艦隊これくしょん この世に生を授かった代償   作:岩波命自

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 長い事やってると、執筆開始初期に広げた設定とか、けろっと忘れてたりするんですよね……駄目じゃん

 お話をどうぞ。


日本本土戦役編
第一〇四話 それぞれの使命


 日本艦隊の艦娘達を載せた輸送機が横田基地の滑走路にタイヤを鳴らし、白煙を軽く吐きあげながらタッチダウンした時、青葉は窓の外から見える空軍基地の風景を見て、溜息を洩らした。帰って来た、という感慨深さが胸を一杯にする中、小刻みに揺れる輸送機の外でスラストリバースの大きな音が響き渡る。高速で滑走路を走っていた輸送機が急速に勢いを失い、程なくしてタキシング速度へと減速した輸送機はゆっくりとした動きで誘導路を渡って基地のエプロンへと入って行った。

 輸送機が止まるや、機内と機外で基地要員の確認の声が飛び交い、それらが均きり治まった後、後部ランプが機械的な重々しさを持って降ろされた。

「全員、降機」

 今や第三三戦隊の臨時旗艦である青葉が私物の入ったバックを担ぎながら、降りる準備を整えていた第三三戦隊の仲間達に振り返り、指揮官らしさのある声で告げる。青葉以外の五人のごそごそと言う立ち上がる音と、私物を入れたバックを担ぎ上げる音が鳴り、程なく第三三戦隊の六人はランプに足音を響かせながら久方ぶりの日本の大地に足を付けた。

「やっと帰って来れたぁ」

「日本もすっかり寒くなったわねえ」

「上着が無かったら気温差でくしゃみが出ちまうぜ」

「疲れましたねぇ」

「全員軽度のエコノミークラス症候群状態だもんね。そりゃ疲れるわよね」

 片道一四時間余りの飛行機の復路は、欧州戦役の終幕を経てもなお残る身体の疲れに加え、瑞鳳の言う通り輸送機内での軽度のエコノミークラス症候群という形で全員に等しく追撃をかけられたので、今の青葉、衣笠、夕張、深雪、蒼月、瑞鳳は疲れ切っていた。丸一日、軍務から解放されてベッドで眠っていたい程だったが、欧州戦役終結後の第三三戦隊の残務処理に全員で対応に追われた事もあり、ヨーロッパの地で休む間は最後までなかった。

 最も、単なる疲れで済んでいる自分達はまだいい方だと、青葉は降ろされて来るストレッチャーに載せられた本来の第三三戦隊旗艦艦娘の愛鷹を眺めながら、大きなため息を漏らした。少しばかり青葉達と同じように長旅の疲労を顔に滲ませる大和が付き添う中、医療隊員の手で救急車に運び込まれた愛鷹の長身が閉じられた後部ハッチの向こうに消える。

「治療出来るものなのかしら……」

 不安げに呟く衣笠の言葉は、青葉も感じる不安と一字一句同じであった。

「出来る、完治する、そう信じて愛鷹さんの帰りを待とうよ」

 自身の不安を胸の内に仕舞い込み、不安げな台詞と同じ感情を現した顔面を浮かべている妹の肩をポンと軽く叩き、青葉は愛鷹を載せた救急車に一緒に乗り込んだ大和の私物を入れたバックを、輸送機の乗員から受け取りに行く。

 出迎えのワゴン車に荷物と共に六人全員で乗り込み、最寄りの鉄道駅である拝島駅へと向かう。歩いても充分間に合う距離にある駅だが、広大なエプロンを歩いて、駅まで行くのは流石に青葉達にとって疲れた体の身から言わせて貰えれば車に頼りたい、と言うのが本音だった。

 

 

 一刻を争う症状と言う事もあり、大和と愛鷹を載せた救急車は東京都内の都心にある帝都医科大学付属病院に運び込まれた。深海棲艦の日本本土侵攻脅威論が高まり、太平洋沿岸部の広い範囲で自主疎開が行われ、活気を少しばかり失う東京都内にあって、未だに積極的かつ精力的に医療機関としての機能を維持し続けている大規模病院だった。

 救急車が止まり愛鷹を載せたストレッチャーが医療隊員の手で専用の医療棟へと運ばれていく。大和もひとまず脳外科部門の待合室へと向かう。そこで待っている人物と会う為に。

