褐色肌の男の背中。
慣れてしまった洞窟の中の冷たさ。
反響する叫び。
そのどれもが明確に現実である事を頭に叩きつけてくる。
金色の髪と赤の衣服が揺れる。
風が頬を撫でる。
手を伸ばしても届かない。
これは現実であった。
けれど、現在ではない。
満足したように笑みを携え、男の首は胴体と分かれた。
ようやく伸びた手が、落ちそうな頭を抱き上げる。
溢れる赤が、手からこぼれ落ちる。
金色の髪を揺らした女が自分を見下していた。
女の肌は褐色に変化し、背丈も髪色も変わる。
見知った顔。水面に映る筈の自身の顔がそこにはあった。
「なんでお前は生きている?」
聞き慣れた声。誰でもない自分が語りかける。
首だけになった男の瞳が自分を見る。
何も映さない。光もない瞳に自分が映り込む。
男は何も言わなかった。
「──っ、はぁ……はぁ……」
まだ暗い部屋の中で目が覚める。
詰まった呼吸がようやく再開されたように、苦しさから逃れるように息をする。
冷や汗が噴き出す。
悪夢を見た。
詳細は覚えていない。
けれど、あの日、あの時であることはわかる。
終わった事実。
忘れることのできない現実。
叩きつけられる現在。
汗でへばりついた衣服。
深く呼吸を繰り返して、喉で詰まりそうな唾液を無理矢理飲み込む。
どうすればいいのかも、わからない。
何が正しいかも、わからない。
何も、自分にはわからない。
エメと呼ばれ始めて一ヶ月。
私は未だに、何も成してはいない。
「貴女に仕事を任せるわ。尤も、貴女が選択したときにも言っていたことだけれど」
ディーナ・ゲイルディアから呼び出されて言い渡された言葉は随分と端的で断れないものであった。
任せる、と言葉にしたが、まるで義務のようにディーナは口にした。
選択した。選択をさせられた。
エメにとっては変わらない事実である。逃げる事もできない事実と条件であった。
不満気に、嫌な顔をして了承するぐらいの抵抗しかエメには出来なかった。
エメが言い渡されていた仕事は組合に所属するようになっているベリル人達の聴取である。
ディーナに何を聞けばいいかを問えば、「適度に世間話をしてくればいい」と何とも要領の得ない言葉が返ってきた。
「あー、今はエメだったか?」
「うん……。その、様子を見て来いって」
最初に来たのは王都にある工房の一つ。
ベリル人の男は汗を服で拭いながら、工房を見渡し声を張り上げる。
「親方! ちょっと外れます!」
「あ゛ぁ!? 客なら客間を使え!」
「そういうのじゃねぇんですが……」
ベリル人の男が声を上げれば、工房の奥の方から濁ったガラガラとした声が工房に響き渡る。
どうにも答えにくいような男を見た親方は口をへの字に曲げて、二人の元へと歩み寄る。
太い腕と太い足。無造作に蓄えられた髭が太い指で撫でられ、煤で汚れた顔には汗が滴っている。
エメを頭から足までしっかりと見て、親方はニンマリと笑う。
「ダハハハ! いい趣味じゃねぇか!」
「そうじゃねぇんですって」
「あの組合長の使いだろう! ガキなのに仕事たぁ立派じゃねぇか!」
「ガキじゃない!」
「ダハハ! 威勢もいいな!」
「ああ、もう。客間は借りますから」
「ああ! テメェの仕事は他に割り振ってやらァ! 戻ってきたら存分に働かせるがな!」
バンバンと音が鳴るほど男の背を叩いた親方は豪快に笑いながら他の職人たちへ指示を飛ばしている。
どうにも困ったように男は頭を掻きながら溜め息を吐き出して、エメを客間へと案内する。
「茶は出せないぞ」
「いいよ」
閑散とした客間の外からは親方や職人たちの声が聞こえ、鉄を打つ音まで響く。
ベリル人の男は一息ついたように椅子に座り、エメも倣って長椅子に座る。
「で、何を聞きに来たんだ?」
「……どうかなって。上手くやれてる、とか?」
「なんだよそれ」
「知らない。ディーナが聞いてこいってさ」
もう一度、同じ言葉を吐き出しながら苦笑するベリル人の男を見て、エメは少しだけ口を開きそうになって、留まる。
「上手くかどうかはわかんねぇが。親方や他の兄弟子たちもよくしてくれてるよ」
