……うん、自分に悲哀はまだ早かった!()
夏が始まる。
なんて人は毎年騒ぎ出すけれど、果たして終わりは何処に定められているのだろうか。
秋になったら?冬になったら?それとも、春になったら?
きっと、どれも違う。
多分、人によって違うのだ。
各々の想う『夏』に折り合いがついたら、人知れず遠ざかっていくのだ。僅かな感傷を残して。
それは青春だったり、---恋だったりする。
特別な感情を込めて、がむしゃらに駆け抜ける事が公に許された季節。それこそが、夏なのだ。
・ ・ ・ ・ ・
「もう朝……?」
やけに寝苦しい一時だった。疲れを癒すための仮眠の筈が、余計なストレスを抱えるだけとなっていた。
周囲をよく見れば、机の上に乱雑に放置された道具と材料が見受けられた。
どうやら私は羊毛フェルトの作成に熱を入れすぎてしまい、そのまま寝落ちしてしまったらしい。
いつもはきり良く作業を止めているが、思いの外熱中してしまったようだ。
両手を組んで慎重に天へと突き上げる。
硬くなっていた筋肉が悲鳴を上げているが、それすらも心地がよかった。
「てか、眩しっ!」
思わず反射的に片手で目元を覆い隠す。
窓から注ぎ込まれる日差しが丁度よく私の顔に直撃していたのだ。
あんなに遠くでただ独り漂っていると言うのに。全く、勤勉なものだ。
なんて暢気な事を考えていたから天罰が下ったのか、立ち上がろうとした瞬間に両脚に衝撃が走った。
「---痛っ!」
そのまま崩れ落ちてしまい、半端な体勢となってしまった。
急激な負荷に堪えられなかったのか、筋を攣らせてしまったようだ。
思えば寝落ちする前からひたすら正座をしていたのだから、足への負担も相当だっただろう。
起床してから時間が間もなかったのもあって、そこまで思考が回っていなかった。
「……ん?」
違和感を覚えた。体勢を崩した影響で横たわっていたからか、近場からの振動がより精密に伝わってきたのだ。
それは誰かが自分の部屋へと移動している証左であると言う事。
「おっじゃましまーす!」
推測は的中し、勢い良く木製の扉が開かれる。
そこには家族のいずれかではなく、やけに見知った姿が見受けられた。
件の人物は、私の不自然な体勢に怪訝な視線を向けた。
「何やってんだ、美咲?」
「……いつの間に家に入り込んだの?」
「たった今だ。美咲に気づかれなかったって事は案外、忍者の才能があるのかもな。俺!」
「はいはい、調子乗らないの」
家族ぐるみの付き合いでもあるため、家へは顔パスで入場したのだろう。
相変わらずお調子者の気質を崩さない彼には、幼児を諭すような口調がぴったりだ。
しかもそれで彼はくしゃりと、満足そうに笑うのだから心境は複雑というもの。
これでもいいか。そう思ってしまうから私も末期だ。
彼と私は相当親しい仲だ。所謂、幼馴染と呼ぶべき関係。
そして、意中の相手でもある。
……定番過ぎて呆れるだろう?私だってそんな二番煎じの小説を読んでいたら、そう突っ込んでいただろう。
しかし時間を重ね合わせてゆけば、その人柄をより深く知れるわけで。
彼の剛直なまでの誠実さに気づき惹かれていったのは、最早必然だった。
毎回テストが近づくと私に泣きついてくるのが玉に瑕だが、それすらも一緒にいれる時間が増えたと解釈する時点で、やはり手遅れだった。
彼はようやく私の現状を把握したのか、ごつごつとした逞しい手を差し出した。
「ほい、掴まれ。どうせ一人じゃ立てないんだろ?」
「……別に放っておけば自然と治るからいいよ」
「でもなぁ、美咲。今日確か用事あるとか言ってなかったか?」
「あ」
壁に掛けられた時計を見れば、約束の刻限まで後僅かまで迫っていた。
今日はCiRCLEでハロハピの練習があるのだ。
片足に手を添えてみるが未だに痺れは引く気配はなく、もうしばらくは自力で歩行もままならなそうだ。
しぶしぶ彼の掌を握りしめると、あっさりと私の体を持ち上げられる。
長年の付き合いから慣れているとは言っても、照れる時は照れるのだ。
彼は何か疑問が生じたのか、似合わない難しい表情をしだした。
「んー?美咲、最近筋トレでもしてるのか?」
「女子の手を握ってからの第一声がそれって、喧嘩売ってる?」
「いやいや、そんなんじゃなくて!一瞬美咲が力入れたときの握力が強くてさ。昔はこんなに強くなかったよな~、って思って」
そっと目を逸らす。原因は分かりきっていたが、敢えて口を濁していた。
何故なら、私がバンドで熊と化している事を伝えていないからだ。
……いやいや。好きな相手に『私、熊になってバンドやっているんだ』などと言える訳がないではないか。
