BYAKUYA-the Withered Lilac- 作:綾田宗
Chapter1 虚無との邂逅
蒸し暑く、寝苦しい夜。
「……うーん、んん……」
学生服のズボンに、胸元を大きくはだけさせたワイシャツ姿の少年は、呻くような声を出しながら、ベッドの上を何度も寝返りしていた。
窓は開放しているが、風は少なく、部屋の温度は下がる気配がない。
それでも少年は、ベッドの少しでも冷たい部分を求め、まるで芋虫のようにゴロゴロと転がり続けていた。
「んっ、んん……!」
少年はとうとう、暑さに堪りかねて、腹部に僅かにかかっていた毛布を払いのけて目を覚ました。
起き抜けで意識がはっきりしない中、少年はゆっくりと瞬きを繰り返した後、むくりと上半身を起こした。軽く目眩を感じ、額に手を当てる。
「……あれ、いつの間に寝てたんだろ?」
まだ意識は朦朧としており、夢か現実か、いまいち判断がつかない。
しかし、自室を見渡す内に、意識はだんだんとはっきりしていく。
特になにもない部屋である。少年が寝ていたベッドの他には、簡素な机、その机を購入時に一緒に付いてきた本棚、もう普通には使えなくなったブラウン管のテレビ、ラックの下にはもう滅多に触らなくなったゲーム機がある。
床に散乱しているものはない辺り、清掃は行き届いていると思われる。しかし、一つだけ無造作に放り投げられているものがある。
それは、革製の学校指定の手提げ鞄であった。年頃の少年が持つものにしては飾り気がないが、一つ、フェルトのキーホルダーが付けられていた。
青い生地に黒く文字が刺繍されており、それには『BYAKUYA』と記されていた。地味な鞄ながら、そのキーホルダーだけは大切にされてきた形跡があり、恐らくこれが少年の名前であると思われた。
「ああ、そうだった。寝たんだった……」
少年、ビャクヤはだんだん甦ってくる記憶を呟いた。
「夢なら。夢でなら姉さんに会えるかもって思って寝たんだっけ……」
ビャクヤは、大きく溜め息をつきながら膝を抱える。
夢はビャクヤの希望を受け入れてはくれなかった。ビャクヤの見た夢、それは彼の言う『姉さん』が現れることはなく、無機質な、真っ白な世界にビャクヤ一人が立っている。それがずっと、永遠に感じるほどに続くだけだった。
――もう何回目だろうな。こんな夢見るの……――
ビャクヤは眠る度に同じ夢を見て、そして目覚めては、希望を聞き入れてくれない夢を呪う。
ビャクヤはふと、壁に貼ってあるポスターに目をやった。
ポスターには、妙齢の少女の姿が写っていた。複数枚貼ってあるポスターは、全て同じ少女のものだった。
黒いセーラー服に身を包み、頭には百合の花飾りを着けている。見目麗しく、優等生といった雰囲気の、優しい文学少女といった感じである。
ポスター写真は、まばゆい笑顔を向けるものもあれば、はっと驚いたようなもの、更には顔を紅潮させ、下着姿で官能的な構図のものまである。
――夢でもいい。夢でもいいから。もう一度会いたいよ。姉さん……――
写真に写るビャクヤの姉さんは、もう二度とビャクヤと会うことはできない。
あれからもう、幾千、幾万年と時が経っている気さえするが、実際にはそんな時間が過ぎているはずがなく、ほんの数週間前の出来事であった。
ビャクヤの姉さんは、不慮の事故により、この世を去った。
以来、ビャクヤは茫然自失となり、無意に時を過ごしている。時間という実体のないものだけが、ビャクヤの心の傷を癒す手段であった。
しかし、ビャクヤには待てど暮らせど、傷が癒えている感覚を得られる事はなかった。
ビャクヤと姉さんは、いつも一緒だった。
両親を早くに亡くしたビャクヤにとって、姉さんは姉であり、また母親のような存在であった。
両親が亡くなり、二人は別々の親戚のもとに預けられそうになったが、ビャクヤの姉さんはそれを断固として拒否し続けてきた。
たった一人の家族との離別を拒む彼女の意思に押し負け、親戚は子供二人暮らしを許し、親権だけを得て二人を見守ることにしたのだった。
それからビャクヤと姉さんは、二人仲睦まじく暮らしてきた。両親が遺してくれた家を大切にし、家事も二人分担しながらこなしてきた。
二人は姉弟というよりも、最早夫婦といえそうなほどに互いを愛し合っていた。
また、ビャクヤと姉さんは、とても対称的でもあった。
姉さんは交友が得意で友人は多く、また成績も常に上位に入るほどの、まさに絵に描いたような優等生ぶりであった。
勉強と家事の両立がしっかりとできており、決して怠けた様子をビャクヤに見せたことはなかった。
対するビャクヤは、優秀な姉さんとは正反対であった。
容姿だけは姉さんに似て、整った顔立ちで、少しばかり色白で、それなりに背も高くすらりとした体型の美少年といった姿だったが、中身は怠惰だった。
学業や交友全てが、彼にとっては面倒な代物だった。友達らしい友達はおらず、授業も真面目に受けない。当然成績も下から数えた方が早いほどの劣等生ぶりであった。
周囲から蔑まれることも多々あったが、全てどうでもよいことだった。
ビャクヤにとって、姉さんこそが全てで、生きていく理由でもあった。それゆえに、姉さんが絡めばビャクヤの怠惰な性質は変わっていた。
姉さんがビャクヤの低成績を危惧し、指導するとなった時は、ビャクヤのやる気は上がった。下から数えた方が早い成績も上位に食い込むまでは行かないまでも、真ん中よりも少し上にまで向上した事もあった。
交友関係が面倒で、仮病でも使って学校をさぼろうとしても、姉さんが起こしに来てくれる限りはそんなことはしなかった。
それほどまでにビャクヤにとっての姉さんは、絶対的な存在だったのだ。
――なのにどうして……――
ビャクヤは毎日のように、姉さんとの最期の日を思い返す。
二人揃って帰宅しようというときに、姉さんは買い忘れたものがあると言って、ビャクヤを置いて一人でどこかへ行ってしまった。
その時ビャクヤは、この上ない胸騒ぎを感じた。姉さんと別行動を取ることは、学校等もあっていくらでも機会はあった。しかし何故か、あのときばかりは姉さんと今生の別れになるような気がしたのである。
ビャクヤは、姉さんの嫌がることは決してしてこなかった。困らせて、怒られるということもだ。
しかし、あの時だけは姉さんを困らせればよかった。あの時だけは、後でいくら怒られようともわがままを言えばよかった。
「うう……っく……!」
ビャクヤは、後悔の念がわき、あの変わり果てた姿の姉さんを思い出し、嗚咽を漏らした。
ビャクヤは姉さんを探し回って体力尽きかけた時、街中に人だかりができているのに気が付いた。
ただの見世物だ。どうせくだらない大道芸でもやっているのだ。そんな風に自らを騙そうとしたが、そんなものは全くの無意味であった。
人だかりの中からは、ビャクヤに更なる追い討ちをかけるような声がした。
――はねられたのは、女の子ですって。
――私近くで見ちゃったわ。セーラー服の女子高生だったわ。
――まだ若いのにかわいそうにねぇ……
交通事故であることは、ビャクヤには既に分かりきった事だった。しかし、被害に遭ったのは姉ではないことを最後の最後まで信じ続けた。
人波をかき分け、救急車やパトカーが眩しいほどの赤ランプを焚いて止まっている中心部まで進んで行き、ついにビャクヤは信じがたい現実に直面することになった。
ビャクヤの悪い予感が、残酷にも的中してしまったのだ。
アスファルトの上に血の海を作り、そこに倒れていたのは目撃者のいう通り、セーラー服姿の女子高生であった。
背中まで届く髪は扇状に広がっており、血に染まってしまったが、百合の花飾りも見えた。
ビャクヤが見間違えるはずがなかった。無惨な姿で血の海に沈んでいたのは、紛れもなく姉さんだった。
「ううう……うわあああああ!」
ビャクヤは悲しみをこらえきれず、堰を切ったように大声を上げて泣いた。
「どうしてなの。どうしてなのさ!? どうして姉さんが死ななきゃならなかったのさ!? こんなの聞いてないよ!」
どこにぶつければいいのか分からない悲しみに、ビャクヤは慟哭した。
「なんであの時姉さんを一人にしたんだよ! 僕がしっかりしていれば、こんなことには……!」
頭では分かっているつもりだった。このようにいくら泣きわめこうが、後悔の念を叫ぼうが、姉さんが帰ってくるはずかあるわけないことくらいは。
――……ははは。これじゃ近所迷惑だよね……――
ビャクヤはここ数週間、このくらいの時間になると、姉さんの最期の瞬間を思い出しては、悲しみと後悔に咽び泣いていた。
近所付き合いは姉さんのおかげで良好だった。あまりにも仲の良い二人の様子を見て、姉さんに恋人ができるのか、とも思われるほどだった。
姉さんの死後、近所の人は彼女の死を悼み、一人残されたビャクヤは、たくさんの励ましの言葉を受けていた。
ビャクヤの気持ちを察してはくれているのだろうが、さすがにこうも毎日のように泣き叫んでいては、近所の人もうんざりしてしまうことだろう。
ビャクヤは、姉さんの死を完全には受け入れられていなかった。今もこうしていれば「何を騒いでいるの?」とこの部屋に来てくれるような思いがあった。
今のこの瞬間こそが悪夢であり、朝を迎えて目覚めたら、聞きなれた声で「おはよう、ビャクヤ」と起こしに来てくれるのではないか。そう思い続けて何日も過ぎていた。
しかし、全てはビャクヤの妄想であり、決して叶わぬ願いであった。
姉さんのいないこの瞬間、これこそが紛れもない現実であった。
「…………」
ビャクヤは泣き疲れ、ぼんやりと開け放たれた窓を見た。
風が吹いていた。カーテンを揺らし、吹いてくる風は、熱くなったビャクヤの顔を僅かながら冷ました。
「……もう疲れたよ……」
泣き叫んだ後の嗄れた声で、ビャクヤは呟いた。そして窓際まで寄って、外の風景を見る。
