艦隊これくしょん この世に生を授かった代償   作:岩波命自

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 これにて全ての欧州戦役編、終幕です。


第一〇三話 欧州戦役の終幕 Ⅲ

 四対五五と言う絶対的な物量差で始まった戦闘は、一対四六へと深海棲艦、艦娘双方ともに被害を受けながら遷移し続けた。

 残存するアンツィオ沖棲姫こと囚われ、今や深海棲艦の軍門に下って艦娘と相撃つ元艦娘ジェーナスに対し、艦娘艦隊からの集中砲火が、鉄火の豪雨となって降り注ぐ。空中を光る光源となって、大気を切り裂き、衝撃波を空間に押し広げながら数多の口径の砲弾が駆け抜け、アンツィオ沖棲姫の周囲に、或いはその艤装と本体に閃光と火柱を突き立てる。艦娘ジェーナスが元であるなら、アンツィオ沖棲姫の艦種は駆逐艦級で確定だ。艦娘を含む軍艦と言う存在の中で、最も装甲も艦の耐久性も低いのが、駆逐艦と言う艦種であり、当然ながら戦艦の砲撃が当たろうものなら一撃で、粉微塵に砕け散って轟沈するようなやわな存在である。

 にも拘らず、アンツィオ沖棲姫は大和型改二の放つ五一センチの巨大で、重い一式徹甲弾改の直撃すら、大きな損害を与えた様子を見せなかった。「効カナイヨ」と嗤うアンツィオ沖棲姫の言葉通り、砲撃が無効化されているか、或いは棲姫級の深海棲艦固有の堅牢な重装甲を前に、殆どダメージらしいダメージが入っていないとしか言いようが無い攻撃効果だった。

 無数に叩き込まれる戦艦級から駆逐艦級に至るまでの砲撃を前に、アンツィオ沖棲姫は自身を何重にも包み込む爆煙と言う名のドレスを着飾っては、気に入らない様に片っ端からそれを脱ぎ捨て、艦娘達の前に姿を現す。魚雷発射管こそ、魚雷を撃ち尽くして使用不可になっているとは言え、大和型改二の艤装のバイタルパートすら貫通する棲姫級の艦砲の砲声が轟くや、音速を越えた弾速の小口径徹甲弾が艦娘達の直ぐ傍に至近弾の跡を突き立て、海上へ噴き上げられた海水とその飛沫が、艦娘達の艤装と身体に小規模な雨となって打ち付けた。

「歯が立たない……アンツィオ沖棲姫に勝てる術は無いの……」

 自身の砲撃が着弾し、無効化されるか、その重防御によって防がれるのを見て、絶望と同時にモチベーションまでもが削がれる音を大きな胸の内側で聞きながら、愕然とした表情で大和は呟く。大和型改二の主砲は、艤装の開発陣がこの口径の艦砲で解決できない相手は居ない、居るのなら、もう一撃を叩き込めばいいと言う火力至上主義めいた発想から作り出した、今この世に存在する艦娘の中でも最高級の戦艦級主砲であり、一週回って諦めが入っているス級を除けば、理論上存在する全ての深海棲艦の装甲を射抜ける筈だった。装甲を射抜けば、射抜いた先の空間で徹甲弾が作り出した破壊の科学が深海棲艦を内側から滅茶苦茶にして、弾薬や燃料の誘爆を誘発したり、艤装の機能を奪ったりする筈だった。

 その最上級の破壊力を持つはずの大和型改二の主砲が、効かないのだ。この世に存在する艦娘の中で最大級の主砲威力を持つはずの自身の主砲砲撃が効かない、という事実は大和の自尊心と、戦闘に対するモチベーションを救い難い程に削ぎ落し、その茶色の瞳に戦闘開始時には燦然と輝いていた闘志の光は徐々に絶望と失意によって濁って行っていた。

≪いえ、勝つ術はあるわ≫

 ふと自分自身が言ったかのような言葉が大和のヘッドセットから鼓膜へと爽やかさな響を持って流れ込む。己の分身とも言うべき愛鷹からの無線に、大和は縋る様な思いで耳を傾けた。

 

「こちらの攻撃はほぼ無効化されているとは言え、唯一、奴がダメージを受けた様子を見せる砲撃を成功させている艦娘が居るわ」

 双眼鏡でアンツィオ沖棲姫を見据えながら、失意と下がるやる気で濁る大和の目と心とは逆に、遺伝子を受け継ぎ、多くの部分において見た目は大和そのままに出来ている愛鷹が、何かを知り得た表情で、仮定とは言え、これが答えに最も近いであろう自身の結論を口にする。

「シェフィールドさん、ユリシーズさん、ジャーヴィスさん、ジェーナスさんの砲撃だけは、アンツィオ沖棲姫に対して致命傷を与えずとも、その艤装上にある構造物に確かな損傷を与えているわ」

 双眼鏡で見る先にいるアンツィオ沖棲姫の艤装上で、先に上げた四人の砲撃が当たる度に、再装填が行われかけていた魚雷発射管や対空機関砲などの兵装がひしゃげ、叩き潰され、予備弾薬に引火してちろちろと艤装を舐め始める小さな炎が噴き出すのを見て愛鷹は確信をその双眼鏡を握る手に感じとる。

「英国艦娘だったアンツィオ沖棲姫に、最も有効なダメージを入れられるのは同じ英国艦娘と言う事よ」

≪でも、彼女達の砲撃では完全に撃沈するのは無理よね?≫

「だからこそ、アンツィオ沖棲姫からのタゲを引き付け、英国艦隊の突入を支援するのよ。どの道、砲撃が通用しない以上は、さっき提案した通りの雷撃しか手は無い。こちらの魚雷を残している艦娘も残り少ないわ。彼女達に確実な雷撃成功を果たしてもらうために。私達は全財産をオッズにして機会を繋ぐしかないわ」

 もっとも、と愛鷹は接近を試みるシェフィールド以下四人の傍に着水する砲撃の白い柱を見て、眉間に波飛沫とは別の雫を垂らした。こちらが誘因を計っても、接近すればする程、アンツィオ沖棲姫の優先砲撃目標は英国艦娘に差し向けられるだろう。逆探からはアンツィオ沖棲姫から発せられる強力な射撃レーダーの電波を受信している。今、戦場となる海の波高が高ければ、レーダー射撃を駆使しても正確な射撃はできなかったろうが、今の戦場海域は凪いでおり、艦娘を丸ごと呑み込む程の高い波は一切無い。

