戦艦水鬼、戦艦棲姫、超巡ネ級改Ⅱとの主力艦隊との艦隊戦で、艦娘艦隊は戦艦水鬼三隻、戦艦棲姫、超巡ネ級改Ⅱ全艦を撃沈した物の、上げる戦果の代償として戦艦アラバマ、ティルピッツ、ジャン・バール、重巡ロサンゼルスを戦列から失ってしまった。負傷した艦娘の護衛退避の為にここから更に軽巡グロワール、駆逐艦吹、白雪、初雪、叢雲が一時的に戦列から外れている。
深海棲艦の方も流石に主力艦を多数喪って拙いと思ったのだろう。艦隊を反転させて、後方の空母の護衛と合流するべく移動を開始していた。
即座に追撃をするだけの余裕は艦娘側にはあるにはあったが、それよりも負傷者の後送と消費した弾薬と燃料の再補充による艦隊の再編成が優先される事となった。
「ユニコーン」から発艦して艦隊を追っていた高速給油艦娘ネオショーとラカワヌが、護衛の艦娘と共に前衛艦隊と合流するや、即座に艤装から伸ばした給油ホースを各艦娘に繋いで給油作業を行い、更に彼女らの上半身を越えるサイズの大型のバックパックに詰め込まれた弾薬コンテナを手渡しする形で弾薬を消耗した各艦娘へと配られる。完全充足では無いが、ある程度の残弾量を回復させるだけの弾薬が補充された。
「弾薬コンテナでパンパンのバックパックに、油をたんまり積み込んで激重の艤装。よくそんな重りを担いでいる様な状態でそこそこの艦隊随伴速度が出せるわね」
給油と給弾を行いながらワシントンがネオショーの、恐らくワシントンの艤装よりも全備重量ははるかに重そうな彼女の艤装と装備を見て、感嘆した様に言う。
ネオショーは水色の古い水兵服風の制服の上着を捲り、筋肉の付いた腕を見せてにやりと笑って見せた。
「補給艦娘は鍛え方が貴女達と違うのよ」
こりゃ叶わんとワシントンは溜息を吐いた。明らかに自分よりもダンベルを持って日夜筋トレをしていると分かる筋肉量だった。
ラカワヌからの給弾と給油を受けた大和は、生粋のアイルランド系アメリカ人の補給艦娘ラカワヌも驚く程の流暢な英語で謝意を述べると、やや日本語訛りが抜けない武蔵に代わって、妹の分も謝意を述べた。
毎秒二リットルも送り込んできていた給油ホースを外して、別の艦娘への給油作業に入るラカワヌの背を見送りながら武蔵は大和の、主に顎のラインを見つめながら驚嘆した様な口で姉の英語力を褒める。日本人なら多少は英語を話すにはアジア系の顔立ち故の訛りが入るが、大和の英語はネイティブそのものだ。
「相変わらず随分な英語達者だな。先祖にアメリカ人か英国人でもいるんじゃないのか?」
「艦娘になる前の英才教育の賜物と言う感じね。徹底的に仕込まれたわ」
ふふっと笑みを浮かべながら大和は右手に持っていた弾薬コンテナを第一主砲の砲術妖精に渡して、給弾を澄ませた。
「こういう事も想定して、派欧派遣部隊にウチの補給艦娘も連れて来れば良かったな」
「まあ知床さんや足摺さんは連れて来るべきだったかもしれないわね」
日本艦娘艦隊にもネオショーやラカワヌの様な補給艦娘は大勢いる。中には空母の様な航空機運用能力を持つ山汐丸と言う変化球すら存在するのが、日本艦娘艦隊の特徴でもあった。
「……それにしても櫛の歯が抜ける様にメンバーが抜けていくな。今も、以前も……」
三個戦艦部隊からそれぞれ一人の戦艦艦娘が戦列から脱落し、補助艦娘部隊からもロサンゼルスが脱落と、摩耗しつつある自軍戦力に武蔵は憂い気な視線を向ける。今に限らず、このアンツィオに辿り着くまでに失った艦娘は二人、北海での戦いも含めれば三人が戦死し、その数倍の艦娘が負傷離脱している。アンツィオで一区切りがつくとは言え、更にこの後、マルタ島への逆侵攻作戦も残っているのだ。
「ここで敵の主力を撃滅出来れば、マルタの戦いは私達抜きでも終わらせられるわよ。
今は眼前の敵を余す事無く殲滅するだけ」
補給作業を終えて行く仲間達に視線を向けて言うと、大和は軽く首を揉みながら頭をぐるりと回した。
「敵艦隊の残存戦力は、戦艦水鬼一隻が健在、一隻が中破。補助艦艇だとツ級flagship級一隻、大型駆逐艦ナ級五隻、ニ級一隻が尚健在。更にアオバンド1-1や哨戒機からの報告で、空母棲姫と言う護衛対象を喪失したツ級flagship級一隻、ナ級四隻がアンツィオ沖へと後退中の模様です。
で、アンツィオの深海棲艦ですが、アンツィオ沖棲姫と呼称する事となった深海棲艦一に、ス級elite級三隻が防備を固めています。先述した五隻のツ級とナ級からの艦隊が加われば、少し防備が硬くなるかと」
タブレット端末を片手に、第三三特別混成機動艦隊の主要メンバーを前に情報共有を行う青葉の言葉に、愛鷹は軽く溜息を吐きながら、勝負はつきつつあると言う確信を得つつあった。
「陸の防備は?」
そう尋ねる鳥海の質問に青葉はタブレット端末の画面をスライドさせて、地上軍からの報告を読み上げた。
「大隊規模の戦車小鬼と同規模の砲台小鬼がアンツィオ一帯に最終防衛線を敷いており、現在国連地上軍がこれと交戦中です。明日迄には掃蕩完了の見込み有りとの事」
陸戦において人類軍の戦車は、深海棲艦の陸上機甲兵力である戦車小鬼よりも射程、そして砲撃精度に優れるから、物量の差と言う戦術的不利が無ければ、基本的に精密な照準システムのアシストを受けたアウトレンジ射撃で戦車小鬼の屍を積み重ねる作業が延々と続くだけの戦いであった。艦娘が艤装の主砲の射程内で、ほぼ同じ射程の深海棲艦の砲火と死線を潜りながら戦うのとは大違いだった。
残る脅威は戦艦水鬼二隻を含む八隻の機動艦隊と、拠点防衛に就いているらしいス級elite級が三隻、そこへ合流を図るツ級とナ級が五隻。そしてアンツィオ沖棲姫。対する艦娘は何人かを戦列から失っているとは言え、物量的アドバンテージが存在した。そう少なくとも艦娘の数、と言う意味においては。
「空母機動部隊からの報告では、フォン・リヒトホーフェン、グラーフ・ツェッペリンを除くほぼすべての残存空母艦娘の空母航空団の航空戦力の撃墜による損耗率が三〇パーセントを越えているとの事です。やはりアンツィオに展開する陸上型の対空砲火は熾烈過ぎたようで。これとは別に機体の要修理などで戦闘不能の機体が一五パーセントに上るので、本隊後衛空母機動部隊の空母航空団の現在の戦闘能力は五五パーセントにまで低下していると言う事になります。損傷機の幾らかが戦闘可能にまで回復すれば、少しは戦闘能力も戻るかも知れませんが」
空母艦娘なだけに、本隊の空母機動部隊戦力の状況把握に努めてくれた瑞鳳が、旗色の悪い知らせを告げる。
凡そ半数近い航空戦力が撃墜ないし損傷による一時的な戦列からの脱落は、航空戦力による残存深海棲艦の掃蕩が困難である事を示していると言っていい。第三三特別混成機動艦隊の空母艦娘三人の戦力はここには含まれていないから、数字がもう少し上向きになるかも知れないが、誤差の範囲だろう。
航空戦力の損耗が激しい以上は、水上艦娘による艦砲射撃で戦うしかない。問題は、戦艦水鬼は兎も角として、三隻のス級だ。
「今日中にアンツィオでの決戦にもつれ込むのは危険な気がしますね」
過去の戦訓を思い出しながら愛鷹は言った。
「ス級は夜戦に強い。超射程の砲撃で精確にこちらの大規模艦隊をダース単位で切り分けに来るかもしれない。それに本隊も残存の機動艦隊の掃討戦が終わったらまた補給が必要になります」
「つまり……今日では無く、明日が天王山、と?」
青葉のその言葉に愛鷹は頷いた。
愛鷹の予想と想定とは逆に、補給を終えた本隊の艦娘艦隊は、残存艦娘戦力を再編して前進を再開していた。
日が背後の西の水平線の向こうへと沈んでいく中、空母機動部隊を切り離し、全艦娘を水上艦娘で固めた大艦隊がアンツィオへと進撃した。多少の脱落艦はあれど、その艦隊戦力は、今や数える程の艦艇数しか残っていない深海地中海艦隊の残滓を狩り立てるには充分な規模と言えた。
勝敗のツキは我にあり、誰もがそう確信し、長い欧州での戦いの終わりの始まりを確信していた。
全艦娘の燃料が満タンになるまでに補給が行われた訳では無く、事実上腹八分目程度が限界だった事もあり、艦隊の前進速度は第三戦速が限界だった。一方深海地中海艦隊の残存艦はそれを凌駕する最大戦速で、アンツィオ沖棲姫の元へと逃げ帰っていく。
水平線の向こうに、今にもイタリア半島の陸地が見えそうな位置だったが、背の高い艦娘の見える距離を以てしても、水平線の丸みによる視認可能距離は如何ともしがたい。
そして同時に夜の帳が徐々に迫りつつあった。空はオレンジの夕暮を通り越して、紫色の空になり、その遥か天空からは夜の暗闇が舞い降り始めている。艦隊を構成する全員が、夜戦の突入を覚悟していた。臆する要素は無い。今ここにいる艦娘の中に、夜戦の経験のないルーキーは一人もいない。皆が着任から訓練、そして数多の昼夜の時間帯の実戦を経験して育って来た猛者達だった。
だが、一点だけ彼女達に経験が浅い、或いは無い分野があった。巨大艦ス級との交戦経験と言う分野において、艦娘達の経験の量は、ティッシュペーパー程度の厚みしかないのだ。数少ない経験者である大和と武蔵が居るには居たけれど、二人は今の艦隊の陣容から考えて、ス級相手にちゃぶ台を返される事は無いだろうと楽観視していた。勿論、沖ノ鳥島海域での痛い目を忘れた訳では無いから、各艦娘の距離を相応に取らせて、ス級のHE弾の砲撃に備えてはいた。
やがて闇が天空より舞い降りて、海上を包み込み、艦娘達の肉眼で見えるのは互いの航行灯の赤と緑の明滅だけとなっていた。
艦隊を先導するのは空母機動部隊直掩の任を解かれて、新たに合流した矢矧と一九駆の磯波と浦波、それに再装備を完了させた一一駆の吹雪、白雪、初雪、叢雲の七人の混成水雷戦隊だった。
「混成水戦、矢矧より発光信号。変針点通過、取り舵に変針。夜戦準備部署発令。先行する混成水戦は警戒陣を展開、速度そのまま」
本隊の先陣を切る高雄が水平線上に光る矢矧からの発光信号を見て、短と長の光の明滅を解読し、大和達に伝達する。
矢矧はやる気満々の様だ。率いるのは本職の二水戦を構成する陽炎型や夕雲型ではない、少し世代の古い特型駆逐艦娘だらけとは言え、全員が改二化改装を受けて戦力強化を図られた特型駆逐艦娘六名だ。下手な非改二陽炎型や夕雲型よりも戦闘能力は高いとも言えた。夜戦となると、日本艦娘艦隊では「夜戦馬鹿」と揶揄半分、畏怖半分に言われる二水戦を率いる立場なだけあり、矢矧も例に漏れずに夜戦狂な所はあった。凛とした佇まいの彼女の胸の下では強い闘争心が滾り、その目は夜陰を見通す梟の様な高い夜間視力がある。
本隊の事実上の旗艦を務める大和として、付き合いの長い矢矧の技量と指揮能力に疑いを持つところは無いが、些か先行し過ぎな気がしないでもない。昼間の艦隊戦に参加出来ず、矢矧の中では消化不良を起こしているのかも知れないが、功を焦って突出し過ぎては、深海棲艦の残存艦に逆に包囲されて孤立の危機に陥りかねない。無論、そうなる前に引き際を見極める能力も矢矧や吹雪達にあるのは分かっているが、あれもこれもと心配になるのは最早性とも言えた。
そんな大和の頭部ヘッドギアの両脇に並ぶ二一号対空電探改二が、夜の闇の中に浮かぶ機影を捉えた。
「対空電探に感あり。機影一、いや三。高度五〇〇メートル。距離九五〇〇を維持。IFFに応答なし。深海棲艦の偵察機と思われます」
CIC妖精が電探で補足した機影を照合し、直ちにその正体を解析する。
距離九五〇〇……。嫌らしい所にいる、と大和はあからさまに顔をしかめた。通常の観測機や偵察機の行う触接には些か遠い気がするが、艦娘艦隊にもある夜偵と同じ効果と機能を発揮する機体なら、恐らくこの距離での触接は効果を発揮しているのだろう。夜間に一定の距離を保って触接が出来ると言う事は、即ち対空砲火による妨害を受けないと言う事だった。悠々と空を飛びながら、味方艦隊へ弾着観測データを送信する事が出来る。
本能的に大和はス級の弾着観測射撃が近いと悟っていた。直ちに対応策を打ち出すべく、彼女はヘッドセットのマイクを掴んだ。
「全艦に達します。彼我の距離を更に一〇メートル拡大して下さい。巨大艦ス級からの超射程砲撃が来る可能性大です。こちらの艦隊内の距離が近ければ近い程纏めてやられる可能性が上がりますが、互いの距離が離れていれば離れているほど、ス級は砲撃の無駄撃ちをするだけです」
全艦全員から了解の返事が返り、夜陰に浮かぶ航行灯の群れが、その互いの距離を大きく取り始めた。ス級の砲撃以前に、衝突事故の危険性を下げる為に互いの距離を取っている艦娘艦隊の密度がさらに下がる。
「合戦準備、夜戦準備部署発令。各艦、夜間砲雷同時戦に備え」
広い範囲に点在する艦娘達のヘッドセットに、旗艦大和からの夜戦準備の令が下る。戦艦艦娘は主砲に徹甲弾を込め、巡洋艦娘と駆逐艦娘は主砲と魚雷発射管の火器管制をオンラインにして、闇の向こうの敵との戦いに備えた。
午後七時五分。戦闘の火蓋を切ったのは、深海棲艦だった。
ス級の砲撃とは異なる、大口径艦砲の砲声が水平線上に轟くと同時に、巨大な大砲を打った発砲音が不気味に海上に響き渡っていく。
砲声からして戦艦水鬼二隻の砲撃だ、と音で分かった大和は、迎撃にワシントンを旗艦に据えた分艦隊を差し向けた。
「ワシントンさん、目の前の敵艦をお願いします。ヘレナさん、グロワールさん、モガドールさん、マエストラーレさん、リベッチオさん、グレカーレさん、シロッコさん、キッドさんはこれを援護」
ワシントン、サウスダコタ、マサチューセッツ、それに矢矧と同じく空母機動部隊から分派されて来た軽巡艦娘ヘレナと駆逐艦娘キッドが四人の後に続き、更にその後ろから六名が続航し、深海棲艦地中海艦隊の機動艦隊残余に対して最後の戦いを挑んで行った。
「General quarters, General quarters. All hands battle station!」
先陣を切るワシントンの口から、戦闘配置の台詞が出る。彼女を始め五人のアメリカ艦娘の艤装上で戦闘配置の鐘が鳴り、残存する深海棲艦に全ての火砲が差し向けられる。大和の備えている電探よりも遥かに高精度なレーダーを持って、既に戦艦水鬼以下の艦隊の艦影をワシントン達は捉えている様だった。
周囲に戦艦水鬼の砲撃が飛来し、着弾する。散布界は広い。これで被弾する方が無理のある話である。
「CIC、敵水上艦隊の規模は?」
CIC妖精に戦艦水鬼らの規模を尋ねる大和に、電測長妖精が少しの間をおいてレーダーのディスプレイに浮かび上がる艦影を確認し、大和に伝えた。
「大型戦艦が二、ツ級ないしナ級と思われる中型艦一〇、小型艦一。昼間の戦闘で会敵した敵の数と、空母棲姫の随伴護衛艦の数と合致します」
「了解」
ツ級とナ級のレーダー反射が同じに見えるのは、それだけナ級が文字通り「大型駆逐艦」と呼ばれるだけある規模を持つと言えた。ナ級の評価は艦の規模だけでなく、その火力等の武装の強さにおいても軽巡クラスと言って過言ではない。言ってしまえば軽巡がツ級以外に八隻いるのにも等しいのだ。
それだけに、大和が向かわせた艦娘艦隊の戦力も一切の妥協なしであった。
交戦開始に先立って、ワシントンから発艦したOS2U水上観測機から吊光弾が戦艦水鬼らの上空に投下され、ぼんやりと光る光源が中空に出現し、海上を進む深海棲艦地中海艦隊の艦影を浮かび上がらせた。
観測機の投下した吊光弾によって光学的にも深海棲艦地中海艦隊の姿を捉えたワシントン達が砲撃を開始した。本隊の隊列から離れた所で、一六インチMk.6の砲声と、イタリア、フランスの中小口径主砲の砲声が海上に殷々と轟き始める。発砲炎が海上に瞬くや、主砲を撃った戦艦艦娘達の長身を瞬間的に暗闇の中に映し出した。真っ黒なキャンパスに艤装を纏った人間の姿を投影した様な光景が何度か繰り広げられる。
アメリカ英語、フランス語、イタリア語の三種類の射撃号令が各艦娘の口から発せられる。交戦相手の深海棲艦地中海艦隊の数敵主力となっている大型駆逐艦ナ級が、ナ級自身の持つ大きな戦術的優位として、同時艦娘から非常に恐れられる長距離精密雷撃は今のところ行われる様子は無い。昼間の戦闘で魚雷を消耗して補充を受けていない艦が多数いると言うのが大きいのかも知れなかった。またその長距離精密雷撃の精度を上げる光学的な見通しの良さが今の夜間の海上には無かった。空は雲に覆われて月光が海面を照らし出す事は無い。
「夜目が効く奴でないと、とても見えたものじゃないな」
武蔵の呟きは夜目云々だけでなく、どこか裸眼視力が低い自身の目の悪さを嘆く様にも聞こえた。フレームレスなので一見すると分かりにくいが武蔵は眼鏡が手放せない程、資力の悪い艦娘だった。当然ながら裸眼視力が低い時点で、その代わりに夜目は効くと言う謎理論は働かない。
戦艦水鬼率いる深海地中海艦隊の残存艦隊と交戦するワシントン達の砲戦が徐々に遠くなっていき、水平線の向こうの出来事になる中、大和は少し忌々しさを込めた目で夜空の一点を見つめていた。深海棲艦の夜偵の触接が続いているのだ。通信室からは何らかの通信波がアンツィオへと送られていると言う報告が上がって来ている。十中八九、大和達の位置情報を送り続けているに違いない。
全艦娘の対空火器の射程外となれば、主砲で三式弾攻撃するしか手は無いが、今の大和と武蔵の主砲には対艦攻撃用の一式徹甲弾改が装填されており、給弾装置にも同じ砲弾がセットされている。即応弾、予備弾を三式弾に切り替えるとなると、かなりの手間がかかってしまうので、今からス級やアンツィオ沖棲姫と交戦する可能性が高い段階で三式弾への換装を行うのは現実的ではない。
「鬱陶しい」
毒を吐き出しながら大和は視線を水平線上へと向けなおした。
「夜偵、アンツィオ沖棲姫とス級elite級三隻の上空にて触接を開始。対空砲火は認められず」
零式水上偵察機11型乙改こと夜偵を発艦させていた高雄から、自身の搭載機がアンツィオ沖棲姫とス級の対空砲火の届かない所に遷移して、艦隊の弾着観測射撃の為の触接を開始した事を告げられた。ス級の夜偵が行ったように、艦娘艦隊の夜偵も対空砲火の外側から敵艦の詳細な位置情報、環境データを逐次報告して来る。
陸地があと少ししたら見えて来るだろうと言う頃、遂にそれは訪れた。
彼方から、この世のものとは思えない程の巨大な砲声が鳴り響き、まだかなりの距離が離れている筈の大和達の元にも、その砲声が届く。まるで大量の弾薬を蓄えた弾薬庫が一斉に誘爆した様な轟音に近いス級三隻の砲声が、戦闘開始の合図となっていた。
砲声が轟いても、砲弾が先に届く事は無い。つまりス級elite級の主砲の初速自体はそれ程速くは無い。だが無印よりも改良は入っているだろうから、その巨砲から撃ち出される砲弾の威力が無印と同程度とは思い難い。
「全艦、回避行動。ジクザグ運動にてス級の砲撃を回避」
無駄な事は言わず、必要な事だけを伝達する大和の目は真剣そのものだった。
程なくして、ス級elite級三隻の主砲斉射が着弾する。
初弾は、幸いにも散布界は広く、被害を発生させる事は無かった。だが海上を音の速さを凌ぐ速度で駆け抜けた衝撃波が、大和達の身体を諸に叩いた。全身を濡れ雑巾でひっぱたいた様な衝撃が走る。
「弾着点からこれだけ離れていてもこれだけの衝撃だなんて」
パースが呆れ半分、驚愕半分に火球と巨大な水柱の二種が混じった着弾の跡を見て呟く。
霧雨の様な水柱の飛沫が一堂に降り注ぐ中、早くも第二射が飛来する。雲が立ち込めて暗い夜の空を煌々と光りながら、赤く光る流星群となってス級の斉射が飛来する。
第二射は早くも艦娘艦隊の近距離に、その砲撃を届けていた。セコイアの大木の様な水柱が噴出し、海面が隆起し艦娘達を翻弄する。舌を噛むまいと歯を食い縛って耐える艦娘達に、崩れる水柱の水滴が霧雨では無く豪雨となって打ち付けて来る。
「こっちの手の届かない所から撃ってくれて……」
忌々しさを湛えた口調でヒューストンが言う。水平線上に発砲炎は浮かび上がっているが、肝心なス級の姿がまだ見えない。夜偵はアンツィオへと進出して艦隊の砲撃射程内到達を待っていたが、航空機程の速度は出せないし、燃料の問題もあって第三戦速が精一杯の艦娘達は中々交戦距離にス級を収められなかった。
そうこうしている内に、第三射が飛来する。艦隊の前方に全弾が横一列に並ぶ形で着弾し、ナイアガラの滝の様な圧倒的な大きさの白い水柱で出来たカーテンが、艦隊の行く手を阻む。
「物凄い投射量よ! 前が見えない!」
先行する矢矧から驚愕交じりの一言が大和に送られてくる。堂々と文字通り滝となって砕ける水柱の中へ突っ込む矢矧以下、混成水戦の姿が、白い水柱の中へ消え、遅れて本隊もその中へと突入する。防護機能でずぶ濡れになる事は防がれているとは言え、海水の質量をどっと浴びた一同が軽く膝を沈み込ませる。
「未来位置、或いは敵艦の推定距離に砲撃を撃ち込めれば……」
歯噛みする様にビスマルクが呟く。こちらの夜偵の触接は既に開始しているので、一応予想座標上に撃てば届かない事は無いだろう。だがそれとは別に当たるかと言えば、また異なる問題だ。
さながらウォーターカーテンと言うべき水柱の壁を作ったス級の第三射の後、不気味な沈黙を置いて、第四射が飛来する。
彼我の距離が縮まり、更に深海夜偵の修正値を受けているス級の砲撃がいつまでも当たらないと言う事は無かった。艦隊を包み込む様に海を耕し、吹き飛ばすような水柱と轟音、衝撃波が走った後、短い悲鳴が数か所で上がった。
「ベッドフォード、セントポール、クインシーに至近弾、三人とも大破! 航行不能、行き足止まります!」
重巡艦娘三人がス級の第四射の至近弾の破片を食らって、大破、航行不能になったと大和のCIC妖精が叫ぶ。大和が三人の方へと振り返ると、艤装から火災の炎を上げて膝をつく三人の姿が見えた。即死、轟沈には至っていないのが幸いだが、このままではス級を射程に収める前に、全艦が精度を上げたス級の砲撃でボロボロと戦力を切り崩されかねない。
「敵はまだ見えないのか……」
ぎりりと音を立てて握りしめた拳を主砲搭の天蓋に打ち付けて武蔵が呻く。
駆逐艦娘が三人、大破して航行不能になったベッドフォード、セントポール、クインシーに肩を貸して、後退する中、ス級の第五射が飛来する。
今度は艦隊の前方に再び全弾が着弾して、再度海水の壁を作り出し、艦娘艦隊の行く手を阻む。矢矧を先頭に混成水戦がその水柱の壁に突入し、大和達も崩れる水柱の壁に突っ込み、暫し夜間の海水浴を味わう。
防護機能があるとは言え、軽く潮気のある水が大和の口に入り込み、唾と共に海面へと吐き出していると、唐突にCICの電測長妖精と見張り員妖精が同時に叫び声を上げた。
「右前方三〇度、水平線上に艦影視認! 敵艦隊発見!」
「敵艦隊発見! 距離五五〇〇、艦影四! ダイヤモンド陣形を敷いて展開中!」
「遂に掌中に捉えた……!」
自らも暗視双眼鏡で指示された方角を見て、ス級の巨大な艦影を目視で確認しながら、大和はその双眼鏡を握る手に軽く力を込めた。
首から紐で下げている双眼鏡を下ろした大和は、直ちに合戦準備を凛と張った声で下命した。
「対水上戦闘用意! 夜間砲雷同時戦、用意! 戦艦各艦は大和に続いて単縦陣を成せ!」
その号令を聞いて直ちに武蔵、イタリア、ローマ、アイオワ、ビスマルク、リシュリュー、ガングートが素早く大和の背後に周り、単縦陣を形成した。前を征く戦艦艦娘の航跡に自身の足元を乗せて進む陣を敷く戦艦艦娘達の周囲で、重巡艦娘高雄、ヒューストン、タスカルーサが単縦陣を組んで戦艦艦娘達の単縦陣の横に付ける中、軽巡艦娘ユリシーズ、シェフィールド、パースの三人の下に英国とアメリカの駆逐艦娘達が素早く展開して三列に渡る複縦陣を組む。
その間に、ス級からの第六射が飛来する。仰角を取り過ぎたのか、今度は全艦娘の頭上を、轟音を鳴らしながら飛び抜け、その背後に白い水柱の壁が立ち上る。背中から押し寄せる衝撃波に突き飛ばされるような感覚を味わいながら、艦娘達は
「水雷戦隊、突撃開始! 射線方向に留意しつつ、統制水雷戦をス級、及びアンツィオ沖棲姫に敢行せよ」
矢矧が率いる隊を含めれば四隊に上る軽巡と駆逐艦からなる水雷戦隊に大和が突撃を命じるや、目つきが獲物を狩り立てるハンターのそれになったユリシーズ、シェフィールド、パース、そして矢矧を先頭にした水雷戦隊が一斉に全速でス級とアンツィオ沖棲姫の元へと突撃を開始する。
その後方から、大和、武蔵、イタリア、ローマ、アイオワ、ビスマルク、リシュリュー、ガングートの単縦陣がそれぞれの主砲をス級へと差し向けた。五一センチ三連装砲と連装砲、一六インチMk.7三連装砲、三八・一センチ三連装砲、三八センチ四連装砲、三八センチ連装主砲、三〇・五センチ三連装砲と多岐にわたる戦艦の主砲が一斉に同一目標を睨みつける。先頭の大和の照準が後続の戦艦艦娘達の艤装に共有され、六種類の主砲の照準が全てス級一隻に合わせられる。
「統制砲撃戦用意! 旗艦大和の諸元にて、統制砲撃を行う!」
「了解、全戦艦艦娘に通達。敵大型戦艦に対して統制射撃を行う!」
次席旗艦である武蔵が大和の発令に続けて、各種指示を出していく。流暢な英語を話す大和に対してやや日本語訛りな武蔵の英語の発令が、続航する五か国、六人の戦艦艦娘に伝達されていく。
主砲の砲身が仰角取り、旋回基盤の旋回する作動音が八人の艤装上で鳴り、同時に主砲発砲用意の警報が鳴り響く。八人の戦艦艦娘の主砲塔内で徹甲弾が主砲砲身に装填され、装薬がその後ろから押し込められる。
射撃準備良し、のブザーが鳴り、CICからも砲撃準備完了の知らせが挙げられて来る。
「大和、攻撃準備完了!」
「武蔵、攻撃準備完了!」
続いてイタリア、ローマ、アイオワ、ビスマルク、リシュリュー、ガングートからそれぞれ英語圏生まれのアイオワ以外それぞれの母国訛りの英語で自らの名と「攻撃準備完了!」の答えを相次いで返した。
食らえ、とス級elite級一番艦を凝視して大和は喉を張り上げて、射撃を発令した。
「撃ちー方始めぇ! 発砲、てぇっ!」
刹那、海上に昼間の太陽の如く橙色の閃光が走った。周囲を一瞬明るく照らし出す程の光源となって走った発砲炎が六人の前面に迸り、六七門に上る多様な戦艦級の主砲から真っ赤に焼けた徹甲弾が、夜空に輝く恒星となってス級へと飛翔して行った。
一〇秒と立たずに、六七発の砲弾はス級の周囲に着弾していた。初弾命中とはいかなかったものの、全弾が挟叉と言う高い散布界精度を出していた。
入れ替わる様にス級の第七射が撃ち返されてくる。艦娘達の頭上を掠める様に低空を飛ぶ流星群となってス級の斉射が飛び越し、再び艦娘達の背後に巨大な水柱の森を作り上げる。内懐に飛び込んだ結果、主砲の俯角がこれ以上下げられない様子だった。
無印であれば、超甲巡艦娘の装甲すら射抜く副砲がこの時点で射撃を開始していた頃合いだったが、elite級はその副砲を廃して、対空砲に換装しているので、今の交戦距離では射程が足りなかった。大量にある対空砲群は海面と平行な角度にまで砲身を押し下げて、射程内に艦娘が入って来るのをじっと待っていた。
次弾装填が終わるのを待つ大和の視界の先で、先行突入した水雷戦隊四個部隊の砲撃開始の発砲炎が見えた。戦艦程の派手さは無いが、初速で勝る鋭い砲声が鳴り響き、ス級二番艦と三番艦に牽制射を撃ち込んで行く。
ス級elite級三隻の内、二番艦と三番艦の対空砲が一斉に応射の火蓋を切る。一隻で軽巡艦娘二〇人分はありそうな大火力が浴びせられ、無数に林立する水柱にシェフィールド、パースが率いる水雷戦隊が包み込まれる。
視界と射界を遮る水柱と衝撃波、思い出したかの様に飛来する破片を弾き返しながら、パースはオーストラリア訛りの英語で叫んだ。
「Shoot! Shoot!」
彼女の六インチ連装速射砲Mk. XXIが火を噴き、ス級の対空砲を一基でも潰さんと六インチの高初速弾を撃ち出していく。続航する駆逐艦娘達も両手で構える小口径主砲を撃ち放ちつつ、魚雷発射点にじりじりと距離を詰めていく。
ス級の速射性の高い対空砲が一発撃てばその間を埋める様に別の対空砲が撃つと言うサイクルを重ねているからか、間断の無いシャワーの様な弾幕が装甲と言う概念の乏しいパース達に豪雨となって襲い掛かる。右に左に両足の側面に力を込めてジグザグに走るパース達に弾幕は容赦なく襲い掛かり、一発が先頭を走るパースの艤装を捉えた。
着弾音と衝突の火花が走った直後、砲弾炸裂の爆発炎が走り、パースは反射的に顔を左腕で覆った。
「左舷ポンポン砲消失! 火災発生、消火、急げ!」
応急班妖精が左舷艤装に着弾し、砲座事ごっそり吹き飛ばされた機銃座の跡から、めらめらと昇り始める火災に対して対応を叫ぶ。
「パース、大丈夫!? 傷は!?」
続航する駆逐艦娘のスチュアートが叫ぶ。被弾時の火花の大きさにパースが深刻な損害を被ったと誤認したようだった。
「勝手に殺す様な物言いは止めて頂戴。大した被害じゃないわ」
涼しい声でパースは返していたが、本心では冷や汗をだらだらと流していた。ス級の対空砲の投射量が自分達の砲撃の倍以上であり、軽巡である自分に相応の損傷を与えて来るのだから、気が一切抜けない。
凄まじい対空砲の砲撃はパースに軽微な損傷を与え、やや遅れて後続のヘイスティ、へレワード、ヴェンデッタに相次いで直撃弾を与えた。
ほぼ同時に三人の駆逐艦娘から「ぎゃッ!」と言う短い悲鳴が飛び出て、パースは反射的に後ろを振り返った。ヘイスティのA砲が彼女の手から奪われ、ヘイスティの両手が血で真っ赤に染まっていた。更に彼女の背中の艤装の機関部がある個所から黒煙が上がり、徐々にだがヘイスティの速力が低下していた。へレワードとヴェンデッタはヘイスティの黒煙に遮られて見えない。
「損傷の大きい艦は無理せず後退を。残存艦は隊列を再編し、突撃を続行!」
先導艦、嚮導艦として指示を出しながらパースは魚雷発射点までの距離をCICに尋ねる。
「あと二〇〇です!」
パースと同様オーストラリア訛りの英語でCIC妖精が答える。二〇〇メートル……目の前の様で、万里の長城の如く長く感じられる距離にパースは無言で主砲を放ち、水柱の向こう側にある何もない海面をちらりと見やる。
ヘイスティ、へレワード、ヴェンデッタの被弾に続いて、アイレクス、グリフィンが被弾した。「I‘m hit! I’m hit!」と叫ぶ二人の声に、なお健在なスチュアートが「その程度の損傷くらいで喚かない!」と叱り付ける様に言う。
アイレクス、グリフィンの被弾損傷は二人の慌てぶりに反して軽微だったが、先に被弾したヘイスティ、へレワード、ヴェンデッタは対照的に受けた被害は大きかった。ヘイスティは機関出力低下も相まって自力で戦線から離脱し、ヴェンデッタは悲鳴の後沈黙して海面に膝をついて停止したへレワードを連れて脱出に移行していた。
駆逐艦娘三人が脱落した水雷戦隊を率いるパースは、一瞬だが撤退するべきか? と迷いを脳裏に浮かべた。魚雷発射点まで目と鼻の先だが、これ以上近づけば近づく程、致命的な被害を受ける可能性がある。
迷いは、直ちに決意となって消し去られた。故郷オーストラリアの自然の中を走り回って、猛獣を含めた野生動物と触れ合う内に鍛えられたパースの鋼の精神が、突撃続行を選択していた。そしてそれに続く駆逐艦娘も英国版、或いは英国連邦版の水雷魂に駆られるがまま、怯む事無く吶喊を続けた。
「距離一五〇……一〇〇、魚雷発射用意!」
発射完了次第、即時舵を面舵に切って全速離脱だ、とパースは視界内でス級の呆れ返る程巨大な艦体を見据えて、呟く。深海棲艦と言うよりは。文字通り小型の軍艦程はあろう巨体が眼前に迫り、両用砲として機能する対空砲の砲火は激しさを増す。炎の濁流に突っ込むかのような錯覚に陥る中、CICの水雷妖精が叫んだ。
「魚雷発射地点、到達!」
「Torpedo, On the way!」
「Shoot! Shoot! Shoot!」
パースの艤装から、そして健在なスチュワート以下の駆逐艦娘から魚雷が圧搾空気の音を伴って海中へと放たれた。
率いる水雷戦隊の全艦娘の艤装から、リードを解き放たれた猟犬の如く魚雷全弾が海中を疾駆していくのが確認されると、駆逐艦娘を率いるパースの努力は射撃というプロセスから、生きて脱出すると言う段階へと切り替わった。
「All ships hard to starboard!」
面舵一杯を命じ、熾烈なス級の対空砲の弾幕の内から逃れようと、最大戦速で海上を駆けるパース達が右へと進路を切り替える。全速力でス級の魔の手の内から退避にかかるパース達の周囲に、尚も対空砲の至近弾が水柱を突き立てたが、間もなくその狙いは迫り来る魚雷群へ切り替わり、パース達にそれ以上の弾幕が襲い来る事は無かった。
海面を滅多打ちするス級の対空砲の弾幕によって、海上に無数の水柱がそそり立ち、ソーナーでは聴音不能な程海中が爆音で搔き乱された。数えきれない程の対空砲の砲弾が水中で炸裂し、魚雷群の接近を阻もうとがむしゃらに海中を掘り返す。
射程外に逃れたパースは、先に離脱したヘイスティ、へレワード、ヴェンデッタの三人の元へ向かった。
暗がりの向こうで三人の姿を確認したパースは、へレワードの様子が芳しくない事に気が付いた。自らも傷ついているが比較的軽傷で済んだらしいヴェンデッタが医療キットで止血処置などの応急手当を施しているが、制服の胸部が血で真っ赤に染まっており、ヴェンデッタの呼びかけに対して反応が薄い。
ヘイスティは両手をやられてしまっており、自力での手当てが出来ていなかったが、少なくともヘレワード程重傷ではない様だった。パースの背後から続いて来ていた駆逐艦娘ハヴォックがヘイスティの傍らに接舷し、彼女の血まみれの両手の手当てを始めた。
戦闘海域から少し離れた所で、負傷した駆逐艦娘達の応急処置を施しながら、パースは腕時計を見やり、自分達が死線を潜って叩き込んだ魚雷の爆発音が聞こえてくるのをじっと待った。
長身と短針、そして秒針の刻む魚雷到達の時間を待ったパースの耳に、非情にも魚雷命中の轟音が聞こえて来る事は無かった。
ス級一番艦へ集中砲火を浴びせる大和達は、通算一〇回目に上る斉射を放った。大口径の主砲が咆え、反動で砲身をがくんと後ろに引き戻し、衝撃波と紅蓮の炎を砲口から叩き出す。六七発の多様な徹甲弾が宙空を飛び抜け。ス級の艦体をこれでもかと殴りつけた。
だがス級は耐えた。対空砲は悉く艦娘艦隊に晒している舷側にあるものは破壊されていたが、肝心な重要装甲を射抜く事が出来ない。艦娘の主砲の中でも最も大きく、威力の高い五一センチ徹甲弾を放つ大和型改二の砲撃ですら、びくともしない堅牢さを見せつけていた。
「何て硬さ……戦艦艦娘六人の集中砲火を受けてもびくともしないなんて」
大和は尚、戦闘航行能力に問題なしと威容を見せつけているス級の艦影を凝視して、堅牢さと言う名の絶望を見つめている気分になった。
あの強靭な装甲、どうすれば破壊出来ると言うのだろうか? ユリシーズ、シェフィールド、パースが率いる水雷戦隊が危険を冒してまで内懐に飛び込んで魚雷を見舞っていたが、対空砲の猛烈な海面撃ちでいずれの魚雷攻撃も阻止されていた。
昼間の見晴らしのいい環境下での魚雷攻撃よりも、危険度の低めな見通しの悪い夜間の雷撃ですら無効化されるのでは、もはやどうすれば決定的な一撃を撃ち込めると言うのだろうか? 砲撃は通用せず、魚雷攻撃も防がれる。それどころか、肉薄して雷撃を見舞った駆逐艦娘達に大きな被害が発生している有様だ。
「これは流石に分が悪いとしか言いようが無いな」
普段、泰然と構えているガングートも焦りと、理不尽なまでに硬すぎるス級に対する明らかな不満を込めた口調で言う。
「私達の大重量、高初速弾は半分諦めるとしても、大和型の二〇インチでも解決出来ない問題があるのだとするなら、一旦退く事も現実案と言えるわね」
現実を見て天秤にかけた上での一時戦術的後退も視野に入れるべきと言うローマなりの具申の意が込められた発言に、ビスマルクとアイオワ、イタリアも一時後退を考え出していた。皆が昼間の戦闘で疲れ、弾薬も燃料も消耗している。疲弊した状態で無理を重ねれば、最悪、ヴィクトール、モントローズ、そしてジェームスに続く新たな艦娘の犠牲者を出す事に繋がりかねない。
「まだだ……まだやれば、行ける筈だ!」
唯一、戦術的後退を良しとしない武蔵が、ス級だけを見つめて唸る。どうすればス級を撃破出来るのかと言う具体的な策も根拠も無い、徹底抗戦論に、トリガーハッピー気質な一面を持つアイオワですら呆れた表情を浮かべる。
一同の脇では高雄以下の重巡艦娘が援護射撃を行っているが、重巡の砲撃は蚊に刺された様なものだと言わんばかりに、ス級は直撃する二〇・三センチ砲弾の数々を弾き返し、被弾箇所に無傷の文字を浮かべて平然と航行していた。
「退却するしか無いですね……このままでは消耗戦です。こちらの体力が先に尽きてしまう」
丸一日戦い続けて来た事による疲労が今になって脳内を占め始めた大和が、発砲時の硝煙で煤けた頬を拭いながら言った。それに対し、武蔵がなお交戦を主張しようとしたが、大和からの今は退くべきと言う視線を受け取って、大人しく引き下がった。武蔵もまた疲労で頭が回らなくなりつつあった。
問題は、と反転離脱前に少しでもパンチを入れておこうと主砲斉射を放ちながら、大和は今の自分達が容易に離脱できる状況ではない事を冷静に把握していた。今はス級の主砲の射撃不能圏内にいるから一方的な砲撃が出来ているとは言え、距離を取れば必然的にス級の主砲の射界に入り込む事になる。離脱中に背中から撃たれる事になる以上、相応の損害が発生する事は覚悟しなければならない。
賭けるとすれば、最大戦速でひたすら母艦まで足の速さを生かして逃げ切る事だが、そうなった場合、どうしても全員が同時タイミングで脱出する事は無理だ。大和型とガングートは最大発揮可能速力が三〇ノットにも満たない。それに駆逐艦娘の中には大勢の負傷者もいる。足回りや機関部に損傷、怪我を負っている者も少なくない以上、全速力で離脱するのも現実的とは言えない。
どうする、どうすればここから撤退出来る? 纏まらない考えが脳内を駆け回る中、ひとまず全艦娘を集結させるべきだと、大和は考え、四方に散っている艦娘に集合の通信を送った。
負傷者を抱えて集まって来る水雷戦隊の状況は悲惨の一言に尽きた。吶喊した四個水雷戦隊の内、矢矧率いる混成水戦以外はどれも半数以上の駆逐艦娘が被弾するか、重傷を負うかの大なり小なりの損害を受けている。
砲声は止んでいた。残弾が払底しかけている大和達が砲撃を止めた事で、一時的にだが静けさが海上に戻っていた。
さてこれからどうしたものかと負傷者を抱えた駆逐艦娘達を見て、感傷を今は抱かず、他者への共感を殺して大和が考えていると、ほぼ無傷で戦力を維持している事から自発的にピケット部隊を担っている矢矧以下の混成水戦から警報が飛んだ。
「ス級の後背より、進出、接近する艦影あり! アンツィオ沖棲姫と思われる!」
「この忙しい時に……」
舌打ちを交えながら大和が呟いた時、矢矧達がアンツィオ沖棲姫と交戦を開始する砲声が轟き始めた。矢矧達も連戦で消耗している筈だが、弾がある限りは戦い続けるつもりの様だった。
「本隊は一時後退を決定したとの事ですが、アンツィオ沖棲姫とス級の主砲射程内に挟まれて撤退が困難な状況の模様です」
「となれば、助太刀するしかありませんね」
戦術タブレットで大和のCIC妖精からシーガル1を経由して送られて来た本隊の戦況を語る青葉に、愛鷹は軽く溜息を交えながら腰の脇に刺す一対の長刀に目を落とした。
久しぶりに、それも脳の処理能力が明らかに悪化して反応速度が落ちている今の自分がやるのはいい考えとは言い難い気もするが、接近戦でス級の戦闘能力を一時的にでもいいから無効化出来れば、本隊の一時撤退の時間が稼げるのは確実と言えた。アンツィオ沖棲姫に関しては、情報が不明なところが多くて判断の下せる余地が少ないが、愛鷹の本能的にはス級程の理不尽な頑強さは無いだろうと踏んでいた。
本隊の後詰の戦力として自主的に出動して来た第三三戦隊は、今、本隊の撤退支援と言う新たな作戦目標を自然発生的に与えられる形となっていた。
旗艦艦娘の愛鷹を先頭に、青葉、衣笠、夕張、深雪、蒼月、瑞鳳の七人からなる第三三特別混成機動艦隊の基幹戦力は、深夜に徐々にその時計の針を進める暗い海上を力強く驀進していった。
またのお話でお会いしましょう~