深夜だというのに、街は昼間のように明るい。そういえば、とビャクヤは思い出した。
いつのことだったか、姉さんと一緒に真夜中の街並みをこうして窓から眺めたことがあった。
白夜って、こんな風に明るい夜なのかな、と姉さんが言った。そしていつか一緒に本物の白夜を見に行こうね、とも言っていた。
――一緒に……――
ビャクヤは何かに気が付いたような顔をする。
「そうか。姉さんは死んだんじゃない。どこかで迷子になっているだけなんだ。どうして気がつかなかったんだ僕は……」
姉さんは、きっとあの広い街の中をさ迷っているのだ。死んだのはただの思い込みだ。
早く迎えに行かなければならない。きっと姉さんも、ずっと見つけてもらうのを待っていたに違いない。
「もう少しだけ待っててね。姉さん。すぐに捜しに。逝くからさ……」
ビャクヤは何も持たずに部屋を出ていった。ビャクヤの眼には、最早生気は一欠片も残されていなかった。
※※※
ただでさえ蒸し暑い熱帯夜だというのに、街の中は人々の喧騒と熱気で、余計に暑く感じた。
「姉さーん! どこにいるのー? 返事してよー」
ビャクヤは、熱気と光に包まれた街中を歩き、姉さんに呼びかけていた。
ずっと歩き、呼びかけ続けていたために、ワイシャツは汗で湿り、頬にも汗が伝っていた。
「姉さーん。姉さんったらー!」
大声を上げるビャクヤであったが、その声は街の雑踏や人々の声にかき消されてしまっていた。
「姉さーん……」
ビャクヤは息切れを起こし、両手を膝につけて前のめりになり、大きく息をついた。
息を絶え絶えにしながら、額の汗を手の甲で拭い、ビャクヤは辺りを見渡した。
様々な人が道を行き交い、建物の軒下にたむろしている不良集団もいる。
道行く人の中にはスマートフォンを片手に、雑踏にかき消されないように大きな声で通話をする者。
ただでさえ暑いというのに、体を寄せあっているカップルと思われる者。また他には集団でスーツを着た中年サラリーマンを囲む、オヤジ狩りなるものをしている者たちもいた。
それらの誰もが、生きるに値する人間だとは、ビャクヤには思えなかった。姉さんを必死に探しているというのに、それを妨害する騒音としか思えなかった。
「……あああああ!」
ビャクヤは苛立ちを抑えきれず、それを声にする。
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい! うるさいんだよお前ら!」
明らかに辺りの雰囲気と違う怒鳴り声に驚いたのか、僅かばかり人の声が止んだような気がした。
「うるさい。うるさいうるさいうるさい! これじゃ届かないじゃないか。姉さんに気づいてもらえないじゃないか!」
ビャクヤの怒りは止まらない。ここにいる者全員が、笑いあって楽しそうにしているが、その様子を見るだけでビャクヤの怒りは増幅した。
息を切らせながら大声を上げつつ、ビャクヤは思う。
ビャクヤを奇異の目で見ている、もしくはじっくり見ないまでも一瞥をくれる者は、数えきれないほどにいる。
中には犯罪行為に及んでいる不良の一味すらもいる。
これだけの人間がいるというのに、何故姉さんだったのか。何故姉さんが選ばれてしまったのか。
「どうしてお前らみたいなのが生きているんだ!? お前らが代わりに死ねばよかったんだよ! こんなクズども一人消えたところで誰も悲しまないだろ!」
ビャクヤの狂気に、訳の分からない恐怖を感じ、ビャクヤを見ていた者たちはそそくさと立ち去っていった。
ビャクヤの状態は、通り魔殺人でもしでかそうかというものだった。それ故に余計な被害を被らないように逃げていったとも言えるかもしれない。
「はぁん、クズどもねぇ……」
オヤジ狩りをしていた不良は、ビャクヤの言葉が癇に障り、掴んでいた中年のネクタイを離した。
「ひ、ひいいい……!」
解放された中年は、今だとばかりに走り去っていった。
不良の一味の標的は、ビャクヤへと変わった。大体七、八人の不良たちがビャクヤを囲んだ。
「オレらがクズだっていうの? まあ、間違っちゃいないと思うけど、お前みたいなガキに言われると、さすがに傷つくんですけど」
「あーあ、こりゃ、ブジョクザイってやつじゃないの?」
「イ・シャ・リョ・ウ、払ってもらえる?」
不良たちはビャクヤへと詰め寄る。
「なんだお前ら。僕は今忙しいんだ。姉さんがこの街のどこかで僕を待っているんだ。早く見つけに行くんだ。そこをどけ!」
複数の不良に囲まれても、ビャクヤは怖じる事はなかった。
「だったら、慰謝料、そうだなぁ……。メンドイから有り金全部、置いてってくれる?」
「ふん。付き合ってられないね」
ビャクヤは不良の間を突き進もうとした。
「待てや、コラァ!」
不良はビャクヤの襟を掴んだ。
「止めろ。服が破けるだろ!」
背後から掴まれているため、ビャクヤは振り払えない。そこへもう一人ね不良がつかつかと歩み寄っていく。
「ほら、暴れるなっての!」
至近距離まで近づくと、不良はビャクヤの腹に拳をいれた。
「ぐほっ……!」
不良の拳はビャクヤのみぞおちに入り、ビャクヤは一瞬息ができなくなった。
「ごほっ……ごほっ……!」
急所に強力な一撃を受け、ビャクヤは悶絶した。そこへ更に不良が一人近付き、ビャクヤのズボンのポケットをまさぐった。
「はあ? なにこいつ、何も持ってねぇぞ」
「んだよ、こんなループタイなんかしてるからどっかのボンボンかと思ったのによ!」
ビャクヤはここへは、姉さんに会いに来ていた。それはつまり、方法はなんであれ死ぬつもりだったのだ。そのような人間が財布などを持ち歩いているはずがなかった。
しかし、姉さんが去年の誕生日にプレゼントしてくれたループタイだけは、あの日からずっと身に着けていた。
「あーあ、時間の無駄だったなぁ。マジでムカつくわー。せめてコイツボコってかね?」
「いいねー、じゃあまずはオレから!」
不良のグループは、ビャクヤを集団リンチすることにした。
「がっ! ぐっ! うう……!」
ビャクヤは殴られ蹴られ、踏みつけられたりと一方的に暴力を受けた。
何発も殴られているうちに、ビャクヤは痛みを忘れていった。そして同時に、このまま死んでしまえればいいと思い始めた。
「おい、その辺にしとけ」
不良のリーダー格の男が不意にリンチを止めさせる。
「そのまま殴り殺したらパクられんだろ。オレが止めを刺してやるよ。この
ずっとビャクヤが殴る蹴るの暴行を受けているのを、座って傍観していた不良のリーダーが立ち上り、歩き出した。
手下たちはリーダーに道を譲る。
「リーダー、あれをやるんだな」
「リーダーの不思議な力なら、証拠が残らないしな」
やがて不良のリーダーは、手下たちに押さえ付けられ、地にうつ伏せになったビャクヤの所まで近寄った。
そして、ビャクヤの髪を鷲掴みにし、無理やり顔をあげさせる。
「……っく……!」
ビャクヤは、顔の傷口から血が眼に入り、不良のリーダーの顔をはっきりとは見ることができなかった。
「小僧、冥土の土産だ。オレの能力でぶち殺してやるから感謝しろよな?」
次の瞬間、不良のリーダーの爪が、ナイフのような鋭利なものに変化した。
ビャクヤは、呆然とした意識のまま、己にやって来るであろう死の予感を感じた。
「くたばりな!」
ナイフになった爪が、ビャクヤの首をかっ切ろうとしたその時だった。
「そこで何をしている!?」
喧騒の中でもよく通る声がした。
「複数の少年らを確認。暴行を受けたと思われる被害者一名。至急応援要請、並び救急手配を要請する」
無線機を通したノイズまみれの声が「了解」と応答するのが聞こえた。
「サツだ!」
「クソがっ! 誰か通報しやがったな。おい、テメーら、ずらかるぞ!」
警察がやって来たのを確認すると、烏合の衆としか言えないような不良のグループが、まるで訓練された軍隊のようにすぐに撤退を始めた。
「待て! くそ、君は要救護者を。私は奴らを追う!」
「了解!」
逃げていく不良のグループを一人の警官が追い、もう一人は地に伏すビャクヤの救助に当たった。
「君、大丈夫か?」
「……ぐぐっ!」
ビャクヤは身体中の痛みに喘ぐ。
「意識はあるようだな。立てるか?」
ビャクヤの救護にあたる警察官は、手をさしのべる。
「……うるさいっ!」
ビャクヤは這い起きながら、警察官の手を振り払った。
「なっ!?」
「どうして邪魔をするのさ。もう少しで僕は姉さんに会えた。そのはずなのに……!」
警察官はビャクヤが何を言っているのか、意味が分からなかった。
「お姉さんを捜していたのかい? だったらお姉さんの特徴を教えてくれれば、すぐに捜索届けを……」
警察官は少し考え、ビャクヤが姉を捜している途中で不良に襲われたのだと推測した。
「……姉さんはここにはいない。誰にも見つけることはできないんだ。僕が逝かなきゃ。姉さんには会えない……」
鈍痛に耐えながらビャクヤは立ち上がる。
「ちょっと君、そんなフラフラな状態で立ったらダメだ! 救急車が来るまで大人しく……」
ビャクヤは血走った目で警察官を睨んだ。
「うるさいうるさいうるさい。うるさいんだよさっきから! お前ら警官がしっかりしてれば姉さんはあんな目に遭わずにすんだんだよ! この無能な警官が! どうして姉さんを助けてくれなかったんだよ!」
ビャクヤの言葉は最早、常人には理解しかねる支離滅裂なものになっていた。
故に唐突に、当たり散らすかのように怒鳴ってきたビャクヤに、警察官は何も言葉が返せなかった。
「……姉さん。もうちょっとだけ待っててね。すぐに会いに。逝くからさ……」
ビャクヤは街の暗い、裏道の方に向かって歩き出した。
「あっ、待って。君……」
ビャクヤは、まだ用があるのか、とばかりに警察官を睨んだ。その眼はすっかり濁りきっていて、生きた人間のものとは思えないほどだった。
警察官は、ビャクヤのえもいわれぬ不気味さに完全に圧倒され、何もできずに立ち尽くすしかできなかった。
