艦隊これくしょん この世に生を授かった代償   作:岩波命自

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 とうとう一〇〇話ですか……「言葉にすれば僅か二文字(四文字)だが、生きて見れば随分長い年月だったな」感ありますね。


第一〇〇話 一期一会

 空母機動部隊の随伴艦を削ってまでして、再編成された艦隊は歪さを孕んだ陣容になっていた。

 戦艦艦娘は大和、武蔵、アイオワ、ワシントン、サウスダコタ、マサチューセッツ、イタリア、ローマ、ガングート、リシュリュー、ビスマルク、アドミラル・グラーフ・シュペーの一二名、重巡洋艦は高雄、タスカルーサ、ヒューストン、プリンツ・オイゲン、ザラ、ポーラ、それに空母機動部隊から編入された重巡とも軽巡とも取れるキーロフ、正真正銘の重巡のミネアポリスを加えた八人へ増強され、軽巡はユリシーズ、シェフィールド、パース、グロワール、ヘレナの五名。主力艦となる大型艦娘は損耗を重ねながらも一定の規模は維持している。ただ、クインシーやベッドフォード、矢矧らの複数の巡洋艦娘の負傷離脱が痛痒い部分はある。

 問題は駆逐艦だった。ス級への交戦、その以前の深海地中海艦隊との交戦で消耗していた駆逐艦娘は大部分がス級との戦闘で消耗してしまい、動けるのは日本艦隊の吹雪、白雪、初雪、叢雲の第一一駆逐隊、磯波、浦波、北米艦隊から再編の折に集結したキッド、キーリング、ヘイウッド・L・エドワーズ、アレン・M・サムナー、ジャヴェリン、ジャーヴィス、スチュアート、アイレクス、グリフィン、モガドール、タシュケント、マエストラーレ、リベッチオ、シロッコ、グレカーレの二一名にまで減じてしまっている。空母機動部隊から更に駆逐艦娘を割かせる事は不可能では無いが、それを行うと今度は空母機動部隊に付けるべき最低限の駆逐艦娘戦力すら残らなくなる。

 艦隊の打撃力において戦艦に次いで高い打撃力を誇るのが、駆逐艦娘の放つ雷撃と言っても過言ではない。概ね二一インチ以上の魚雷を一人当たり平均四発以上備え、その弾頭に戦艦艦娘の徹甲弾と遜色のない炸薬を充填し、更に砲撃と異なり空中の環境やコリオリの力に依存しない射線、それが魚雷の持つ利点であった。無論、一部の重巡艦娘や軽巡艦娘にも魚雷は備わっているが、彼女らの主兵装は寧ろ駆逐艦娘のそれより大きい主砲にある。

 ス級と言う恐らく艦娘の既存の艦砲では撃破不能な相手に、唯一対抗出来ると目される兵装が魚雷だった。しかし、敵はス級だけではない。アンツィオ沖棲姫もいるのだ。これまでの戦闘で朧気ながらその性能が分かりつつあるス級と違い、アンツィオ沖棲姫に関する詳しい情報は分かっていない。精々、戦艦級程の大口径艦砲は無く、空母級の様な艦載機運用能力も無く、潜水艦級の様な潜航能力も無いと言う程度が何となくだが分かったくらいだ。

 仮眠から起きた愛鷹は艦尾のウェルドックに隣接する休憩所でコーヒーを注いだ紙カップを口に運びながら、簡易テーブルの上に置いた軍用PCのディスプレイに表示される哨戒機シーガル1に代わって、触接を交代したシーガル2の送って来る敵の布陣状況を見て考えに耽っていた。

 愛鷹以外の第三三特別混成機動艦隊の艦娘達は居住区で仮眠をとるなり、食事するなりして休んでいた。既に対応すべき深海棲艦の艦隊規模が大幅に縮小している事もあり、基幹戦力である第三三戦隊以外の多くの艦娘が、「ズムウォルト」の艦内で待機する日々を送っている。

 真面目な話、もう第三三特別混成機動艦隊は解隊しても差し支えない、と愛鷹は想っていた。寧ろ、今の第三三特別混成機動艦隊に艦娘を集結させることで、本来の機動艦隊戦力を削いでいるまであった。正規空母であるイントレピッドや、四戦隊の愛宕、鳥海、摩耶など出撃していない今では遊兵状態にあると言っていい。実に勿体ない運用であった。

 第三三特別混成機動艦隊のメンバーの人事ファイルを開き、暫しそれをスクロールして開示されているそれぞれの個人データを見つめていた愛鷹は、全員のページを見終わると、バックボタンを押してファイルを閉じると、司令部へ、欧州総軍司令部へとビデオ通信の回線を繋いだ。この時間帯なら武本は起きている筈だ。

 

 

≪第三三特別混成機動艦隊を解隊したい?≫

 ディスプレイの向こうで、若干のラグを挟んでいう武本に愛鷹は無言で頷いた。

「既に、第三三特別混成機動艦隊の規模を持って偵察や前衛艦隊任務をこなす必要がある状況が今後、惹起するとは考えられません。深海地中海艦隊はその戦力をこれまでの戦闘で損耗し切り、事実上壊滅状態にある。もう隠れる事も逃げる事も出来ません。ましてや打って出る事も出来ないでしょう。

 我が第三三特別混成機動艦隊に編入されている四戦隊の重巡、フレッチャー級駆逐艦、一九駆の半分と本来の機動艦隊戦力の定数を逆に削って無駄にしているまであります。第三三特別混成機動艦隊を解隊すれば、これら艦娘隊は本来の部隊に復帰し、原隊の戦力を元通りに出来ます。

