1話完結です。
「なあ、後輩……」
「何ですか、先輩……」
「アタシらどうすりゃいいんだろうな」
「どうって言われましても……」
俺と小美浪先輩が訪れた温泉宿は、それはもう高級感溢れる素敵な部屋だった。いつか家族をこんな場所に連れてきたいと思えるくらいに。
しかし、俺達が今疑問を抱いているのはそこではない。
なんと俺達の部屋には、布団が1つしか敷かれていないのだ。
さらに、布団は1つなのに、枕はしっかり2つ置かれている。
な、何故こんなことに……
事の発端は三日前……
「うっ、うっ……合格おめでとう、あすみ……本当によく頑張った!!」
「お、親父、泣くなよ……大変なのはこれからなんだから……うっ……」
念願叶い、無事に医学部に合格した小美浪先輩。俺も無事にVIP推薦を獲得し、母ちゃんに負担をかけることなく、大学進学できるようになった。これは今までの人生で一、二を争うくらいに嬉しい出来事だ。今この場にいない古橋達も、心から祝ってくれた。
涙目の先輩は抱きついてくるおじさんを引きはがし、俺の方を向いた。
「後輩……その、ありがとな。お前がいなかったら、今のアタシはいないよ」
「い、いえ、先輩自身の力ですよ。俺は何も……」
「バカヤロー、そんな寂しい事言うなよ。一緒に頑張ったからこそじゃないか」
先輩は背伸びして、俺の頭をわしわしと撫でてきた。
「せ、先輩?恥ずかしいんですけど……」
「ん?照れてんのか?まあ、喜べよ。お前以外にこんなことしないんだからさ」
「…………」
そんなことを言われると、ますます照れてしまうのですが……。
先輩にされるがままになっていると、おじさんが咳払いをした。
「その……2人にプレゼントがあるんだがね」
「「?」」
おじさんは、ポケットから封筒を取り出し、先輩に手渡す。
先輩が中を確かめると、2枚紙切れが出てきた。
「何だ、これ……って、ええ!?」
「どうしたんですか、先輩?…………えええっ!!?こ、これって……」
先輩が持っている2枚の紙切れには、いかにも高級そうな旅館の写真と、宿泊券という文字が印刷されている。
「こ、これ……テレビとかに出るような有名な場所じゃんか……」
「ですね……」
「いやぁ……実はこの前、福引きで当たったんでね……2人に是非、行ってもらいたいんだよ。合格祝いにね」
「で、でも……合格祝いなら親子水入らずのほうがいいんじゃ……」
「いや~、そうしたい気持ちはやまやまなんだが、私は診療所を空けるわけにはいかないからね。それに、これを機にもっと2人の仲が深まれば私としても嬉しいよ」
「え?あ、いや……」
そう。おじさんは俺達が本物の恋人同士だと思っている。我ながらよくここまで誤魔化せたものだ。決して褒められたものではないけれど。
そこで、ある事実に思い至る。
そもそも先輩との偽物の恋人関係を保っていたのは、先輩がメイド喫茶でバイトしているのがバレないようにするためだ。
そして、先輩がメイド喫茶でバイトしていたのは、予備校の授業料を稼ぐため。合格した今となっては……。
そのことに気づいた俺は、胸の中に何やら切ないものを感じた。
「どうした、後輩?」
「いえ、何でもありませんよ」
チラリと目を向けてくる先輩に、何とか笑みを作り答えていると、おじさんが首を傾げながら口を開く。
「ふむ……君達は付き合っているのに、まだどこか余所余所しいね。あすみは未だに唯我君を後輩と呼ぶし……まさか、実は付き合っていないとか……」
「「っ!」」
*******
「まあ、結局勢いで静岡まで来ちまったが……」
「どうしましょうか?またどこかで写真は撮らなきゃいけないんでしょうけど」
「……なあ、後輩」
「?」
先輩は切なげに目を伏せ、胸元に手を当てた。
その仕草はやけにしおらしくて、先輩がかなりの美人だという事実に改めて気づかされる。
その仕草に見とれていると、先輩は顔を上げ、いつものように悪戯っぽく笑った。
「楽しもっか。せっかくだし。受験も終わったし」
「そ、そうですね!せっかくだし!一日中楽しんでいきましょう!」
「それは夜も……ってことか?」
「ち、違いますよ!何言ってんですか!」
「このスケベ♡」
「だから違いますってば!」
こうして、俺と先輩の旅行が幕を開けた。
*******
「へぇ~、恋人岬か……」
ここにはカップルが訪れる有名スポット『恋人岬』という場所があるらしい。ここならいい写真が撮れそうだ。
「……ほう、後輩もだいぶアタシの彼氏役が板についてきたな」
「そ、そうですか?」
そう言われると照れてしまうのだが……って、いかん!この流れは!
