執務を終え、部屋を後にした聖王はユウの元へと向かった。時刻は夜、亜人との戦争に備えて近衛を中心にそれとなく軍備を整え始め、裁決に必要な書類が増えた為にこの様な時間となってしまった。本来ならば既に私室でゆっくり紅茶でも飲んでいる筈の時間だ、しかし聖王はひとつの弱音も吐かず、弱る様な事もなかった。全てはユウ・マグリットという騎士に対する想いの顕れである。
連邦傘下の周辺国に向かって貰った評議会メンバーからの報告も上々、どの国も全面協力とはいかないがある程度の兵数を派遣させるのは構わないという姿勢だった。全ては今までの行いが招いた結果、聖王という肩書は周囲が考えているよりもずっと重い。先王の代から善政を敷いたのが幸いした。
しかしこれで諸外国からある程度嗅ぎ回られる事は覚悟しなければならない。そして軍を動かすならばユウ・マグリットの敗北――とまでは言わないが、彼が討伐に失敗したという事は明るみにでるだろう。しかしそれは同時に傘下の国に対して怪物の脅威を認識させる一つの指標ともなった。正直に言えば出し渋って、そのまま怪物を焚きつけてくれた方が楽だとも考えたのだが――それは他の皆が言う様に、余り聖王に相応しい考えではない。聖王はひとり廊下を歩きながら改めて外交の面倒さを噛み締めた。
「儘ならないものね――私はただ、いつまでも今が続けば良いと、そう願っているだけなのに、世界も人も歳をとらずにはいられない」
そんな言葉を漏らしながら聖王は誰も居ない廊下を歩いた。そして一際大きな区画に入るとユウの私室へと続く扉を軽くノックする。しかし待てども待てども反応は無く、聖王は続けて何度かノック。それでも返事はなく、また中で誰かが動いている様子もなかった。留守だろうか、そうだとしてもこんな時間に外出を? 聖王は窓から外を覗く。外はもう暗く明かりがなければ何も見えない、早ければ床に入る人間もいるだろう。
聖王は一度ユウの私室から離れると彼の行きそうな場所を頭の中に思い浮かべた。尤もユウ・マグリットという男を考える上で彼の行きそうな場所などそう多くはない。
聖王は早足で廊下を進むと今度は評議会の面々が使用する訓練場にやって来た。自分では使用しない未知の空間だ、何度か足を運んだ事はあるものの自ら剣を取る事が殆ど無い。剣の訓練など振り方すら忘れて久しい。
そして思った通り、ユウ・マグリットは訓練場の中心で独り剣を振っていた。訓練用の薄着姿で剣と盾、そして目前に仮想の敵を思い浮かべて。彼の訓練は独特で、忙しなく剣を振ったり盾を振り上げたり、移動したりしない。ただ自身の仮想敵と対峙し鋭く、刹那の瞬間に剣を突き入れるのだ。仮に移動するとしても素早く、鋭いステップで立ち位置を変える。重心は常に低く、盾を前面に押し出し剣は盾と組む様にして中に。それによって相手からは剣筋が見えず、またどこから斬撃が飛んで来るかも分からない。ドンは嘗て彼の戦い方を【まるで亀の様だ】と言った。しかしそれは鈍いという意味ではない、堅牢と言う意味だ。そして崩せない守りから放たれる剣筋は必要最低限、切っ先は常に相手の急所を狙う。その緩急が余りにも速く、上手い故にドンは亀と表現した。
ユウはじっと動かない、しかし不意に体を揺すったと思うと盾が虚空を殴り上げる。相手の攻撃を弾き、そこから内側に抉り込む様な鋭い一突き。それが淀みなく、流れる様な動作で行われた。見えていたのに反応出来なかった、ユウがその動作を終えるまでただぼうっと見ていた。もし彼と対峙していたら――聖王は自身の喉元に刃が突き入れられる想像をした。
