BYAKUYA-the Withered Lilac-   作:綾田宗

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 顕現喰らう能力者となったビャクヤ。彼は顕現を喰らうことを食事としていた。
 『夜』に入っては出くわす『偽誕者』を相手とし、その顕現を糧とする。
 いつものように食事を終えると、ビャクヤは珍妙な気配を察知する。その気配の先を辿っていくと、ビャクヤは驚愕することとなった。
 ビャクヤが出会った者、それは一人の女である。その上、その容姿は、死んだ姉と瓜二つであった。
 この『夜』に、女にはある目的があった。しかし、彼女には、『夜』を渡り歩くには少なすぎるほどの力しかなかった。
 ビャクヤは、姉に似る女をどうしても放ってはおけなかった。説得の末、女はビャクヤの姉、『ツクヨミ』の名を名乗り、ビャクヤとある契約を結んだ。
 それは、表向きは姉弟を演じ、ビャクヤはツクヨミの剣であり盾として付き従うことだった。
 ビャクヤにとっては、姉が蘇ってくれたかのようなものだったが、ツクヨミは彼を武器としてしか見ない、冷酷さを彼に示すのだった。


月との再会、隷属の蜘蛛

Chapter4 月との再会

 

 空中に切れた糸と血飛沫が舞った。

「ハハハハ! それそれそれ! めった切りだ!」

 ビャクヤは、顔に返り血を浴びながら高笑いをあげ、ウェブトラップにかかった相手を鉤爪で切り刻んだ。

 八裂の八脚(プレデター)は、血に染まり、もとの色と合わさって赤紫色になっていた。

「ぐっ、うう……」

 ビャクヤと戦っていた者は、全身をズタズタに切り裂かれ、大量出血で気絶した。

「あれ? キミ弱いなあ……」

 ビャクヤは右手を腰に当て、伏し目がちに相対していた男を見る。

 血の海に沈む男には、まだ辛うじて息があった。生きている内でなければ、ビャクヤの腹を満たす顕現を得られない。

「まあいいや。そのまま動かないでくれ。下手に暴れられると服が汚れるんでね……」

 ビャクヤは、鉤爪で男の首を挟んで持ち上げて無理矢理立たせ、手から顕現を喰らうための糸を放って全身を縛り付けた。

 そして、まだ僅かに鼓動する心臓を口元に寄せて、その者の顕現を喰らった。

「……ふう。今日のはまあまあかな。ごちそうさま」

 顕現を喰らい尽くされ、空になった男はその場に捨てられた。

「はーあ。何だか飽きてきちゃったなぁ……」

 顕現を喰らうことは、今のビャクヤには、食事と全く同じ存在であるため、飽きの対象はこちらではない。

 数日前であったか。ビャクヤは、『忘却の螺旋』(アムネジア)という組織に属す不良集団を喰らい尽くした。

 その集団のトップにいた男、『猟奇のイグジス、ジャックザリパー』という、かのイギリスで起きた猟奇的連続殺人を想起させる能力を持つ者と戦った。

 ビャクヤは、十人は下らない人数を殺しているであろう男、ジャックを討ち倒した。

 それ以来、『忘却の螺旋』でもそこそこの実力者であったジャックを倒した、ビャクヤに挑んでみようという、『忘却の螺旋』に属す者たちと戦いの日々を過ごすことになってしまった。

 初めの内は、探さずとも出現してくれる獲物に、ビャクヤは喜んでいたものだった。しかし、誰も彼も弱すぎてしかたがなかった。

 ビャクヤに挑んでくる者たちは、皆『忘却の螺旋』の実力者を自負していたが、誰もがジャックと同等、もしくはそれ以下だった。

 加えて彼らは、ジャックと同様に殺人快楽主義者であったため、ビャクヤは、彼らがこれ以上殺しができぬよう、逃がさず止めを刺してきた。

 それが原因で、八裂の八脚は血濡れた赤になり、ビャクヤ自身も血染めになった『偽誕者』(インヴァース)を捕食してきたために、頭髪が赤みを帯びるようになっていた。

「姉さんとの思い出のあるこの場所も。ずいぶん血生臭い所になっちゃったなぁ。まぁ。僕が殺すからだけど……」

 最近では、『偽誕者』が徘徊するせいで、虚無の気配も薄れてしまっている。もうここに来ても、姉さんとの思い出の地を汚すだけかもしれない。

「はぁ……ここに来るのもそろそろ止め時かもね。退屈な日々に戻るのか。帰ろうかな……」

 辺りになんの気配もなくなったのを確認すると、ビャクヤは『虚ろの夜』を後にしようとする。その瞬間だった。

「おや? この気配は……」

 非常に微弱な顕現であるため、今まで察知することができなかったが、ビャクヤは『偽誕者』の気配を感じた。

「まだ妙なヤツが彷徨いていたのかな? ん。この匂いは……」

 この広場に集う『偽誕者』とは、まるで違う匂いを感じた。

 いつもはとにかく、好戦的な者が血の匂いをぷんぷんさせているのを感じるのだが、今感じ取っているのは、とてもよい匂いであった。

 よい匂いであるが、食指が向くような匂いではなく、嗅いでいて心地よい気分になる芳香である。

「何だろう。すごくいい匂いだ。まるで姉さんのような……」

 姉さんは、容姿端麗でとてもよい匂いをしていた。

 香りのよいものが好きで、ガーデニングで栽培したハーブをお茶にして飲むだけに止まらず、香水を自作したりもしていた。

「まさか。姉さんがこの夜にまた現れているのか……!?」

 ビャクヤは、とても落ち着いてなどいられなかった。

「こうしちゃいられない。姉さん。すぐに会いに行くよ!」

 ビャクヤは匂いを追い、足早にこの場を後にした。

 ビャクヤは、この能力を得てから、嗅覚が非常に発達していた。

 嗅覚で有名な生き物といえば、犬であり、その鋭さは人間の何十倍にも及ぶと言われる。

 ビャクヤの嗅覚も、流石に犬ほどには及ばないものの、半径にして五十メートルまで匂いを感じられ、近付けば近付くほどその精度だけは犬をも超える。

 犬に探知できるのは、精々匂いの対象の位置ぐらいのものだが、ビャクヤには匂いだけで、獲物の位置のみならず、それの大きさ、顕現の強さまでも感じとることができていた。

 ビャクヤは、姉さんによく似た匂いをたどり、その匂いの元を追いかける。

 顕現を感じる辺り、匂いの元は『偽誕者』と思われたが、ビャクヤの近くに自ら近寄ってはいないようで、集中していなければ匂いの元を見失いそうになった。

 しかしついに、ビャクヤは匂いのする位置、どれほどの体長と力を持つのか分かった。

 距離にして、もう十メートルもない。その先にビャクヤの探す者は、動くことなくそこに止まっていた。

 最早逃げても無駄と判断し、そこに立ち止まっているのか、僅かしかない隠れ場所に隠れてビャクヤをやり過ごそうと言うのか。

 いずれにせよビャクヤには、その先にいる者がどのような風体なのか、全て分かっていた。

 ビャクヤの想像通り、匂いの元は女のものであり、姉さんと同じぐらいの背丈をしている。

 そして、感じ取れる顕現は、これほどまでに近寄っても僅かでしかない。これが本当に『偽誕者』の持つ顕現なのか疑わしくなるほどである。

 だが、全ては、あと少し近寄れば明かされる。

 ビャクヤは逸る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと匂いと顕現の存在するところへ歩み寄っていく。

 こつこつ、と靴音を立てながらゆっくり歩み寄る様子は、さながら今から殺しを行おうかという殺人鬼そのものだった。

 曲がり角を進み、ビャクヤは十字路に差し掛かった。

 そこは木や垣根が植えられ、芝生が広がる、この都市には珍しい緑溢れる場所であった。ここであれば、多少なりとも隠れる場所はある。

 しかし、ビャクヤの鼻の前には、そのようなかくれんぼは無駄である。顕現を持つ『偽誕者』相手ならなおさらである。

「さーて。珍しい。こんなところに誰がいるのかな?」

 ビャクヤは、これから探し出すと宣言するように、大きめな独り言を言った。

「どこかなー?」

 対象の、女のいる位置はもうビャクヤには分かっている。しかし、ビャクヤはわざと子供っぽく、いかにも探している演技をして見せる。

「ここかなー?」

 ビャクヤは、女が隠れているすぐ近くの低木に鉤爪を突っ込んだ。

「あれー? いないのかなー?」

 ガサっ、と近くの低木の葉が揺れる音がした。

 ビャクヤは、腹の中で笑いながら、よりわざとらしい声をあげる。

「あれれー? なーんか今音がしたような気がしたけど。気のせいかなー?」

 ビャクヤは、音のした方へと足音高く歩み寄った。

「ここかなー? いや。あっちかなー? 暗いからよく分からないや」

 ビャクヤは、これ以上無駄なかくれんぼをしているのも飽きてきた上に、これ以上相手の女を怖がらせるのは悪趣味だと思い、この辺りで下手な演技は止めることにした。

「なーんて。最初から分かってたけどね。みーつけた!」

 ビャクヤは、鉤爪で低木を少し切り裂いた。

「…………っ!?」

 低木の先に、かなり驚いた表情で腰を抜かしていたのは、ビャクヤの思った通り、女だった。

 純白のワンピースに身を包み、腰元まである長い髪をしており、前髪は左に流していた。

「そっそんな。キミは……!?」

 ビャクヤは、ワンピース姿の女以上の驚きに包まれていた。

 女は、ビャクヤの驚き様に、怪訝そうに眉を寄せた。

「あ。ああ……!」

 ビャクヤは、震えながら両膝をついた。

「…………っ!」

 ビャクヤは、ガバっ、と女を抱きしめた。

「ああ! 姉さんっ。姉さん! やっと見つけた! やっぱりここ(この夜)にいたんだ! ずっと探してたんだよ? どこにいたんだよ!」

 ビャクヤは、もう恥も外聞もなく、抱きしめた女の胸元に額を擦り付け、その香りに浸った。

「んん……ちょっ、止めなさい……!」

 突然、訳の分からないことを言いながら襲いかかってきたビャクヤに、女は顔を紅潮させて体をよじる。

「姉さん! 姉さん! そうだ。もう一度顔を見せて……」

 ビャクヤは、女の胸に擦り付けていた顔を一度離した。そして、女の顔を再び見ると、ビャクヤは眉を寄せた。

「って。あれ? 貴女(キミ)。だれ?」

 ビャクヤが離れたかと思いきや、放たれた言葉がこれであり、女は反射的に平手を放った。

「あっ!?」

 パシンッ、と音高く平手を受け、ビャクヤは怯んだ。その隙に、女はビャクヤから距離を取り、乱れた胸元を抑える。

「……いったいなー。何するのさ」

 ビャクヤは、不意の平手打ちを受けた頬を擦りながら口を尖らせた。

「……あんなことをされたら、誰でも何かしらの反撃はするもの。あなたの言葉、全てそのまま返すわ」

 女は、ビャクヤを少し睨んだ。

「あははは。確かに。貴女の言う通りだ。ごめんごめん」

 ビャクヤは、笑いながら謝り、立ち上がって女に手をさしのべた。

「立てるかい?」

 女には、その手を取るのは憚られた。

「……また、変なことをするつもりなのではなくて?」

「ははは。まさか。僕は姉さん以外の女の人には興味はないからね」

 発言に危うさを感じるが、女はビャクヤに、能力を悪用して強姦をするような趣味はないような気がした。

 しばらく様子を見るが、ビャクヤは、さしのべた手を引く気配がなく、女は仕方なくその手を取った。

「よっと」

 思いの外ビャクヤは、女を優しく立ち上がらせた。

「あっちにベンチがあるんだ。立ち話もなんだし。行かないかい。姉さん?」

 女には、ビャクヤの意図がまるで分からなかった。

 突然、この世のものとは思えないものを見たかのような驚きを見せたかと思うと、襲ってきた。

 しかしながら、そのまま姦淫に及ぶのかと思いきや、それもしなかった。

 そして何より奇妙なのは、ビャクヤが女の事を『姉さん』と呼び続けていることだった。

「どうしたんだい。姉さん? こんな藪にいたら虫に刺されるよ? いや。虫ならまだマシか。虚無に襲われるかもしれないよ?」

「……たった今、あなたに襲われたばかりだから、私には虚無の方がマシだとさえ思えるわね。それと、あなたさっきから、私の事を『姉さん』と呼んでいるけど、私はあなたの姉ではないわよ」