 アンツィオ攻撃部隊において高雄一隻だけの状態にある四戦隊や、戦力の損耗が激しい駆逐艦娘戦力を微量ながら補填出来ると小官は考えますが」

≪……そうだな。もう第三三特別混成機動艦隊の出る幕もあるまい。君の進言を許可しよう。

 第三三特別混成機動艦隊は本日マルナナ・ゴーマル時を持ってその任を解き、各艦娘には別命を追って指示する。なお基幹戦力である第三三戦隊の編成に関しては、以後も変えないものとする≫

「了解しました」

 ディスプレイの右下に表示される時計表示を見て、二〇分後か、と愛鷹は艦隊の解隊の時刻を確認する。自分が伝達して回らずとも、自室にいる各々の端末に自動的に指令と辞令が届くだろう。

≪これで艦隊は元通りだね≫

 ふと日常的な口調に戻った武本が微笑を浮かべて愛鷹に言う。

≪慣れているメンバーの方が、気を使い過ぎなくて楽なんじゃないかな?≫

「それは確かにあるっちゃあります。第三三戦隊の仲間達の方が、こう、なんて言いましょうか、『実家のような安心感』と言うものを感じはします」

≪ふむ……≫

「何か?」

≪いや、大した事ではない。引き続き第三三戦隊旗艦としての任務、任せたよ≫

「了解」

 

 

 午前八時。解隊を命じられ、別の艦娘母艦への移乗が命じられた元第三三特別混成機動艦隊の艦娘達が、愛鷹に別れを告げて「ズムウォルト」を発って行った。同じ日本艦隊の艦娘なら一時の別れ程度なので、その挨拶は軽いものだった。鳥海は丁寧な一例をして行った一方、摩耶は彼女らしいラフな挨拶を愛鷹に残して行った。

 程なくして私物を詰め込んだスポーツバックを肩にかけたイントレピッドがフレッチャー、ジョンストンと共にウェルドックに現れた。

「お別れですね」

 堪能な日本語でイントレピッドは愛鷹に向き合って言う。身長一八九センチの身体に、ヒールの九センチを含めると一九八センチの頭身がある愛鷹に、靴のヒール抜きのデフォルトの身長で愛鷹の一九八センチの頭身に並ぶ大柄な背丈の正規空母艦娘の顔には、少しばかり寂しそうな表情が浮かんでいた。所属する艦隊の国が違うと、共同作戦の機会はある意味ランダム要素が強い。次、また戦列を並べられる機会が来るかは、お互い分からなかった。

 一期一会を大事にするイントレピッドはバックを下ろすと、右手を愛鷹に差し出した。

「また、そうね、日本の地でお会いして、お食事でも一緒に出来たら嬉しいわ」

「私も、貴女ともっと親交を深める機会が今後訪れたら幸いです」

 今世の別れでもないのに、随分大袈裟なと内心思いつつも、ここは合わせておこうと愛鷹は微笑を浮かべて差し出された右手を同じ右手で握った。

 握手を交わした後、フレッチャー、ジョンストンの二人にも別れを交わした。

「必要ならばいつでもお呼び下さいね」

「何時でも助けに来るし、遊びに来るわ。またね」

 御淑やかなお嬢様然しているフレッチャーに、快活な歳相応の女子らしいジョンストンの言葉に、愛鷹はにこりと微笑み頷いた。

 三人が揃ってウェルドックから海へ出て行くのを見送った愛鷹は、「See you again……」と再会を願う言葉を呟いていた。

 イントレピッド、フレッチャー、ジョンストンの三人を見送った愛鷹の背後に、青葉が立つ静かな足音が聞こえた。

「これで、また愛鷹さん周りの艦娘は元通りですか」

「寂しいですか?」

 振り返って聞く愛鷹に、青葉は柔らかい笑みを浮かべながらも、軽く首を横に振った。

 両手を後ろに組んだまま隣に歩み出た青葉は、ハッチ閉鎖のアラーム音とポンプの稼働音、ハッチ閉鎖の稼働音が静まるまで待ってから、その心の中にある本音を言った。

「戦場で死なない限り、愛鷹さんと違って、会おうと思えばいつでも会えますから」

「……一期一会の重みは私と青葉さんとではやはり違いますね」

 お互い隠しっこ無しの本音で語り合える仲だからこその青葉の発言ではあった。青葉とて決して愛鷹より先に死を迎える可能性が無い訳ではないと言う事は理解している。戦場で老い先短い愛鷹より先に青葉が戦死する可能性は充分に、そしていつでも起こりうる可能性である。それに愛鷹が必ずしも余命通りに寿命を迎えるとも限らない。何かしら医療技術の進歩で延命治療が可能になるかも知れないのだから。一世紀以上前は不治の病だった結核が今では完治出来る病なのと同じように、愛鷹の日々擦り減るテロメアの過剰な分裂を抑制できる技術もいつかは見つかるのかも知れないのだから。

  

 

 青葉と別れた愛鷹は何気なくブリーフィングルームへと足を運んだ。「ズムウォルト」に残る艦娘が第三三戦隊の七人だけとなった今では、すっかり寂しさが溢れ出て閑散としていた。

