長い目で見てください…
はじめの一歩
1935年1月
その日は朝から違和感の塊だった。
ベッドで目を覚ませば、見知らぬ天井が目に入り。寝ていたベッドもどこか埃臭く感じ、色も清潔感のある白ではなく灰色だったし、体を起こせばいつもより視点が低く、部屋も記憶にある自分の部屋ではなかった。
埃臭い部屋に置かれた古い鏡を覗き込むと、真っ直ぐなブラウンの髪で血のように赤い瞳の少女が映っていた。
(あれ、私こんな顔だったかな?)
顔はどことなく見た覚えがあるものだったが、自分の顔であると断言はできなかった。
不思議に思い、首を傾げると鏡の中の少女も同じ動作をした。
(とりあえず一個ずついこう。私の名前は……うん、ジル・リドル。今日で11歳。両親はいなくて、ここは孤児院……ってあれ、リドル……?)
自分の姓にひっかかりを覚えたジルが再び首をひねっていると、コンコン、と躊躇いがちなノックの音が響く。
疲れたような声の主は、恐る恐るといった様子で扉に向かって声をかけていた。
「……ジル?部屋にいますか?」
(誰かわかんないけど多分私に用事なんだよね?返事した方がいいか)
「はい、います」
「あぁ、良かった。……貴女に手紙が届いてます」
ジルが返事をすると扉を少しだけ開けて僅かな隙間から手紙を差し出した。
「……ありがとうございます」
ジルが手紙を受け取ると、声の主は顔も見せずに逃げるように扉を閉めて去って行った。
上質な紙の封筒に書かれた宛名を見る。
『聖マリア孤児院 2F 右から3番目‐一人部屋
ジル・マールヴォロ・リドル 様
ホグワーツ魔法魔術学校 入学のご案内』
「ホグワーツ……?」
魔法、の文字が目に入った瞬間、ジルの頭の中で一気に過去の記憶が駆け巡った。
かつての自分のこと、好きだった物語、そして自分の最期。
(ハリー・ポッターの世界なの……?)
そのことを自覚した途端、目の前の、目に映る景色が一変していた。
キラキラと光る空間に、何より手紙を持つ自分の手を見つめると、ゆらゆらと波のように揺らめくものが溢れている。
漠然とそれが魔力なんだ、と理解した。
魔法があって、何よりも自分の名前がかかれたこの手紙が、今のこの世界が、今まで自分がいたはずの世界とは違うという明確な証拠になっていた。
(リドルという姓に、ホグワーツ。私はトム・リドルの姉か妹になってる。確かトムは1926年に孤児院で生まれたはず。今は1936年の1月……この時点で私に入学許可証が届いてるってことはトム・リドルの姉?!私が?!)
パニックになりかけたジルは、落ち着こうと深呼吸してもう一度手紙へと視線を落とした。
蝋で封がされているそれを開けて中の手紙を取り出すと、そこにはやはり昔見た覚えのある文が書かれていた。
『ホグワーツ魔法魔術学校 校長 アーマンド・ディペット
親愛なるリドル殿
このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。
教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でふくろう便にてのお返事をお待ちしております。
敬具
副校長兼変身術科教授 アルバス・ダンブルドア 』
(わぁ、本物だー)
若干遠い目をしつつ、同封されていた教材リストにも目を通す。
最後の『七月二五日午後三時、入学前の説明に教員がお伺い致します』という一文に目がいく。
「確かマグル生まれの生徒には説明に回ってるんだっけ……。あれ、でもまだダンブルドアは校長じゃないのか。ってことはまだスネイプ教授も生まれてな……」
そこまで言って、ふと思い出す。
ハリーポッターシリーズを通して"生き残った男の子"を陰から守り続けた彼のことを。
(…………今ならまだ間に合う。私は、あの人に幸せになってほしい。だから、そのために何を犠牲にしても躊躇わない。私は私の幸せのために、あの人に生きていてほしい。見返りは求めない。彼が
ジルはかつての自分が”普通の人間”とは違うことを知っていた。
一を聞けば十を理解し、他人の些細な仕草や言葉の端から意図を察することが出来た。
それゆえに少女は”ヒト”に失望した。
結局のところ、真の意味で”ヒト”が”ヒト”を愛することはないのだと知ってしまったからだ。
だからこそ、彼女は物語という虚構に傾倒した。
剣と魔法の世界、空想ともいえる、現実ではない世界に。
そして見つけたのだ。愛する人のためにすべてを投げ出し、命すら賭けてみせたあの人を。
物語には存在しなかった”自分”がこれからの物語にどういう影響を及ぼすかわからないけれど、それでも、と少女は決意する。
(”私”はあんな結末赦さない。絶対に、覆してみせる)
不器用で、優しすぎる彼は、私の望む結末を良しとはしないだろうけど。
彼の心が彼女と共に死んでしまったのならば、私が彼の心ごと、彼の想い人も守ろう。
だが、彼女の子供は"生き残った男の子"にならなければいけない。
自分の知る道筋から逸れてしまえば、彼を助けられない。
だから彼女には眠ってもらおう。
誰にも知られず、誰にも悟られず、決して見つからない場所で、来るべき日まで。
最低だと罵られても、蔑まされても、嫌われたとしても、例え何を……自分の
私は、私の望みのために。
だからさぁ、まずは始めよう。
『―――初めまして、トム。私の可愛い弟』