 ビャクヤは、カラカラと笑う。

「あはは。分かってないなぁ。そんなの僕でも分かっているよ。貴女が姉さんじゃないことくらい。ね」

「あなたは、『この夜』でお姉さんを捜しているのかしら? どうしてこんな所で捜しているのか知らないけど、普通に失踪したのなら、警察にでも行った方がいいのではなくて?」

 またしてもビャクヤは、何が可笑しいのか、笑い声をあげる。

「あははは。全く。姉さんは分かってないなぁ。それができるんなら。とっくの昔にやっているさ。姉さんは。この世界にはいないのさ」

 女は、いちいち小バカにされているような気分に、少しばかり苛立ちを覚え始めていたが、ビャクヤの話を聞いて、ある事を察した。

「この世界にはいない? ということは、あなたのお姉さんは……」

「うん。少し前に事故でね。ずっと一緒にいようって。約束したのに。死んじゃった」

 ビャクヤは、あの日を思い出したのか、顔から一切の笑みが消えた。

「……姉さんが死んでから。僕は生きる意味を失った。だから後を追おうかと思ったら。いつの間にか『この夜』に入り込んでいた。そして人を喰う影。虚無に襲われて死にかけた。その時だったよ。それまでどんなに願っても見られなかった。姉さんの夢を見た。いや。あれは姉さんそのものだった。だから。『この夜』を歩き回っていれば。また姉さんに会えるんじゃないかって。思ってたんだ」

「……それで、あなたのお姉さんそっくりの私を見てあんなことを。そんなに私はあなたのお姉さんに似ているのかしら?」

「うん。生き写しとまではいかないけど。雰囲気や仕草が似ているんだ。今もこうして話していると。より似ている気がしてくるよ。ああでも。姉さんとは全然違うところはあるよ。姉さんは、そこまで厳しい口振りじゃないし。もっと可憐な完璧な女性さ。それに。姉さんの方が胸があったよ。ああ。この姉さんは今はいない方の姉さんであって。姉さんじゃないからね」

 ビャクヤを可哀想な少年なのだな、と思っていた女だったが、彼の余計な言葉で哀れみが消えた。

「はあ……」

 女は、ため息をつくと歩き出した。

「ああ。待ってよ。どこにいくのさ?」

 余裕の表情だったビャクヤだったが、慌てて女を引き留める。

「疲れたのよ。この先に座れるところがあるのでしょう? あなたに少し訊きたいことがあるの。いいかしら?」

 ビャクヤに笑みが戻る。

「なるほどね。それじゃあそこで待っててよ。お茶でもご馳走するからさ」

 ビャクヤは、近くの自動販売機へと向かって行った。

 女は、一人その場に残された。

 このままここを去ってしまおうかとも思ったが、隠れても逃げても、あの少年には簡単に見つかってしまうだろうと考え、それは止めることにした。

 あの少年が果たして知っているかどうかは分からないが、女には本当に訊きたいこともあった。

 今の自分には、戦う術がない。故に妙な真似をしてあの少年の気分を害する事をすれば、今度こそ力で凌辱を受けることになるやも知れない。いや、それだけならまだいい。命を取られる危険すらある。

「…………」

 女は、ひとまず事を荒立てないよう、少年の言う通りにすることにした。『虚ろの夜』にいるのだ。いつ何があってもおかしくない。

 あの少年は、見た目は、目鼻立ち整った美少年であるが、肌は透き通るように白く、眼はどこか果てしなく遠い所を見ているかのように、常に虚ろであり、病弱な印象を受ける。

 さっき襲われかけた事もあり、女はあまりあの少年とは関り合いになりたくなかった。

 ここはもう、賭けに出るしかなかった。穏便に彼から去ることができるか、それとも最悪、殺されることになるか。

――サイコロで賭博なんて甘いものじゃなく、ロシアンルーレットね。それも六分の五が弾丸の、ね――

 女は、そんなことを考えながら、川沿いに設置されたベンチへと腰を落とした。『虚ろの夜』の影響で、人工的な雑音は一切聞こえない。川のせせらぎが耳に優しく、夜風も穏やかに頬を撫でる。

――こんな時でなければ、ゆっくりと過ごしたいものね……――

「や。お待たせ」

 女の心を乱す存在が、両手に缶ジュースを持ちながら戻ってきた。

「はい。これ」

 ビャクヤが女に渡したのは、ミルクティーだった。

「姉さんの好物だったんだ。ハーブティーも好きだったけど。よく自分で淹れていたよ」

 ビャクヤも同じミルクティーを持っていた。

 ビャクヤは、フェンスに寄りかかり、缶の蓋を開けミルクティーを飲み始めた。

「ふう……懐かしいな。姉さんの事を思い出しちゃうから。ミルクティーなんてずっと飲んでなかったからね」

 女は、渡されたミルクティーには一切口をつけず、手に持っているだけである。

「あれ。飲まないのかい?」

「おあいにくさま、私は紅茶はストレートが好きなの」

 建前であった。本音は、ビャクヤから受け取ったものなど口にしたくないだけだった。

「そうなんだ。じゃあこれ」

 ビャクヤは、鉤爪に挟んだ缶を手に取り、女に差し出した。

「これは……ストレートティー?」

「お好みに合わなかったらと思って買っておいたんだ。やっぱり気が変わったりしたら。まだ他のがあるよ」

 ビャクヤは、さらにもう一本缶ジュースを持っていた。それはレモンティーである。ビャクヤは、自動販売機で買える紅茶全て買っていた。

 女は、ストレートティーを所望してしまった手前、むげに断ることができなくなってしまった。もしも断れば、ビャクヤの機嫌を損ね、無事ではすまされなくなるかもしれない。

「……いただくわ」

 女は、仕方なくストレートティーを受け取って蓋を開けた。二口、三口ほど口に含む。

 自販機で売っている紅茶にしては、味も香りもいい気がした。喉から鼻へと抜けていく茶葉の香りが、女の心を落ち着けた。

――気持ちを鎮めるには、ちょうど良かったかもしれないわね……――

「よかった。飲んでくれて。そういえば姉さ……いや。貴女は姉さんじゃないし。貴女の事はなんて呼べばいいのかな?」

「姉さん。でいいわ、もう……」

 女は、さんざん姉さん呼ばわりされてきて、今更変えさせるのも面倒な気がした。それに、ビャクヤとこうして話すのはこれっきりだろうと思い、好きに呼ばせることにしたのだった。

「やった……!」

 案の定、ビャクヤは喜色を浮かべる。

「それで。姉さんは僕に訊きたいことがあったんだよね? 何でも訊いてよ。できるだけ力になるからさ」

 ビャクヤは、仮の姉のために、何かしら役に立ちたいと張り切っていた。

 しかし、対する女の方は、あまり期待していなかった。

 探しているものが、このような不気味な少年ごときから聞き出せるとは思えなかった。

 よくて、この近辺に暴れまわるものの噂を聞き出せれば上出来である。

「どうしたの? 遠慮せず訊きなよ」

 ビャクヤは、女にニコニコと屈託のない笑みを向ける。

「…………」

 女は、もう一度心を沈めるべく、紅茶を少し口にする。

 そして、ビャクヤに訊ねた。

「あなた。最近この辺りを荒らし回っている『偽誕者』について何か知らないかしら?」

 ビャクヤは渋い顔をした。

「姉さん? ここいらにそういうヤツは。掃いて捨てるほどいるんだよ? それだけの情報じゃあ分からないよ」

 やはり知らないか、と女は思うが、同時にビャクヤの言うことにも一理あると考える。

 しかし、女は、捜している者を口外したくはなかった。

 これまでのやり取りで、ビャクヤは少し変わった少年であると考えられたが、少なくとも好戦的な性格ではないと思われた。

 しかし、女の捜す者は、全くの正反対であった。

 相手が虚無であろうと、『偽誕者』であろうと、顕現を持つものであれば、何にでも襲いかかる非常に狂暴な状態に陥っている。

 そんなものが、ビャクヤとかち合うことになれば、まず間違いなく戦い、いや、殺し合いに発展することだろう。

――ちょっと待って。このままだと?――

 女は考えながら、最悪の可能性に気付いてしまった。

 例えこの場は穏便に過ぎることができたとして、彼女について何も知らないビャクヤが出会ってしまうことがあればビャクヤに、女の捜す者が殺される可能性である。

 ビャクヤから感じられる顕現は、不気味な上に非常に強い。二人が戦い合うことになれば、間違いなくビャクヤが勝つに違いない。

 故に女は、秘匿するのは危険だと思ったのだった。

「姉さん? おーい。姉さーん」

 ビャクヤに呼びかけられ、女は、はたと我に帰った。

「姉さん。どうしたのさ? ずっと難しい顔して黙っちゃって?」

「ごめんなさい、少し考え事をしていたのでね。あなたの言う通り、これじゃ情報が足りなさすぎたわね。質問を変えるわ。この辺で女の『偽誕者』の噂は聞いたことはないかしら?」

 女は内心、この男と彼女がまっ正面から出会っていないことを祈っていた。

 ただ見聞きしたことがある。そうした情報が返ってくるのを切に願っていた。

「うーん。知らないなあ。男の『偽誕者』とは数えきれないくらい出くわしてるけど。女の人と『この夜』で会ったのは姉さんが初めてだよ。そうそう。『この夜』に来られるって事は。姉さんも『偽誕者』なんだよね? それにしてはずいぶん力が弱いけど?」

 ビャクヤの解答に、女は安堵と落胆が半々であった。

「そう。なら悪いことは言わないわ、その子に遭うようなことがあったら、逃げなさい。忠告しとくわ。それじゃ、お茶、ご馳走さま」

 これ以上、ビャクヤを詮索したところで、何も出ては来ないと思い、女はベンチから立ち上がった。

「ああ! 待ってよ。姉さん! お願いだから!」

 ビャクヤは、必死になって女を引き留めようとする。

「何かしら? 私は急いでいるの。『虚ろの夜』で暴れまわっているだろう、あの子を捜すために」

「あの子? 姉さんはその『偽誕者』を捜しているのかい?」

「いちいち下らないことを訊かないで頂戴。あなたには関係の無いことよ。さよなら」

「待ってよ! 姉さんの言ってることが本当なら。そんなのに会うのは危険じゃないかい!? 姉さんにもしもの事があったら……」

「あったら、なんだと言うの? 姉さんなんて呼んでるけど、私はあなたの姉ではない、赤の他人でしょう? 私がどうなろうと、あなたには無関係じゃなくて?」

「無関係なんかじゃないよ。やっと姉さんに会えたのに。これでお別れなんて嫌なんだ。勝手なことを言っているのは分かっている。だからもう少し話しをしようよ!」

 ビャクヤが何故、こうまでして引き留めるのか、女にはまるで理解できなかった。

 女が、ビャクヤの姉に似ているから彼は引き留めようとしているのか、と思ったが、それにしては執着が強すぎるように感じる。無事にこの場を収めるには、やはり無下にはできない。