 その閑散としたブリーフィングルームの席にちょこんと座っている瑞鳳を見かけ、ふらりとその隣の席に腰を下ろす。

「何か、考え事ですか?」

 深刻な事でも簡単な事でも、と相談に乗る姿勢を見せる愛鷹に、瑞鳳は席の背もたれに身を預け、目を閉じてため息を吐きながら答えた。

「この作戦が終わったら、皆に卵焼き料理を振る舞ってあげようと思っていたんです。でも、そうする前に解散になっちゃった……。食事を作る側として、特に卵焼き料理においては誰よりも拘っている私として、新作を試す時の反応は多い方がフィードバックの上でとても助かるものです。それをする前に、艦隊が解隊になっちゃった」

「日本に戻れば、試す機会は幾らでもありますよ」

 瑞鳳なりに深刻な悩みに苦笑交じりに答えつつ、その艦隊の解隊を進言したのは他ならぬ愛鷹自身である事を今ここで言うべきか、彼女の中で軽く迷いが生じる。

 するとそれを見抜いたか、それとも憶測か、瑞鳳は眼を開けて愛鷹の方を見ながら続けた。

「まあ、現状四隻くらいしか残っていない深海地中海艦隊相手に、もう第三三特別混成機動艦隊で調べごととかあったモノでもないでしょうしね。

 寧ろ愛宕や鳥海、摩耶たちを元の第四戦隊、高雄の元に戻す方が、この海での最終決戦前の戦力強化と言う意味で妥当でしょう。皆生きて帰れば、やり直しは幾らでも聞くわけですしね」

「全く持ってその通りですね」

 

 余り普段意識しない事ではあるが、瑞鳳とてこれでも少佐の階級持ちの、指揮・幕僚過程を履修した立派な将校なだけに、着眼点においては相応の実力があるのが語り口からも分かった。愛くるしい見た目とは裏腹に瑞鳳もやはり、艦娘以前に軍人だった。

 

 

 第三三特別混成機動艦隊が解散した事で、本艦隊の重巡戦力は高雄一人だけだった第四戦隊が定数を元に戻した結果、戦力の回復につながった。またフレッチャーとジョンストン、綾波と敷波も本艦隊編入が決まり、全体で見れば微増ではあったが、艦隊戦力の強化が図られていた。支援の空母機動部隊には伊吹とイントレピッドが編入され、アンツィオ沖での艦隊決戦で空母艦娘戦力を損耗していた空母機動部隊の頭数がこちらも二人だけだが増強された。

 陸戦では、地上部隊は深海棲艦地上部隊に制圧されていたイタリア半島の大部分を奪還し、最後の抵抗拠点であるアンツィオを包囲する陣を敷いていた。変色海域と同じ、陸地の深海棲艦変色エリアを陸戦型UAVである自立起動装甲歩兵ことUNATが四つの大きな足で、巨大草食動物の如く重厚な動きで前進し、後続の有人の機甲部隊や歩兵部隊の前進に先だった偵察と環境の調査を行っていた。

 UNAT部隊が機械音とアクチュエーターの作動音を響かせて前進する赤い大地は、見た目では単に赤く染まっているだけにしか見えず、寧ろその赤みはUNATが進むにつれて僅かにだが薄れつつあった。変色海域ならぬ変色エリアの衰退は、即ち深海棲艦が決定的に地中海での、ひいては欧州での優勢を喪いつつあることを如実に表していた。

 とは言え、変色海域、変色エリアは生身の人間や耐浸食コーティング無しの通常兵器が足を踏み入れたら、有機物、無機物関係なしにその組織構造を崩壊させて死、破壊に至らしめる致死エリアである事に変わりはない。故に耐浸食コーティングが施されているUNAT部隊による先行突入が新たなセオリーとなっていた。無人機であれば、別に侵食破壊で全損しようが、また工場で新しい機体を製造すれば良いだけの話である。

 

 UNATの配備は世界各国の軍需企業に、新しい兵器製造の需要を生み、軍需企業の活性化にもつながっていた。戦争の無い、或いは大規模な戦争が起きていない平時において、軍需企業程、儲からない産業は無い。逆に世界規模で戦争、紛争が常時発生している中では、軍需企業は最も儲かる産業に変わる。UGVの一種であるUNATの大量発注とその製造から、艦娘の艤装、武器弾薬の製造、予備部品の製造、妖精が乗り込む航空機製造、その予備部品や装備、弾薬類に至るまでの国連軍からの各企業への発注は、細々と正規軍へ銃器を納入する事で食い繋いでいた銃器メーカーを筆頭に、企業の活性化に繋がっている。軍需産業の活性化は雇用を生み、失業率の高かった国々では、この深海棲艦との戦争で発生した特需によってGDPの向上にすら至っていた。

 軍需産業の活性化は何も艦娘技術関連に留まらない。深海棲艦の出現後、顕著になった世界各地での人類同士の地域紛争の為にも、通常兵器、銃器の需要は続いている。いや寧ろ戦前よりも地域紛争の頻度が増えた分、需要は増大している。表向きでは正規軍に装備を納入し、裏ルートで反政府軍などにもそれっぽい理由を付けて装備を横流しするのが今では常態化していた。

 こうした深海棲艦によって引き起こされたと言っていい、戦争経済は今では世界を回す産業の柱にもなっていた。

 

 

 艦娘艦隊の再編成は一一月一二日一杯をかけて行われた。最終的に投入戦力は戦艦一二、重巡一一、軽巡五、駆逐艦二五で決定された。この艦隊戦力を大きく分けて複数の分艦隊に分割された。

 またここまで明瞭な艦隊名が付与されていなかった事から来る都合の悪さを解消する為、艦娘統合任務部隊と言う艦隊名が上記の作戦参加艦娘艦隊に与えられた。艦娘統合任務部隊、そして最前衛突入部隊として第三三戦隊が指定され、ス級elite級三隻とアンツィオ沖棲姫一隻の四隻だけの深海地中海艦隊に対して、同艦隊はシンプルながら、匙加減では絶大な効果を発揮する物量を持ってねじ伏せる布陣を作った。