聖王は暫く物陰からじっとユウの訓練する姿を眺める。そう言えば彼が評議会に入ってから、こうやって戦う姿を見たのは久しぶりだった。訓練場には壁伝いに設置されたランプから洩れる灯りが見えるだけで顔や体全体をハッキリ目にする事は出来ない。普段のユウであれば既に聖王の存在に気付いていただろう。しかし今の彼からは普段以上の集中が見て取れ、自身の持つ力や意識の全てをただ一点のみに注ぎ込んでいる気配がした。
恐らく再び対峙する怪物、その死闘を想像して訓練に励んでいるのだろう。ただの一部でさえ他に意識を向ける事を許さない、そんな気迫が彼から伝わって来る気がする。
勿論そんな事は無く、こんなクソ夜中に何故訓練場に来たのかと言えば『ユリーティカが可愛すぎて寝付けないから極限まで体を疲れさせよう』と思い立っただけで、決戦に向けての訓練だとかそんな事は微塵も考えてはいない。
最近では「眠れない……そうだ、羊の代わりにユリーティカを数えれば安眠効果倍増なのでは?・」と思い立ち、寝付くまでユリーティカを数えると言う暴挙に出たのだがユリーティカの顔を脳裏に浮かべながら数を数えると、「ユリーティカが一人、ユリーティカが二人……ええっ、あの可愛いユリーティカが二人も!? 最高かよ!」となって眠るどころではなかった。やる前から薄々分かっていたが。そもそもユリーティカの可愛い顔を想像して寝れる訳がないのだ。誰だユリーティカを数えれば寝れるとか言った奴は、いい加減にしろ!
そんな事を考えながら訓練しているとは露ほどにも思っていない聖王。真剣な表情――聖王による騎士補正あり――で淀みなく剣を振うユウにうっとり。しかしいつまでも眺めている訳でもいかないと軽く頬を叩き、訓練場に一歩踏み込むと『然も今来ました』という風を装って声を掛けた。
「ユウ、遅くまで訓練、精が出ますね」
「! これは、陛下」
訓練中、突然の上司出現に思わず身を強張らせるユウ。両手の剣と盾を地面に放ると静かに跪こうとする。しかし聖王は跪こうとしたユウを手で制し、「いいえ、そのままで構いませんよ」と微笑んだ。
「今回は出迎えに行けませんでしたから、せめてその日の内に声を掛けておこうかと思いまして……けれど貴方も貴方ですよユウ、私に声も掛けずに出立するなんて、それにこうして訓練場に赴くのなら私に報告の一つても入れてくれたって良いではありませんか」
「……申し訳ありません、所詮偵察と思い」
「報告、連絡、相談は大切です――尤も、近衛を勝手に付けた私が言える立場ではありませんが……貴方にとっては足手纏いになってしまったようですね、相手の強さを甘く見ていました、よもや近衛の上位騎士さえ歯牙にもかけないとは」
「陛下……」
何となく顔が合わせ辛い、報告もせずこうやって剣を振っているのもそうだが無断での出立や前回の会話等、ここ最近聖王との関係が微妙に絡まっている気がしないでもない。
そう言えば近衛の連中はこの人の指示で動いていたんだなとユウは思い出す。つまり間接的にユリーティカとの逢瀬を邪魔したのは聖王その人。しかし上司なだけに文句は言い辛い。ユウは努めて自分の中の不満を隠し、気にしていませんとばかりに首を横に振った。それと訓練中に「ユリーティカ、ユリーティカ」とブツブツ呟きながら剣を振っていたがバレていないだろうか、近衛から彼女の名前が出ていれば一大事だ。