「ふう……」

 想像していたよりも、それもまるで考えもしなかった方向への厄介な事態に、女は、大きくため息をついた。

「あなたとこれ以上話したところで、あの子の情報は得られないと思うのだけど……」

「情報ね。それはもっと話しをすれば何か分かるんじゃないかな。ああ。そうだ!」

 ビャクヤは不意に、大きな声で何か思い出したようなそぶりを見せた。

「そんな大声出して何事なの? 人をわざと驚かせるような真似は悪趣味よ」

 女は、驚きながらも、ひょっとしたらビャクヤが何か知っているのではないか、と淡い期待を抱いた。

「驚かせちゃった? ゴメンゴメン。別にどうってことないよ。ただ。自己紹介してなかったと思ってね。僕はビャクヤっていうんだ」

 微笑を浮かべながら、ビャクヤは名乗った。

 女は、ようやく少年の名前が分かった。そして同時に、ビャクヤという名の由来について考えた。

――ビャクヤ……白い夜と書くのかしら? この子らしい不気味な名前ね……――

 北極圏や南極圏にて、ある一定の時期に起こるという、日が沈まないままの夜。その夜は、日が沈まないために、いつまでも空に太陽があるという。故に、本来黒い空の夜に対して、光があるために白夜と呼ばれているらしい。

「姉さんの名前は何て言うの? やっぱり教えてよ」

「あら、急に品の無いナンパを始めるのね」

「ははは……ナンパね。そんなんじゃないよ。ただ貴女の事をもっと知りたいだけさ」

「それを一種のナンパと言うのではなくて? 残念だけど、今の私には、名乗るべき名前はないわ」

「ふむふむ。なるほどね。何か深いわけがありそうだね。僕も大人だ。あまり深くは訊かないでおくよ」

 意外にもビャクヤは、女の事を根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかった。

「それがいいわ。無用な詮索はするものじゃない。特に相手が女性ならなおさら、ね」

「姉さんも同じ事を言っていたよ。人には人のプライバシーってものがある。ってね」

 けれど、っとビャクヤは一つだけ訊ねた。

「姉さんは。あの子? っとかいう人捜しをしているんだよね? それもこんな危険な『虚ろの夜』をそんな弱い力で。姉さんは自分のしていることが分かっているのかい?」

 ビャクヤの言葉に、女は反論の余地はなかった。一言一句彼の言う通りである。

「ええ、分かっているわ。でも、私はあの子を見つけなきゃいけない。これは私の使命なのよ」

「ふーん。本当に分かっているのかい? 『この夜』には虚無がうようよしているし、『偽誕者』だって彷徨いている。猛獣だらけのサファリパークを生身で歩くようなものだよ? 本当に分かってるのかなー?」

 ビャクヤは、腕組みをし、眉根寄せながら女を見た。

 終止破茶滅茶な物言いをしていたビャクヤだったが、ここへ来て正論を並べ立てる。女は言葉につまってしまった。

 今ビャクヤの言っていることは、全て正しい。人を襲って喰らう虚無は確かにいる。むしろここは、虚無の住み処、いや、世界とまで言っても過言ではない。

 加えて、虚無の力の一部を受け取って、普通の人ならざるものになった『偽誕者』と呼ばれる者も存在する。

 超常の能力を手に入れた『偽誕者』は、そのほとんどが、自らの力を(いたずら)に試そうという者だらけである。

 もちろん例外はあるが、基本的には、『偽誕者』同士がぶつかれば戦いに発展する。それは、命までは取らない喧嘩程度ものから、殺すか殺されるかの命のやり取りまで多岐にわたる。

 それでも女には、ここでやらなければならないことがあった。自らが知らぬうちに傷つけてしまっていた『あの子』を捜さなければならない。

「……今あなたの言っていることは正しいわ。でも、それでも、私にはやらなきゃならない、捜さなきゃならない人がいる。たとえ、片腕を喰い千切られようと、この眼を潰されようと、生きてあの子に会わなければならないの!」

 物静かな雰囲気だった女が、必死の形相で声を上げた。

 ビャクヤは、女の様子に驚いていた。悲壮なまでの決意が、女から伝わってきた。

 ビャクヤは、驚きでしばらく目を見開いていたが、すぐに生気の無い目に戻った。そして特有の微笑を浮かべ、言葉を発する。

「なかなか感動的な話だねぇ。大切な人を失う悲しみは。僕には十分にわかる……そうだなぁ……」

 ビャクヤは、うーん、と何か考えるようなそぶりを見せたかと思うと、とても予想だにしない提案をした。

「そうだ。こうしよう。()()()()()()()()()

「…………は?」

 感傷に浸っていた女から、一瞬、いやそれ以上の間、一切の感情が消えた。

「な……」

――な――

――に――

――を――

――?――

 女は驚愕のあまりに、言葉さえもまともに紡ぐことができなかった。

 何が可笑しいのか、ビャクヤは微笑みを女に向け続けている。

――何を言っているの、この子は?――

 女は、やっと思考が追い付いてきた。

「どうしたんだい? そんなに難しい顔してさ。僕何か変なこと言ったかな?」

 ビャクヤは、相変わらずニヤニヤと笑う。

「……そうね。あなたの唐突さにも、そろそろ慣れてきた所だったけど、こればかりは頭が理解しきれないわ」

 今度はビャクヤが難しい顔をする番だった。何を考えているのか分かりかねるが、あーでもない、こーでもない、と唸りながら考えている。

 やがてビャクヤは、大きくひと息つき、話し始めた。

「説明するのがめんどくさいんだけど。仕方ないね。姉さんには。今戦える力がない。だけど。この虚無や『偽誕者』のはびこる危険な『虚ろの夜』でやらなきゃならない事がある。それが人捜しと来たもんだ。さぞ難儀なことだろうね」

「……ええ。私だってそこまで愚かじゃない、どれほど難儀な、いえ、命の危険の伴うことをしているのか分かっているわ」

「なぁんだ。分かっているじゃないか。そこでこの僕の出番。と言うわけさ」

 ビャクヤの言葉は、趣旨が欠落していた。

「……そこが分からないところなのよ。何故私があなたに守られなくてはならないの?」

 ビャクヤは、自分の話が分かってもらえていたつもりでいたが、女の返答に眉を曲げて口を尖らせた。

「んもー。全然分かってないじゃないか。はあ……やっぱり。これ以上は面倒だから三つにまとめるよ。いいかい? 一つ。姉さんには戦う力がない。二つ。僕には戦う力がある。そして三つ。僕らはお互いに『この夜』でなにかを探している……分かってくれたかい?」

「まさか、私の人捜しを手伝うつもりでいると言うのかしら?」

 パチパチと小さな拍手が鳴った。

「ご名答。その通り。さっきも言ったけど。『この夜』は猛獣だらけだ。そんなところを丸腰で歩いていたら。いつ喰われるか分かったものじゃない。けれども。ナイフの一本や二本あれば。猛獣とも戦えるでしょ? 猟銃でもあれば尚更心強い……」

 ビャクヤは、右手の親指と人差し指を伸ばし、バーンとね、と銃を撃つようなフリをした。

「それにさ。僕は貴女じゃない姉さんの姿を探す。姉さんはあの子とやらを捜す。利害の一致。一石二鳥。まさに両者勝利(ウィンウィン)じゃないか。まっ。僕にとってはもう一つ得がある。姉さんにそっくりの貴女と一緒にいることで。僕に生きる意味が生まれる」

 女は、だんだんとビャクヤの意図が分かり始めた。

「私を守るのは、あなたのお姉さんと私が似ているからかしら? 似ている私を守ることで、死なせてしまったお姉さんへの罪滅ぼしにでもなると思っているのではなくて? そうでなければ、そこまでしてあなたが私に付きまとう理由がない」

「うーん。それを言われると返す言葉が無いね。確かに。姉さんの言う通り。僕の自己満足なところが大きい。でも。僕という武器が有れば。『この夜』も恐くないよ?」

「……あなたから感じる顕現は、確かに強い。けれど、本当に私を守りきれるのかしら。交渉するなら、もう少し商品説明が欲しいところね」

「そうだねぇ。姉さんの言うことももっともだ。それなら……」

 ビャクヤは、口元を大きくつり上げた。そして、恐ろしい笑みを浮かべる。目は全く笑っていない。

「ここいらの雑魚。あらかた僕が喰い尽くした。虚無も『偽誕者』も。どちらも。ね」

 女はふと、捜し人について、様々な話や噂を耳にしていた。そんな中、こんな噂を聞いたことがあった。

 川沿いの広場に出没するという猟奇的殺人犯。その殺し方は、まさに残酷にして惨忍なものであり、臓腑を辺りに散らし、肉を喰われたかのような、ほとんど上半身の原型を留めないほどにバラバラにする、というものだった。

 警察は厳戒態勢で殺人犯の捜索に当たっているが、全くの収穫がないという。

 それもそのはずで、『虚ろの夜』で起こった現象は、現実世界に一切の痕跡が残らないのである。

 能力の行使をしていなければ、足跡くらいは残るのだが、能力が発動された瞬間に、そうした証拠は一切消えてなくなるのだった。

 無能力者は、基本的に『虚ろの夜』へと入ることはできない。故に、そうした死体ができるのは、虚無に喰らい尽くされたか、『偽誕者』同士の戦いの末によるものである。

 女は、その噂を耳にしたとき、『あの子』が暴れまわった跡なのではないかと考え、危険を承知で、戦う力がない状態で『虚ろの夜』へとやって来たのだった。

――まさか、最近この辺で死体が上がる事件の犯人というのは、『あの子』じゃなくてこの男だというの?――

 女は、訝しんでビャクヤを見る。

「なんだい? 疑っているのかい? だったら論より証拠。隣街にでも行って姉さんが望むだけの首を。獲ってこようじゃないか……」

 猟奇的な発言の上、『虚ろの夜』を徘徊する理由の薄さから、女はビャクヤが犯人だと確信した。

「……悪趣味ね。たとえあなたが私の身を守るに足る存在だとしても、惨忍な殺し方をするようじゃ、私の身にも危険がある、まさに諸刃の剣だわ。それなら……」

 女が言いかけた瞬間、ビャクヤは鉤爪を一本伸ばした。

 鉤爪は女の顔の横をすり抜け、女の背後に迫っていたものを貫いた。

 ギイイ、と耳障りな鳴き声のようなものを上げるそれは、小型ではあるが虚無そのものだった。

 ビャクヤは、捕らえた虚無を手元まで引き寄せると、空いている方の手から糸を出し、虚無をぐるぐる巻きにした。

「隣街まで行く手間が省けたよ。しかも。僕の力を姉さんの目の前で実演できた。これでどうかな? 僕は姉さんに危害を加えるものは何であれ排除できるって。証拠になると思うんだけど?」

