―――――『
人知を遥かに超えたそれはゆっくりとその世界を侵食し、壊し、狂わせ、飲み込んでいく。
苦しみを断ち切るために死を選ぶ者、現実を受け止めきれずに妄想へ逃げる者、もはや何の選択も選ぶことができずに思考を凍り付かせる者―――『混沌』に覆われたこの世界から逃れる為に、人々はみな次々に正気を失って行った。もはやこの世界で生き残っている生命体は数える程だろう。
「伯父様……! 何処に居るの……!?」
小さな街は炎に包まれ、肌をひりひりと焼き付ける熱気に襲われながら少女は走っていた。燃え盛る街道を抜け大広間に出てみるも、共に時空を旅した伯父の姿は何処にも見当たらず、叫び声をあげてみるものの帰ってくるのは正気を失った人間の狂った笑い声だけだった。
伯父が『混沌』に飲み込まれたとは思えないが、姿が見えない以上必ずしも無事だとは限らない。何せ相手は外なる神々、人知を超えし冒涜的存在。そこに絶対大丈夫などという甘い理想は無く、あるのは無残な現実だけだ。
少女は湧き上がる焦燥感や不安感をぐっと堪えて再び走り始める。大広間を抜け、商業通りを走り続け、遂に街外れの小さな教会までたどり着いてしまった。
ぜぇぜぇと肩で苦しそうに呼吸をしながら空を見上げれば、まるで初めから何も無かったかのように虚空が広がっていた。緩やかに、しかし確実に世界は終わりを告げている。
「もうこれ以上はダメね。 もしかしたら伯父様ももう脱出しているのかも。 私もはやくこの世界から離れなくちゃ……! でも………」
これ以上この世界に留まる事は消滅を意味するに等しく、すぐにでも『門』を開きこの世界から離脱しなければならない。
しかし少女は未だ修行の身。たった一人で世界を移動するための『門』を開くためのコツをまだ完全に掴んでいるとは言い難かった。
「ギィィィ!!!」
「っ…!!」
少女は上空から
扉を勢いよく閉めると、その巨体を何度も打ち付け始めた。
「はぁ、はぁ……」
恐怖と焦燥感に押しつぶされそうになりながらも呼吸を繰り返し、周囲をぐるりと見渡す。
教会の中には当然誰一人居らず、外の喧騒から切り離されたこの空間は外の怪物が体当たりを止めると、一気に静まり返った。
「……前に私が門を自分で開いたのもこんな場所だったかしら」
あの時の事を思い出して少女は苦笑いを浮かべる。神をその身に宿し、
「……お願い、どこでもいい、今だけでいい、狂った奇跡でいい! 大好きなあの人たちや大切な親友にまた巡り合えるまで、私は消えるわけにはいかない……!」
少女は両目を瞑り、両手を合わせて祈りを捧げるようにして魔力を込める。これまで努力をしてきた事を全て無駄にしないために、そして叶えたい夢をかなえるために、どうか、どうか―――
「―――開いた!」
ゆっくりと瞼を開けてみれば、そこには確かに『門』が開いていた。
それは少女の力で生み出した『門』とは全く違う性質のものであるのだが、門の中からは希望の光が漏れ出し――冷静に考えればそれはおかしいが――新たな世界への旅立ちを祝福しているかのように見えた。
「ギィィ!!」
「っ!」
ガンと再び外から激しい突進の音が聞こえる。 堅牢に見えた扉はミシミシと音を立て、今にも壊れてしまいそうだ。
――もう時間がない。
少女はその光へとゆっくりと手を伸ばし、一歩前に出る。急激に門の内側に吸い込まれるような感覚に襲われ、此処でようやく『門』の異常に気付いたが、既に遅い。
全力で足に力を入れて踏ん張ったものの、恐るべき引力で門の中へ引っ張り込まれてしまった。
「きゃあああああああああああああ!!?」
暫くの間じたばたと無我夢中に暴れまわっていたが、暫くして『門』の中で眩い光に目をくらましながら少女の意識はゆっくりと沈んでいった。
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此処トリステイン魔法学院は長い歴史をもつメイジ育成学校である。
様々な優秀なメイジを送り出している由緒正しきこの魔法学校では今現在、2年生による『使い魔召喚の儀』が行われおり、既に召喚されている契約された使い魔たちと生徒たちが広間の中央を囲むように集まっていた。
というのも、順調に進められていたはずの使い魔召喚の儀式が未だ終わらずにいたからである。
どかん!
