BYAKUYA-the Withered Lilac-   作:綾田宗

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Little Briar Rose

Chapter14 捕食者と捕食者

 そこには、深き因縁があった。その因縁とは、ツクヨミの『眩き闇(パラドクス)』へのものであった。

 ビャクヤとツクヨミは、『深淵』を目指して『虚ろの夜』を進み、二人は『深淵』の出現する場所までたどり着いた。

 そこには、『虚ろの夜』において最強の能力を持つとされる『偽誕者(インヴァース)』であり、能力者集団、『忘却の螺旋(アムネジア)』の総帥、『眩き闇』ことヒルダが待ち受けていた。

 今や『夜』における組織は、『忘却の螺旋』の一強であるが、ほんの少し前まで、それに迫る組織があった。

 その組織の名は『万鬼会(ばんきかい)』。かつてツクヨミが身を置いていた組織である。

 その組織の長、『鬼哭王(きこくおう)』オーガと『眩き闇』ヒルダによる、激しい戦いがあった。その戦いに敗れ去ったのは、『万鬼会』であった。

 ヒルダは、オーガとその仲間の命まで取るつもりはなかった。しかし、その戦いの決着と時を同じくして、悲劇が起きてしまった。

 ヒルダとオーガの戦いのすぐ近くに発生していた『深淵』の顕現が、二人の命を奪い、一人の行方不明者を出すことになってしまったのだ。

 ヒルダが直に手を下したわけではないが、ヒルダの存在そのものが、ツクヨミにとって因縁の根源であった。

 そのヒルダは、ビャクヤの手によって倒された。これでツクヨミの因縁は晴らされた。

 そして今、ビャクヤにとっての因縁の相手が出現した。

 雑居ビルの窓ガラスを破壊し、煌と朧の祭壇に入り込んできたそれは、暗闇の中でヒルダの死体を喰らっていた。

 暗がりでよく見えないが、血が辺り飛び散り、内臓と思われる塊が、びちゃびちゃと音を立てて床に散っている。

 血生臭さが辺りに漂い、その匂いが鼻を突くと、ツクヨミは気分を悪くして、口元を押さえて膝を付いた。

「大丈夫かい。姉さん」

「……ええ、平気よ」

 ツクヨミは、ビャクヤと行動を共にしながら、いくつも人殺しの場に立ってきた。人が目の前で死んでいく事には慣れているつもりであったが、人が文字通り喰われている場面には出くわしたことがなかった。

 やがて、突然現れた何者かは、ヒルダを喰らうのを止めた。その頃には、ビャクヤとツクヨミは暗闇に目が慣れていた。

 『虚ろの夜』の真っ赤に輝く月の明かりが、破られた窓から射し込み、祭壇を赤く照らしている。

 真っ赤な月明かり射すその先に、ヒルダを喰らった異形の存在が立っていた。

 細く長い四肢を持ち、腕は地面に付くほどの長さである。体長も高いというよりは細長く、三メートルに達しようかというほどであった。

 たてがみのある頭部には、祭壇に射し込む月光と同じく、赤い眼光が光っている。

ーーあの光。間違いないねーー

 ビャクヤは、気配、匂い、そしてその眼光から、異形の存在の正体を突き止めた。以前からビャクヤに接触していた、『偽誕者』の雰囲気を持つ虚無である。

 その特異な虚無は、ゆっくりとビャクヤらへと近寄ってきた。

「さんざん追い回してくれちゃったけど。やっとやる気になったんだね? 待ってたよ。この時をね」

 ビャクヤの因縁の相手が、ついにビャクヤと対峙した。

『……驚きだな』

「……っ!?」

「えっ」

 ビャクヤとツクヨミは、この上ない驚きに包まれた。頭の中に声が響いたのだ。

『小僧。貴様の体、いや、腹と言うべきか? そこに潜む異形に驚きを隠せぬ。そして娘の方、貴様も妙な波動を携える者よ、器割れか?』

 驚きに支配された二人であったが、ほどなくして平静に戻った。

「これは。驚きで声も出ないね。心に直接語りかけられるような。この感覚」

「ええ、もう何が来ても驚かないつもりだったけど、これは流石に、ね……」

 二人は、『夜』を知ってそれほど日が経っているわけではないが、『夜』に起こりうるあらゆるケースは想定しているつもりであった。

 その二人にとっての想定外が、今目の前に立っている虚無だった。

 虚無とは、一つの意思を持つことはなく、ただひらすらに顕現を求めて『夜』を彷徨う存在である。

 そんなただの獣同然のはずの虚無が、こうして意思を持ち、声でなく、頭に響く念話でその意思を伝えてきている。

「まさか虚無が、人さながらに意思を持っているなんて、ね……」

 虚無の顔に表情など存在しないが、笑っていると思われるように、虚無は大きく口を開けた。

『若くして肝の据わった娘どもよ。この獣の身体、見せ物ではない故、いちいち驚かれぬのは喜ばしいことだがな』

「そうかい。ならこちらから本題だ。どうして今日までずっと。隠れて僕を追いかけていたのかな? まあ。隠れてたとは言っても。バレバレだったけどね」

 ツクヨミには知らないことであった。

 別れて行動していた時に、こんなものに目をつけられる真似をしていたのかと思ってしまった。

『ふん、そうだな。小僧、貴様はこの身が虚無と同様、猛き虚無食いであろう。言わずとも分かる。貴様から漂う匂い、この獣の鼻はごまかせん』

 ビャクヤは眉根を寄せた。

「うっわー。まさか僕ってそんなに臭うのかな? 姉さん。どう? 僕って臭う?」

 ビャクヤは、ツクヨミに確認を求め、片腕をツクヨミに向けた。

「……別に臭わないわよ。どけてちょうだい」

 ツクヨミは、ビャクヤの腕を押し退ける。

『それから女。貴様も興味深い。貴様は顕現を一切纏わぬが、その身の一点のみに比類なき力を感じる。どうしたわけかは、知らぬがな』

 虚無の狙いは、ビャクヤだけではなかった。

『小僧、それに女。貴様らの持つ力の源、それをこの身は欲しているのだ。そこで一口だけ味見をさせてもらえないかと交渉を考えていた次第だ。そう、あくまで紳士的にな』

「さすがは紳士。一口とはずいぶん慎ましいのね。尤もその口、人間の頭くらい一息に噛まれ、飲まれそうであるけど。……あの女のように、ね」

 虚無は突然現れたかと思うと、ヒルダの死体を一瞬にして平らげてしまった。たとえ一口と言えど、どこを噛まれても致命傷になることは免れようもなかった。

「それにものすごい悪食ではなくて? あの女を喰らったのに、まだ喰らうつもりだなんて」

『我の主食は顕現だ。血肉では我が餓えが満たされることはない。貴様ら人間で言えば、水で飢えを一時的にしのぐようなものだ』

「そいつの言う通りだよ。姉さん。あんな獣と一緒にはしてほしくないけど。僕も顕現じゃないと空腹は満たされない。死体を貪ったくらいじゃあ。全然足りないんだよ」

 ビャクヤは、一歩前に出る。

「キミの取り引きだけど。こうしないかい? 僕も一口味見をさせてもらう。ここはフェアに行こうじゃないか。味に興味があるのはこっちも同じなんでね」

 ビャクヤは、ツクヨミに振り返った。

「いいよね? 姉さん」

 ここは戦ってもいいか、ビャクヤは確認を取る。

「いいわ、ビャクヤ。面白い相手だけど気にせずにやってしまいなさい。ただし、用心はすることね。その虚無、底が知れないから」

「心配してくれるんだ? ああ。それだけで頑張れる。さて。意思を持って喋る虚無。一体どんな味がするんだろう?」

 ビャクヤが笑うと、虚無も笑ったように口を開けた。

『有難い、それでは交渉成立だ。喰うか喰われるか。なんとも原始的で粗野な争いであろうよ』

「だろう? だけど。そこがいいだろう? ああ。僕の名前はビャクヤ。そしてこちらは。僕の親愛なる姉。ツクヨミ姉さんだよ。この姉さん曰く。相手の名前も知らずに死ぬのは不憫らしいからね。名前は言っておくよ」

『ふん、ならばこちらも名乗るのが礼儀か。我はメルカヴァ。ただの獣と侮るでないぞ!』

「ははっ! それは楽しみだ!」

 捕食者同士の戦いが始まった。先手を取ったのはビャクヤである。

「どう料理しよう?」

 ビャクヤは、伸縮自在で、切れ味もすさまじい鉤爪を振るった。

 メルカヴァは、長い腕を伸ばし、手指を膜の張った羽に変え、羽ばたいて空を飛んだ。ビャクヤの鉤爪は僅かに届かなかった。

 メルカヴァは、尚も羽ばたいて滞空している。攻撃の間合いからは大きく離れ、お互いの攻撃は届かないと思われた。

「まだ逃げるつもりかな。そうは行かないよ!」

 ビャクヤは、メルカヴァに手の平を向け、巣網を放って拘束を試みる。

「キョアッ!」

 メルカヴァは羽をたたみ、滑空しながらビャクヤへと一気に攻めかかった。

「なっ!?」

 ビャクヤは防ぎきれず、メルカヴァの羽の縁に肩を切られた。

 下りていくメルカヴァは、地面が近づくと、羽に変えていた腕をもとの形に戻し、手を付くと勢いそのままに一回転して着地した。

 ビャクヤは、切られた肩を押さえながら、後ろに飛んでいったメルカヴァに振り返った。

「いきなり面白いことやってくれるじゃないか。いいねぇ。そうじゃなきゃ。僕が楽しめない……」

 ビャクヤとメルカヴァの距離はかなり開いている。ビャクヤの鉤爪は伸ばすこともできるが、さすがに届かない。鉤爪を投げ付ける攻撃もできるが、それも届くか分からない距離である。