 ビャクヤは、獲物を口元に寄せ、その顕現を喰らった。顕現を喰われた虚無は霧散した。

「ふう。こんな小物ではあるけど。姉さんみたいに戦う力がないんなら。やられるよ? 『偽誕者』なら分かるでしょ? 虚無の恐ろしさが」

 女は、一連の出来事に唖然としていた。

 ビャクヤは、寸分の狂い無く虚無を仕留めて見せた。少しでも位置がずれていたら、女の首も一緒に飛んでいた事だろう。

 更には、顕現を喰らう能力を有していた。顕現が著しく低下すると、『偽誕者』は能力の行使がしばらくの間できなくなる。

――これなら、力の無い私でも、あの子の『器』(ヴェセル)を壊せるかもしれない――

 女はしかし、まだ迷いがあった。

 それは、ビャクヤの奇怪な人間性である。しかしまた、無償で用心棒役をやってくれるような者は、大概まともな人間ではないのも当然の事だ。

「ねえ。考えたら。僕たちってお似合いじゃないかな?」

 またしてもビャクヤは、唐突な事を言う。

「……どう言うことかしら?」

 女はもう、ビャクヤの言葉には驚かなくなっていた。

「同じ大切なものを失った者同士。お似合いだと思ったのさ。取り戻すんだ。僕と姉さん一緒にね。僕は姉さんにずっと付いていくよ。どこまでまででも。どこへでも。ね」

「……呆れて何も言えないわね。最初に私に襲いかかってきた時点で変な子だと思っていたけど、ここまで変だったなんてね……」

 しかし女は、どこか吹っ切れたような気がした。特に何かと勝負をしていたわけではないが、ビャクヤの歪んではいるが健気な所に、根負けしたような気分であった。

「ふう……」

 女は一つ大きく息をつき、意を決して言葉を紡ぐ。

「分かったわ。あなたのお姉さんの名前、教えてくれるかしら?」

 ビャクヤは、目を見開いた。

「えっ!? それって僕の誘いに乗ってくれるってこと?」

「いちいち下らない事を訊くのね。早く教えてくれない?」

「ああ! こんなことがあるなんて。運命の神様とやらは僕を見ていてくれているようだ……!」

 女は反対に、死神にでも付け狙われている気分だった。

「自己陶酔するのは後にして。私の気が変わる前に教えなさい。あなた、女心が分からないって言われているんじゃない?」

「あらら。ごめんね。流石は姉さん。お見通しのようだね。月夜見(ツクヨミ)だよ。これが僕の姉さんの名前……」

「ツクヨミ……夜を優しく照らす月を思わせる名前ね。では、今から私はツクヨミと名乗ることにするわ」

 女、ツクヨミは新たな名前を得た。

 親友だった者に『器』を割られ、中身のなくなった女のそれは、ツクヨミという存在で満たされた。

「でも、勘違いしないことね。私はあなたの姉になるわけじゃない。あなたは私を守る剣であり盾。それ以上の何物ではない。私かあなたが死ねば、それで終わるかんけ……」

 ツクヨミは、驚いて言葉を止めた。

「ああ……あああ……! 帰ってきてくれた……」

 ビャクヤは、その生気の無い目から涙を流していた。

「姉さん……月夜見。ツクヨミ。つくよみ姉さん……」

 ビャクヤは、止めどなく流れ出る涙を拭うこともせず、ただ姉の名を口にするだけだった。

「…………」

 よほど姉との絆が深かったのか、とツクヨミは思った。

 ついさっき会ったばかりだという女が、ビャクヤの姉の名を名乗っただけだというのに、ビャクヤは肩を震わせ泣いている。

「ビャクヤ」

「……っ! 僕の名前を……」

 女はツクヨミとなり、初めてビャクヤの名を口にした。

「背中のそれ、しまってくれるかしら?」

「え? うん……」

 ビャクヤは、自身の顕現の象徴である鉤爪を、能力を停止する事で消した。

 するとツクヨミは、ビャクヤへと歩み寄り、背後へと回る。そしてビャクヤを抱き締めた。

「え……姉さん?」

「勘違いしないでちょうだい、ビャクヤ。あなたは私を守る剣。なまくらになられては困るから、今だけしっかり手入れをしてあげる。気がすむまでそうしていなさい。私が、姉さんが支えて上げるから……」

 ツクヨミは、自分でも一体何をしているのか訳が分からなかった。しかし、こうして(ビャクヤ)を宥める事、それが重要な気がしてしまったのだった。

 体を密着させ、片手でビャクヤの頭を撫でてやる。赤紫という不気味な色ではあるが、意外にもさらさらした髪で、指通りも心地よい。

――姉さんと呼ばれるのも、案外悪くないものね。でも、全ては『あの子』のため……――

「いつまでも腑抜けてないで、私のためにその力を振るい、存分に戦いなさい。我が弟、ビャクヤ」

「ああ。頑張る。頑張るさ。姉さんのためなら何だってする。この生命は。姉さんのためだけにあるんだから……」

 ビャクヤは、堰を切ったように声を上げて泣いた。

 ツクヨミは実の姉のように、ビャクヤを優しく抱き締め、その額を撫でるのだった。

 

Chapter5 鬼女、ツクヨミ

 

 窓辺から射し込む朝日に目を覚ますと、見慣れぬ天井が視界を支配した。

 ツクヨミは、ゆっくりと体を起こす。まだ眠気が若干あり、意識が定まらない。

 日の光を受ける内に、だんだん目が覚めていく。そしてツクヨミは、ここがどこなのか思い出す。

――そうだったわね……ここは、ビャクヤの家で、彼のお姉さんの部屋だったわ――

 昨晩に、ビャクヤと契りを交わした。

 外敵から身を守るため、ツクヨミはビャクヤと姉弟を装う事になった。

 それは、どのようなことがあろうと、ビャクヤはツクヨミに付き従い、ビャクヤにはまず有り得ないことであろうが、ツクヨミに害をなさず、ツクヨミの方はビャクヤに対して、どのような命令でもできる。そんな契約だった。

 ツクヨミが危険な目に遭わないよう、ビャクヤは昨晩、彼女を自宅へと連れ込み、姉が生前使っていた部屋に案内した。

 最初に会ったときの行動から、ビャクヤには、姉に対してよからぬ感情を抱いていたのではないかとツクヨミは思っていた。

 家に連れ込み、寝込みを襲うような真似をするのではないかと、ツクヨミは身構えていた。

 しかし、ビャクヤはツクヨミに対して、何もしなかった。

 姉の部屋を使うように言うと、ビャクヤは疲れていたのか、すぐに自室へと行き、眠った。

 年頃の男が、真夜中に女を自宅へ連れ込んでもなにもしないとは、不思議なものだった。もちろん、ツクヨミはそうした恥辱を受けることを望んでいた訳ではないが。

――それにしても、ずいぶんと綺麗な部屋ね……――

 部屋の主であったビャクヤの姉が亡くなってから、それほど時が過ぎていないといっても、部屋の様子はまるで、昨日まで誰かが使っていたかのように整理されている。

 たった今まで寝ていたベッドも、シーツは新しく、枕からも芳香がしていた。

 ツクヨミはふと、カーペットの敷かれた丸いテーブルの上に、フォトスタンドが置いてあるのに気が付いた。

――昨日は暗かったし、すぐに眠ったから、気が付かなかったわね――

 ツクヨミは、ベッドから降りて、テーブルの上のフォトスタンドを手に取った。

 そこに写っていたのは、男女のツーショットである。写真の右下にある日付を見る限り、写真は約一年前に撮られたもののようだった。

 片方は、ビャクヤである。昨晩会ったばかりだが、まるで別人と思ってしまうほど、キラキラした目をしている。あたかも、終わらない悪夢に苦しめられているような、疲れきって、生きる力が希薄な目をしている今のビャクヤとは大違いである。

 そして、その隣に頬笑む人物。彼女こそがビャクヤの姉さんであろうことはすぐに分かった。

 ビャクヤの姉を見て、ツクヨミは少し驚いてしまった。細かな違いこそ確かにあるが、フォトスタンドのガラスに僅かに反射して映る自分の顔と良く似ていた。

 腰元まである長い髪を持ち、前髪はツクヨミと同じく左に流している。

 顔の作りもとても似ているが、一つ差異のある所が目元である。ツクヨミに比べると、彼女の方がパッチリとして、優しそうな印象を受ける。誰にでも好かれ、包容力がありそうな感じがした。

――これだけ似ていれば、彼が肉親に見間違うのも仕方ないというもの。世の中には姿形の似ている人間は三人いるというけれど、これを見たら信じるしかないわね――

 ツクヨミは、フォトスタンドをもとの場所に置いた。

 それにしても、体がベトベトする。

 昨晩は夜遅く、すっかり疲れきった後ですぐに眠ってしまったため、ツクヨミは、ビャクヤに襲われかけた時の自分の汗の臭いを感じた。

「シャワーでも浴びようかしら……」

 ツクヨミは、クローゼットを開けてみた。中身はやはりというべきか、整理整頓がなされていた。

 ビャクヤの姉は、清楚な服装が好きだったのか、ワンピースがいくつか掛けられていた。

 ジーンズやジャージといったラフな服はなく、部屋着もネグリジェという、良家のお嬢様を思わせる服の種類であった。

 下着も派手なものはなく、控えめな色合いのものがほとんどである。しかし皮肉なことに、色は控えめでも胸の大きさは、昨夜ビャクヤが言っていたように、数センチほど大きい気がした。

「はぁ……」

 ビャクヤの言う通りだったのには若干腹が立ったが、既に亡くなっている人物に対して妬むのは、流石に大人げないと感じ、ツクヨミはため息で気分をまぎらわした。

「あなたの服、少し借りるわね。お姉さん」

 今は亡き、ビャクヤの本当の姉の写真に一言断りを入れ、ツクヨミは、クローゼットから下着と水色のワンピースを取った。

 借宿として、家の物は好きに使ってくれて構わない、とビャクヤから言われているが、ツクヨミは、一応借宿の主にも断りを入れることにした。

「ビャクヤ、ちょっとシャワーを借り……」

 軽くノックした後にドアを開けた。

 ビャクヤは、学ランを床に放り、ワイシャツのボタン全て開けて眠っていた。

 まだ暑い日が続く上、ビャクヤの部屋は西向きに面しているため、夕日によってかなり室温が上がるようになっていた。

 それ故ビャクヤは、窓は全て開け放ち、半裸で、布団もかけずに寝ていたのだった。

 ビャクヤの半裸の上半身は、顔と同じく透けるような白さで、あばらが浮いている、いかにも不健康な体つきである。

――全く、よく風邪を引かないものね。まあいいわ。起こしても別に用はないし、このままにしておきましょ……――

 ツクヨミは、ビャクヤの部屋を後にする。そして、階段を降りて洗面所に向かった。

 ここもまた、中学生の男の独りきりの家にしては、妙だと思う所だった。

 洗面台と鏡は、光沢を放つほどに清潔に保たれ、洗濯物もまるで溜まっていない。

 思い返せば、ここまで来る途中の階段や廊下も、やはり塵一つ落ちていなかった。

 炊事はどうか分からないが、掃除と洗濯はしっかり行き届いている。今時専業主婦でも、ここまで家事全般をこなさないと思われる。

 使用人を雇うような事を、ビャクヤがわざわざするようには思えない。親戚がビャクヤの面倒を見る事はあったのかもしれないが、この綺麗さは、ほぼ毎日掃除しないとここまでにはならないだろう。

 となれば、考えられる可能性はもう、一つしかない。あの寝相から怠惰の塊としか思えない男、ビャクヤがこの家を綺麗にしているのだ。

――あの子が掃除を? とても想像できないわね……――

 ツクヨミは、ビャクヤが掃除や洗濯をしている姿が全く頭に浮かばなかった。

 潔癖の性でもあるのだろうか。そう考えてみるものの、昨夜の行動を鑑みると、服の汚れ等を気にするところがあったが、最早彼自身の一部と化している、不気味な鉤爪が血濡れても気にはしていなかった。

――あんなに奇妙な性格でなければ、いい家庭を築くことができるかも知れないわね――

 ビャクヤの家事の能力の高さから、結婚するとすれば、嫁を貰うのではなく、むしろ嫁に行く側ではないかとツクヨミは思った。

 我ながらバカな事を考える。ビャクヤは自身にとっては、身を守らせる剣であり盾である。それ以上でもそれ以下でもない。

 ツクヨミは、ため息をつきながら服を脱いだ。下着姿となった自身の姿を、洗面台の鏡が写している。

 自ずと視線が行ってしまうのは、胸元である。そこには、ツクヨミにとって決して消せない烙印がおされている。

「…………」

 ツクヨミは、その烙印が目に入るとすぐに視線を反らした。そして下着を脱ぎ、浴室に入る。

 ツクヨミは、気持ちを鎮めようと、シャワーを頭からかぶるように浴びた。濡れた髪の毛が身体にへばり付く。

 顔にも髪がくっついて視界が悪くなったが、前髪のわずかな隙間から、視界にすら入れたくもない胸元の烙印がどうしても目についてしまう。

「ゾハ、ル……」

 ツクヨミは、誰かの名前らしい言葉を零した。

――いつもオーガの隣にいたのはお前、必要とされていたのはお前! お前、お前お前お前お前お前……! お前がいなければ……! お前さえいなければよかった!

