られるようにという『祈り』みたいなものとして扱うことに。
 ちなみに、軌道上へ向かう部分の表現は、多分わかる人は解るオマージュです。見覚えがある人は、鋼の風を越えてと言えば何となく察しが付くかもですね(笑)

 そしていよいよ、衛星砲護衛機との対決のシーンへ。
 ここが特に困った部分で、どういう『戦い』にすべきなのか試行錯誤の末、あんな感じになりました。
 とにかく限界も際限も越えて『戦う』ことに向き合って、ただひたすらに必死に『戦う』シーンという感じに……なっていると良いんですが、いかがだったでしょう? あと、そこに関連して最後の自爆シーンも少しはモノになっていると良いんですが……どうですかね?

 と、ちょっとは不安が残りますが、ここからが今回の主軸でもある『夢』のパートにも触れていきます。
 此処については非常にシンプルで、『歪み』をひたすらに掘り下げて言った感じです。映画のシーンやメガマガの都築先生のインタビューにあった『高町なのは』という少女の本質と、長谷川先生の1stのコミックにあった部分を参考にして書き上げました。あと少し、『√なのは』の文も入れてあって、少しだけあの辺りとの兼ね合いも匂わせたりもしました……。

 そして、最後の目覚めるシーン。
 ここについてはもうイメージはあっても文にできず、四苦八苦の後にもう自分の中のイメージをキャンバスに塗りたくる様なつもりで書いた感じです。正直台詞なしでも……と考えた部分はありましたが、それだとちょっと表現の不足が否めないので、結果この形に。

 映画とは違い、一対一での場面という事もあり映画よりも結構なのはちゃん大泣きした感じになりました。ちょっとこの辺はリリちゃ箱のラストを参考にして、原作のクロノくんと違ってユーノくんは『別れずにずっと傍にいる存在』という側面と、一期にあった『お礼』や『色々片付いたから一杯お話ししようね』と言った部分を強調して、こんな感じに。あと、『ワガママ』も少し。

 後はもうぶっちゃけ雰囲気です。この二人なら寧ろ語らずともしっぽりしてしまうというかニュータイプばりに通じ合っちゃうよという感じで最後は暈した感じにしました。
 ……しかし多分裏では、追ってやってきたはやてちゃんに仲良しなとこ揶揄われたりしてたんじゃないかなぁ、とは思いますね。何せ軌道上でずっと一緒にいたわけですからねぇ……フェイトちゃんとか、ちょっと赤くなってそう。

 で、その後なのはちゃんが入院したタイミングで、アリサちゃんからの『お願い』を受けてたことが露見して、『√なのは』でもあったみたいに、ちょっと拗ねるなのはちゃんが見れるかも(笑)
 まあ、そもそも「大丈夫、直ぐに片付けるから」と言った手前、無茶しすぎたあたりをアリすずの二人には見られるのもバツが悪いでしょうし、「でも、ぇと、…………ぅぅ」みたいな天手古舞なかわいいとこみれるかもですね。

 こんな感じで、今回の話は幕を引きとなります。
 いくつか挿絵を使用してみたりして、少しは雰囲気を出せていたらいいなと思います。

 物語はまだ続いていくので、次回以降も是非お読みいただけると嬉しいです。
 もし面白かったら感想など頂けると、とても励みになります。その他のご意見などもいただければなおのこと幸いでございます。
 ではまた、次回もお会い出来るように祈りつつ、今回はここで筆を置かせていただきます。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

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