もしも、私の道が外道だったとして。

 もしも、あなたの道が正道だったとして。

 ねえ、姉さん────あなたに私が、止められますか?

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 初投稿です。


下種の騎士道

 グシャリ、と。何かが潰れる音がした。

 

 日陰の下、太陽の庇護の届かぬ暗がり。そこに飛び散る数滴の紅。僅かな暗さを含んだその赤は、見紛うことなく人の血液だった。

 

「ゆるしっ……」

 

 続く言葉は紡がれない。続くはずだった言葉は、側頭部を殴打した衝撃に遮られた。

 

 許しを請うたのはとある少女。他に伏せ、額から血を流し、多大な恐れと怯えを湛えた瞳で、視線の先を震えながら見つめていた。

 

 涙に歪む視界。その中で一切の感情を感じさせない一人の女が、手に竹刀を構えて立っていた。

 

「許す?」

 

 その女を表すとするなら、まさしく〝白銀〟であった。肩甲骨に届く程度の真っ直ぐな髪も、雪のような肌も、そして身に纏う絶対零度の雰囲気も、あらゆるものが純白に染まっていた。

 

 白銀の女から放たれた言葉は、同じく絶対零度の声音。そこに余計な感情(モノ)はない。言うなれば研ぎ澄まされた刃のような鋭利さ。しかしその刃は、泥のように粘ついた毒に汚れていた。

 

「許すも何も、私はあなたに対して怒りなど抱いていません」

 

 淡々と、事務報告でもするかのように白銀は告げる。この行為に憤怒は伴わないのだと。この暴力に赫怒は付随しないのだと。そう、彼女は言っている。

 

 ならば何故。その疑問は、続く白銀の女の言葉で掻き消された。

 

「ですが、これは私がやらなければならないことなんです。何せ()()ですから。私だって、やらないと明日が怖い」

 

 支離滅裂。理不尽な独りよがり。放たれた言葉の向く先は、今目の前で暴力に屈服させられた少女ではなかった。それはさながら壁に向かって言葉を吐くような、空虚な自己暗示のようにも見えた。

 

 怒りではなく、義務。やらなければならないと、そう白銀は語るのだ。誰かの指示で、この暴力は振るわれているのだと。

 

 しかし弁明のように聞こえるその言葉にも、声音を彩る感情(イロ)は見いだすことはできなかった。恐怖に支配されてこの行為を働いていると宣う彼女の瞳は相も変わらず中身を持たず、どこまでも空洞で、空白でしかなかった故に。

 

 血を流す少女は恐怖した。何故、ここまで感情の波を揺らすことなく人を殴れるのか。何故、手に持ったその竹刀という凶器を振るうことを躊躇わないのか。何故、この白銀には良心というものが備わっていないのか。

 

 ────ああ何故、ただの一般人である私は、このような理不尽を受けている?

 

「それっ」

 

 軽く聞こえたかけ声。子供のような無邪気さすら感じさせるその声とは裏腹に、少女の腹に叩き込まれた突きの一撃は重かった。

 

 内臓に感じた圧迫感。腹の中身を無理矢理押し込められるかのような激突に、少女は胃の中から迫り上がる不快感の塊を認識した。

 

 胃液と消化物の混ざった汚物が口から漏れる。喉を焼くような酸性が、落ちて広がり足下を汚していく。

 

「……汚いですね」

 

 そこで初めて、白銀の女はその瞳に感情(イロ)を宿した。

 

 軽蔑。或いは、侮蔑。それはたとえば踏み潰された蝶を見た時のようなもの。下等な存在(モノ)を見下す支配者(上位種)()

 

 再び白銀は振りかぶって、竹刀を薙いだ。それは少女の右腕に当たり、横へ打ち倒す。

 

「なん、でっ……こんな……」

「なんでこんなことをするのか、ですか?」

 

 白銀は少女の疑問を代弁した。読心に等しい白銀のそれに、少女は息を飲んで立ち尽くす。

 

 最初に言ったじゃないですか、と。白銀は溜息を一つ漏らした。

 

「これは私の意思じゃないんですよ。命令ですから。ほら、私みたいな小心者は、お上に『やれ』と言われたら逆らえないものでして」

 

 僅かに血の付着した竹刀を撫でて、白銀は色のない瞳で言う。

 

「ああ、また汚れてしまった。これ、結構落とすの大変なんですよ?