「……そっか」
「少なくとも、奴隷だった時よりはマシに扱われてるな」
「……そっか」
相槌を打つことしかエメにはできなかった。
笑みが増えたと思う。少なくとも、自分達と一緒に行動していた時よりも。
「ヴィクラムのことは忘れたの?」
「……忘れるわけがないだろ。ただ、俺達は生きなくちゃいけねぇ」
「……だから、恨みは捨てろって?」
「……この生活を保証してくれてんのは、他ならぬディーナ・ゲイルディアだからな」
「…………」
黙るエメに気まずそうに頭を掻く男は言葉を選ぶ。
ヴィクラムという男がエメにとってどういう存在なのか。それは自分たちとは違う関係であった事も男は理解している。
だからこそ、男は言葉を吐かなくてはならない。
「ディーナ・ゲイルディアを恨むな。あの人を忘れろ、とは言わねぇが……。恨み続けたら、あの人も報われねぇ」
「……ッ」
「……睨むなよ」
「……ごめん」
「いや、俺も悪い……。お前がディーナ・ゲイルディアを恨み続けて何になる? 怒らせれば、俺達の明日も危うくなるだろう?」
「……」
エメは言葉を発することができなかった。
恨む事が正しくないのなら、自分はどうすればいい?
ヴィクラムを目の前で殺されて、何もできなかった自分は、どうして生きている?
「えぇ? どうしたらいいかって?」
幾度か木剣での鍛錬を繰り返して、何となく話せる仲となった赤髪のレイ。
ベリルの大人達は口を揃えて、「ディーナ・ゲイルディアを恨むな」と言う。
けれど、当の本人は「恨む権利がある」と言う。
だから、恨んでいた。恨む事が正しいと思っていた。
けれど、間違いかもしれない。大人達は間違いだと言う。
自分たちの明日の為に、恨むなと。
「あー、うーん……ごめん、アタシだと、こう、上手く説明できないかな」
「だと思った」
「コイツ……。事実なんだけどさ」
かなり先達に対して無礼であるが、エメへの怒りはなかった。数年前の自分も、似たような事をしたことがある。
エメの悩みは、少しだけ理解できる。
自分はその立場にはいないけれど、推し量ることはできる。
「こういう時は、賢いフィ……シエナが居るから頼ればいいね」
「……シエナは嫌い」
端的に友人を嫌いと称したことにレイは少しだけ眉を寄せた。
けれど、エメの表情から嫌悪の感情よりも苦手としていることは理解できた。鍛錬の時もそうだけれど、よく顔にでる。
エメがシエナを苦手にするのはわかる。
自分がディーナを苦手にしている理由と一緒なのだろう。元々がそうではあったけれど、ここ一年ほどで拍車をかけてディーナに似てきている。
「まあまあ。でも、ディーナ様に相談とかもしないじゃん」
「そうだけど……」
「ならそうやってウジウジ悩み続ける? アタシはそんな奴をボコボコにしても鍛錬にならないんだけど?」
「うっ……」
「まあまあ。話をするだけならいいじゃん」
エメの手を取ってレイは足を進める。
自分よりも力も弱いエメは容易く引っ張れた。引っ張りながら、シエナが言いそうな事を考える。
考えて、思いつかなかったのでシエナに直接聞けばいいか、と楽観的に考えが落ち着いた。
「……はぁ、なるほど」
木製の車椅子をキィと鳴らしながら白銀の髪をしたシエナは顎を手で隠した。
少しだけ、ほんの僅かに思考を整えるように、レイとエメへと言葉を投げかける。
「大人達の言葉に間違いはないでしょう」
「じゃあ忘れろっていうのか?」
「私には、その方が貴女にとってどれほど大切かはわかりませんが。それを知る大人達がそう言うのもおかしくはないでしょう」
「なんでだ!? それじゃあ、ヴィクラムはどうして死んだんだ!」
「貴方達を守る為でしょう。現にその方が主様に殺された結果が今です」
「……ッそれは、わかってる! でも」
事実である。
紛れもない事実であった。
だからこそ、エメは納得などできない。できるわけがない。
ヴィクラムが死んだのは仕方なかったのか?
自分達を生き残らせて、ヴィクラムは殺されるしかなかったのか?