「ご安心を、敵は全てこのユウ・マグリットが屠ります、どれ程困難であろうと成し遂げて見せましょう、それが陛下と結んだ忠義の証故」
「えぇ、期待していますよ」
そう口にしながらも、彼女の瞳は欠片もユウを信頼してなどいない。いや、正確に言うのであれば聖王はユウ・マグリットという男を腹の底から信頼している。しかし今回に限って言えば聖王はユウに対して嘘を吐いていた。彼女は軍を以てユリーティカ達を殲滅するつもりだ。例え多大な犠牲を払ったとしても彼女はそれをやる。そんな確信がユウの中にはあった。
そもそもユウの語った怪物など本当は存在しないし、ユリーティカの力自体それ程高いものではない。何故か近衛は撃退していたが――まぁあれだろう、火事場の馬鹿力的な何かだろう。正直なところ神聖ノイスタッド連邦の神聖軍だけでも討伐は容易い。故に彼女に軍を派遣される訳にはいかないのだが――ソレに関しては既にユウは解決策を持っていた。
結婚した後に逃げちゃえば良いじゃん。
そう、婚姻届けだ何だと拘っていたが、そもそもの話、騎士をやめるのなら神聖ノイスタッド連邦という国に拘る必要はないのである。恋人が余りにも出来ないので貯まりに貯まった貯蓄は十分。少なくとも家を買って必要な生活用品を揃えて、それから十年単位で遊べる程度の蓄えはある。腐っても評議会のメンバー、給与はかなりのものである。さっさと結婚して国を出る、そして他国に渡るかそれが難しいならどこか僻地でひっそりと暮せば良いそれがユウの考えた最もスマートに事を済ませられる方法だった。
次の邂逅まで六日もない、その間に諸国を纏め上げ軍を編成するのは如何に聖王とはいえ不可能だろう。その為にユウは態々近衛に口止めを図ったのだ。連中がユウが帰還せず、慌てて屋敷に軍を送ったところでもぬけの殻――これはそういう作戦だった。思いついたのは偵察から帰る途中、負傷兵を看護しつつユリーティカと今回は余り話せなかったなぁと落ち込んでいる最中だった。
正に天啓、神の知恵。世界がユウとユリーティカの結婚を「えぇんやで」とニッコリ祝福しているかのようだった。尚フラれた時の事は考えていない、多分その場で切腹でもするんじゃないだろうか。
「それで、ユウ、次の遠征はどれくらい後の予定ですか?」
「そうですね、三日か四日程休息した後、再び連中に挑みたいと思っています、明日には工房に鎧を取りに行く予定です、もし完成していなかったらもう一日伸びるかもしれませんが大凡はその辺りかと」
「成程……なら、次からはちゃんと出立前に声を掛けて下さいね」
「はい、勿論――近衛の方から何か情報を?」
ユウがさりげなくそう問いかけると、僅かに言葉を詰まらせた聖王は小さく頷きながら視線を横に逸らした。
「えぇ、まぁ少し、今回は敵の首領との戦いでは無かったと聞きましたが」
「そうですね……敵のトップの右腕と言ったところでしょうか、かなり強さを持っていますが勝てない相手ではありません、出て来たのが奴で助かりました、もしあの怪物が出張って来たら誰かを庇いながら戦うなんて不可能だ」
ユリーティカの顔を想像しながら告げるユウ。心無しかその声が微妙に甘ったるく感じたのは気のせいでは無いだろう。聖王はその事に一抹の違和を感じつつも、「そうですか」と神妙な顔で頷いて見せた。
「陛下、もう私は止めはしません、しかし――もし連中と国を挙げて戦うと言うのであれば相応の覚悟が必要です、勝利は得られるでしょう、けれどその代償は余りにも大きい」
