3.
玄関を開けると、涼しい風が頬にあたり、ほのかな枯れ草の匂いが鼻腔をかすめる。
昼下がりの日差しは琥珀色をしていて、眩しさに目を細めてしまう。
昨日、市内で新調したばかりの膝丈のブーツがまだ足に馴染まないせいで、ちょっと歩き方がぎこちない。
「気分転換に買ってみたけど、実戦じゃ履けないなぁ」
思えば、聖杯戦争の準備に富沢市へやってきて半年あまり。工房づくりと礼装の製作を除けば、一般的な日本に住み始めた外国人となんら変わらない生活を送っている。
むしろ、働きもせず貯蓄をちびちび削り続ける有り様は、はたから見ればダメ人間だろう。
実際、こんな長閑な街で、もうすぐ殺し合いをするなんてこと自体に実感を持てないでいる。
……自覚はないけど。私は今、平和ボケしてるのかもしれない。
塗装の剥げたアルミ製の階段をガンガン鳴らして降りつつ、決意を込めて小さく呟く。
「今夜、ばっちり召喚するわ」
4.
アパートから南の方角に歩いて十分くらいのところにあるバス停のベンチに腰掛ける。現在時刻は15時を過ぎたあたり。あと十分ほどでバスが到着するはずだ。
見上げれば屋根はなく、秋めいた空に鱗雲が抽象的な模様を描いている。
空っぽのケージを脇に置き、鞄から小型のヘッドホンを取り出す。ケーブルは付いてないが、同じく鞄に入っている携帯音楽プレーヤーに無線接続されている。そのためヘッドホン側のスイッチひとつで音楽が聴けるのだ。
退屈な風景に不釣り合いなエレクトリック・ギターのイントロが私の意識を覚醒と陶酔の水際へ運ぶ。
これぞ、70年代イギリス最高のロックバンドが紡ぎし
“とん、とん”
ふと、誰かに肩を叩かれた。横をみると一人の少女が座っている。
黒く質素なワンピースに白頭巾という、いささか古風な出で立ちをした彼女は、さっき私が置いたはずのケージを抱きかかえながら、こちらに向かって微笑んでいた。
肩まで伸びる、縮れて波のかかった白髪は額から五分に分けられており、その下に覗く、浅黒い肌をした顔は小さく整っている。
どんな異国から来たのか、瞳は掠れた水色をしていて、
――まるで、空に穿たれた墓穴のように、底が無かった。
「ちょっと……悪いんだけど、それ私のなのよね」
慌ててヘッドホンを外しつつ、少女にケージを返すよう英語で伝えた。
私の声が震えてしまう原因は決して恐怖なんかじゃなく、容易に他人の接近を許してしまった自分の未熟への苛立ちのせいだろう。
もしかしたら、彼女に過剰な威圧感を与えてしまったかもしれない。せめて軽く謝ろう……そう考えた時だった。
「ええ、承知しているわ。アニー・L・メルクリン」
少女が、知らないはずの私の名前を口にした。
――努めて冷静に、現在の状況を俯瞰する。私と少女は一般自動車道の脇にある、せいぜい四人くらいが通れる幅の歩道に設えられたバス停のベンチに座っている。周囲の民家はみな窓を閉めきっており、通行人はいない。車の通りも疎らだ。
言い換えれば、派手な魔術戦をすることは神秘の秘匿の観点から出来ない。だが、暗殺ならばその限りではないということ。
……私が平和ボケしてるのかもしれないって? 訂正する。私は完全に平和ボケだった。戦場に出張っていながら警戒を怠り、ここまで他人に接近を許したのは馬鹿だった。その結果がこのザマだ。
そして、極めつけは少女の放った言葉だ。その意味が解らないほどには私も馬鹿じゃなかった。
“私はあなたの全てを握っている”
つまりは、そういう宣言だ。いたいけな見た目のわりに主導権の取り方は弁えている。将来は結構、悪い女に育ちそうだ。
「あなた、聖杯戦争の参加者?」
とりあえず聞くだけ聞いてみると、少女の顔は愉悦に色めいた。
「ええ、半分は正解ね。もう半分は……」
ゆっくりと勿体ぶった言い回しをしながら、頭と右手の人差し指を振り子のように揺らしている彼女に、なんだか無性にイラッときた。
とりあえず、コイツが聖杯戦争の参加者で、すなわち私の敵であるという最終確認は済んだ。なので、私は大きく息を吸い込み、
ものすっごく大きな声で叫びながら走り出した。
「ええっ?!」
さっきまで余裕たっぷりだったガングロリ(“顔の黒いロリ娘”の略)が動転しながら目を白黒させて……いるかどうかは見てないからわからないが、すっとんきょうな叫びを聞くかぎり、意表を突くことには成功したらしい。とりあえずこのまま全力で走る。
「ハハハハハ、ばーかばーか!」
……さっきまでの状況は、魔術による暗殺にこそ適してはいた。ただし、それはこちらに一切悟られず、刹那に仕留める場合に限る。
第一、神秘の秘匿を遵守しなければならない魔術師が、白昼堂々の奇襲をかけるなんて余程の隙を無くさなければ成立しない。
彼女のように、せっかくあと一歩まで追い詰めておきながら、大詰めで正体を曝すなどというヘマをすれば、こういう強行策を取られるリスクが付きまとう。
「衆人環視の状況さえ作れば、もう手出しは出来ないってね!」
私は今、両足に強化をかけるなどということは一切していない。そんなことをしなくても、彼女は私に一切の干渉が出来ないのだから。
このまま自宅の工房に篭れば、ひとまず夜までの身の安全は確保出来るだろう。それまでに戦闘体制を整えるのが急務だ。
私の〈眼〉だけで戦いになる自負はあるけど、それはあくまで魔術師同士の戦闘に限る話だ。あの娘が既にサーヴァントを使役している場合、状況は絶望的だ。サーヴァントにはサーヴァントをぶつけるしかない。
……召喚陣の作成、出来れば鶏の血でやりたかったけど仕方ない。そもそも、家系的に向いているのは宝石だし。
「…………っ」
思わず、歯軋りをしてしまう。
こうやって追い詰められるたび、メルクリンという血統――その、赤い巨人が私に手を差しのべてくる。そいつは私を助ける代わり、個としての私を真っ赤に塗りつぶし、そんなものは欺瞞に過ぎぬと嘲笑うのだ。
「それでも、やるしかない」
走って数分。何軒かの家の窓、何人かのすれ違う通行人から注ぐ怪訝な視線をこれ幸いに、目前に迫るアパートへとラストスパートをかける。だが、
「……やあ、君がジョニーの代わりの参加者だね?」
砂利だらけの駐車場の前に、灰色のコートの男が佇んでいた。
サクサク更新してる作家さんはすごいなと思いつつ、生みの苦しみを味わっている新人が私です。どうにか次回でアニーのパートを一旦締められたらと思います。