──補佐官生活一日目。
エヌラスは目を覚まし、身体を伸ばす。指揮官からあてがわれた部屋は、元々使われていなかった宿直室だった。
大宿舎の片隅に設けられた室内は質素なもので、布団と小さな机しかなかったのだがこの度めでたく補佐官が任命されたことで日の目を見る。それも昨日のうちにこれまたロイヤルメイド隊が必要な物を用意してくれていた。半休を言い渡されておきながらこの人使いの荒さはどうなのか。それも心配ご無用。
本日はベルファスト達ロイヤルメイド隊は全休である。サボっていたサフォークを除いて。
「く、ぁ~あ……くっそねみぃ……」
身体を慣らし、ネクタイを締めると上着を羽織りながら宿直室の鍵を閉めて執務室に向かう。
「あ、エヌラスさん。おはようございまーす」
「おーおはよう」
「……おはよう……ねむい……ねたい……むにゃ……すやぁ……」
「ラフィー。しっかり起きてください。おはよう、ございます。エヌラスさん」
ジャベリン、ラフィー、綾波の三人とすれ違い、軽く挨拶を交わして片手を振る。どうやらこれから朝食らしい。
「……おかしい。なぜ俺とすれ違う艦船の視線が生暖かいんだ」
気のせいか? 考えすぎか? それともなにか、指揮官のせいか? エヌラスが考え込んでいると、ノワールと曲がり角でぶつかりそうになる。
「きゃっ」
「おっ、と。大丈夫か?」
「驚かせないで……おはよ、エヌラス」
「おはよう、ノワール」
「そっちはよく眠れたかしら?」
「まぁな。たまには布団もいいものだ」
「まさかとは思うけど、スーツを着たまま寝てないでしょうね?」
「流石に脱いだっつうの……そこまでズボラじゃねぇよ」
朝から顔を合わせるなり説教されては仕事に対するモチベーションも下がってしまう。しかし、すぐにノワールは笑みを浮かべて頷いていた。
「今日は指揮官に許可を貰ってネプテューヌ達と演習しようと思うんだけど、どうかしら?」
「どうって聞かれてもな」
「応援してくれるわよね」
「怪我だけしないように、としか言えねぇな」
なにぶんこっちの世界はゲイムギョウ界と勝手が違う。不慮の事故が起きないように万全を期してもらいたいものだ。
「あら、エヌラス。それにノワールも。おはようございますわ」
「ベール。おはよう、随分早かったわね?」
「ええ、まぁ。昨夜はお楽しみでしたもの」
「……」
「……」
「──げ、ゲームの話ですわよ!?」
誤解をまねくので言い方に気をつけてほしい。ロング・アイランドと夕張も非常に眠そうにしながらのっそのっそと亀のように歩いている。
「……おはよ~……」
「完徹で……眠い……」
「お二人とも、八時間耐久ゲームで音を上げていては先が思いやられますわよ。ゲームへの道は一日にして成らず、ですわ」
「でも私達、出撃もあるし……」
「体調管理も仕事のうち……明石の手伝いも……」
「それも踏まえて体力づくりですわね。さぁさ、顔を洗ってしまえばさっぱりしますわよ」
二人の背中を押してベールはさっさと行ってしまった。廃人にならなければいいのだが、不安がよぎる。
執務室の扉をノックしてからエヌラスは開けて中の様子を覗いた。すでにそこには執務机に着いて仕事に着手していた指揮官が座っている。
「お、いたいた。おはよう、指揮官」
「おはようございます、エヌラスさん。仕事中は補佐官殿のほうがいいですかね?」
「どっちでも好きに呼んでくれ」
「そうですか。宿直室の寝心地はどうでしたか」
「まぁまぁといったところだな。悪くはなかった」
「必要なものがあれば言ってください。用意しますので。あ、パソコンとか必要ですか?」
「いや、そこまではいらないな。俺あんまりそういうの触らないし」
「ちょっと意外ですね。てっきりベールさんみたいにハイテクな人かと」
「ああいうのは度が過ぎているって言うんだよ……」
しかし、用意してくれるというのならばご厚意に甘えて。
「それなら指揮官、ひとつ用意してもらいたいものがあるんだが」
「ベッドなら取り寄せましたよ? あと部屋の改装も明石に言いつけてあるので、夜までには一回りほどスペースが確保できるかと」
「本格的すぎないか!? そこまでされるとちょっと帰りにくいぞ俺!」
「いっそ永住されてみては? ボクも嬉しいですし」
「いや勘弁。俺も色々あるし」
「そうですかぁ……それで、用意してほしいものってなんでしょうか」
「作業机が欲しいな。置いてあるやつだとどうにも小さく感じる」
「なるほど。わかりました、カタログでも見て良さげなの選んでおきます。それともご自分で?」
「あー……指揮官に任せるさ」
執務室で話し込んでいても秘書艦が姿を見せる様子はなかった。それにエヌラスは少し拍子抜けしながら室内を歩く。
「今日の秘書艦、まだ来てないのか?」
「まだ朝食の時間ですからね。そろそろ来るかと」
「そうか。指揮官は食べたのか?」
「ええ。先に済ませておきました、軽くですけどね」
壁にかけられた時計を見れば、まだ七時前だ。今頃には艦船達も朝食を摂っていると考えれば指揮官が起きたのは身だしなみを整える時間も考慮して、大体一時間前だろう。