 ならば……と愛鷹は文字通り季節に反して熱くてかなわない、人工脳髄液の劣化で回転の鈍る頭脳を精一杯回して、英国艦娘達の血路をどう開けばいいか、その回答を導き出す。

 これしか、手は無い。

 

 

「全軍、前進開始!」

 その指令が下るや、荒野と化してしまったイタリア、ラツィオ州ローマ県の荒れ地に、無数のディーゼルエンジンの唸り声が響き渡った。

 北米方面地上軍のM1A5戦車、M4装甲歩兵戦闘車、CAVブロウラー装甲兵員輸送車がぶるりと身体を震わせ、咽る様な音を上げて排気ガスを吐き出す。同様の光景はイタリア方面軍の地上軍を始めとする欧州総軍の地上部隊各隊でも見受けられた。

 艦娘艦隊の最終攻勢に合わせて、国連軍地上部隊は一挙に、補給を終え、完全整備の完了した部隊を持ってアンツィオへ向けて前進を開始した。

 空にはMV-38コンドル輸送機とAH-64GXアパッチ・ウォーチーフ攻撃ヘリが舞い、進軍する地上軍に対して、CAS(近接航空支援)を行いつつ、先行してアンツィオに空挺保を確保すべく、進軍していた。

 事にイタリア地上軍は最も戦闘意欲と、アンツィオ一番乗りを目指して進撃した。母国を滅茶苦茶に荒らし回り、近代的なビルを含む一日にしてならない文明社会の建物、インフラを悉く破壊し尽くし、大地を赤く染めた憎き敵、深海棲艦をこの手でその首を刈り取らん、と装甲車で運ばれるイタリア兵たちはギラギラと光る眼を薄暗い車内に浮かび上がらせていた。

 棲姫級の陸上型深海棲艦が破壊し尽くされた事で、各戦線からほうほうの体で逃げ出して来た少数の戦車小鬼と砲台小鬼が、申し訳程度の防衛線を張っていると、無人機を介した偵察部隊の報告が入っていたが、兵士達に今更躊躇いの時を漏らして、命を惜しむ台詞を漏らす者はいなかった。

 

 アリエテⅢ主力戦車の戦車中隊の一斉射撃の砲声と、戦車小鬼と砲台小鬼が撃ち合う射撃音が轟く中、イタリア地上軍は装甲車に乗る歩兵隊に降車戦闘を発令した。

 イタリア兵は皆、手に抱えるARX160アサルトライフルにマガジンを装着し、チャージングハンドルを引き薬室に初弾を送り込む。銃器の奏でる機械音が幾つも響き渡り、それが一通り終わった後、乗っていた車両が停止する。車長から「総員降車!」の命が下るや、開かれた後部ランプを踏み越え、荒れ果てた故国の大地をコンバットブーツで蹴った。

 戦車と装甲歩兵戦闘車が徹甲弾を発射し、砲台小鬼が何基か大破して擱座する中、とあるイタリア地上軍大隊指揮官は、砲台小鬼の機関砲の水平射撃が自分達の頭上でサプレッション効果を立てながら飛び抜けるのに臆する事無く、昔ながらの戦術を部下達に発令した。

「着剣!」

 その下令に兵士達は一斉に銃剣を引き抜き、手に抱える小銃の先に短い刀剣を装着した。一〇〇年、いや二〇〇年以上も昔、銃と言う武器が戦場に現れた時に、小銃の先に括りつけて小銃の銃撃と合わせて生まれた戦術、銃剣突撃。

「突撃、突撃!」

 この時の為に、ホイッスルを用意していた大隊指揮官がホイッスルを吹く。お世辞にもその音色は綺麗とは言い難かったが、兵士達を突撃させる合図として、全くの過不足は無かった。

 猛獣の雄叫びとも、男達の歓声とも付かない「うおおおお!」と言う声が大地に木霊し、小銃の先に括りつけられた銃剣を前に、イタリア地上軍兵士達が荒野を駆けた。彼らの遥か昔の祖先達が第一次世界大戦で見た突撃がモダンナイズされた姿で行われていた。

 砲台小鬼、それに戦車小鬼の同軸機関銃や対空機関砲の水平射撃が、突撃して来る歩兵隊に弾丸を撃ちこむ。一人、また一人と倒れるが、斃れる戦友たちに振り返る事無く、イタリア地上軍兵士達は疾駆した。それに続く様に、歩兵を下ろした装甲車や戦車も突撃に移り、彼らは文字通り波となって深海棲艦の防御陣地に吶喊した。

 行進間射撃を行うアリエテⅢ戦車の砲弾が砲台小鬼を突き倒し、装甲車の重機関銃が曳光弾を戦車小鬼に浴びせて怯ませる。一時的に止む銃火の合間に歩兵隊は戦場を駆け抜け、先頭を切っていた兵士が雄叫びの様な声と共に一番近くにあった砲台小鬼、彼の背丈の二倍程はある、に銃剣を突き刺した。生身の存在であったなら、その銃剣突撃の効果は如実に表れだろうが、一番槍を成し遂げた彼の耳に銃剣が折れる音が聞こえた。しかし銃剣歯は折れても彼の心は折れなかった。弾倉いっぱいのAP弾を砲台小鬼に無我夢中で撃ちこみながら後退し、「AT用意!」と対戦車ロケットを担いだ特技兵を呼ぶ。

 対戦車ロケットを構えた特技兵に、予備弾を抱える同僚が後方良し、とそのヘルメットを叩き、特技兵の構えるランチャーからロケット弾が砲台小鬼に突き刺さる。紅蓮の炎が炸裂し、砲台小鬼がぐらりと姿勢を崩して横転する。

 アリエテⅢ等の装甲戦闘車両もあらん限りの火器を撃ち散らして、深海棲艦地上軍残党の防衛線を文字通り踏み潰しにかかった。行動不能に陥って擱座する戦車小鬼と砲台小鬼の残骸を、重装甲車輛の履帯、コンバットタイヤが踏み潰し、なお抵抗する深海棲艦地上部隊を狩り立てて行く。

