あれから少し離れた場所へ移動し、タバサはアビゲイルにあの場で何があったのかを聞いた。 流血沙汰になってしまったが、相手は先に明確な殺意を持って襲いかかってきたのだ。 片腕で済んだのならむしろ慈悲があったと言える。 憲兵に突き出せば後のことは勝手にやってくれるだろう。
《ヒーリング》で簡単な止血を施されたウォルターはぱちりと目をあけ、意識を取り戻す。 それから腕の痛みを再び思い出し、ぐうう、と呻き声を上げる。
「いあ……いあ……くとぅるふ・ふたぐん……にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ………何故だ……俺は神に選ばれたんじゃ無いのか…… なあ……」
「……!」
その声は弱々しく、神に縋るように言葉を繰り返す。
治療を施したため、死ぬことはない。
だかその表情は死よりも深い絶望を宿していた。
アビゲイルとタバサはハッと驚いた表情を浮かべる。
二人は全く異なる場所で、似たような言葉を聞いた覚えがあったのだ。
アビゲイルの場合はギーシュとの決闘の最終局面。 頭に響いた言葉だ。
その言葉を口にする度に心に虚空が宿り、身体が満たされていく感覚に襲われた。その感覚は暖かくも、冷たくもない。 しかし父の腕の中で眠りに着く赤子になったような
タバサの場合は約3年ほど前―――家族か崩壊した時か。
あれは確か叔父の連れてきた女だ。 紫陽花のように淡い紫色の髪をした女がそのような事を言っていたような気がする。
当時、意味が分からずに首を傾げていた自分に対してニッコリと笑みを浮かべ、こうも言っていた。
『ニャルラトホテプを崇めよ』と。
「っ! その言葉……何処できいたの」
「……? なんだ、お前は……」
「いいから私の質問に答えて。 誰にきいたの」
「……教えてもらったんだよ……黒い恰好をした神父に……」
タバサは記憶と食い違い、怪訝そうな表情を浮かべる。
「神父? ……女じゃないの?」
「見間違えるわけない……あれは男だ。 あの男は、言ったんだ……『君は神に選ばれた。 我が神の眠りに君の祈りが届けば、君はこの
「……良く分からない。他には何か聞いたの?」
「何もない……そこのナイフだって、その男から渡されて使い方を教えてもらっただけだ……」
ウォルターは一度言葉を区切り、もしや、と言った様子で逆に問いかけてくる。
「おまえは……しっているのか……?」
「……知らない。 私は、何も知らない」
タバサは悔しそうに眉を潜め、下唇を噛む。
この男の言う神父が指し示す神と、あの紫陽花の髪色をした女の言う神。
この男の口ずさんだ言葉と、アビゲイルが決闘の時に口ずさんだ言葉。
それらの情報は余りにも断片的過ぎて、うまく繋ぎ合わせることができない。
強引につなぎ合わせるとしたら―――そう、アビゲイルの持つ未知の力がその未知の神の力だ、という予想だろうか。
もしその予想を立てるのならば、彼女の記憶喪失が嘘だと疑い、アビゲイルをここで問い詰めて真実を吐かせるのも良いだろう。
だか、男の潰れた腕を呆然と見ながら、今にも罪悪感で押し潰されてしまいそうな彼女の表情を見てそんな事をする気にはなれなかった。
タバサはこの一瞬でどっと疲労した気分になり、ため息を吐く。
それからアビゲイルを連れて憲兵を呼んでくることにした。
今ここで考えても、良い結論が出そうにない。
タバサは杖を動かし、男の服を地面に凍り付かせる事で身動きを封じる。
それから地面に転がっているナイフを拾い上げると歩き出した。
「行こう」
「え……?」
「憲兵にこの人を突き出す」
「……そうね」
呆然としていたアビゲイルだが、タバサに声を掛けられて戸惑ったような表情を浮かべて返事をした。
それから間もなくして、二人は憲兵を見つけ出す。
事情を説明してから再び戻ると、触手は消えていた。
ほっと二人は胸を撫で下ろした後、あのウォルターという男については任せることにした。
「……」
「……」
タバサは再び裏通りを歩き出し、アビゲイルは道が分からないためそれを追いかけるように後ろにくっ付いて歩く。
その間二人には全く会話が無く、唯ひたすらに気まずい沈黙が続く時間だけが続いた。
しかしそれを先に破ったのはアビゲイルの方だった。
「……あ、あの、タバサさん」
「……何?」
「その……さっきはありがとう。 もしあのままだったら、私……」
アビゲイルは言い澱み、スカートの裾を手の平で握りしめる。
タバサは『殺していたかもしれない』と言うアビゲイルの言葉を待たずして再び前に向き直り、歩き続けた。
「その力は危険」
「……ええ」
「だから、何か他に武器があった方が良いかもしれない」
「ぶ、武器……?」
「そう。 あなたは見た目が弱い。 だけど内側にはメイジよりも強力な力を秘めている。 制御できないのなら、また今日みたいな事が起きるかも知れない」