昨晩はだいぶ遅くまでトークショーではしゃいでいた。結局二時間ほど指揮官とショートコントしながら飲み食いしていただけにエヌラスも少し眠気が残っている。
小綺麗な壁面に手を触れさせた。温もりの感じられる質感に、木造であることが感じ取れる。母港を破壊されて死に目に遭った、という話から執務室も吹き飛ばされて改装したのだろう。拵えられている装飾なども真新しいものだと見て取れた。
部屋だけを見れば、確かに新米の年若い指揮官のように思える。だが笑顔で隠したのは過去の苦難だ。それを感じさせない爽やかな雰囲気を出しているだけに、底知れないものがある。
親しみやすいのもまた事実。だが、それも過信は禁物だ。
「なにか気になります?」
「いや、ちょっとな。執務室も改めて見てみると随分新しく感じるから」
「吹っ飛ばされましたからねー、綺麗に。どうせなら趣味全開で改築してやろうかと思いまして」
「笑って言えることか……」
コンコン、と二回ノックしてから執務室に入ってきたのはエンタープライズだった。指揮官の顔を見るなり右手で敬礼する。
「失礼する。ヨークタウン級二番艦、エンタープライズ。本日の秘書艦を担当させていただく。指揮官、ご指示を」
「楽にしていいよー」
「あっ、え……は、はぁ…」
「返事はー?」
「は、はい。毎回思うのだが、指揮官は肩の力を抜きすぎではないか?」
「仕事だよ? 真面目にやってどうするのさ」
「いや、仕事なんだから真面目にやれよ……」
「リラックスした方が上手くいくんです」
「……誰かの受け売りか?」
「ええ、まぁ」
しかし、指揮官らしいと言えば指揮官らしい。部隊を束ねる立場にある人間の言葉とは到底思えないのだが、それがより人の良さと人間臭さを感じさせる。
エンタープライズが咳払いを挟み、指揮官の隣に並ぶ。銀の髪をひるがえしながら、腕を組むと胸を持ち上げた。白い軍帽に、赤の裏地の黒コートのコントラストが映える。エヌラスはエンタープライズを素直に美人だと感じたが、それよりも気になることがあった。
「なぁ、エンタープライズ。あの、鷹はどうした?」
「ああ、いーぐるちゃんのことか?」
「……なんだって? ぷりーずわんすもあ」
「? いーぐるちゃん。私と一緒にいた鷹のことだろう? あれは姉妹で飼っている鷹なんだ」
「いーぐるちゃん」
「いーぐるちゃんだ。かわいいだろう」
多分、ほら、あれだ。犬をポチとか、猫をタマとか名付けるのと一緒だ。ワンコとかニャンコとかと同じなのだろう。しかし、いーぐるちゃんとはまた安直な。
「それは置いといて……昨日はありがとうな、おかげで助かった」
「礼を言われるほどのことはしていないよ」
「ああ。ドザえもんのエヌラスさんを引き上げたのがエンタープライズだったっけ。良かったですね、エヌラスさん。エヌえもんにならなくて」
「お前ひっぱたくぞ、指揮官」
「あっはっは、ご冗談を」
「うぅん??? この流れ昨夜も嫌というほどやらなかったかぁ?」
「あっはっはっはっは」
笑って誤魔化しやがった。次やったら一発くらい小突こう。エヌラスはそう決めた。真面目なエンタープライズはそんな和やかな空気に惑わされず、咳払いを挟んで書類を手にしている。
「コホン。指揮官、お喋りもいいがちゃんと任務を片付けないと」
「あ、そうだった。それじゃ早速仕事に取り掛かろう。エヌラスさんも」
「りょーかい。まずは見て覚えるさ」
まずは備蓄資源のチェック。軍資金と燃料の確認。それだけでなく「メンタルキューブ」と呼ばれる謎の多い物体の在庫。なんでも艦船の建造に必要らしい。
「まぁ余裕あるし。えー本日の出撃メンバー」
「ああ」
「ま、思いつきでいいかな。後回し」
「はぁ……」
エンタープライズが再び肩を落とす。軍帽がずれ落ちそうになって、直していた。本当に仕事は適当なようだ。
「本日の遠征任務はー……ふんふん。まぁこれも後回し」
「…………」
「えーと、建造任務。適当で、と」
「………………」
「出撃任務ーは、後で片付けるとして」
「……………………」
「あ、寮舎の食糧備蓄無くなってるのか。後で補充しておこう。それから──」
「なぁ、エンタープライズ」
「……なんだろうか、補佐官」
「仕事を後回しにしすぎじゃないか?」
いつもこんな調子らしい。エンタープライズが軍帽のつばをつまんで目深に下げた。
「私に言われても困る……しかし気がつくと大半終わってるんだ」
「どうなってんだここの艦隊……」
「それじゃあまずエヌラスさんに任せるお仕事を探しましょう。そーですねぇ、やっぱりまずは理解を深めるべきかと思います。そんなわけで、お昼まではお勉強で」
「分かった。そっちの方が俺も何かと動きやすくなりそうだ」
「そんなわけで図書室に行きましょうか。道すがら片付けられそうな任務も片しつつ」
片手間で任務を終わらせられるものなのだろうか。
些か指揮官の仕事を舐め過ぎじゃないだろうか?