――アハ、アハハハハハ……! やってやった。割ってやったわお前の『器』! これでオーガはうちのものだ! オーガの隣にいていいのは、これでうちで決まりだ!

 ツクヨミの脳裏に、あの日の出来事がありありと甦ってくる。

 ツクヨミの胸元にある、赤黒く残る刺傷。これは、ツクヨミの『器』が割られたときにできたものだった。

 傷そのものは浅いものの、漆黒の蝶のような左右対称にできた痕は、ツクヨミにとって罪の烙印そのものだった。

 あの子の気持ちに気づいてあげられなかった。これは償っても償いきれない罪であるが、自らの命を以てしても購うことはできない。

――私にできることは、罪を受け入れた上で、暴走した彼女の『器』を割る。そのためにも、少しでも早くあの子を見つけなくてはならない――

 ツクヨミは、シャワーを止め、雫が滴る前髪の隙間から、鏡に映る自分の顔を見据える。

「……そのためならば、私は鬼にでも悪魔にでもなりましょう。ビャクヤという奴隷を使役する、最悪の、ね」

 ツクヨミは、胸の傷痕を見ることで、決意を新たにするのだった。

    ※※※

 夕暮れ時、西日の照りつける部屋の温度が急上昇し、ビャクヤは堪らず目を覚ました。

「あっついなぁ……」

 ビャクヤは、顔中の汗を手の甲で拭う。汗は顔だけではなく、体にも噴き出して、前を全開にしたワイシャツを濡らしていた。

「うへぇ。気持ち悪い……」

 ビャクヤは、ワイシャツを脱いで上半身裸となる。

「うわ。最悪だな。シーツまで汗が……染みになっちゃうよ。すぐに洗わないと。あーあ。面倒だなぁ……」

 ビャクヤは、ベッドから這い出ると、タンスから適当にシャツを選び、それを着た。

「掃除もしないといけないね。面倒だけど。姉さんとの約束だからね」

 家事を片付けようとするビャクヤの部屋のドアが、ふとノックされて開いた。

「……やっと起きたようね」

 そこには、学校指定の体操着姿のツクヨミがいた。

「ツクヨミ姉さん。どうしたの? そんな似合わない格好して」

 ビャクヤの言葉には悪意はない。ただ、文学少女風なツクヨミに、丈の短い体操服は似合わない、という意思から出た言葉だった。

 ツクヨミも、年齢を考えれば、この格好には無理があるということは分かっていたが、流石にすっぱりと似合わないと言われては少し頭に来てしまう。

「御大層な言葉、どうもありがとう。ビャクヤ、あなたも動きやすい服に着替えて表に出なさい」

「姉さん。何をする気なの?」

「いいから早く着替えなさい。答えはその後に教えるわ」

 ツクヨミは、これ以上ビャクヤに何も喋らせず、学校指定のジャージに着替えさせた。

 そして二人は、庭に出た。

「……全く。急にこんな格好にさせて。僕はこれから洗濯と家中の掃除をしなきゃならないのに」

 ビャクヤは、ぶつぶつと文句を言う。

「それで。一体何するつもり?」

「あなたを鍛える。いえ、あなたと言う刃を研ぐわ」

 ビャクヤは、言われたことがすぐに理解できなかった。

 ツクヨミは、ビャクヤのそんな様子に気が付き、言葉を変える。

「言い方が悪かったわね。分かりやすく言うと、あなたには戦闘技術を身に付けてもらうわ」

 ビャクヤは、ツクヨミの言葉の意味は分かったが、そのような事をする意図が分からなかった。

「戦闘訓練? そんなことしなくても。僕には能力がある。第一。能力者同士の戦いで。人間の技が通用すると思えな……」

 ビャクヤが肩をすくめ、ツクヨミの言う戦闘技術の無意味さをだらだら喋っていると、ビャクヤは、片手を取られて腕をピン、と伸ばされて肘を極められた。

「いたたたた!? なに! なんなのさ! ギブ! ギブアップ! 折れるって!」

 ツクヨミは、手を離した。ビャクヤは、これまでに感じたことのない痛みを受け、まだ痛む肘を抑えて地面に転がった。

「今のは不意打ちだったけど、素早い手練れが相手だったら、あなたの鉤爪を掻い潜って骨の一本でもへし折るかもしれない。戦闘において片腕、それも利き手をやられたら終わりよ」

 ツクヨミも『偽誕者』ではあるが、前線に立って戦う、といった類の能力ではなかったために、後ろまで迫ってきた敵からの護身のために格闘技や古武術を身に付けていた。

「……いったいなー。でもさ姉さん。今のは不意打ちな上僕が非力だからできたんじゃないの? 本当にこれが役に立つの?」

 ビャクヤは、やられたのが一瞬のことだったために、攻撃しようとしている相手に本当に通じるのか疑問であった。

「だったら、次は私に攻撃してきなさい。ただし、能力の使用はなし。ここは男らしく素手でかかってきなさい」

 ツクヨミは、右足を後に引いた。足だけではない、右半身全てを引いた。左半身が前面に出る、左半身(はんみ)という構えを取った。

「遠慮はいらないわ。顔でもお腹でも、好きなところを殴りなさい」

 ツクヨミは言うが、ビャクヤは尻込みするだけだった。

 ビャクヤは、能力を得る前は喧嘩などからっきしであり、人を殴るような真似はできない性分であった。相手が女、しかも姉のツクヨミとあっては、尚更である。

「ねえ。やっぱりやめようよ。姉さんを殴るなんて僕には……」

 ツクヨミは、呆れたように、大きくため息をついた。

「訓練でも殴れないだなんて、先が思いやられるわね……仕方ない、ビャクヤ、自分のへそを見るように顎を引きなさい。これから何が起きても絶対に首を上げては駄目よ」

 ビャクヤは、言われたように顎を鎖骨にくっ付け、顎を引いた。どう視線を外そうとしても、視界には自分の腹が見える。

「えっと。こうでいい?」

 ビャクヤは、上目遣いでツクヨミに確認した。

「それでいいわ。後はさっきも言った通り、何があってもへそを見ていなさい」

「うん……」

 ビャクヤが視線を戻したのを確認すると、ツクヨミは、接近してビャクヤの左手を取った。

「何を!?」

「怪我したくなければ、言われた通りにしていなさい!」

 ツクヨミは、取ったビャクヤの手を両手で持って回転し、ビャクヤの肘を畳むような形にした。

 そして、畳んだ肘をビャクヤの後に突き出すように、ビャクヤの拳を真下に落とした。

「うぐっ!」

 ビャクヤは、後ろに崩れて尻餅をついた。しかし、それ以上は倒れず、顎を引いていたおかげで頭を打つようなことはなかった。

「受け身はまあまあ取れるようね。言いつけ通り顎を引き続けていたようだし、もっと素早い投げ技をかけても大丈夫かしらね?」

「いたたた……」

 頭を守れたものの、尻餅をついた上、腰まで打ち、ビャクヤはなかなか立ち上がれなかった。

「何をしているの。早く立ちなさい。まだまだ訓練は始まったばかりよ」

「勘弁してよ。姉さん。これじゃあちこち痛めて。戦いどころじゃなくなっちゃうよ……」

「甘えた事を言ってないで立ちなさい。あなたの能力がいくらすごくても、受け身もろくに取れないのでは、転んだ拍子に頭を打って、そのまま死ぬわよ」

「だけど……」

 ビャクヤは、まだ納得が行かないようだった。

「あら、私の言うことが聞けないのかしら。私はいつだってあなたの前から消えることができるのよ?」

「ぐっ……」

 ツクヨミは、ビャクヤの弱味に漬け込み、高圧的な態度を取り、そしてビャクヤにとって恐ろしい笑みを見せる。

「約束を守れないようなら、さよならよ。あなたが私に付き従う義務はないし、逆に私があなたを側に置いておく必要だってない……」

 ツクヨミは、最後の追い打ちをかける。

「ビャクヤ、これ以上は言わないわ。私の言う通りになさい。さもなくば……」

「分かった。分かったよ!」

 ビャクヤは、屈辱よりも姉の姿が目の前から消えてしまう事に、恐怖した。

「姉さんの言うことならちゃんと聞く。聞くから。僕の前からいなくならないで!」

 ツクヨミは一瞬、冷徹な笑みを浮かべた。

「それでこそ我が弟よ、ビャクヤ。さあ、夜までもう時間がないわ。訓練の続き、始めましょう」

 その後もツクヨミによる、ビャクヤへのしごきが続いた。

 軍隊格闘最強と名高い、コンバットサンボに、柔よく剛を制す、まるで無駄のない護身武術、合気道の心得があるツクヨミに、能力を発動していなければ雑兵以下のビャクヤが敵う余地はなかった。

 間合いを詰められては何度も掴まれ投げ倒される、もしくは関節を極められる。時には肋間に当て身を入れられ、後から来る鈍い痛みに悶絶した。

 それでも、ビャクヤには休む間もなく、悶え苦しむ一時すらも与えられず、ツクヨミの訓練は続いた。

 やがて日が落ちて、夜になってから、ツクヨミの鬼のような訓練は終了した。

「暗くなったわね。今日の訓練はこれくらいにしておきましょう。『虚ろの夜』に行くわよ。さっさと準備なさい」

 ビャクヤは、何度となく投げられ、地面に転がされたせいで、全身土まみれとなり、肌の露出している所は擦り傷だらけで血が滲んでいた。

「いたたたた……全身が痛いよ……」

 ツクヨミが家に入っていった後も、ビャクヤは、しばらく地面に横たわっていた。

 感じるのは、身体中の痛みだけではなかった。

 いくらツクヨミが、最愛の姉に酷似している姿であっても、本当の姉に対しては抱かなかった感情があった。

――ツクヨミ……――

 生まれて初めて姉に、実際には姉ではないものの、敬愛する者に憎しみを抱いたのだ。

――あんなやつ。姉さんじゃない……! 姉さんはいつも僕に優しくしてくれた。もちろん。時には怒られることもあったけど。ぶたれる事はなかった!――

 ツクヨミを憎みながら、ビャクヤは、痛む体に鞭打って立ち上がる。

――あんなやつ! ……あんなやつ……――

 ビャクヤは不意に、落ち着いて考える。

――彼女は。もとから姉さんじゃないじゃないか。姿は確かに似ているけど。姉さんじゃない……――

 ビャクヤは、憎しみから一転して、恐怖を感じた。

 ツクヨミを姉と認めなければ、自らは再び存在意義のない、空の『器』となってしまう。

――姉さんを姉さんじゃないと認めてしまったら。僕はまた生きる意味を失うのか……? そうなれば。また……――

 ビャクヤは、姉を失い、無意にして呆然と過ごしていた時の気分を思い出してしまった。

「姉さんがいなくなる……そんなの絶対に嫌だ!」

 かといって、今の生活が今後も続くのも嫌だった。

――僕は。一体どうすれば……――

 さーっ、と風が吹いて月が雲に隠れ、ビャクヤは暗闇に包まれるのだった。

 

