アビゲイルが目を覚ますと、そこには見知らぬ天井が広がっていた。当然辺りを見回してみてもその結果は変わらなかった。
窓から外を見ればようやく日が昇り始めた頃であり、春になったばかりということもあって少しだけ寒い風が頬を撫でた。
アビゲイルは自分の服装を見てみるとこれまた覚えのないネグリジェを着ており、より一層困惑した。桃色の生地の至る所にフリルがあしらわれ、よくみると下着のパンツまでそんな感じに仕上がっている。
(ち、ちょっと派手じゃないかしら、これ…………っていうか)
どうしてこんなところに寝ていたのだろう?
その疑問の声を探る為に前日までの記憶を思い起こそうとして――
「!! アンタやっと起きたのね! 良かった……!!」
いつのまにか扉は開けられており、そこには桃色の髪の少女が立っていた。
安直に桃色と桃色で、もしかしてこの服はこの人が着させてくれたのかしら?と考えたが(まあ正解なのだが)、それよりもこの名も知らない少女がひどく安心した様な声を出した事に対して疑問を浮かべた。
「え、えっと……あの……」
「? どうしたのよ」
「私、どうしてここに……」
「まさか、何も覚えてないの?」
アビゲイルはゆっくりと頷く。ルイズはそう……と呟いてから「
「……よく分からないけど分かったわ。 私はあなたの使い魔なのね」
「そうよ。 平民の使い魔なんて聞いた事も無かったわ……それに異世界?だっけ。 ねえ、もしかして昨日あんなにボロボロだったのって、その異世界で何かあったの?」
「え……」
「全身に火傷もあったし、切り傷とか打撲の痕もいくつかあったわ」
心配そうな声を出すルイズの言葉に、アビゲイルは小さく口を開けて唖然とした。いくら思い出そうとしても、その記憶が全くないのだ。 そして更にその前の記憶を思い出そうとしても全くと言っていいほど思い出す事が出来ない。
――まさか記憶喪失!?
みるみる顔が青ざめていき、小刻みに震え始めると、流石のルイズも異常に気がつき慌て始める。
「ねねぇ本当に大丈夫なの?! 顔色悪いわよ!」
「ご、ごめんなさい……何も、なにひとつ思い出せなくって……私……」
「記憶喪失ってこと……?」
「……そう、みたい。 どうしよう……! どうしよう……!!」
異世界だということに加えて記憶喪失。 つまり、誰も自分の事を知る人間は居ないし、自分が誰なのかさえも分からない。アビゲイルはたった一人で光の届かぬ深淵を彷徨っている様な気がして、震えの止まらない自分の身体を抱きしめる。そして双眸を固く閉じ、嗚咽しながら溜まった涙を零した。
記憶喪失、というのはこれ程までに恐ろしい物だとは思わなかった。自分は何に襲われていたのか。自分は何者なのか。自分はどうやって生きてきたのか。自分は何か大切な目的を持って居たのではないか。
それら全てを思い浮かべ、そして何も思い浮かべることが出来ずの繰り返し。
怖い、怖い、怖い。
先の見えない恐怖が身体を完全に支配さそうになった時、ぎゅっ、とアビゲイルは暖かいものに包まれた。
突然の事にびくりと身体を震わせてから、目を開けてみれば、そこには桃色の髪が見え――抱きしめられているのだと認識した。
「大丈夫、大丈夫よ。 ごめんね、無理やり連れてきちゃったのは私だから、せめて主人としてちゃんと面倒は見るわ。 心細いかもしれないけど、私はアンタの味方よ」
「――っ」
「……きっと記憶も取り戻せるわ。 だから安心しなさい」
ルイズには何があったのかは分からない。 だが少なくとも悪意のある何かに襲われていたのは間違いないだろうという事は推測できた。そして記憶喪失というのは不憫に思ったし、無理やり連れてきてしまったという後ろめたさ、罪悪感というのも勿論あった。しかし、なによりも目の前で泣きながら震える少女がとても小さく見え、折れそうなほど華奢な身体を抱きしめる様をみて『守ってあげたい』と強く思った。
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ルイズはアビゲイルが泣き止んでからも暫くの間抱きしめて居たが、冷静になってみると自分から抱きしめるなどという非常に恥ずかしい状況になっていることに気付き、ゆっくりとアビゲイルから離れていった。
「………」
「………」
アビゲイルの様子を見てみれば、さっきまで泣いてた所為もあって目の周りや頬を赤く染めているが―――そわそわ、そわそわと、どう見ても向こうも恥ずかしくなって赤面しているということがわかる。
「そ、その……ありがとう。 とっても嬉しかったわ」
「と……当然のことをしたまでよ。 だってご主人様なんだもの」
「うん……それでも嬉しいの」
「ふ、ふーん、そそ、そう。 ふ、ふふ」
にこりと微笑みを浮かべ、素直な感情を伝えてくるアビゲイルにルイズはますます顔が熱くなる。あまりにもストレートに投げ込まれた好意のオーラに表情がふにゃふにゃになっている
「あら、やっと起きたのね! おはようアビーちゃん、調子はどう?」
「にゃわああああああああああああ!?!」
宿敵・キュルケがいつのまにか起きてきて、部屋の扉を開けて居た。
多幸感からくる顔面の崩壊と必死に戦って居たルイズは堪らず奇声をあげる。
「お、おはようございます……?」
「ちょっとキュルケェ!!!! なあああああんでアンタが勝手に入ってきてるのよ!!! ノックぐらいしなさいよね!!?」