※※※
街から離れ、街灯がぽつぽつと灯る暗い道。ビャクヤは闇の中をあてもなく歩いていた。
人々の声や、店の大音量の音楽もなく、小さな風の音だけしかしない、静かな道を進んでいく。
先ほど街で暴行を受けたときの傷が痛む。しかしそれでも、ビャクヤは歩み続けた。
目指す先などない。ただまっすぐに歩み、暗闇の深みに入っていくだけである。
歩きに歩いて、歩けなくなったとき、その時どうするのか。それは決めていない。歩けなくなったときに、考えればいいのだから。
「はあ、はあ……もう。どのくらい歩いたかな。全身が痛いや……」
ビャクヤの体力は、早くも尽き始めていた。
「はあ……もう動くのもダルいな……どうしよう……」
ビャクヤは立ち止まり、辺りをそれとなく見回す。
ビャクヤは街からだいぶ離れた。街灯もほとんど意味をなさないほど暗い場所までやって来ていた。
――不思議だな。いくら街から遠く離れたと言っても。こんなに辺りが暗いなんて……――
おまけにビャクヤは妙な感覚に陥っていた。
――なんだか代わり映えしない景色が続いているような。そんなまさかね――
人知れぬ山奥ならばいざ知らず、住み慣れた街だというのに、同じ場所をぐるぐる回っているような気がしたのである。
「あはは……迷子になった姉さんを捜して僕が迷子になるなんて。しかも住んで長い場所でだよ? あははは……おかしいったらないね」
ビャクヤは自虐的に笑う。
「はあ……」
異様なまでの疲労感が、ビャクヤを襲う。
「疲れたな……」
ビャクヤはその場に身を投げた。芝生の上であり、ワイシャツ一枚しか着ていないため、背中がチクチクした。
しかし、少し時間が経つと、そのチクチクする感じにも慣れてきた。
「真っ暗だ……なんにも見えないや。まあその方がいいか……」
ビャクヤは本当に、木々の生い茂り、空がまるで見渡せない森の奥にでもいるかのようだった。
街灯はおろか、月明り、星すらも見えない完全なる暗闇が辺りを支配していた。
――このまま目を閉じれば全て終わりそうだ。このまま闇の中に溶けて消えてしまいたいな。姉さんのいない世界なんて。僕にはやっぱり考えられないな――
ビャクヤの生きる目的全てが、姉さんのためのものだった。
姉さんという存在がなくなったことで、ビャクヤは空の器となっていた。ビャクヤは、姉さんがいるからこそ自らの生きる意味を見出だしていた。まるでビャクヤは杯であり、姉さんが水、という関係だった。
しかし、姉さんという水を失ってしまった今、ビャクヤは空の杯となってしまった。それは丁度、飲料の無くなった空の容器のようなものだ。
空になった容器は、普通必要性はなくなる。砂漠にあれば、飲み水がない限り空の容器は当然意味がない。ビャクヤは今まさにそんな状態だった。
そんなことを考えていると、突然真っ暗闇の中に発光する物体が顕れた。
「……なんだろう一体? 人がせっかく暗闇を堪能していたっていうのに……」
ビャクヤは、不意に出現した発光体に口を尖らせる。
光は真っ赤なものだった。
「これは。凶星ってやつかな?」
しかし、光は星の放つものにしてはやたらと近い。
「誰かが懐中電灯で遊んでるのか? それとも警察がこの辺をウロウロしているのかな……っぐう!?」
考えている間に突如として、ビャクヤは体が動かなくなった。
縛り付けられている感覚ではなく、まるでなにかに捕まって押さえ付けられているような感じだった。
「かっ……はっ……!」
ビャクヤは体の自由を奪われたのならず、呼吸困難に陥れられた。
息が全くできず、まるで陸に打ち上げられた魚のように、ビャクヤは口をパクパクさせた。
「んごぉっ!?」
ビャクヤは空気を求めて口を大きく開いた瞬間、黒いなにかがビャクヤの口に入り込み、一気に食道を通って胃にまで到達した。
あまりの苦しさに、ビャクヤは目が飛び出しそうなくらい見開いていた。
目の端に涙を伝わらせながら、ビャクヤは確かにそれを見た。
赤黒く発光する物体は、ギョロりと動く眼であり、ビャクヤを押さえ付けているのは四対の内、前の二対の鈎爪のような脚であり、ビャクヤの体内に入ってきたのは牙であった。
四対、合計八本の脚を持ち、眼と牙だけがある小さな頭胸部、そして丸々とした腹は、紛うことなく蜘蛛の姿そのものだった。
「あ……っ! がっ……!」
――苦しい。気持ち悪い。姉さん助けてよ!――
息もできず、体の内部をまさぐられる苦痛に、ビャクヤは死の恐怖を感じた。
――……いや待てよ。僕は助かりたいのか? 姉さんのいない。こんな世界に生き残りたいのか――
ビャクヤは、突然表れた自らの生存本能に少し驚いた。そしてとうとう、今際を迎えたと悟り、ビャクヤの心は落ち着きを取り戻していく。
そんな時だからこそ思い出したことがあった。
あれはいつだったか、姉さんと街のショッピングモールで買い物をした後、そこのカフェで一息ついていた時だった。
姉さんは友達から、人を喰う影が存在し、それに喰らわれた人は数日無気力となり、その後狂い死にする、という噂を聞かされたと言っていた。
あまりに荒唐無稽な話で、その時は二人で笑い飛ばしていたが、今その話のような状況に陥るビャクヤは全てを悟った。
――僕は。こいつに喰われて死ぬのか――
限界を超え、ビャクヤが気を失ったのは間もなくだった。
赤黒く輝く眼を持つ蜘蛛の影は、音なき声を発した。言葉としては成立しないが、その声にはこんな意味があった。
『空腹……捕食…………不味』
もとより肉がなく、ここ数日まともに食事を口にしていないビャクヤは、蜘蛛の影にとって喰うに値しない体だった。
蜘蛛の影は、ビャクヤをこれ以上喰らう事を止め、ビャクヤの口に突っ込んだ牙を引き抜いた。
蜘蛛の影はビャクヤをその場に捨て置き、どこかへ去っていく。空腹を満たすに値する獲物の捕食を求めて。
※※※
ビャクヤは、無色透明な世界に立っていた。
「あれ。ここは一体……?」
ビャクヤが辺りを見回していると、ずっと求めていた声が聞こえた。
「ビャクヤ。ビャクヤー!」
ビャクヤは、驚きながらも声のした方を向いた。
「その声……その姿は……!?」
腰元まで伸び、毛先が綺麗な扇状になっている艶やかな髪をし、古風なセーラー服に身を包み、頭に純白の百合の花飾りを付けている。
きめ細やかな白い肌であり、前髪を左に流しており、少し左目が隠れているが、とても穏やかな目をしていて、口は小さく、閉じていても自然と優しい微笑みが窺える。
「……姉さん!」
ビャクヤの前に立つ少女こそが、ビャクヤの姉さんであった。
「おはよう。ビャクヤ。よく眠れた?」
次の瞬間、無色透明だった世界が、まるでスクリーンへと一度に映像を写し出したかのように、様々な情景に包まれた。
「ああ……やっと会えた! ずっと捜してたんだよ? こんなところに隠れているなんて。姉さんは本当にお茶目なんだから」
ビャクヤは、喜ぶ素振りを見せるものの、内心は冷静だった。
「……なーんて。これってもしかしなくても走馬燈ってやつだよね」
空間を支配する、ビャクヤと姉さんの情景が記憶の走馬燈を連想させる。
映像には様々な瞬間が映し出されていた。いずれもビャクヤと姉さんとの思い出である。
ガーデニングの好きだった姉さんが、土いじりをしているところ、肥料の袋を持ち上げることができなかった。そのためビャクヤが袋を運んであげようとするのだが、ビャクヤも非力であり、運ぶのに相当苦労した。
なんとか花壇まで運びきるものの、ビャクヤは腕がピクピクと震えていた。そんな状態でもビャクヤは最大限のやせ我慢をしてみせ、その様子を見て姉さんは微笑んでいた。
――ははは……そういえば姉さんの百合の花飾り。庭で育てたんだったっけ。色々手伝ったなぁ……――
ビャクヤは、映像を見ながら懐かしんでいた。
――最期に見たのが姉さんと姉さんとの思い出なんて。神様も粋なサービスをしてくれるもんだね――
「もう。ビャクヤったらまたそうやって……遅刻しちゃうわよ?」
ただでさえ学校が面倒なのに、低血圧で朝に弱いビャクヤは、よくいつまでもベッドから離れなかった。
しかし、姉さんのこの二言目でようやくビャクヤは起き上がっていた。
「最期にこうして姉さんと会えた。ちょっとばかり苦しかったのには文句を言いたいけど。そこはどんな死に方でも大なり小なり苦しいだろうし。ありがたく思うことにするよ」
「ビャクヤ?」
姉さんは心配そうな顔をした。それすらもビャクヤには可憐に見えていたものだった。
少し体の弱いビャクヤはよく体調を崩していたが、どんな薬よりも姉さんの顔を見るのが最高の治療法だった。
「……ありがとう。影。僕を喰ってくれて。姉さん。もう僕は姉さんのいない世界で生きていける気がしないから来世で頑張るよ。来世にはもっと強くなるよ。その時にも姉さんがいてくれたら。うれしいな……」
ビャクヤはその場に横たわった。そして目を閉じる。
次に目覚めたとき、どこにいるのか。天国や地獄か。それともすぐに来世に生まれ変わるのか。
そのようなことを考えながら、ビャクヤは眠りにつくのだった。
※※※
朝日が昇り、その光がビャクヤのまぶたを突き刺した。
「……っは!?」
ビャクヤは目を覚まし、体を起こす。まだまだ暑い日の続く時季であったが、早朝は肌寒く、ビャクヤはくしゃみをした。
「ずず……ここは一体? 不幸のかたまりの僕が天国に来れるはずがないし。地獄にしては明るい……」
ビャクヤは、めまいを振り払いながら辺りを見渡した。
「ここって。僕の家の近くの公園じゃないか。どうしてこんなところに? 僕は確か……」
ビャクヤは覚えている限りの記憶を辿ってみる。
現実逃避して家を飛び出し、姉さんを捜すという表向きの目的を持ちつつも、野垂れ死にするつもりで歩き続けていた。
街中の喧騒に苛立ち、周囲に当たり散らしたら、不良のグループに因縁をつけられそのまま暴行を受けた。