案の定、先輩はニヤニヤとこちらを見ていた。
「つくづく役得だな?もういっそ本当に付き合うか?」
「な、何言ってんですか!もう、からかわないでくださいよ!」
「……からかってないって言ったらどうする?」
「え?」
先輩は切なげな瞳をこちらに向け、距離を詰めてきた。
「どうする……?」
「せ、先輩?ちょっと……」
「なんてな」
甘い空気が一瞬にして雲散霧消する。ま、また引っかかってしまった……。
「だ、だからそういう冗談はいいですってば!ほら、写真撮りに行きますよ!せっかくだから観光もしたいし……」
「はいはい」
部屋を出ようとすると、背後から先輩の視線を感じた。
「冗談なんかじゃねえよ……ばーか」
「先輩?どうかしましたか?」
今、何かぼそぼそ言ってたような……。
少し顔を伏せた先輩は、さっと俺を追い抜き、スタスタと部屋を出て行った。
*******
「ふぅ~、旅行が久々すぎて、ワクワク感が上限突破してるんだが……」
「そういや俺もそうです。今度は家族みんなで行きたいな」
「おっ?それはアタシを改めて家族に紹介したいってことか?今日はやけに積極的じゃないか」
「だ、だから、そんなんじゃ……」
ああもう、そんなん言われたら必要以上に意識するじゃないですか!明日までは二人っきりだというのに、この人は……ん?
「どした、後輩?」
「い、いえ、その……先輩……手……」
何の前触れもなく、まるでそれが当たり前かのように、先輩はしっかりと俺の手を握っていた。
ひんやりとした小さな手は驚くほど柔らかくて、一気に鼓動が高鳴るのを感じた。
それに気づいたのか、先輩はニヤ~っとからかうような笑みを向けてきた。
「何だよ、照れてんのか?本っ当にウブだな、お前。仮とはいえ、恋人同士なんだから手ぐらい繋ぐだろ」
「え、ええ、それは、そうなんですけど……」
「ほら、さっさと行こうぜ、役得君♪」
「だから変なあだ名つけないでくださいよ……」
何だかんだ言いながらも、先輩の手を離そうとはこれっぽっちも思わなかった。
*******
まず最初に訪れたのは『ラブコールベル』。事前に調べた情報によれば、まずはこの鐘を鳴らせば……
「ちょっと待て後輩」
「どうかしました?」
「いや、親父からだ……」
おじさんからラインが来たらしく、先輩が画面をこちらに向けてくる。どうかしたのだろうか?
確認すると……え?
『恋人岬のラブコールベルは鳴らしながら三回恋人の名前を叫ぶといいらしいぞ!思う存分イチャついてきなさい!goodluck !』
おじさん!?
メールの内容に驚愕していると、先輩は呆れたような溜め息を吐いた。
「ったく、あの馬鹿親父は……じゃあ後輩。叫んでくれ」
「ちょっ……いきなり何言ってんですか!?無理ですよ!」
「大丈夫だって、アタシも一緒に叫んでやるから」
「そんなこと言われても……」
「お願いっ、ダーリン♪」
「っ……」
メイド喫茶で鍛えた可愛らしい営業スマイルの先輩が、腕に思いきり抱きついてきた。
肘の辺りで柔らかな感触が押し潰され、かなりやばい気分になる。ひ、卑怯な!
