はあい、はいはい、今行きますよっと。とんとん、とんとん、叩くない。
ああどうも、慧音先生じゃあないですか。今日はどういった御用件で、ああいや、言う事もありませんな。後ろの方の話でしょう。身なりからすれば外来人のようですが、おれが見覚えのないところ、昨日今日にこちらへ来たのでしょうかな。おお当たりですかい、それは重畳。
ほほお良介、それはいい名だ。何がいい名なのかは置いておいて、兎に角良さげな名前だなあ。おうおう慧音先生、嫌だなあ、あまり人のことをそんな風に言うもんじゃあないでしょう。おれだっていつもいつも適当に喋っているわけではないのですよ。いえまあそうですな、ほら、響き、名前の音がとてもよろしい。りょーすけ。ほら、山鳥にでも鳴かれそうな音でしょう。朝の四時には聞こえてきそうな、よく通る清々しい響きだ。りょーすけ、りょーすけ。今にも風に乗って聞こえて来そうでしょう。あのですねだから慧音先生、ほらあ、なんてそこで言っちゃあいかんでしょうと。
え、おれ。ああ、名前を聞いて名乗らないのは確かに失礼。西の十軒長屋の右から三番目、七日市と覚えてくれりゃあありがたい。おれも数年前にこちらへ連れて来られてね、今年で五、いや六年になるかねえ。ここの長屋に腰を落ち着けて、外来人の紹介で食わせてもらっているわけだ。
慧音先生にはとうに教えられたかな、ここじゃあ外来人ってやつはなかなか、にくい扱いだ。外の世界から持ってくるもんをみんな期待しちゃあいるが、まともに使えるもんを持ってるやつは大していない。そいつは頭ん中でも同じでな、そうだなあ、例えばお前さん、テレビは知ってるだろう。当たり前、当たり前じゃああるんだが、それじゃあテレビの中身は知ってるかい。部品がどんなもんで、電気がどうなって画面に映すか知ってるかい。ほう、知ってる、大雑把とはいえ知ってるなら大したもんだ。
それじゃあそれじゃあ、あんたはそのテレビを作れるかい。材料云々、道具云々は置いておいてさ。いやあ、これは何も意地悪で言ってるわけじゃなくてな。俺らの考えてるような、知ってる、なんてえもんは、そんくらいじゃなけりゃあここじゃ役に立たんというわけさ。
はっは、そんな苦々しい顔するない。だってお前さん、ここのことを知らんだろう。機械なんて便利なもんはなくて、工場なんて立派なもんはない。寺子屋はあっても学校はない、ああ慧音先生は寺子屋で先生をやっていてな、とそいつはこれまた置いとこう。ここで生計立てようったら、自分で売るもん作るか、商売するか、医者やらなんやら手に職があるならそれでもいいが、まあそんなとこだろう。とはいえ外の世界とここじゃあ同じ職にも勝手が違う、上手く行くとは限らないわな。結局それじゃあ大した事はできん、となるがそいつも外来人の無駄遣いだってんで、どうにか良い働き口は、とおれの出番になるわけだ。
おれの仕事はまあ単純でね、お前さんに何がやりたい、と聞く。そんでやりたいことの話を聞いて、そこらを連れて回るのさ。ここいらじゃあその仕事はこんな風になってますよ、できますか、あるいは弟子入りでもしますかね、と。いけそうだってんなら家やら仕事場やら、場合によっちゃあ仕入れなんかも話をつけて、駄目そうだってんならまた別の、と。もちろん何事も始めは金子が掛かりはするが、服でもなんでも外の世界のもんならまあまあ高値がつく、そうでなくとも真面目に働きゃあすぐに返せるくらいの額は借りられるもんだ。
別に俺を間に通さなくてもいいが、さっきの連れて回るってのが中々に大事でね。こいつも慧音先生に聞いただろうか、ここに棲む妖怪だのなんだのって奴らは、思った以上に凄え奴ばかりなのさ。河童の塗り薬って話は聞いたことはあるかい。塗れば怪我も治れば万病に効く、冗談みてえな代物さ。そんなもんがごろごろある、いや、ごろごろはないにしても、あるってえだけで医者は肩身が狭いだろうよ。力仕事なんかも人いらずの機械いらず、鬼にでも気に入られりゃあ家の一軒や二軒、ほいほいほいで出来上がりってなもんよ。とはいえ実のところ、鬼なんぞ稀にも見ないがな。脅かしたようで悪いが、まあ話半分には足りるだろ。
