5.
午後の澄み渡る風光のなか、一人佇む男の姿が妙に煤けて見えた。
私は走る速度を徐々に落とし、息切れを整えながらゆっくり男へと近付いてゆく。
初老に差し掛かったくらいだろうか、皺の刻まれた面に無精髭を生やし、白髪混じりのぼさぼさ髪を無理矢理シルクハットに押し込めた、見るからにだらしない風体の大男だ。
アイロンがけのしていないワイシャツにカーキ色のスーツのズボンを履いているが、締め上げる黒革のベルトに腹の贅肉がせり上がっている。
癖になっているのだろう猫背を、くすんだ灰色のコートが包んでいる。その姿が何とも特徴的で、もはやコートこそが彼の本体だと言わんばかりの存在感を放っている。
男の背後には、彼のものらしきクラシックな高級外車が無断駐車されていた。
「…………」
さっきから脳内で警報が鳴り止まない。拠点を把握された上、その退路を完全に断たれた。
更に、後ろからはあの少女が追ってくるだろう。これで挟み撃ちになる未来はほぼ確定したと言っていい。先の想定どおり、今すぐ何かをされなくても、ほぼ確実に危機的な状況へと誘導される。
――ならば、活路を開くために。ここで布石を打とうじゃないの。
脳に響く内言。それは私の〈眼〉を駆動させるための
残りは私の意識に連動して〈眼〉の側が自動的に対応してくれる。これで下準備は整った。
では、ひとまず情報収集も兼ねた舌戦といきましょうか。
「あんた誰? ジョニーの事を知ってるなら関係者よね?」
「……ふむ、どうやら彼から聞いてなかったようだね。ほら、私だよ。君のポケットに入ってる招待状の主さ」
心外だとばかりに男は肩をすくめ、顎をしゃくる。
「?」
私はジーンズの尻ポケットから封筒を取り出し、まじまじと見つめて思い至った。
「なるほど。ミョーな魔力の残り方してるわけね。
……なんていう肩透かしだ。思わず大きなため息を吐いてしまう。
目の前にいるのは、今回の聖杯戦争の主催者だ。
「こちらもまだ、細々とした準備が終わってなかったのだよ。すまんね、アニー・L・メルクリン」
男の表情はあからさまに不機嫌だ。
その理由なら、こちらには分かりやすすぎるくらい察しがつく。
「あなたの親友のご子息が、こんな女に参加権を譲ったのがご不満かしら?」
ちなみに、封筒のなかの手紙にはこう書かれている。
“我が親愛なる盟友の子、ジョニー・B・グッドマンへ
このたび、私が数年来の苦心を経て計画した極秘の儀式、すなわち「小聖杯戦争」がようやく開催する運びとなった。
もし、君に亡き父君の悲願を継ぐ意志があれば参加されたし。この招待状こそは君の勝利を約束するものである。
なお、開催場所と日程については同封の地図を参照されたし。願わくば君の栄光に立ち会えん事を。
ウォルター・ビショップより”
……なんとも、主催者とあの遊び人の間にある心理的な温度差が感じられる内容で、愉悦に口角が歪んでしまう。
「ああ、不満だよ。彼奴めがこんな売女をこちらに寄越すことがね。
血は薄くともレーマン家に連なる一族の
相手の切り返しに、思わず眉間に皺が寄る。まあ、聞き飽きた罵倒の類いだけど、それでもムカつく。
「ところで、さっきバス停にいた娘はあなたの弟子? それとも孫?
使いに出すならもっと礼儀を教えてやりなさいな。下手したらいつか殺されるわよ」
ここは言葉の応酬も兼ねて、もう一つの不安要素を潰しておく。
「ああ、これはすまなかった。私のアビーが迷惑をかけてしまったかな?」
とても謝っている風には見えないニヤニヤ顔だ。にしても、これは本当に冗談ではない。
「さっきのあれ、戦場で兵士の目の前におもちゃのナイフを出すようなものよ。
迷惑以前の問題として、あなたの指導が怠慢な証拠よ。今のうちに直してあげなさいな」
事実、あのアビーという娘のやらかしは度し難い。たしかに魔術師にはああいうトリックスターを気取る手合いもいるが、生き残るのは本当に才能のある傾奇者だけだ。ほかはひっそりと魔術社会から淘汰されていく。
あの束の間の邂逅だけで彼女の資質を推し量ることは出来ないが、ああいう振る舞いが招く不測の事故を防ぐためにこそ、師であるウォルターが教え導く義務がある。
だというのに。その、相変わらずのニヤニヤ笑いは何だ……?
「なるほど、ご指導痛み入る。魔術使いに成り下がろうともそこはそれ、メルクリン家の次期当主だった娘よ。
ただし……君は二つばかり勘違いをしているようだ」
やっぱり、弟子とは師に似るのだろう。回りくどいことを言うのがお互い好きだと見える。
「なるほど。そのあたり詳しくお聞かせ願いたいけど、流石にここ、まずくないかしら?」
後ろを振り向くと、家々の二階窓や門の前から未だにこちらを見つめる人たちがいる。
ついでに、ようやくアビーという少女も、とぼとぼこちらに歩いてきた。
「それもそうだな……では、三人でドライブと洒落込むかね?」
男は後ろに鎮座する黒塗りのクラシックカーに親指を向けた。
私は苦笑しつつ手を振る。
「冗談。まだあんたを信用しきったわけじゃない。うちに上がりなさいよ、お茶くらいなら出すわ」
※次話は10月末予定です※