そうであったなら。
そうであるなら。
そうでしかなかったのなら。
「……私は、貴女に主様を恨むな、とは言いませんよ。むしろ、恨み続けてもいいと思います」
「でも、それじゃぁ、おかしいじゃないか!」
助けたのも。奪ったのも。
ディーナ・ゲイルディアである。
矛盾する。恩を感じている。感謝もある。
矛盾する。恨みを感じている。殺したいとも思う。
相反する感情がエメの中には存在してしまう。
何が正しいかなどわからない。
いっそ自分が死ねば。ヴィクラムではなく、自分がいなくなれば。
溢れた感情が瞳からボロボロと落ちていく。
「恨み続けるなって他の人は言って! ディーナもアンタも恨んでもいいって言って! でも、恨んでる相手に助けられてて! じゃあどうしてヴィクラムは……ッ」
「……レイ、抱きしめてあげて」
「うん」
レイはエメの頭を胸に抱え込むように抱き締める。
嗚咽を溢しながら、レイの胸元に熱が籠る。
シエナはその様子を車椅子から眺めながら、自身の主へと溜め息を吐き出す。
追い詰めたのは主である。ある種の矛盾を、彼女に突き付け続けた。
エメが感情的だからこそ、この矛盾は解決できない。
どちらか一つだけ選べば、この娘は楽になるだろう。
けれど、どちらかを選ぶこともできない。
両方ともがエメ自身の感情なのだから。
理屈で無理矢理納得する方法も知らない。
結果として、勝手に追い詰められてしまったのだろう。
この為に自分とレイは呼び出されたのだけれど。
それはそれとして、荷が勝ちすぎる。
「ベリルの大人達の言葉は……正しいでしょう」
「そうかな?」
「彼らは主様とちゃんと会話したことがないでしょうし。明日を得続けている今を放棄したくはないでしょう?」
「あー……まあ確かに」
「じゃあ、恨むな、って?」
頭の上での会話に鼻をズビズビと鳴らしながら、エメは顔を上げて確認する。
大人達の道理。自分の感情。
両方とも自分にとっては間違っていて、両方ともが自分にとっては正しくも思う。
胸元を濡らすエメを見下げて、レイは不思議そう顔をする。
「え、なんで? 恨めばいいじゃん」
「え……それじゃあ」
「おかしくないよ。アタシもディーナ様には沢山の恩はあるけど、アタシの大事な友達を取られたし」
シエナは少しだけレイから視線を外した。
自身の事であるし、エメの状況とは違い自分は生きている。
そう言いそうな口を噤んで、シエナは小さく息を吐き出した。
「恩も恨みも一緒でいいじゃん」
「でも」
「それにディーナ様は「恨んでもいい」とか言ってるんだよね?」
「う、うん……」
「なら恨んでいいでしょ。助けられてる恩もあってもいいでしょ。エメは馬鹿なのに考えすぎだし、我儘なくせに変な所で遠慮するし、馬鹿だし」
「は、はぁ? 馬鹿じゃない!」
「いいや、馬鹿だね。何回も戦ってるアタシが言うから間違いないね!」
先程まで泣いていたのに、今はレイに対して食って掛かっている。
騒がしい感情だとシエナは呆れ混じりの溜め息を吐き出した。
「……はぁ。喧嘩なら外でしてくださいね」
「喧嘩にもならないよ」
「はぁ?! レイ! 許さないからな!」
「はいはい。それじゃあシエナ。ディーナ様にはいい感じですって報告しといてね」
「……ええ。わかったわ」
騒ぎながらも部屋から出ていった二人の背中を見ながら、シエナは目を細める。
以前までのレイであったなら、ディーナへの報告まで気が回らなかっただろう。
友人の変化を嬉しくは思う。思うのと同時に、友人が少しだけ前に進んでしまったことへの僅かな喪失感もある。
シエナは動かない自分の脚を撫で、もう一度息を吐き出した。
「よく書けた報告書ですわ」
夜半まで掛かったエメの報告書を眺めながらディーナは一言そう呟いた。
エメと呼ばれ始めてから学んだ文字や文章。上手く書けたとは決して言えない報告書。
けれど、ディーナはそれを眺めながら満足そうに「よく書けた」と言う。
エメからしてみれば嫌味の類であるし、ディーナ自身としては学び始めを考えればよく書けているという本心でもある。
「上手くない」
「ええ、そうね。けれど、要点だけはしっかりと書いているじゃない」
「……世間話の内容だけだ」
「ええ。私にはそれが必要だったもの」
