虚無と銀の鍵   作:ぐんそ

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11:虚空の奥

 ―――いあ いあ

 ―――いぐああ いいがい がい

 

 

 

 これはかつての記憶だろうか。

 

 

 

 ―――んがい ん・やあ しょごぐ ふたぐん

 ―――いあ いあ い・はあ

 

 

 

 これは誰かの声だろうか。

 

 

 

 

 頭の中で繰り返される()()()()()()()()は、胸をざわつかせる様な恐怖を孕んでいた。

 しかしそれでいて、どんな言葉よりも耳に馴染み、自分の身体へと染み込んでいくような―――

 

 「いあ……いあ……」

 

 口遊めば、その心に宿るのは空虚だ。

 しかし、その度に身体が満たされていく。

 

 身体の痛みはもう感じない。

 辛いという感情はとうに無く、むしろ父に抱かれているかのような安らぎを感じていた。

 

 

 

 我は禁断の秘鑰。

 虚無へと繋ぐ銀の鍵。

 

 ああ、ならばこの身の使命たるは、我が父なる神の眠る窮極の門へと至ることなり。

 そして全ての人類に――をもたらさん。

 

==========================

 

 ヴェストリの広場は再び静寂に包まれていた。

 

 突如として虚空(鍵穴)から現れた、名状しがたい嫌悪感を放つ触手がワルキューレを一撃で粉砕し、そのままギーシュを薙ぎ払った。

 

 たったそれだけ。

 この決闘を締めくくるにはあまりにも呆気ない幕切れだ。

 しかし、たったそれだけがどれだけ異常なものであるか、この場に居る人間は皆、理解する事ができずに呆然としていた。

 

 否――理解する事が出来なかったのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 なんだあれは。 化け物か。

 戦いが終わってみれば勝利への賞賛、驚愕の声などどこにもなく、ただ生徒たちは身体を震わせる。

 先ほどまで幾度となく野次を飛ばしていた男子生徒など、尻もちをついて悪臭を垂れ流しにする無様な姿を晒す始末だ。

 しかしそんな姿を誰も気にも留める気配がない。

 ただただ、この決闘の場の中心に佇む少女から目を離すことができずに居たからだ。

 

 やがて触手はぽっかりと開かれた虚空(鍵穴)へと戻っていく。

 この場に残されたのは芝生に転がったまま動かなくなったギーシュと、恍惚とし、それでいてどこか虚ろな目をしたアビゲイルのみだ。

 

 それからしばらくしても、誰も動き出すことができずに居た。

 ルイズ達もアビゲイルのその様子に違和感を覚え、戸惑いを隠せないでいる。

 

 さらさらと風に靡く金糸の髪。

 幼く、あどけなさを残した顔。

 その何もかもがアビゲイルのものであるはずなのに、どうしても何かが違う、そう思ってしまうのだ。

 

「ア……アビー?」

「まって」

 

 ルイズは痺れを切らしてアビゲイルを呼び、一歩前へ踏み出す。 しかしタバサが杖をルイズの前に出しそれを制止する。

 

「今の彼女は危険。 ……かもしれない」

「かもしれないってどういう事よ」

「……分からない。 だけど、刺激は禁物」

 

 タバサの胸中は嫌な予感で埋め尽くされていた。 数々の危険を自らの手で掻い潜ってきた経験からか、それともアビゲイルの浮かべているあの虚なる目の所為か。

 いずれにせよ不用意に近づけば――その先に待っているのはギーシュと全く同じ結果だろうと確信できる。

 

 かといって何か打つ手が有るかと言われれば、答えは否である。

 彼女を攻撃すればこの場を収める事は出来るだろう。 しかし、それは彼女を傷つけ、唯でさえボロボロになったその体にとどめを刺す事に他ならないからだ。

 彼女はルイズの使い魔であり、キュルケの友人だ。 その為、その選択は最後まで取るべきではない。

 

 歯がゆい思いでタバサはアビゲイルを観察し続ける。

 しかし、この膠着状態は直ぐに途絶える事となった。

 

 アビゲイルがゆらり、と緩慢な動きで周囲を見渡し始めたのだ。

 獲物を狙うような、品定めするような目線ではない。 ただ虚ろに、その瞳に景色を写しているだけ。

 たったそれだけの動きで、周囲の生徒達の間に緊張が走る。

 