 メルカヴァの方も地につくほどに長い腕を持っているが、そこから伸ばしてもビャクヤには届かない。

 どちらも間合いから大きく外れ、迂闊な動きの見せられない状態で、睨み合うしかないように思われた。

 そんな膠着状態を打ち破ったのは、メルカヴァの驚くべき攻撃であった。

「ギョアッ!」

 メルカヴァは、その場で腕を後ろに引き、反動を利用して物を投げるようにして腕を放った。

 放られた腕は、まっすぐにビャクヤに伸びていった。ただでさえ長いメルカヴァの腕は、三倍近く伸びていた。

「ぐっ……!」

 予想を遥かに超える攻撃であったが、ビャクヤは鉤爪で受け流した。

 メルカヴァは、弾かれた腕をそのまま、天井の梁まで伸ばしてそこを掴むと、腕を収縮させて宙を舞った。

「グアアアッ!」

 メルカヴァは、梁から手を離し、足を伸ばしてビャクヤに降りかかった。

「あぶないっ!」

 ビャクヤは、とっさに後ろに飛び退いて、メルカヴァの足から身をかわした。しかし、メルカヴァは腕を伸ばしてビャクヤに掴みかかる。

『獲物は逃がさん……!』

「しまった!」

 メルカヴァは、掴んだビャクヤを持ち上げると、頭上で振り回し始めた。

「うわああっ……!」

 空中でなす術なく振り回されるビャクヤは、天吊りされたインテリアに何度も打ち付けられた。

『我、撹拌する!』

 メルカヴァは、回転の勢いそのままに、ビャクヤを放り投げた。

 ビャクヤは壁に激突し、ずるずると床に崩れる。

「……まだまだだよ」

 ビャクヤは、鉤爪を支えにしながら立ち上がった。『生体器(ヴァイタルヴェセル)』のおかげで、ひどく叩きつけられたものの傷は浅い。

『ほう、その矮小なる体でまだ立ち上がるか。やはり貴様の力は興味深い……』

 メルカヴァは真っ直ぐ立ちながら、ビャクヤの脳に直に声を届ける。

「あはは。この程度じゃあまだやられないよ。捕食者(プレデター)は僕の方さ。捕食者が獲物にやられる道理があると思うかい?」

 ビャクヤは返した。

『ふん、なかなか面白い事を言うではないか。その通り、捕食者を打ち破る獲物は存在せぬ。即ち……』

 メルカヴァは、腕を伸長しながら揺らす。骨がない腕は、表皮共々ゴムのような伸縮性を持ち、ゆらゆら動かして生じる遠心力によってビャクヤに襲いかかった。

『我が貴様を捕獲する。貴様を喰らうのは我だ!』

 ビャクヤは、弾丸のような速さの腕を、鉤爪で挟んで捕らえた。

「そう焦らないの。お互いに食べさせる約束だったろう? まあ。生きていられれば。っていう前提だけどね」

 メルカヴァは、表には出していなかったが驚いていた。

 腕を瞬時に伸ばすという、常識から大きく外れた攻撃を受けておきながら、ビャクヤは、防ぐのみならず掴んでしまった。

「キミは手を伸ばせるようだけど。ああ。羽にもできたっけ? まあいいや。どっちにしても一本千切ってしまえばそれまでさ。千切ってとりあえずキミの腕からいただくとしようじゃないか」