その後も歩き続けていたら、光が全く射さない闇の中に入っていた。
最初はおぼろ気だったが、ビャクヤは自身に起きた出来事を鮮明に覚えていた。
「覚えてる。覚えているじゃないか! 影に喰われて。気を失って。姉さんの走馬燈が見えて。となると影のところまでは現実……?」
考えている内に、ビャクヤは体に変化が起きているのに気が付いた。
これまでは、とにかくだるくて仕方なかった体が妙に軽く感じる。活力に満ちているという感じである。姉さんが死んでからずっとこのような気分にはならなかった。
――そういえば。影に妙なものを飲まされたような気がするな。あれってもしかして元気が出るクスリだったのかな? いや。まさかね……――
姉さんの走馬燈を見たのは、ひょっとするとまだこっちに来てはだめだという、姉さんの意思のようなものだったのかもしれない。
「はあ……何だか死にそびれたな。……やめたやめた。死ぬのはやーめた。興がさめちゃったよ」
姉さんという存在がなくなって、空の容器同然となっていたビャクヤに、謎の力が満たされた。今のこの状態であれば、ビャクヤは姉さん無しでも生きていける気がしていた。
「姉さんのいない世界で。どんな風に過ごせばいいのか分からないけど。僕なりに頑張ってみるよ。姉さん」
ふと、ビャクヤは背中に違和感を感じた。
芝生の上で寝ていたせいで、虫に刺されたのか、それとも草に負けてしまってかぶれたのか。
しかし違和感といっても、痛みやかゆみを伴うものではない。背中の数ヵ所が、妙にむずむずするだけである。
「なんだ。この感じ? 変な気分だな。まるで何か出てきそうな感じだな」
背中のむずむずする部分は、左右対称になっているかのようにそれぞれ四ヶ所。合わせて八ヶ所である。
「右側の背中。こんな感じかな?」
ビャクヤは、全身の力、神経を全てむずむずする部分に集中させてみた。するとその部分からにゅるりと、なんとも言えない感触がしたかと思うと、ジャキッ、と金属音を立てて何かが顕現した。
「うわっ! なんだっ! 本当に何かでてきたぞ!?」
ビャクヤは驚かずにはいられなかった。
ビャクヤの背中から顕現したものは、刃のように鋭く、禍々しい色をした鉤爪だった。
「これは一体何だろう。まさか姉さんの贈り物? うーん。いくら姉さんからのプレゼントでも。こんな物騒なものはちょっと……」
ビャクヤはひとまず、鉤爪を退かそうとするが、鉤爪はびくともせず、逆に握った手が切れそうなほど痛かった。
「やれやれ……とか言いつつも。姉さんからのプレゼントだと考えると。嬉しいような気がしちゃうんだよな」
ビャクヤは同時に、この禍々しく鋭い鉤爪を姉さんだと思って、大切にしようとも考えた。
これ《鉤爪》をあげるから後を追っては来るな、とも言われているような気もした。
件の蜘蛛の影に、無理矢理何かを飲み込まされたもののおかげか、やはりビャクヤは満たされた気持ちでいられた。こんなに気分が楽なのは、姉さんがまだ生きていた時以来だった。
「あーあ。でもこんなところで寝てたせいかな。節々が痛いし。まだだるいな。帰って寝直そうか……」
その前に冷えた体を少しでも暖めるべく、ビャクヤは温かい飲み物でも飲もうかとズボンのポケットをまさぐる。
「財布がない。……ああそうだ最初から持ってなかったっけ」
第一あったとして、時期的に自販機に温かい飲み物は入っていないし、コンビニにでも寄ろうにも、こんな物騒なものをぶら下げて店内に入ろうものなら、即通報されるだろう。
今は早朝であり、人通りが少ないためになんとかなっているが、やはり誰かに鉤爪を見られれば通報であろう。
「はあ……仕方ないな……」
ビャクヤはため息をつき、足早に公園を立ち去ることにした。幸いにも、この公園からビャクヤの自宅は近い。
それにしても不思議な夜だったと、ビャクヤは思った。
どれほど願って眠っても会えなかった姉さんに、会う夢を見ることができた。
蜘蛛の影のおかげか、それとも生死の境をさまよったための走馬灯か。何れにしても、もう一度、夢でいいから姉さんに会いたいという願いが叶った。
――
ビャクヤは微笑を浮かべながら朝日の眩しい公園を歩いた。
「……ったく。いいムードなのに
ビャクヤは鉤爪に文句を言った。するとジャキッ、という音がまた鳴った。
「うわっ! 二つ目が出てきたぞ!? ほんとなんなんだよこれ……」
背中にある謎の鉤爪が人目に触れぬよう、注意しながらビャクヤは家路を急ぐのだった。
Chapter2
突如として背中から顕現した謎の鉤爪が人目に付かぬよう、注意しながら自宅へと帰り、自室のベッドに横たわるとすぐにビャクヤは眠りについた。
鉤爪がベッドを傷付けてしまわぬよう、ビャクヤは不本意だったが、うつ伏せで寝た。最初は寝苦しく感じたが、疲れの方が勝り、すぐに眠ることができた。
ビャクヤが眠ると、鉤爪は消えた。ビャクヤの意識が無い時には鉤爪は顕現しないようだった。
そして時間は過ぎ、日が落ちて夜となった。
「ん……んん……あれ。もう暗いな。ずいぶんと寝てたみたいだな……」
ビャクヤは体を起こし、暗くなった部屋を見渡した。
ずっと開け放たれた窓からは月明かりが射し込み、風が吹くとカーテンを膨らませて狭い部屋を満たす。
――何だか夢を見ていたような。何だっけ? ああそうだ。僕を喰った影のようなやつが現れて。それで……――
ビャクヤはずっと夢を見ていた。
これまで、姉さんと会う事を願って眠っても、真っ白な無機質な世界にビャクヤ一人が佇んでいるのとも違い、昨日のような走馬灯を見るような夢とも違っていた。
凶星のような二つの赤黒い光が浮かぶ、真っ暗な場所にビャクヤはいた。しかし、不思議と恐怖はまるで感じない。むしろそれが出てきたことは、ビャクヤには当然のことのようにも思えた。
――や。また会ったね
――…………
影は言葉を発する事はなく、唸り声さえも上げることがない。
しかし、ビャクヤの脳裏には、影のものと思われる意思のようなものが伝わっていた。
『
『八裂の八脚、顕現喰らう
長い時間眠っていたが、ビャクヤが見た夢はほんの一瞬だった。
――ふふ。イグジスだのケリケラータだのと意味分かんないよね。でも何となくは分かるんだ。僕はどうやら。とんでもなく滅茶苦茶な能力を授かったんだってね――
ふと少し強めの風が部屋に吹き込んだ。
「……くしゅっ!」
ビャクヤは体を冷やされ、くしゃみをした。気がつけば寝汗がひどく、昨日からずっと着っぱなしのワイシャツは湿っていた。
「やれやれ。こんな格好じゃ風邪を引いちゃうね。シャワーでも浴びてこようかな……」
ビャクヤは、替えの服とタオルを持って浴室へと向かった。
洗面所に行くとすぐに、ビャクヤは湿ったワイシャツのボタンを外し、それを脱ぎ捨てた。
「ん?」
続いて下も脱ごうとズボンのベルトに手をかけていると、ビャクヤは妙な光を感じた。それは洗面台の鏡から反射したものだった。
「なんだ。これは……?」
ビャクヤは驚いた。何故ならば、その光の元はビャクヤの背中からのもので、背骨を中心に左右四つづつ、放物線状に光を放つ穴のようなものがあったからである。
位置としては、今朝むずむずする感じを受けた場所と一致していた。
――あの鉤爪が出てくる所なのか? だとしたら八本あるのかい?――
ビャクヤは、鏡に真っ正面に向き合い、今朝やってみたように、むずむずする部分に力をいれてみた。
ジャキンッ、と肩より下の部分、今朝初めて顕現した例の鉤爪が出てきた。
しかし、今朝とは鉤爪の出方が違った。すぐに二本一度に出てきたのである。
ビャクヤはそのまま、更に下の部分、背中の真ん中より少し上の所に力を加えてみた。ジャキッ、と同じような鉤爪が左右一度に顕現した。若干、長さは上二本よりもある。
残るは背中の中心より下部分だが、普段あまり力を入れない場所だけに、鉤爪を顕現するのに苦労した。
「うっ……くっ……!」
それでもビャクヤは何とか力を入れ、鉤爪を顕現させる。
そしてとうとう、腰元まで力を加え、背中の光っていた部分全部から鉤爪を顕現させるのに成功した。
鉤爪はまさに、四対八脚の
「ふあ……これが僕に宿るイグジスとかいうものなのかな。ははっ。もしも姉さんが見たらとんでもなく驚くだろうな……」
ビャクヤはおもむろに頭を掻いた。その瞬間、ビャクヤの手に吊られるように鉤爪も動いた。
「うわっ!?」
鉤爪は壁を引っ掻き、大きな爪跡を作った。
「ちょっと。動くなんて聞いてないよ。あーあ。こんなになって。修理するの誰だと思ってるんだよ……」
ビャクヤは、不意に壊してしまった壁に手を当て、ため息をついた。
壁に手を付いていると、 ビャクヤは掌に妙な弾力を感じた。いや、弾力というよりも、粘着性のある何かだった。
「うわっ!? なんだこれ!」
ビャクヤは驚き、すぐに壁から手を離すと、壁と手の間に糸が引いた。
糸は、強力な粘着力を持ちながらも強固なものであり、まるでピアノ線のように、触れるもの全てを切りそうな鋭い輝きを放っている。
鉤爪も糸も、ビャクヤの意思に反応するようで、彼の意識が驚きに満ちあふれると消えてしまった。
――暗鈎の顕現。八裂の八脚。そしてべたべたする糸……。まるで蜘蛛じゃないか――
ビャクヤは思い出すと昨日、蜘蛛の影に喰われかかった。それが原因なのかは分からないが、もしそうならば蜘蛛のような能力を得たのは辻褄が合う。
蜘蛛で思い出したことがあった。
彼らは巣網を張って獲物を待ち、その網にかかったものであれば、生き物であるかぎり捕食する。世の中には、燕ほどの鳥でさえ、捕食の対象とする蜘蛛さえも存在する。
突然、ビャクヤは空腹を感じた。これまでまるで食欲が湧かず、まともに食べ物を口にしていなかった。