Chapter6 月に牙剥く蜘蛛、月と強欲

 

 ビャクヤの奴隷のような生活が始まって、約一月の時が流れた。

 世間体を保つため、ツクヨミは、近所の人々には自身をビャクヤの従姉で、田村小夜子(たむらさよこ)という名を名乗っていた。

 ビャクヤにとって、唯一の家族であった姉、ツクヨミが亡くなり、ビャクヤの生活を援助するためにやって来た、ということにしていた。

 近所の人々は皆、口を揃えてツクヨミを、亡くなったビャクヤの姉と瓜二つだと言った。

 似ていると言われるのには慣れてきたつもりだったが、長年顔を合わせてきたであろう隣人にまで言われて、ツクヨミはやはり、戸惑ってしまう。

 ツクヨミは、本物のツクヨミと姿形こそ良く似ている。また、親戚だと辺りには言ったが、自身は生前の彼女の様子をまるで知らない他人であるため、本物のツクヨミの生前の話を引き合いに出されると困ることは少なくなかった。

 どのようにして、ビャクヤとの関係性を怪しまれないようにするかが問題であった。

「そうそう、小夜子ちゃん? 最近またビャクヤ君の大きな声が聞こえるんだけど、やっぱりまだツクヨミちゃんの事を悲しんでいるのかしら?」

 道端で話していた近所に住む主婦が訊ねた。

 ツクヨミは、少しばかりまずいと思った。それは間違いなく、ビャクヤに施している戦闘訓練の声であった。

「ごめんなさい。あの子ったら、私が来てから、通信教育の格闘技を始めたんです。何でも、私を守れる強い男になりたいらしくて……」

 ツクヨミは、苦笑を交えて誤魔化す。

「そうだったの! ビャクヤ君、あまり外で体を動かすような子じゃなかったから、おばさんびっくりしちゃったわ」

「私が来たから、あの子の中でも踏ん切りがついたみたいで。ツクヨミさんを忘れようと言うわけではないようですけど、いつまでもお姉さんに依存したくない、と言っていましたわ」

「そうなの。いずれにしても、ビャクヤ君が元気になっているみたいで、おばさん安心よ。あら? もうこんな時間。早く行かなきゃ特売が終わっちゃうわ。それじゃ、またね、小夜子ちゃん」

 ツクヨミは、去っていく主婦を笑顔で、軽く手を振りながら見送った。

 そして急いで家へと戻り、ビャクヤの部屋へと駆けた。

「ビャクヤ!」

 ビャクヤは、連日のトレーニングに疲れ果てて、ベッドで寝息を立てていた。

「んー……」

「何をのんきに寝ているの。起きなさい、ビャクヤ!」

 ツクヨミは、ビャクヤに歩み寄り、強く肩を揺する。

「……なんだい姉さん。さっき寝たばかりなんだけど……」

 ビャクヤは言うものの、既に七時間は寝ていた。

「戦闘訓練の時間。と言いたいところなのだけれど、それは取り止めるわ」

 ビャクヤは、寝ぼけて回らない頭で、ツクヨミの言ったことを考える。

「……うーん。それって。夕方に僕がボコボコにされずに済むってことかい?」

 どうにか捻り出した、ビャクヤの答えであった。

「人聞きの悪い言い方しないでちょうだい。ひとまず今日のところは、『夜』に行くまで自由にしていていい」

 ツクヨミの言葉は、ビャクヤにとって朗報に違いなかったが、それならばそれで、このまま放っておいて寝かせて欲しかった。

「……さすが姉さん……わざわざ寝ているところを起こしてまで。伝えてくれるなんて。優しいなぁ……それじゃ。お休み……」

「ちょっとビャクヤ! 話しはまだ終わって……」

 ビャクヤは既に、再び眠りについていた。

――仕方ないわね……――

 ツクヨミはひとまず、ここで自身の考えを伝えるのを止めた。

 今日の『夜』がくるまで、まだ数時間残っている。精々奴隷たるビャクヤに、ツクヨミは、束の間の急速を与えるのだった。

    ※※※

 ビャクヤは、あまりの驚きに言葉を失った。

「姉さん? 今なんて……?」

「あら、聞いていなかったの? 三回目は言わないわよ。もう一度だけ、今度は一字一句覚えるつもりで聞きなさい」

 ツクヨミの出した提案が、まるきりビャクヤの自由を奪うものだった。

 戦闘訓練を近所迷惑になると方便を使い、早朝、『虚ろの夜』に行った後に行うことになった。

 また、近隣の住人に怪しまれぬよう、ビャクヤには、長期間欠席している学校へ、訓練の後登校してもらうことにした。

 そして放課後から夜まで、ほんの束の間の休息の後に、『虚ろの夜』での、ツクヨミの用心棒として働いてもらう。

 ツクヨミの要望、というよりも命令は、このようなものだった。

「どう、理解してもらえたかしら?」

「ああ。良く理解できたさ。『夜』に行ってクタクタになっているところに。姉さんにボコボコにされて。その上学校に行けだって? 休む時間がまるで無いじゃないか!?」

「あら、休む時間なら一応あるじゃない。放課後から夜まで、ね。それから、優等生になれ、とまでは言わないけど、学校では問題を起こさないでね。始末をつけなきゃならないのは、必然的に私になる。姉弟ごっこを演じてはいるけど、素性を知られれば、私達はもう一緒に過ごせなくなるでしょうね」

 何も言い返せないでいるビャクヤに、ツクヨミは薄ら笑いを向ける。

 我ながら卑劣な手段を用いていると感じているが、ビャクヤの姉への依存性の高さは、この数日間共に過ごしただけでよく分かっていた。

 だからこそビャクヤは、この命令に背くことはないだろうと、ツクヨミは確信していた。

「さあ、この話しはおしまい。さっさと準備なさい。『夜』へ行くわよ」

 ツクヨミは、自分も準備するためビャクヤの部屋を出ていった。

「…………」

 ビャクヤは、なんとも言い難い感情に支配され、固まってしまっていた。

――姉さんは。優しかった……けれど。今の姉さんは。まるで鬼だ。そんなやつ。姉さんじゃない……!――

 ビャクヤは、爪が掌に食い込むほどに強く拳を握る。

 筆舌に尽くし難かったビャクヤの感情は、この瞬間に明らかな憎しみとなった。

「何をしているの、ビャクヤ。準備をしなさいと言ったはず……」

「……うるさい」

 着替えを終えて、再びビャクヤの部屋に戻ってきたツクヨミに発せられた言葉は、ビャクヤの初めての反抗心であった。

「今なんて……?」

 聞こえてはいたが、自らに心酔しきっていたビャクヤの反抗に、ツクヨミはすぐに理解ができなかった。

「うるさい! うるさい。うるさい。うるさい! うるさいんだよ! 人を奴隷のように扱って。蹂躙して。お前なんか姉さんじゃない。軽々しく姉さんの姿をするんじゃない!」