 腕を一本奪われそうだというのに、ビャクヤの脳裏にメルカヴァの笑い声が響いた。

『ならば喰らうがよいわ!』

 メルカヴァは、掴まれた腕に顕現を込めると、自ら腕を千切った。

「なんだって!?」

 ビャクヤは、メルカヴァの行動に驚くしかなかった。

 メルカヴァ自身によって千切られた腕は、まるでトカゲの自切した尾のように暴れまわった。

 意思無く動き回るだけのトカゲの尾と違い、メルカヴァの腕だったものは、歯を持つ蛇のように姿を変えて、ビャクヤに纏わり付いた。

「そんなの……!」

 ビャクヤはひとまず落ち着き、纏わり付くメルカヴァの一部に、鉤爪を噛ませながらいなした。

 鋼鉄以上の硬さを持つビャクヤの鉤爪を噛むことで、メルカヴァの一部の歯は折れていった。そして全ての歯が折れると、メルカヴァの一部は消え失せた。

 ビャクヤは、視線をメルカヴァ本体に戻した。メルカヴァはまたしても、驚愕すべき事をしていた。

『我、執拗に纏わり付く。取り囲め!』

 速度が段違いであるが、メルカヴァの腕はトカゲの尾と同様に再生可能であり、メルカヴァは何度も腕を自切した。

 自切されたいくつもの腕は、口だけを持つ蟲に変化し、地面をゆっくりと這ってビャクヤに近付いた。

『ギョアアア……高ぶるぞ。ギョアアアア!』

 メルカヴァは、周囲に漂う顕現を取り込み、何度も自切して肩までの長さとなった腕を再生させていった。

「あいつ顕現を。そうはいかないよ!」

 ビャクヤも顕現を吸い取り、鉤爪にそれを込めると、地を這ってくる蟲ごとメルカヴァを切り刻もうとした。

「さて。どう料理しよう? 微塵切りがいいかな?」

 顕現を吸い取って少し大きくなった鉤爪を振るった。

 鉤爪に引き裂かれた蟲は、肉片と化して地に転がった。しかし、小さめの蟲はビャクヤの鉤爪の合間を縫って飛びかかった。

「抜けてきたっ!?」

 鉤爪を全て攻撃に使ってしまったために、蟲を切る事はできなかった。

「この……!」

 ビャクヤは、顔を狙って飛び付いてくる蟲に、不慣れな当て身を打つしかなかった。

 ツクヨミとの修行のおかげで、普通の人間を悶絶させられるほどには鍛えられていたが、虚無が相手では効果は小さかった。

 そんな当て身であるため、やはり蟲を消し去ることはできず、蟲はビャクヤの足元に纏わり付いていた。

 ビャクヤの意識が完全に足元の蟲に向いている隙を突いて、メルカヴァは腕を羽に変えて、羽ばたいて浮遊していた。

「ビャクヤ、上よ!」

 ツクヨミは声をあげた。それとほぼ同時にメルカヴァは羽を畳み、鋭く滑空した。

 蟲に足元を纏わり付かれ、その上空中からの奇襲が重なり、最早ビャクヤには防御は不能になってしまった。

「よっと!」

 ダメージは免れないであろう状態に陥ってしまったビャクヤであったが、真横に飛び込んで受け身を取った。

「キョア!?」

 メルカヴァの渾身の奇襲がかわされ、ビャクヤを掴もうとしていた腕は空を切った。

 攻撃をかわされたメルカヴァは、かなり大きな隙を晒してしまっていたが、蟲がビャクヤに纏わりついていて、ビャクヤから反撃を受けずにすんだ。

 メルカヴァは、一度地に足をつくと再び、羽を広げて空を飛んだ。そして少し飛んだ先に着地し、ビャクヤへと振り向いた。

「やれやれ……」

 ビャクヤは、鉤爪を元の長さにして定位置に戻しながらため息をついた。

「ゴムみたいにびよーんと伸びるし。コウモリの羽みたいに空は飛べるし。挙げ句の果てが自分でちょん切って生き物みたいにできる。全く。いい加減にしてほしいね。その腕」

 ビャクヤは、静かな憤りを見せていた。

 これまで色々な相手と戦ってきているビャクヤであるが、今宵対峙している虚無はかなり違っていた。

 伸縮する腕を持っているため迂闊に近付けず、近付けた所で腕を羽に変えて空に逃げられてしまう。

 普段は何を考えているか、まるで掴めないビャクヤの表情が、今は誰が見ても怒りを覚えているのが分かる様子であった。

『どうした、来ぬのか? ならばこちらから行かせてもらうぞ!』

 また伸びる腕で攻撃してくるのか。そう考えるビャクヤであったが、予想は大きく外れた。

 メルカヴァは、長い腕を縮小させ、足と同じ長さにした。そして腕を地につけると、四足歩行の獣のような姿となった。

 たてがみを靡かせ走るその姿は、まさに肉食獣そのものであった。

「どこから……!」

 完全に想定外の動きをされ、ビャクヤは反応に迷ってしまった。

 メルカヴァの走る速度は自動車並みであり、ビャクヤとの間合いは一気に詰められた。

 メルカヴァは、ビャクヤの一歩手前まで詰め寄ると、首を僅かに伸ばし、その牙をビャクヤの足元に剥いた。

「させないよ!」

 ビャクヤは上から四番目、腰元にある鉤爪を一組噛ませ、メルカヴァの攻撃を防いだ。

 さしものメルカヴァでも、牙で鉤爪を噛み砕く事はできなかった。

「隙ありだね!」

 鉤爪を噛んだ事によって、メルカヴァはすぐに離れられなくなった。その隙を逃すこと無く、ビャクヤは噛ませている鉤爪以外を立ててメルカヴァをに突き立てようとした。

 ビャクヤの狙いを読んだのか、メルカヴァは噛んでいた鉤爪を離した。しかし、メルカヴァの背後には既にビャクヤの鉤爪が回っており、下がれば突き刺さる状態になっていた。

 ビャクヤは、メルカヴァが飛翔できないように、メルカヴァの頭上にも鉤爪を立てていた。これにより、もうメルカヴァには逃げ場はなくなったように思われた。

『グワアアア!』

 しかし次の瞬間、メルカヴァは口を更に開き、一息大きく吸うと、咆哮と同時に火を吹いた。

「なっ!?」

 ビャクヤは、またしても想定外の攻撃に驚愕させられてしまった。

 メルカヴァの隙をついた反撃確定の瞬間だと思い、防御に回せる鉤爪は、メルカヴァに噛ませていた一組しか残していなかった。

 当然ながらそれだけではメルカヴァの炎の息吹を抑えきれず、ビャクヤは火に包まれた。

「ぬっ! ……ぐくっ。うわ!」

 ビャクヤは、顕現の盾で攻撃をしのごうとしたが、メルカヴァの顕現のほうが力が大きく、ビャクヤの盾は割れてしまった。

 顕現の盾を割られて体勢を崩すビャクヤに向け、メルカヴァは片腕を伸ばした。

『捕らえる』

「むぐっ!?」

 伸びてくるメルカヴァの腕は、ビャクヤの顔面を鷲掴みにした。

 メルカヴァは、ビャクヤの顔を掴んだ腕を一気に縮め、ビャクヤに接近し、ビャクヤの上半身に乗りかかった。

『いただくぞ!』

 メルカヴァは、ビャクヤの肩口に噛りついた。そして肉を少し引きちぎり、ビャクヤの血に流れる顕現の一端を啜った。

『これは格別……!』

「ぐふっ……あ。ああ……」

 血と顕現を一度に吸われ、ビャクヤはふらつき、膝から崩れた。

 メルカヴァは、崩れるビャクヤから羽を広げて離れた。

「ビャクヤー!」

 ツクヨミは、思わず立ち上がって叫んだ。

 ビャクヤは、肉を大きく削がれてはいなかったが、メルカヴァの鋭く変化する牙によって深い傷を負った。

 メルカヴァの牙は、ビャクヤの鉤爪に似て生体器を突き抜ける事ができた。故にビャクヤの受けたダメージは大きくなったのだ。

「ビャクヤ、立ちなさい! ここで敗れるなど……」

 ビャクヤはこれまで、ツクヨミをからかうように、ダメージを受けたふりをしてきたが、今回ばかりはそのような事をする余裕があるようには思えなかった。

『ふむ、少しばかり牙を強く立てすぎたか? あっけない幕切れよ』

 ビャクヤはうつ伏せに倒れ、肩口から流血し、その周囲に小さな血の海を作っていた。

『小僧は死んだ。小僧の顕現は後程じっくりいただこう。まずは娘、貴様の妙な波動を前菜としよう』

 メルカヴァは、ビャクヤが死んだものと思い、ツクヨミを向いた。

「立ちなさい、ビャクヤ! まだ戦えるでしょう? 立つのよ!」

 ツクヨミは、メルカヴァが迫っていても、地に伏すビャクヤに叫び続けた。

ーー不逃……捕食……ーー

 ビャクヤの脳裏には、声にならない意思が伝わっていた。

ーー……分かっているさ。キミの鉤爪(腕)で奴を捕らえて喰らう。けど。少しばかりダメージが大きくてね。キミの力をありったけ僕にくれないかい?ーー

 ビャクヤは、心に響く意思に問いかける。

 意思の返事はなかった。しかし、ビャクヤは力の高まりを感じた。これが意思の答えだと分かった。

 ビャクヤの肩口に穿たれた傷は、謎の力によって塞がっていく。

ーーありがとう。これで好きなだけ喰らえる。あの虚無も。彼女もね……!ーー

 ビャクヤは、ゆっくりと起き上がった。

「いったいなー。肩に孔が空いちゃうところだったよ」

 立ち上がりながらビャクヤは言う。

『なんと……!?』

「ビャクヤ!」

 ツクヨミとメルカヴァは、それぞれ違った驚きを見せた。

 立ち上がるとビャクヤは、メルカヴァに噛まれた所に触れる。

「あーあ。どうしてくれるのさ。体はなんともないけど。服には穴が空いちゃったじゃないか」

 ビャクヤは、制服の内側に手を入れ、メルカヴァの牙で空いた穴から指を出し、ため息をついた。

「姉さんなら直せるかな? この穴。まあいいか。それよりもそろそろ本気で行こうかな。約束じゃあ。お互い一口だしね」

 ビャクヤは、鉤爪を顕現させた。鉤爪はこれまでと違う姿をしていた。

 常に一回りほど大きく広がり、血濡れたような赤に変色していた。

 明らかに変異しているビャクヤの顕現の武器『八裂の八脚(プレデター)』であったが、ビャクヤは、メルカヴァを喰らうこと一心であり、特に気に止めている様子はなかった。

『見事だ。としか言えぬ。その矮小な身体にまだそれほどの力があろうとはな』

「キミは見抜いていたはずだよ。僕に宿る顕現の獣の存在をね。そしてそいつがどれだけの力を持っているのか」

 メルカヴァは確かに、ビャクヤの中を蠢く存在を見抜いていた。しかし、その力の大きさと、その限界までは分からなかった。

「さて。お喋りはここまでにして再開しよう。言っておくけど、さっきみたいにうまく行くと思わないことだね……!」

 ビャクヤは不意を突くようにメルカヴァに突進した。メルカヴァに最接近した瞬間、ビャクヤは身を低くして何かをした。

『我、穿つ! キョアアア!』

 メルカヴァは応戦すべく、高速で両腕を振り回した。しかし次の瞬間、この応戦が愚策であったと、身をもって知ることになった。

「ギャアっ!?」

 メルカヴァの腰より下の半身が、ビャクヤの糸によって拘束された。

「罠なんて張ってないよ?」

 ビャクヤは、嘘だとまる分かりの表情、仕草をした。

 そして、メルカヴァが完全に動けなくなったのを確認すると、血濡れた色の鉤爪を振るった。

「どう料理しよう?」

 左側四本の鉤爪を使い、上下からそれぞれ鉤爪をメルカヴァに突き立てた。

「微塵切りがいいかな?」

 ビャクヤは更に、右の鉤爪を斜め左右に回り込ませ、跳躍しつつ回転する動きで鉤爪の威力を高める。

「ほーら」

 身体中から黒い血を流すメルカヴァの両腕を、ビャクヤは根本から鉤爪で挟み込んだ。

「滅多切りだ!」

 ビャクヤが鉤爪を引くと、メルカヴァの腕が飛んだ。

「ギョアアア!」

 メルカヴァは、両腕の支えを失い、膝をついた。

 ビャクヤは、メルカヴァの腕が再生する前に追撃を加えた。やや前傾姿勢で足を動かす事なく、滑走するように距離を詰める。

 やられるだけのメルカヴァではなかった。腕を失って動きをほとんど封じられてしまったが、滑走してくるビャクヤに牙を剥いた。

 牙は確実にビャクヤの足元に当たったはずだったが、何故かメルカヴァに感覚がなかった。

「引っかかったね」

 滑走するビャクヤは、顕現の糸になり、実体は少し離れた所から鉤爪を伸ばしていた。

 メルカヴァは、糸に巻かれ、鉤爪を深く突き刺された。

「さて。そろそろ仕上げと行こうか!」

 ビャクヤは両手を伸ばし、同じように鉤爪の先端を伸ばした。

「姉さん! 少し下がっててもらえるかい? 巻き込んじゃいそうでね」

 ビャクヤの放たんとしていた顕現は非常に大きかった。『器』の割れたツクヨミでも危険を感じるほどだった。

「さっさと決着させなさい」

「ああ。そうだ」

 ツクヨミが離れていくのを確認すると、ビャクヤは、思い出したように告げる。

「僕がいいと言うまで。姉さんは目をそらしていてくれるかな? この食事は刺激が強すぎるからね……」

「……分かったわ……」

 ツクヨミが今度こそ下がりそっぽを向くのを確認し、ビャクヤは顕現を解き放った。

 解き放たれた顕現は糸になり、それはどんどん広がり、ビャクヤを中心とした巨大な蜘蛛の巣が形成されていく。

 まだ腕が再生しきっておらず 、動くことのできないメルカヴァは、蜘蛛の巣に捕らえられ身動きを完全に封じられた。

 ビャクヤの作った蜘蛛の巣は、四方八方、上下に至り、ドームの形を成していた。蜘蛛の巣でありながら繭の玉のようであった。

 ビャクヤを主とした巣の内部は、『虚ろの夜』の赤い月が照らす不気味な空間となっていた。

 そんな捕食者の空間の中、もう一体の捕食者は完全に身動きできぬように絞め上げられていた。

「どうだい。痛いかい?」

 ビャクヤは訊ねた。

 口も絞められていたが、メルカヴァには声を発する事なく、意思を伝える力があった。

『見事だ。この身が虚無がやられようとはな』

 メルカヴァは、意思をビャクヤの頭に伝わらせた。

「あはは。さすが変わった虚無だ。そんな状態になっても。まだ生きてられるなんてさ」

『……喰らわれる前に一つ教えてやろう。貴様がその身に宿す顕現の源、貴様ごときには最早扱いきれぬだろう』

「なにを言っているんだい。この期に及んで負け惜しみかな?」

『我が付けた貴様の肩の傷、確実に貴様の息の根を止められる深さであった。貴様はそこに顕現の源……いや、獣と言うべきか。それに更なる顕現の放出をさせた。故に貴様は生き延びたのだ』