ここじゃあ人手はいつもそこそこ足りん、細々と暮らして行くにゃあ何をやろうがそこそこ上手くいくだろうがね。じきに田植えの季節だ、何も決まってなけりゃあとりあえず、稗田さんのとこでも行って伝手を辿ってみてはどうだい。あっこなら家もでかい、少々の間なら面倒をみてくれそうだしなあ。その間にここの事でも知るがいいさ。おっと、勝手に話を進めちまったな、今のもひょいと置いとこう。
ん、金のことかい。おれは金は取らんよ、代わりに恩を貰っとく。そもそもここは金回りが適当でな、働いてるなら食っていい、ってえくらいには大雑把なもんなのさ。神様にだってどうもどうもと挨拶できるここじゃあ、祈祷をきっちり通せば作物は豊作なわけよ、勿論そのきっちりってのが難しいんだが、意外とどうにかなるもんだ。食うものが行き渡ったら後はどうとでもなるだろう、みんなちゃらんぽらんに生きてるのはそういうことだ。少しばかり頑張ったところで神様妖怪様の気紛れには敵わないしな、働いてるのも暇潰しみたいなもんさ。おっと慧音先生、言い方はあれだが本当のことでしょうよ。現におれがこうして暮らせているわけで、ってそこで納得は心外だ。
さてさて良介さんとやら、向こうでは何をしていらっしゃったのか、と、ほう、工場勤務、電化製品。なるほどそれで先は、しかしそいつはなかなか厳しいとこだ、なにしろそういう文化がない。まず電線が通ってない、だからあっても使えない。一応流れてくるのもあるにはあるが、ああ、外の世界からは人に限らず物でも生き物でも流れてくるもんさ。兎に角テレビも洗濯機も冷蔵庫も、ここじゃ単なる粗大ごみってわけだ。
まあだがしかし、全く意味が無いというわけでもない。先も話に出た河童。知ってるかい河童。まあ知ってるか、知ってるわな、とは残念、言わせない。いやいや馬鹿にしてるわけじゃなくてな、何、おれもここに来て初めて知ったんだが、河童という奴らは外の世界で聞くようなのとは、生態、うん、生態が丸っきり違うのさ。頭に皿、背には甲羅ってえ想像しただろお前さん、それ間違い。頭には帽子を被って、背にはリュックを背負ってさ、青い雨合羽に身を包んだ格好をしてる。そのまま川ですいすい泳いでるあたり不思議な生地を使ってんだろうな、詳しいこたあおれは知らんが。
河童といやあきゅうりと相撲に目がないってえのはそうなんだが、奴らは機械だのも大の好物でな、もちろんがじがじと丸かじりするわけじゃあない。へんちくりんな機械やら道具やらを作るのが河童の趣味なんだと。どうだい、そんな話は聞いた聞いたことがあるかい、無いだろう、おれも無かった。てなわけで、そっちの方面に詳しい外来人は、まず河童の方に顔を合わさせてみることにしてんのさ。あいつらも興味津々だからなあ、外の世界の技術を河童に売れて、外来人は河童の魔法みてえな技術を知れる、とこういう寸法だ。そうそう、河童の機械は半分魔法入りみてえなもんでな、まあそいつは見てのお楽しみにしとこうか。
河童の奴らはふつうの人間を盟友盟友と呼ぶくらいにゃあ人懐こいからな、始めに会う妖怪としちゃあいい奴らだ。つっても隠れてやがるから一人じゃあ見つけられねえ、何より場所も知らないとくりゃあ誰かの案内が欲しいだろう。そういうとこでもおれが付き添おうか、となるわけだ。ほらほら慧音先生、おれだって日長ふらふらしてるわけではねえのですよ。ああ、またその目だ、世知辛い世知辛い。
とまあ、今日のところは河童のとこにでも行ってみるのはどうかね。外来人だってんなら話を肴に酒でも振舞ってくれるだろうよ、今夜の寝床も心配がいらなくなるしな。ま、そん時はおれも同席させてもらうがね。そうそう、流石に河童だけあってつまみに出るきゅうりが旨いのさ。きゅうりといやあ歯応えだものな、正直あいつらの頭ん中も機械のこともさっぱりわからんが、さっぱりしゃっきりのきゅうりが旨いのはおれにもわかる。ん、お前さん酒は呑めるかね。おお、そうかい、それは重畳。ここじゃあ酒飲みが多いからな、人も妖もうわばみさ。
おっとまた勝手に話を進めちまったな、さてさてどうする、良介さんよ。おお、おお、そうかい、そいつも重畳、となりゃあ行くのは早い方がいい、ちょいとそこらで待っといてくれ、支度の準備を用意しよう。なあに着物と手荷物だけさ、おれが手間取ってるうちに礼でもしときな。ああ、そりゃあ当然慧音先生だろうよ。やることが決まりゃあわざわざ付き添うこともないだろう、それを言うなら俺んとこまで連れてくるのもわざわざか、先生も随分の御人好しだものなあ。おおう、もう申の刻かい、慧音先生も夕の寺子屋の用意があるでしょう。こっちはこっちでなんとかやりますからね、しっかり教鞭執ってくださいな、と。うん、はい、それじゃあ、任されましたとも、明日の昼過ぎにでも寄ってくださいな。はい、はあい、さようなら。
ふう、美人だよなあ。おう、もちろん慧音先生のことさ。うん、里でも一、二を争うね。少しばかり頑固で生真面目なとこはあるにしてもな、善い人だもの、中身は外に滲むもんさ。寺子屋で先生やってるってえ言ったろ。慧音先生の教え子もな、やっぱりというか何つうか、惚れただの振られただのってがきは、そりゃあわんさかいるわけだ、青春だねえ。ただその青春がつらいのが、でかくなっても慧音先生がおんなし見た目で先生やってるっつうとこだよなあ。おう、聞いてなかったか、慧音先生も妖怪でな。細かく言やあ半人の半獣、どっか中国だかの妖怪が半分なんだとさ。だからそこらの人より長生き、年もゆっくりとるんだとよ。なんだ、驚いたか、そうでもねえな。ははあ、あんたそれで残った口か。何の話って、そりゃあ妖怪の話だよ。
わざわざ自分でこっちにやってきたんでなきゃあ、外の世界に戻りたいってえやつが大半だ。そんでも残るってやつは、半分はあっちが嫌で帰らねえ世捨て人で、残りの半分はいかれてる。おおう怒んな怒んな、いかれてるとは言ったところで、外の世界から見りゃあ、ってなことだ。ふつうの世の中で満足せずによ、作り話みてえなこの世界に、どっぷりはまっちまうような奴。とはいえ、中から見たらふつう、とうぜん、あたりまえの暮らしさ。そりゃあそうだ、そうやって生きてるんだからな、はまるも何もあるわけねえ。だけどな、外の世界から見りゃあどうだい、狂って帰ってこれなくなったいかれ野郎だ。不思議なもんでな、そういう奴らは遅かれ早かれほとんど全員、妖怪だの神様だのに身を捧げちまうもんなのさ。神社で神様に仕える、吸血鬼のしもべになる、人喰い妖怪に喰らってもらうような奴もいたな。道は違うにしても、中身は皆おんなしさ。
中でも多いのがあれだな、結婚だ。妖怪と結ばれちまう人間ってえのは、ここじゃあ男も女もよくいるもんだ。妖怪なんて奴らは何でか知らんが、どいつもこいつも見目の良い奴ばかりでな。飛んで火にいる夏の虫、ってえのも少々違うか。魅入られちまうんだか何だか、ころころころり、簡単に落ちちまうのさ。傍から見てりゃあ面白いくらいにすとんと落とすもんだからあいつら、息をする、飯を喰う、人間を落とす、ってな風にでも思ってんじゃねえかと、おれは思うね。虫喰い花みてえでおっかねえだろう。
たぶんあんたもそうなんだろうよ、おれの勘でしかないけどな。竜宮城から帰ってこねえ、天女の羽衣は見つけさせねえ、女に雪山で助けられたことなんぞ吹聴しねえ、おとぎ話をおとぎ話のままにしねえで、するっと入り込んじまうような変わり者さ。どうだい、言われてみりゃあそんな気はしねえかい。まあいいさ、そいつはそいつで考えといてくれ、気が向いたらおれんとこに来りゃあいい。つうのもな、外来人の紹介がおれの仕事だとは言ったが、そいつは働き口だけの話じゃあねえんだよな。
ここだけのことなのかは知らんが、妖怪の男と女を比べてみりゃあ、なんでか女の方が多いんだ、そんでもって力も強えしな。不思議なもんだよなあ、国柄のせいなのかね、人でないのの嫁入り話はよく聞くにしても、婿入り話はなかなか聞かんだろう。女の形に見えるやつが多いってえだけかもしらんが、ああ、人の形じゃねえ妖怪もそりゃあいるからな、男衆はそいつらの中にばかりいるのかもしれん。本当のところはわからんね。
何にしても、妖怪の娘と世間話でもするとな、良い男はいないかと言うわけだ。そりゃあもうみんな、口を開きゃあ男は男はってえ、おいおい今目の前に誰かいねえか、話してんのは木の洞かってもんだよ。いやいや、笑うところじゃあないだろう、おれだって嫁は欲しいさ。兎に角、この狭え里じゃあ出逢いなんぞ有って無きが如しってなもんでな、そこに外来人が来たぞっとなりゃあ猫耳娘も化け傘も、ほうどれどれと聞いてくるわけだ。うん、おう、頭に猫の耳くっつけた娘さ、尾は生えてるね、二本ほど。あんた喰い付いてくるねえ、だが悪いことはいわん、やめときな。あいつは可愛らしくて気立てが良くて世話焼きだが、なんだ、死体運びが大好きでなあ、ああ、そうだろう、それがいい。
興味があるってんならまた後で来るがいいさ、まずは河童の棲む沢に行くのが先だ。おう、準備は万端、軽い手土産と少々の護符、上着を羽織りゃあ充分さ。ん、ああ、この護符は妖怪退治をしてる巫女さんから直々に頂いたもんだからな、そこらの野良妖怪なら持ってるだけで避けてくような偉え代物さ。おっと、お前さんもこいつを羽織っとけ、水辺じゃあ夜は冷えるからなあ、そんな薄着じゃあ辛かろうに。
ん、そいつはどうした、右の腕の巻き布さ。へえ、怪我ねえ、さては妖怪の仕業か、ってえ何だい引っ掛けただけか。そういやあんた、よくぞ里まで辿り着いたもんだ、先も言ったが妖怪にゃあ人喰いもいる、別に数も少なくはねえからな、運が悪けりゃあ、がぶり、でおしまいよ。里まで来りゃあ安心だが、おう、退魔の仕事人もそれなりにいる、第一に妖怪の奴らは里の人間は喰っちゃあいけねえことになってるそうだからなあ。ん、はっは、いやあ、まさか人間が人間を喰うってえ話じゃあねえよ、そんなもんは人外ってえ呼ぶもんさ。何にせよ、人に仇なしゃあ応報ってのがここの決まりだからな、それなりに自衛してりゃあ外の世界の公道よりは安全だろう。
自衛といやあ、慧音先生の家だが、ああ、寺子屋とくっついててなあ、聞けば死んだ父親から継いだ家と寺子屋だとか、ってえそんな話じゃあなくってだ。絶対、絶対に満月の晩だけは、慧音先生の所に近寄っちゃあならねえぜ。さっき言ったろう、人じゃねえ方の半分ってのが、月に一度出てくるんだそうだ、ああ、狼男とかとおんなしさ。堂々人里に住めるんだ、そんなもんよりはましなんだろうが、しかしまあ、気が立ってるところにふらりと顔を出してしまっちゃあ、どんな目に合うか知れたもんじゃねえ。つうか、こうなる。
おう、痣も痣、大痣よ。ここへ来て二年目の時だったろうか、ついつい気になって覗きにいったら、こうだよ。知り合いの知らねえ姿だ、見たくなるのが人情ってえもんだろう、話に聞きゃあ、絵にも描けねえって噂だったことだしな。ん、いやあ、こういうもんは自分の目で見るのがいいだろうよ、いや、見ない方がいいんだがな。しかし未だに残る痣だ、怪我をしなかったのが不思議なくらいさ。うん、何って、頭突きだよ、慧音先生の大の得意技さ。寺子屋じゃあがきどもが泣いて謝るくらいに怖がられてるらしいぜ、さすがにここまで強く頭突かれるこたあ無いにしてもな。ああ、本当に何の妖怪だったかね、昔聞いた覚えがあるんだが、忘れちまったよ、はっはっは。
は。
どうしました慧音先生、はあ、この巻き布、慧音先生のだったんですかい、返さなくともいいと、それでわざわざ。いえ、別段に大した話はしていませんよ、って、いえ、まあ、立ち聞きとは慧音先生もお人が悪い、ええと、ちなみにどのあたりから聞いてらしたので。ええ、ええ、いやあまいったなあ、これから慧音先生の素晴らしさを滔々と語ろうかと思っていた次第でして、いえ、本当、本当なんですよ、取り繕うだなんてそんなそんな、なあ、あんたも思うだろう、これほどの美人の話だ、少し隙を見せるくらいが近しいように感ずるだろうってえ、うん、そうだよなあ、慧音先生の婿探しも多少なりとも楽になるってものですよ。
は、いえ、いやいや、たまに、たまぁにですよ、別に吹聴して回ってるわけじゃあ、
ぐふえ。
一言頂ければ幸いです。