 ビャクヤは、背中に鉤爪を顕現させ、ツクヨミに振り向いた。

「っ!? ビャクヤ……!」

「その化けの皮。剥がしてやる……!」

 ビャクヤは、八本の鉤爪の内三本を、ツクヨミを刺し貫くべく伸ばした。

「っ!?」

 ツクヨミは、目を見開き固まった。

 鉤爪の先は、ツクヨミを挟むように二本壁に突き刺さり、残り一本は、ツクヨミの顔の横すれすれのところで外れて、いや、わざと外したように刺さっていた。

「…………」

 ツクヨミは動けず、その場に黙して立っていた。

「……僕の前から消えてくれるかい? 僕は姉さんを。お前じゃない。本物の『月夜見』姉さんを見つける……」

 ビャクヤは、俯きぎみに言いはなった。

「ビャクヤ……」

「早く消えてくれ。僕の気が変わらない内に……」

 ビャクヤは、背中の鉤爪を消し去った。

 拘束されている様だったツクヨミの体が自由になる。

「……分かったわ」

 ツクヨミは、ドアを開ける。

「さようなら。『捕食者』(プレデター)……」

 振り向くこともせず、ツクヨミはビャクヤの部屋を後にした。

 怒りの感情をそのままに爆発させたのは、ずいぶん久し振りな気がした。

 頭に血が上ったのか、それとも大声を出したせいで、頭に響いたのか。いずれにしても、ビャクヤは頭痛を感じていた。

「いたたた……あー頭痛い……頭痛薬。どこに置いてたかな……?」

 ビャクヤは、火照った額に手を当てながら、すっかり散らかってしまった部屋を見渡した。

 ビャクヤは、姉さんの死後も、生前言い付けられていたため、どれほどだるくても、掃除だけは絶対にするようにしていた。

 ビャクヤは思えば、やはり姉さんの死を受け入れられずにいた。

 家中の掃除を毎日欠かさず行っていたのも、いつか姉さんが帰ってきても良いようにするためだった。

 ツクヨミがいなくなった今、ビャクヤは再び、帰るはずのない姉さんを待つだけの生活に逆戻りしてしまった。

 ずっと待っていた姉さんに、そっくりのツクヨミがやって来てからは、部屋は、家中は荒れ放題であった。

 その様子はまるで、死ぬまで戦わされる、古代の剣闘士の獄中であり、溜まって腐り、ハエの集るゴミは、力尽きて死んだ剣闘士の屍といった様子だった。

「はあ……ダメだ。見付かりそうにない……」

 脱ぎ捨てられた服やら、コンビニの袋やらという、剣闘士の屍が散乱する中から、自身の望む物が見つかるとは思えなかった。

 掃除をしようか、とも考えるが、いかんせん頭が痛く、何かしようという気になれなかった。

「はぁ……ダメだ。もういいや。寝てれば治るだろう……」

 ビャクヤは、どさっ、とベッドに横たわった。

 ついさっきまで眠っていたため、眠れるとは思えなかったが、少しばかり目を閉じると、僅かばかりであるが、眠気を感じた。

 これも常日頃から、ツクヨミの訓練を受けていたためであろう、とビャクヤは思う。

――姉さん。いや。あいつは姉さんじゃないんだ。彼女がどうなろうと。僕の知ったことじゃない……――

 古代の奴隷と同等、もしくはそれ以上の扱いを受け続けたビャクヤは、ついに堪忍袋の緒が切れて怒りを爆発させてしまった。

 しかし、ツクヨミがいなくなり、ぼんやりベッドに体を預けていると、だんだん荒ぶっていた心が落ち着いてきた。

 ビャクヤの心には、言い過ぎてしまった、やり過ぎてしまったという後悔の念が、ほんの少し浮かんだ。

――いやいや。あれくらいして然るべきだ。僕は何も悪くない。何も……――

 ビャクヤの後悔は、少しずつ大きくなっていく。

――いや。僕は……――

 やがてビャクヤは、微睡みに沈むのだった。

    ※※※

 日が暮れて、宵闇が辺りを支配していく。その中をツクヨミは、一人歩いていた。

 自らを姉と慕い、どのような願いでも聞き入れてくれていたビャクヤに牙を、いや、鉤爪を突き立てられ、ツクヨミは再び無能力の人間に戻ってしまった。

――捕食者(ビャクヤ)を失ったのは大きいわね。彼がいる限り、少なくとも命の危険に晒されることはなかったのだけど……――

 勝手に付いてくる都合のいい武器としか、ツクヨミはビャクヤを見ていなかった。しかし、別れてしまってから、ビャクヤの重要さを痛感していた。

 特別な男に想いを伝えられず、狂い、虚無へと限りなく近づいてしまった親友を探すべく、ツクヨミは能力も使えない状態で『虚ろの夜』に足を踏み入れてきた。

 ビャクヤの顕現は、誰に対しても、どのような能力を前にしても、敵との相性が最悪であり、ビャクヤが圧倒的に有利であった。

 ビャクヤの能力は、自然界における鋏角類、とくにも蜘蛛によく似た特質のものだった。

 蜘蛛や(サソリ)といった生物が鋏角類というのだが、それらいずれにも、天敵となる生物はほとんどいない。

 天敵がいることはいるのだが、鋏角類は、時にその天敵をも捕食してしまうことがある。

 蜘蛛であれば、神経毒や糸を用いて獲物を喰らってしまう。天敵にもそれらで応戦し、動けなくしたところを捕食する。時には鳥さえも蜘蛛に敗れ、餌食となる事すらある。

 蠍に至っては、神話にもその強力な猛毒の針が記されている。

 あの星座の一種にもなっている荒神、オリオンを殺すことができたのが、たった一匹の蠍である。

 鋏角類の持つ独自な力が、ビャクヤにも能力として備わっている。能力を最大限に行使した彼が、弱いはずなどなかった。

――……失ってからしか、人は、人やモノの大切さが分からない。『あの子』の時に痛感したつもりだったのだけど……――

 懲りないものね、とツクヨミは自嘲する。しかし同時に、自身の気持ちに違和感を抱いた。

――大切な……?――

 ツクヨミは、ビャクヤと別れた事で、彼の重要性を感じていたらしかった。

 不意にツクヨミの脳裏に、会ってすぐの時期に見せてくれていたビャクヤの微笑みが浮かんだ。

――あの男が私の……? とんでもないわ。精々道具、武器として大切なモノだった。あの子を、人だなんて……――

 ツクヨミは、自己に浮かぶ考えを否定するが、ビャクヤに『姉さん』と呼ばれる姉弟ごっこも悪くないとも考えていた。これは紛れもない事実である。

 今こうして、喪失感を感じているが、何故なのかツクヨミ自身にもよく分からなくなってきた。

 様々な考えを巡らせている内に、ツクヨミは『夜』へと足を踏み入れていた。

 やはり、『器』が割れた状態では、いつ『夜』に入ったのか、明確には分からないものの、辺りの様子でここが『虚ろの夜』なのだと分かる。

 ツクヨミが当て所なく目指していた場所は、川沿いの広場であった。

 ビャクヤと喧嘩別れし、どうにも行くべき場所が分からずにいたため、ツクヨミの足は、無意識にビャクヤと初めて会った場所を目指していたようだった。

 街中に近いこの広場は、夜の店の大音量の音楽や、角にたむろしては大声で笑う若者の声が聞こえてくるが、今はそれらがピタリと止んでいる。

 普通の人の姿も消え去り、虚無や『偽誕者』のみが集まる異世界と化していた。

――これは……!――

 油断していたわけではない。出会い頭に近かった。

 この気配、『偽誕者』のものである。それもただ者ではない、偶然に能力を得てはしゃぎたてるその辺の『偽誕者』など、束になっても敵わないほどの強さである。

 ツクヨミが強力な気配に怯み、立ち止まっていると、やがてその最強を名乗るにふさわしい『偽誕者』の姿が見えた。

 その男は、すらりと背が高く、長く伸ばした前髪で片眼を隠している。

 襟が高く、裾の長いコートを、筋肉逞しい裸体に羽織り、下半身は脛を覆うほどに長いベージュのブーツを黒いズボンの上に履いていた。

 足元だけを見れば、農家の格好に見えなくもない。事実、彼の能力は、顕現という穀物を刈り取るものだった。

「おやおや、こいつは驚いた。こんな何が飛び出してくるか分からない場所に、お嬢さん一人でいるなんてなぁ……」

 両手をズボンのポケットに突っ込んだまま、男は薄ら笑いで軽口を叩く。

「しかも戦えそうなほどの力を全く感じない。『この夜』に来られるってこたぁ、能力者に違いはないようだがな」

 男は、半裸にコートを羽織るような、硬派な見た目をしながらも、言動は軽いものだった。

 しかし、ツクヨミの能力を完璧に読み取る冷静さを持ち合わせている。

「久し振りね、とでも言っておこうかしら」

 ツクヨミは、男から感じる圧倒的な力に潰されまいと、口を開いた。

 うん? っと男の眉が上がる。

「久し振り、ねぇ……お嬢、うちの店に来てくれたことがあったか? 自分で言うのもアレだが、うちの店はほとんど客が来ない。店で会ったことがあるなら、忘れるはずないんだが……」

「覚えてはいないか。それも仕方ないかしらね。今の私は力がない上に、様相も違うしね……」

「お嬢、失礼だが名前は……いや、こういう時は俺から名乗るのが筋だな。俺は……」

「いえ、名乗らなくてもあなたのことは知ってるわ。『強欲』さん。『忘却の螺旋』で最強と名高い『収穫者』(ハーベスター)、名前は確かゴルドー……」

 ゴルドー、『強欲』の二つ名を持つ男は、一瞬驚いて露になっている片眼を見開いた。

 しかしすぐに、表情に余裕が戻る。

「これはこれは……こんないたいけなお嬢様にまで知られているとは、驚いたねぇ。だがまあ、それも有り得るか。俺も昔は相当ヤンチャしてたしな」

 ゴルドーは、昔を懐かしむように夜空を見上げると、すぐにツクヨミに視線を戻した。

「さぁて、別に名乗った訳じゃあないが、俺の事は知ってるんだ。次はお嬢について聞かせてくれるかい?」

 例え拒んだとしても、ゴルドーならば仕方ない、と諦めてくれるであろうが、ツクヨミもここには人捜しに来ている。名乗らないことには話が進まないであろう。

 しかし、名乗ったら名乗ったで、少し厄介な事にもなりそうな気がした。だがツクヨミは、意を決して名乗ることにした。

「……私の名はツクヨミ。『鬼哭王』(きこくおう)オーガを中心としていた組織、『万鬼会』(ばんきかい)に属していた。『生命の樹』(セフィロト)とでも言えば分かるかしら?」

 今度ばかりは、ゴルドーに余裕の表情が戻ることはなかった。

「そんなバカな、お嬢が『万鬼会』の……!? 久し振りどころの騒ぎじゃねぇぜ。ついこないだの事じゃねえか!」

「先日はどうも。とでも言っておくべきかしら? あの女、『眩き闇』(パラドクス)に借りを受けたから、ね」

 それは、ほんの数十日前の事であった。

 この街一体に、能力者の集う武力組織がいくつもあった。その中でも、飛び抜けて勢いがあったのが、『忘却の螺旋』とツクヨミも属していた『万鬼会』であった。

 自分の力がどれほどか、力試しをしたいと『万鬼会』のリーダー、オーガは、様々に乱立している能力者組織に次々と抗争を仕掛けてきた。

 オーガ率いる『万鬼会』は、『虚ろの夜』の中では古参な『忘却の螺旋』に迫る勢いであり、無名の組織は次々と『万鬼会』に潰されていった。

 やがて残った能力者団体は、『忘却の螺旋』と『万鬼会』のみになった。

 手っ取り早く『眩き闇』との対決を望み、オーガは、『忘却の螺旋』の末端の能力者をいびるように潰していった。オーガとしては、挑戦状を叩き込む目的であった。

 しかし、オーガの本当の狙いは、『忘却の螺旋』の総帥『眩き闇』を挑発することではなく、強者の集う『忘却の螺旋』に与する者と戦い、己を鍛えるためであった。

 そして程無くして、『忘却の螺旋』と『万鬼会』の頂上決戦は行われたのだった。

 結果は、オーガと『生命の樹』の力、実質二対一の戦いであったにも関わらず、その圧倒的顕現のパワーを持つ『眩き闇』の勝利に終わり、彼女に惜敗した『万鬼会』は、その日を境に自然消滅した。

 ゴルドーとツクヨミの関係は、敵対関係に近かった。

「……そうかい、『万鬼会』は……全ては『眩き闇』(ヒルダ)、あのバカ女が招いたこと。そして俺は、今は組織からは足を洗っちゃいるが、そのバカ女の下にいたことに変わりはねぇ……すまねぇ、オーガの旦那は……」

「無理に言わなくてもいいわ。もとより統率のとれた集団じゃない。いつもいつもこうるさい男で、相手をしなきゃいけない事に私もうんざりしていた。彼がどうなろうが、私はどうでもいい。それに『忘却の螺旋』に報復しようなんて残党は……」

 いない、と言いかけたところでツクヨミは、存在を頭に思い浮かべた。しかし、その者の存在をゴルドーに話せば、やはりややこしくなる。

「うん? どうかしたかい、ツクヨミのお嬢。ああ、ひょっとして『二重人格』(ドッペルゲンガー)とかいうお仲間の事かい?」

 さすが『忘却の螺旋』で最強と謳われた男である。ツクヨミが顔に陰りを見せたのは、オーガが原因ではなく、別の要因であり、しかも親友との離別が原因だと見抜いていた。

 尤も、ツクヨミが『二重人格』と親友だった事まで見抜いていたかまでは分からなかったが。

「……隠しても無駄のようね。あなたの言う通りよ。私は探し出さなければならない。私が知らぬ間に心を傷付けていた親友を、ね……」

「親友……」

 親友と言う言葉に、ゴルドーまでも顔に暗い影を落とした。そして静かにツクヨミに訊ねる。

「……お嬢のダチ公は、生きているのかい?」

「分からないわ。でも、こんな噂を聞いたことがある。あの日の戦い以来、顕現求めて『夜』を荒らし回っては、出会った『偽誕者』を片っ端から打ち倒している者がいると。私はその者が『あの子』だと信じているわ」

 ツクヨミは訊ね返す。

「でも、どうしてそんな事を?」

 ゴルドーは大きくため息をつき、やはり静かに語り始めた。

「……俺は、あの日をとても忘れられねぇ……決戦の前に、俺が迂闊にアイツを誘わなければ、こんな事にはならなかった。お嬢に話してどうにかなるものじゃねぇのも分かっている。それでも聞いてくれるかい?」