 作戦参加艦娘数六〇人と言う大艦隊で四隻の深海地中海艦隊残余を叩く。過剰な戦力投入にも見えるが、ス級elite級の堅牢な装甲を考慮すれば、果たしてこれでも足りるのだろうか、と言う一抹の不安は第一連合艦隊に参加する艦娘皆が抱いていた。ス級の内、一隻は武装を無力化されているから置物状態とは言え、残る二隻、そしてアンツィオ沖棲姫だけでも充分に脅威であることに変わりない。

 一方、戦艦艦娘を始め、複数の艦娘を前面に立つ艦娘統合任務部隊へ引き抜かれた空母機動部隊は、後詰の戦力とし手の配置が決まった。空母機動部隊からは戦闘機隊を大隊規模で出撃させ、戦場海域の航空優勢を確保し、ス級の弾着観測機の跳梁を阻む事も各部署間、艦娘間で確認された。

 

 

 地中海に進出していた深海棲艦の個数が減るのに比例するかのような形で、アンツィオを基点にその赤く染まった世界を縮小させていく変色海域に合わせ、前進する国連海軍艦隊の中で、一隻だけ破損著しい艦があった。

 第三三特別混成機動艦隊によって、西部進撃隊の元へ導かれて来た「アイガイオン」だった。乗艦していた乗組員の多くや艦娘は他の艦や、地上基地へ移され、運航に必要最低限の人員が残るだけとなっていた。

その「アイガイオン」の艦内では、ツーロンから派遣されて来た技術者が艦内を調査して回って、その損傷具合を確認していた。

破壊された艦橋に立つ「アイガイオン」艦長の元に技術者からの報告が纏められて来た。タブレット端末を介して、損傷状況を共有する艦長の表情が徐々に歪んでいく。

「思っていた以上に悪いか」

 艦自体のコンディションも含めて、「アイガイオン」の状態は悪かった。損傷は直接的に被った被弾による破壊だけでなく、どうにも変色海域の直ぐ傍にいただけで、目で見えない「痛み」を艦体にもたらしていた模様だった。艦底部に至っては、漏水も幾つか確認されている。

「率直な所、どう思うかねXO(副長)」

 傍らの副長に意見を求める艦長に、副長は安全ヘルメットの隙間から髪を軽く搔きながらタブレット端末をスクロールして、答えを自身の中で導き出した。

「そうですね……軍がどうしてもこの艦を持って帰って欲しいと言うのなら、ドックに帰り着くまでの間、補修に全力を尽くしますが、真面目な話として今すぐにでも廃艦処分にして、ドックでは新造艦を作らせた方が安上がりかと」

「君もそう思うか」

 溜息を交えながら艦長は、時折鋼鉄の軋む音を立てる「アイガイオン」の艦内の天井に視線を上げながら、副長が自分と同じ事を考えていた事に、一種の心の整理に近いものがついていた。艦長として、「アイガイオン」に愛着はあったが、元が人間の艦娘と違い、所詮は艦娘母艦も鋼鉄の塊でしかない。現代の造船技術を持ってすれば、幾らでも替えが効く工業製品の一つだ。

「司令部に、本艦を持って帰る事が至上命令かどうかを確認しておこう。その上で、本艦の進退を決定する」

「了解です。……いい艦だったんですがねえ」

「艦齢八年。大昔の、第二次世界大戦の頃なら、二線級艦艇への格下げ時期に入る年齢だな」

「今の艦艇の基準で言えば、まだ働き盛りですよ。若くして、と言う印象はありますね」

「未練が残るなら、司令部への報告に『再生の余地』ありと付け加えておくが?」

「いやあ、あくまでも年齢的な感じで言っただけです。現実と言う物差しで測れば、廃艦処分は妥当です。それに艦娘母艦なんざ、深海棲艦との戦争に勝ってしまえば要らん子になる艦種です。今の内に母数を減らしておいても問題はありますまい」

 その言葉の裏に、局所的なものではなく、大局的なものを見越した副長の言い方に艦長は、話題を変えた。

「XOはこの戦争も、後半戦に差し掛かったと?」

「一〇年前の深海棲艦であれば、ヨーロッパ全域で自軍が劣勢と分かった段階で更なる戦力の増強を図って、もっと戦況は長期化していますよ。もっと言えば、北海で我々が優勢になっていた時点で、深海棲艦は押し返す力があった。だが、奴らは北海の制海権を維持する事は愚か、地中海に進出して来た我々をジブラルタルの西にまで押し戻すだけの戦力は残っていなかった」

「……ふむ、確かに、一〇年前ならここまで深海棲艦を押し込む事も出来なかったな。あの頃は彼女達も未熟さがあったしな」

 自分の娘程もある歳の差がある艦娘達の顔を思い出し、艦長は言う。容姿こそうら若き女子の者も居るが、中身は酒も煙草も、結婚すらも合法となった艦娘はこの一〇年の間に数えきれない人数にまで膨れ上がっている。始めは事実上の少年兵として、右も左もわからなかった艦娘達も、一〇年も経てば立派な軍人として仕上がって来る。階級章相応の軍事の才能を開花させている艦娘も少なくない。特に秘書艦として各国艦隊の首席参謀や作戦参謀を果たすまでに至っている艦娘は特に。

 

 