そんな度胸があったらとっくに告白をしているだろう。私の中では恋心と秘密は同列でトップシークレットだった。
「あー、まぁ、うん。やっぱり鍛えといた方がいいかなって」
「そうか、インドアの美咲がついに運動しだしたか!いいことだぜ、体動かすのは!」
あっちからしたら身近な人物がインドアなのはあまり好ましくないのかもしれない。
彼は所謂運動馬鹿なタイプで、部長を務めているサッカー部でも我武者羅に走りこんでいるらしい。
まぁ、そんな素直な性格の彼だから慕う仲間は多いらしい。
だが、差し入れにやって来た私を彼女のようにからかうのはやめて欲しいものだ。
彼がその揶揄をまともに受け取った事など、一度もなかったが。
「それで?何で今日はわざわざ家に来たの?例の時間でも決めに来たの?」
「あ、そうだ。それについて伝えておきたい事があってな。今年の祭り、美咲と行けそうにないや」
「え……」
さらっと告げられたその事実に脳裏であれこれと考えていた事が一瞬で白紙と化す。
祭りが指す意味はそのまんまだ。幼馴染である私たちは、毎年近所の夏祭りに通いつめていたのだ。
最早定番行事であり、直前まで伝えなくてもまた一緒に行くものだと思っていたから意外だった。
---いや、それだけではない。
あと少しの勇気を搾り出せない自分にとって、毎年定例化していたこのイベントはとても嬉しかったのだ。
まるで、本当に恋仲へとなれた気がして。そんなのは甘い考えだとしても、自分にとって掛け替えのない時間だったのだ。
それが、あっさりとあちらから覆されるとは思いもしていなかった。所詮は泡沫だったということか。
胸が何かに圧迫されるように苦しくなったが、それを何とか押し込む。
「毎年似たような感じだったし、あれはあれで楽しかったけどさ。たまには別の人と行くのもいいだろ?
「そう、かな……」
ちくりと、胸に棘が刺さったように錯覚した。飽きたと、言外に告げられた気がして。
彼の混じりけのない純粋な笑顔を見れば、そんな意図などないのは直に理解できる。
でも、複雑な乙女心はそう簡単に納得したりなどしなかった。
「でさ~。今回一緒に行く相手凄く面白い奴なんだ。行動がいつも破天荒で---」
それとなく相槌を打つが、内容が脳に全然染み渡らない。
私の事より優先する相手なんて、と無意識に遮断しているだけかもしれなかった。
恐らく、彼が今回一緒に行くのは部活の後輩だろう。
彼は勉強を放り出してでも運動に時間を捧げるような、高校男児の青春を体現したような存在だ。
週末に部活の後輩とボウリングや食べ放題の店に行ったりするのがお決まりのコースだった。
今回もきっとその延長線上に違いない。
「---の間なんてさ。ボウリングでストライク連発してたんだぜ?俺もあいつみたいに運動神経抜群になりてぇ~!」
「……ふーん」
にしても彼の語る姿がやけに熱が入っている気がする。もしかしたら相当仲のいい後輩なのかもしれない。
そんな自慢げな彼に少し、嫉妬してしまう。
噂の相手は幼馴染よりも優先する程魅力的だと言うことか。そうか、そうか。
無言で無防備な彼の脛を蹴り飛ばす。俊敏な動きが求められる着ぐるみの経験が活きたのか、渾身の一撃だった。
「痛っ!え、ちょ何!?」
「別に?気にしなくて良いよ。さて、朝ごはんでも食べようかな」
「いや、俺が気にするんだけど!?美咲、説明プリーズ!」
ようやく本調子になってきた両足を動かして自室から抜け出す。
彼の悲鳴が心地よく聞こえたが、ドSでは無い……筈だ。
部屋と廊下の熱気の違いに早くも茹ってしまいそうだった。
・ ・ ・ ・ ・
「暑い……」
元凶である太陽をジト目で睨む。
木陰にあるベンチで休憩をしているが、熱気は一向に引く気配を見せなかった。
全く。もう少し怠惰であってくれたなら、ここまで反感を買うこともなかっただろうに。
私は公園にこころと二人で訪れていた。
本来ならこの後、ハロハピの練習が控えているのでCiRCLEにて待機している筈だった。
しかし、何故か彼女が提案した事によりわざわざ炎天下の中外へと赴いていた。
約束の時間まで余裕があったから承諾したが、想像以上の熱気に早くも後悔していた。
「あら、これはこれでいいじゃない。暑いのも楽しいわよ?」
「……こころは年中元気そうで羨ましいよ」
呆れの意を込めながら、そう言葉を投げかける。
けれど、彼女はそんな言葉など一切気にせずに日向を駆け回っていた。
彼女は、いつもそうだ。常に周囲を翻弄させ、何やかんやで笑顔にしてしまう、不思議な子。
その破天荒さに最初はげんなりしたが、今では多少程度なら慣れたものだ。
「そうよ、美咲。噴水で水遊びをしましょう!そうすれば涼しくなるわ!