 恐ろしい。

 

 たったそれだけのシンプルな恐怖が、この場を支配して身体の動きを縛り付けていた。

 

「アビー」

 

 じっとりと頬を伝う汗を拭い、竦む足を強引に動かしてルイズは前に出た。

 名前を読んでもやはり返事が無かったが、その目線はルイズの方へと向けられる。

 

「ちょっとルイズ……!」

「……アビーは危険なんかじゃないわ」

「それは……」

 

 ルイズは睨みつけるようにキュルケを睨む。

 キュルケは息を飲み、口を噤んだ。 

 今どう動くべきか、その正解が誰も分からない以上、ルイズの行動を諫める気にはなれなかった。

 それにタバサはああ言ったがキュルケ自身、彼女が危険だという言葉に対してあまり信じたくないという気持ちもあった。

 無垢な笑顔を浮かべる、優しい心を持った少女―――それはキュルケ自身が彼女と接した結果、疑いようのない事実だったのだから。

 

 生徒達はルイズがアビゲイルに近付いていく間、いつギーシュの様にあの触手で吹き飛ばされるかとひやひやしていたが、意外にもアビゲイルは何もアクションを起こさずにじっとルイズの姿を瞳に映したまま動くことは無かった。

 

 ルイズはゆっくりと手を伸ばす。

 伸ばした手は払いのけられるという事は無く、先ほどと同じようにアビゲイルの頬に触れると、ゆっくりとその柔らかい肌を撫でた。

 

「アビー……頑張ったわね」

 

 自らの使い魔に恐怖など浮かべない。 浮かべるとしたら、それは我が子を慈しむような慈愛に満ちた表情だけだ。

 

 するとどうだろう。

 アビゲイルの胸元が急に青白い光を発し、それはやがて激しさを増し、周囲からは二人の姿が見えない程の輝きになった。 

 キュルケ達は発生源であるアビゲイルの近くに居たルイズの身を案じ、腕で目を覆いながら「ルイズ!」と叫ぶ。

 

 しかしルイズは何事かと慌てふためくよりも前に、ああ、と納得してしまった。

 理屈は全く分からないままだったが、これはコントラクト・サーヴァントをした時にアビゲイルから魔力が流れてくる時と同じ感覚だったのだ。

 それが今、アビゲイルの頬に触れた手から直接流れ込んでくる。 まるで貯水槽が決壊したように激しく―――それでいてどろりとした暗い魔力だ。

 

「……あ、れ?」

 

 虚ろな目をしていたアビゲイルはその瞳に輝きを取り戻す。 まるでついさっきまで意識を失っていたかのようにはっと息をのみ、周囲を見渡していた。

 その姿はルイズの知るアビゲイルそのものであり、良かった…と心の中で安堵の息を吐いた。 それから主人として、使い魔の無茶を叱る必要があると考え、唇を尖らせる。

 

「……全く、今日一日だけでどれだけ心臓が止まると思ったか……」

「……ごめんなさい……ルイズ……私………、………」

「!?」

 

 アビゲイルは細い声で謝ったかと思えば、急に意識を失い倒れ込む。

 咄嗟にルイズが支えようと踏ん張ったが、流石に体格が同じ二人。 ルイズもアビゲイルの下敷きになるように倒れ込んだ。

 

「ミス・ヴァリエール! アビーさん! 大丈夫ですか!」

「え、ええ……私は大丈夫。 アビーも多分疲れて眠っているだけだと思うわ」

「そうですか……それでしたら、早く医務室へ運んであげた方が良いかもしれませんね」

 

 意外にもシエスタが他の人たちよりも早く行動を再開し、提案をする。

 ルイズは「ええ、そうね」と同意し、一度アビゲイルをシエスタに持ち上げてもらった後におんぶする形で運ぶことにした。 

 モンモランシーもアビゲイルが心配だと言い、歩き出したルイズとシエスタに付いていくような形で数歩歩くとくるりと振り返り、

 

「……あとあのバカも医務室に運ばないとね」

「まぁあそこに放置しておく訳にもいかないものねぇ。 タバサ、お願いできる?」

「………」

 

 タバサは面倒くさそうに溜息を吐くとギーシュの身体をふわりと浮かせる。 それからぽっきりとへし折れた杖を回収すると医務室の方へと歩き出した。

 

