プリンツ・オイゲンとノワールの演習が開戦となり、お互いに主砲から放たれるペイント弾を避けつつ確実に当てられる距離まで接近しようとしていた。次弾装填時間の煩わしさにイライラしながらもノワールは落ち着こうとする。その一方でプリンツ・オイゲンはいつものように余裕を含ませた笑みを浮かべていた。
波しぶきをかき分けながら水上を移動して、副砲で牽制する。当然ながらそちらもペイント弾に換装済み。
「いやー、どう思いますかエヌラスさん」
「ノワールがやや勝ち気にはやっている感は否めないな」
「愛されてますねー」
「よせやいかち割るぞ」
「血なまぐさい照れ隠しにボクは何も聞かなかったことにします。ちなみに弾が尽きた際はそれぞれの補給地点へどうぞ!」
赤コーナー、レーベが弾薬箱の近くで手を振っていた。
青コーナー、高雄と愛宕が会釈している。プロレスじゃあるまいし。とはいえ、それならば弾切れの心配もない。そうと知ったプリンツ・オイゲンがますます笑みを浮かべた。
こういう時は指揮官の心遣いをありがたく思う。
「そういうことなら遠慮しなくていいんでしょう?」
加減でもしていたというのか、ノワールよりも遥かに速い装填時間による斉射が始まった。海での戦闘経験ならばプリンツ・オイゲンに一日之長がある。
──この艦隊に所属している経緯は、言ってしまえば成行きのようなものだった。
ありきたりな指揮官、ありきたりな仲良しこよしグループ。ありきたりな戦闘海域。それで、良かったのかもしれない。それなりに楽しかったし、それなりに充実していた。
重桜の一航戦が鹵獲された。そんな話を聞いて興味が湧いて、そのまま協力する形で。
広かった母校もあれよあれよという間にすっかり大所帯。今となっては一人の場所を探すのも一苦労するくらいだ。
とか思っていたのに。退屈しのぎを考えるのも一苦労だった毎日が、守護女神という存在が現れてから一変した。
他の世界。異世界、というものがある。鏡面海域の存在から仮説でしかなかったソレが、実在する生きた証拠。それこそが守護女神、しかも往来も可能とくれば当然ながら興味が湧いて仕方がなかった。
行ってみたい。見てみたい。何よりも──知りたいと思った。尽きない興味の矛先は補佐官。
面白いやつ。からかっても、そばにいても。だから、遊んでやろうと思っていた。
「のわぁ!? ちょっと、貴方いきなり本気出しすぎじゃない!?」
「ふふっ……当然でしょう? だってアタシ──」
次々と降り注ぐ砲弾にノワールが回避行動を繰り返し、プリンツ・オイゲンは笑いながら唇に指を当てる。
「補佐官が欲しいんだもの。女神様から奪うなんて、ロマンチックで面白そうじゃない? そういうわけだから、負けてくれない?」
「誰が!」
弾着観測確認。誤差修正。目視で砲塔を調整し、発射されたペイント弾がノワールの艤装に着弾する。赤く染まる左舷の艤装に歯噛みしていた。
「おや、これはプリンツが一歩リードですね」
「熱くなりやすいからなー、ノワールは」
「なにせうちの鉄壁重巡洋艦の一人ですから、頑張ってもらわないと」
「その結果俺がどうなろうと?」
「……さぁー試合続行です!」
「指揮官、後で宿舎裏に顔貸せテメェ」
「告白イベントは是非女の子でお願いしまーす!」
死亡フラグが着々と積み上がる中、演習は続けられる。
ノワールの反撃にプリンツ・オイゲンは回避行動に移りながら、補給ポイントに向かう。後先考えずに斉射した結果、早々に弾切れとなった。だが、その隙を見逃すほど悠長でもない。
至近弾の水飛沫に足を取られつつも、なんとかレーベ達の元へ辿り着くプリンツ・オイゲン。
「あんまり女神様をいじめてやるなよ」
「だって、ねぇ? つい、面白くって。いい反応するから」
「あとで痛い目見ても知らないからな」
「その時は、そうねぇ……補佐官殿に慰めてもらおうかしら?」