 夕刻頃、明日の決戦に先だって早めに夕食を済ませた愛鷹は、いつものヘリ甲板に出ると、葉巻を咥えてジッポで葉先に火をつけた。

 一人での喫煙時間は密かな愛鷹の楽しみであった。胸に吸い込む葉巻の煙の甘い臭いが、電気信号となって神経を伝って脳へ届き、程よく疲労を訴える脳をほぐして行く。喫煙と言う肺への健康上の問題はこの際、頭の中には欠片も無い。喫煙の時間を満喫する彼女の顔には、艦娘として着任した時と比べれば遥かに葉巻の味を堪能する笑みが浮かんでいた。

 口からすーっと吐き出す煙にも含まれる仄かな甘さが軽く鼻腔をつく。艦尾のポールの横で、昼間は海上に吹く風によって翻る軍艦旗に代わって、愛鷹の葉巻の煙が風に吹かれて薄らとしたとても小さな薄雲となる。

 葉巻を吸う時に葉先でちりちとと音を立てる燃えがらの音も、愛鷹は好きだった。炎と言うものは見ているだけで自然と心が落ち着く不思議な存在だった。無論、愛鷹を含めて多くの人間が好むのは焚火や暖炉にくべられた薪の炎などの騒がしくない、静かな情熱的な「炎」に心を癒される。人によっては、活火山のマグマの噴き上げるオレンジの溶岩だったりするし、率直な物好きな人なら不謹慎なのは覚悟の上で山火事の炎すらそこに美しさを感じ出す。だが、戦争の中で作り出される人と鉄の燃える終焉の炎を好む人間は、余程の狂気に染まった異常者でない限りはそこに「美しさ」を見出さないだろう。

 愛鷹と言う試験管ベイビーが出生元である存在でも、自然な炎に美しさを感じ、見とれる心はある。今そこに焚火や薪が燃える炎が無ければ、葉先で息を吸うと共に小さくオレンジに染まる葉巻のそれでも充分彼女は満足を得られた。

 火と言えば、と愛鷹はふと自身の生まれに話を飛躍させてしまう。人間が火と言葉を得てからの系譜の先に生まれたのもまた自分の様な存在か、いや、話が飛躍し過ぎだ、ここは脳筋に火の美しさに恍惚していればいい。

 話題を飛躍させ、難しく考えてしまうのは愛鷹の悪い所だとは思っていた。他人に元の話題から飛躍し過ぎた話はしないけれど、自分の脳内では幾つも枝分かれする様に、多数の分岐点を設けてついつい考えが膨らんで行ってしまう。考え過ぎてしまうのは時として良い方向に働く事もあるが、大半は考え過ぎるのは要らぬ杞憂を大量に作り出すだけだ。そして要らぬ杞憂に一喜一憂してしまいがちにもなる。

 複雑に考えなければならない時と、そうでない時のオンオフが大事だと常日頃から思ってはいるが、どうしてかな、それを簡単にやめる事も、変える事も出来ない。その不条理が愛鷹にとっては一生解決できない事案でもあり、悩みの一つでもあった。

 ただ今の愛鷹の脳内は至ってシンプルに落ち着いていた。先程は少し飛躍した事を考えたが、直ぐに葉巻の味を味わう事に脳が集中してくれた。

 この葉巻の銘柄は何と言ったかな、と思考を半ば放り捨てて、葉巻を堪能している内に、元からそれほど長くは無かった葉巻を吸いつくしていた。残った部分を名残惜し気に見てから携帯灰皿に仕舞い込む。

 携帯灰皿を持った左手と右手をコートのポケットに突っ込んだ時、人の気配を感じた愛鷹は誰かなと耳を澄ましてみた。「ズムウォルト」が浮かぶ地中海の海の波の音、風の音に交じって聞こえる足音にも勿論個人差がある。歩き方、吐いている靴の種類などでだ。「ズムウォルト」の乗員全員の足音を覚えている訳では無いが、相手が第三三戦隊や、今日迄組んでいた第三三特別混成機動艦隊のメンバーだったら聞き分ける自身はあった。

「飯の後の夕涼みかい?」

 答えの方から自発的に自身が誰かを教えて来て、愛鷹は軽く溜息を吐いた。遠慮の無さ、と言う意味では深雪は普段の言葉選びにおいても、足の運び方においても同じだった。

「まあ、そんなところです」

 適当に返す愛鷹に、深雪は鼻を鳴らす音を微かに響かせ、ふっと笑みを浮かべる。

「一服した後の余韻か。邪魔したかな」

「そうでも無いですよ。何か、おしゃべりでもしますか?」

 くるっと踵を基点に深雪の方へと回った愛鷹に、深雪はとことこと上司に当たる艦娘の隣に並んだ。

「深雪さんの歩く音は覚えやすいですね」

「んん、深雪様はそんなに特徴的な歩き方してたかい?」

 意外そうな視線を見上げて来る深雪に、愛鷹は特徴を、順を追って話し出した。

「まず、深雪さんは体重が軽い。質量の軽い人は足音も軽くなる。次に履いている靴の音。深雪さん含む特型の皆さんの単靴は軽いし、ヒールが極めて低いほぼぺったんこな平底の靴です。綾波さんと敷波さんも同じタイプの靴でしたから、後はそこに個々の体重差と歩き方で判別を付けるだけです。深雪さんは遠慮が無くどすどすと歩く印象ですね」

「ほぉん、じゃあ、愛鷹は他のメンツの足音も聞き分けられるってのかい?」

「ええ」

「どんな感じに聞き分けてんだい」

 純粋な興味の視線が愛鷹に向けられて来る。情緒以前より豊かになったとは言え、口数は話しかけられない限りは自発的に饒舌に話す方ではない愛鷹の考えている事を、詳細に聞き出すには直に細かく聞くしかない。

「まず青葉さん。靴はローファーだからまあまあコツコツ音が立つ。ヒールにラダーを差し込むジョイントの挿入部がある関係上、少々リアヘビーです。体重はそこそこ、私より少し軽いかの程度です。歩き方は静かに歩くのを心掛けているのが伺えますね、接地がソフトです。第三三戦隊の中でも最も癖が無く、素の好奇心旺盛な性格に反して比較的ゆったりとした歩き方をしている。

次に衣笠さん。彼女は何て言いますかねあれは、下駄ヒールみたいなサンダル。一度聴いたら忘れにくいカツカツと言う足音。体重は青葉さんとほぼ同じですね。歩き方はあのタイプの履物らしい、スクリューのアクセサリーが付いている分余計ヒールが重くなってて、足より先にあのヒールが地面を擦りやすい。努めて爪先から接地しようとして上手く行かず日常的に苦労している。

 次に夕張さん。少し重みのあるブーツに青葉型の二人より少しだけ重みがある体重。女性の体重について詳しい話をするのは避けますが、誤差はあの二人とは一キロ程度でしょう。歩き方は少し大胆で急ぎ足。それでいて繊細。工廠での作業時の足場への気遣いが日常的に表れている感じがしますね。

 次に蒼月さん。体重は深雪さんより少し重いですね。履物は秋月型共通のデザインのブーツ。どうしても踵より接地面が先に来るタイプで、全体的に重い。構造上、踵より先に接地する分、歩き方に独特さがあります。同時にあの手のブーツと、日常で履く普通の靴の両方に慣れている足運び。

 瑞鳳さんは衣笠さんと似ていますね。所謂つっかけタイプですから。違うのは、瑞鳳さんは平底だけと靴底の硬いぽっくりな事。日本の昔からあるつっかけタイプだから乾いた音を立てていて分かりやすい足音です。体重は……青葉型の二人より少し軽い程度ですね。見た目に反して重めです。歩き方は小股です。身体のサイズが小さいせいもあるでしょうけど」

「よく見てるなあ。いや聞いてるな」

 感嘆する深雪に愛鷹はふっと軽く笑みを浮かべた。日常的に会っているこのメンツなら絶対に聞き間違える事は無い自信があった。耳の良さにだって自信はある。楽器を演奏した事は無いが、ドレミの聞き分け位は絶対出来る。

「愛鷹自身の足音は自分で考察した事は?」

「いえ、自分の歩く音は意識してませんから」

 意外な所を、深雪はついて来る。いや仲間の事を詳細に述べておいて、自分だけは埒外は流石に虫が良すぎるなとも愛鷹は思った。

「どんな歩き方しています、私」

「そうだなあ」

 駆逐艦娘と言うだけに対潜戦も担う艦種の艦娘なだけに、深雪の聴力も馬鹿にはならない。それに深雪にも人を見る目、聞く耳はある。

「靴の感じは軽くなった大和の改までのと言うべきかな。大和を含む大和型の靴は改二で随分変わっちまってるから分かりやすい。ああ、どっちかと言うと靴の感じは雪風改二のそれに近いかも知れない。体重は青葉型と大差ないってのは本当だと思う。歩き方はスマート、それに尽きる。蒼月と同じ踵より先に接地面が着くのは同じだが、その手のハイヒール系の靴を履いている割には足音に綺麗なリズム感がある。悪く言えば単調、良く言えば一定だな。そして意外と静か。響く場所では響くだろうけど、優しい感じがするな。多分大和と武蔵よりは静か目にかつ優しく歩いていると思うよ」

「自分の歩く音、歩き方にまで気を配った事が無かっただけに、その証言は新鮮味に溢れますね」

「カーンコーンカーンコーンってヒールを、乱暴さを感じる程煩く響かせながら歩いている女って結構いるからな。艦娘になってもその癖が抜けていない奴は偶にいる。中には威圧的にわざとそうして歩いている奴もいるからな。そう言うのと比べたら愛鷹の歩き方は本当に口調と同じように丁寧だよ」

「娑婆の女性たちの歩く姿なんて、余り見る機会が無いから分からない事だらけですよ」

 苦笑を浮かべて言う愛鷹に、深雪もつられて笑いながら続けた。

「まあ、艦娘だって大半は娑婆から志願して来た奴ばっかだけどね。軍人としての錬成期間を受けているとは言え、歩き方を完全に軍人化している奴は全体の半分くらいだと思うよ。一応長い艦娘歴の中で身について行ったってのもいるだろうけど、なかには未だにお嬢様歩きやお嬢様走りが抜けていない奴もいる」

「例えば?」

「よく日本艦隊でネタにされるのは熊野だな。走るの自体は結構速いんだけど、走る時の手の振り方が完全にお嬢様走りのそれだ。三隈もそれに準じてるけど、最早開き直ってる熊野と違って、三隈は矯正する努力を重ねてるからなあ。最も着任からこっち治った感じがしないけど」

「お嬢様走りですか。二人とも育ちが良いんですね」

「そらあそうさ。熊野の実家は日本で数少ない財閥の一つ。三隈は与党幹部の娘。家が裕福な艦娘は重巡以上の艦娘に多くいるけど、熊野と三隈は別格さ。平民上がりの深雪様とは生まれ育ちは愚か、食って来た飯の質も違うのさ」

「ふーん……」

「因みに三隈の前で政治家の娘、って話は禁句だぜ。あいつの親父は政治家って事は、当然政敵も多いし、アンチも沢山いる。それに三隈自身、親父云々を引き合いに出されるのを凄く嫌う奴だ。多分、揉め事に欠かない親父とは距離を置きたいんだろうな」

 深雪は青葉と違って、他の艦娘のプライベートに積極的に詮索を入れるタイプではない。そんな深雪ですら知っていると言う事はきっと有名な話過ぎて、公然の秘密状態になっているのだろう。

「そういやあ愛鷹よ。お前、トラック島基地では、その言っちゃあなんだけどその生まれ育ちはまさに『悲劇のヒロイン』風に語っていたけど、そんな生い立ちの中でも楽しい事と無かったのかい? 一から一〇に至るまでその生い立ちはまさしく『悲劇』で片付く事は無いとは思うんだがな」

「楽しい事ですか……」

 そうだなあ、と言う風に愛鷹は宙を見上げ、視線を泳がせた。星が煌めく夜空を見上げ、こういう時、もう一本吸いたくなると言う欲求を抑えながら、封印していた自身にとっての幼少期とも言える時代を振り返ってみる。どんなに酷い物語の中にも見所はある、と言う感じの言葉を映画評論家が残したのを愛鷹は聞いた事があった。自分の人生は映画の様な劇画的なモノとは違う、もっと生々しいものだと思って、それ以外考えた事も無かったが、それでも記憶を振り返れば、泥濘の荒野の中から一欠けらのダイヤモンドを探し出すのに等しいながらも全く無い訳では無かったことを思い出す。

 

 

「あれは私達がこの世に生を授かってから迎えた、最初のクリスマスだったと思います。

 最後に誕生し、成長に成功した私を含めた六五体の『私達』は昼夜の殆どを座学と実技に明け暮れ、休みと言う概念が無い状態でした。私達にはそれしか他にやる事が無く、頭に注ぎこまれる様々な知識、身体で覚える数々の実技、そう言った常に勉強の毎日が当たり前で、休暇と言うものなど、『私達』ですら求めようと思った事すら無かった。

 無論、休み無しの教練漬けの日々に疲労を感じなかった訳ではない。たった六時間程度の睡眠で全回復し切れるわけでもない。でも私達に『休み』と言う概念が無かった。だから教官たちも、『私達』には休みを与えず、自分達は交代で休みを取りながら『私達』の指導に当たっていました。

 少しでも休もうとへばれば鞭が、鉄拳が飛んできました。だから、自然と『私達』はその身に沁み込ませる様に家畜の様に休み無しに教練を受け続けました。一種の強迫観念もあったでしょうね。或いは脅迫か。

 そんなある日、教官たちが突然、この日だけは休みにしようと言って、七面鳥を始め豪華な料理の提供と、クリスマスツリーの作成を『私達』に命じたのです。

 クリスマスツリーの作成。はっきり言ってどうやって作ればいいのか、学んだ事が無かっただけに、『私達』は困惑しました。クリスマスツリーと言うもの自体知らなかった。

 そんな時に大和が来て、こうやって作るものだと教えてくれたのです。思えばあれが初めて大和から教えて貰った知識だったのかも知れない」

 人生で初めてのクリスマスについて語る愛鷹に、深雪は神妙な面持ちで耳を傾ける。

「勿論、施設内にクリスマスツリーの作成に必要な素材がある訳がない。だから、ツリーの木以外は廃材を利用して、可能な限り綺麗に着飾りました。電飾は使用期限切れ間近の電球を再利用し、プレゼント箱は段ボール箱や空き箱を改造して。

 そう言ったクリスマスの飾りつけをしている時、生まれて初めて私は『楽しい』と感じたと思います。他の『私達』も楽しいと感じているのが、表情からも分かりました。感情表現の乏しい『私』の一人でさえ、顔に笑顔を浮かべてクリスマスの飾りつけを作っていました。

 手伝う大和も、楽し気な表情を浮かべていました。余り一緒に居る事は出来なかったものの、大和から伝授されたクリスマスツリーの作成方法を真似て、既に習得した工作技術を駆使してツリーを作りました。

 座学や実技からは甘受できない、『楽しさ』と美しさ。毎日毎日教練で日課がびっちり埋められ、睡眠は六時間きっかり、休憩時間、休み時間も無しの生活だった『私達』の日々で目に見えない形で疲弊しかける『私達』にとって、束の間の休息として、ささやかな『楽しみ』として許されました。

 教官たちの半分以上が欧州系だったのもあるかも知れませんが、思い返せば一度だけ許されたクリスマスを『私達』は心から満喫しました。

 そして完成したクリスマスツリー。廃材や代用品で作ったクリスマスツリー。今思えば大分不格好ではありましたが、あの時の『私達』にとっては、薄暗い施設内に煌々とした灯りを灯してくれた灯台、だったのかも知れません。

 そしてクリスマスの夜当日、七面鳥料理が振る舞われました。普段食べていた栄養重視の味気ない食事と比べたら、それはもう、頬が落ちそうな程美味しい食事でした。この世にはこんなに美味しい料理があるんだと、初めて知ったのもその時です。

『私達』の一人が、この七面鳥料理を平らげている最中に、毒ガス訓練を挟んで来るんじゃないか、と内心心配していたと後で語ってくれました。

 実際、食事の最中に突然毒ガス訓練として催涙ガスの散布は不定期に行われていましたから、あり得ない話では無かった。でもクリスマスの日だけはそんな事も無かった。心行くまで七面鳥を楽しみ、ケーキを味わい、満足して『私達』はクリスマスを終えました」