「私は王です、前回は王では無く、人としての感情に振り回された言い方をしてしまいましたが――脅威はそこに在るだけで脅威、そして彼の館が我が文民を攫い、貪っているのも事実、ならばこそ万が一貴方が敗れた時、その備えが実を結ぶのです」
彼女は朗々と謳う様にそんな言葉を紡いだ。ユウを信頼し、勝つ事を疑っていない、しかしそれとは別に王として万が一に備えるのも役目だと。そう言われてしまえば騎士としてのユウ・マグリットはそれ以上何かを口にする事は出来ない。無論、聖王の言うこどなど殆ど建前、本当はユウの遠征を潰す為の策だ。それを理解しているからこそユウは真摯に、それでいて幾分か険しい表情で告げる。
「ならば王よ、約束して頂きたい、もし軍を派遣するのならばソレはこのユウ・マグリットが力尽き、屍と成り果てた後だと」
「それは……」
ユウの言葉を聞いた聖王は表情を歪め言葉に詰まった。しかし言い淀むと言うよりは考え込む仕草を見せ、それ程長くない時間を経てゆっくりと頷いて見せた。けれどそこには本来ある筈の葛藤や後ろめたさが全くない。彼女の胸の内は酷く空虚だ。
「分かりました、軍を動かすのはユウ――貴方が万が一敗北した時と約束しましょう」
聖王は真っ直ぐユウの瞳を見つめ、射抜く様に言った。けれど対峙するユウはその瞳が自分自身ではなく、その背後にある『何か』を見つめている事を知っている。この言葉も所詮は飾り、彼女の本音ではない。
果たして彼女はここまで『真摯に嘘を吐く』人間だっただろうかとユウは思う。少なくとも嘗ての聖王ならばこんな虚言は紡がなかっただろう。何かが彼女を変えたのだ、そしてそれを咎める理由も資格もユウは持ち合わせていない。そんな事を思っていると不意に、聖王はユウを真っ直ぐ見つめたまま問いかけた。
「……ユウ、貴方は気付いていますか?」
「何に、でしょうか」
「私が貴方に好意を抱いている事にです」
ユウは聖王からも分かる程、ハッキリと顔を歪めた。それは意図して行った訳では無く、ただ単純に彼の胸の内を表現しただけに過ぎない。けれど聖王はそれだけできゅっと胸を締めつけられ、思わず目を伏せた。口から零れた声は震えていた。
「迷惑、でしたか」
「いえ、陛下に好ましく思って頂けるのは光栄の至り――しかし、貴方がその言葉を口にしなければ私達は未だ、王と臣下という間柄のまま過ごす事が出来た、それを少し考えてしまったのです、一度口にした言葉は戻せませぬ」
「……私の様な女は好みではありませんか」
「酷い方だ、貴女と言う女性はとても魅力的であると誰もが理解している――これは好き嫌いの問題ではないのです、貴方は神聖ノイスタッド連邦の王であり、私はその評議会の剣であり騎士である、それが全てで、私達の立ち位置です」
「……愛に身分や役職は関係ないと聞きます」
「そんなのは本の中の世界だけだ」
聖王のどこか縋る様な言葉にユウはハッキリとした口調で返した。王が身分は関係ないと説き、騎士が駄目だと突っぱねる。本来ならば逆の台詞だろう、王は未だ目を伏せたまま両手を所在なさげに組み腹に押し付ける。ユウはそんな王を見つめ、時折左右に視線を散らしながら言った。
「陛下、私は貴方の想っている様な人間ではない、その好意はきっと友愛と呼ぶべき感情なのです、男女のソレとは異なる」
「貴方には……私がそんな感情と『コレ』を一緒くたにする程、鈍い女に見えますか」
「……陛下、貴女は聡明だ、ならば私がそんな事を言いたいのではないと知っているでしょう、もう一度だけ言います、私は騎士で、貴方は王だ」