――珍しい。というか。久しぶりだな。姉さんが死んでから何にも食べる気にならなかったのに。これも能力のせいなのかな? まあなんでもいいか。とりあえずさっさとシャワーを浴びてしまおう。手がべとついたままだ――
ビャクヤはさっ、とシャワーを浴びると、次に空腹を満たそうとした。
冷蔵庫の中身はほとんど期限が切れていた。唯一食べられそうなものは、冷蔵庫の隅に置かれたソーセージだけだった。
――今更だけど。僕よくこの数日生きていられたものだね。こんなに不摂生だってのに。……うーん。やっぱりこれだけじゃ足りないや。仕方ない。面倒だけど何か買ってこようかな……――
ビャクヤは、一瞬にしてソーセージを食べると、近所のコンビニに行くことにした。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」
店員の定番の言葉は適当に聞き流しながら、ビャクヤはコンビニを後にした。
買い物袋の中身は、弁当にパンをいくつか、スナック菓子数袋にジュースと、ビャクヤの体型を考えると、本当に食べきれるのか分からないほど詰まっていた。
「やれやれ。ちょっと買いすぎたかな? 袋が重いや……ああ。そうだ」
ビャクヤはおもむろに、鉤爪を一本顕現させた。そしてそれにコンビニの買い物袋を引っかけた。
「せっかくの能力なんだ。有効活用しないとね」
幸いにも、鉤爪の先端以外は刃が鋭くなく、買い物袋の取っ手を切り落とすことはなかった。
しかし、禍々しい色をした鉤爪に買い物袋をぶら下げる様子は、誰かが見ていれば通報されそうなものだった。
帰宅後、ビャクヤはすぐに食事をした。
元来、ビャクヤは食が細い方だったが、今は全く違っていた。
大きめの弁当をすぐに平らげたがもの足りず、四つほど買ってきたパンも食べるもののやはり今一つ満たされず、スナック菓子にも手を出した。
大食い、早食いの大会にでも出たら、他を圧倒するであろう食事量であった。
二リットルのジュースも飲み干したところで、買ってきた食料は全て無くなってしまった。
「ふう……全部食べちゃった。でもなんでだろう? 昔の僕ならとても食べきれないくらい食べたのに。まだ半分ぐらいな感じだ。まさか。この能力のせいなのか?」
ビャクヤは、捕食者(プレデター)の名を持つ能力を得ている。もしも字の通りの能力ならば、食欲がものすごいことになっていても不思議はない。
しかし、だとすれば厄介だともビャクヤは思う。
毎日これだけの食事をしていれば、当然食費はかさむ。自炊したところで大差はないだろうし、そもそも作るのが面倒であった。
「まったく……お前のせいで僕はいつも腹ペコじゃないか。どうしてくれるんだよ」
ビャクヤは、背中に顕現する鉤爪に口を尖らせる。しかし、いくら鉤爪に文句を言ったところで事態は変わらないものだと思い、仕方なくビャクヤは立ち上がる。
「もう一回買い物してこようか……」
ビャクヤは、満たされない腹を満たすべくもう一度食料を買いに出掛けた。
同じ店に行くのは気が引けたため、ビャクヤは街に近い、二十四時間営業のスーパーマーケットに行くことにした。コンビニよりも遠いが、品数が多い上、安上がりで済むからだ。
そのスーパーマーケットは、姉さんともよく通っていた所でもあった。川沿いの広場を歩いて十分ほどの場所に位置している。
川沿いの広場はまた、ビャクヤらにとっては通学路でもあった。
毎日姉さんと一緒に登校し、帰りは川に面したベンチで待ち合わせをしあったものだった。
事故があった日も、ビャクヤは、静かな川のせせらぎを聞きながら姉さんの帰りを待っていた。あの時は、その日で姉さんとの今生の別れをすることになろうとは夢にも思わなかったが。
あの日以来、ここを通る度にビャクヤは後悔の念に駈られてしまっていたため、できるだけこの広場には近寄らないようにしていたが、今はもうなんともない。
あの日の姉さんを忘れてしまったわけではないが、やはり昨日の出来事以来、心に余裕がある。
――……まったく。お前には感謝すればいいのか。文句を言うべきなのか。分からないや。姉さんへの後悔を忘れさせる代わりにこの腹ペコを与えているのかい? もどかしいったらない……――
背後に浮かぶ鉤爪に一瞥をくれながら歩いていると、ビャクヤは顔に不意の衝撃を受けた。
「あいたっ! ……ったく。虫かな? この辺藪はあるし。街灯も明るいから蛾が飛んでるんだよな。まったく。都市開発する前に誘蛾灯でも設置しろって話……」
ビャクヤは、ぶつぶつ文句を言っていると、妙な違和感を感じた。
時間を考えれば、人通りが少ないのは当たり前だが、街に近い以上、人はそれなりに歩いているはずである。
それがどういうわけか、人の気配がまるで感じられない。更に気が付くと、さっきまで遠くに聞こえていた街の喧騒が全く聞こえなくなっていた。
まるで人間の存在しない、異世界に来てしまったかのようだった。
違和感はそれだけに止まらなかった。
人の気配は全くしない代わりに、『なにか』の気配は辺り一面に広がっていた。
「これは……どういうことなんだろうね? さっきとはまるで違う。辺りが旨そうな匂いでいっぱいだ」
じゅるっ、と思わずビャクヤは涎をこぼしかけてしまった。それほどまでに、辺りはビャクヤ食欲を誘う匂いに包まれていた。
ビャクヤは、食欲という本能が赴くままに、背中に四対八本の鉤爪を顕現させた。
「そこの藪にいるね。旨そうだ。出てきなよ!」
藪にいる『なにか』は、ガサガサと草を揺らし、ビャクヤめがけて飛び出してきた。
それはこの世のものとはかけ離れた異形のものだった。真っ黒な球体に、口だけがあり、長い舌を伸ばしてビャクヤに襲いかかる。
「よっ!」
ビャクヤはものともせず、鉤爪を一本突き出して、異形のものを刺し貫いた。
ギイイ、という耳障りな断末魔の叫びのような声を発するも、異形のものはすぐに動かなくなった。いや、動けなくなった。
ビャクヤは、鉤爪を突き刺すのと同時に、例の糸を出して異形のものを縛り付けていた。
「……いっただきまーす!」
ビャクヤは、鉤爪に刺さった異形のものを、鉤爪ごと口元に引き寄せた。すると異形のものは、跡形もなく霧散した。
「これは旨い……!」
直に肉を噛んでいるわけではないが、ビャクヤの舌には旨味が広がっていた。それも、これまでに味わったことのない、この世に存在するどのような美味よりも凄まじい旨味である。
お代わりを要求するまでもなく、異形のものは次々とビャクヤに向かってくる。その度に鉤爪で仕留め、糸を絡めて口元へ運ぶ。
「一匹一匹仕留めるのも面倒になってきたな……。そうだ。コイツを使えば……」
ビャクヤは、手の中で糸をこね回し、それを空中に放った。
「この辺に仕込んでおこうかな?」
糸は放射状に広がる、まさに蜘蛛の巣になって空間へとどまった。
ピアノ線のように細く、鋭い糸は、闇夜の中では視認が難しく、時おり街灯の光を僅かに反射してギラリと輝いている。
もとより眼の無い異形のものは、ビャクヤの張った罠に気が着くはずもなく、次々と罠に嵌まっていった。
「引っ掛かったね!」
鋭い糸は、獲物たる異形のものを受け止めると、絶対に逃がすことはなかった。いくら逃れようとしても、ピアノ線のような強度を誇る糸は、獲物の体をズタズタにする。
ビャクヤはまさしく蜘蛛のように、巣網にかかった獲物に素早く迫り、巣網そのもので、獲物を包み込み、そして喰らった。
「……あーあ。まだ食べ足りないけど。小物には飽きてきたなぁ……」
先に張った罠で、小物の気配はほとんどしなくなっていた。
「ここらの雑魚は喰い尽くしてしまったのかな? 場所を変えなきゃダメかなぁ……」
ビャクヤは、しぶしぶ移動しようかと思ったが、不意に足を止めた。
――これは。この気配。この旨そうな匂い。さっきの雑魚どもとは大違いだ……――
ビャクヤは、気配と匂いのする方向を向く。
大型犬のような姿をした異形の存在が、ビャクヤに向かって牙を剥き、低い唸り声を上げていた。
ビャクヤはそれを見て歓喜する。
「あははは……! こいつは物凄く旨そうだ。メインディッシュに相応しいよ!」
ビャクヤが、最高の食材が出現して喜んでいるところに、野犬のような影はビャクヤに飛びかかってきた。
「ダメだねぇ。食材がそんなに暴れちゃあね」
ビャクヤは、伸縮自在の鉤爪を前に出し、自らの体を包むように、鉤爪を盾にして攻撃を防いだ。
「この辺に……」
ビャクヤは、網状にした糸を影に向かって放った。
どれほど相手が大きくとも、蜘蛛の巣のような糸はどこまでも伸びて相手を包み込み、一切の身動きを奪った。
「あーあ。掛かっちゃった」
影は必死に網から逃れようと暴れるが、力を入れれば入れるほどに糸は食い込み、影の体を切り裂いていった。
「このまま食べちゃってもいいけど。こんなに活きのいい食材だ。じっくり楽しみたいよねぇ……」
ビャクヤは一工夫することにした。
「どう料理しよう?」
ビャクヤは、鉤爪を使って影を切り刻んだ。
鉤爪は、鋼鉄のごとき切れ味を持ちながら、まるでゴムのように伸縮自在で、鞭のようなしなりも持っていた。
相手に取り付いた上でその身を刻む、逃れようの無い攻撃が可能であった。
「微塵切りがいいかな?」
ビャクヤは、伸縮自在の鉤爪を振るい、影の四肢を分断した。そして、四肢を失い、身動きのとれなくなった影に止めを刺す。
「それとも八つ裂き?」
両方の鉤爪を突き刺し、そのまま左右に大きく開いて抉った。影はまさに、八つ裂きの刑を受けたかのように、方々に散った。
「あははは……! バラバラだね。上手い具合に一口サイズにできたよ」
散っていった肉片を糸で縛り付け、ビャクヤは鉤爪で刺して影の顕現を喰らっていく。
「これは。思った通りだよ。すごく旨い……」
ビャクヤは影を喰らう。
これまでの小物と全く違い、量も味も申し分ない獲物であった。
頭の部分を喰らったことで、ビャクヤは影全てを喰い終った。