「お互いあの日の事を知っている。ここで会ったのも浅からぬ縁。慎んで聞きましょう」

「ありがとよ、お嬢。ちぃとばかし長い上情けねぇ話だが、まあ、適当に腰落として聞いてくれや……」

 ゴルドーは、その場に座り込んだ。そして同時に、空間に巨大でギラギラ煌めく鎌を顕現させ、それを担いだ。

「ああ、すまねぇ。つい癖でな。座るときゃあコイツを担いでないと落ち着かないんでね」

「それがあなたの顕現の武器……ここはいつ何が現れても不思議じゃないわ。そうして戦いに備えるのも傭兵の仕事よ……」

 ツクヨミは、生け垣を囲うレンガの縁に腰を落とした。

「悪いな、それじゃあ聞いてくれ。俺のマブダチだった、()()()()()()()()の話をな……」

 ゴルドーには、長い付き合いの親友がいた。しかし、あの戦いの日、彼の親友ロジャーは人ならざるものとなった。

 ロジャーは、オーガと『眩き闇』の激戦を、まるで格闘技の試合でも観戦するかのように見ていたが、勝敗も見え始めた戦いの佳境に、物見遊山に『虚ろの夜』の顕現が一転集中する『深淵』へと近づいてしまった。

 大して強い能力を持っていなかったロジャーは、自身のすかすかの『器』に『深淵』の周りに漂う顕現が激流のごとく流れ込まされた。

 顕現とは本来、虚無が存在するために必要とする糧である。虚無の持つ顕現を、僅かばかり身に宿しているのが能力者であり、純粋な人間ではなくなるために、そうした者を『偽誕者』といつしか呼ばれるようになったのである。

 僅かばかりの顕現で『偽誕者』となる人間の、いや、人間そのものという『器』が、限界を越える顕現を受け入れてしまえばどうなるか。

 ロジャーという『器』は、『深淵』の放つ顕現を受容してしまった。それも、彼の『器』が破れるほどに。

 顕現が人間の『器』を破るほどに流れ込んだ結果、その人間はその瞬間に虚無となる。

 ゴルドーら能力者はその様を、『虚無落ち』と呼んだ。

「……あの場に俺が戻ったとき既に、ロジャーは、俺の知るロジャーじゃなくなっていた……!」

 ゴルドーは、口惜しそうにギリッ、と拳を握りしめた。

――虚無に落ちた者の噂、どうやら本当だったようね……――

 あの戦いの日以降、どこかへ行ってしまった親友を捜すため、ツクヨミは、様々な方法で情報を探っていた。

 その中で耳にした噂として、虚無に落ちた人間の事があった。

 ツクヨミは確信した。件の戦いの後、行方不明となっている者の内、二人は死んでいる。虚無に落ちた者に殺されたオーガ、そして虚無へと落ち、人間としての死をとげたロジャーの二人である。

「……ここからが俺の人生で最悪に情けねぇ話だ。ロジャーを誘っちまったのは俺だ。全てのケリをつけなきゃなんねぇのも俺だった。虚無に落ちちまったアイツを、終わらせてやらなきゃならなかった。だが、実際はどうだい? 最強だなんだ言われながら、足が震えて一歩も動けやしなかった。テメェのダチ一人、楽にしてやれなかった。俺はとんだ臆病者さ!」

 ゴルドーは余りにも悔しく、つい大声を出してしまった。しかし、すぐにはっ、となり、すまねぇ、とツクヨミに詫びる。

「気にしてないわ。あなたの気持ちは痛いほどに分かる。私も親友を知らず内に傷付けていたことに、気が付いてあげられなかったわ。そして離ればなれに……さっきは信じてるなんて言ったけれど、生きているのかは正直なところ分からないわ……」

 ゾハルもロジャー同様、『深淵』の顕現に当てられていた。完全に落ちてしまう前に逃げ出したのか、ゾハルはまだ自我を持った人間であった。

「……あの子は、オーガに特別な気持ちを持っていた。それには薄々気付いていたわ。けれど、私の能力は顕現を強化するもの。故に、戦闘はいつもオーガと一緒で、まさに彼の右腕だった。こうして私は、あの子から恨みを買うことになってしまった……」

 ゾハルがツクヨミの『器』を割る直前、彼女は思いの丈をツクヨミにぶつけた。

 体のあちこちが『深淵』の顕現に蝕まれ、冷静さを欠いていたか、それともその顕現によって、恨みや妬みの負の感情が増幅させられたのか。深意は分かりかねたが、全てが全て顕現のせいではないように思えた。

「お嬢、アンタ……」

 ゴルドーはツクヨミが、自分と同じくらいの後悔を背負っているのだと感じた。

「あら、ごめんなさい。こんな事聞かされても、困るだけね。忘れてちょうだい」

「いや、構わねぇよ。俺の方も散々話を聞いて貰ったしな。おあいこにしようぜ……っと!」

 ふと、ゴルドーは大鎌を地面に突き刺し立ち上がった。大鎌の柄からゴルドーが手を離すと、大鎌は雲消霧散するように消えた。

「どうしたの?」

「いや、何だか今日の『夜』は妙な感じがするんだ。吸ってて気分が悪くなるような空気が辺りに充満している……」

 ツクヨミにはあまり、異常を感じることはできなかった。

「そうなの? 私には特に……」

 これも『器』が割れたせいか、ツクヨミは、顕現の変化には気付けない。

 しかし次の瞬間、ツクヨミでも感じ取れるほどの、異常な顕現の風が二人を吹き付けた。

「オイオイ、いきなり随分と風が騒がしいな……」

 ゴルドーは、軽口を叩く様に言うが、その表情は真剣そのものだった。

「っ!? この感じは……!」

 ツクヨミはその顕現に、覚えがあった。いやむしろ、忘れることなどできない、あの感じである。

「来るぞ、お嬢!」

 ゴルドーはツクヨミを横抱きにし、そのまま後ろに飛び退いた。

 シュトッ、と音を立てて、針のようなモノがゴルドーのいた地面に刺さった。

「ごーよくみぃつけた!」

 ゴルドーは声のした方を、顔をしかめて見た。

 謎の影が木の上から街灯の上へと跳び移りながら迫ってくる。

「そんな、まさか……!?」

 ツクヨミは、ゴルドーの腕の中で驚くしかなかった。

 影は地へと降り立ち、ゆっくりと歩みを進める。やがてその顔が見えた。

 その者は、短い真っ白な髪で、顕現に浸食されかけた片眼に包帯を巻いてその上に赤い縁の眼鏡をかけていた。

 赤黒く光る眼が、二人を捉え、その口元を大きく歪めていた。

 

おまけコンボレシピ

 

5A>2C>5C>3C>jc>jB>j2C>C罠>着地>A料理最終段まで>C食べ頃

 

 発生の早い5A始動。5A始動にしては総合ダメージは高い(ヴォーパル込みで3300くらい)。このコンボの難しいところとしては、空中2Cの後にC罠に繋げるところ。入力が早すぎると罠にかからない。逆も然り。空中2Cが全部ヒットしたか否かのタイミングで罠を張ると、相手が吸い込まれるように罠に落ちる。派生はせず、ニュートラルで下りること。その後はA料理で完走する。なお、A罠、B罠でも相手を引っかけられるが、高い位置に拘束してしまうので、コンボが繋がらないので注意。

 

アサルトjC>5A以下同文

 

 アサルトでも繋がるが、コンボ補正がかかり、総合ダメージが少し安くなる上にタイミングがかなりシビア。

 

2B>2C>B料理二段>A罠>2C>5C>B罠>A派生>2C>A料理>C食べ頃

 

 前回2C>や3C>を当てるとB罠が当たらないと書いたが、2B>2Cに限っては当たるので訂正する。ただし、5C>B罠はすぐさま入力しないと繋がらない。A派生することで運び能力が上がる。ダメージも実は、B派生よりも高い。C派生は当たらない。総合ダメージも3800くらいとかなり高い部類。また、2C始動でも完走でき、そうすると4000近くになる。

 

5A>2C>3C>jc>j2C>jC>A罠>A料理全段>C食べ頃

 

 5A始動の別バージョン。前述のコンボは、j2C>jC>罠ということができないので、確認のしやすさはこちら。運び能力、総合ダメージは前の方に軍配が上がるが、確実にコンボ完走したいならこちら。

 

罠の張り方

 壁際でC食べ頃の場合

C罠>D派生>上りjB罠がおすすめ。D派生でガードを揺さぶるのはもちろん、高い位置に罠を置くことで、相手のジャンプを封じ、B罠と違い屈伸で消されることもない。ワレンやカヴァには当たる。もちろんアサルトでも引っ掛かるので、相手からすると中々辛い。2369と続けて入力すると上り罠が出せる。失敗したときは深追いせず、相手の出方を見ること。どうしてもうまく行かないときは、9をしっかり押せていないので、そこを意識すれば成功しやすくなる。

 

 画面中央付近C食べ頃の時

ダッシュ>A罠>B食べ頃>上りA罠(固め意識するなら)がオススメだが、筆者は上り罠は張らない。というのも、張っている間に拘束が解けるので、寝っぱでも受け身でもFFが安全に使えるからだ。相手としては足下と背後に罠があるため、FFをガードしてもノックバックして罠をガードする硬直ができるので、反撃できない。ただしリバサ無敵はこの限りではないので注意。

 

 C食べ頃始動

明らかに相手を拘束しているが、実はあの糸は罠とは別扱い。その後B料理からB罠で拘束でき、ゲージがあれば再びC食べ頃シメができる。リバサ、もしくは隙消しにC食べ頃を出したらヒットした時に使える。ただし、コンボ補正がかなりかかるため、ダメージは低め。発生無敵もないので、むやみにリバサ狙いは止めた方がよい。また、壁際に押し込まれた時に離脱する目的で、当たらないこと前提で相手が空中にいるときに使うのもいいが、ゲージがもったいない。しかし、ビャクヤには昇龍拳がない上、C料理に無敵があるが、相手の位置が高すぎるとスカって確定をもらうので(ユズリハなどはアサルトでもスカる)、どうしても端から逃げたいときに使おう。




 どうも、作者の綾田です。
 前回まではランキング一位にいましたが、その後追い抜かれて永遠の二位のような位置にいます。だいぶネットワークが過疎化して、なかなかRIPが上がりません……おまけにvitaが主体なので尚更ですね。
 さて、ビャクヤを主人公にしたこの作品ですが、今回はビャクヤとツクヨミが出会うところ以外、かなりオリジナルになってしまいました。本当は訓練のくだりで喧嘩別れ、ビャクヤがツクヨミを救う、といった事を考えていたのですが……完結まで四部と言いながらオーバーして長くなりそうです。
 今回はツクヨミ主体のストーリーにしました。ツクヨミもなかなか壮絶な過去を持っているので、境遇の似たゴルドーと絡ませてみました。書いていて思ったのですが、この二人をコンビにするのもなかなかなのではないかと考えてしまいました。
 私は、ゴルドーはトレモ程度しか使いませんが、ワーグナーを相手にした時の彼はかなりカッコいいと思っています。いつも冷静な彼が常にぶちギレてるのにギャップを感じますね。後、ゴルドー対ケイアスの曲は、対ワーグナーの方が合うような気がします。
 それから、最近になって気付きましたが、このゲームはガードができないと相当厳しいと思いました。格ゲー全般に言えることですが……
 一時期、ネットワークカラーが赤から下がっていましたが、ガードを意識すると、超上級プレイヤーとも互角以上の勝負ができるようになりました。また、ガードが出来れば差し込みの隙も見えてくるので、尚更ガードを覚えるべきだと思いました。これを読んでいるプレイヤーの方、ガードの練習をしたいと思ったら、トレモで相手をカーマインやエンキドゥといった固めの強いキャラをCPUレベルマックスの状態にすると、いいガードの練習になりますよ! 私はこんなトレーニングの仕方で赤に返り咲くことができました。
 最後にいらないアドバイスだったかも知れませんが、この作品はまだまだ続きます。どうぞお付き合いください。
 それではまた次回お会いしましょう。
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