うそつき!!!!!!
翌朝。
ルイズはこれまでにない位最悪の目覚めをした。
ぐっしょりとシーツは汗に濡れ、髪は過去最高にみだれ、顔にぺたぺたと張り付いている。
昨日のことはそれなりに覚えている。
あの炎の花を見た瞬間、今までの人生で感じたことも無いような恐怖感に襲われ、思わず杖を握ったまま固まってしまった。 戦わなければ死ぬと分かっているのに動けなかったのは、今となってはかなり悔しい記憶だ。
しかし記憶に残っているのはなにも悪い物ばかりではない。
まず一つは、フーケを捕まえたと言う事だろう。
正直な所自分が役に立ったかと言われると否としか言いようがないが、それでも国中を震え上がらせる大怪盗であるフーケを捕まえる事に成功したことは喜ばしい事だ。
そしてもう一つはアビゲイルの記憶が戻ったらしい、という事だ。
実は帰りの馬車の中、一瞬だけ目を覚ましたルイズは、おぼろげながらにその話を聞いていたのだ。もちろん、アビゲイルが『もっと記憶を取り戻すのが早ければ』と落ち込んでいる、という事も聞こえていた。
ここは主人として一つ、今回の一件の功労者の一人を労ってあげなくてはならない。
ルイズはこほんと咳払いをしてアビゲイルに語りかける。
「……おはようアビー。昨日のことなんだけど、気にすることは無いわよ。 あんたは良くやってくれたわ。 あんたが居たから、私はこうして学院に戻ってこられたのよ」
ルイズは優しく微笑みながらアビゲイルの頭の位置にポンポンと手を乗せる。
まるで洗い立ての布のようにサラサラで、羽毛が詰まっているかのようにふかふかなその手触りはまるで枕のようだ。
というか、枕だった。
「………あれ!? アビー!?」
横を向いてみると、アビゲイルの姿がない。 それどころか部屋の中にもいなかった。
ルイズは今の一連の流れと臭い台詞を思い出して急に恥ずかしくなり、何でいないのよ!と憤りつつ、今の台詞聞かれなくてよかった…と安堵した。
「そっか。 この時間帯なら水汲みとか洗濯かしら……」
アビゲイルも疲れているだろうし、今日ぐらいは休んでいてもいいのにとルイズは思いつつベッドの上でゴロゴロと寝転がる。
「そういえば、昨日の一件はあの後どうなったのかしら……後で学院長先生に直接聞きに行こうっと」
とりあえずはアビーが返ってきてからね、と枕を抱きしめながら、二度寝をしないように体を軽く動かしながら彼女が返ってくるのを待った。
「お、遅い……全然帰ってこないじゃないの」
それから30分ほどたったが、アビゲイルが一向に帰ってくる気配を見せない。
ルイズは若干の憤りと心配を混ぜ込んだ声を出してベッドから立ち上がると、素早く服に着替えて水汲み場へと向かう。
するとシエスタが今朝の洗濯をしているのが見えた為、この辺りでアビゲイルを見なかったかも聞いてみることにした。
「シエスタ!」
「わっ……あ、ミス・ヴァリエール。 おはようございます」
「ルイズで良いわよ。 それより、アビーを見なかった?」
「アビーさんですか? いいえ私は見てませんけど……」
「そうなの? ……まったくアビーは、ご主人様に無断でどこほっつき歩いてるんだか……」
アビゲイルを一人にする、イコール、事件発生、の方程式がルイズの中では既に完成していた為、アビゲイルを一人にさせる事にたまらない不安感を募らせていると、シエスタが首を傾げる。
「何かあったんですか?」
「それが朝からアビーの姿が見えないのよ。 いっつもふらふらふらふらどっか行っちゃうんだから……そろそろお仕置きが必要かしら」
「ほ、程々にしてあげてくださいね……? 私の方でアビーさんを見つけたらご連絡しますので」
「ありがとう、助かるわ」
ルイズはシエスタに礼を言うと、次にアビゲイルが行きそうな場所―――キュルケ、タバサ、モンモランシー、そしてギーシュの部屋を訪れる。
しかし時間が時間の為返事がなく、寝ているかもしれないと思い、仕方ないので一度学院長室を訪れ、昨日の出来事について尋ねた。