 大きな病院なだけあり、始めて来る分、内部構造が初見である大和にとっては案内図を見ないと迷子になりそうな程に広い。ルーブル美術館といい勝負なのでは無いかと思う程に広い館内を歩き、ようやく脳外科棟に着く。待っていた看護師に案内されてはいった診療室では江良雀少佐と武本生男中将の二人が、一人の男性医師と話し込んでいた。見覚えのあるその姿に大和は、大和では無く、それ以前の八島和美として気まずい気持ちになりながら、白髪の生えた男性医師の所へと歩いて行った。

「……脳髄液のそっくり入れ替え、はあまり例がありませんね。脳髄液関連となれば水頭症等がありますが、それとも全く違う。

 ふむ……そして、この患者さんは、何らかの理由で脳髄液を人工の物で賄っているという解釈で宜しいですかな?」

 江良から提供されたのであろうカルテを眺めながら、その男性医師、八島和雄は二人に向かって言う。その視界の端に大和が入り込むが、今はその姿が誰なのかはちょっと後に回して置こうと、医療の化学式や専門用語が書き連ねられたカルテと交互に江良と武本を見る。

「そういう事になります」

「ふーむ……これは中々大変なオペになりますね。脳髄液の入れ替えと言う特殊なケースの手術例は前例が無い訳では無いですが、この患者さんの場合、まず人工脳髄液を必要量培養してから移植するオペになる。一五〇ミリリットル分の培養に約一日、オペには……少なくとも一日程度はかかるかも知れませんね。そこから艦娘としての活動に必要なリハビリに最低でも二週間程度はかかります。早くても、ですが」

「八島先生、可能ですか?」

 そう確認するように問う江良に八島はカルテを閉じ、実に簡潔に、だが重要な意味を込めて答えた。

「出来るか、出来ないか、で言えば出来ます。やってみましょう」

 その返しに江良と武本はほっと安堵の溜息を吐いた。同じように傍らで安堵のため息を吐いた大和の存在にようやく認知を向けて来た八島は、カルテをデスクに置くと、江良と武本に席を外してもらうよう頼んだ。

「少し、彼女と一対一にさせてもらえますか?」

「構いませんよ。江良君、行こうか」

 武本が先に立ち上がり、江良を誘って診察室の外へと出る。二人が出た後、八島と大和の二人きりの空間が生まれた。

 溜息を吐きながら八島は眼鏡を取り、血液検査の結果を記した紙をはさんだバインダーを手に取ると、それに目を通してから視線を大和に向けた。

「久しいな、和美」

「……お久しぶりです、お父様」

「見ない間に、随分立派な女になったな。お前が家を飛び出し、海軍に入った日の事よく覚えている。あの頃と比べて、数段大人への階段を上り、軍人としての面構えを身に着けた様だな、ええ?」

「……手紙の一つも出さなかった事、言い訳はしません。ごめんなさい……」

「うむ、そう言う実家と安易に連絡を取れない環境に置かれているのが艦娘と言う職業と言うのは私も小耳に挟んでいるから、その点は気にしてはおらん。母さんは随分寂しがっていたが、な。それと藤堂さんの……いやこの話について今は止めておこう」

 自分が艦娘になる為に実家を飛び出した原因とも言える親同士の取り決めの婚姻について、話題にしかけて直ぐに取り下げた父親に配慮に大和は内心感謝した。

「それで本題だが、愛鷹、鷹野愛美の事について、軍医の江良さんから色々とデータは受け取った。そこにはお前のデータも含まれていた。私には何故、愛鷹と言う艦娘の治療に当たってお前の血液検査などのデータ迄添付されているのか、最初は分からなかった。だが目を通せば、それはもう本当に驚いたものだ。愛鷹と言う艦娘の容姿を見て、私の中の疑念は六割方確信を得た。だが残りの四割はお前を信じたい、という願いから頭の中で否定して来た。

 その白黒をはっきりさせたいから聞く。彼女は、一体お前にとって誰に当たる人物なのだ?」

 