 この場に残されて生徒たちは暫くの間動けずにいたが、ルイズ達の姿が見えなくなってからようやく動き出し、のろのろと自分たちの寮へと戻っていった。

 

 

==========================

 

 時を同じくして、トリステイン魔法学院の主塔にある学院長室。 そこには一人の老人―――オールド・オスマンが荒く肩で息をし、積み重ねられた書類をまき散らしながら机に突っ伏していた。

 目は血走り、額からは冷や汗をだらだらと流している。 その様子は普段のオールド・オスマンの温厚で、それでいて助平な表情を知っている者であればまず間違いなく驚いてしまうほどに険しく、また懊悩の色がべっとりとこびりついていた。

 

「ハァ、ハァ……ハァ……」

「オールド・オスマン。 大丈夫ですか?」

「あ、ああ……なんとかな。 じゃが本当に危なかった。 あれ以上深く覗いていたら……」

 

 ぶる、と全身が震える。 先ほどの光景を思い出し、急激に上がって来た胃液を口を抑えることで何とか堪えた。

 

 実はオールド・オスマンはこの学院長室で先ほどの戦いを頭から見物していた。

 というのも、一番初めに決闘が行われるという情報をいち早く入手したコルベールが、オールド・オスマンに≪眠りの鐘≫の使用許可を願い出るためにこの学院長室へと駆け込んだのだ。

 しかし、結果として≪眠りの鐘≫の許可は下りず、こうして≪遠見の鏡≫で見物をする事となったのだが―――

  

 

「……何が見えたのですか? あの虚空(鍵穴)の奥に」

 

 コルベールはオールド・オスマンに問う。

 オールド・オスマンは決闘の最後に突如として現れた一つの虚空(鍵穴)をよく観察しようとし、≪遠見の鏡≫で虚空(鍵穴)へと焦点を当てて()()()()()()

 

 

 

 虚空《鍵穴》の奥にはきらきらとした光が揺れている。

 それは今まで生きてきた中で、最も美しい星々の輝きだ。

 思わず魅入ってしまう程の輝きは無数の光、大きさとなって現れては消えていく。

 

 これは『宇宙』というものだろうか。

 

 気が付けば自分は真っ白な空の中で()()()()()()広がる宇宙を見下ろしていた。

 

 しかし自分は驚く事もせず、ただそれが当たり前だと言うように星々の輝きを見つめていた。

 

 いつまでも、いつまでも―――その星々が自分の事を見つめていると気づくまでは。

 

 

 

 刹那、目をカッと見開いたオールド・オスマンが突然叫びだしたかと思えばそのまま椅子からひっくり返り、暫くの間正常な呼吸が難しい程に呼吸が乱れ、床に突き立てた爪がバキバキとわれ砕ける痛みにすら気付かないを程に手に力を入れて痙攣し始めたのだ。

 コルベールはそのあまりの凄惨な状態に慌ててオールド・オスマンの意識を確かめ―――そして現在に至るという訳だ。

 

 オールド・オスマンはコルベールの問いかけに対して暫く返事を返さなかったが、やがて肘をつき、両手の上に顎を載せる。 それから重々しい口調でゆっくりと話し出した。

 

「率直に言えば、わからん」

「分からない……?」

「儂にはあれを理解する事はできん。 アレを理解できるものは……とうに狂っておるものだけじゃろう」

「……」

 

 コルベールにはオールド・オスマンが何を言っているのかさっぱり理解する事が出来なかった。しかしオールド・オスマンはコルベールの様子を気に留める事無く、深く眉間に皺を刻んだまま呟いた。

 

「……『無数の貌を持つ神の代行者現る時、世界に狂気と混沌をもたらすだろう』……」

「は…?」

「……コルベール君。 彼女は儂ら人類の敵になるやもしれん。 くれぐれも警戒を怠らぬように頼むぞ」

「………、………分かりました」

 

 重々しい空気の中、コルベールは頷く。

 全ては生徒たちの安全の為――まずは彼女が目を覚ましたら、接触を図らなければならないと思った。




オールド・オスマン「そうかわかったぞ」ヒラメキアナグラム
オスマン、アイデアを失敗。


そしてギーシュ戦、前話の一行で終わっちゃった……おかしいこんなはずでは
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