「見た目が弱いだなんて初めて言われたわ……でも、確かにそうかも……」
ちらり、とタバサの方をみる。
タバサは自分よりも身長が低く、それでいて華奢だ。
それなのに自分よりも頼り甲斐があり、強そうに見えるのは――おそらくあの大きな杖の所為だろう。
見た目が弱い、はなんだか釈然としない気持ちではあったが、確かに一理あると思えてしまった。
そんな事を考えているうちにタバサ達は曲がり角を曲がって人通りの多い場所へと出た。
「武器を売っているのはこっち」
「今から行くの? 私お金持ってないし、ルイズだって武器を買う予算なんて持ってないかも……っていうか、あったとしても買ってくれるかしら」
「……でも、早めになんとかした方が良い」
これはアビゲイルの為――と言うよりは周りの人間の為だ。
再びあのような事があれば、先ず人が死ぬ。
正当防衛だとはいえ、街中であのような怪物を召喚して暴れさせれば、憲兵はどっちが悪いと言うかは明白だろう。
続いての責任は、使い魔の主人であるルイズへと波及する。
おそらくルイズの性格からして、アビゲイルを守る為に必死の擁護を続けはするものの、上手く事態を収める事ができるようには見えない。
アビゲイルは重要な
もし王都の牢獄に幽閉されるような事があれば、家族を崩壊させたあの事件についての間接的手掛かりさえなくなってしまう。
暫くは彼女の傍で、彼女の持つ力について調べなければならない。
情によるお節介と言うわけではなく、打算的な考えを持ったまま、タバサは自分の持ち金を確認する。
……流石に武器を買うほどのお金は持ってきていない。
武具というのは非常に高いものだ。
タバサは「仕方がない」と言ってお金の入った袋を再びマントへと収納する。
「……お金を稼ぐ」
「え……? 日雇いとかで賃金を稼ぐって事?」
「ついてきて」
困惑するアビゲイルをよそに、タバサは答えないまま早歩きで再び裏通りの方へと戻り始めた。 何度か道を曲がると、一角に地下へと降りる階段が見えてきた。
『バー・エスポワール』
「バー……?! お酒屋さんじゃない! ダメよ、未成年がこんなところ……!」
「この奥に用がある」
「どう言う事……?」
「見せた方が早い」
そういうと階段を降りて奥へ進んで行く。
アビゲイルは「まってよぉ!」と情けない声を上げてからタバサを追いかけた。
中に入ると見えてくるのは綺麗に掃除の行き届いたいたって普通のバーといった感じの光景だ。
昼だというのに、酒を飲む大人達がちらほら見え、その間を縫うように更に奥へと進んでいく。
「な、なにやってるの……?」
たどり着くとそこでは大人の男達が1つのテーブルを囲っていた。
中央からはカランカランと何かが転がり、硬いものにぶつかる音が聞こえる。
「チンチロリン」
「チン……何?」
疑問符を浮かべるアビゲイルに、タバサは説明してあげる事にした。
―――チンチロリンとは、サイコロ3つと受け皿さえあれば出来る簡単なギャンブルであり、ルールも単純。 親が何人かの子と賽の目によって決められた強さを競い合うというシンプルな内容となっている。勿論場所によってルールは増えたり減ったりするのだが、ここでも多少違うようだ。
掛け金の張り方としては、子が張りそれを親が受ける、という感じだ。
勿論親をパスするする事も出来るが、親を受ける場合にはどんなに勝っても2回までとされ、1回目に親が1の目・目無し・123・ションベンを出したらそこで親は終了。それ以外は必ず2回目の親をする。
最初に親が賽を振り、その後に子が順番に振っていくのだが、親の目に関係なく子も振ることが出来るようになっている。
「まって、つまりギャンブルってこと? タバサさん、まさかギャンブルでお金を増やすつもりなの!?」
アビゲイルが驚愕の声を上げると、チンチロリンに集中していた怖い大人の男達がじろりと此方をみてくる。
アビゲイルは「ひぃ.……ご、ごめんなさい」と上ずった声を上げてから声のボリュームを落として会話を続けた。
「ダメよギャンブルなんて……失敗したらお金がなくなっちゃう」
「心配ない」
タバサはそれだけ言うと顔の怖い大人達の中に混ざっていく。
「子供がこんなとこ来てもいいのか?」などと冷やかしとこそ受けたいたが、金を持って席に着くものは皆勝負師。
拒否する事もなく、すんなりと受け入れられてしまった。
なにが大丈夫なのか、その自信は一体何処から湧いてくるのか―――とここでアビゲイルはハッとする。
タバサは風系統のメイジだとキュルケが言っていたのを思い出した。
先ほどの氷の魔法は氷系統と言うわけではなく、水系統と風系統のライン、もしくはトライアングルだと言う事だ。
……つまり、タバサはサイコロに風を送ってイカサマするつもりではないか?
