だから私は黒揚羽が好きです。
それを見つけたのは、夏休みのこと。私が自転車に乗ろうとしたときのことである。
タイヤの空気が抜けている。私はタイヤをぐにぐにとやりながら空気圧の具合を確かめていた。まだこのころは夏休みと言えば暇で暇で仕方がなかった。あまり活動的な人間ではなかったので家にいるのが好きだった。花火やプールや祭りなどには出かけたが基本的には家で涼んでいた。何をしていたかは記憶があいまいなため明言できないが、とにかく家の外へ自転車で出かける用事があったのだけは覚えている。
なんだろうと私は思った。
汗で体がべとついていた。湿気と熱気で私はぼんやりとしていたが、すぐに見つけた。タイヤを支えるスポークの根元に何かが白い糸をつけてへばりついているではないか。
自転車にごみがくっついているなんてよくあることだ。
私はそのごみを捨てようとして、目を向けた。
だがそれはごみなどではなかった。蝶の蛹だったのである。なぜ蝶の蛹だと瞬時に看破できたかはわからないが、ごみではないと分かった以上、適当に捨てることはできなかった。
驚くべきことに、その蛹は消しゴムよりも小さいにも関わらず、しっかりと自転車のスポークにくっついていた。半透明、もしくは白い糸が蛹から四方に張られており、丁度テントを地面に固定するときのワイヤのようだった。糸の細さと言ったら、埃の塊をほぐして繊維を抜き出してみましたと言わんばかりであり、揺らせば蛹が落ちそうだった。
私はそれの処遇を決めかねていた。自転車を動かせば蛹が落ちてしまうのではという危惧があったのだ。自転車のタイヤは高速回転する代物である。回転することにより前進する。当然の機能であるが、はたして蛹は自転車のタイヤが生み出す遠心力と相対的な風に耐えられるのかどうかということだ。無理だろう。いくらか耐えることはできるかもしれないが、いつか落ちる。私はそう判断すると自転車を動かすことを諦めて、蛹を観察し始めた。ちなみに蛹を排除してそこらへんに捨ててしまうという選択肢はなかった。
ふと私は思った。はたして蛹はいつからついていたのかという疑問を。
蛹がどのような過程と方法を経て自転車のスポークに行きついたのかは知らなかったが、蛹自体はそれなりに時間が経過しているように思えた。自転車は昨日も使った。ひょっとすると私は蛹があることに気が付かず散々乗り回し続けてきたのではなかろうか。もしそうだとすると蛹は遠心力に身を震わせながら時を過ごしてきたことになる。確証はなかったが、私はそう決めつけた。なんと強い生命なのだと感動した。
さて、私はどうしたか。自転車は入用なのである。足は家族各々で一人一台しか用意されておらず、自分のは一台だけである。限りある資源は有効に使わなくては。
蛹が羽化するまでほかの自転車を貸してもらうのは、まさに『朝顔につるべ取られてもらい水』ではないか。私の都合を優先させるか、蛹を優先するか、悩んだあげく私は蛹を取り去ることにした。
慎重に、蛹に刺激を与えないようにして、白い糸を切る。想像以上の強度があり、パツンと指先に切断の衝撃があった。なんだ、強いじゃないか。意外だった。
――要するに。蛹の上下を正しくして固定すればよい。
当時から理屈でものを考える人間だった私は、蛹が羽化するにはどうすればいいのかを頭で計算した。
家族に相談してリビングに虫かご(透明なプラスチックケース製なのでかごというより容器である)に葉っぱやらなんやらを入れて、蛹が転がらないように固定した。セロハンテープで蛹を吊ることも考えたが、羽化した時に蛹のどこが割れるのかわからなかったので、止めた。
蛹に変化はなかった。毎日見ていても、ほとんどというよりまったく動かない。当然と言えば当然だが、朝顔などのように動きのある様子を想定していた私にとって、退屈だった。
蛹の中身がもぞもぞ動いたりしないのかとちょっと期待していたのが本音である。
――本当に羽化するのだろうか?
――死んでるんじゃないのか。
――自転車で中身がシェイクされちゃったんじゃないの。
などと家族と話していた。
遠心分離機よろしく回転され続け死んだとすれば悲しいことだが、もしそれならば蛹が腐り始めるはずであった。
蛹はじっとして動かなかった。
そんなある日、羽化した。予兆もなかった。
夜の間に羽化して翅を乾かしたのであろう、宝石のように美しい黒い蝶が虫かごの中にいた。外から入ってきた、わけもない。羽化したのだ。
私はその時初めて、その蝶が黒揚羽蝶であることを知った。蝶の蛹はとても小さかったが、羽化した蝶はとても大きく多くの面積を占有していた。蝶は綺麗だな、という対象に過ぎなかった価値観が変動した。蝶を必死で集めては飾って悦に入る収集家の気持ちを理解した。小さく、しかし誇らしげに翅を広げた蝶は生命力と若さに満ち溢れていた。印象としては翅がふわふわしていたように感じられた。
飼えないか。
私は自分の自転車にくっ付いていたという不思議な巡りあわせから蝶に愛着を抱いていた。なんとか飼えないかと考えた。蝶は蜜を吸う。ならば蜂蜜を餌にすればいいかもしれない。
散々悩んだ私だったが、蝶を自然界にかえすことにした。蛹から羽化するまでは私が請け負ったようなものでも、これからどうやって生きて死ぬかを決める権利などないと思ったからである。蛹を保護しておいて今更自然界について考えるなど、人間のエゴだなぁと思ったが、飼い殺しにするよりマシだろうと結論を出した。
私は母親同伴のもとで、家のすぐそばで彼もしくは彼女を離した。最初は外の風景に戸惑った風に蛹に抱きついていた黒揚羽は、やがて翅を広げると、ゆっくりと羽ばたいて高度を上げていった。
太陽の強い日差しの中を黒色が優雅に飛んでいく。
目を開けていられない。目を細めてなんとか追いかける。
黒揚羽は蛹というかつての姿を後に、私の自宅の隣にある家の壁へと近づき、そして屋根を越えてどこかへと消えてしまった。
残された私は蛹を指で弄っていた。
そんな夏の一幕があったことを今でも記憶している。