…………そんなことはなかった。本当に執務室から図書室までの移動する片手間で指揮官は幾つかの任務を終わらせてしまっている。
エンタープライズが書類にチェックを入れながらついてきていた。
まず、海軍食堂で軍資金の回収。それから海軍売店で燃料も回収。戦術教室では担当艦船に渡す教科書の用意。寮舎へ補充する食糧も可能な限り準備して──あっという間に報告書が出来上がっていた。
「そんなこんなで到着しましたね、図書室」
「マジで片手間に終わらせやがった……」
「こんな調子だからたまに私もミスをするんだ……」
確かにこれは、目を離した一瞬の隙に仕事が終わる勢いだ。いつもこんな調子では秘書艦も気が休まらないだろうに。
艦船達の助力もあるが、それにしても簡単に業務をこなしすぎだ。
「エンタープライズとも付き合いは長いから大丈夫だと信じてるよ」
「出来るだけ私も指揮官の期待に応えているつもりなのだが、出来ているだろうか?」
「うん、出来てるよ。そんな心配しなくても大丈夫」
「そ、そうか……それなら、うん。私も安心して戦闘に集中できるな」
「これからもよろしくね」
手を後ろで組みながら歩く指揮官に続いて、エヌラスとエンタープライズも図書室へ入る。
蔵書の整理を行っていた蒼龍が丸メガネを直すと、持っていた本の山を下ろして指揮官に会釈した。蒼い着物が特徴的な、青髪の航空母艦からは兎の耳がピンと立っている。
「おや、指揮官。本日はどうされました?」
「やぁ蒼龍。補佐官殿の勉学の為に立ち寄らせてもらったんだ」
「ああ、昨夜の……」
「そのちょっと可哀想な人を見る目をやめてくれないか?」
「これは大変失礼を。私は重桜艦隊所属、蒼龍型航空母艦一番艦、蒼龍と申します。以後お見知りおきを、補佐官殿。それと指揮官? いつも言っておりますが、メガネを掛けているからといって私を先生役にするのは少々……」
「そうかな。似合ってると思うけど。エヌラスさんはどう思う?」
「え、先生じゃないのか?」
「違います」
キッパリと断言してみせる蒼龍が再びメガネを直すと、窓から差し込む光の加減によってエヌラスの目に反射光が直撃する。思わず顔を背けてしまう。
「まぁ、確かに図書室は嫌いではありませんが」
「レンジャー先生はまだ来てないかな?」
「私が来たのもつい先程です。指揮官達が一番乗りですね」
「そっかー。あ、ちなみにエヌラスさん。蒼龍も元は敵でした。ね、エンタープライズ」
「指揮官の言う通りだ。辛酸を嘗めさせられたものだな」
当事者達がうんうん、と納得したように頷いていた。
「重桜艦隊、敵だったの多くないか?」
「元はと言えば一航戦が……ああいや、それを言ったら鉄血の──」
「蒼龍ー?」
「あ、いや……と、とにかく。この艦隊の指揮下にある以上、指揮官のご指示に従います」
「鉄血……?」
四大陣営の一つ。しかしまだ浅学な身分、よく理解が及んでいないエヌラスは首を傾げるしかない。それも指揮官は解説を入れることなく話を進めていた。どちらにせよ、学んでいけばいいだけの話。
「あら、指揮官くんじゃない。朝からどうしたの?」
「おはようございます、レンジャー先生。ちょっと補佐官殿の勉学の為にお知恵を借りようかと思いまして」
「よろしく、先生さん」
気さくに片手を挙げて挨拶をすると、図書室に入ってきたレンジャーが小さく敬礼する。
「よろしくね。先生で良かったら何でも教えてあげる──べ、別に変な意味じゃないからね!?」
「ボクも手取り足取りお世話になりました」
「指揮官、意地悪が過ぎるぞ」
「流石にそれはちょっと」
「え、本当のことなんだけど」
苦言を呈する二人がその言葉を聞いた瞬間、レンジャーが蒼龍とエンタープライズに捕まった。
「ひえぇ!?」
「どういうことか詳しく説明してくれないだろうか、レンジャー」
「ええ。非常に詳しくお願いします、興味がありますので」