 今まで蹂躙されるがままだったイタリア地上軍兵士達は、今、深海棲艦地上軍を蹂躙して回っていた。

 深海棲艦の残存地上軍の戦線瓦解は眼に見えて、各所で起こっていたが、特に故郷を焼かれたイタリア地上軍兵士達の鬼気迫る猛攻撃は、この日の地上戦で最も苛烈で、最も死傷者を出したがその果敢な戦いは後世に名を残す突撃となった。

 

 

 その光景は余りにもリスキーであり、最も効果的と言える戦術だった。

 第三三戦隊旗艦愛鷹が提示した作戦案は至極簡単な内容だった。全艦で接近し、アンツィオ沖棲姫のタゲを散らすだけでなく、戦艦艦娘は雷撃の為に最もアンツィオ沖棲姫に接近する英国艦娘達の前面に、水柱の壁を作る砲撃を送り込み、その姿を隠しきる。一歩間違えれば味方の射撃が当たる同士討ちの可能性もあったが、現状最も有効な戦術とも言えた。

 無論、全艦で接近すると言う事は、必然的にアンツィオ沖棲姫の高初速の砲撃に晒されると言う事と同義だった。

「Open Fire!」

 大人びた物腰から発せられるネイティブなアメリカン英語が重巡艦娘ヒューストンの口から、砲撃と共に放たれる。彼女のMk.9 八インチ三連装主砲が腹に響く砲声を解き放ち、火焔と砲煙がすらりとした彼女の長身を一時的に覆い隠す。ポーラ、タスカルーサ、プリンツ・オイゲンが戦列から脱落した艦娘統合任務部隊において、未だ無傷を維持する第四戦隊の四人の高雄型重巡艦娘、第三三戦隊の青葉と衣笠、そしてザラとキーロフが八インチ相当、或いは一八センチの主砲から戦艦程は無いものの、確かな一撃をその一発一発に込めた砲撃を発射する。

 相手はアンツィオ沖棲姫で無ければ、彼女達の砲撃は有効だったろう。相手が通常の深海棲艦の同格の重巡級であれば、対等な殴り合いが出来ただろう。しかし、相手は棲姫級の深海棲艦であり、大和型改二の主砲の砲撃ですらろくに通用しない中、それよりも小口径な彼女達の砲撃でどうにかなる事は決してなかった。

「簡単には勝利を譲ってくれはしない訳ね、上等よ」

 総旗艦大和が鉄壁と疑う程に堅牢な耐久、装甲を誇るアンツィオ沖棲姫相手に戦意を萎えさせかけているのとは対照的に、ヒューストンは逆に楽しみがいがあると不敵な笑みを浮かべながら、この日何度目から最早分からない砲撃を撃ち放った。自分の砲撃は効かなくても、自分がアンツィオ沖棲姫の注意を引くだけで、とっておきの切り札は外し様の無い射点に辿り着ける。勝利に寄与できるのなら彼女にとって、全くの不満は無い。

 ただ一つ、不満と言うより気がかりでならないのは、妹分にも思っているパースが重傷を負った事だった。後送されたとは言え、詳しい容体は聞く事が出来なかった。ただ即死はしていないと言う事以外に分かっている事は無いだけに、パースの生死が脳裏の片隅で気になって仕方がない。

 それでもヒューストンはパースの容体云々に囚われ過ぎる事無く、戦闘を継続した。

「もう少し……」

 もう少しで、と視界の端で戦艦艦娘の作り出すウォーターカーテンと言うべき海水の壁を隠れ蓑に接近、いや吶喊する英国艦娘を見ながらヒューストンは呟いた。

 

 

 全く奇想天外と言うより、頭のネジが数本無くなった人間の発想のようにも思えて、その実実に有効な作戦だった。

 戦艦艦娘達の砲撃で作り出される水柱の壁に激突し、全身びしょ濡れになりながら、シェフィールドは苦笑をその顔に浮かべていた。

「蛇のように賢く、鳩の様に素直に……」

 何気なく聖書の一節を口にするユリシーズの呟きが、轟々という音を立てて崩れ落ちる水の柱の音に交じって聞こえて来る。FR-77船団の地獄の洗礼を受ける以前はそれ程信心深いとは言えない、特段熱心なクリスチャンでも無かったユリシーズは、人格が変わって以来はことある毎にぶつぶつと聖書の一節を口にしている。それに縋る事で、自身に道はもたらされると信じている様に。

 実際、とシェフィールドは飛来する巨弾が海上に作り出す、柱の壁を見つめて胸中で呟く。あの海水の柱で出来た道を進めば、苦戦する自分達に良き未来がもたらされるのではないか。シェフィールド自身もカトリック教徒ではあるが、毎日聖書を読んだり、一節を口にし、啓示を求めようとする程熱心ではない。彼女にとって宗教は精々歴史の長い、難解なおまじない程度にしか思っておらず、どちらかと言えば彼女は現実に見えるものに真実を求めるリアリストだった。勿論、心霊好きが多い英国人に漏れず彼女も多少なりとも故郷にもある心霊スポットの怪奇現象にある霊の存在は信じているし、それをコントロールするのには宗教の文言が要ると考えていたが。

「祈っても弾は私達を避けてはくれない。弾を避けるのは己の知覚と経験よ」

 間違っても熱心なクリスチャンであるユリシーズには聞こえない様に砲声と着弾の破裂音、海水が天に向かって昇って行く轟音に合わせて、唇を動かしているのかすら怪しい独語をする。緊張が抜けない戦場において、祈りは否応なく興奮する心を落ち着かせようとするのかも知れないが、シェフィールドにとっては祈るよりも、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、肌で感じた五感の方を重視していた。

 再び砲撃の飛来音が頭上を飛び越え、目の前に立ちふさがる様に落着して来る。微かなその飛翔音の違いからシェフィールドは日本製の四一センチの砲撃だと感じ取る。確か、本隊には居ないが、自分達が切り札だと僅かな情報を基に見抜いたらしい愛鷹とか言う前衛部隊の巡洋戦艦艦娘が三連装と連装の四一センチ主砲を備えているから、彼女からの砲撃だろう。

 全ての戦艦艦娘や巡洋艦娘が英国艦隊、たった四隻(四人)の殴り込み艦隊、の姿をアンツィオ沖棲姫から隠す射撃を行っている訳ではない。アイオワ、ワシントン、サウスダコタ、ガングート、アドミラル・グラーフ・シュペー、それにキーロフや高雄型の四人が弾かれ、その強固な深海防護シールドの表面で弾頭が砕け散って四散しようが構わず、弾薬庫にある残弾を全て撃ち尽くす勢いで集中砲火の火を絶やしていなかった。アンツィオ沖棲姫、深海棲艦化してしまったジェーナスからの射撃も集中砲火の着弾の火焔とは別の砲口炎を瞬かせて、放たれる。

