ㅤ咄嗟に振り向く。声の主は私の背後にいた。
ㅤ否。より正しく言うなら、そのヒトガタをした黒いカタマリは
「何、アンタ」
ㅤこちらの問い掛けに応えることなく、
“ーーあー、テステス。これ音入ってる?”
(この声、ジョニー?)
ㅤ私を小聖杯戦争に巻き込んだ男の、鼻に掛かる軽薄なソプラノ。部屋に張り詰める殺し合いの空気がぎこちなく弛緩していく。
「ちょっと、断りもなしに茶々入れんじゃーー」
ㅤ嗚呼、それがまずかった。これも全部、あの空気を読まない優男のせい……じゃないな。
ㅤ今が“殺し合いの最中”だっていうのを二度も忘れた、平和ボケした私のせいだ。
「ふふ、つーかまーえた」
ㅤ鈴と鳴り渡る童女の声が
ㅤ
「ッ!」
ㅤ振り向きざまにデリンジャーを撃ち込もうとわずかに身をよじったとき、既に自分は“籠のなか”なんだと悟った。
ㅤ私の身体に触れるか触れないかのところで大蛇のようにとぐろを巻く“柔らかな牢獄”。その姿は見えないが、濃密な気配と腐った薔薇のような匂いとが否応なく存在を伝えてくる。
ㅤ幾重もの螺旋を描いて全身の可動部位へと周到に張り巡らされたこれが、私を魔女として裁く処刑の縄だって言うんだろうか?
「いい子よアニー。間違えて触れでもしたらすぐ死んじゃうもの」
ㅤプツリ、コポリ。胎の内より、何かの“泡”が浮かび弾けるような音を立てながら、
「はぁ……羨ましいわ」
ㅤ深い溜め息を吐きながら、少女は私の背中に小さな身体を密着させ。褐色の百合みたいにすぼめた手の平で、私の胸をタンクトップの上から愛撫する。
「……悪いけど、私アンタのママじゃないのよね。ヒトのモン勝手に慰みものにしてんじゃねぇよぶち殺すぞクソガキが!」
ㅤ臨界に達した殺意とともに無理やり身体を捻り、アビーの褐色の額に風穴を空けようと向けた銃身がパンッ、と、宙を舞う。それが畳に落ちたときには、まるでダリの絵画に出てくる溶けた時計みたいにぐにゃぐにゃだった。
「あはははは、可愛い人。身も心もこんなに大人でいらっしゃるのに、まるで恋を恥じらう女の子みたいなことを言うなんて」
ㅤからころと響く笑い声も、衝撃に痺れ皮の剥けた手指の痛みも、すでに意識にはなく。
ㅤただ、どうしようもない絶望感に脚が震えた。
「私も、こうなってみたかったわ」
ㅤ私という玩具を慰撫しながら、少女は静かに呟く。
ㅤ陶酔と羨望、追憶と怨念。声音に宿る、複雑に絡み合った感情の色が泥のように零れ落ちて。
ㅤ悪寒が背筋を駆け抜ける。
「……私の魔術、どうして効いたフリなんかしたの?」
ㅤ凍りついた思考と感情のなか、気付けばそんな言葉が唇から漏れ出た。
ㅤこんな時でも“魔眼”と白状しないあたり、私にも魔術師としての意地が残ってるんだろうか。
「可笑しいわ、そんな事を気にしてらっしゃるのね? それなら、石みたいに動けなくなったおじ様が変てこで面白かったから真似してみただけよ」
「Fuck.」
ㅤ嗚呼。どうして私はこんな奴に一度でも憐憫を抱いてしまったのか。
ㅤ小さく可憐な子供の姿をしながら、いかにも怪しい老魔術師の使い魔兼愛人として仕えていたから?
ㅤ全く、私としたことが見落としていたのだ。彼女はたしかにその真名を告げていたというのに。
ーーアビゲイル・ウィリアムズ。未だアメリカならざる新大陸において、“セイレム魔女裁判”という狂乱の宴を招き寄せた
「さぁ、貴女の魔術を解いて下さる?」
「…………わかったよ」
ㅤ言われるままに、魔眼を停止する。万華鏡から、星の灯が消える。
「いい子よアニー。おじ様が喋れるようになるまでは長生き出来るわ」
ㅤ激しい悔恨が臓腑を焦がす。こんなところで、まだ自らの力において何も成し得ないまま嬲り殺しにされる未来を、抗うことすら出来ずに受け入れるしかないのか?
「畜生……ッ!」
ㅤ掠れる喉から搾り出すように言葉を吐く。そして、ここからはもう、何も言うべき事はない。
ㅤこの先起こることの一切を、心を殺してやり過ごすと決めた、その時。
“あー、ロバートくんいける? 固まってた? そうかなるほど彼女のアレか……ん゛ん゛っ、ちょっと君達! そこでストップだ!”
ㅤすっかり忘れていた影のほうから、情けない声が鳴り渡る。
「貴方達、私の邪魔をするの?」
ㅤその台詞を言い終わる前に、私の背後にいたアビーが不可視の触腕を振りかざし、巨人が殴り付けるような風圧で前方の黒いヒトガタを斜め上から叩き潰した。
「食事のテーブルに蝿がいては駄目なのよ?」
「……いや、マジで俺殺すと不味いっスよ」
「!?」
ㅤ背中ごしに、密着したアビーの全身が強張るのを感じる。すると、潰れたはずのヒトガタが、私に重なるようにしてある彼女の頭部の影から伸びてきた。
「なんつーか、ジョニー……ああ、今喋ってる俺の依頼人なんスけど、君のマスターと彼女さんに話があるとかで。最悪、俺かそこの彼女さんが死ぬと、漏れなく法政科に儀式がバレる手筈になってるらしいっスよ。まとめると、殺さない方がお互いのためっス。俺も死にたくないし」
ㅤ不気味に佇むその影の主が放つ不釣り合いなほどフランクで凡庸な言葉にどんな顔をしたらいいのか迷いながら、
「私、アイツの彼女じゃねーし!」
ㅤとりあえず、一番重大な誤解に訂正を入れておいた。
次話投稿、遅れて申し訳ありません……。
そろそろきちんとプロットを作りたい所存。