「本当に、何も先生知らないからね!? ただ新米だった頃の指揮官くんに色々教えてあげただけで」
「その色々の部分を詳しく」
「変な意味ではありませんよね?」
「違うからね!? 健全! KEN-ZENな内容だから!?」
「指揮官、本当なのか!」
「何もやましいことはないと胸を張って言えますか!」
「強いて言うなら悩ましい事くらいかなー……ちらっ」
エヌラスは腕を組んで事の一部始終が治まるのを待っていたが、悪乗りする指揮官が火種にしかなっていないので場が収まりそうにない。そこへ、今度はブランがやってきた。
「エヌラス、おはよう……何の騒ぎ?」
「よう、ブラン。いや、指揮官が先生からかって遊んでるだけだ」
「先生? ……ああ、レンジャー先生ね」
「おはようございます、ブランさん」
「おはよう、指揮官。ちょうど良かったわ、演習の許可がほしいのだけれどもいいかしら?」
「いいですよー」
「かっる!?」
実技演習の許可を取り付けて、ブランが頷く。新刊を借りに来たらしいが、この騒ぎでは図書室の利用も難しい。
「そろそろ助け舟を出してあげたら?」
「見てて面白いから黙ってた」
「わかるわ。レンジャー先生、からかい甲斐があるもの。でもそろそろ止めた方がいいわよ」
「どうしてだ?」
「聞きつけると危ないのが飛んでくるわ……重桜から」
「よーし止めるか」
赤い狐の空母が風の噂ですっ飛んできたら図書室が吹っ飛ばされかねない。エヌラスは蒼龍とエンタープライズの二人をレンジャーから引き離す。すっかり涙目で震えていた小動物のような先生に指揮官が笑顔で謝罪していた。
「うぅぅぅ……ぐすん、指揮官くん! ヒドイです! そんな有る事無い事吹き込むなんて! 先生怒りますよ!?」
「いやぁすいません、レンジャー先生。でもボクに手ほどきしてくれたのは事実ですし」
「それは、その、そうだけど……」
「とても助かってますよ。ええ。でも先生のスタイルが悩ましいのもまた事実ですので」
「し、指揮官くんっ!? 先生のことをそんないやらしい目で見てたの!?」
「先生もボクが男だってこと忘れてません? これでも健全な成人男性なんですよ」
「は、はわ……!?」
今度は顔を真赤にして言葉を失うレンジャーに、エヌラスは指揮官の頭を教科書で叩く。間の抜けた顔をして振り返る指揮官に、更にもう一発軽く叩いた。
「あいたー」
「先生からかうのもその辺にしとけ、指揮官。俺の授業が始まらんだろうが」
「ははは、ごめんなさい。でも先生のスタイルいいでしょ?」
「そりゃあ当然だよなぁ? っていうか総じて美人揃いだろうが」
真っ赤な顔で胸を隠すレンジャーに、エヌラスと指揮官が拳を突き合わせる。グータッチをする二人に、ブランが自分の胸に手を当ててから三人と見比べていた。
「くっそ……考えないようにしてたのに朝からたゆんたゆんが目の前に……!!」
「な、なんだ……悪寒が……?」
「気の所為、でしょうか……」
「冷房入ってる?」
白の女神を前にして胸の話題は禁句である。悪寒に身体を震わせる三隻の空母はその凄まじい殺気と敵意に生唾を飲み込んだ。
「さて、それではレンジャー先生。お昼まで補佐官殿に講義の方よろしくお願いします。エヌラスさんも頑張ってくださいね」
「あいよー。おとなしく授業受けるさ」
「お昼休みを挟んでから、また午後からのお仕事を用意しておきますので。それじゃ、エンタープライズ。ボク達は引き続き任務を片付けていこう」
「ああ。それではな、補佐官も頑張ってくれ。色々と覚えることが多くて大変だろうとは思うが」
「命の恩人に言われちゃしょうがない。出来るだけ頑張るよ」
蒼龍は図書室の整理に戻り、ブランは本を借りてからすぐに図書室を出ていく。ノワール達に演習の許可を貰ったことを報せに向かっていた。
補佐官の今日のお仕事──まずは基礎学習から。