「ほら、補給完了だ。行ってこいよ、鉄血の大黒柱」
「それ、褒めてるつもり?」
艤装がもたげた頭を撫でて、レーベが背中を押して送り出す。
ノワールも自分が頭に血が昇っているのを自覚したのか、深呼吸を繰り返してクールダウン。これまた見事に直撃したペイント弾の痕を見つめてから、気合を入れ直した。
「それじゃ、第二ラウンド始めましょうか、女神様」
「……絶っ対に負けないんだから」
「勝てるといいわね?」
「あー、もー、いちいち言い方が癪に障るのよ! 人のことをからかってそんなに楽しい!?」
「面白いんだもの」
「むきーっ!」
「あーっと、ノワール選手逆上だー!」
「これはいけませんねぇ」
インディアナポリスは飲み物を口に含みながら「この二人、真面目に実況とかする気ないんだ……」とか思う。だが、演習は着々とヒートアップしていた。
互いに至近弾を避けて、魚雷で動きを制限する。
今度はノワールが弾切れとなり、補給地点へ向けて撤退した。その間も上空から容赦なくプリンツ・オイゲンのペイント弾が降り注ぐ。艤装の装甲で受け止めることに成功したが、それが納得いかないのかますますノワールが不機嫌になる。
「高雄、愛宕。補給急いでもらえる!」
「任された」
「はい、お水とタオル。少し落ち着いていきましょ?」
「それはわかってるけど、煽ってくるのはどうにかなんないの!?」
「性悪だからそこは堪忍してあげてね」
「ちょっと、聞こえてるわよ重桜のー?」
「ごめんなさいねー、事実でしょー」
新たな火花が散る音がした。気の所為にしておきたい。余計な火種を撒き散らすな重桜と鉄血。エヌラスは顔を覆った。知ってるぞ、どうぜ後始末が全部俺に降りかかるんだ。ふざけんなよ指揮官。こうなったら工房で花火大会だ、ド派手にきのこ雲打ち上げてやろうか。お前が花火になるんだよ。
ヤケクソの補佐官はさておき、補給を終えたノワールが早速プリンツ・オイゲンに向かう。
砲弾の応酬に、決着が長引いていた。集中力も体力も緊張感によってすり減ってきていたが、足を取られた隙を突かれてプリンツ・オイゲンに砲弾が迫る。直撃コースだったが、しかし──宙にかざした手からハニカム構造の防壁が展開された。その数にして三枚。
防壁に着弾したペイント弾が霧散する。これでは無効だ。
「ちょっとぉ!? あれ反則じゃないの! インチキ効果も大概にしなさいよ!」
「仕方ないじゃない、だってアタシのスキルはコレなんだもの。本気って言ったでしょ、女神様」
「おーっと出ましたねー。プリンツ・オイゲンがうちの艦隊の中でも堅牢な理由が」
「あれいいのか、指揮官?」
「当然ですとも。正面からのガチンコ勝負ですからね」
「……お前、それ言ったら」
わなわなと拳を震わせるノワールに、ペイント弾が迫る。
「──ああ、そう! そういうことなら、これも当然わたしの実力ってことで許可が降りるわよねぇ! そうじゃなきゃ筋が通らないもの!」
怒り心頭、手にシェアクリスタルを浮かべてノワールの身体が光に包まれ──ペイント弾が切り落とされた。目を丸くするプリンツ・オイゲンだったが艤装の頭が持ち上がり、威嚇している姿に自身も青空を見上げる。
そこに浮かんでいたのは、白髪の黒いレオタード姿の守護女神。ブラックハートだった。大剣を片手で軽々と古いながら、プロセッサユニットの青い翼を広げている。
「女神ブラックハート、変身完了よ!」
「へぇ……そういうことをしちゃうわけ?」
「プロセッサユニットを大幅に削って手加減してあげてるんだから感謝しなさい! 此処からが本番なんだから!」
「ねー、空飛ぶのはいいわけ? あれは流石に反則でしょ?」
「高度は落としてあげるわよ!」
「そのまま撃墜してあげるけど?」