「わ、わかりました!わかりました!叫びます!叫びますから!ちょっと離れてください!」
「ふふっ、ありがと♪」
あしゅみー状態の先輩の手強さを改めて実感しながら、俺は鐘を鳴らすべく紐に手をかけ、大きく息を吸う。
ええい……ままよ!
俺は鐘を鳴らしながら、全力で叫んだ。
「せんぱーい!せんぱーい!せんぱーい!」
「…………」
……あ、あれ?先輩や周りの人がしらっとした目でこっちを見ている。
先輩は何ともいえない笑みを見せ、溜め息を吐いた。
「後輩、お前ここにきて天然かよ」
「えっ?……あ」
い、いかん。緊張のせいか、普段の呼び方になってしまった。
俺は気持ちを切り替え、もう一度鐘を鳴らし、叫んだ。
「あしゅみー!あしゅみー!あしゅみー!」
「ちょっ……おま……!その呼び方はやめろ!!」
*******
「恋人……」
「証明書?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、ラインの続きには恋人証明書の発行の詳しい手順が書かれていた。
何でも、婚約したら祝電と記念品がもらえるらしい。
当たり障りない内容にして、発行書を受け取ると、先輩は感慨深そうにそれを眺めていた。
「そっかぁ、結婚したら……か」
「先輩?」
「なあ、後輩」
「は、はい」
「アタシとお前が結婚したら、どんな家庭になるんだろうな」
「えっ、あ、いや、まあ、結構賑やかになるじゃないんですか?よくわからないですけど……案外子沢山になったりして……」
「へえ、子沢山かぁ……それって……」
「えっ、そ、そういう意味じゃ……」
「このスケベ♪」
この後、ひたすらからかわれまくりました。
*******
美味しい夕食に舌鼓を打ち、いつか母ちゃん達をこういう場所に連れてきたいと未来に思いを馳せていると、先輩が隣に寄り添ってきた。
ふわりと甘い香りが漂い、気持ちが落ち着かなくなる。
「せ、先輩?どうしたんですか?」
「別に~、ちょっと疲れたから休ませてもらってるだけだよ」
「えっ、大丈夫ですか?もしかして具合悪いとか?」
「違うよ。ただ久々にたくさん歩いて疲れただけだよ」
「す、すいません、気づかなくて……」
「だーかーら!一々謝んなっての。お前と一緒にいて楽しかったし。お前の隣、やっぱ居心地いいし」
「え?」
今、結構すごい事言われたような……。
先輩の方を見ると、何故かそっぽを向かれた。心なしか頬が少し赤い。
何だか胸がドクンと高鳴るのを感じると、その気まずさを断ち切るように先輩が立ち上がり、いつもの笑顔を向けてきた。
「じゃあ、そろそろ風呂入るか」
「あっ、そうですね。行きますか……」
*******
「まさか混浴限定とはなぁ……お前って奴はどんだけ役得くんなんだよ」
「いや、だから……もういいです」
なんとあの宿泊券。カップル用だからか、混浴用の温泉しかタダにならないらしい。俺は金を払うつもりだったが、先輩から「その分お土産増やしてやれ」と言われ、こういう流れになってしまった。
「……なあ、見るか?」
「見ませんよ!」
「言うと思った♪」
そう。先輩の裸がどうこうより、こういうからかいの方が色々恥ずかしい。見てない分、変に妄想してしまうというか……。
「おい後輩。いつまでも目閉じてないで空見ろよ」
「え?…………おお」
思わず感嘆の息を漏らす。
夜空は溜め息が零れるような満天の星空だった。
「綺麗ですね……」
「そうだな……」
ふと先輩の横顔を見ると、上気した頬と濡れた髪がやけに色っぽく、何だか普段の先輩よりもさらに大人びて見えた。
「どした?もしかして……本当に見たかったのか?」
「ち、違いますよ……」