「距離九〇〇!」

 ジャヴェリンが叫ぶ。雷撃戦開始距離は必中を見込んでの一〇〇ヤード(約一〇〇メートル)。魚雷を撃つと言ってもシェフィールドは既に撃ち尽くしているので、彼女は先導役兼万一の雷撃担当艦娘の盾になる事だった。被弾する事への恐怖が無い訳では無いが、仲間が被り、傷つく事はもっと耐え難い。

 

 思えば自分は「ラッキー・ジャーヴィス」と言う異名に少しばかり縁が無い出来事が多かった、とジャーヴィスは水柱が晴れた向こう側で深海化した妹の姿を収めながら思った。

 人によっては天真爛漫さとお転婆さに笑って受け入れてくれ、人によっては軍人として緩く見えるのを厳しく律しようとしてくる、そんな性格のジャーヴィスにとって、これまでの軍歴は厳しい事もあるし、悲しい事もあるが概ね順風満帆な方の艦娘としてのキャリアを積む日々だった。

 それが今年、二〇四八年に入ってから、駆逐艦娘仲間のケリーを始め、ジャーヴィスの周りにいる艦娘達に死や不幸が相次いで訪れるようになり、初めて「Lucky」と言う異名へのプライドが揺らいだ。それに加えて彼女が初めて艦娘として戦う中で、恐怖を強く覚える存在である巨大戦艦ス級と言う存在が、彼女の心を挫きにかかった。艦娘として相応のキャリアを積んでいるとは言え、これ程の挫折は彼女にとっては初めてだった。  

周囲で相次いだ同胞艦娘の不幸に、ジャーヴィスの胸の中で、頭の中で音を立てずに「幸運艦ジャーヴィス」の呼び名は瓦解の音を響かせ、ロックウッド卿を始め、周囲から心配の目で見られた。時に相談相手を買って出られる事もあった程に、彼女の碧眼の目の輝きは失われ、煙の街ロンドンの様な曇った目で過ごす日々が増えていた。

 そう言った新たなる深海棲艦の出現、仲間の不幸に病むジャーヴィスの眼前に、深海棲艦と成り果てた己の妹がいる。深海棲艦と成り果てた艦娘を、艦娘が討ったらどうなるのか。ジャーヴィスには知る由も無い。ただ、J級駆逐艦娘の嚮導艦として、ネームシップに位置されるジャヴェリンとはまた別にJ級姉妹の長女として、妹がこの地中海を侵す敵となったのなら、介錯を奉り、責任を取るのもまた自身の役目だろうとジャーヴィスは考えていた。

「ねえ、ジャーヴィス。本当にあれはジェーナスなの?」

 尚己の心の中に残る疑念を浮かべてジャヴェリンが聞いて来る。その問いに対して、ジャーヴィスは長女として、断言するように頷き、乾ききった口を開いて答えた。

「Yes」

「My god……まさか、地中海での戦いの最後になって、同じ姉妹と撃ち合う事になるなんて……」

 内心まだ信じられないと言う様にジャヴェリンは呟く。同時にジャヴェリンは自分より二歳年下の「長女」ジャーヴィスの心境たるや如何にと、困惑顔に姉の心境を案ずる表情を混ぜて彼女を見る。同じJ級姉妹同士、その仲は姉妹と言うより、姉妹に近い親友の様なものであっただけに、深海化したジェーナスが躊躇いなく自分達に引き金を引き続けている事への衝撃は決して小さくは無い。

 迷いは無いのか、と伺うジャヴェリンにジャーヴィスは何か決意を秘めた顔で見返した。

「深海化したジェーナスを討ち、今年の全てのUnluckyに終止符を打ちましょう」

「Are you unsure? (迷いはないのね?)」

「Sure. (当然よ)」

 例え深海化していたとしても、例え妹の命を殺める事になろうと、今年の全ての不運をここで断ち切る。その決意を固めたジャーヴィスの目に迷いは無かった。

 

 

「修正射、マイナス〇・二、右寄せ二」

 額に滲む汗を拭いながら、愛鷹は主砲の射撃諸元修正を伝達する。頭が熱い、いや熱いだけでは無い。徐々に頭から降りて来た倦怠感や全身を弛緩させにかかり、頭痛までもが徐々に増して来ていて、辛さがどんどん大きくなるばかりだった。脳が盛んに活動すればする程、人工脳髄液の劣化はより悪化する。自分が無理をして英国艦隊の隠れ蓑になる水柱の形成を担当しなくても良いかも知れないが、英国艦隊にこう動けと言う作戦を立案した張本人として、作戦成功の可否をこの目で見届けるまで、下がれないと言う一種の意地もあった。

 タブレット錠剤を口に入れ、万一の発作のダブルパンチに苦しむ事の無いように備える。現状脳だけでも大分厳しいのに、ここで身体が悲鳴を上げたら、艦娘として洋上に立つ事すら怪しくなる。熱病に侵された病人の様になりながらも、それでもと愛鷹は己の職務にしがみ付いた。悪く言えば頑固、諦めが悪い、自分を限界まで追い込んでしまう、愛鷹と言う大和の遺伝子とは関係の無い彼女固有の悪癖がここで出ていた。

「愛鷹さん、ちょっと大丈夫じゃないですよね?」

 察しの良い青葉が斉射を放った主砲艤装を下ろし、尋ねて来る。

「まあ、絶好調とは言い難いですね……」

「無理されても困ります。此処は青葉に任せて愛鷹さんだけでも先に母艦に帰投しては?」

「……戻っても、良くなると言う訳でもありませんから」

 青葉に自分の脳髄液の事は話しただろうか、少し前の事の記憶すら曖昧になる自分の脳に、本格的な医療措置が必要なのだろうなと潮時の様なものを感じる。艦娘では無い正規の軍艦で言う補修、メンテナンスに相当する医療措置が自分には必要なのだろう。だが今それを実施する事は当然できない。今は艦娘としてやらなければならない戦いをやり遂げ、この戦いの終わりを見届けなければならない。

 愛鷹と青葉の会話が聞こえたらしい衣笠も、心配そうな表情で慮る。

「疲れているとか、深刻な体調不良があるなら青葉に全部任せて、愛鷹さんだけ戻っても良いんですよ。愛鷹さんの悪い所は何でもかんでも背負い込もうとするところですよ」

「ガサの言う通りです。愛鷹さんは何でもかんでも背負い込み過ぎる。責任感が強いと言えば、それは聞こえが良いですが、悪く言えば己の引き際を見極められない悪癖です」

「……それももう長くは無いでしょう」

 ありがとう、と心配してくれる青葉型姉妹に謝礼を述べながら、愛鷹は修正した諸元に基づき、砲撃を放った。

 閃光、衝撃、火焔、黒煙、鼻をツンと付く硝煙の匂い。身体の全身に五門の主砲の発砲時のしびれが行き渡り一時的に五感を麻痺させる。笑いそうになる膝を叱咤し、次弾装填と修正射の着弾を待ちながら、愛鷹はこの戦いの終わりをひしひしと感じ取っていた。

 英国艦隊はアンツィオ沖棲姫からの砲撃に晒されずに済んでいる、勝てる、勝てる筈だ!

 

 

 発射炎を瞬かせた二八センチ三連装主砲が駐退器によって反動で後退する砲身を受け止め、次弾装填へ移行する為砲身を水平に戻していた時、アドミラル・グラーフ・シュペーに唐突な災厄が降り注いだ。アンツィオ沖棲姫からの小口径高速徹甲弾が彼女の最重要装甲区画を貫通し、第一主砲弾薬庫を破砕しながら反対側へと飛び出したのだ。

 既に繰り返された斉射により弾薬庫内の砲弾、装薬数は随分減っていた物の、飛び込んで来た徹甲弾が内部を引っ掻き回し、破壊した弾薬庫内で誘爆した装薬と砲弾が一挙に、蓋を吹き飛ばす様に第一主砲塔をターレットから吹き飛ばし、栓の壊れた蛇口から溢れ出る水の如く炎が周囲に溢れ出る。

 小さな子供程もあるシュペーの砲塔が宙を舞い、彼女の艤装を丸ごと覆い隠せる程の炎が溢れ出た直後、シュペーが取ったのはダメージコントロールでは無く、健在かつ射線を確保した第二主砲搭の斉射を放つ事だった。

「……熱ッ、まだまだぁッ! 刺し違えてでも……!」

 全身に肌を刺す様な痛みと灼熱の高温が突き刺さり、全身の痛覚からの悲鳴が彼女の脳内で第二主砲搭の斉射音すらかき消す。それでも、シュペーの一撃は大火災の炎を纏って、燃える塊となってアンツィオ沖棲姫を捉えた。オレンジに輝く三発の砲弾は図ったかのようにアンツィオ沖棲姫の主砲搭に命中し、一発は天蓋の分厚い装甲帯によって砕けて吹き飛んだが、二発は連装主砲の砲身の一本をへし曲げ、アンツィオ沖棲姫の砲撃戦火力を事実上半減させた。

 それを見たシュペーが喝采の言葉を叫ぶが、彼女の言葉は誘爆の業火の轟音に半分かき消された。装甲艦と言う艦娘の艦種らしい、夏は暑そうだが冬場はまず寒さに困りそうになさそうなガードの硬さを感じさせる彼女の制服にも火が付き、とっくに火災が及んでいる背中の艤装内の機関部が瞬く間に高温で全滅する。流石に自身を屈服させに来る全身を焼く炎と強烈な痛みにシュペーは隷属を余儀なくされた。彼女の内装型主機以外の衣服と言う衣服が燃え上がり、火災の火の手は既に空になっている魚雷発射管をも呑み込み始める。

 そこへガングートが速度を加減しながらシュペーに近づくと、敢えて右舷側からシュペーの身体を左舷側に倒す様な形で意図的に体当たりを仕掛けた。悶えるシュペーの身体の平衡感覚と足元が狂い、燃える松明と化しかけていた彼女は左舷側、即ち砲塔部が吹き飛び、炎が溢れ返る第二主砲搭跡から海面に突っ込んだ。

 真っ赤に熱した鉄を水につけた音が盛大に響き渡り、白煙がシュペーとガングートを覆い隠す。濛々と海上に上がる水蒸気と膨れ弾ける気泡の音が傍目には二人が揃って轟沈した様に見えるが、その白煙の中からガングートがキーロフに怒鳴る様に叫ぶ。

「同志キーロフ、手伝え!」

「フスョーパニャートナ!」

 艤装に備えられているファーストエイドキットから必要な医療アンプルを取り出し、艦娘になる際に倣った火傷への応急手当の方法を思い出す。

「両舷前進三分の一、見張り員は対水上見張りを厳とせよ……さて、医療の座学では平均点の我にどれ程出来るものか……」

 パッとしない応急手当の座学と実技の成績だった自身の過去を思い出しながら、キーロフは独語した。

 

 

「主は我を導かん……」

 首元から下げる十字架のネックレスを制服の上から抑え、ユリシーズはアンツィオ沖棲姫を見据えると、牽制砲撃を開始したシェフィールドから別れ、ジャーヴィス、ジャヴェリンの二人を伴いアンツィオ沖棲姫の後背、九〇度の位置に進出していた。

 この海で多くの艦娘が、多くの同胞が深海棲艦の砲火に斃れて来た。その負の連鎖を、不幸をここで断ち切る。

アンヴィル本隊の集中砲火にも拘らず、アンツィオ沖棲姫は背後に周りんで来たユリシーズ達に気が付いた。その場回頭を行い、なお残る一本の主砲の砲身を先導艦となるユリシーズに向ける。

「Target in sight!」

 ジャーヴィスがそう言った時、アンツィオ沖棲姫から強力な射撃レーダー照射が向けられて来た。見えない電子の波が彼女達に打ち付け、跳ね返った反射波がアンツィオ沖棲姫に確実に背中へ回り込んでいた三人を殺せる諸元を算出し始める。

 刹那、飛来音と共にアンツィオ沖棲姫の艦上に着弾炎が走る。シェフィールドの支援射撃だった。

「Now!」

 今だ、と叫ぶシェフィールドの声に、ユリシーズは魚雷発射管を構え、六発の魚雷の弾頭を全てアンツィオ沖棲姫へ、ジェーナスへと向けた。

 