 真実を語る時が来た。実の父親、血を分けて貰い、この世に八島和美として連れて来てくれた両親の片方。大和とは目の色以外共通点が無いとは言え、大和にとっては艦娘になる前の人生で英才教育を施すだけでなく、世界が深海棲艦の手で擾乱の渦に巻き込まれ、日本国内では冬場には凍死者が出る程にエネルギー事情から食糧事情に至るまで暗澹とした社会になる中、幸せに溢れているとは到底言えないこの世にも、決して絶望ばかりが覆いつくしているのでは無いと語り、常に「希望」はどこかに、遠いところかもしれないし、意外な程に近い所にあるかも知れないと説き、一歩間違えれば荒みかける和美の心に常に灯りを灯すのを絶やさなかった良き父親。八島家の娘だった頃、決して娘や妻に手を上げる事は無かったし、怒鳴り声をあげる事すら無かった。そして病に侵された人々を救う事に金銭の介入を度外視してでも完治に全身全霊を尽くす医療従事者の鑑、人格者そのものと言えた八島和雄は和美が生まれて初めて見る険しい表情を娘に向けていた。

 こんなに恐ろしい顔で父親に睨まれた事は、一度も無かったが、それも致し方ない事だ。大和もとい八島和美は全てを父に語った。何もかもを。勿論軍機に触れる事は語らなかったけれど、話す事の出来る事は全て話した。

 

 時間にして二〇、いや三〇分だろうか。全てを語り終えた和美の語りに、和雄は険しい表情のまま、深いため息を吐いた。

「お前が、人間の不可侵領域、神の領域に手を出してしまった事は、正直ショックだよ……」

 暫しの沈黙の後、和雄は重い口を開いた。ほんのり娘に対する失望も見え隠れしたが、その微かに覚える失望をあからさまに娘に向ける事は無かった。鼻の奥を鳴らし、何度か姿勢を正しながら和雄は黙って和美と愛鷹の血液検査表を見比べていた。

「彼女はお前のクローン人間……だが、その身体の構造は単なるお前のクローンに留まらない。試験管ベビーであり、そう、適切な言葉で言うなれば強化人間と言うべき存在。だからその頭脳を満たす脳髄液は人工の物である、か」

 もう一枚愛鷹の精密検査結果を見て、和雄は再びため息を漏らす。愛鷹こともう一人の和美と言うべき女性は強化人間故にその身体の構造は常人とは異なる所が随分多い。上げればキリが無いが、脳の処理能力の速さと言うのは特筆すべきであろう。常人より遥かに思考力が強化されている分、熱を持ちやすいから人工脳髄液で冷却していた訳だが、それも劣化し切って冷却機能は致命的に低下し切っている。もう今の状態では愛鷹と言う艦娘の本来のポテンシャルを発揮するのは不可能だ。

 だから脳外科医として「世界のヤシマ」と呼ばれる自分が選ばれた訳か、と和雄は納得する。

「父さん……私は」

「良い、お前の事だ。金目当て、名声目当てに自分の遺伝子を提供したのではないと信じている。どうしても話したい、と言うのなら別だが、今は彼女を助けてやる事が先決だ。事情説明と言う違う言い方のある言い訳は、何もかもが終わった後でじっくり聞かしてくれ」

 険しい表情をフッと消し、父親としての慈愛に満ちた笑顔を向けて来る和雄に、和美は深々と頭を下げて礼を言った。

「ありがとうございます、お父さん」

「礼は要らんよ、これが私の仕事なのだからな。直ぐにでもオペを実施出来るように腕利きの助手や機材の手配をするとしよう。約束する、必ず彼女を元通りにしてあげるとな」

「宜しくお願いします、お父さん」

 和美にとって礼は要らないと言われても、頭を下げずにはいられなかった。

 

 

 久方ぶりに見る統合基地の風景は些か寂しいものになっていた。青葉と衣笠が戻った巡洋艦僚もそれは同じであった。那智と足柄を始め何人かが居なくなっていた。

 荷物を自室に降ろした青葉は輪番制で務める寮長、この時は妙高、の部屋を訪ねた。都合よく非番なのか自室にいた妙高が彼女らしさのある私服姿で応対してくれた。

「那智さんと足柄さんは?」

「あら、聞いていなかったのですか? 二人は北海道方面の防備強化と言う名目で、第五艦隊に編入されて今は大湊基地よ。木曾、阿武隈、多摩、曙、潮、薄雲、初春、初霜、若葉、それに航空支援に当たる祥鳳、龍驤で編成した三航戦を編入して北の海の守りに出ているわ。