 メルカヴァの言うことは、ほとんどその通りであった。

 メルカヴァに噛み付かれたビャクヤはその時、致命傷に近い傷を負い、血の海に沈んだ。メルカヴァを喰らいたい、という一心でビャクヤは復活を遂げたのだった。

「ふーん。面白い話だね。けど。今さらそんなことを僕に伝えてどうする気なのかな?」

『言ったはずだ。最早貴様の『器』ごときではその力を受けきれぬとな。貴様からの匂いに、深淵の顕現のものがある。何を喰らったのかまでは、知りかねるがな』

 ざくっ、と鈍い音を立てて、ビャクヤは鉤爪をメルカヴァに刺した。

「もう喋らないでくれないかな……」

 ビャクヤの頭にメルカヴァの声は届かなくなった。

「さて。始めよう……」

 ビャクヤは顕現を解き放ち、糸に変化させてメルカヴァを更に縛った。

「いや。終わらせよう……!」

 糸を何重にも巻き付けられたメルカヴァは、最早メルカヴァだった原形を止めず、大きな繭の玉になった。

「鋏角たる顕現の獣……」

 ビャクヤは、繭の玉に向かって歩き出す。

「僕に宿る鋏角獣(ケリケラータ)……」

 ビャクヤは、一歩一歩ゆっくりと、足音を立てながら繭の玉に近づいていく。

「巣より這い出討ち喰らうんだ……」

 ビャクヤは、手を少し伸ばせば届く位置で立ち止まった。すると、ビャクヤの体に変化が起きた。

 メルカヴァを初めとする虚無を彷彿とさせる真っ赤な眼光を持った双眸になり、犬歯も赤い牙に変貌した。

 ビャクヤは鉤爪で繭の玉を切り裂き、メルカヴァの首筋を露出させた。

『終わらない悪夢』

 ビャクヤは、顕現によって作った牙をメルカヴァの首に突き立て、メルカヴァの顕現を吸い取った。

 顕現を吸い取られたメルカヴァは、空っぽになった。それはまさしく、蜘蛛の巣に引っ掛かり、糧となった後の獲物の姿であった。

「……うん。思った通りだ。美味しかったよ。ごちそうさま」

 メルカヴァほど変わった虚無は、ビャクヤを満足させるに足る存在であった。

 ビャクヤは顕現を止めた。顕現を糧にして張っている糸は力を失い、支えをなくして夜空に散っていった。

 赤き輝きを持って散っていく糸は、妖しいが美しくもあった。

 そんな妖しくも美しい輝きの先、ツクヨミの姿が明らかとなっていく。

「姉さん。お待たせ」

「無事に終わったようね。それにしてもずいぶん苦戦していたわね、ビャクヤ。貴方と渡り合えるものがいるなんて、少々意外だったわ」

「はあーあ……」

 ビャクヤはため息をついて、空っぽになったメルカヴァの死骸を見る。

「こんな狂暴なのと戦えだなんて。本当に姉さんは人使いが荒いなぁ」

「因縁を付けていたのは貴方でしょう?」

「やれやれ。古代の剣闘士達だって。こんな過酷な戦いを課せられていなかったと思うよ?」

 まあいいか、とビャクヤは話題を変える。

「『眩き闇(パラドクス)』とやらは死んだ。僕の因縁の相手も既にこの腹の中だ。僕と姉さんどっちの敵もいなくなった。もうここに用はないんじゃないかな?」

 ビャクヤにはもう、この場に用はなかったが、ツクヨミは違った。

 ツクヨミには、まだ果たすべき目的がある。虚無へと落ちかけ、『虚ろの夜』にて顕現を求め彷徨う存在となった親友との邂逅である。

「もう少しだけ。まだ、本当に最後の『眩き闇』の招待客が来るかもしれないから……」

 しかしその願いは虚しく、破られたビルの窓ガラスより覗く高層ビル郡の隙間から細い光が登り始めていた。

「姉さん。今日はもう帰ろう。朝になってきた。僕はもうお腹いっぱいで眠いよ……」

 ツクヨミを守る存在である、ビャクヤの状態も万全とは言えなかった。『眩き闇』を打ち倒し、謎の虚無をどうにか退けた直後では、これ以上の戦いには無理があった。

「……そう、ね」

 ビャクヤをこれ以上消耗させるわけにもいかず、ツクヨミもため息をついた。

「帰りましょう、ビャクヤ」

 二人は、激闘の末壊れ果てた『煌と朧の祭壇』を後にした。

 二人は『深淵』の顕現する雑居ビルを出て、赤い月と群青の空が混ざった薄紫の、『虚ろの夜』の終わりかけた空のもとに立った。

 ビャクヤはそうとう疲れたのか、いつもは歩いている時には、ツクヨミに絶え間無く話しかけていたものだったが、今はまるで声を上げなかった。

「…………」

 ビャクヤは沈黙している。ただひたすらに黙って、ツクヨミの隣を歩いていた。

 やがて、『忘却の螺旋』の参謀と戦った真っ赤に染まった駐車場へとたどり着いた。

 来た時には『虚ろの夜』の月によって真っ赤に染まっていた場所だが、次第に登る朝日で本来の姿に戻っていっていた。

 今回の『虚ろの夜』も終わりを告げ、世界は全て、元ある姿となっていき、鳥のさえずりが聞こえ、遠くの方からは車と思われるエンジン音がしていた。

「……ねえ」

 ずっと沈黙していたビャクヤが、夜が明けると同時にそれを破った。そして続く言葉にツクヨミは驚かされることになる。

「ストリクス」

「っ!?」

「どうしたんだい。何を驚いているのかな? これがキミの本当の名前だろう。ストリクス・フォン・シュヴァルツカイト」

 ビャクヤの告げた名前は、一字一句違わずツクヨミの、いや、ストリクス本人の名前であった。

「……どうしてその名を?」

 ツクヨミは、自身の名を名乗った事はなかった。本当の名を知られることで姉弟を振る舞うのが難しくなると考えていたのだ。

「あはは。そうだね。強いて言うなら。コイツが教えてくれたってところかな?」

 ビャクヤは、鉤爪を顕現させた。

「いつぞやキミ。風邪で倒れただろう? いや実を言うと。あれは風邪じゃなかった。顕現に蝕まれていたんだよ」

 ツクヨミの『器』は、もう何十日にも前に割れてしまっている。そのような状態で虚無落ちしかけたゾハルに会ってしまったのが悪かった。

 暴走したゾハルの顕現の影響をうけたツクヨミは、『器』が壊れていなければ顕現に蝕まれることはなかった。しかし、顕現を受容するものが何もないために、ひどい風邪を引いたような状態になったのだった。

「キミの首に触れた時。驚きで声も出なかったよ。なんせ。『器』は壊れているくせに。大型の虚無並みの顕現を持っていたんだもの。あれじゃあひどい高熱を出しても仕方なかったよ」

「……それと私の名前を知るのになんの関係があるのかしら?」

「顕現を取り出さなければ。キミの命が危なかった。だからほんの少しずつ顕現を喰らった。なかなか大変だったよ。ああ。どうして名前を。だったね。その顕現を喰らった時に僕の中に入り込んできたって所かな?」

 しかし、ビャクヤ自身にもはっきりと伝わったのは少し後の話であった。

 ツクヨミと別行動をとっていた時に、ビャクヤはメルカヴァと遭遇した。時を同じくして、ビャクヤに宿る顕現の元となる顕現の獣が暴れ出した。そんな時にツクヨミの本名と思われるストリクスという名が、顕現の獣を通じてビャクヤの脳裏に浮かんだのだった。

「それでさ。ストリクス」

 粗方説明を終えると、ビャクヤは再びツクヨミをストリクスと呼んだ。もう何を言われようとも驚くまいとするツクヨミだったが、驚かずにはいられない事を提案された。

「もう終わりにしないかい? こんな姉弟ごっこ」

 ツクヨミにべったりだったビャクヤが、今の関係を止めにしようと言ったのだ。

 何の冗談を、とツクヨミは思ったが、ツクヨミはビャクヤの目を見て確信する。

「……その目。嘘ってまる分かりよ。どういうつもりかしら?」

「嘘なんかじゃないさ。僕が一緒にいたいのは月夜見姉さん。キミはストリクスだ。代わりなんか存在しないんだよ」

 ビャクヤはやはり、嘘で言葉を並べているようにしか見えなかった。

「そう……」

 ビャクヤの真意が分からないツクヨミは、あえて話に乗ってみた。

「確かに、貴方の言う通り。私は貴方の姉ではないわ。付き従う義務もない。私の目的の一部は今夜で果たされた。ここでさよならするのもいいかもしれないわね。今まで手荒く扱って悪かったわ」

 ふと、ビャクヤはツクヨミの手を取った。

「待ちなって。ただでお別れできると思っているのかい? 今まで散々こき使ってくれちゃってさ」

「そう、なら好きにしなさい。今の私は顕現を持たない一般人。求められるのが体でも命でも、抗う術はない……」

「体。ねぇ……」

 ビャクヤは、ツクヨミから抵抗する気力を感じず、その手を離した。

「うん。報酬としちゃそれも面白い。それじゃあ遠慮なくいただこうかな」

 ビャクヤは、鉤爪を一本伸ばし、ツクヨミのセーラー服のスカーフに引っかけ、一気に引き裂いた。

 ビリッと音を立て、セーラー服は胸元付近まで切れ、スカーフは宙を舞って落ちた。

 ツクヨミは、慎ましい胸の谷間を露にしながら尻餅をついた。

 胸を抑えた腕の隙間から窺えるのは、ツクヨミにとって烙印とも言える、左右対称の黒い傷だった。

「やっぱりね……」

 ビャクヤには、ツクヨミの傷痕が、それがうっすらと持つ顕現で分かっていた。

「その胸の傷。こうして実際に見なくても分かっていた。その傷を感じる度に。僕の胸も引き裂かれそうになった!」

 ビャクヤは怒り狂った。

「だからその傷を。大切な姉さんに傷を付けた主を捜して殺したかった!」

 ビャクヤの怒りは静まることはなかった。

「殺したい。喰らいたい。殺したい。喰らいたい。……殺したい!」

「ダメよ」

 震えるほどの怒りを露にしているビャクヤに、ツクヨミは静かだが鋭く言った。

「姉さんどうして!?」

「この傷は、私の親友だった人から付けられたもの。私の不注意で彼女の心を傷つけてしまった。その罪を風化させないための烙印」

 ツクヨミのかつての親友、ゾハルは今、顕現を求めて戦いに明け暮れていて、その所在を知る由もない。

「私はその罪を償わなければならないの。あの子の『器』を割る。そして楽にしてあげなければならない。例えそれが、あの子の命をも取らなければいけないことになろうとね……」

 ツクヨミの話を聞いている内に、ビャクヤの怒りは静まり始めていた。

「それがキミの。姉さんの目的というわけか……」

「ええ、そうよ。そして叶う願いなら、以前のように親友になりたい……さて、話はここまで。私を煮るなり焼くなり好きになさい」

 全てを語り尽くし、ツクヨミは目を閉じた。

「はーあ……」

 ビャクヤは、ツクヨミに手を出すことなく、ただ大きくため息をついただけだった。

「やめたやめた。姉弟ごっこを辞めるのはやーめた。そんな話を聞かされたんじゃ。もうしばらく続けなきゃならなさそうだ」

「ビャクヤ、貴方……」

「キミのその傷。消せないというなら。僕がもう一度この爪で貫いて上書きしてやるさ」

 ビャクヤは、地面に膝を付くツクヨミに手を差し延べた。

「ストリクス。いや。姉さん」

 ツクヨミは、差し出されたビャクヤの手を取った。

 ビャクヤは、その手を引き寄せ、ガバッ、とツクヨミを抱きしめた。

「ちょっとビャクヤ、こんなところで……!」

 驚くツクヨミの耳元にビャクヤは囁いた。

「キミは姉さんの()まれ変わりだよ。僕の前から消えるなんて許さない。今度こそ姉さんを死なせない」

 その囁きは決意のこもったものだった。

「……物好きな子、ね」

 ツクヨミもビャクヤを抱き締めた。

「ただ付いてくるだけなら、好きになさい。少し鬱陶しいけどね」

「ははは。姉さん。言ってることとやってることが逆じゃないかい?」

「……うるさいわね。やっぱりここでさよならしてもいいのよ?」

 そんなことはできようがないのはツクヨミ自身がよく分かっている。ビャクヤも知り尽くしていた。

「キミの抱擁は優しいね。姉さんの抱擁は骨が折れるかと思うものだったから……」

 二人でしばらく抱き合った後、ビャクヤは、ツクヨミから離れて立ち上がり、もう一度手を伸ばした。

「大好きな姉さん。貴女(あなた)のその傷を塞ぎ癒す大役。この生命尽きるまでどこまでも行こう」

 ビャクヤの、生命尽きるまで、と言う言葉を聞いた瞬間、ツクヨミは妙な感じになった。何故かビャクヤが遠くへ行ってしまうような、そんな嫌な予感がしたのだ。

ーー気のせい、よね?ーー

 ビャクヤは、ツクヨミにとってその身を守る武器である。しかし、そのように割り切るにはずいぶん大切な存在となっていた。

「姉さん。どうしたんだい?」

「ビャクヤ、付いてくるなら約束よ。私から離れないこと。いい? 何があろうと、ね」

「変な姉さんだね。僕は姉さんをずっと見てるつもりだよ。さあ。早く帰ろう。姉さん」

 ツクヨミはビャクヤの手を取り、朝焼けの中を二人歩んだ。

 ビャクヤの戦いは続く。その(こころ)が果てるまで。

ーー全喰ーー

 ビャクヤの中を蠢く何かが、ビャクヤの魂を喰らい尽くさんとしていた。

 これから先に何が起きるのか、それは今の二人には知る由もない事であった。

 

Final Chapter その後の夜

 