 元はと言えば()()()の悪口を言ったあなたが悪いんです。もしそんなことしなければ、態々私がまたこんな所に来る必要もなかったのに」

 

 うんざりしたような、或いは辟易したような口調だった。これまで幾度となく繰り返してきたと、そう言っているかのような口調だった。

 

 それを見た少女は、その様をひどく歪だと感じた。あまりにも歪んでいる。本当は何も思っていないくせに。本当は何も感じていないくせに。常識人の()()()()()()()()()をする。わざとらしくて、その言葉の裏にあるものを何一つ隠そうともしていない。そんな有様だ。

 

 故に、次に少女が発した言葉は、ある意味では当然のものだったのかもしれない。

 

「やっぱり()()()()()()()だよ」

「────今、なんと?」

 

 絶対零度の声音が、その下限を突き破る。白銀の声はマイナスの域を超え、その温度は時すら止まる紅蓮地獄の如く。それは紛れもなく、彼女が見せた初めての激情だった。

 

 それを知ってか知らずか、少女は早口に、昂ぶるままに捲し立てる。

 

「だってそうでしょ!? 高等部にいる()()()()()()の妹がこんな奴なんだよ!? なんの躊躇いもなく人を殴れてさ! ホント、姉が姉なら妹も────」

「黙れよ」

 

 瞬間、一閃。振り下ろされた竹刀は少女の右肩を打ち据え、甲高い音とともに悲鳴を奏でた。

 

 少女が肩を押さえ、膝をついて苦悶と苦痛に咽び泣く。白銀はその下がった頭を横薙ぎに蹴り飛ばし、少女を地へと伏せさせた。

 

「姉────姉だと? そうか、オマエも姉さんを知ってたか」

 

 先程までとは全く違う、丁寧さも冷静さも感じさせない、ただひたすらに冷たい声。そこにいるだけで人を殺すことすら出来そうな、明確な怒りの感情。先の白銀と今の白銀を同じ人物だと評することは、その少女には到底不可能な話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の前で姉さんを語るなよ────弱者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉を少女が認識した時、脳はそれとは別の信号に悲鳴を上げていた。

 

「嗚呼ァァアッッ……!」

 

 左手が軋む痛み。折れそうなほどの激痛。それを齎していたのは、他ならぬ白銀だった。

 

 その右足が、少女の左手を踏みつけている。ローファーの踵に体重をかけ、抉るように力を込める。手の機能を破壊する為としか思えない行為に対し、非力な少女は涙を流すことしか出来なかった。

 

 あと少しで、完全に手の内部を粉々にされる。痛覚が最高潮に達し、少女がその直感を抱いたとき、ふと左手が痛みから解放された。白銀が足を上げたのだ。

 

 何故、だとか、どうして、だとか。今度はそんな疑問すら湧かなかった。ただ単に『助かった』のだと。その安心感のみが、今の少女の感情の全てだった。

 

 僅かな喜び。もうこれで蹂躙は終わりだと、少女は苦痛からの解放に胸を踊らせ顔を上げた────次の瞬間。

 

「ああ、いけない」

 

 希望は転じて絶望へ。白銀の右足が、少女の額を踏みつけ再び地へと叩きつけた。

 

 先程額につけられた傷を掘り返すように白銀は足を回す。皮膚の内側に直接与えられる痛みが、少女の理性を責め苛んだ。

 

「またやってしまった。見えるところに傷をつけてはいけないと、そう毎回気をつけているんですが……どうしても、顔を傷つけたくなってしまう」

 

 その声音に、既に激情は無かった。紅蓮地獄から絶対零度へ。怒りはその影を隠して冷静へと。

 

「女の子ですからね。顔の傷は一生のモノ、特に気をつけなければならないモノです。ああ、可哀想に。あなたのその傷は、一生のモノになってしまった。

 ですから────私からの慈悲です。汚れの上塗りで化粧してあげますよ」

 

 それは、ある種の不気味さすら感じさせるものだった。この行為はただの蹂躙でしかないのに。それを悪びれもせず慈悲だという。純粋な矛盾を平気で宣う。それを不気味と言わずなんと言う。

 

 その時、少女は気づいた。先ほどの己の言葉の誤りに。

 

 変人の妹は変人。違う、そうではなかったのだ。()()()()()()()()()()()()()

 

 こいつは、この怪物(白銀)は────

 

「何せ、私は騎士道に殉ずる者ですから」

 

 ────一点の曇りもない、真性の下種だ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……ええ、終わりましたよ。彼女も反省したようですし、これで結構でしょう」

 

 その後、白銀の女はどこかへ連絡を取っていた。左手に持つスマートフォンという〝日常〟と、右手に持つ血のついた竹刀という〝非日常〟が、たった二つだけで捻じ曲がった空気を形成していた。

 

 背後には土にまみれた倒れ臥す少女。白銀はそれを目をくれることもなく淡々と話す。

 

「ええ、では、あとは任せます。私の仕事はこれで終わりですから。後始末はそちらの管轄でしょう。呉々も、今後の学校生活に影響の出ないように」

 

 その言葉を最後に、白銀は通話を打ち切った。ポケットから取り出したハンカチで、竹刀についた血を拭う。

 

 後に残ったのは、凄惨な暴虐の残滓。

 

「悪く思わないでくださいね。これが、私の騎士道なんですから」

 

 その一言だけ言い残し、白銀────若宮メルヴィは、彼女は一切の罪悪感すら感じていないような面持ちでその場を立ち去った。




 続かない。


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