 今太平洋側の日本全土に深海棲艦の侵攻脅威が高まっているせいで、各方面に皆分散配置されているわ。勿論、いざという時は連携が取れるようになっているわ。ここに残っているのは本州防衛部隊的な扱いの人達よ」

「なるほどです。足柄さんにはポーカーの貸しがあったんですがねえ。また今度ですね」

「足柄も愛鷹さんにポーカーの貸しと絶対勝つ、って言う目標があるから、動員解除がされれば直ぐにでも帰って来るわね。足柄は他人に勝ちを譲る程謙虚では無いから」

「足柄さんのそう言う所、嫌いじゃないですよ」

「逆に足柄を嫌う艦娘っているのかしらね……」

 不意に不安に駆られた様な表情を浮かべる妙高に、嫌われてはいないが、艦娘達の弱みを含めた個人情報を悉く握っているが故に、少し敬遠される節がある自分とは大違いだと青葉は自嘲交じりの苦笑いを顔には出さずに浮かべていた。あくまでも己の好奇心に駆られるがままに収集した艦娘達に関する情報量は青葉の強みであり、同時に同じ艦娘達から恐れられる要素の一つでもあるが、それをあからさまにひけらかす趣味は当の昔に無くしていた。

「皆からの人気者ですよ足柄さんは。ちょっとカツを盛る量が多くて胸焼けしそうになるのが悩みの種くらいですかね。嵐さんや神風さんくらいでしょうか、あの量のカツを嬉々として平らげるのは」

「那智がちょっと可哀想ね。一度胸焼けし過ぎてカツを敬遠してたから」

 勝利に拘る足柄の性格は、その手の中で零れ落ちて永遠に失われた艦娘の命、と言う過去があるだけに絶対に全員で生きて帰り、勝利を収める事に関しては執着と言うレベルの熱量を見せる。一方の相棒たる那智はその点、一歩引いて達観した見方が出来る、いわば足柄の程よいブレーキ役だったが、酒の事が絡めば那智も那智で暴走するのが妙高の頭痛の種だった。上手くやっているだろうか、という姉妹艦娘の長女としての責任感や心配があるのだろう。

「あの二人なら上手くやりますよ。お邪魔しました」

 一礼して妙高の部屋を辞した青葉は自室へ再び戻った。

 

 巡洋艦寮と言っても部屋割りはそれぞれに異なる。二人部屋だったり個室だったりするし、中には三人部屋だったりもする。例えば青葉と衣笠は二人部屋だし、妙高は個室で生活している、という具合に部屋割りに関しては艦娘の側の反応次第で決まっている所があった。

青葉としては衣笠と共に過ごす事に全くの苦を感じないし、寧ろ楽しいと感じる方であった。それはまた衣笠も同じである。

 寮の奥にある愛鷹の部屋をちらっと見てから青葉は自室へと入った。早くも荷物を解き終えた衣笠がベッドにゴロンと横になって、定期購読している女性誌を読んでいた。二か月前の雑誌だったが、定期購読する程に楽しみにしている雑誌なのもあり、今の内に全部読み終えておくつもりらしかった。

 青葉も自分の机に向かうとPCを付け、艦隊新聞の編集作業に取り掛かった。欧州戦役での戦闘データは既に国連海軍のデータベースに纏められているので、それを参照しつつ、青葉自身が見て、聞いて、体験して来た欧州での戦いについての記事を書き揚げて行く。

 熟達したピアニストの様な指使いでキーボードをタイピングする音と、トラックボールを回す音が静かに響く中、青葉はふと背中の方で女性誌を読む妹に声をかける。

「季節も季節だし、暖房付ける?」

「ん、大丈夫よ。青葉のPCの排熱で暖かいから」

「そう? ま、青葉はちょっと冷えるかな」

 地球温暖化が進行しているとは言え、寒い季節は寒くなるものだ。今は一一月だからもう冬の序盤と言っても過言ではない。青葉型重巡姉妹の制服は揃って上下ともに半袖なので、冬場は何か上に着ないと寒く感じる服装であった。青葉の場合はこの季節は主に青いパーカーを羽織って過ごす事が多かった。なお艦娘として外洋に出る際は、艤装の生命維持システムが身体全体を覆う様に保温機能を展張するので、厚着する必要は無い。

 冷えると言っても、実際青葉自作のPCの排熱はちょっとした暖房代わりにもなるので、やはり点ける迄もないかと青葉は思い直す。熱中症や低体温症や風邪で艦娘を戦列外にするのは、当の艦娘本人たちの間でも恥じるべき体調管理と目されるが、そうとは言っても結局は自室の光熱費はある程度給与から間引かれる仕組みになっているので、やはり何かしら代用が効くのなら冷暖房にかかる光熱費をあの手この手で節約しようとするのもまた艦娘達の生活だった。

 最も簡単なのは共有スペースである談話室で過ごす事だったが、青葉の場合はそこに自身のハイスペックパソコンを持ち込めない為、艦隊新聞の作成は専ら自室にこもって行う作業だった。衣笠はその点、非番時は好きに動き回る方であったけれど、自身が生家では兄や姉が居ない、弟しかいない長女として生まれたが故に、妹として姉と言う存在に甘えたい憧れを叶えられるのは艦娘としての今しかない事もあって、青葉の傍にいる事を好む一面があった。青葉としてはそう言う形で自分に構ってくれる衣笠は好きだったし、衣笠もまた青葉を血は繋がっていなくても姉として強く慕っている。

「ガサ、今年の流行の服の情報とかある? 服とか靴とか、帽子、衣料品全般でもいいから」

 ふと何気なくマルチディスプレイを見つめ、キーボードとトラックボールの上に置いた手を動かしながら、青葉は衣笠に尋ねた。余り私服のコーディネートに拘らない青葉にしては珍しい質問だった。

「うーん、そうねえ。青葉ってスカート持ってたっけ?」

「あるっちゃあるけど、生まれてこの方、ズボンで過ごした時間の方が圧倒的に多いよ。学生時代と儀礼用に履いたくらいかな」

 一応、青葉も衣笠が艦娘としての制服でも常用しているスカートを私物の一つに持ってない訳ではない。ただ、青葉は兎に角動き回るタイプであり、その動き回ると言う活動の中には走る事も含まれるので、艦娘としての制服時も、私服時もスカートよりズボン派になりやすかった。

「青葉に似合いそうな服はねえ……」

 ぺらぺらとページを捲る音が青葉の背中から聞こえて来る。ファッションセンスは衣笠が圧倒的に上だったし、彼女が選ぶ服は大体青葉も満足するコーディネートだったから、艦娘になって以来入手した青葉の私服の大半は衣笠のチョイスが大半を占めていた。ただ靴類だけは青葉が衣笠と違ってハイヒールをあまり好まないのもあって、青葉自身が選んでいた。青葉の好みは、ヒールは高くても良くてローヒールか、大抵は平底のパンプスだった。正直なところ今の改二制服が支給された際に、踵にラダーヒールを挿入する空間を設ける為にローファーはヒールアップになっていてそれすら履き心地に違和感を覚えるくらいだ。

「寒い季節はスカートより長ズボンよね。青葉もそうでしょ?」

「そうだねえ。スカート履いた下にオーバーニーで覆うってのはあるけど」

「Gパンとかどう? 新しい少しだけストレッチ性のあるのが発売されてるけど」

「しおり挟んで置いて、後で見るから」

「りょーかい」

 艦娘としての職務から解放された時の二人の会話は、実に姉妹らしい会話になる。偶に軍務絡みのネタが入る事はあっても、大抵は日常生活の話題で終始している。青葉の方から話題を振る事もあれば、衣笠の方から話題を振る事もある。二人は一緒に居る時間が好きだった。一番楽しい時間は、六戦隊の四人全員で居る事だったが、生憎古鷹と加古は哨戒艦隊に組み込まれて今は留守だ。

「愛鷹さんって、私服どうしているのかな」

 ふとキーボードから指を話して、青葉は言う。今は頭の手術を受ける為に入院中の上官であり親友の愛鷹のプライベートの衣服関連がふと気になる青葉に、衣笠もそう言えばと何気なく天井を見上げる。

「愛鷹さんが私服で居る所そのものを余り見ないわね」

「青葉は何回か私室にお邪魔したけど、非番の時ですら制服姿だったからね。一回、第三三戦隊がラバウル基地に派遣された時、制服が泥まみれにされて、スポーティーな私服になっていた事はあったけど」