 一組の男女によって、『虚ろの夜』にて最強を誇っていた女、『眩き闇』ことヒルダが倒されたという情報は瞬く間に『夜』に広まった。

 『忘却の螺旋』の総帥であったヒルダが打ち倒された事によって、事実上、組織は壊滅した。

 組織は、ヒルダをトップに三人の幹部が存在していたが皆、それぞれの理由によって組織を離れており、再結成がなされる事はなかった。

 組織としても最強を誇る『忘却の螺旋』であったが、幹部を除く末端の人間はまるで統率が取れていない烏合の衆であった。

 『虚ろの夜』を騒がせていた組織が壊滅した事により、『夜』はいくぶん静かになっていた。

 しかし、静かになったとはいっても、虚無は蠢き、顕現を追求する偽誕者は変わらず存在する。

 数匹の虚無と女の偽誕者が争っていた。

 真っ白な髪を血で濡らし、右目や腕に巻いた包帯は泥のような顕現に汚れていた。

 女は、一見死にかけの満身創痍となっているように見えるが、見た目に反して圧倒的な顕現を持っていた。

 強大な力を持つ顕現を、その小さな身体に宿しているために、女は虚無に落ちかけていた。

「ぜーんぶぶっコロす!」

 女は、五本の指に杭のようなモノを作り出し、人の運動能力を凌駕した動きで、自身を囲む虚無の群に当たった。

 女の手にある鋭利な黒い杭は、襲いかかる虚無全てを切り刻んだ。

 女は、虚無を杭の爪で鷲掴みにし、その腸ごと顕現を喰らった。

 真っ黒な血煙が上がり、顕現を奪われた虚無は、その身を霧散させていった。

 女は、杭の爪を使って虚無を捕らえ、喰らい続けた。虚無の血肉を顔中にさらしたその姿は、悪魔そのものであった。

「はぁ……はぁ……!」

 女は、興奮に息を切らす。

 不意に、辺りにパキッ、という音が鳴り響いた。

「おやぁ……?」

 女は、ぬるりとした首の動きで音のした方を向いた。

「やべっ! 逃げろ!」

 女の行動を隠れて見ていた集団がいた。その中の一人がもっと近くで見ようとして、うっかり枝を踏んでしまったのだった。

「にがさないよぉ!」

 女は杭を放った。杭は逃げ出そうとする男の一人の足に突き刺さった。

「ぎゃあああ!」

 すぐさま女は、痛みに叫ぶ男に近付いた。

「ぐうう……お、お助け……!」

「どうしようかなぁ?」

 女は、男の顔に爪を立てて掴み上げる。

「あ、そーだ。ちょーっと訊きたいことがあるんだけど?」

「わ、分かった! 知っていることは何でも話す!」

 女は、突き立てた爪をさらに深くする。傷を深くえぐられ、男は小さく悲鳴を上げる。

「蜘蛛野郎を知らない? ストリクスと一緒だったと思うけど」

 女の質問は漠然としていた。男は質問の意味も掴めていなかった。

「へ、一体何を言って……?」

「そっか。知らないんだ。じゃあバイバイかな」

 女は、空いた方の手のひらに杭を作り、男の胸を貫こうとした。

「まっ、待ってくれ! そんな感じの奴思い出したかも!」

「ふーん、じゃあ言ってみなよ」

「中学生くらいのガキと高校生くらいの女の事だ!」

 男の話は、今や『夜』では有名になっている。故に女の耳にも届いていた。

「そんなのうちも知ってるよ。バカにしてない?」

 女はすぐに男を殺さずに、突き付けた杭の先を男の胸にピタリとくっ付けた。

「待て、待ってくれ! 俺は見たことがある! 中学生くらいのガキが、背中に八本の鉤爪出してて、クモみたいな糸を使って戦って、倒した相手から顕現を吸い取っている所を!」

 男の言う話を聞いて、女は確信を持った。この男の言うことは正しい。それ故に、女はあの時、不意打ちを受けた屈辱感に苛まれた。

「そっかー。それじゃ最後にもう一個、そいつらはどこで見られる?」

「か、川沿いの広場だ。そこで虚無を喰っているっていう噂を聞いたことがある!」

 女は、知りたい情報は全て聞くことができた。

「そっかーありがと。これはお礼だよ!」

 女は、男に突き付けていた杭ごと腕を一気に突き刺した。

「ぐばっ! な、なん、で……!?」

 男は、自分の身に何が起きたのか、理解できぬまま絶命した。

 女は、男を貫いた腕を引き、男の臓腑と共に妖しく光る顕現の『器』を抜き出した。

 女は、えぐり取った臓腑はその辺に捨て、光を放つ『器』を一口に飲み込んだ。

「……んくっ、えぐってやる。むしりとって喰ってやる……!」

 女は、口の周りを濡らす血を舐めた。

「待ってろよ、蜘蛛野郎……」

 女は口角をこれ以上ないほどにつり上げるのだった。

    ※※※

 ビャクヤとツクヨミは、『夜』にて完全に有名な二人組となっていた。

 新興能力者集団、『忘却の螺旋』の『眩き闇』を討ち取った彼らは、他の偽誕者に恐れられる存在であった。

 一度顕現の食事をしようと、二人で『夜』に踏み入るとすぐに噂が広がり、『夜』から逃げ出す者がほとんどであった。

 能力に自信のある一部の者は、ビャクヤに戦いを挑むことがあったが、一蹴されるのが関の山であった。

 ビャクヤは、これまでに重ねた戦いによって、自らの能力に新たなる力を得ていた。それがビャクヤを強い偽誕者に変えていた。

 そんなビャクヤは、今宵もまたツクヨミと共に『夜』に来ていた。

「はあ……誰も彼も弱すぎてつまらないねぇ……」

 ビャクヤの姿を見て、戦いを挑んできた者が数多くいた。『眩き闇』ほどの能力を持つ者は、これまでのところ現れていない。

「あの女に、喋る虚無。それら超えた相手などそうはいないはず。それが頂点に立つ者というものよ」

「頂点。ねぇ。そんなの手に入れたって。つまらないだけじゃないか。相手がまだいるからいいけど。その内見つからなくなるだろうね」

 『眩き闇』に喋る虚無、メルカヴァという、強敵を倒し、ビャクヤは『夜』の下最強となった。

 しかし、ビャクヤにとっては全くもっていらない称号であった。

 このまま偽誕者を喰らい続ければ彼らの数が減り、比例するように虚無の数も減ると思われた。

「あーあ。どっかに強くて美味しい顕現を持った偽誕者か虚無いないかなー?」

 今の『夜』で最強となったビャクヤに及びそうな相手の存在に、ツクヨミは心当たりがあった。

 それは、今もこうして探している人物、ゾハルである。

 あの日出会って以来、ゾハルと思しき偽誕者の噂はよく耳にしてきた。

 ただひたすらに顕現を求めて『夜』を暴れまわる様子を、ツクヨミは聞いていた。

 あの時ゾハルは、ビャクヤの不意打ちで戦意を喪失し、逃げてしまったと思われたが、ゾハルの質を知っているツクヨミは、そうは思えなかった。

 ゾハルは、かなり嫉妬深い性格をしていた。その質はたとえ、虚無に落ちかけた今でも、意思を保てている間は変わっていないと思われた。

ーーこの『夜』の下、あの女亡き後、今のビャクヤの力に及ぶのは、ゾハルしかいないわねーー

 顕現を手当たり次第にその身に宿し、ゾハルはビャクヤを倒さんとしている。ツクヨミはそう考えていた。

「ビャクヤ」

 ツクヨミは歩みを止め、ビャクヤを呼んだ。

「ん? どうしたんだい。姉さん」

 ビャクヤも止まり、ツクヨミの方を向いた。

「『眩き闇』との大きな戦いがあってすぐだけど、間もなく、更に激しい戦いがあるわ」

「激しい戦いがある。なんて藪から棒に。なんの根拠があるのさ?」

「貴方は一度だけあの子に会っているわ。私の探している子、ゾハルに、ね」

 ビャクヤは覚えのない様子であった。

「なら『強欲』のゴルドー、彼の名なら覚えているかしら?」

「ごーよく……ゴルドー?」

 この二つの単語には覚えがあった。するとじわじわと記憶が甦ってきた。

「思い出したよ。半裸にコートの露出狂じゃないか。まさかあれとまた戦うのかい?」

 ゴルドーは彼自身の立場上、ヒルダの仇討ち、などということも考えられるが、紅騎士を狙っている限りその可能性はほぼない。

「彼を覚えているなら、思い出せるはずよ。彼のすぐそばにいた白髪の子よ」

 ゴルドーの事を思い出した事によって、ビャクヤの記憶はありありと甦ってきた。

「そうか! あのセミだね!」

 ゾハルは、ビャクヤの不意打ちの糸に巻かれた時、金切り声を上げ続けていた。蜘蛛糸に締め付けられ、叫ぶ様子を見てビャクヤはクモの巣に引っ掛かったセミの様だと考えていた。

「セミ? 何を言っているの?」

「そうか。やっぱりあのセミが。ゾハルっていう人だったんだね」

 ビャクヤは、自身に宿る顕現の獣によって、ツクヨミの真の名、ストリクスという名と、その他二人の名前を知らされていた。

「僕の巣網にかかってギャーギャー騒いでただろう? あれはまるっきりクモの巣にかかったセミだった。だからセミだよ」

「それでセミ……まあ、呼び方は……いえ、ちゃんと呼びなさい。私のかつての親友だったのだから」

 ツクヨミは、ビャクヤのゾハルへの呼び方を改めさせる。

「はーぁ。そんな呼び方してたら僕まで邪気眼扱いされそうなんだけど?」

 海外出身者であることを差し引いても、ゾハルという名はビャクヤにとって、口にするのは憚れるものだった。

「まあいいや。姉さんからの頼みだ。無下にはできないね」

 ビャクヤは、ツクヨミに従うことにした。

「そうそう。あの時は大変だったね。姉さんおもらしして。その上風邪まで引いちゃったからね」

 ビャクヤは、ゾハルと初めて会った時の出来事を思い出した。

 親友だったゾハルに殺されかけ、不意にビャクヤに助けられ、緊張の糸が切れたツクヨミは小水に沈んだ。

 ツクヨミにとっては思い出したくない過去であった。

「その話はやめてちょうだい。だいたい、風邪を引いてるって言ったら今の貴方でしょう?」

 ツクヨミの言う通り、ここ数日ビャクヤは、風邪を引いたように咳をしていた。

「そんなバカな。僕は愚かだからね。風邪なんか引くはずがないじゃないか……ごほ。ごほ……」

 ビャクヤはわざとらしく咳をした。

「まあ。たとえ何かの間違いで風邪を引いていたとしても。戦いには問題ないよ。さあ。そろそろ行こうか。ごほ……」

 ビャクヤの言う通り、戦うには問題はなかった。

 毎夜小さな『夜』に訪れては、虚無をその鉤爪で捕らえて喰らっていった。

 ごく稀に遭遇する偽誕者にも遅れを取るような事はなかった。

「ごほ……ごほ!」

 しかし、ビャクヤの咳は、止まる所を知らず、体力を少しずつ蝕まれていった。

 医者によると、風邪との診断であった。しかし風邪にしては、ビャクヤの症状はひどかった。それでも医者の診断は風邪であると変わらなかった。

 ビャクヤの病状とは逆に、再生しているものがあった。それは、ツクヨミの顕現である。

 ゾハルに割られた『器』が長い時間をかけて、ついに元通りとなった。

 大きな力こそないが、ツクヨミの能力『生命の樹(セフィロト)』は、他人の顕現に干渉できる能力であり、生命力を顕現に変換するか、その逆の事ができる。

 医療で分からないとすれば、顕現が関係しているものと思われた。

 そこでツクヨミは、元に戻った顕現を使用し、ビャクヤを見た。しかし、ツクヨミの能力を以てしても異常は見られなかった。

ーーこうなれば、仕方ないわね……ーー

 原因が顕現であるからには、治す手段も顕現になる。ツクヨミには、一つ考えがあった。

「ビャクヤ、ちょっといいかしら?」

 ツクヨミは、ベッドに横たわるビャクヤの元へ行った。

「どうしたんだい姉さん。あんまり僕に近寄るとうつるかもよ?」

「あなたの身体を治す方法が一つだけあるわ」

「なんだい。毎度藪から棒に」

「あなたの顕現の源、『器』を割る。そうすれば、その症状は改善されるはずよ」

「…………」

 ビャクヤは何を考えてか、しばらくの間黙り込んでいたが、やがてため息をついた。

「はぁ。姉さん。『器』を割るなんて簡単に言うけど。姉さんには『器』を割る力がないじゃないか……ごほごほ……」

 ツクヨミの、ストリクスとしての能力は、『生命の樹』と言い、対象者の生命力を糧に顕現を増幅させる非常に変わったものである。

 そのような性質上、自分自身が戦うのには向かず、他の偽誕者に術をかける使い方しかできない代物。そのはずだった。

「私の生命力を私自身にかけて、顕現を得てあなたの『器』を割る。これまでやったことがなかったから分からなかったけど、最近顕現が戻って、術を私にかけることもできるのが分かったの。だから」