と再び激しい爆発音が鳴り、そのせいで舞った土煙が風に乗り周囲の生徒たちは何度かむせ返ると、流石に勘弁してくれと言ったような苛立たしい表情で中央に居る生徒を睨みつけた。
「おいゼロのルイズ!! いい加減にしろよ!!」
「あいつ、本当に貴族なのか?」
「先生!もう流石に止めさせてくださいよ!!」
「っ……」
罵詈雑言を浴びせられた、ゼロのルイズと呼ばれた少女は悔しそうに下唇を噛む。しかしそんなもの構うものかといったようにぶんぶんと首を振り、再び召喚魔法を唱えるために杖を構えた。
「ミス・ヴァリエール」
ルイズは自分を呼ぶ声に振り返ると、使い魔召喚の儀を監督していた教師、ジャン・コルベールが神妙な面持ちで側に立っていた。
「時間も押してきていますし、貴女もだいぶ消耗しているでしょう。続きは明日にしましょう」
「っ、あと一回、あと一回だけ召喚させて下さい!」
悲鳴のような叫び声をあげて、ルイズはコルベールに頭を下げて頼んだ。召喚の儀は教わった通りに完璧にやっている筈、それなのに何度やっても爆発しか起こらず、使い魔は召喚できていない。もしかしたら自分はこのまま使い魔を召喚する事ができず、進級することもできずに、一生ゼロのルイズと馬鹿にされたまま生きて行かねばならないのか。そんな恐怖からルイズは、今日諦めて明日に回すという事を拒んだ。何より、このままできませんでしたと終わる事をルイズのプライドが許さなかった。
「……わかりました。あと一回だけですよ。これでダメだったら明日に回しますからね」
「ありがとうございます!!」
コルベールはルイズの内情を察してか後一回の召喚魔法の許可を出した。あと一回だけというのは、もちろん本当に時間が押していたからという事もあるが、ルイズがこれ以上失敗をし続けた時の心のダメージは相当なものになるだろうし、何より魔法を使うための精神力に限界がきて倒れてしまうのではないかという懸念からである。
ルイズはしっかりと杖を握り直すと一度だけ大きな深呼吸をした。後一回だけ、そう思うと今まで以上に緊張してしまうが、周囲の雑音が耳に入らないほど集中できるのはある意味良いコンディションだと言えるかもしれない。
(……もう失敗は出来ない。 お願い、どこにいるかもわからない私の使い魔。 どんな姿でもいい、今だけでいい、一瞬の奇跡でいい! 今だけ私の前に現れて。 こんな所で私は終わるわけにはいかないのよ……!!)
「五つの力を司るペンタゴン…我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ!」
ルイズは慟哭にも似た叫びを上げ、手に持った杖を一気に振り下ろす。
――刹那。
今までの比では無い爆発が起こり、当然爆心地付近にいたルイズは吹き飛ばされる。二回三回転がって制服を土まみれにした所でようやく何が起こったのかを理解し、絶望した。
「ミス・ヴァリエール!!」
「ルイズ!!」
(ああ、また失敗したんだ)
コルベールと、今まで静観を決めていたキュルケは声を張り上げる。
ルイズは身体の痛みと精神力切れで頭を上げることすら難しくなり、身体を起こすことなく静かに啜り泣きを始めた。
「ルイズ! ちゃんと見なさい!! あなた、何か召喚したわよ!!」
「え……?」
キュルケの叫び声に顔を上げてみれば、砂埃の中には確かに
「お、女の子……?」
身長はルイズと同じ153サントかそれより少し小さいぐらいに見える。(帽子を被っていたので一瞬自分より高いとルイズは思っていたが)
金髪碧眼、とても幼い顔つきで、その身に纏っている衣服は見たことの無い。どこか上品な雰囲気を持っていた為に、まさか貴族の娘でも召喚してしまったのかという思考が一瞬頭をよぎったが、それよりも髪や頰には煤が付着しており、服もいくらか破けてしまっている事の方が気になった。
ルイズはなんとか身体に力を入れて立ち上がるとボロボロの少女へと近づいていく。すると呆けていた少女もこちらに気がついて目を合わせた。
「アンタ名前は?」
「……名前? 私の……?」
「そうよ」
肯定してみせると少女は僅かに俯いて暫く考え込んだ後、
「……私は、アビー。 アビゲイル・ウィリアムズ、よ」
小さくそう答えた後、少女のその身体はぐらりと揺れて、青々とした芝生の上へと倒れ込んでしまった。
「ちょっと!大丈夫?!」
「っ……その子を保健室へ! さあいつまでぼうっとしてるのです!他の生徒達は寮へ戻りなさい!」
コルベールが怒号を発すると、未だ戸惑いの隠せない生徒たちを寮へと帰るように促す。ルイズは指示通りにアビゲイルと名乗った自分の使い魔を運ぼうとするが、力の抜けた人間の重さが想像以上にあるためになかなか運び出せずにいた。それでもどうにかして運ぼうと四苦八苦しているとアビゲイルの身体がふわりと浮き上がる。
「手伝う」
「え……あ、ありがとう」
協力を名乗り出たのはたしか――キュルケと友人関係にある青髪の少女。名をタバサと言ったか。ルイズが使うことのできない《レビテーション》を使い、そのまま移動を始めた。ルイズは自分の無力さと、タバサへの感謝で若干複雑な気持ちのままその後ろを付いて行った。