ベリル人達がどう過ごしているのか。
職場上の不満や不安がないのか。
表面上は無いにしても、エメが出向いて聞き取りを行った時に溢れているかもしれない。
ディーナにとっては必要な情報であったし、杞憂も少しは拭えた。
「ご苦労様。これからも定期的に頼みますわ」
「……」
「? どうかしたかしら?」
「……お前は……私に恨まれてもいいのか?」
「私を恨む権利が貴女にはありますもの」
当然のことを当然として。ディーナは自身への恨みも許容する。
恨まれて当然のことをした。それ以外に選択肢がディーナにはなかった。仕方のないことであった。
けれど、それはディーナの都合に過ぎない。
「……大人達は、ディーナを恨むなって言うんだ」
「そうでしょうね。彼らの生活を与えたのは私ですもの。享受している彼らは、私の反感を買いたくはないでしょうし」
「じゃあ……私は?」
「彼らと貴女は……いえ、言い方が悪いですわね」
ジッと見てくるエメの視線に合わせるように、ディーナは少しだけ迷いながら言葉を探す。
「貴女個人として、私への感情は自由ですわ。彼らのように生活を守ることも間違いじゃないわ。貴女の感じている恨みも、間違いではない」
「おかしく、ない?」
「それを悩むのは貴女ですわ。私が答えを示すこともできるけれど、私個人の理念に反しますの」
「りねん……」
「まあ、つまらない矜持ですわ」
矜持として。理念として。エメの思想を強制するつもりはディーナには無い。
ディーナを恨む権利もある。義務はない。
ディーナに感謝する権利もある。義務はない。
「貴女が生きている。それが彼との契約でもありますわ」
「ヴィクラムとの」
「ええ。彼は貴女に生きてほしい。自分の命を差し出してでも守りたかった。だから私は彼の命を奪った者として、契約を守っているだけに過ぎませんわ」
「……」
「私の都合ですわ。すべて。だから、私には貴女達の感情や思想を御するつもりも権利もありませんわ」
ディーナ自身の都合でしかない。そしてヴィクラムの願いでもあった。
感情ではなく、契約として。
だからこそ、自分達の感情は自由である。何を抱こうと、何に感謝しようと。何を恨もうと。
ディーナは関与しない。
「じゃあ、私はどうすれば」
「知りませんわ。貴女が決めることよ」
冷たく、冷淡にディーナは言葉を吐く。
自分がどうしたいか。それはエメ自身で選択すべきことである。
ディーナが示すこともできる。けれどそれはエメの選択ではなくなる。
選択は自由であるべきである。
ディーナ自身がそうではなかったから。そう勘違いしてしまったが故に。
「アンタは、答えを知ってるのか?」
「楽な道はわかりますわ。教えるつもりはありませんけど」
「……」
ディーナの言う楽な道をエメはわからない。
何もわからないのだ。何が正しく、何が間違っているのか。
それでもエメは選択をしなければならない。
自分がどうしたいかを、決めなくてはならない。
「……アンタが、嫌いだ」
「ええ。そうでしょうね」
「……今は、それでいいかな?」
「……貴女が選ぶのなら。私は関与できませんもの」
「……やっぱり嫌いだ」
嫌いなディーナという人間。
憎いディーナという存在。
それは、ベリルの大人達からすれば間違っているだろう。
それでもエメは忘れることなどできない。
これは、きっと正しい感情だ。
だからこそ、エメは一つだけ息を吐き出す。
嫌いで、憎い相手に感謝をしている。
それは、間違いかもしれない。変かもしれない。
けれど、今の自分の感情はそれを正しいと納得している。
なら、今は選択をしない。
選択をする必要はあるかもしれない。けれど、今でなくてもいい。
「おやすみなさい、ディーナ、様」
「ええ、おやすみ。エメ。冷えるから、しっかり布団は被っておきなさい」
「……ありがとう」
ディーナのお節介に、エメは感謝を言葉にする。
エメは頭を下げて、部屋を出ていく。
どうしようもない感情の答えは出ない。
答えなどないかもしれない。
けれど、今はそれでいいのかもしれない。
全部、自分の気持ちなのだから。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん