瑞鳳が打った強心剤が弱りかけていた心臓に活を入れ、胡乱になりかけていたヴァリアントの意識が戻り始める。
「止血など必要な処置は施しました。あとは母艦に送還されるまでダメコンで艤装の浮力を維持する事に注力して下さい」
「了解した。本当にありがとうドクター。お陰で助かったよ」
丁寧にまかれた包帯を見やりながら、ヴァリアントは瑞鳳に深く感謝した。同時にふと自分より前に撃破された二人の重巡艦娘の事を伺う。
「モントローズとデヴォンシャーは? モントローズがかなりの深手を負っている筈だが」
「彼女は……」
瑞鳳は顔を俯けながら、ポケットに入れていた物を取り出して、ヴァリアントに見せた。
一〇分前。
「モントローズのバイタル低下! 早く医療搬送を!」
≪駄目だ、ホットゾーンにヘリは送れない! 曳航してホットゾーンから離脱を試みてくれ、なるべく近い所にヘリを送る手配を取る≫
「ああ、なんてこと……」
自身も負傷しているが、他の艦娘の手が離せない関係上、やるだけの事を施してやるしかなかったデヴォンシャーの腕の中で、制服を血に染め、ひゅうひゅうとか細い息を吐き、混濁していく意識の中で辛うじて生を繋いでいるモントローズの命が徐々に消え始める。
戦闘救命士でもない、簡単な全艦娘に共通の応急医療処置の講習を受けた程度に知識しかないデヴォンシャーがファーストエイドキットで施せる処置は多く無く、止血処置も完全とは言い難いモントローズの身体から徐々に血が失われていく。体内に酸素を循環させる血液が失われ、活力を失う一方のモントローズの心臓は徐々にその正常な鼓動を打てなくなり、悪循環の一途を辿っていた。
そこへようやく瑞鳳の救援が到着した。重傷のモントローズと軽傷のデヴォンシャーに航跡波をぶつけない様、微速でそばに寄って来た瑞鳳が、背負って来た医療キットの底部にバルーンを展張させて海の上に置けるようにすると、モントローズの脈を伺う。
「意識は?」
「数分前から混濁し始めてるわ。早く何とかしないと」
「バイタルが安定していない。心臓マッサージを」
素早く止血処置を、それもデヴォンシャーが施したものよりも本格的なものを手早く施し、患部からの失血を防ぎ、生理食塩水の点滴を施すと、瑞鳳は両手で力いっぱいモントローズの胸を強く押しつぶすように力を込めて心臓マッサージを行う。必要な回数を複数回実施し、モントローズの様子を伺うが、駄目な気配がした。
血染めのモントローズの制服を見る。自分よりも大きい胸部に一瞬目が行くが、それよりも問題なのはどうやって開胸させるのか、瑞鳳は知らない事だった。
「胸」
「え?」
「AEDをやるには胸をはだけるしかないのだけど、私はこの制服をどうやって引っぺがせばいいのか分からないのよ。貴女同型艦でしょ? 彼女の制服を脱がしてあげて」
「りょ、了解」
デヴォンシャーの手でやや複雑な構造のモントローズの制服が脱がされ、彼女の胸部が露になると、瑞鳳はデヴォンシャーに下がる様に指示すると、AEDをチャージして、電極を押し付ける。
衝撃がモントローズの身体を跳ねさせ、乱れる心臓の鼓動を清浄に戻す電気ショックがモントローズの心臓に走る。再度心臓マッサージを行い、脈を伺う。
「モントローズ、しっかりして!」
姉の手を取るデヴォンシャーを横目に瑞鳳は焦りを滲ませ、医療用手袋をはめた手の甲で額の汗を拭う。駄目だ、自分の装備をもってしても、この傷はどうにか出来るものではない。医療ヘリを呼んで緊急搬送する以外ない。だが今自分達がいる海域はホットゾーンに指定されていて、ヘリを送る事が出来ない。
とにかく出来る事をしなければ、と瑞鳳は心臓マッサージを続けた。だがモントローズの状態が良くなる気配はない。
更に二回AEDでショックを与え、心臓マッサージを続けたところ微かにモントローズが反応した。
「しっかりして、モントローズ!」
「……」
何か母国語でモントローズが消え入りそうな声で言った。それを聞いたデヴォンシャーが「NO!」と叫ぶ。小さすぎる声でかつ何をすべきか考えるのに一杯だった瑞鳳には聞き取る暇がなかった。
その時、デヴォンシャーが掴み握っていたモントローズの左腕が弛緩し、モントローズの身体そのものが完全に力を喪った。
発狂した様にモントローズの身体にしがみ付いてデヴォンシャーが「NO!」と喚き叫び散らす。言葉は多くは必要なかった。瑞鳳にはただ救えなかった、助けられなかった、と言う苦く、つらい喪失感と敗北感がじわりじわりと胸を締め付けた。
「ねえ! なんとかして!」
「もう……駄目よ……ごめんなさい」
涙でぐしょぐしょに濡れた顔を振り向けて縋る様に瑞鳳に叫ぶデヴォンシャーの視線が痛かった。母国語でデヴォンシャーが喚き散らしながら瑞鳳の小柄な体を殴りつけた。
いつの間にか戻って来ていたチェスターが取り乱すデヴォンシャーの肩に手を置いて、顔を横に振った。
「亡くなったわ……安らかに眠らせて、神の元へ召させてあげましょう」
遂に子供のようにデヴォンシャーが大声で泣く声が海上に響き渡り、チェスターとベッドフォードの嗚咽がそれに微かに混じった。
失意を抱えて瑞鳳が次に向かったのはジェームスの所だった。
状態を伺った時点で瑞鳳は拳に血が滲まんばかりに握りしめ、歯が砕けんばかりに噛み締めた。血の気を完全に失ったジェームスは、助かる見込みを喪っていた。患部から溢れる血が彼女と言う人間が助かるのに必要不可欠な量を下回る程の失血を起こし、失血性ショックを起こしていた。
「ごめんね……」
せめて楽にしてあげようとモルヒネを打つ。ジェームスの苦しそうな顔が安らかな顔になり、最期に「Dad……Mama……」とか細い声で呟いた後、安らかなすっきりとした顔でジェームスは息を引き取った。
可哀想に、と瑞鳳は自分と大差のない大きさのジェームスの身体を抱きしめ、消えてゆく温もりを看取った。
瑞鳳が差し出したモントローズとジェームスのドッグタグを受け取ったヴァリアントは、動く右手でそれを握りしめた。
「残念だ……だが、君の努力には感謝する。ありがとう」
意外なほどに流暢な日本語で自身も左半身が血染めも同然の状態ながら、一命はとりとめている戦艦艦娘ヴァリアントは瑞鳳に深く一礼をした。
いっそ、何故君が居ながら助けられなかったのか、と責めてくれた方が、気が楽だった、瑞鳳は胸を満たす罪悪感に噛み締めた白い歯をむき出しにして、顎を震わせながら両目から溢れ出る熱い雫をだらだらと零して、壊れた人形のようにヴァリアントに向かって謝り続けた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
心が壊れたかのように謝り続ける瑞鳳に、ヴァリアントはそっとドッグタグを艤装の中へ仕舞うと、動く右腕で瑞鳳を抱き寄せた。
「君は最善を尽くした、良いんだよ……君は悪くない」
中性的とも言えるヴァリアントの優しい語り声が嗚咽を漏らす瑞鳳にかけられる。
戦艦艦娘としては静かな航跡波を立てて自分の元へ無言で寄って来たウォースパイトに、ヴァリアントは顔を振り向けずに「Two K.I.A」とだけ返した。ヴァリアントとて決して心穏やかだった訳では無い。彼女の碧眼の周りを覆う白目は赤く充血していた。本当は彼女も仲間の死に涙したい所だったが、今自分が泣いてしまったら、二人の艦娘を看取った瑞鳳の心は本格的に壊れてしまうかもしれない、その思いがヴァリアントを踏み止まらせていた。
「二名戦死……か」
残存する英国艦娘に曳航されてホットゾーンから引き揚げられたモントローズとジェームスの遺体を見送った愛鷹は、深々とため息を吐いた。
戦闘は一時的にだが収束している。西部戦線では引き続き深海棲艦艦隊との戦闘は行われるか、捜索撃滅戦に移行している様だったが、北部戦線は台風の目の中にいるのと同じ静けさを取り戻していた。
青葉の瑞雲偵察の結果、北部戦線へ至る海域上に展開する敵勢艦隊は確認出来なかった。北部戦線では深海棲艦艦隊を駆逐できたと言っても過言では無いだろう。だが代償に国連海軍は二名の艦娘を喪った。代わりのいない、世界に一つだけの花が二つ、花弁を散らして枯れた。
おもむろに葉巻を取り出して口に咥え、ジッポで火を付けた。込み上げて来る心理的なストレス発散に逃げずにはいられない。ここで発散しておかないと自分が壊れてしまうかのような感覚に陥る。
自分の率いる隊で発生した犠牲では無いにせよ、艦娘が戦死したと言う現実に、顔色一つ変えずに平静を保っていられる程、愛鷹は冷酷では無い。誰かの娘であり、誰かの姉であり、誰かの妹であった女性二人の死は、これまで繰り広げられて来た深海棲艦との長い戦争の中では、小さな犠牲の一つに過ぎないのかも知れない。それでも人間の命が二つ、理不尽な形で終焉を迎えた事に愛鷹は憤りと悲しみを覚えていた。
海上の風に吹かれて葉巻の先から立ち上る細い煙が流されていく。両手をポケットに突っ込んで一人立ち尽くしていた愛鷹の所へ、被害状況の纏めが終わった青葉が報告に来た。
「戦死は二名。ブリュッヒャーさんとデヴォンシャーさん、それとヴァリアントさんは何とかなりそうです。
英国艦隊水上部隊は戦列から四人を喪ったので、戦闘能力を喪失と判断され、後方へ下がる様司令部から指示が下りました。ドイツ水上打撃部隊とフランス戦艦戦隊は戦闘継続を下命され、カール・ガルスターさんがブリュッヒャーさんの抜けた穴を埋めるために、ドイツ艦隊へ編入し直されたとの事。
我が第三三戦隊は再編が完了後次の指令を待て、との事です。リヒトホーフェン隊、イントレピッド隊は作戦を継続中です」
「了解です、瑞鳳さんを英国艦隊の随伴につけて離脱させましょう」
「瑞鳳さんを?」
「あの精神状態では、まともな行動も無理でしょう」
葉巻を右手でもって溜息と共に煙を吐き出しながら愛鷹は言った。まあ確かに、と青葉は痛まれない顔で瑞鳳の方を見る。今は夕張や衣笠らに慰められているが、血に濡れた巫女服を思わせるノースリーブの弓道着風の制服を着た瑞鳳はまだ嗚咽が止まらない様子だった。相当に精神的にダメージを受けているらしい。
「二人も自分の手の中で逝ってしまっては、常人だろうが超人だろうが平常心で居られる訳がありませんよ。自分の腕の中で仲間が斃れ、命散らしても何とも思わないのは、人間性が腐った戦争屋か、他人への共感度の極めて低い薄情な人間くらいでしょう」
「確かにそうでしょうね。では、瑞鳳さんは戦列から離脱で第三三戦隊は爾後、愛鷹さんの烈風改二で必要時は防空戦闘、偵察は青葉の瑞雲に一任、と言う形に移行します」
「了解」
再び葉巻を咥えながら愛鷹は頷いた。
何か言いたげな顔をする青葉に愛鷹は煙を吐きながら「何か?」と問うた。
「口がヤニ臭いです」
「……失礼」
そう言いながらも愛鷹は葉巻を吸うの止めなかった。ただ、口臭ケアは今後もっとしっかりやろうとは思った。
ようやく深海艦載機群の残存機が撤退し、空と海の両方に戦闘の喧騒が無くなり、静けさが戻った後、海上には今度は負傷者のうめき声と医療搬送の為の輸送機のエンジン音が鳴り響きだしていた。
手酷くやられたなと西部戦線の北米艦隊の一員である戦艦艦娘のアイオワは黒煙が幾つも上がる海上を見渡して、ため息を吐いた。
艦隊の中核をなすエセックス級空母艦娘やインディペンデンス級軽空母艦娘の多くが被弾し、艤装から炎上の炎と黒煙を上げている。空母艦娘だけではない、随伴護衛の重巡、軽巡、駆逐艦と言った艦娘達にも多くの被害が発生していた。
「Damage report」
アイオワはヘッドセットに手を当てて、各艦娘の損害把握に努める。
「空母で稼働可能なのはホーネット、レンジャー、ラングレーの三人だけだ。他は皆被弾して、発着艦不能。巡洋艦も駆逐艦も相当数やられたな」
手早く損害報告をまとめていた重巡艦娘のタスカルーサの報告にアイオワは唇を噛んだ。艦隊の半数以上は損害を負っていると言っても過言では無いだろう。撃沈され命を落とした者はいないが、艦娘として当面の間の戦闘行動不能になった者は非常に多い。
互いに肩を貸して回収に来た輸送機へと負傷者を運ぶ仲間を見やりながら、ホノルルが両膝に手を落として深くため息を吐いた。
「はあ、派手にやられちまった……」
「敵機の数が多すぎたわね」
ホノルルの傍らに立ちながら、ブルックリンが左腰に手を当てて、右手で妹の頭を撫でる。ブルックリン級姉妹も対空戦闘を行って空母と自らを守らんと奮戦したが、健在なのはブルックリンとホノルルの二人にまで撃ち減らされてしまった。戦死者が出なかったのは不幸中の幸いだが、西部戦線で最大勢力を誇った北米艦隊がここまでボロボロになってしまっては、国連海軍の攻勢にも影響が及ぶ事は想像に難しくない。
残存する北米艦娘艦隊に再編を命じながらアイオワは、自分達はまだいい方だと自分自身に言い聞かせるように無言で北の方へ視線を向けた。共有されて来た英国艦隊の惨状からすれば、戦死者が出なかっただけ、自分達は運が良かったと言える。
「どの程度の深海棲艦艦艇を撃沈出来たか、だよなあ」
爆弾一発が命中して火災の跡と、一部が損傷した艤装の応急修理を実施しながらサウスダコタが言う。深海地中海艦隊の空母艦載機の大半を引き付け、更に総勢一二名にも上る空母艦娘から空母航空団の全力出撃を繰り返して、複数の深海地中海艦隊空母機動部隊へ波状攻撃を仕掛けたのだ。良くて優勢、悪くても相打ちにまで持ち込めていれば、自分達が払った損害も許容できる。
「これだけ徹底的にぶちのめされたんだ。奴らも徹底的にぶちのめしていないと腹の虫がすかないぞ」
「戦果確認に偵察機を送るべきね。ホーネット、偵察爆撃隊は出せる?」
「損耗が激しくて無理ね。この後も航空攻撃を実施するのだとしたら、ある程度の機数は確保しておかないと、私が置物になってしまうわ」
溜息交じりに答えるホーネットの言葉に、アイオワはふむと考え込むと、シーガル1に通信を繋いだ。
「こちらアイオワ。シーガル1へ、一つ頼みがあるのだけれど」
「北部戦線の戦況報告が入りました。英独仏、それに第三三戦隊は共同で単艦強襲を仕掛けて来たス級を撃沈せしめるも、ス級の砲撃に寄り、重巡モントローズ、駆逐艦ジェームスがK.I.A。他戦艦ヴァリアント、重巡デヴォンシャー、ブリュッヒャーが損傷。ヴァリアント及びブリュッヒャーは大破、作戦継続不能により後方へ後送されました。
また西部戦線は攻勢の主軸を担う北米艦隊が深海地中海艦隊空母機動部隊との航空戦で、艦隊の凡そ半数が行動不能に陥りました。現在、残存艦艇は旗艦アイオワ、及びホーネットを基幹に再編成中。日本艦隊及び南部戦線の艦隊は依然健在です」
通信参謀の報告に欧州総軍司令部要員はうめき声を漏らす者、溜息をもらす者、ディスプレイのマップを見つめ直す者とバラバラな反応を見せた。
その中でも英国艦隊の指揮官たるロックウッド卿は酷く落ち込んでいた。
「二人、戦死か……ご家族へ何とお詫びすればいいのか」
肩を落とすロックウッドだったが、暫しの間をおいて顔を上げて傍らの英国艦隊の参謀に艦隊の再編を命じた。
一方の武本はターヴィと共に作戦台のマップを見下ろして、状況を視覚的にも整理していた。
「攻勢の主力部隊だった北米艦隊が戦闘能力を大幅に失ったのは痛いな……」
「日本艦隊と南部戦線のリヒトホーフェン隊、イントレピッド隊は健在だし、北部戦線も言っちゃ悪いが二人死んだだけだ。北部戦線の空母部隊は健在だし、ドイツ艦隊も重巡が一人欠けただけで、主力艦たるビスマルク級の二人は無傷だ。そう悲観する事にも思えなくは無いがな」
苦い表情を浮かべる武本にターヴィが比較的楽観的な見方を述べる。武本は第三三戦隊が確認したアンツィオ沖の深海棲艦の布陣状況を見せながら、容易い事ではないと語る。
「アンツィオに展開する深海棲艦が問題なんだ。ス級elite級三隻に加えて戦艦水鬼、戦艦棲姫、空母棲姫、超巡ネ級改Ⅱ、軽巡へ級改flagship級がそれぞれ六隻、防空巡ト級flagship級が二隻、同ツ級flagship級四隻、大型駆逐艦ナ級が二〇隻、駆逐艦ニ級後期型flagship級が四隻、更にPT小鬼群が無数と言う編成なのが判明している。更に未確認の深海棲艦に加えて陸上型も多数展開している事が確認済みだ。
戦艦棲姫は型落ちが否めないとはいえ、火力そのものは絶大だし、何よりト級とツ級、ナ級が対空防御の陣を敷いているから、航空攻撃が無力化される可能性が高い。空母艦娘の艦載機全てを戦闘機に置き換えて、戦場海域における航空優勢を確立する事に注力する以外に空母艦娘の使い道は無くなった布陣と言える。
あとは……失ってもさほど腹は痛まないA-10ドローン隊を突入させて、深海棲艦に良い感じの打撃を入れられれば、少しは状況が好転すると思うが」
「艦娘艦隊にワイルド・ウィーゼル的な役目を任せるのはどうだろうか?」
そう発言するターヴィに武本はどう言う内容かと無言で先を促した。
「簡単に言えば、持てる艦娘艦隊の全ての火力をまず防空の要となる深海棲艦の軽巡、駆逐艦にぶつける。これを持って敵防空網を破壊し、航空隊の突入路を確保する」
「ト級やツ級、ナ級を排除できてもス級がいる。奴のelite級の対空火力はこれまでの交戦結果からト級flagship級と同等かやや下位と判定されている。ス級の巨体から言って載せられる対空砲も大きいから、通常の航空機の空爆へのアンチAAを担えるだろう」
「じゃあ、正面切って水上戦部隊を突入させるしかないと?」
「一応、航空攻撃をドローンに絞れば人的被害は一切出ない。ロシア方面軍でも使われているゲラン4自爆ドローンがあれば、ドローンの撃墜も覚悟の自爆攻撃で何とか出来たかもしれないが、生憎ここには自爆ドローンがない。となれば全滅覚悟でQA-10を突入させるくらいしか、CAS(近接航空支援)は望めないだろう」
「一機数十億ドルをダース単位で溶かす……軍需産業は儲かるな。『風が吹けば桶屋が儲かる』論と言う所か」
「艦娘と言う人間が死ぬよりはずっと安い痛手さ」
いつの時代だったか、人間の命は地球よりも重いと発言した政治家の言葉を脳裏に浮かべながら武本は返した。
激戦となったアンツィオ沖での艦隊決戦は、北米艦隊が最後の空襲を退けてから二時間後に日没を迎え、一時の戦闘の区切りを迎えた。
しかし砲火は一時的に止んでも、第三三戦隊の戦いが終わった訳では無かった。アイオワからの頼みで北米艦隊の空爆の戦果確認を依頼された第三三戦隊は夜陰に乗じて深海棲艦が多数展開する海域へと舵を切った。
西部戦線を構築する北米艦隊の艦載機部隊が深海地中海艦隊空母機動部隊と交戦した海域へ向けて、第三三戦隊は第一戦速で進入しようとしていた。太陽は赤い西の水平線の彼方へと沈み、夜の帳が舞い降り始めている。本格的な「闇」に包まれる海域を、第三三戦隊のメンバーは殆ど無言で進んでいた。
瑞鳳が精神的に参ってしまったのと、夜間の航空機の発着艦運用が出来ない事から戦列から外され、今は旗艦愛鷹を先頭に、青葉、衣笠、夕張、深雪、蒼月と言う六人で単縦陣を組んで進撃していた。
ただの夜の海域では無く、曇天も加わるだけに月明りも期待できない文字通り暗黒の世界と化す海上を、暗視装置を付けた六人が進む。
サングラス型、と言うよりはサングラスそっくりの暗視装置によって緑に描画される世界を見つめながら、六人は暗闇が覆いつくす海上に視線を巡らせ、そのサングラス型暗視装置の可視範囲内にあるものを探っていた。
上空では青葉から発艦した夜間瑞雲が空を舞い、夜戦装備を駆使して、艦隊の目となって愛鷹達の周辺警戒に当たっていた。シーガル1との通信は維持しているし、データリンクも機能しているが、万一、羅針盤障害などの深海棲艦展開海域固有の通信妨害で通信が途切れた場合は夜間瑞雲による上空からの警戒監視が頼りだ。
艦隊上空では二機が番の様に飛び回って警戒監視に当たる一方、二機が先陣を切って進路上の警戒に当たっていた。
夜の帳が周囲を覆いつくし、右も左も前も後ろも、足元さえも真っ黒な世界になる中、先行する夜間瑞雲、アオバンド0-1から深海棲艦艦隊との触接を果たした旨の報告が届いた。傍受を避けるために低出力通信である為、やや受信に時間がかかった。
北米艦隊の交戦した空母機動部隊は空母棲姫や軽空母ヌ級、正規空母ヲ級改Ⅱを合わせて空母だけでも一五隻は確認されいた。随伴護衛艦も含めれば六〇隻近い大艦隊だ。当初アンツィオ沖に展開していた深海棲艦は一〇〇隻を下らない大規模さを誇ったが、いくらかの水上戦力は日本艦隊と北部戦線の英国艦隊の戦いで撃破されている。しかし、まだ戦艦棲姫四隻が丸々残っていた。
これら分艦隊と思われる深海棲艦艦隊が上げた戦果は狭霧大破、矢矧中破、武蔵小破程度であり、ほぼ一方的に返り討ちに会って壊滅している。昼間の戦闘で重傷をおった狭霧は既に「マティアス・ジャクソン」に収容され、医療措置を受けた事で事なきを得ていた。
「アオバンド0-1より一方通信。艦隊前方に敵艦艇群を確認。サーマルにて炎上中の艦を複数確認。空母と思われる。
続報、敵艦隊複数が集結しているのを確認。ワレ敵艦隊上空にて触接を開始、敵の迎撃無し。敵艦隊規模は凡そ五群程度と推測。健在なる空母は現時点で確認出来ず」
事務的な抑揚ある声で青葉が、自身の瑞雲から一方的に送られてきた通信の内容を読み上げる。即席の暗号文を自動解読したモールス信号を脳内で文章に変換して読み上げる青葉の報告に、愛鷹は触接出来たか、と胸中で呟いていた。触接、つまるところ広義で言うなれば「敵の近くに潜んで敵状を捉え続ける」を意味する。偵察衛星が使えない現在の戦争において偵察機による深海棲艦への触接は重要な意味を持つ。リアルタイムで深海棲艦の行動状況が把握できるのだ。無論対空砲火や迎撃機によって撃墜されるリスクはあるが、夜間の暗闇による視界の悪さは深海棲艦にも等しく不利な状況として働くらしく、またどういう訳か深海棲艦は対空レーダーと言う目視要らずの照準が可能な装備を持っていても、夜間に対空射撃を行う事はまず無かった。変わりに夜間戦闘機が迎撃に上がって来る事はあるが、艦娘艦隊の夜間艦上戦闘機程の性能は無いらしく、振り切ろうと思えば案外下駄履きと呼ばれる水上機でも簡単に振り切れる事はざらだった。
今の深海棲艦の艦隊群はどうやら昼間に北米艦隊と航空戦を繰り広げた地中海艦隊空母機動部隊の残存戦力らしかった。夜間戦闘機が上がって来ない辺り、航空戦力を消耗し切っているか、母艦となる空母系の深海棲艦の発着艦機能を回復出来ていないかのどちらかの様だった。
ヲ級やヌ級は兎も角として、ダメコン能力が高いと思われる空母棲姫系ですら発着艦機能を回復出来ていない、となると最悪自沈処分もありえなくはない。とは言え、安直に仲間を見殺しにする程、深海棲艦は仲間意識が低い訳では無い。何とか自力航行が可能な様に努力しているのかも知れなかった。
だが仮に自力航行可能にまで復旧させたとして、本格的な修理を実施できるような設備のある深海棲艦はこの辺り一帯にはいない事が分かっている。アンツィオに展開しているのが確認されている補給基地兼陸上火砲基地として機能する陸上型深海棲艦の集積地棲姫には、水上艦型深海棲艦への修理機能を持たない事が確認されているし、同じように陸上型の泊地水鬼、飛行場姫はそれぞれ陸上砲台兼航空基地、後者は航空基地として機能する為、大きな損傷を受けている水上艦型深海棲艦の修理は不可能だ。
やれる事とすれば、マルタ島の本拠地へ損傷艦を後退させて修理させる事だが、マルタ方面はリヒトホーフェン隊とイントレピッド隊が事実上の封鎖網を敷いている為、シチリア島とイタリア本土の間のメッシナ海峡を強引に突破するか、ファビニャーナ島周りでマルタ方面へ後退するかの二種類の選択を選ぶしかない。メッシナ海峡はイタリア半島南部に取り残されていた陸上軍の制圧下にあるので突破は容易ではない。となればファビニャーナ島周りで行くしか無いが、その前にはリヒトホーフェン隊とイントレピッド隊の二個空母艦娘艦隊が、支援艦「ズムウォルト」に支援されて展開しているので、損傷艦だらけの深海棲艦にはある意味自殺行為の突破行となる。
深海棲艦にとっては八方ふさがりの状況と言えた。今日の海戦で深海棲艦はなけなしの燃料や弾薬を大幅に消耗している筈だから、残存艦艇の残弾、残念量は乏しくなっている筈だ。そして目下それに対する補給が来る気配はない。集積地棲姫にまだ予備物資が残っているならもう一戦、二戦は可能だろうが、相手は確かな補給線とそこから提供される潤沢な補給物資に支えられた国連艦娘艦隊だ。消耗戦になった場合、不利なのはどちらなのかは明白だ。
そこまで考えて愛鷹は残存する深海棲艦、特に今日艦娘艦隊と交戦した深海棲艦艦隊の末路が何となく見えた気がした。まだアンツィオに展開して動かない防衛艦隊に残った燃料や弾薬を提供して自沈してしまうのではないか? あるいは自沈はせずとも、艦娘側の攻撃から防衛艦隊を守るための盾として機能するのではないか。
可能性としては充分あり合えるだけに、ほんの少しだが愛鷹も深海棲艦のひもじさに憐れみを感じなくも無かった。だが、だからと言って彼女として手加減する気も無い。今日殺されたモントローズとジェームスの仇を討たずして、英国艦隊の振り上げた報復の拳が治まるとも思えない。
程なくアオバンド0-1が触接する敵艦隊群の姿が暗視装置越しにも見えて来た。レーダーは切っているが、ESMは作動させているので深海棲艦のレーダー波は盛んに受信出来ていた。最も昼間の戦闘でレーダーを破壊された艦は少なくないのか、レーダーの電波発信源は驚く程に少なかった。
緑の世界としてハイライトされる暗視装置の視界に収めた深海棲艦の艦隊群に白い光が覆いつくしている艦艇が見えた。試しに愛鷹が暗視装置をオフにしてみると、海上に煌々たる灯りとなって燃えている深海棲艦の姿が見えた。
「暗視装置要らずね」
サングラス状の暗視装置を上に上げ、双眼鏡で敵艦隊群の方へと注視する。空母棲姫が五隻、大破炎上して左右前後に大きく傾き、艤装上にまたがる本体も力を喪ったようにだらりと四肢を投げ出している。他にヲ級改Ⅱやヌ級の姿も見えたが。いずれも治まらない火災に呑まれており、復旧の見込みは無さそうだった。
周囲を囲む随伴艦艇も損傷の跡が大きい。
「あの艦を見ろよ、どれも損害を受けてるぜ」
肉眼で確認した深雪の言葉通り、どうやら集結しているのは全て損傷艦の様だった。
「どう見ます、夕張さん?」
「艦娘準拠で考えるならですが」
愛鷹の問いに夕張は見える損傷艦の群れを一つ一つ確認しながら損害判定を下していく。
「あの空母は駄目ですね、誘爆したのか航空艤装が殆ど吹き飛んでいる……あのタ級はまだ大丈夫そうですね、精々何とか戦闘不能にはならずに済んでいる中破って言う所です」
夕張の判断では自沈処分にするしかない大破が三分の二、残りが辛うじて戦闘継続は可能そうな中破と言う所だった。
集結している深海棲艦の数は凡そ四〇隻程度と言う所だったが、無傷の艦は無く、全てが損傷艦である事が確認出来た。北米艦隊の報告と照らし合わせると頭数があわないが、この場に居ないのは撃沈されたか、アンツィオに展開している防衛艦隊と合流したかの何れかだろう。
深海棲艦の方も第三三戦隊の事は見つけている筈だが、アクションを起こす気配がない。弾切れの可能性があった。
「弾切れ、でしょうかね」
「電探起動させて確かめてみる?」
双眼鏡を手に聞いて来る青葉に、衣笠が提案する。間違いなくこの距離なら深海棲艦の方でも艦娘の電探の電波は逆探できる筈だ。敢えて電波を出して、それにリアクションを起こさなかったら青葉の推測通りと言う事になる。
「許可します。全艦、電波管制解錠。レーダー最大出力で走査」
GOサインを出す愛鷹の合図で六人の水上レーダーが一斉に捜索電波を発信して、深海棲艦に電子の波を打ち付ける。
何隻かが第三三戦隊のいる方へと振り返ったが、砲撃や魚雷発射の構えを取る気配はなかった。どうやら中破艦も含めて弾切れか、射撃不能の損傷を受けているらしい。
「さて、どうする? 戦闘不能の貴様らをこちらは幾らでも屠れるぞ」
挑発する様に呟く愛鷹に、深海棲艦は暫し沈黙を答えとした。
その間、一応砲雷同時戦を下命された第三三戦隊は主砲と魚雷発射管を深海棲艦の方へと向けて、待機に入る。戦闘不能の艦揃いとは言え、第三三戦隊だけで裁き切るには些か多すぎる数なだけに、進退をどうするのかは深海棲艦任せだった。
背後からは青葉がカメラのシャッターを切る電子音が聞こえて来た。青葉が趣味で使う民生品のカメラでは無く、軍用に開発された情報収集用のカメラなので、暗闇であろうが暗視機能モードでシャッターを切れば、機械による光学補正で夜闇の向こうにいる深海棲艦の写真も撮れる。
強速へ減速を指示しながら深海棲艦の方を注視していた愛鷹の視界で、突如爆発の閃光が相次いで夜の暗闇を引き裂いた。閃光に遅れて爆発音が連続して響き渡り、火災とは異なる紅蓮の炎が次々に海上に膨れ上がっていく。相次ぐ爆発がぶるりと爆発の衝撃波が大気を震わせて、相応の距離を取ってみている愛鷹の顔を打った。
「何事です!?」
「ありゃあ、自沈だな。深海棲艦には損傷艦を修理する余裕が無いだろうな、トカゲの尻尾切りだよ」
次々に勝手に火焔を上げて沈んでいく深海棲艦艦隊を見て、蒼月が驚きの声を上げ、深雪が冷静な声で答えを返す。深雪の言う通り、艦娘を始めとする人類の手に渡り拿捕され、自らの正体等を解析される事を良しとしない深海棲艦らしい集団自決の光景だった。
海上が自沈する深海棲艦の艦艇群の爆炎と流出した燃料に付いた火で昼間のように明るくなる中、通信制限を解除した愛鷹は一報をシーガル1に送った。
「第三三戦隊愛鷹よりシーガル1へ。敵残存艦艇、一斉自沈を開始。敵艦隊の脅威度は排除されたと認む」
≪了解した。第三三戦隊はRTB≫
帰還命令を受けて、愛鷹は「ズムウォルト」へ戻る航路へと舵を切った。青葉、衣笠、夕張、深雪、蒼月がそれに倣い、緩やかなターンを描きながら戦闘の愛鷹の跡を追う。
長い一日がようやく終わった。だが、これで終わった訳では無い。次の長い一日が明日待っている。
艦隊に一斉回頭を命じ、水上戦闘配置の解除を発令しつつも、愛鷹は対空警戒と対潜警戒の部署だけは解除しなかった。自沈前にこちらの姿を確認した深海棲艦が残存する友軍に第三三戦隊の存在を知らせている可能性はあった。
「各艦、対潜警戒を厳に。深海棲艦の潜水艦からすれば、格好の灯りを手に入れていますから、こちらへ不意打ちを撃ち込む可能性はあります」
靴の爪先に仕込まれている零式水中聴音機のパッシブソーナー機能を、ヘッドセットに反映させて聴音警戒しながら愛鷹は言った。昼間のように明るくなった現場のせいで今の第三三戦隊は海上にくっきりとハイライトされてしまっている。潜水艦が潜んでいた場合は絶好の攻撃チャンスと言える。自沈する艦隊の爆音は海中にまで届いており、ハイドロフォンからはくぐもった爆発音と、海中に沈降してバラバラに分解されていく深海棲艦に艤装のきしみ音で一杯だった。悲鳴も怨嗟の声も無い、ただ爆発音の後に物体が海中に没して、緩やかに分解される音でソーナーの音界は満たされていた。
「聴音もあったモノじゃないわね……各艦、海上に注意。ソーナーが使えないのは深海棲艦も同じです。潜望鏡を上げている可能性もあります」
「居ますかね、潜水艦?」
一応再び夜目に慣らした目で海上を凝視しながら夕張が聞いて来る。夕張の問いに衣笠が脇から自身の考えを述べた。
「私が深海棲艦の総旗艦なら、自沈処分完了を残存する味方に報告する為に一隻くらいは貼り付けますね」
「なら、潜水艦が味方艦隊の自沈を見届けるまでは攻撃して来ないでしょうね。聴音雷撃は不能、潜望鏡雷撃は被発見の可能性を孕むから、自沈報告を果たすまで潜水艦が仕掛けて来るとは考えにくい」
恐らくは衣笠の考え通りかもしれないと、彼女含め第三三戦隊各員に聞こえる様に答えながら愛鷹は思った。
「それに、航空戦艦一、重巡二、軽巡一、駆逐艦二だけの艦隊で残存艦隊相手にどうにかなると言う訳でもないから、通報はしても残存する深海地中海艦隊が手を出して来るか、ははっきり言って備秒なラインですね」
「確かに。これが連合艦隊編成以上の大規模艦隊なら兎も角、一個偵察艦隊くらいなら今の深海棲艦もいちいち手を出す事が出来る程余裕もないですしね」
カメラをしまいながら青葉が言う。その青葉へと振り返りながら愛鷹はカメラの電子レンズを通して撮影出来たものの首尾を伺う。
「写真の方はどうです?」
「ばっちりです、北米艦隊が上げた戦果の裏付け証拠の片方が揃いました。残り半分の既に撃沈されて水底に沈んでいたら、証拠も何もないので分かりませんけどね」
「了解です。では帰りましょうか」
「加古が言ってたわね、行きはよいよい帰りは恐いって」
離れて暫く経つ第六戦隊仲間の台詞を思い出した衣笠が宙を見上げて言う。加古がその台詞を言う事態に陥った場面に青葉、衣笠共に居合わせただけに、この二人は帰路においても決して警戒と言うものを怠らない。逆に伸びをして気を抜きかけていたのが蒼月だった。
昼間のように明るくなっていた深海地中海艦隊自沈艦隊の現場を離れて暫く、夜の闇に包まれた漆黒が覆う赤い海を第三三戦隊は進んだ。先導する夜間瑞雲からは敵艦発見の報告が入る事は無く、また同時に潜水艦の潜望鏡らしき影を発見したと言う報告が入る事も無かった。
対潜警戒の為に之の字運動を行いながら航行する第三三戦隊の六人の耳には、自分達の足元で切り裂かれて後ろへと流れていく艦首波と航跡、背部の機関部と足元の主機の機関音、波音、そして風音だけが重低音を中心としたカルテットとなって流れ込んで来た。
時刻は間もなく深夜を回ろうとしていた。愛鷹が夜間用の赤に色を変えたライトで海図を確認し、「ズムウォルト」までの到着予定時刻を計算した。何事も無ければあと一時間程で「ズムウォルト」へ着艦出来るだろう。赤く変色している海域からは三〇分もあれば離脱出来るはずだ。最も変色海域を作り出す深海棲艦と言う存在が、大きくその数を減らしている今、変色海域の範囲も潮が引く様にその範囲を狭め始めている可能性はあった。
海図とライトをポーチに仕舞い、双眼鏡を構えて周辺警戒に当たる。バレてないと思いたいが、自分がライトで海図を照らした光源を基に深海棲艦の潜水艦が狙いを付けて来ている恐れはない訳では無い。ソーナーからは発射管注水音などは聞こえないし、潜望鏡を上げるモーター音の様な音も聞こえないが、念には念を入れよだ。愛鷹は石橋を叩いて渡る、と言うよりは慎重になり過ぎて石橋を叩き壊してしまうかもしれないタイプの人間だった。
見通しが効きづらい夜間と言うだけに終始気が抜けない愛鷹が張り詰めた緊張を一時間程続けている内に、洋上に赤色灯の薄暗い灯りが見えて来た。
≪『ズムウォルト』SMCより第三三戦隊へ。レーダーでそちらの姿を捕捉した、着艦態勢に入れ≫
前方の海上でウェルドックへ海水を注水するポンプの注排水音が聞こえて来た。警告のビープ音と共に「ズムウォルト」の艦尾からはウェルドックのハッチが開口するモーター音と支柱の稼働音が二重奏を奏で始める。
海上に第三三戦隊を収容する為に制止している「ズムウォルト」のウェルドックは戻って来る第三三戦隊の方へと向けられており、赤色灯に照らされたウェルドックが暗闇に覆い隠された海上に赤く染められた一角を作り出す。ポンプの注排水音が止まり、海上に静けさが戻る中、第三三戦隊の六人は夕張、衣笠、青葉、蒼月、深雪、そして愛鷹の順にウェルドックへと進入して行った。
ウェルドックの奥では空母のデッキクルーが夜間のハンドシグナルを艦上機の搭乗員に見せるために使う、正式名称「Aircraft Mashaling Wand」通称「マーシャルレーザー」と呼ばれる事もあるハンドライトでウェルドックへ進入して来る第三三戦隊の六人へ進入指示のハンドサインを送って来るのが見えた。艦娘母艦を利用するにあたって艦娘が教育課程の中で教え込まれる知識の一つなので、頭の中であのシグナルはこう言う意味で、このシグナルはこういう意味だといちいち考える事も無く勝手に身体が反応する程に六人の頭に染みついていた。
何事も無く六人はウェルドックへ進入し、収容を完了した。ハッチが閉じられ、ウェルドックを満たしていた海水がポンプで排水される。
水位が下がるドック内で愛鷹達はゴムパッドを敷いたスロープを昇って行き、真水を満たしたバケツとタオルで靴に付着した海水を拭う。六人の頭上では愛鷹と青葉型、夕張の艤装を抱えたガントリークレーンが艤装整備場へ艤装を移送し、深雪と蒼月の艤装は作業員が数人がかりで台車に載せて同じく艤装整備場へと運んで行った。
「次の作戦に備えて、居住区で準即応待機です。衣笠さんと夕張さんは、瑞鳳さんのメンタルの確認を。私は青葉さんと共に撮った写真の解析が終わったら、瑞鳳さんの所に行きます。蒼月さんと深雪さんは第三三戦隊の艤装の整備状況の確認を」
「了解です」
「愛鷹よぉ、仕事が一段落したら番飯食って来ても良いか? 腹減ったぜ」
一同から返事が返される中、腹を摩りながら深雪が聞く。出撃前に夕食を摂る事が出来なかったので、全員空腹で腹が悲鳴を上げていた。
「トイレ休憩も兼ねて食事も済ませておいてください。利尿作用の強いものは駄目ですよ」
再度「了解」の返答が五人から返される。食事と言っても精々エネルギーバーと栄養ゼリーと言う味気ない戦場飯になるが、空腹を満たせればそれで今は良い。
SMCで解析した青葉の写真には、昼間の北米艦隊が航空攻撃の矛を交えた深海棲艦の空母機動部隊の中でも、撃沈不確定と判定されていた艦艇が全て映っていた。それだけでなく、大破と判定された艦も含まれており、北米艦隊が挙げた航空攻撃の戦果の裏付け証拠となりえた。
「カメラで確認出来たのは空母棲姫が五隻、ヌ級が四隻、ヲ級が二隻、戦艦クラスだとル級改flagship級が一隻、タ級elite級が二隻、超巡ネ級改Ⅱが二隻、その他中小艦艇が二五隻と言う所です。損傷艦を修理する余裕がないのでしょうかね、艦娘に置き換えるなら、艤装はドック入り、艦娘は病院で然る治療を受ければ大破艦でも最短でも一か月で前線復帰は出来ると見えます」
写真を精密に解析したSMCのオペレーターの言葉に、愛鷹と青葉は無言でサーマルモードや暗視モードで撮影された深海棲艦の姿を凝視していた。確かに、しかるべき修理施設が深海棲艦側にあれば、艦娘にも分かるくらい治せられれば治せるような損傷が目立つ。
「安直にトカゲの尻尾切りとも言えない、身内の切り捨て方ですね」
「それだけ、向こうも余裕がないと言う証左なのかもしれませんね」
敵ながら惨めだと憐れみを浮かべた顔で青葉が言い、愛鷹はと言うと一切の同情も見せない、好機と捉えている節を見せた声で返す。
何はともあれ深海地中海艦隊の四〇隻ほどの艦艇が修理不能と言う理由からか、一斉自沈して戦力外となったのだ。艦娘艦隊も相当な被害を被ってはいるが、残存する艦娘艦隊戦力で残る深海地中海艦隊の残余を押し切る事は不可能ではない筈だ。
「こちらは二人を殺され、対して深海棲艦が失ったのは艦娘二人の死と比べて、一〇倍以上にして返されている……モントローズとジェームスの敵討ちをするには充分な戦力差です」
「アンツィオに展開している深海棲艦の未知の敵艦が気がかりです。もしその敵艦とス級elite級三隻の火力と装甲が合わさったら、戦力比べで三倍クラスの火力差になるんじゃないかと思ったりもします」
懸念を口にする青葉に、愛鷹は上等だと言わんばかりの顔で答えた。
「戦力差が三倍なら、互角ですね」
「ズムウォルト」の医療区画では、瑞鳳が同艦の先任兵曹長と話し込み形でメンタルケアをされていた。最前線に赴く支援艦の「ズムウォルト」を含めて艦娘母艦には外科、内科、整形外科などの意志は乗り込む事はあっても、メンタルケアをする精神科医までは乗せていない。だから艦娘のメンタルケアは地上の大規模海軍病院に送られるか、艦娘母艦のCPO(先任兵曹長)の様な人生経験豊富な古参下士官が行う事が殆どだ。瑞鳳の年齢と比べると父と娘程の歳の開きがある先任兵曹長は巧みな日本語で瑞鳳の相手をしていた。
彼もまた、レイノルズ艦長と同じく旧在日米海軍将兵上がりだったのだろうか、と夕張は軽く疑問に思いながら二人がいる部屋へと衣笠と一緒に入室した。
「気分はどう?」
心配そうに伺う視線で調子を尋ねる衣笠に、瑞鳳はやや疲れた顔をしながらも、微笑を浮かべた。
「もう大丈夫よ。昼間、取り乱しちゃってごめんなさい」
「瑞鳳が謝る事じゃないわよ」
薄らとほほ笑みを浮かべながら夕張は衣笠と共に瑞鳳を前に言う。泣き腫らした顔はあれど、大分精神的に落ち着いた様だった。
「どう、また明日もやれそう?」
「やれと言われたらやれるわ、衣笠」
ある程度何時もの口調に戻っている瑞鳳の返事に、衣笠はこれなら大丈夫だろうと言う確信を得た。目配せで夕張に大丈夫そうよ、と頷きも交えながら伝える。安堵の溜息を洩らした夕張は、瑞鳳の顔を見据えて、タイミングよくなった腹を見下ろしながら、彼女を夕食に誘った。
「私達晩御飯まだなのだけど、瑞鳳も一緒に食べない?」
「食べる食べる」
こうして一一月九日に行われたアンツィオ沖海戦は、尊い犠牲を二人出しながらも艦娘艦隊の勝利となり、国連海軍はアンツィオに残存する深海棲艦の残存艦隊へ対する最後の攻勢をかける事になっていった。
大きな損害を被った艦娘艦隊の再編成に一一月一〇日と言う丸一日をかけた国連海軍は、一一月一一日をもって地上で反攻作戦を進める陸上軍と共にアンツィオの深海地中海艦隊の拠点へ突入する事となった。
再編した艦隊は、ジブラルタル基地を発った時よりも大きくその数を減らしながら、着実にアンツィオへと歩を進めつつあった。