「だから。どうするのさ? ゾハルだったよね。姉さんの探す人は。その力はゾハルに使うべきだよ」

「それはまあ、あなたの言う通りね。けれど今のビャクヤじゃ満足に戦えるかも分からない。今は身体を治して、その後でも遅くはないわ」

「それで僕の『器』を割るつもりなのかい。けど、ゾハルもだいぶ顕現に侵されているんだろう? 悠長な事を言ってる場合じゃない……」

 ビャクヤは、ごほごほと咳き込みながらベッドから這い出た。

 日は沈み、真っ赤な満月が空にある。『深淵』を中心とした『虚ろの夜』がやって来ていた。

「……原因がなんだろうが。病気には食事療法が一番さ。『虚ろの夜』に行こう。姉さん」

 ビャクヤは、ツクヨミの返答を待たずして部屋を出ていった。

ーー私は、どうすれば……?ーー

 ツクヨミは、今の状況下に揺らいでいた。

 ゾハルの『器』を割り、最早望みは薄いが、叶うならば以前の関係に戻りたいと願っている。

 他方で、ビャクヤの身体を治してあげたいと心から思っている。

 いつしかビャクヤは、ツクヨミにとってとても大切な人になっていた。表向きは姉弟を演じているが、本心では恋慕の情が募っていた。

 愛するまでに至った相手が、病で弱っていく姿を見ているのは辛く苦しいものだった。

 友情か愛か、どちらを選ぶべきか、ツクヨミは迷ったままビャクヤの後を追っていった。

    ※※※

 最も多くの偽誕者が集まる場所がある。それは、大きな川の近くに築かれた自然公園、名はそのままに『川沿いの広場』といった。

 都市開発が進んでおり、開発途上の高架橋が真っ先に目に入る自然と都市が融合した場所であった。

 この場所は、ビャクヤがまだ能力に覚醒する前に、生前の姉とよく来ていた所でもあった。

 ビャクヤにとって、姉との思い出の地であったが、虚無や偽誕者が多く現れるため、すっかり血生臭い場所と化していた。

 ビャクヤとしては、思い出の場所であるからこそ、そこを汚す敵は許せず、その全てを逃がさず息の根を止めていた。

 そしてビャクヤはいつしか、この場所で生涯を終えようと考えていた。

 そんなビャクヤにとって思い出の地であり、最期を迎えるべき場所に狂気の権化が彼を待ち受けていた。

「やっとみつけた。蜘蛛野郎。お前らがよく来るってきいてから、ずっとまってたよ」

 ビャクヤを待っていた狂気、ゾハルが恐ろしい笑みを浮かべている。

「ゾハル!」

 ツクヨミは、ゾハルがもしも現れるとすればこの場所だと、ゾハルから逃げ帰った事のある偽誕者から聞いていた。

「この期に及んで話し合いはムダだよ。姉さん」

 ビャクヤに言われるまでもないつもりであったが、ツクヨミは話しかけずにいられなかった。

「ゾハル、あなた……」

 ゾハルの姿は、最後に会った時と比べて、おぞましい容姿をしていた。

 髪は固まった血で完全に染まっており、所々真っ白だった面影を僅かに残している。

 腕と右目に巻かれた包帯は泥にまみれていた。

 体にピッタリした茶色の戦闘服は、ズタズタに切り刻まれ、これまで激しい戦いをしてきた事を物語っている。

「あんただれ?……なーんて、ストリクスじゃん。ひさしぶりぃ」

 ゾハルは、ツクヨミの姿を見てすぐにストリクスだと判断した。

「私が分かるのね?」

「あったり前じゃん。お前がオーガの心を得ていたんだからねぇ」

 ゾハルは、見た目とは裏腹に、以前よりも自我を保てていた。

ーー前よりも話は通じそうねーー

 ツクヨミは思うが、最早話し合いで解決など求めていなかった。しかし、ただ一言伝えたい思いがあった。

「オーガの事は……なんて、言ったところで詮無き事。だけどこれだけは言っておく。親友として、あなたの『器』を割る」

「戦うちからも持ってないくせに、どうやってうちの『器』を割るつもり?」

「ええ、あなたの言う通り、私は戦う能力は持ち合わせていない。けれど、割る力はある……」

 ツクヨミは宙に手をかざした。すると、ツクヨミの手は、顕現の青い光を帯び始めた。

 光の中から翡翠色の短剣が顕現した。ツクヨミはそれを手に取ると、切っ先をゾハルに向けた。

「これは、『セフィロトの(つるぎ)』。今のあなたには最もよく効くはず」

 ツクヨミの顕現させた『セフィロトの剣』は、暴走した生命力を顕現に変化、拡散させる能力があった。

 顕現と生命力を常に暴走させている今のゾハルに効くというのは道理であった。

「ビャクヤ」

 ツクヨミは、『セフィロトの剣』を片手にビャクヤを呼んだ。

「はーい。どうするんだい? 姉さん……ごほごほ」

 ビャクヤは、努めて明るく振る舞っているが、日を増すごとにひどくなっている咳が辛そうであった。

 今戦わせて本当に大丈夫なのか、とツクヨミはまたしても揺らいでしまう。

「おーい。姉さーん?」

 ビャクヤは、自分を呼んでおいて何も言わない、ツクヨミの顔を覗き込んできた。

「……後はお願いね」

 ツクヨミはいつものように、こう言ってビャクヤの後ろへと下がっていくしかなかった。

「任せてよ。姉さん。止めはそのナイフで刺すんだろう? 殺さないように気を付けるね」

 ツクヨミが多く語らずも、ビャクヤは彼女の目的を理解しているようだった。

 ツクヨミが、手近なベンチに腰かけるのを確認すると、ビャクヤはゾハルと対峙した。

「というわけで。ここからは僕が相手だ。セミ……いや。ゾハル」

 ゾハルは相変わらず、恐ろしい笑みを向けていた。

「やっぱりお前があいてか。あのときの屈辱、晴らす!」

 ゾハルは、ビャクヤが身構える前に手に杭を顕現させ、突き刺しにかかった。

 ビャクヤもとっさに八本の鉤爪を顕現させて応戦した。

「焦らないの。まだまだ始まったばかりじゃないか」

 ビャクヤは、ゾハルの杭を払いのけた。

 二人の間に距離が空いた。お互い攻撃を当てるには一歩の踏み込みが必要かと思われた。

 しかし、ゾハルが間合いを無視した攻撃をした。手に顕現させた杭をそのままビャクヤに向けて放った。

「そんなの……」

 ビャクヤは、杭を受け流した。

「まがれ!」

 ゾハルが叫ぶと、受け流されたはずの杭が進路を突然に変え、再びビャクヤへと襲いかかった。

「まだまだ……」

 杭の動く速度は、特別に速いわけではなく、ビャクヤは杭を難なく弾き返す。

「かわれ!」

 ゾハルは、先ほどとは違う叫びを上げた。ゾハルの声に反応を示したのは、杭そのものであった。

 変化せよ、というゾハルの命令に従い、杭だった黒いものが、蛇のような姿になった。

「ビャクヤ、下がって!」

 ゾハルの能力の正体を知るツクヨミは、ビャクヤが黒い蛇に触れないように叫んだ。

「おっと……」

 ビャクヤは後ろに飛び退き、頭上から襲いかかってくる蛇の牙をかわした。

「まとわりつけ!」

 黒い蛇は、何度も鎌首をもたげ、ビャクヤに牙を向け続けた。

 ビャクヤは、蛇の攻撃を鉤爪でいなしていたが、異変を感じた。

ーー八裂の八脚(プレデター)が……!?ーー

 鋼鉄以上の硬さを持つビャクヤの鉤爪が、黒い蛇の攻撃を受け止めている内に、ヒビが入り始めていた。

ーーまさか。顕現を吸われているのか?ーー

 ビャクヤは、ヒビが入った鉤爪をあえて噛ませ、残る鉤爪で蛇を切り裂いた。すると、切り裂いた鉤爪にもヒビが入った。

「これは驚いたね。まさか僕の爪をぼろぼろにしちゃうなんてね」

 ビャクヤは、周囲に漂う顕現を吸収した。顕現が満たされると、鉤爪はもとの姿を取り戻した。

 対するゾハルは、ビャクヤから奪い取った顕現で再び杭を作っていた。

 このままでは、堂々巡りであった。ゾハルの攻撃を受け止めていては、そこから顕現は奪われ、迎撃してもある程度顕現が奪われる。

 この状況を覆すには、先の先を取ってゾハル本人を叩くより他なかった。

 故にビャクヤが先手を打った。

「こんなのはどうだい?」

 ビャクヤは、鉤爪を倍以上に伸ばして攻撃した。先端部が僅かにゾハルに触れる。

「そんなもの……!」

 ゾハルは、顕現の盾を作り出し、ビャクヤの攻撃をしのいだ。

「こっちだよ!」

 ビャクヤは、伸ばした鉤爪を左右に分けて攻撃に使用し、左の四本をゾハルにあてがい、右の四本でゾハルの足下を払った。

「うあっ!」

 顕現の盾が及ばない足下を払われ、気を反らされたゾハルの盾は硝子が割れるように砕け散った。

 足をやられたゾハルであったが、『生体器(ヴァイタルヴェセル)』のおかげで深傷を追うことはなかった。しかし、ビャクヤに晒した隙は非常に大きかった。

「捕まえた」

 ビャクヤは、ゾハルを捕らえるために糸を投網のように放った。

「させるか!」

 ゾハルは後転し、糸から離れた。

「逃げてもムダさ!」

 ビャクヤは、先に放った糸が蜘蛛の巣状になった瞬間、糸を一本放って自身を巣へと引き寄せた。

 ビャクヤは、一瞬の動きで巣網の上に立った。

「ほーら。捕まえた!」

 後転の直後で、僅かな隙を見せるゾハルに、ビャクヤは伸ばした鉤爪で突き刺そうとした。

 ゾハルは、顕現の盾を出してビャクヤの攻撃を防ごうとしたが、先ほど割れてしまった時に顕現を放出してしまい、盾を出せなかった。

「ほらほら!」

「ぐばっ!」

 ビャクヤの攻撃はゾハルに当たった。

 『生体器』のおかげで体を鉤爪で串刺し、ということは避けられたものの、ゾハルはもんどり打って大きなダメージを受けた。

「まだまだ……ごほっ。ごほっ!」

 ゾハルに追撃を加えようと、ビャクヤは動いたが、ここ数日の発作的な咳に足を止められた。

 ビャクヤは、どうにか立ち直ろうとするものの、依然咳が続いている。

「ごほっ……ごほっ!」

「ビャクヤ……?」

 ツクヨミは心配になり、少しビャクヤに近付いた。

 するとツクヨミは、驚愕の極みに至った。ビャクヤは口の周りを血で汚していたのである。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは駆け寄ろうとした。