話を聞いてみればフーケは捕まり、今日は授業がなし、そして夜は舞踏会を行うのだそうだ。アビゲイルの事についても尋ねてみたのだが、「それは本人の口から聞いた方が良いじゃろう」とまるで彼女を庇うような口調ではぐらかされてしまった。
それから暫く彷徨い続け、結局お昼近く。
流石に疲れたので、一度部屋に戻って休む事にした。
「もぉ……アビーったらいつまでもご主人様をほったらかしにして! 悪い子には鞭……おしりぺんぺんして反省させてやらなきゃ!」
ルイズはぷりぷりと怒り出し、ベッドの上で暴れる。
ここまでアビゲイルの居場所が分からないとなると、逆に彼女に何かあったのだろうかと不安が募る。
するとコンコンと部屋がノックされる音が聞こえ、ルイズは勢いそのまま扉を思い切り開けた。
「ちょっとアビー!! どこをほっつき歩いてたのよ! ご主人様にも何も言わないで――――」
「あの子じゃない」
よく見るアビゲイルではなく、タバサだった。
タバサはうるさそうに耳を塞ぎながらきっぱりと言う。
「な、なんだタバサじゃない……どうしたの? 珍しいわね」
「……あなたの様子を見にきた。 ……けど、平気そう」
タバサは感心したようにして言う。
昨日の様子からするに、ルイズとキュルケはかなりの精神的なダメージを負っていたように見えたからだ。
あの様子はそう、まるで狂ってしまった母親のようで、それなりに心配していたのだが―――
「そう? まあ、結局は終わったことだし……それに炎ってキュルケの得意系統だと思ったら、なんかあの炎に怖がってる事実がなんだかむかついてくるのよね……」
「そ……そう」
狂気に飲まれるもの、飲まれないもの、その違いはこういった認知の差で生まれるものなのだろうか。 それにしても割り切れ過ぎている、とタバサなんとも言えない気持ちになる。
「
「……それは難しいと思う。 あなたが異常」
「ふーん…………え?いま異常って言った?」
「言ってない」
「言ったわよね……?」
「……それは置いといて、取り敢えずこれから部屋に行ってみようと思うけど、来る?」
「まあいいけど……」
アビーも全然見つからないし、と内心ため息を吐き、二人はキュルケの部屋へと改めて向かう。
「さっき私もノックしたんだけど、まだ寝てたみたいなのよね」
「……そう」
タバサはコンコンと二度部屋のドアをノックする。
……しかし返事はなく、扉が開く様子もない。
「……まだ寝てるのかしら?」
「……」
ルイズがそう言うと、タバサは無言で首を振る。
実際、ルイズはイォマグヌットの事で精一杯だったためキュルケがどんな状態だったのかあまり記憶にない。
怪訝そうな顔を浮かべると、タバサは小さく《アンロック》の呪文を唱えた。
良いの?とルイズはタバサの顔を見るが、その表情は真剣だ。
ギィ、と扉がゆっくりと開かれるのを静かに眺め、そして部屋の中を見る。
すると目に入ったのはベッドの上で足を抱えるキュルケの姿だった。
「なんだ、いるんじゃない」
「……タバサとルイズじゃないの」
「居るなら返事ぐらいしなさいよね……」
「……それは悪かったけど、勝手に入っちゃうのもダメでしょ……」
ルイズの文句に、いつもどおりキュルケが言い返す。
しかしいつもと決定的に違うのは覇気の違いだろう。
今はルイズを小馬鹿にして楽しむような声はなりを潜め、代わりにあるのは余りにも弱々しい、絞り出すような声だ。
きっとキュルケも昨日までの自分と同じ状態だったのだろう。
よく見ると、キュルケもほとんど眠れていないのか目の下に隈がびっちりと刻み込まれており、いつも身嗜みだけはきちんとしている筈の髪は整えられている様子がなくぼさぼさなままだ。
今朝の鏡に映った自分も大概だった為人の事は言えないが、ルイズにとってキュルケという女はいつも余裕そうにしている印象があった為、この姿は余りにも酷い有様に映った。
「あんた、酷い顔してるわよ。 本当に大丈夫なの?」
「……ルイズこそ、平気なわけ? 昨日、あんなのを見たのに」
「そ、そりゃ怖かったけど……もう終わった事じゃない。 いつまでも怖がってたってしょうがないわ」
「……終わった……事?」
キュルケはルイズを見上げる。