「ふう……満腹満腹。もう食べられないね」
どれほど食べても、全く満たされなかった腹がふくれ、ビャクヤは腹をさする。
顕現、という実物の無いものを喰らったが、ビャクヤの腹は質量のあるものを喰ったかように、満腹そのものだった。
「ここは。ひょっとしたら。神様だかなんだか知らないけど。そんなものが僕にくれた世界なのかな? 現実の食べ物じゃ腹がふくれなかったのに。あの影どもを喰ったら満腹だ。しかも。『この夜』でなら姉さんにも会えた。まさにここは僕にとっての『楽園』じゃないか」
『楽園』、という自分から出た言葉に、ビャクヤは笑いが止まらなかった。
「アハハハハ……! 僕に取り憑いたのは。とんでもなく偏屈な神様らしい! 姉さんと暮らし続けるのが僕にとっては最高の幸せだったのに。変な能力を与えられて妙なものを喰わなきゃいけなくなる。けれどもこれが今の僕の幸せだ! アハハハハハ……!」
ビャクヤは、辺りに全く人がいないことをいいことに、狂ったように笑い続けた。
一頻り笑い終えると、ビャクヤは大きく息をついた。そして不気味な笑みを浮かべる。
「当面の僕の目的は決まった。ここは姉さんと会うことのできる大切な場所。そしてこの腹を満たすための狩りをするための縄張りだ。ここを荒らし回るような輩は許さない。もしもそんな奴が出てきたとしたら……そうだね……」
不意に、喰い残しか、藪の中から例の影が飛び出し、ビャクヤに襲いかかった。
ビャクヤは振り向くことなく、鉤爪を一つ伸ばしてそれを突き刺した。そして目の前に持っていき、糸を巻き付けた。
「……何者であろうとも喰らう。蜘蛛の巣網にかかった獲物同然に。ね」
ビャクヤは、影の顕現を喰らおうとしたが、満腹だったため放棄した。
「キミは運が良かったね。いや。むしろ喰われた方がよかったかな? 悪いけどお腹一杯なんでね。そこで寝ててほしい。永遠に。ね」
ビャクヤは鉤爪をしまい、『夜』を後にするのだった。
それからというもの、ビャクヤは不可思議な『夜』へ訪れては影を喰らい続けた。普通ではない飢えを満たす狩をし、腹を満たすために。
Chapter3 紅き蜘蛛、ウィザードライラック
ビャクヤが特殊な能力を手に入れ、影を狩って喰らうようになってから、早くも数週間が過ぎた。
鉤爪は鋼鉄のような硬度を持ち、アスファルトを抉ったり、鉄製の物さえも簡単に両断するほどの切れ味を誇る。
そんな性質でありながら、伸縮自在で、伸ばせばビャクヤの身長を超える長さになり、ロープのように相手を絞めつける柔軟性をも持っている。
しかし、この顕現において、最強の武器となりうるのは、この八裂の八脚ではない。むしろこっちが附属品とも考えられる。
この顕現の本当の武器、それは、ピアノ線のような鋭さを持ちつつ、貼り付いたら決して対象を放さない粘着性も持っている
この蜘蛛糸には、獲物を捕獲する他に、その獲物の顕現を吸い込むことができた。
この糸で顕現を喰らうことで、ビャクヤの腹は満たされる。もちろん、普通の食事も可能であるが、完全な満腹感は得られない。
故に、ビャクヤの食習慣は、三食人の食べ物を摂り、『夜』に本当の食事をするべく狩りに出かける、というようになった。
尤も、三食プラス一食などという面倒なことは滅多にせず、狩りで夕食を兼ねることがほとんどであった。
「ん……うう……」
ビャクヤは、眠りから覚めた。そして寝ぼけ眼で、枕元の携帯の画面を見て時間を確認する。
携帯の時計は、時刻二十二時十二分を表示していた。
「うーん……」
ビャクヤは、時刻を確認すると、携帯をその場に放り、体を起こして頭を手ぐしで撫でた。そして、口元に手を当てて、くあっ、と欠伸をする。
ビャクヤの生活は、昼夜逆転状態になっていた。
夜に狩りへと出掛けなければいけない都合上、帰宅するのは未明であり、日が昇るか否かの時間に眠りにつく。
学校へは、姉さんの事故以来ずっと通っていない。ビャクヤを心配する担任教師が、何度か訪れてきた事はあったが、すっかり眠り込んだビャクヤはインターフォンにすら気が付いていなかった。
今のビャクヤの行動する理由は、ただの食事では満たされない腹を、影を喰らうことで満たすことだった。
「……ふう。頃合いだね。お腹も空いたし。行こうかな」
ビャクヤは、ベッドから出て、壁のフックに架かる学ランを取って羽織った。
学生が制服姿でこんな時間に徘徊しようものなら、即刻補導の対象になりそうなものだが、ビャクヤは、服を選ぶのも洗濯するのも面倒なため、いつも制服姿であった。
時期的には、まだ夏服で十分なのだが、獲物に気付かれないように、できるだけ黒い格好をしていた。また、未明は肌寒い事が多いために着ていた。
「今日は。あのご馳走がいたらいいな。雑魚にはそろそろ飽きちゃったからね」
ビャクヤは、財布も携帯も持たず、更には家の鍵もかけないで出かける。こうした携行品は狩りの邪魔になる上、鍵を開け放っていても、ビャクヤの家には盗んで得をするようなものは何もなかった。
財産は、親権を持つ親戚に管理されている。姉さんと二人暮らしをしていた頃からそうなっていた。
しかし、ビャクヤには、絶対に肌身離せないものが一つだけある。それは、姉さんから誕生日プレゼントとして贈られた紫のループタイであった。
ループタイが目立つように、ビャクヤは学ランのボタンを全開にしている。学校でも例外ではなく、何度も教師に咎められてきたが無視していた。その姿が姉さんに、格好いいし、背伸びをしている感じがかわいい、と褒められたからだった。
そんなこんなで、ビャクヤは、姉さんとの思い出を懐かしみながら、狩り場である川沿いの広場へとたどり着いた。
広場をさらに進むと、街からの音は聞こえなくなり、人の気配が全くしない『夜』へと入っていくのを感じる。
「あいたっ」
ビャクヤの顔に、何かがぶつかるような衝撃が走る。
「……まったく。なかなか慣れないもんだね。この感じ……」
特殊な能力を持つものが入ることのできるこの『夜』に入ると、電撃でも受けたような衝撃を感じる。ビャクヤは、これが嫌で仕方なかった。
しかし、一度入った後はどうということはない。後は腹を満たすべく狩りをするだけだ。
「ああ。今日も旨そうな匂いで一杯だ! ……うん?」
ビャクヤは、獲物の匂いとは違う、変な感じを受けた。
「変だな。獲物の匂いはするんだけど。なんか変な匂いが混ざってるな。なんだろう?」
ビャクヤは、いつもと違う様子を訝しみながら、匂いのする方へと向かって歩いた。
歩いていくと、匂いとは別に、自らに宿る能力のような、異色の何かを感じた。大音量の音の振動が空気を伝うように、皮膚を刺激されているのだ。
やがて、この『夜』にはあり得ない音を聞き取ることで、ビャクヤは違和感の正体を掴んだ。
「人の声がする」
それは、二、三人による会話の声ではない。五、六人、ひょっとすると、十人はいるかもしれない。
そして、ビャクヤは声の主らの姿を捉えた。
街灯の下に集まり、川沿いの落下防止用のフェンスに寄りかかって、何やら談笑している男たちがいた。
――何で人がこの『夜』にいるのか分からないけど。騒がしいったらない。食事の邪魔になるよ。帰ってもらわないとね――
ビャクヤは決めると、光に群がる虫のような男たちへ、つかつかと歩み寄った。
「ああ?」
ビャクヤの靴音に気が付き、男たちは話を止めた。そして全員がビャクヤの方を向いた。
男たちの数は、ビャクヤの見立て通り、十人には満たないまでも、それに近い数であった。
「あれ? キミは……」
ビャクヤは、この集団の中、見覚えのある人物を見つけた。
それはあの日、ビャクヤが影に喰われかけた日である。自棄になって、街の中を行く人間に向かって当たり散らした時に、ビャクヤに因縁をつけてリンチした不良集団がいた。
不良集団のリーダーと呼ばれる者が、爪がナイフのようになるという、妙な能力を行使していた。
死に迫っていただけあって、ビャクヤは彼を覚えていた。
「や。また会ったね」
ビャクヤは、微笑を浮かべながら軽く右手を上げる。
「ああ? 誰だテメェ?」
不良のリーダーは、ビャクヤを全く覚えていないようだった。確かにあれから数日は経っているが、殺そうとした人間を覚えていない辺り、この男は人殺しを繰り返しているのではないかと思われた。
「覚えてない。か。まあ。僕もキミのことは興味ないから別にいいけどね。どうしてキミたちみたいなただの人間が。ここにいるのか分からないけど。帰ってくれるかい? 僕はこれから食事の時間なんだ」
内心、言ったところで聞かなそうな連中だとは思っていたが、ビャクヤはとりあえず話し合いで解決しようとした。
「なんでオレらがテメェの言うこと聞かなきゃなんねぇんだよ?」
「メシが食いたきゃお家に帰りな。ガキがこんな時間にうろついていると、怪我じゃすまねぇぜ?」
手下の不良は、早くも喧嘩腰であった。
「オレたちゃ、
この男の発言で、ビャクヤの頭は混乱してしまった。
「……あむねじあ? インヴァース? 何を言ってるんだい。キミ……日本語で話してくれないかな? ああでも。『虚ろの夜』は大丈夫だよ。この『夜』の名前ってところだろ?」
ビャクヤは、バカにしたような言葉で、更に頭の悪い、かわいそうな人を見るような目を向けると、その男は激昂した。
「テメっ! ナメてっとマジで……!」
「止せって、ガキ相手に大人げねぇだろ?」
すまし顔の男が、ビャクヤに拳を握った男の肩に触れ、制止した。
「ってことで、ボク。お兄さんが教えてあげよう。この『夜』は、ボクの言う通り『虚ろの夜』っていうんだ。この『夜』には人を喰う化け物、『虚無』がいて、こいつに襲われた人は普通は死ぬけど、お兄さんたちやボクみたいに生き残る人もいるんだ。でも喰われたところは治らないから、『虚無』の一部が入って不思議な力が使えるようになるんだよ。それから、こうして自分から『虚ろの夜』に入れるようになる。分かったかな?」