「いや、やらないから。この後練習なんだから、少しは体力を温存しておかないと」
でた、まただ。お馴染みの展開に苦笑しか湧かない。
この後着ぐるみに変身する身としては、これ以上無駄な体力の消費は控えたかった。
「あら、残念ね。折角楽しめると思ったのに……」
そう言ってこころは不満げな顔をしながら、私の右隣に座り込んだ。
あれほど華やかに見えた金髪も汗でへばり付いていた。
それでも彼女の笑顔は微塵も萎まず、爛々と煌めく日光と張り合えそうな程だった。
しかしそれよりも。普段落ち着きのない彼女が大人しくしていると言う事実の方が重要だった。
丁度よい機会だ、本題を切り出すとしよう。
「と言うかさ、こころ。何で私を連れ出したの?」
「……連れ出した?何の事かしら?」
「勘違いだったならいいけど。てっきり、何か話したい事でもあるのかと思ってたんだけど」
何気なく気を遣った、みたいな反応をしたが実際は確信に近かった。
何せスタジオで待っている間私と地面を交互に見たり、そわそわしたりと明らかに挙動不審だったからだ。
それで唐突に立ち上がって外に行こうと言い出したのだ。疑問に思わない方が嘘だ。
いつものわくわくする事を探している時とは違う。
例えるならば、大切なものを壊してしまった事を母親に告げられない幼児のような。そんな印象を受けた。
こころらしくない。それにつきた。
私の無言の圧力に負けたのか、こころは諦めた表情で小さくため息をついた。
そして、何処か憂いた表情で語り始めた。
「……やっぱり、美咲には何でもお見通しなのね。すぐばれちゃったわ」
「いや別に。こころがわかりやすいだけだから」
「そんなに重症なのかしらね、あたし」
憎いほど真っ青な空を見上げて、呆れるように笑う彼女。普段なら目撃する事の叶わない表情、仕草全てが新鮮で。
同姓から見ても確実に、魅力的だった。
それがどうしてか私の心をざわつかせる。
湧き上がる感情に困惑する最中、彼女は内緒話をするかのように口元を私の耳元へと寄せた。
そして、囁くのだ。胸中に抱えている、こころの秘密を。
「あたしね?今、恋をしているの……」
そんな事を宣う彼女の方を向けば、それはまるで有名な絵画を鑑賞しているような。
そんな美しさと儚さを、私は垣間見たのだ。
深く彩られる不安が如何にその感情に振り回されているのかを容易に想像させた。
彼女に友人は少ない。抱え込まざるを得ないその思いを誰かと共有したかったのだろう。
私は彼女の恋心が嘘偽りない事を理解させられた。だから、私は。
「そっか。誰だか知らないけど、応援してるよ」
「ええ!勿論よ!絶対に射止めて見せるわっ!」
応援した。
何て事のない。一人の友人としてその恋路を祝福したのだ。一人の友人として当然の帰結だった。
「美咲に聞いてもらえてよかったわ!こんな気持ち初めてだったから、誰かに相談したかったの」
「まぁ、私も彼氏とかいた事ないから、助言とかは出来ないけどね」
「なら自力で何とかするわ。今日、彼と会う約束をしているからそこで告白するの!」
「……これ、私への相談必要だったかなぁ」
すっかり元通りになってしまった彼女を見て、もうすっかり定着してしまった苦笑いを浮かべる。
彼女の前向きさがあれば何とかなりそうな気がするが、彼女もまた恋する女の子ということなのだろう。
私に打ち明けて気が晴れたのなら楽な仕事なものだ。
大体、私の長年の恋だってまだ成就していない。人のことを言える立場ではないではないか。
自分のことすら解決していないというのに、暢気なものだ。
自分の悠長さに呆れるしかない。こころみたいな積極性があれば、違ったのだろうか。
「てか、もう練習の時間じゃん!?こころ、走るよ!」
「ええ。競争ね!」
どうやら話し込んでいるうちに想定以上の時が流れていたらしい。
スマホの時計を確認したら、ハロハピでの練習時間まで後五分を切っていた。
共に慌てて立ち上がるが、何故か走り出す前から心臓の鼓動がうるさかった。
一瞬疑問に感じるが、それもやがて息が荒くなっていくと共に同調していった。
思えば、この時点で薄々気づきかけていたのだろう。
これらの事実から結びつく、現実に。
・ ・ ・ ・ ・
味気ない。たった一人の縁日では、そうとしか思えなかった。毎年来ているというのに、こんな事を考えたのは初めてだ。