「ならば私も繰り返します、身分や肩書など、どうでも良いのです」
「ここは少女の夢見る本の中ではない」
ぴしゃりと。叩きつける様な口調でユウは言った、先程よりも幾分か大きな声で、それでいて声には若干の悲しさを含んでいた。聖王は何も分かっちゃいない、ユウ・マグリットという己がどれ程卑しく、取るに足らない存在なのか。
外見は良く見えるだろう、騎士で在り最高の剣士であり、何より忠義に篤く信頼に足る。しかし一皮むけば俗物の塊だ、モテたいなどという理由で剣を取り家族を捨てたゴミクズ野郎。その精神の在り方は高潔な精神とは絶対に呼べない。最高の騎士は最低の男であり、少なくとも『聖王』と呼ばれるほどの聖人と己はどこから見ても釣り合っていなかった。少なくともユウ・マグリットという男は己をそう評価している。
聖王は僅かに肩を震わせユウの見えない角度でぐっと口を強く結ぶ。二人の間に僅かな沈黙がながれ、ドレスのスカートを強く握り締めた聖王は静かにユウに向かって語り掛けた。
「……私は王として最善を尽くして来たつもりです、人に尽くし、国に尽くし、民に尽くした――王としての私は善き王であろうと努めました、どんな時も、少なくともあの椅子に座った時からずっと、私はノイスタッド連邦という国の為に生きて来たのです」
それは独白の様だった、少なくとも彼女にとってはユウに対する言葉と同時に自分に言い聞かせる為の言葉だった。俯きながらも語り掛ける聖王にユウは静かに耳を傾ける。彼女がすっと俯いていた顔を上げると、どこまで平坦で混じり気の無い、悲しみの色を湛えた瞳がユウを捉えた。
「そんな私が、全てに尽くし、努力してきた私が、本当に人並みの――ただ好きな人と結ばれたいという細やかな願いさえ、王を理由に貴方は否定するのですか?」
「………」
その瞳に射抜かれた時、ユウはそれ以上何かを口にする事が出来なくなった。彼女の圧に呑まれた訳では無い、同情した訳でもない。けれどユウは言葉を紡ぐ事が出来なかった。
「私が好みでないと言う理由ならば納得します、けれどどうか立場を理由にしないで下さい――貴方の好む服を着ましょう、髪型だって変えます、性格も、駄目だと言うのなら好ましくなるよう矯正します、この世の誰にも負けない位、貴方を愛し尽くします、それでも私は貴方の一番にはなれませんか? 貴方には愛して貰えませんか?」
「陛下――」
そっと伸びた指先がユウの服に掛る。ほんの先端を摘まんだまま再び俯いた聖王にユウは自身が絆され始めた事を理解した。即ち『えっ、俺の上司可愛すぎ……?』である。普通に考えてこれ程の好意を向けて来る相手を突き放すのは難しい。どんな男だってその筈だ、仏か不能でも無い限りは。
ユウは自分の腕が聖王を抱きしめようと伸びた事を自覚し、慌てて引っ込めた。上司との恋愛は御法度、そう決めたのは自分自身だ。それに自分にはユリーティカという心に決めた女性が居る。倫理や道徳などクソくらえなユウだがユリーティカの悲しむ顔を脳裏に思い浮かべると浮気しようなんて気持ちにはならなかった。故に多大な精神力を用いて服に引っ掛かっていた聖王の指先をそっと外し、そのまま彼女に背を向ける。これ以上あんな懇願の瞳を向けられては耐えられそうになかった。
「ユウ……っ、やはり、私では――」