不良にしてはやけに頭のいい男で、彼の話でビャクヤは、全てを理解する事ができた。
「なるほど。お兄さんのお陰で分かったよ。僕がここに来られるのは。僕が『偽誕者』ってやつで。僕の獲物は『虚無』っていうんだね。不思議な力ってのは『顕現』。イグジスの事かな?」
説明をしてくれた男は、ビャクヤに拍手した。
「その通りだよ、ボク。……って、えっ!? 『虚無』を獲物にするってどういうこと!?」
終始すまして、笑顔だった男の顔が、一気に恐ろしいものを見るように変わった。
「何を驚いているんだい? そのままの意味さ。僕はここを縄張りにして。毎晩『虚無』の顕現を頂いているんだよ。この腹を満たすために。ね」
ビャクヤは、微笑みながら話していたかと思うと、一気に口元をつり上げて恐ろしい笑みを向ける。
「それにさ。ここでなら。姉さんにも会えるんだ。もうこの世にはいないけど。この『夜』では会えたのさ。だから。『虚無』を喰いながら『虚ろの夜』を歩き回っていれば。またいつか姉さんに会えるんじゃないかって。思ってね。そしてもしかしたら。そのまままた姉さんと一緒に過ごせるようになるかもしれないとも。思うんだ」
ふうっ、とビャクヤは大きく息をつく。
「喋り疲れたな。お腹も空いてるし。キミたちがいるせいか。いつのまにか獲物の匂いが消えちゃってる。やれやれ。どうしようかな……」
ビャクヤの腹は、顕現でしか決して満たされない。獲物の『虚無』がいない以上、ビャクヤの食事は抜きになってしまう。ビャクヤにとっては大問題であった。
どうしようか、と顕現を得られる方法をあれこれ考えているうちに、ふと、ビャクヤに妙案が浮かんだ。
「そうか。別に顕現は『虚無』から取って喰わなくてもいいじゃないか。ここにこんなに顕現に満ちている
ビャクヤは、背中に八本の鉤爪、
「ひっ、ひい!?」
予想を遥かに上回るビャクヤの能力に、これまで強気でいた不良たちは、一気に恐怖に陥れられた。
ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばすと、この『夜』について教えてくれた男の腹に突き刺した。
「ぐほっ……! な、なん、で……?」
ビャクヤは、突き刺した爪を引き抜くことなく、男の体を引き摺るように自らの目の前に持っていった。
そして、普段は『虚無』にやっているように、手から糸を出して全身を拘束した。
「お兄さんは色々教えてくれたからね。お礼に真っ先に喰らってあげるよ!」
ビャクヤは、鉤爪を自分の手のように広げ、拘束した男の心臓部分を口元に寄せた。
顕現のみを喰らい、肉には一切手を付けてはいないものの、ビャクヤの行動は、まさに補食そのものだった。
ビャクヤは、口元を離した。
「なんだいこれ? 『偽誕者』なんて言うから。顕現もさぞかし旨いのかと思ったら。食べるところが全然ないじゃないか」
ビャクヤは、突き刺した爪を抜き、顕現が空になった男を捨てた。
ビャクヤの意識から外れたことで、男を拘束していた糸が消え去った。
鉤爪を刺された為に、男は腹部から血を流していた。生きているのか、それとも死んでいるのか分からない。
仲間が突然やられた事で、不良たちに戦慄が走っていた。
「あーあ。全然食べ足りないよ。まあいいか。獲物はまだこんなにいるんだし」
ビャクヤは、再び恐ろしい笑みを見せる。
「う、うわあああ!」
「に、逃げろー!」
男二人が、恐怖のあまりその場から逃げ出そうとした。
「逃げてもムダさ!」
ビャクヤは、糸を網にして放った。男たちは網にかかり、まるで身動きがとれなくなった。
「ヒイイイ!?」
ビャクヤは、鉤爪を大きく広げながら、つかつかと彼らに歩み寄った。
「まあまあ。そう怖がらないでよ。なにも僕はキミたちを殺そうって訳じゃないんだからさ。ただキミたちの顕現を頂くだけ。ヒトの肉だの内臓だのには興味はないからね」
ビャクヤは、鉤爪を男たちに伸ばし、刺し貫いた。糸の中で血飛沫が舞い、糸に血が滴る。
「でも。絶対に殺さない保証はできないけどね。……いただきまーす」
ビャクヤは、鉤爪を引き寄せ、男の心臓付近から顕現を喰らう。
蜘蛛の補食の仕方は、獲物を捕らえるとすぐに糸で拘束し、毒牙で咬んで毒を注入した後、麻痺して完全に動きの止まった獲物に、消化液を更に注入して、溶けた獲物の肉や内臓を吸い尽くす。
蜘蛛によっては、獲物の虫の中身のみならず外も喰い尽くすが、大概は中身を吸い尽くして外は捨てる。クモの餌食となったものは、文字通り空っぽになる。
蜘蛛のような能力を得たビャクヤの捕食も、自然界にいる蜘蛛のように、顕現という肉を、外部消化して吸うかのようにして、餌食の『器』を空にしていた。
一人、二人、とビャクヤは次々と捕食していくが、『虚無』に比べると顕現が少なく、なかなか腹は満たされない。
「ひえええ……!」
次々に仲間を喰われ、完全に恐怖に陥った男は、どうにかこの場を逃れようとする。しかし。
「逃げ場なんて。ないよ?」
辺りはビャクヤの張り巡らしたウェブトラップに包まれており、彼の言う通りこの場から逃げ出す手段はなかった。
巣網の隙間には何とか人一人通り抜けられそうな空間があるが、一歩間違えれば首を引っ掻け、そのまま切り落とされそうであった。
「みっともないったらない。大人しく喰われた方が苦しまずにすむよ?」
ビャクヤは、つかつかと歩み寄る。
相手はたかだか中学生くらいの少年である。そうだというのに、その威圧感は、自分の不良のリーダーさえも超えているように思える。
男はついに、背後をウェブトラップに阻まれ、完全に逃げ場を失った。
「ひっ、ひいっ! お助けを……!」
ビャクヤは無言で、右手を振り上げた。同時に右側の鉤爪も動く。
三本の鉤爪を伸ばし、ビャクヤは、男の頭を三角に挟み込んだ。
「あんまり手間かけさせないでよ」
ビャクヤは、男の体を持ち上げ、手のひらを返し、勢いをつけて地面に叩きつけた。
「ぐふっ!」
男の体は、弾んで少し浮いた。その瞬間をウェブトラップが逃さなかった。
これまでの男たち同様に、糸は一瞬にして獲物を拘束した。そしてビャクヤは、鉤爪を伸ばして拘束された獲物を突き刺し、その心臓部分を口元に止せて顕現を喰らう。
「ふう……なーんだこの程度? どいつもこいつも全然お腹にたまらないよ」
気が付けば、ビャクヤは、この辺にたむろしていた不良を全て喰らっていた。ただ一人、『忘却の螺旋』に属し、この不良集団を束ねていたリーダー格の『偽誕者』を除いて。
「さてと。ねえ。残るはキミだけど。この雑魚どもに比べれば。旨そうな顕現を感じるね。がっかりさせないでよ?」
手下が悉くやられたというのに、リーダー格の男は怒ることはせず、ビャクヤの力を恐れている様子も見せなかった。
「ふん……そいつらは、別にどうなろうが知ったこっちゃねぇ。テメェの言う通り、群れることしかできねぇ雑魚だ。そんな雑魚どもが、まともな力を持っていると思うか?」
ビャクヤは即答する。
「思わないね。事情は大体分かったよ。こいつらはキミを勝手にリーダーに仕立てあげた。そして。キミがその力を振るうことで。他の『偽誕者』よりも優位に立っていると思っていた」
虎の威を借る狐とは、まさにこの事だとビャクヤは思う。
「ねえ。キミの能力は何て言うんだい? 教えてよ。僕は結構手の内をみせたんだから。ここは平等にいこうよ」
「どうせこれからくたばるってのに、知ってどうすんだよ。まあいい、教えてやる。オレの能力を……」
ずっとフェンスにもたれ、座り込んでいたリーダー格の男は立ち上がった。
そして、手の甲をビャクヤにかざし、爪を見せつけた。
爪は、一瞬にしてナイフのように変化した。全ての指の爪が同じようになった。
「猟奇の顕現『ジャックザリパー』。この爪の名は、『リッパーネイル』」
リーダー格の男の能力は、かの有名な未解決事件、切り裂きジャックにちなんだものだった。
彼の『この夜』での通り名もまた、猟奇的殺人事件の犯人の通称から、ジャックである。
ジャックの能力を目にしても、ビャクヤは動じない。
「へえ。キミもツメが武器なんだ。しかもずいぶん曰くありげな能力だね」
切り裂きジャックの事件は、約二百年近く経ち、様々な科学技術が発達した今でも、犯人が何者だったのか分かっていない連続殺人事件である。
「ひょっとして。切り裂きジャック事件の犯人ってキミ? いや。キミの能力かな」
ビャクヤは、考察してみる。
事件の犯人が未だに明らかになっていないのは、殺した犯人が『虚無』によるものだからではないか。
犯行が『虚無』やその力の一部を手に入れた『偽誕者』ならば、能力を行使しても証拠が残ることはまずあり得ない。
故に、切り裂きジャックは、猟奇のイグジスを与える『虚無』の仕業だったのではないかと、ビャクヤは結び付けたのだった。
「キミもその能力で。結構な数の人を殺してるんじゃない?」
「ごちゃごちゃワケわかんねぇこと並べ立ててるが、当たってる所はあるぜ。それはテメェの言う通り、人殺しは毎日やっていたことだ!」
ジャックは爪を立て、ビャクヤを刺し貫こうと急襲した。
ガキンっ、と鋭い音が鳴り響いた。
「まるでダメだね」
「なにっ!?」
ビャクヤは、鉤爪で攻撃を受け止めた上で、空いた鉤爪をジャックに突き刺した。
「ぐばっ!」
ビャクヤは鉤爪抜くと、ジャックが倒れ込む前に更なる追撃をする。
「仕留める……」
ビャクヤは両手に糸を出し、ジャックを横切った。その瞬間に手を二度クロスさせる。
合わさった糸は、ワイヤー以上の強度となり、ジャックの全身をきつく拘束した。
「おご、が、あっ……?」
糸の密度も倍以上となり、ジャックは息も満足にできなかった。
「いいねぇ。その表情……」
身動きは一切取れず、呼吸も十分にできないジャックを見て、ビャクヤは小さく笑った。