その表情は非難するような怒りと、未だ消えない恐怖の入り混じった複雑な感情を浮かべていた。
「終わってない……何も終わってない! あたしの中にはずっと残ってるのよ! あの怪物の恐怖が!! 触れてさえ居ないのに、この身体が永遠に燃やし尽くされているみたいに!!」
「き、キュルケ?」
キュルケの慟哭にルイズは戸惑いを隠せない。
塞き止められた川の流れが一気に流れ出すように、彼女の内側から湧き上がる悲鳴が一気に噴出する。
「あたしだってそんな事分かってるのよ……だけど怖いの……あの時のことを思い出すだけで震えが止まらない……」
「それって……アビーの事も怖い?」
「……っ」
キュルケは顔を伏せる。
それは即ち肯定を示した。
キュルケとてアビゲイルが嫌いになったわけではない。 あの花の様な笑顔はいつだって見ていたいし、鈴の音の様な彼女の声はいつだって聞いていたい。
それでも彼女の中に眠るという力はどうしても恐ろしい。
あの力は炎の怪物と同様に冒涜的な存在なのだ。
「……」
ルイズはなにも言えなくなった。
アビゲイルを怖がるなんて、と怒る事も出来たが、彼女の持つ恐怖が分からない訳でもない。
ギーシュの時に見せた力など、彼女の持つ力のほんのわずかでしか無かった。
あの時に現れた無数の触手、その一つ一つがまさしく狂気に彩られた異形の神の腕なのだ。
するとずっと黙っていたタバサが一歩前に踏み出し、口を開く。
「……怖がっているのは、あの子も同じ。 怖がられる事に、怖がってる。 それだけは覚えて置いて欲しい」
「え…?」
「……」
キュルケは反応を返さない。
タバサはそれだけ言うと、部屋から出るために踵を返したので、ルイズは慌てて後を追った。
「……ねぇタバサ。 さっきの、どういう意味?」
「……そのままの意味。 あの子が昨日の夜に言っていた。 二人に拒絶されるのが何よりも怖いと」
タバサは呟き、目を伏せる。
大切な人に拒絶される恐怖と苦しみは、それを受けたことのある者にしかわからない、想像を絶する痛みだ。
それはやがて人からの孤立を生み、だれかが手を差し伸べない限り孤独となり続ける。
もし、アビゲイルがルイズとキュルケの二人から拒絶された時、彼女の心はどうなってしまうのだろうか。
タバサはそれを思うだけで胸の奥が苦しくなる感覚に襲われた。
ルイズはそんなタバサの様子を見て言葉を詰まらせるが、すぐに思い出したように口を開いた。
「……昨日の夜? そういえばアビーがどこにいるのか、タバサは知ってるの?」
「さっきまで一緒にいた」
「え!? どういう事よ!?」
ルイズは目を見開いて食いつく。
話によると、昨晩はルイズと顔を合わせるのが怖かった為、アビーは暫くタバサの部屋に居る事にしたそうだ。
購入した本を使って読み書きの勉強をしたり、アビゲイルの知る異界の知識について詳しく聞いていく内に夜も更け、そのままベッドで眠ってしまったらしい。
そして二人して目が覚めたのは昼前――つまり、ついさっきという訳だ。
「ふ……ふーん。 じゃあ、私がアビーの事を拒絶すると思って逃げ回ってるって訳ね?」
「……否定はしない」
「……そう。 この私が使い魔を怖がって拒絶すると、アビーはそう思ってるのね」
「……」
ルイズは声を震わせてにっこりと笑う。 しかし表情の端々はひくひくと引きつり、どう見ても怒っていた。
「で、アビーはどこへ行ったの?」
「……知らない」
「ふーん……そう、わかったわ。 見つけたら教えて頂戴ね」
「…………、…………わかった」
なんとなくアビゲイルに待ち受ける未来を不憫に思いつつ、タバサは返事をする。 流石にルイズの癇癪に巻き込まれたくないと言うのが半分、キュルケも心配なのが半分、と言った所だ。
ルイズはタバサと別れ、再びアビゲイルを探し始める。
その雰囲気は他の生徒達が若干引くぐらいだったとか。
ルイズ⇨一時的な狂気
キュルケ⇨不定
san値の削れ方で大分見方が変わるのはクトゥルフあるあるかと思います。
因みに僕の探索者は96消し飛んで無事人生を終えました(^.^)