「そこから動かないで。姉さん!」

 ビャクヤは顔だけをツクヨミに向けて叫んだ。

「ごほ……そんな顔しなくても。僕はまだまだ戦えるさ……」

 ビャクヤは更に喀血する。そして今、自分の身に何が起きていたのかを理解した。

 ビャクヤが偽誕者の力に目覚めた時、蜘蛛に襲われた。その時に体を傷つけられ、そこに顕現が流れた。

 その顕現の他に、蜘蛛からその身の一部、卵を産み付けられていたのである。

 やがて卵は孵り、ビャクヤの中に存在するようになった。顕現の食事でなければ腹が満たされなくなったのは、ビャクヤに宿る顕現の獣、ケリケラータの存在によるものだった。

 今、十分に成長したケリケラータは、ビャクヤという『器』を破って外に出ようとしている。それ故にビャクヤは身体の内部から蝕まれていたのだった。

ーーははは。お医者さんでも分からないわけだよーー

 ケリケラータが今になってここまで活発となった理由、それはヒルダ、メルカヴァといった非常に大きな顕現の持ち主を喰らったために、ケリケラータが急成長を遂げたのだと思われた。

 そして今、ゾハルという『深淵』の顕現にあてられ、顕現が暴走している者を相手している。

 ビャクヤが、この顕現の暴走したゾハルと対峙した事で、ケリケラータの活動が更に活発化した。

 ビャクヤが喀血して苦しむ間に、ゾハルは立ち上がっていた。

「もう許さない。蜘蛛野郎」

 ゾハルは、怒り心頭といった状態だった。

「あはは。元気がいいね。その元気の源。喰らったら僕も大層元気になりそうだよ……!」

 精一杯のやせ我慢であった。ケリケラータに蝕まれ、ビャクヤにこれ以上戦う力はほとんど残されてはいなかった。

「ふん、そんな血反吐出しながら、まだ勝てるつもり?」

「キミを喰らえば全部よくなるよ。さあ。最後の勝負といこうじゃないか。負けた方が確実に死ぬ。本当に最後の勝負にね……」

 ビャクヤは、震える体をおして立ち上がる。そして八裂の八脚を顕現させた。

「最後の勝負か。いいよ、面白い。うちの最大のちからでお前を殺してやるよ!」

 ゾハルは言うと、片目を隠すように巻いていた包帯を解いた。

 出てきたのは、全てを真っ赤に塗り潰したような、おおよそ眼とは思えない代物だった。果たして、その眼を通じて物が見えているのかも分からない。

 しかし、最後の勝負に臨むに十分足り得る顕現を持っていた。

「へぇ。たいした眼を持ってるじゃないか。何ができるのかな」

「答えは死んでからあじわいな!」

 ゾハルの真っ赤な眼が光を放った。

ーー何が来る……?ーー

 何が来るのか分からず、ビャクヤは鉤爪で身を守るように身体の周りに固めた。

「曲がれ!」

「うわっ!?」

 ゾハルが叫ぶと光を受けた鉤爪が、ゾハルの命令通りひん曲げられてしまった。

「潰れろ……!」

 ビャクヤの身を守る鉤爪は、全て地面に押し込まれてしまった。

「さあ、つぎはお前だ! 曲がれ!」

 ゾハルは、真っ赤な眼光をビャクヤに向けた。

 身体にあの光を受けたら一溜りもないと直感で感じ、ビャクヤは地面の鉤爪を一本拾い上げ、それで身を守った。かなりの強度を誇る鉤爪だが、ゾハルの言った通り完全にひん曲がってしまった。

「ふう。なかなか危ない事してくれるじゃないか……ごほ」

「さいごの勝負をのぞんだのはお前だろう。それにいったハズだ。お前をもう許さないって!」

 ゾハルは眼光を放った。

ーーあれは? ゾハルにあんな力はなかったはず。一体何が……?ーー

 戦いを見守るツクヨミは、ゾハルの能力に疑問を抱いていた。

 ゾハルの能力は、彼女が『万鬼会』に所属していた頃にはなかったものだった。

「ふふ、ストリクス、知りたそうだね?」

 ゾハルは、ツクヨミの視線を感じ、真っ赤に光る眼を手で隠しながらツクヨミを見た。

「まあいいや。めいどの土産だ。教えてやるよ」

 ゾハルは、虚無に落ちかけながら数多の偽誕者、虚無と戦う内に新たな能力に目覚めていた。

 『湾曲(ベンド・シニスター)』という能力であり、ゾハルの真っ赤に塗り潰された眼の光を受けると、彼女の思うままに物体を湾曲させる事ができる。

 虚無が相手ならこの力で首を折ってやれば倒せ、生体器がほとんど空の偽誕者でも同じ方法で殺害できた。

 能力の発動には、眼光を当てた後に、物体にどうなってほしいかを言うだけである。非常に簡単であり、ほぼ無敵の能力であった。

「あはは。自分からそこまで言っちゃうなんて。相当自信があるみたいだねぇ」

 ビャクヤは、ゾハルが話している間に鉤爪を再生させていた。

「けど。話を聞く限り。僕には通用しないよ。この八本の爪があればね」

 ビャクヤは既に対策を立てていた。

「だったら、受けきってみろ、蜘蛛野郎!」

 ビャクヤが先に駆け出した。しかし、携えているのは一本の鉤爪であった。

「曲がれ!」

 一本の鉤爪はいとも容易く曲げられてしまう。

 ビャクヤは使えなくなった鉤爪は放り、二本目を顕現させる。

「潰れろ!」

 二本目も押し潰されてしまった。同時に三本目を顕現させた。

「砕けろ!」

 三本目は粉々に砕け散ってしまった。そしてちょうど半分の四本目を顕現させた。それとほぼ同時にビャクヤとゾハルは肉薄した。

「ぐっ、裂けろ!」

「チェックメイトだ!」

 四本目が縦横に裂けた瞬間、ビャクヤは残った四本を顕現させた。間合いはビャクヤの間合いになっており、ゾハルは動けなかった。

 ビャクヤは糸を手繰って少し宙に浮き、二本の鉤爪をゾハルに向けた。

「舐めるな!」

 ゾハルは顕現の盾を作り出した。

「引っ掛かったね」

 ビャクヤは、落下しながら残る鉤爪を足に纏わせて、ゾハルの腹部に蹴りを放った。

「かは……!?」

 ゾハルは、顕現の盾を二度も破られ、『生体器』もかなり消耗していた。地面に叩き付けられ、肺に残る息が全て出ていった。

「ぐっ。ごほごほ……がはっ!」

 ビャクヤは、生命を脅かされるほどの大喀血をした。ビャクヤのいう最後の勝負が終わった瞬間だった。

「ビャクヤ!」

 大量の血を吐き出したビャクヤに、ツクヨミは思わず駆け寄っていた。

「ごほっげほ!……姉さん。今がチャンスだよ。僕に構わずにそのナイフで奴に止めを刺すんだ!」

 大ダメージを負った今のゾハルであれば、ツクヨミでも『器』を割る事は可能であった。

 しかし、ビャクヤを捨て置く事はできなかった。

 ビャクヤとゾハルの二人に共通するのは、顕現の暴走である。暴走の元をツクヨミの『セフィロトの剣』で貫けば暴走は止まる。

 ビャクヤを蝕んでいるのも顕現の暴走であった。つまりビャクヤも『セフィロトの剣』で突き刺せば、苦しみから解き放つ事ができる。

 ツクヨミが悩んでいる間に、ゾハルは立ち直り始めていた。

 やはり重病人に等しい状態のビャクヤの攻撃では、ゾハルを打ち倒す事はできなかったのだった。

「何を迷ってるのさ。親友を助けるんだろう? だったら早くその剣で止めを刺すんだ。姉さん!」

 ゾハルは、体を震わせながら体を起こした。

「蜘蛛野郎……!」

 ゾハルは、恨めしい顔をビャクヤに向けると、二人に背を向けた。やはり本能的に勝てないと感じたのか、ゆらゆら揺れながら逃走を始めた。

「姉さん。追いかけるんだ! あんなのすぐ追い付けるだろう!」

「けれどビャクヤが!」

「早く行けと言っているでしょう! いつから貴女はそんなに甘くなったんだ。ストリクス!?」

「…………っ!?」

 ビャクヤがツクヨミに向かって初めて叱咤した瞬間であった。

 ビャクヤの叱咤を受け、ツクヨミは立ち上がり、ふらふらと歩くゾハルを追った。

 ゾハルに追い付くのは容易い事だった。

「ゾハル、ごめんなさい……!」

 ツクヨミは、振り上げた剣はそのままに、ゾハルに背を向けた。

 ツクヨミの向かった先は、ゾハル以上に重症のビャクヤの元であった。

「……何を!?」

 ツクヨミは、ビャクヤを押し倒し、シャツを破いて真っ白なビャクヤの胸をはだけさせた。

「ビャクヤ、私にはあなたを放っておくなんてできないの!」

 ツクヨミは、ビャクヤの顕現の元、『器』に向けてセフィロトの剣を突き立てた。

 ビャクヤの胸を穿った剣はパリン、と音を立てて『器』を割った。

「うああああ!」

 ビャクヤは、『器』を割られた痛みに叫んだ。しかし、痛みはほんの一瞬だけだった。

 顕現の消失とともに、ビャクヤを蝕むケリケラータも活動を停止した。

「ビャクヤ!」

「…………」

 ビャクヤは、茫然自失の状態であった。

 やがて穿たれた胸には、ツクヨミが持っていたものと同じ、黒い蝶のような痕ができた。

 ゾハルの気配は消えていた。どうやら逃げ果せたようである。

 虚無の気配も同じく失せていた。

「ビャクヤ、ビャクヤ聞こえてるんでしょう!? 返事をしなさい!」

 ツクヨミはビャクヤを揺り起こそうとした。

「……うるさいなぁ。聞こえてるよ」

 ビャクヤの意識はまだ残っていた。しかし、少しでも気を抜けば、眠りにつきそうなほどビャクヤは弱っていた。

「ビャクヤ! よかった……」

「ははは。この状態を見て安心するなんて。おめでたいものだね。姉さん」

 外傷はそれほど深くはなく、肺病のような症状もない。

 ビャクヤの『器』が割れたことで、ビャクヤを蝕んでいた存在も活動を止めた。しかし、完全に停止したわけではなかった。

「やれやれ。姉さんも馬鹿だね。せっかく僕が死ぬ思いでゾハルを追い詰めたのに……」

「今はあなたの命が大切よ。肩を貸すわ。ここから離れましょう」

 ビャクヤは、ツクヨミの肩を借りて何とか立ち上がることができた。

「参ったね。足がちっとも動かないや……」

 ビャクヤの様子に堪りかねたツクヨミは、ビャクヤを横抱きにして、近くのベンチに座り、ビャクヤに膝を貸した。

「ああ……」

 ツクヨミに膝枕をしてもらいながら、ビャクヤは言う。

「今ならすっと眠れそうだ。何日でも何ヵ月でも。ね……」

 そしていつか、永遠の眠りにつくであろう。ビャクヤはそう考えていた。

「姉さん。いや。ストリクス」

 ビャクヤは呼んだ。

「キミとの取引は終わりだ。もうじき僕は死ぬんだろう。キミを守ることもできなくなる。お役御免ってやつさ。僕なんか捨て置いていきなよ。姉さんとよく来ていて。ストリクスにも会えたこの場所で果てられるなら本望さ」