「どうだい? 苦しいかい? 怖いかい? キミに殺された人たちも。そんなふうに思ってたんだよ。人ってのは。死にそうになると誰でも怖いし苦しいんだ。僕がそうだったからね……」
ビャクヤは、鉤爪を振るって糸を切り、ジャックを拘束から解放した。
「げほっ、げほっ……!」
ジャックは、そのまま膝を付き、一気に肺に流れ込んできた空気にむせかえった。
そこへビャクヤは、鉤爪でジャックの頭を挟み込み、やはり動けないようにする。
「助かったとでも思った? 残念。僕はキミみたいに人殺しの趣味はないし。死なれたら顕現を喰えないかもしれないからね」
ビャクヤとジャックの実力差は、圧倒的にビャクヤが勝っていた。
これまで、見るからに弱い相手を見つけては、死に至らしめるまでなぶっていたジャックは、自分より遥かに強い相手を前に恐怖を覚えていた。
「た、頼む……」
「うん? なにか言ったかい?」
「頼むから、命だけは助けてくれ! まだ死にたくねえんだよ!」
ジャックは、恐怖のあまりに命乞いをした。
「……ぷっ!」
ビャクヤは、この男が一瞬、何を言っているのか分からなくなったが、すぐに理解した。
そして出てきた感情は、哀れみでもなんでもなかった。
「あっはははは……! 何を言い出すのかと思えば。命乞いなんて。ちゃんちゃら可笑しいんだけど!」
ビャクヤは、抱腹絶倒するほどに笑った。この笑いで、だいぶ腹筋が鍛えられたような気がするほどだった。
「はあー。お腹いたい。ねえ。キミさあ。そうして命乞いしてきた相手を。容赦なく殺してきたんでしょ? 今更そんなものが。まかり通ると本気で思っているのかい?」
ビャクヤは、鉤爪を引き寄せ、ジャックの顔を自らの顔の前まで寄せた。その距離は、お互いの息遣いが分かるほどである。
「おおお……お前は、いい、命までは取らねえんだろ? だっ、だったら、ほら、オレの顕現ありったけやるよ! そうすりゃもう殺しはできねえ! だだだ、だから見逃してくれ、いや見逃してください!」
ビャクヤは再び、しばらくの間大きな笑い声を上げる。
「ははは……! 天罰てきめんってやつだね。これは。それじゃあキミの顕現。ありがたく頂くよ」
ビャクヤは、顕現を喰らうための糸をジャックに巻き、これまで同様心臓部分を口元に寄せた。
「ぐっ……!」
ジャックは、顕現を吸いとられるという、これまでに感じたことのない感覚に苦痛を覚えた。
顕現を宿す
しかし、それは一時のものであり、『虚ろの夜』に充満する顕現が『器』満たせば、時間はかかるが、再び能力は使えるようになる。
ジャックは、この事を知っていた。
殺しが癖になっていることもあったが、能力者同士の戦いになった時、顕現が回復するのを待って、後に報復される事を懸念して、ジャックは相手を殺していたのだった。
「ふう。さすが。まともな能力を使うだけあって。なかなか旨い顕現だったよ。ごちそうさま」
ジャックの顕現を喰らったことにより、ビャクヤの腹は満たされた。
「おや? 何を呆けているんだい? もうキミには用はないよ。どこへでも行きなよ」
ジャックは、顕現を奪われたせいか、体にもあまり力が入らない状態となっていた。
「ひっ、ひいい!」
ジャックは、はっ、となり、急いでビャクヤから逃げようと背を向けた。そのときだった。
ジャックは、背中から腹にかけて熱を感じた。同時に、おぞましい痛みが全身を襲った。
「な、なん、で……?」
ジャックは、背中からビャクヤに、鉤爪で突き刺されていた。
「言葉が足りなかったね。キミにはこの世以外のどこかへ。逝ってほしかったのさ」
ビャクヤは、ジャックを貫く鉤爪を抜いた。ジャックは、自らの腹から噴き出す血の海に沈む。
「よく考えたんだけど。『器』が残っている限り。キミの能力は完全になくなることはない。ということは『器』が満たされれば。またキミは人殺しをするんだろ? 僕の姉さんみたいに。不運な死にかたをする人が出てくるかもしれない。だったらここでキミを殺した方がいいかと思ったのさ」
ビャクヤは、刺した理由を教えるが、ジャックは瀕死になっており、聞くことができないようだった。
「し、死にたくねぇ……しに、た、くねぇ、よ……」
ジャックは、段々真っ黒になっていく視界に恐怖しながら、やがて事切れた。
「ふふふ……悪を成敗するのは。なかなか気分が良いものだね。……ふあーあ。腹も満たされたし。眠たくなってきたな。帰って寝よう……」
ビャクヤは、一気に訪れた眠気に大きなあくびをしながら、食い散らかした死屍累々の広場を去っていく。
広場の藪に、蠢く影があった。
『人の身でありながら、ここまで喰らうか。あの小僧、一体いかなる味がするものか……』
異形のもの、『虚無』の姿をしたものは言葉を話すことができた。
謎の『虚無』は、地面に転がる男たちを拾い上げ、蝕んだ。
肉だけを食み、内臓は辺りに散らした。ジャックの周りだけだった血の海が、辺り一体を沈めた。
『……顕現が足りぬ。肉だけでは我が腹は満たされん。あの小僧、猛き虚無食い。いつかその顕現を喰ろうてやりたいものよ』
謎の人語を話す『虚無』は翼を広げ、いずこかへと飛び去っていった。
この晩より、世間には川沿いの広場に、猟奇的殺人犯が出没すると広められ、夜間は警察が配備されるようになった。
しかし、能力を持つ『偽誕者』の中では、それが同じ『偽誕者』によるものであり、恐ろしい強さを持ち、顕現を喰らう『偽誕者』の存在が知られた。
その者は、自らの考えを否定されるようなこと、ジャックのような無法者であれば、命まで奪う学生の『偽誕者』であると噂されるようになった。
そして、鉤爪で切り裂いた返り血を浴び続けたその『偽誕者』は、いつしか赤紫に染まり、新たに別名として『ウィザードライラック』と呼ばれたのであった。
どうも、作者の綾田です。
最近ハマりにハマっている格ゲー、UNIのビャクヤがクロニクルモードの後、どのように過ごしてきたのか、いろいろ妄想しながら今回この作品を書きました。
原作がラノベ風なのですが、かなりきつめのラノベテイストで、ルビの量が半端ないです。専門用語もなかなかハードです。
原作ではいろいろ設定があるわりには、設定資料集のようなものがないので、本編ではけっこう捏造しています。設定資料集があるって知っている方は教えていただけないでしょうか?
さて、私はUNIにはエクセレイトエストから入ったわりと新参者です。格ゲー自体は、電撃FCIをやったりしていましたが、UNIはいい意味でシビアなゲーム性だと思います。特に空中ガードがないのが電撃との大きな違いだと思います。下手にバッタやってると簡単に落とされるし、エスブラっぽいVOは、意外と切り返しに向かない、リフガに似ているシールドは読みを外すと割られてしばらく使えなくなったりと、上級者でも少しのミスで格下にも負けてしまうゲームバランスで、電撃よりもハマりました。
猛練習のおかげか、ビャクヤランク一位になったことがあります。(今は二位か三位ですが)。それくらいにビャクヤ愛はあるつもりです。
最後におまけとしてコンボレシピをのせようと思います。ぜひ参考にしてみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
おまけコンボレシピ
B料理>A罠>着地>2C>5C>B罠>A派生>DB>A料理一段>A罠>A派生
開幕で使うと意外と当たる。罠を当ててグリッドを奪い、壁際まで追い詰める。最後のA派生後はDBからA料理、C食べ頃まで繋がるが、A料理最終段まで当ててしまうとバウンドを使いきって、C食べ頃はスカるので注意。一段>C食べ頃なら繋がるが、開幕ではゲージが貯まらない。ゲージがある時にこの始動がヒットしたら、運び技だと割り切って食べ頃をC料理にした方がいいかもしれない。
尚、B料理を二段以上ガードされると昇竜やサマーなどが確定するので、無闇に振ると切り返される。対空を持っていないキャラでも走って潜られることもあるので、罠でごまかしは難しい。一段罠も反確なので、罠を張らずに最速で5A、または2Aをすれば投げを潰せることがあるが、若干不利。
2B>B料理>A罠>2C>5C>B罠>B派生>Bスカ>2C>A料理>C食べ頃
壁際でヒット確認後。2Cや3Cなどの下段だとB罠がスカる。2B>2Cの場合であれば、B料理を一段にすればB罠が当たる。
ダメージアップを狙いたければ、B罠>溜3C>C罠>B派生>Bスカ>2C>A料理>C食べ頃。
起き攻め重視するなら、B罠>D派生>2C>5C>B罠>A派生>C食べ頃。
DB>B料理>2C>5C>B罠>A派生>DB>A料理>C食べ頃
開幕でも使える。ビャクヤのDBはかなり遠くまで届く下段なので、奇襲する時にも刺さる。しかし、垂直ジャンプでかわされると反確なので、多用は禁物。
DB始動はコンボ補正が緩めなので、壁際だとB派生を二回使うこともできる。しかし、バウンドの上限は三回なのでB派生二回後は2Cで拾ってA料理一段>C食べ頃という流れにする必要がある。A料理一段>C食べ頃はコマンドが難しいので、練習が必要。コツとしては、236Aの後6を押しっぱなしにしてもう一度236とすると昇竜コマンドができる。ニュートラルにしない方が失敗しにくい。
固め
5B>2C>3C
5B>3C>5C>2B
5A>2C>3C
5C>2B>3C
2A>ずらし2A>ずらし2B
2B>I3C
5C>B食べ頃
5B>A食べ頃
等々。3Cを溜めるか、FFの中段を入れると崩しやすい。ただしFFはガードで反確なのでCSはほぼ必須。CS後、最速Bで空中Bが出せるので、実質二段階中段が出せる。相手の後ろに罠をはっておけば、ノックバックで相手に罠が当たるので、反確はなくなるが、壁際では複雑な罠の張り方をしなければならない上、ダッシュで逃げられるので現実的ではない。