 脳裏を、ジェーナスを見捨てたあの日の風景が駆け抜け、網膜に幻視が一瞬映る。息を軽く吸い、目を閉じ、全ての幻視を消し去る。

 再び開かれたユリシーズの眼球にはアンツィオ沖棲姫の睨みつける鋭い眼光が映っていた。

 

「許せ……!」

 

 その一言と共にユリシーズは魚雷を放った。六発の魚雷が黄色い弾頭を先頭に海中へと飛び込み、モーターを作動させて海中を駆ける。

「Shoot!」

 ジャーヴィス、ジャヴェリンの二人の黄色い叫びが同じく魚雷発射の合図となる。その二人に、アンツィオ沖棲姫の主砲が、深海棲艦によって増幅されたであろう艦娘への報復心、憎悪を込めて向けられる。負の感情が砲弾と共に砲身内に装填され、躊躇う事無くアンツィオ沖棲姫の主砲が発射炎を放った。

 

 ジャーヴィスは口をきっと結び、妹だった深海棲艦からの一撃が華奢な自分の身体を抉り、血潮を噴出させるその時に対して身構えた。

 

 ジャヴェリンは発砲の閃光に、恐怖を顔面に張り付かせながらも、己の艦娘としての職務から逃げ出さなかった。

 

「やらせるかぁッ!」

 

 発砲とほぼ同時、いやほんの僅かだがユリシーズが逆進をかけ、ジャーヴィスかジャヴェリンのいずれかを狙っていた一撃の前にその身を投げ出した。ジャーヴィス、ジャヴェリンの二人がどちらへ舵を切って躱そうかと、互いの位置を見て瞬時の判断に迷っていた中、アンツィオ沖棲姫の主砲の砲口とJ級二人と言う点と点を繋ぐ弾道の間に、ユリシーズの身体が挟み込まれた、行方を遮られた砲弾は愚直にも進み、ユリシーズの右胸部直下の制服を貫き、肋骨を二本粉砕し、肝臓を破壊し、背中へと抜け、その背に背負う艤装内の甲板を貫いて爆発した。

 

 

 鮮血が爆炎と共に海上に飛び散る中、海上にも轟く衝撃音と爆音が複数回轟いた。

 被雷の衝撃、爆発炎、水柱がアンツィオ沖棲姫の艤装を貫き、破砕音と共に茹で卵の殻をはがす様に、深海ジェーナスと言えたアンツィオ沖棲姫の艤装が崩れ、剥がれ落ちた。全部で七回に上る被雷の衝撃、爆発はアンツィオ沖棲姫の強固な艤装の装甲を爆砕して剥ぎ取り、その内側にあった本来の姿を還していく。まるで殻を叩き割って行くかのような音が何度も鳴り、海上に飛沫を上げて落ちる音と休息に鎮火する炎の息絶える音が響く

 

 最後の爆発が止んだ後、燃えながら海底へと沈んでいくアンツィオ沖棲姫の艤装の痕に囲われる様に、J級駆逐艦娘のジェーナスが両腕を胸の前に組んで、まるで納棺されるかのような姿で海上に横たわっていた。

 

 

「ジェーナス……」

 視界が横転し、身体の自由がきかない中でもユリシーズは確かにジェーナスの姿をその目で見つめていた。

 急速に力が抜けていく中、視界の端を覆っていた赤い海が急速に薄れ、赤から紫色になり、紫から紺碧の、かつての地中海の海原の色へと戻って行った。なおその紺碧の海を赤く染めるのはユリシーズの身体から流れ出た鮮血だった。

「終わったのね……」

「そうよ……終わったわ」

 気が付かぬ内に、シェフィールドがユリシーズの傍に屈み、その右手に持つ注射器をユリシーズに刺した。医療用の緊急体力回復剤が打ち込まれ、失血するユリシーズの幹部を塞ぎ、失われた分の血の代わりに血管を循環し始める。

 注入が終わるとシェフィールドは自分の制服が汚れるのも構わず、ユリシーズの身体を担ぎ上げた。視界の縦横が正常に戻る中、ジャーヴィスとジャヴェリンが歓喜の涙を流しながらまだ眠るジェーナスを二人がかりで抱えて、起こしていた。外傷は無く、艤装とセーラーハットと靴が無い以外、ほぼそのままのJ級の制服を着たジェーナスが姉妹二人の声に答える事無く眠りについていた。

 咳と共に血痰を海上に吐き出しながら、ユリシーズはやんわりとした笑みを浮かべて、アンツィオ沖棲姫からジェーナスへと戻った英国艦娘の姿を見つめていた。

「さて、次は……どこへ行きましょうかねシェフィ」

「当然、貴女は病院よ」

 

 

≪敵アンツィオ沖棲姫の完全沈黙、並びに駆逐艦娘ジェーナスの帰還を確認。同時に変色海域の完全クリアを確認した! 皆、作戦成功だ≫

 弾んだ声で地中海での戦いの終わりを告げるシーガル1の言葉は、アンツィオ沖の海上に展開する全ての艦娘に届けられていた。砲声が止んで既に一〇分程。艦娘達も自分達の足元を赤く染めていた海が、元の黒に近い紺碧の海へと完全に戻っていくのをその目で確かに見ていた。

 海上のあちらこちらで喝采が叫ばれ、或いは勝利の安堵を吐く吐息が漏れる。欧州戦役と言う、大規模な深海棲艦の侵攻作戦。その始まりが唐突であったのと同じように、終わりもまた実感を背後において先に訪れて来た。

 水平線上に立ち昇るアンツィオ沖棲姫の艤装の残骸の残りカスの様な残骸と、被弾した艦娘の艤装から脱落した部品が波間を漂う中、撃ち方止めを既に宣告していた大和は東の方向を向いて、待機に入っていた。

 その大和の隣にそっと愛鷹と武蔵が並び出て来る。片や実の娘の様な存在、もう片方は艦娘としての妹。無言で並ぶ三人が揃えて見つめる先に、旧アンツィオ市街地の残骸がある。

 海上では決着が付いたが陸上は……尚少数の深海棲艦地上軍が徹底抗戦していると言うイタリア半島の陸地を、黙して見つめる三人の六つの目に、やがて緑のフレアが空に輝いた。

 

 