「いいえ、いいえ陛下、貴女は素晴らしい人格者で美しい女性だ、魅力に溢れすぎて困る、だから貴女に対して恋愛感情を抱かないと言えば嘘になってしまうだろう――これは自分の問題なのです、私は騎士で居たい、一人の為に戦う男では無く、国家と王に忠誠を誓い文民を守る存在でいたい、その在り方を損ないたく無いのです」
背を向けたユウに対して悲鳴にも似た声を上げる聖王。恐らく拒まれたと感じたのだろう。そこにユウは空かさず彼女の思っている事は違うと告げた。彼女に魅力がないのではない、ただ自分には聖王と恋仲になるだけの覚悟がないのだと。それとなく遠回しに、自分のイメージを壊さない言葉で飾った。
しかしここまで自分が押し込まれるとは、完全な誤算であった。ユウとしては人間関係やら作法やら面倒そうな聖王という女性候補は如何に美人で気立てが良く聖人であったとしてもそういう対象には見る事が出来なかった――しかし向こうが押せ押せの状態で突っ込んできた場合は嫌でも意識せざるを得ない。背を向けて俯くユウに、しかし聖王は諦めずそっと抱き着く。女性に免疫が欠片も無いユウは思わず硬直しそうになり、自分の腕を抓って何とか自意識を保った。
「ユウ、貴方が望むならば私は王座を失っても構わない、この肩書が邪魔だと言うのなら一切の躊躇なく投げ捨てましょう、そうすれば私はただの文民、貴方の守るべき存在です」
「陛下、それは余りにも無責任が過ぎます、例え貴女が文民になったとしても同じ事です」
「ならば貴方は一生その在り方を続けると言うのですか!?」
どこまでも否定を口にするユウに対し、聖王は激した様に叫んだ。ユウの耳には聖王の言葉が『お前、一生恋人を作らないつもりか』と責めている様に聞こえた。実際彼女はユウの重すぎるとも言える騎士道に対する姿勢に、感じ入りながらもどこか納得が出来ない様であった。
これで『実はもう亜人の恋人(仮)にメロメロなんで浮気とかはちょっと……』と本音をぶちまけられたらどれだけ楽だろうかと空を仰ぐ。しかしそんな事を言ってしまえばユウの立場は即時崩壊待ったなし。敵に惚れているなんて知られてしまったら最悪評議会からの追放どころか騎士としての称号を剥奪されかねない。今はまだ駄目だ、せめて数日の猶予が欲しい。貯金を全額下ろし諸々準備を整え、ユリーティカと新天地で暮らす為の下準備期間が。
もう良いじゃない? ここまで来たら据え膳でしょう。これだけ好かれているなら最悪バレても何とかなるって。寧ろここで突っぱねる方が人としてどうなのよ? 陛下可哀想じゃん、少しでも好意があるのは事実なんだし受け入れちゃいなよユー。美人で性格が良くて金持ちで、寧ろ何で駄目なの? ホモなの? そう悪魔が囁く。
いいえ、そんな事をしては駄目です。ユリーティカを裏切るつもりですか? 彼女が泣いてしまいますよ――だから事前にユリーティカに確認を取るのです、『俺達まだ結婚してないよね?』と、結婚してから他の女性に現を抜かすのは犯罪ですが恋人段階ならセーフです。不倫と浮気は全然違います。天使が囁く。
どうするべきなのかユウは迷った。眉間に皴を寄せ悪魔か天使か、どちらに傾くべきか必死に考えた。正直なところを言えば聖王の存在はユウの中でもかなり上位の好感度持ち、彼女が王であり上司でなければ問答無用で受け入れただろう。或はユリーティカと出会う前であれば彼女に心を許したかもしれない。
しかし「たら」、「れば」は所詮選ばなかった未来でしかない。ユウはユリーティカと出会ってしまったし、それを踏まえた上で返事を考えなければならなかった。
まぁどうせ後数日で騎士もやめる事になるだろうし、別に良いのでは?