アビゲイルはそれに気づいた瞬間、あわわと口に手を当てる。
(ダメよイカサマなんて悪いこと……! ああでも、お金も必要だし……、……ま、魔法だって実力のうちって事でいい、のかも? そうよ、一回勝つぐらいなら……神様もお許しになるわ……たぶん……!)
イケナイ事だとわかっていても、どうしてもお金は欲しい。
ううう、と頭の中で天使と悪魔が戦っているが、7対3――8対2で悪魔の優勢だった。
「よーし、始めるぞ。 その前に嬢ちゃん、一応杖は連れの嬢ちゃんに預けてくれるかい? 貴族様の大事なものを手放せさせるのは悪いが一応イカサマ防止の決まりごとなんでな」
「知っている」
タバサはコクリと頷くと「持っていて」とアビゲイルに杖を渡した。
「えっ? えっ、ええ……え???」
アビゲイルは自分の手に握られた杖をみて信じられない物を見る目でガクガクと震えだした。
『持っていて』って、そんな。
まさか。
まさか……
自分のお金ではないとはいえ、目の前でお金が散って行くと言うのは中々に辛いものがある。アビゲイルは急激に気分が悪くなり、動悸が激しくなると同時にじわじわと冷や汗が滲み出てくる。
一方のタバサは冷静――というよりは無表情を崩さない。
「さあ張った張った! 今日の俺はツいてる。 どんだけ賭けてもらっても構わねぇぜ」
へっへと大胆な事を言って笑うのは中々に華美な装いをした太った男性だ。
片手に握られている袋は勝負に勝って巻き上げた金と、もともと持ってきたのであろう金で丸々と肥えていた。
タバサはその肥えた袋を見て目を細め、少しだけ口元を緩ませる。
「どれだけ賭けてもいい……嘘ではない?」
「ま、勝てる自信があるなら、だけどな!! 無茶しろってんじゃないぜ? お嬢ちゃんのお小遣い全部なくなっちゃ可哀想だからな!」
「そう……なら私は20
タバサはマントのポケットから手持ちの袋を取り出したかと思えば、どん、とその全てをテーブルの上に置いた。
流石にそれは予想していなかったのか、男や周りの客たちもざわ・・・ざわ・・・と響めきだす。
当然だろう。 トリステインの一人当たりの年間生活費が120
「ああああああああ!!!? た、たば、タバサさん!!?? 大丈夫!?」
「任せて」
「違う!! 『タバサさん勝てる?』って意味じゃなくて、正気なのって意味よぉ!!」
「全然正気」
「そ、そんな『全然平気』みたいに言われても……!」
アビゲイルはもはや冷静ではいられなかった。タバサという少女についてあまり知らなかったが、周囲の口ぶり、そして立ち振る舞いからもっと現実的で賢い選択をする少女だと思っていたからだ。
目の前でお金が溶けていく未来を幻視して、両目からは涙が出て溢れて止まらない。
「お、おい金髪の嬢ちゃん、泣くなよ……オレンジジュース奢ってやるから」
「……だって……うう、あ、ありがとうございます……」
「ったく……本当にいいのか? 青髪の嬢ちゃん」
泣きながらオレンジジュースをちびちびと飲み始めるアビゲイルを横目に、男はタバサに向かって再び確認を取る。
「当然。 ……賭博師ならば、一度賭けたチップは撤回しない」
「……そうか、そこまで言うなら俺は止めない。 賭博師として……その勝負引き受けよう!」
超ハイレートの勝負が成立した事を男は高らかに宣言すると、観客達は普段では殆ど見られない光景にうぉぉぉ!と大いに盛り上がりを見せる。
他の参加者たちは当然静観する事にしたため、実質タバサと男の一対一だ。
親である男はサイコロに念を送る様に集中力を高め、1度目のサイコロを振る。サイコロの行方に男や観客、アビゲイルまでもが器の中を凝視していた。
からんからんと音を立て――そして静止した。
「ろ、ろく……」
「おぉぉぉ! 強いぞ! やっぱり今日はツいてる!」
アビゲイルは意識がトびかけ、床にへたり込む。
男は勝利を確信してガッツポーズを作る。
周囲の観客も更なる歓声によって沸き立つが、タバサは何のリアクションも見せなかった。
「へへへ、悪いな」
「……早くサイコロを貸して」
「おう。 頑張れよ」
既に勝利したつもりでいる男は上機嫌でサイコロをタバサへと手渡す。
タバサは掌でサイコロを少し遊ばせると、流れる様な手つきで器の中へと放り投げた。
カラカラ、カラカラと器の中を転がるサイコロ。
それはやがて力を失い――
赤い点を3つ並ばせた。
ピンゾロピンゾロピンゾロォ! 五 倍 付
女と神父、二人の謎の人物の存在が浮上しました。
一体何者なんだ……
そしてタバサに振り回されるアビー。
どたばたし過ぎて誰かのこと忘れてます