≪シーガル1より艦娘統合任務部隊の総員へ。地上軍は旧アンツィオ市街地を奪還。深海棲艦地上軍の抵抗を完全に排除。イタリアを取り返したぞ!≫

 ヘッドセット越しにも分かる哨戒機の機内での歓声を聞きながら、大和、武蔵と共に支援の艦砲射撃に備えていた愛鷹はようやくその胸の中に溜まり込んでいた溜息を盛大に吐き出した。

 終わった。何もかも、少なくともこの海での戦いの全てが終わった。

 

「ようやく、まともに眠れるかな……」

 

 脳から降りて来て全身へと行き渡る倦怠感、同時に全身に痺れ渡る麻痺。瞼を閉じても居ないのに勝手に視野が暗くなり、急激に薄れ始める意識に愛鷹は必死に抗おうと試みた。

 こんなところで眠ってしまう訳には行かない……。激痛の中でその意地が芽生え、愛鷹は左手で左側頭部を押さえつけながら、歯を食いしばり、必死に意識を保とうとした。

 しかし彼女の意に反して、既に脳も身体も限界を超えて、全てが不可能の領域に入ってしまっていた。二〇四三年にキス島で生を授かって以来、交換される事の無かった愛鷹の人工脳髄は濁り、澱み、劣化し切り、彼女の前頭葉を始めとする膨大な計算能力と思考能力、全身の運動を管理する全ての脳神経が放つ莫大な熱を冷却、循環、ろ過し切れなくなり、遂に限界点を迎えた。

 制帽の下で脂汗が噴き出し、灼熱地獄の中に堕ちたかの様な暑苦しさの中に愛鷹は呑み込まれていった。刀を鞘に納める事も出来ないまま、がくりと海上に膝をつき、そのまま愛鷹は海上に倒れ込み、意識を失った。

 

 

「愛鷹さん……?」

 HUDで愛鷹の艤装からのエマージェンシーを受信した青葉は、一瞬驚きの声を上げた。後ろの衣笠も、同じように驚きと困惑の声を漏らす中、青葉は軽く頭を振ってから即座に自身の役目にシフトを切り替えた。

「現時刻を持って、行動不能となった旗艦愛鷹に代わり、次席旗艦青葉が第三三戦隊臨時旗艦を代行します。戦隊各艦、我を基点に集結せよ」

「愛鷹さんの救護は」

「まずそれより指揮系統の再編が先です」

 朗らかな性格の裏に持つ、緊急時には冷静に、時に氷の様な冷たさを持った冷徹さすら感じさせる青葉の対応と返答に、衣笠はそうだけど、と案ずる視線を愛鷹の方に向ける。

 九割九分で冷静に異変に対処出来る衣笠も、愛鷹の異常を前に軍人としての優先事項より、人間としての情を先に動かしてしまいがちだった。それでも抗弁せずに青葉の指示に従い、隊列を維持した。

 周囲に散っていた第三三戦隊のメンバーが集まり、五人に減った単縦陣を組み直すと、改めて五人は愛鷹の元へ向かった。

 

 既に力尽きた愛鷹には大和と武蔵がついていた。

「発作……ですか?」

 倒れ伏してピクリとも動かない愛鷹を、おずおずとみる蒼月が言う。武蔵も不安そうな表情を寄こす中、大和は若干の焦りを顔に浮かべながらも冷静に愛鷹の手を握りつつ、自身の艤装から引き出した曳航ワイヤーを愛鷹の艤装に繋いだ。

 愛鷹の身体を見て回る夕張が、その額に手を当てて、顔面を青くした。

「大変、凄い熱よ。それも病気による高熱とも違う熱さね」

「それって一体どういう事だい?」

 周囲警戒に当たる深雪の問いに、夕張はさあ、と首を傾げる。艤装の事は分かるが、人の身体にまつわる医療関係は夕張の専門外だ。

「以前も頭だけが熱くなる事は愛鷹さんの口から聞いていたけど……まあ、そもそも愛鷹さんはナチュラルに生まれた人間じゃないから、私達とは身体の構造において何かが違うのかも知れないわね」

「頭だけが熱くなっているわ……十中八九、いえ完全に人工脳髄液の劣化による意識不明ね……。もっと早くに手を打っておくべきだったわ」

 生みの親だからこそ分かるのだろう、そう断言する大和の言葉に、驚く第三三戦隊と武蔵を他所に、大和は曳航の準備を終えると右手で脂汗を流し続ける愛鷹の額をそっと拭った。しかし直ぐにまた大量の汗がその皮膚をぐしょぐしょに濡らし尽くす。

「帰りましょう。故郷へ」

「でも、帰ったとして、どうすれば愛鷹さんを治療できるのですか……」

 全く意識の無い愛鷹を起こすのを手伝いながら青葉は大和に問う。ずっしりと重い、見た目よりもずっと重さを感じさせる愛鷹の身体から腕を介して感じられる温もりと言うより熱さを感じながら、少しばかり体重が増えているのだろうか、と余り本人に聞くべきでは無いだろう疑念が青葉の脳裏を過る。

「当てはあります。大和が何とかしますよ。愛鷹をこの世に連れて来た一人の大人として、あらゆる手を尽くします」

「……頼みますよ、大和さん」

 

 

「終わったな」

 欧州総軍司令部施設でターヴィは缶コーヒーを飲み干し、それを副官に捨てて来るように渡しながら、友人の武本に言った。

 武本は何も言わなかった。目を瞑り、黙して何かを瞑想しているかの様であった。

「……艦娘戦死三名。地上軍、航空軍の戦死傷者はまだ不明だが、民間人と合わせて一〇〇〇人は下らんだろうな。いや一万や一〇万は行くかもしれない」

「……彼らの魂の為にも、この戦争。負ける訳には行かない」

 瞑想を終えたのか、目を開けた武本がターヴィと眼を合わせずに言う。

「ここが終わっても、次にまた別の場所で、深海棲艦は人類に矛を向けて来る。我々はそれと刃を交え、返す刀が残っていれば、湧いて出て来る穴を潰す作業をこなす……。終わりの見えない戦いだが、必ず終わりはある。今回はそれが今日では無かった。