かなり緊張するし、ドキドキするし、からかわれるけど、こういう時間も悪くない。いや、むしろ居心地がいいのかもしれない。
俺と先輩はしばらくそのまま星を眺めていた。
*******
そして今に至る。
前にも似たようなシチュエーションがあったが、その時とは色々違いすぎる。
先輩と同じ布団で寝るとか、正直自分を抑えきれる自信がない。
「じゃ、じゃあ、僕はその辺で寝ますんで」
「いいよ、別に」
「いや、でも……」
「お前が寝てる間に変なことする奴じゃないってのは知ってるよ。それに……」
「?」
「少しくらいなら……別にいいよ?」
「っ!」
先輩の挑発的な言葉に、視線に、自分の顔が紅くなるのを感じた。
しかし、先輩は何事もなかったかのように寝転がる。
「さて、寝るか。電気消すぞー」
「えっ、ちょっ……」
「後輩、寒いから早く布団かけてくれ」
「…………」
*******
電気を消し、布団を被ると、お互いの呼吸の音だけが聞こえる。背中合わせで表情が見えない分、その音はやけに強調されていた。
油断すると、心臓の音まで聞こえてしまいそうだ。
「なあ、後輩。まだ起きてるか?」
「はい」
「……ありがとな」
「えっ?どうしたんですか、いきなり……」
「いきなりじゃねーよ。言うって決めてたから」
「でもこの前……」
「あれは受験に関してだよ。今言いたいのは、何つーか……」
先輩は数秒だけ間を置き、ゆっくり噛み締めるように言葉を紡いだ。
「まあ、その……出会ってくれてありがとな」
予想だにしない台詞に、俺は言葉の意味を呑み込むのに時間がかかった。
俺は自分の口元が震えるのを感じながら、何とか口を開く。
「……お、大袈裟ですよ……でも、俺も……先輩と出会えてよかったです」
お互いに背中なので表情は窺えないが、先輩が微笑む気配が確かにあった。
「……そっか」
それきり先輩は喋らなかった。
再び静謐な空気に室内は満たされたが、さっきよりも緊張は薄れ、この距離感も居心地がよくなってくる。
やがて二人に静かな眠りが訪れた。
*******
翌朝、チェックアウトを済ませ、ホテルの外に出ると、穏やかな春の陽射しが降り注ぎ、ふわりとやわらかな風が俺と先輩を包み込んだ。
そのことに、もうすっかり冬は過ぎ去ったんだなぁと、喜びと切なさが同時に訪れる。
ふと先輩に目を向けると、ちょうど同じタイミングでこっちを向いた。
気恥ずかしい思いを自覚する前に、その薄紅色の唇が動く。
「なあ、後輩……」
「なんですか?」
「その……先輩っていうの、そろそろ止めにしないか?アタシら大学は違えど、学年は一緒だし……」
「え?で、でも……先輩の方が年上なのは変わらないですし……」
俺の言葉に、先輩はイライラした表情を見せた。
「だ~か~ら~!名前で呼べっての!」
「……あすみ……さん?」
たどたどしくその名前を口にする。
今思えば先輩を愛称で呼ぶことはあったが、こうして名前で呼ぶのは初めてかもしれない。
先輩は、満足そうな笑みを見せた。
「よしっ、じゃあそろそろ行くか……成幸」
不覚にもときめいてしまった。
いつもの小悪魔めいた笑顔は、やけに大人びていて、やっぱり先輩は綺麗だった。
「どした、成幸?行くぞ」
「あっ、はい!……あすみさん!」
俺と先輩……あすみさんは、並んで歩き出す。
これまでより、ほんの少し近い距離で。
そのことが嬉しくて……胸がどうしようもなく高鳴って……俺は……
「ん?何だ、成幸。とうとうアタシに惚れたか?」
「…………」
まだまだこの人に振り回されそうだ。多分……いや、きっと……。
ふと自分の胸の中に、ほんのり明るいランプを灯したかのような温かな感情が湧いてくる。
その感情に名前がつく日はそう遠くない気がした。