 ビャクヤは満足していた。

 最愛の姉を事故で亡くし、ほぼ同時期に能力を手に入れ、『夜』を歩いて回っていると、姉にとてもよく似ているストリクスに出会った。

 戦いに明け暮れる日々が続いたが、姉の姿をしたストリクスと過ごした日々は、ビャクヤの人生を満足たるものにするのに十分だった。

 しかし、ツクヨミ(ストリクス)は全く逆の気持ちであった。

「弱気な事言わないで。まだ私たちの契約は終わらない。ゾハルの『器』を割るまでが約束だったじゃない!?」

「みすみす取り逃がしたのはキミじゃないか。それに僕の戦う力も。キミのせいでなくなってしまったよ」

 せっかく命懸けで戦ったのに、とビャクヤは続けた。

「どうして僕の『器』を割ったのさ? ゾハルは虫の息だったじゃないか」

「それは……あなたが好きだから」

 ツクヨミは、初めて自らの気持ちを認めた。

「あなたのことが好きだから、助かって欲しかった。それだけよ」

 ビャクヤは、なにやら考えた様子を見せてから答えた。

「やっぱりか……」

 ビャクヤはいつからか、ツクヨミが自分を好いている事はなんとなく気付いていた。

「僕もキミが好きだ。キミは月夜見姉さんの誕まれ変わりだからね」

 だけどね、っとビャクヤは続ける

「それ以上に。僕は月夜見姉さんが好きなんだ。キミという姉さんがいながら。まだ月夜見姉さんを追いかけている。滑稽だよね全く……」

 ビャクヤは、ごほごほと血の混じる咳をした。

「ビャクヤ!」

「げほっ! げほげほ……」

 ビャクヤは、血を受け止めた手を離した。最早誰の目にも手遅れだと分かる出血量だった。

「あはは……」

 ビャクヤは、真っ赤に染まった自らのシャツを見て、小さく苦笑するしかなかった。

「とうとう終わりかな? 僕も。ああ。もう眠くて限界だよ……」

 ビャクヤは目を閉じた。

「ビャクヤ! 起きなさい、今眠ればあなたは……!」

「……もう眠らせてくれよ。ストリクス。僕はずっと前から。死ぬ運命だったんだから……」

 ビャクヤは、姉を亡くして生きる意味をも失っていた。

 死んだ姉の後を追うべく、ビャクヤは偶然にも『夜』へと来ていた。どこまでも広がる闇の中に溶けていこうと、ビャクヤはその身を地にゆだねた。

 しかし、死の瞬間は訪れなかった。代わりにビャクヤに襲いかかったのは、蜘蛛の虚無であった。

 大きな蜘蛛に捕食されかかったものの、命は助かった。

「……僕は運がよかったようだよ。ここまで生き延びるなんてね」

 人の身には余る蜘蛛の能力を使っていては、遅かれ早かれ命に関わることは、ビャクヤにもなんとなく分かっていた事だった。

「僕はね。ストリクス。キミに出会えて嬉しかったよ。月夜見姉さんと本当によく似ててさ。姉さんが帰ってきたと思えて胸がつまったよ……」

「ビャクヤ……」

「さて。そろそろ頃合いだ。僕は眠る。僕が眠ったら。ここに捨て置いてくれるかい? 姉さんとの思い出にひたりながら逝くからさ……」

 この言葉を最後に、ビャクヤは昏睡状態となった。

 ずっと向こうを見ているような遠い瞳は閉ざされて、その寝顔は穏やかな少年のものである。

「ビャクヤ!」

 ツクヨミは、ビャクヤを揺すった。しかし、何をしようともビャクヤの目は醒める事はなかった。

 ただ静かに寝息をたてて眠る、イバラの姫(リトル・ブライア・ローズ)のようだった。

「ビャクヤ、起きなさい! 私の言うことが聞けないというの!?」

 ツクヨミは、ビャクヤを揺り動かし続けたが、やはりビャクヤは寝息をたてるだけであった。

「ビャクヤ……ビャクヤぁぁぁぁ……!」

 ツクヨミは、自らが付けたビャクヤの胸の傷を額に当てて涙した。

 ビャクヤは死ぬ、その悲しみに暮れるツクヨミであった。

 もっと自身の愛のままにビャクヤの側にいたかった。それも最早叶わぬ願いとなってしまった。

 亡骸となりゆくビャクヤからは、まだ鼓動を感じることができた。その鼓動は、死んでいく人間のものにしては明瞭であった。

 相変わらずビャクヤからは寝息が聞こえる。

 ビャクヤは、まるで単なる眠りについているようだった。

 ビャクヤは死んだのか、それとも生きているのか。『夜』の中で『眩き闇』を倒したというビャクヤ(プレデター)の噂は一度ピタリと止んだ。

 しかし、それからすぐにまたそれらしき、古風なセーラー服姿の女と一緒の少年の噂が『夜』に広がった。

 様々な噂に事欠かない『夜』に、ビャクヤはやはり生きているのか、それとも死んだのか。それは誰にも分からない事だった。

 

おまけコンボレシピ

 

 5A>5BB>2C>5C>B罠>2B>jc>J2C>JC>2C>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 立ち回りでよく振る5A始動のコンボ。前回紹介したものよりもダメージは落ちるが、運びに重点を置いて以上のコンボにした。ダメージは落ちると言っても、3600(VP時)は与えられる。若干2Bがスカりやすいので、前後移動で間合いを調整するといい。

 

 2B>2C>B料理二段>空罠>微ダッシュ>5C>B罠>C派生>ダッシュ>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 ビャクヤを使う上で最も使われているであろう2B>2C始動のコンボ。前回でビャクヤの基礎コンボとして、2B>5BB始動を紹介したが、2Bの長いリーチに対して5Bは短いため、2Bがせっかく当たっても次にスカって状況が悪くなってしまう。故に2B以上のリーチを持つ2Cを使用してコンボをつなぐ。

 しかし、前作でやっていたコンボルートだと、ダメージは上がらない。ダメージアップを狙うなら、各種罠派生、特にもC派生が必要になる。

 派生技を当てたあとはJC>J2C>JBという特殊なエリアルパーツを使うとダメージはより上がる。(3951VP時)

 2Bは発生、持続、リーチに恵まれた技なので、立ち回りや起き攻めに是非使おう。

 

 5BB>2C>B料理二段>空罠>5B>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>A派生>DB>A料理三段>C食べ頃

 

 置き技に便利な5B始動のコンボ。そのままパッシングリンクに対応しているので、Bまで入れ込んでしまってもいい。いかにも特殊な技に見えるが2Aで隙消しができる。

 このコンボは運び重視なので、ダメージはそこそこといったところで、2B始動と比べると火力が出ない。しかし、攻撃判定は広いのでジャンプしている相手を引きずり落とすこともできる。

 

 DB>A料理二段>空罠>2C>5C>B罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>jc>JB>J2C>JC>DB>A料理一段>A罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 バクステすらも引っかけられる下段技からのコンボ。クレアになってから、この技のディレイ幅が広くなっており、技の出終わり付近でさえも料理か罠、FFを出せる。この技は密着でガードされると確反だが、ディレイをかけて逆に暴れ潰しもできる。

 

 DC>C罠>着地微ダッシュ>2C>5C>B罠>A派生>微ダッシュ>5B>3C>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>B罠>B派生>JAスカ>DB>A料理一段>C食べ頃

 

 遠距離でコンセ等をしている相手に刺す技。DCは全部で9ヒットするので、8ヒットしたところでC罠に引っかける。

 鉤爪と罠を当てた後の動きだが、少々シビアな微ダッシュが必要になる。行きすぎると相手と逆方向に2Cが出てしまう。ダッシュが足りなくても当たらない。微ダッシュはビャクヤを使う上でほぼ必須になるので、こうしたコンボで練習するといいだろう。

 

 IJ2C>2C>B料理二段>空罠>微ダッシュ>5C>B罠>C派生>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>DB>C食べ頃

 

 アハハハ始動の強化版。連続ヒット、相手を浮かす、ガードされても有利、とかなり強い技の始動にもかかわらず、ここまで技を詰め込んでもダメージは4000(VP中)を超える。

 2B始動の時にも同じであるが、料理二段目の空罠の後の着地後微ダッシュは、相手を→に置いたとしたら、44。←には66と入力すると微ダッシュになる。着地後の入力が遅いとバクステになってしまうので注意が必要である。

 

 A罠>dlA派生>2C>B料理二段>空罠>5C>3C>jc>JC>J2C>JB>DB>A料理一段>A罠>B派生>A料理二段>C食べ頃

 

 クレアの新要素で、ビャクヤの罠A派生が中段技となり、三種類の派生を当てるとダメージが物凄い量になる(4150VP中)。

 特にもこのA派生はディレイをかけるとリーチの長い登り中段のようになる。

 その後の繋ぎは、前作のように料理の後にすぐにエリアルに行けば上述のダメージに届く。微ダッシュがいらない比較的簡単なコンボなので是非とも狙いたい。




どうも、作者の綾田です。
 とうとうこの作品も最終回を迎える事ができました。前作の投稿はまさかの一年以上前で私自身でも驚いています。一体何をしてここまで遅くなったのか。UNIをやってた事くらいしか思い出せません(^-^;
 さて、そのUNIですが、現在RIP170万代です。一年以上小説を放ったらかしにしてやってたわりには低いと思われるかもしれませんが、一時200万を踏んでいました。その後負けばかりで、スランプに陥り160万代まで落ちていました(T-T)メルブラが発売してからUNIに人がいなくなり、残ったのは強者でその人たちにやられる日々を送っていました。
 因みにですが、私もメルブラをやっています。しかし、システム面にやられる事が多く、若干挫折しています(-_-;)シールド周りが難しくシールドを取られてターンが変わり、そのままボコボコというのがいつもの負けパターンです。
 さて、小説についてですが、ツクヨミクロニクルに登場するゾハルをボスキャラにしました。このゾハルというキャラですが、プレイアブルになっていませんが、ゲーム内の資料でゾハルの事が詳しく書いてあったので、能力の描写に役立ちました。湾曲の能力が初期設定のようでゾハルの能力は、ツクヨミ曰く探抗う深杭(ピアッシングハート)、『二重身(ドッペルゲンガー)』らしいので、これに湾曲を含めれば、能力を二つ使えるという意味であればドッペルゲンガー感が増すのではないかと思います。
 長々と語りましたが、こうして完結までこられた事が素直に嬉しいです。電撃FCI小説を完結させて以来二作目の完結です。ここまで読んでいただいた皆さまには感謝しかありません(ToT)最後に感謝の言葉でこの作品を締め括りたいと思います。
 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました(^_^)/
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