 ……次の戦いはもっと苦しい戦いになるかも知れないな」

「どうしてそう言える?」

「北米艦隊はその殆どが今度の北アメリカ大陸西海岸奪還作戦に投入される。欧州総軍艦隊は残存戦力を持ってマルタ島の封鎖と単独での攻略戦に挑まなければならない。深海棲艦が近海に頻繁に出没し、大規模侵攻が近いと見られる日本艦隊は、欧州総軍の様に他の国連軍部隊の増援を受けられない状況で耐えるしかない。

 最も厳しい年末年始になるかもしれないな。せめて深海棲艦が年明け以降まで待ってくれれば、ある程度の戦力を我々は日本に振り向けられるかもしれないが」

 日本の軍人では無く、国連軍の軍人としての見解を述べながら武本は、限界が来たという愛鷹の医療処置の事も既に考えていた。大和と相談の上、誰に治療して貰うかを決定する事になるが、愛鷹の容体的に可及的速やかに行うべきだろう。

 今この瞬間にも、深海棲艦は次なる目標へ侵攻して来るかも知れないのだから。

 

 

 二〇四八年一一月一三日午後三時二六分。欧州総軍は欧州戦役の終結を宣言。同時にマルタ島への逆侵攻作戦は中止され、同日に戦線に復帰した欧州総軍所属の欧州諸国の艦娘連合艦隊によるマルタ島封鎖作戦が開始された。大西洋、北海、そして地中海における戦力の過半を喪失した深海大西洋艦隊と深海地中海艦隊は、とくに後者はほぼ戦力と言う戦力の全てを喪失し、残余は北アフリカ沿岸部とマルタ島に残るごく少数の艦艇と、陸上型深海棲艦のみとなった。

 深海脅威レベルの大幅な引き下げに伴い、日本を始めとする国連軍の欧州派遣軍の多くが動員を解除され、即日帰国の途についた。

 

 

≪……欧州を震撼させた深海棲艦の脅威は約三か月に及ぶ国連軍の軍事作戦により、多くの犠牲者を払いつつも昨日一一月一五日、国連軍は地中海及び北海、北大西洋の制海権の回復が宣告されました。特に地上戦が展開されていたイタリア半島からの難民受け入れを行っていた国々では、早くもイタリア国民の母国への帰還への動きが始まっていますが、深海棲艦によって徹底破壊された都市インフラの再建もある事から国連の報道官は『我々はまずイタリアと言う国の再建から手を付けねばならないだろう』と述べており、イタリア国民の難民キャンプ問題の解決にはまだしばらくの時間がかかると予想されています。

 一連の欧州戦役、国連軍報道官の発表では第八次欧州戦役による犠牲者は、軍将兵欧州総軍一万七四七九名、北米方面軍五七六名。民間人五七〇〇名余り、行方不明者は約八九〇〇名。また国連海軍艦娘艦隊も三隻三人の戦死が報じられていますが、軍報道官は戦死した艦娘の氏名を発表しておらす、人権保護団体等からは遺族への補償が適切に行われるのかについて、疑念の声が上がっています。

 次のニュースです。第八次欧州戦役の勃発に伴う欧州情勢の不安定化と同時に勃発した、カストビア共和国での反政府勢力の武装蜂起は、国連軍治安維持部隊との激しい衝突を経て、現在国連軍は掃討戦に移ったとの発表が出されました。カストビア共和国では、長年国内の反政府勢力、反体制派勢力等が勢いを増しており……≫

 そこまで聞いて青葉はスマートフォンのライブ映像の終了ボタンを押した。

 軍用機の発着で忙しいシャルルドゴール空港の駐機場で、離陸待ちのC-17輸送機の開け放たれた後部ランプに座ってニュース映像を見ていた青葉はスマートフォンしまうと、機内に設けられている医療コンテナに足を向けた。

 青葉を含む第三三戦隊と大和は他の日本艦隊艦娘とは別便の輸送機で日本へ帰国する事が決まり、ついぞ一〇分程前、先に日本へ帰国する他の日本艦隊の艦娘達は尚包帯と松葉杖に頼らざるを得ない狭霧と綾波と共に輸送機に乗り込み、日本への帰路に飛び立っている。第三三戦隊と大和も滑走路の空きが来次第、直ぐに離陸する事になる。

 臨時の第三三戦隊旗艦を担う青葉がポツンと機体後部のランプに座って、空港の風景を眺めていると、ランプをコンコンと言う足音を立てて瑞鳳が隣に並んで来た。

「なーに黄昏ちゃってんの?」

「別にそう言う訳では無いですが。ただ愛鷹さんの治療が出来る医師が本当に居るのか、それが不安の種ではありますね」

「まあねえ……」

 そう答える瑞鳳はここ最近、少しばかり不満をため込んでいるのが隠せない様子だ。それもそうだろう。地中海の最終決戦において、瑞鳳は最後の最後で出番のないままに終わってしまったのだ。自分だけが外様に置かれた事への不満は彼女にあるのだろう。愛鷹が航空巡洋戦艦となり、ある程度の艦載機による防空戦闘が可能になった事もあり、瑞鳳の防空、索敵軽空母としての第三三戦隊における役割は揺らぎつつあると言っていい。

 帰国したら、また第三三戦隊の再編も行われるかも知れないが、それまでは瑞鳳は予備戦力として後方待機が続くだろう。

「愛鷹さんに何か新規の改装があったりしないかな」

「そりゃ、またどう言う発想で?」

「だって戦闘機による防空、索敵機による索敵が担当の瑞鳳の仕事を愛鷹さんと青葉がそれぞれ持ってっちゃってやる事無いんだもん。愛鷹さんが純粋な水上戦闘艦系の改装が実装されるとかあったら、また瑞鳳は艦上戦闘機での艦隊防空担当任務に戻れるのに……」

 不満顔を張り付かせながら、ランプの向こうで離着陸する航空機を眺める瑞鳳に、青葉は愛鷹の新規改装計画を知っている事を話すべきかと一瞬迷いが出た。瑞鳳は口が堅いから話しても問題は無いかも知れない、という誘惑も出る。

 だが結局青葉は自分の心の中に仕舞い込む事にした。そう言うのは盗み見した自分の口で語られるよりも、愛鷹本人の口で語られた方が、瑞鳳からの心象も悪く無いだろう。

 最も愛鷹が戦線復帰するまでは防空戦闘分野において、瑞鳳頼りになる事になるのは確かだった。




 次回より新章が始まります。
 感想評価ご自由にどうぞ。また次回のお話でお会いしましょう。
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