 

 

 遠い昔に失われた日常のように語る愛鷹に、深雪は無言で聞き終えた。愛鷹にとっては、その体内の時間軸で言えば、遠い昔の事と言っても過言では無いだろう。一年で一五年の歳月が流れる身体だ。深雪が過ごして来た人生の殆どを一年程度で消化してしまう。

 長い睫毛に覆われた愛鷹の目が閉じられ、封印していたのだろう初めてのクリスマスの日に思いを馳せる。あの時だけは、施設時代の唯一の楽しさがあった。施設時代のスパルタ式教育の日々とその後の惨いバトルロワイアル、そして長い一人ぼっちの収監に等しい雌伏の期間から見て言えば、泥濘の荒野の中に埋もれかけた一欠けらのダイヤモンドの様な、短い出来事であったが、愛鷹の人生においてはダイヤモンドの輝きに等しい程に価値を持つ日々だったと言えよう。

「今年のクリスマスも、祝う事が出来たら、第三三戦隊のみんなで祝いたいな。今度は質のいいツリーを買って来て、オーナメントも綺麗に飾って、色とりどりの電飾を施して、本物のプレゼント箱を置こうぜ」

「ええ、深海棲艦がそれを許してくれるなら、是非とも祝いたいですね。七面鳥もまた食べてみたい」

 そう微笑みを浮かべて深雪に振り向いて言う愛鷹の顔は、普段ははっきりとその顔に浮かべる事のない嬉しさ、楽しさを隠さずにひけらかした優しい笑顔だった。作りでも無ければ、その笑顔に哀愁の澱みも、寂しさの濁りも無い、純粋で無垢な笑顔が実に愛鷹には似合っていると深雪は口に出さずに感じていた。黙っていれば美人とはよく言う例えだが、愛鷹の場合は美しく笑えば美人、と言うべきだろうか。

「さあ、お話はこれで終わりです。明日は地中海の雌雄を決する決戦の日です。早めに寝て下さい。

 それと夜食は控えて下さいね」

「了解」

 やっぱり黙ってれば美人も当てはまるかも知れない。返答を返しながら深雪は付け足していた。

 

 

 二人部屋の机に向かって日誌を書き留める青葉がペンを置き、伸びをして時計を見やる。

「これくらいでいいかな」

「仕事に没頭し過ぎるのも良くないわよ」

 二段ベッドの上段から衣笠が言う。

 そうは言っても、と言い返そうとして、妹の言う通りだなと青葉は思い直す。ただ、睡魔に半分負けて寝床に横になっている衣笠と違って、青葉には第三三戦隊の次席旗艦として、やらないといけない仕事はある。第三三戦隊の日誌の記述は青葉の仕事だ。戦闘詳報の執筆は愛鷹との共同作業である。いや戦闘詳報、つまりの戦闘結果のレポートに関しては第三三戦隊一人一人との情報共有で書かれるから、青葉と愛鷹だけの共同作業でもない。航空戦の結果は瑞鳳が良く知る事で、青葉は自身の瑞雲隊以外の航空戦分野には詳しくないし、対空戦闘の記録は蒼月、対潜戦の記録は夕張や深雪、蒼月と重巡艦娘の身では把握し切れない分野までは網羅出来ない。

「明日の決戦で、日本に帰れるか、どうかだけど。……早く帰りたいよね」

「衣笠さんも古鷹や加古とまた顔合わせたいわね」

 ホームシックと言う訳では無いが、日本がそろそろ恋しくなる海外派兵期間の長さに、青葉がしんみりと呟く。衣笠も日本に置いて来た六戦隊の片割れとも言うべき古鷹と加古の二人の名を口にして、毛布を引き寄せた。四人揃ってこそ第六戦隊と言う絆は発動する、それが青葉と衣笠の共通認識でもある。

「私、もう寝る。おやすみ青葉」

「おやすみ、ガサ」

 おやすみと言ってからすぐに寝息を立て始める衣笠の静かな声を聴きながら、青葉は日誌を閉じ、デスクの電気を消して自分も寝床に入る。艦内に響き渡る空調や機関音の低い騒音、いわば環境音が今では子守歌にも等しい。二段ベッドの下段に入り込み、枕元の照明を消し、カーテンを引いて青葉も寝床に横になる。

 暗い上段の底面を見上げながら、明日何もかもに決着がついたら、或いは日本に帰る事が決まった日くらいは、青葉型の長女として上段に寝させて欲しいな、と想いを浮かべながら、青葉も暗闇に包まれたまどろみの中へと沈んで行った。

 

 

 その日の夜も、何時もの夜と同じ様に訪れた。

 青葉と衣笠、夕張と瑞鳳、深雪と蒼月はそれぞれの二人部屋で眠りに落ち、愛鷹だけが個室で同様に眠りに落ちていた。

 明日を乗り越えれば、また次の明日が来る。毎日を頑張って生き抜こう、と目標を立てている内に、愛鷹の意識も睡魔の手の中へと落ちて行った。

 その日のレム睡眠の間、愛鷹は深雪と話した第三三戦隊で祝うクリスマスの風景を見ていた。依然見た悪夢とは全く違う、暖かく、和やかで、ゆったりとしたその光景に、愛鷹は満足な笑みをその寝顔に浮かべて眠った。

 




 次回以降より地中海編及び欧州編最終回のフェーズへと入ります。

 また次回のお話でお会いしましょう。
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