幼馴染に例年の約束を断られただけだというのに。全く、女々しいにも程がある。
結局、私は単独でお祭りと洒落込んでいた。一人で家に篭もって羊毛フェルトを進めるのも考えたが、結局習慣からか現地に赴いていた。
入り組んだ住宅街の路地を慣れた足取りで進んでいく。毎年通いつめていればこの程度、造作もなかった。
周囲には浴衣を纏った女性が大勢見受けられ、友人や彼氏らしき相手とそれぞれ笑いあっていた。
自分はいつものラフな服装だったが、それらを見ているだけで祭りの雰囲気を十分に堪能できた。
「おじちゃん、林檎飴一つ」
「あいよ!……って嬢ちゃん、暗い顔してんなぁ」
「そうですかね?」
「おうよ。ほれ、おまけしてもう一個付けちゃるから元気だしな!」
何気なく寄った露店の店主にすら心配されるほど、自分はつまらない表情をしているのだろうか。
だとしたらお祭りに来ているお客に申し訳ないな。なんて、何処か他人事のように考えてしまう。
その謎の罪悪感に引っ張られるように周囲を見渡して、偶然人混みの中から彼の姿を見つけた。
心臓がやけにうるさくなる。やっぱり彼がいるお祭りは一味違うのだろうか。全く、現金な人間だ。
声でもかけようかと距離を詰めようとした瞬間。人の波が割れてそこには、
彼とこころが手を繋ぎながら縁日を練り歩いている姿があった。
顔を見合わせ、何処か照れくさそうな笑みを交わしていた。
何かが胸元から転げ落ちた気がした。それは掴んでいた林檎飴か、愚かな恋心か。
あれほど心臓が煩かった筈なのに、今では知らん振りをして黙り込んでいた。
ありえない。
これは祭りの熱気が私を惑わすための陽炎に違いない。
だって、彼とこころは学校も住む地域も違う。
彼にいたってはサッカー馬鹿で、女子に興味を持つような性格ではないはずだ。
だから知り合う筈なんてない。決して、ないのだ。
そう何度も自分に言い聞かせた。そうすれば、この幻だって諦めてくれるだろうと信じて。
それでも。
何度も大好きな彼の微笑んだ横顔を眺めても、幾度も眩しい笑顔の彼女を見つめたって。
二人が握り合う掌が別つ瞬間など訪れなくて。私が滑稽な現実も変わらなくて。
数秒間無駄に足掻いた後で、私はようやく現実を受け止めた。
そして悟ったのだ。自分だけ一足先に『夏』が終わったのだ、と。
私は発見される前に来た道を逆戻りした。こんな自分を、見つけて欲しくなかったから。
彼女はいつも突拍子もない行動をするから油断は、できなかった。
ぱぁん、と景気の良い破裂音が鼓膜を震わせる。振り向けば向日葵を模られた特大の花火が開花していた。
一際大きな歓声が夜空の絶景を祝福する。その中には彼らの声だって、きっとあるのだろう。
涙は出なかった。後悔や嫉妬なんて定番じみた感情は存在しなくて、在るのは寂寥感だけだった。
ただ、一過性の何かが胸を突き抜けていっただけなのだ。
ふと、気づけば自室のベッドの上で体育座りをしていた。帰り道はやけに酷く、味気なく感じた。
私は、恋愛という女子にとっての一大イベントを終えた。なのに、こんなにも歯痒いとは思ってもいなかった。
結局、私が得たものは覆い隠せない消失感だった。
当たり前のように隣にいた彼が彼女の元に歩み始めた事で、空いた空席が無性に寂しかった。
『ごめん!今年はもう行く人が決まっててさ』
あの時の言葉が、再びしつこく絡みつく。
今からすれば、彼が語っていた人物像は全てこころに当てはまっていた。
だから、こんなにも妙に胸騒ぎがしていたのだ。
『あたしね?今、恋をしているの!』
『そっか。誰だか知らないけど、応援してるよ』
あの時の動悸の荒さは予期していたのだ。この結末を。
呪詛のように言葉一つ一つが私の心を蝕む。
そこから生み出される、苦くも何処か切なさを帯びたこの感情は。
失恋と、人は呼ぶのだろう。
本当はこんな答え、わかりきってた。多分、目を逸らしていただけで。
馬鹿な自分はその気持ちを見つけておきながら、それを実現しようと前に進む事をしなかった。
その代償が今支払われたに過ぎないのだ。
例え、どんなに焦れる恋心を露見したところで。もう、私に『夏』はやってこない。
私の初恋は、遠い何処かに置いて来てしまったのだ。
ユスラウメの花言葉は『郷愁』。
美咲の想いは遠い過去に置いてきてしまった。
長い時間が過ぎた後で彼女が振り返った時に、それを見て微笑むのか。或いは……