「何よ失礼ね、ちゃんとノックしたのに気づかない方が悪いじゃない」
「なっ……、……」
ルイズは金魚のように口をパクパクとさせて言い返そうとするも、なにも言い返す言葉が出ててこず口を閉ざす。そんなルイズを見てなんとか話を変えようとアビゲイルは少し大きめな声で話題をふった。
「……あ! え、ええと、そうだ、自己紹介! 私自己紹介して居ないわ」
「え? そうだったの?」
「……まあ、この子が起きた直後は色々あってね」
ルイズは今ではすっかり落ち着きを取り戻して、花のような笑顔を浮かべるアビゲイルを眺めて微苦笑を浮かべる。アビゲイルはコホン!とわざとらしい咳払いをしてから自己紹介を始めた。
「初めまして、私はアビゲイル・ウィリアムズ、12歳です! 好きな食べ物はパンケーキ! 私の事はアビーって呼んで下さいな」
「私の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、ルイズでいいわよ」
「あたしは『微熱』。 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。 よろしくね、アビーちゃん」
と、キュルケはそこで一度区切り、アビゲイルに対して疑問を投げかける
「ところでなんだけど、あなたって貴族なの?」
「え……? ううん、違うわ」
「そう……なら、苗字の方は言わない方がいいかもね。 要らない誤解を生むかもしれないから」
「そうなの?」
曰く、平民は苗字を持たないものらしい。
アビゲイルはへぇ、と声を漏らして頷いた。
3人は自己紹介を終え、アビゲイルは下を向き、二人の名前をなんどか口の中で反芻し、顔と一致させる。一生懸命な感じについ二人は温かい目で眺めているとアビゲイルは顔を上げ、
「それじゃあ改めまして……よろしくね、ルイズ! それにキュルケお姉さん!」
「お、おねぇさぁん!!?」
「あらあら、お姉さんだって! ねぇルイズ聞こえた? 可愛らしい妹が出来ちゃったわよ!」
「聞こえてるわようっさいわね! ちょっとアビーどういうつもりよ!!」
「え、え?」
嬉々とした表情で『お姉さん』の聞き心地の良さにテンションを上げるキュルケと、信じられないと言った鬼の形相でアビーに怒鳴るルイズ。アビゲイルには二人がなぜこのような反応を見せるのかいまいち理解できておらず、困惑していた。
それもそのはず、アビゲイルはルイズとそう身長は変わらず、ルイズもそれなりに童顔だったため同い年ぐらいだと認識していた。一方キュルケは身長も高くスタイルも抜群。更には唇に情熱的な赤色の紅を刺し、その大人っぽい色気には同性のアビゲイルでさえ緊張してしまうほどであった。
「ごめんなさい、私、何か不味い事を言ってしまったかしら……」
「ううんアビーちゃん、何も不味い事は言ってないわよ。ただのお子ちゃまルイズの焼きもちなんだから」
「ハァー?! ややや焼きもちなんて焼いてないわよ!! 何でこいつにだけ『お姉さん』なんて付けてんのよって事!」
アビゲイルはようやくルイズが何故怒っているのを理解する。しかし、怒っている理由は分かったが、何がいけなかったのかはまだ分かっておらず、おずおずと反論する。
「だ、だって年上の方でしょう…?」
「私だって年上よ!! 16歳なんだからね!!!」
「えぇ!?」
驚愕の表情でキュルケの方を見る。グラマラスな得体、オトナっぽい雰囲気。それに対して4歳年上であるはずのルイズは自分と殆ど体型が変らない。胸の方だって、お世辞にも――
「あいたぁっ!」
「今失礼な事考えてたでしょ!!!!」
ルイズはアビゲイルの頭をパチンと叩く。 想像以上に力がこもっていたのか、叩かれた部分を抑えてアビゲイルは涙目になりながら「そんなに強く叩く事ないのに…」と呟く。
「全くもう!」
「うう、キュルケ……さんもごめんなさい。 綺麗で、とっても大人っぽかったから、そっちの方が良いかと思ったのだけど……」
胸の前で祈りの時のように手を組み、上目遣い(涙目)で謝罪をするアビゲイル。
それを見たキュルケは思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたがそれをぐっと堪えて、
「ふふ、何言ってるのよ。 そんな嬉しい事言ってくれるなんてルイズの使い魔にはもったいないわ」
にっこりと笑顔を浮かべてアビゲイルの頭を優しく撫でる。アビゲイルは一瞬恥ずかしそうな顔をするが、すぐに気持ちよさそうに目を細めて笑顔を浮かべる。
それを横で見ていたルイズはものすごく不満そうな顔をしていたが、勢いで叩いてしまった手前なんとなく邪魔をする気になれず、口をヘの字にしながら様子を見ていた。
暫くしてキュルケは自分の使い魔を紹介し、その後朝食を取りに食堂へと一緒に向う事になった。
最初こそ見たこともない生き物に対して怖がり、触るのをためらっていたアビゲイルであったが、噛みついたりしてこないという事がわかるとすぐに仲良くなることができた。
ルイズは勝手にキュルケと仲良くしていくアビゲイルに物申したい気分ではあったが、記憶喪失で涙を流していたアビゲイルの暗い表情よりはずっと良いかと苦笑を浮かべながら歩くのであった。
聖母みたいなルイズも好きだけど一番好きなのは本編で狂ってしまったレモンちゃんルイズですね。