ユウはゆっくりと振り返りながらそんな事を思った。美人には勝てなかったよ。相手は聖王って呼ばれるくらいの凄い人だし仕方ないね。そう思ってユウは一歩下がって寂しそうに自分を見上げる聖王を抱きしめる。ワンナイトなら浮気じゃない、若さゆえの過ちという事で見逃してくれるかもしれない。なんたって彼女は吸血鬼の祖、きっと器量も海くらい広いに違ない。尚、その寛容さもユウに限っては御猪口位しかない事を彼は知らない。
「陛下」
「あっ……ユウ」
ゆっくりとドレス越しに、その細い体を抱きしめる。ユリーティカとは違う、人間の女性特有の柔らかい感触が腕から伝わって来た。ユリーティカの猫の様なしなやかな体とは違う、戦いを知らない者の体だ。ユウの腕の中で何度か聖王は身動ぎし、それから嬉しそうに表情を崩した。やっぱり美人は良い匂いがするんだなぁと聖王の髪に顔を埋めながらそんな事を考える。そしてふと目を訓練場の奥に向けた時。
聖王の背中越しにマロニーがじっと此方を見ているのを見つけた。
「ひぇ」
思わず漏れる悲鳴。いつからそこにいたのだろうか。訓練場の入り口、その回廊にべっとり張り付くような形で物陰からじっとこちらを伺うマロニー。警邏の長である彼女は使者としての役割を免除され王城に残っていた。運悪く聖王に何か用でもあったのか、或はずっと彼女に引っ付いていたのか。だとすればどこまで見られた? ユウは自分の背中から汗がどんどん滲み出していくのを自覚した。
「……? ユウ、どうしましたか」
「い、いえ、陛下、何も、何もありません」
聖王がユウの体が硬直している事に気付き、軽く首筋を撫でつけながら問いかける。ユウは辛うじて平静を装い返事をした。バレる訳にはいかなかった。
ギチリ、と。
ここまで音が聞こえてきそうな程に食いしばった歯。そしてこちらを射殺してやると言わんばかりの眼光。マロニーがユウと聖王の【そういう関係】に対して良い感情を欠片も抱いていないと理解するのは容易だった。ユウの脳裏を駆け巡るのはいつか見た警邏部隊の地下懲罰房、その中で行われている悲惨な行為――拷問と言い換えても良い。
「あっヤッベ殺される」
「えっ?」
このまま突っ走った先に待っている未来は明らかだ。理性と本能は同じ答えを導き出し、ユウは聖王の背中を軽く二度、三度叩くとゆっくり彼女から体を離した。然も『最初からこうするつもりでしたよ』と言わんばかりのすまし顔。内心では冷汗を滝の様に流し、紳士ぶってはいるが下心満載だった男。その内面をマロニーに見抜かれていないか正直気が気ではない。聖王に対してというよりは、九割がたマロニーに対して『自分は何もしません』とアピールしつつ一歩距離をとる。
そしてマロニーには聞こえない、聖王にだけ聞こえる様な声量でそっと告げた。
「陛下――もし私が次に帰って来た時は、その時、貴女の想いに応えましょう」
「えっ……」
そっと離れたユウに対し、寂し気な表情を見せた聖王。しかし彼の言葉を聞いた瞬間、パッとその表情に花が咲いた。本当ですか? と問いかける彼女にユウは滝の様な汗を隠しながら穏やかに頷く。
そして自然な形で背を向けると、「それでは陛下、また明日」と告げて足早に訓練場を去る。聖王の目にはそれが照れている様にも見えて微笑ましかったが、実際はマロニーから一秒でも早く離れる為の行動である。悲しい。
「ユウ――」
ユウの背中が見えなくなるまで見送った聖王は自身の唇に指先を当て静かに目を閉じる。次帰って来た時、想いに応えると彼はそう言った。つまりそれは彼もまた自分を想っているという遠回しな表現ではないだろうか。彼の腕に抱き締められた感触を思い出しながら聖王は頬を染め、静かに夜空に向かって息を吐いた。
明日トルコに、その後スペインに行ってきます。
いつも通りのヤンデレ探しの旅でない事が残念でなりません。
色々ご心配お掛けして申し訳ない。
しかしまぁ多分、不治の病という訳でもないでしょうし、別に治してしまっても構わんのだろう?
一年後、そこには元気にヤンデレを探し回るトクサンの姿が……!
病気も見方によってはヤンデレ。
なぁお前もそう思うだろうォ!? ハムタロサァンよぉッ!
勿論なのだァ!ヘゲェッ!ゲッホオッフォォゴホゴホ! ウッ!!