売り言葉に買い言葉、女神化をしたことにより、より好戦的になったブラックハートが水柱を上げて海面を高速で移動する。プリンツ・オイゲンも応戦するが、如何せん相手の航行速度が上回っていた。偏差射撃をしようにも捕捉しきれない。
展開している三枚の防壁で大剣を防ぐものの、一撃離脱。装甲と火力が売りの重巡洋艦には少々荷が重い。こんなこともあろうかと対空砲にもペイント弾を装填していて正解だった。
ブラックハートの大剣が防壁を砕く。至近距離の主砲をかいくぐって回り込むが、手をかざして左右に展開させて艤装を防御した。しかしひび割れる防壁が続く蹴り込みによって破砕される。
貰った──! そう確信して大剣を全身で振り下ろすブラックハート。
しかし、艤装を破壊するはずの剣が金属音を上げて何か硬いもので阻まれていた。その正体は腰部の艤装接続ユニットから伸びている鉄血特有の生体艤装。強固な顎を開けて大剣に噛みついていた。
目の前で砲塔が旋回して副砲と睨み合うブラックハートが舌打ちして身を捩り、超至近距離からのペイント弾を回避して距離をとる。
避けられた、というのにプリンツ・オイゲンは笑っていた。無邪気ながらも妖しさが見え隠れする淫魔のごとき笑顔を見せて、ブラックハートは対照的に睨みつけている。
「なにがおかしいの」
「楽しくて楽しくて、仕方がないのよ! アンタも随分と面白いじゃない、ゾクゾクするわ!」
ユニオンやロイヤルのような行儀の良い砲雷撃戦などではなく、命懸けの白兵戦。接近戦。船でありながら人の形をした自分達にだからこそ出来る水上戦闘。
それが、楽しい。胸の奥にある退屈さを吹っ飛ばすくらいに、熱くなる。
もはやルール無用の殴り合いと化した演習に、指揮官も困り果てていた。うーん、こういう時はノックアウト方式に切り換えるべきだろうか?
どうするか考えていた横で、補佐官がおもむろに立ち上がった。観客であるネプテューヌ達も盛り上がっているが、このままではどちらかが倒れるまで収まりがつかないだろう。
「──クトゥグア、イタクァ。神銃形態」
左手に吹き荒れる暴風を。右手に燃え盛る業火を。
「“
相反する二属性を融合させる。エヌラスの手元に握られるのは、杖にして砲身。魔力光を放ちながら渦巻く暴威が青空をぶち抜いた。それは雲間を貫いて、青空に消える。その余波と衝撃が海上を含めて突風と共に吹き抜けていった。
互いに取っ組み合っていたブラックハートとプリンツ・オイゲンも流石に固まる。それどころか会場が静まり返った。
静寂の最中、エヌラスは口腔から白い吐息を吐き出して“排熱”しながら二人を睨んでいる。死を覚悟させるほどの冷酷な、それでいて無感情な赤い瞳。
「テメェら大概にしろよ、そこまでやりてぇなら二人まとめて相手してやるからかかってこい」
消し炭にしてやる、とでも言いたげな顔をしていた。控えめにキレている。
──その瞬間、指揮官は思い出していた。補佐官が女神様たちから「絶対に暴れるな」と宣言されていたことを。その理由が分かった。
この人は、火力が高すぎる。持ち合わせている暴力性に歯止めが効かない。殺意全開の威嚇射撃には流石の二人も戦意喪失していた。
「……はい、では今回はここらへんにして引き分けということにしておきましょうか! 次回があればもっと明確なルールを設けておきたいと思います以上解散閉廷お疲れさまでした後片付けよろしくおねがいしまーすっ!!!」
「それと指揮官。テメェやっぱ後で宿舎裏に面出せ、しめる」
「うおおおぉぉぉ……!!!」
机に突っ伏す指揮官は死を覚悟する。絶対にもう二度と面白半分でこんな模擬演習組まないのでどうか命ばかりはご勘弁してください、まだ新作アニメ観ていないんです御慈悲を──という小一時間に及ぶ命乞いという名の正直な誠意ある対応によって一命を取り留めることに成功した。
『艦隊特別教訓第一条:補佐官を絶対に怒らせてはならない』が設立されたのは、それから間もなくだった。