「そんな私服持っていたなんで意外ね」

 ただ愛鷹の性格を考えれば、余り私物と言うか、私服を持たないイメージはある。ほぼ愛鷹イコールで艦娘としての制服姿で定着してしまっている感じはあった。艦娘としての制服だけでな、着任時に着用していたハイネックのコートもまた印象深いと言えば深い。より正確に言えばハイネック仕様のトレンチコートと言うべきか。

「愛鷹さんは自分を飾らないタイプだから。それが良いのか悪いのかは本人にしか分からないけど」

「ポーカーと言うかカードゲーム好きとして、テキサスホールデムでも出来そうなカジノに行くときか、もっと社交的な格好にして欲しいわよね」

「まあ、愛鷹さん、確かにポーカーを始め、カードゲームは好きだけど、それに勝つ事が好きなだけで、相手から身ぐるみ剝がす事にまでは執着してないっぽいから。多分、ハイローラーバーアクセス券とか手に入れても、負かした勝負相手に譲っちゃいそう」

「それって、そう言うカジノのルール的に問題ないのかしら」

「さあね、青葉、カジノに行った事ないし」

 テキサスホールデムを始め、青葉もいくつかのポーカーのルールこそ知っているが、本場の賭博の場で大金を溶かしてやろうと思った事自体は無い。そもそも日本にある賭博の場と言えばパチンコ店くらいだし、ネット上にあるオンラインカジノは違法だから、そんなものに手を出そうものなら、速攻で憲兵隊にバレて、こってり搾り上げられた末に数日間の営倉入りに加えて昇進の停止などの厳罰が確定になるのは目に見えている。

「愛鷹さん、本場のカジノに行ったらどうなるんだろう」

「少なくとも、宗谷さんや雪風さんを凌ぐ豪運を発揮しそうではあるね。イカサマの因縁つけられて、凶器込みで襲われても、余裕で返り討ちに出来るだろうし」

「それ聞くと、愛鷹さんってほぼ無敵の人じゃん」

「実際、寿命以外に愛鷹さんを負かすのは難しいと思うよ」

 ルールを知っているのかは分からないが、麻雀とかも強そうだな、という印象はある。最も愛鷹は本当にゲームを楽しむ事しか考えていないから、金をふんだくる事には無関心なのは想像に難くない。

「早く退院して欲しいね……」

「同感」

 

 

 艤装試験場では清霜が巨大な砲身を抱えて、浮航テストに移行しようとしていた。

 立ち会う夕張、明石の二人に加えて、清霜が構える砲身やその関連装備の開発、製造企業であるオオマツ・インダストリーの技術者、それに艤装設計局の雲野中佐などの技術士官たちが見守る中、艤装のパワーアシストで何とか長い砲身を構えている清霜の足元に、警報音と共に海水が満たされていく。彼女の編み上げブーツがほぼ隠れかける程に試験場内のプールが海水で満たされた後、オオマツの技術者がテスト開始の合図を送る。

「ふんッ!」

 艤装の機関部が出力を上げるだけなのだが、知らずと清霜の顔にも力が入る。海水の中に沈んでいた彼女のブーツが水面に浮上し、そこで直立状態に移行する。清霜も改二が実装されるくらいに場数と経験豊富な駆逐艦娘なので、しくじる恐れはない、と皆が思っていた時、コードを繋いだ清霜の艤装の様子をモニターしていた技術者が「あ」と言う間抜けた声を上げた。

 違和感は清霜本人も直ぐに察したのだろう。咄嗟に長大な砲身を手放し、スリングも含めて緊急パージしたが、彼女の背中に背負う艤装の煙突から火の粉交じりの黒煙がせき込んだ時の痰を吐き出す様にごぼっと吐き出され、オーバーヒートの黒煙が激しく噴出し始める。

「うわッ」

 短い悲鳴が清霜から発せられた直後、水面に立っていた彼女の両足は着底し、バランスを失って尻餅をつく。背中に背負う艤装がゴン、という重々しい鈍いさを伴った音を立ててプールの底に激突する。

「あー……やっぱ、色々積み過ぎっぽいわね」

「明らか、あれは過積載と艤装のコントロールシステムの過負荷によるものでしょ」

 呻き声を漏らす夕張に、内心結果は分かっていたという風に明石が言いながら、慣れた身こなしで試験場のプールへと降りる。明石の履く主機は、彼女の独自改造により内蔵バッテリーで三〇分だけだが、艤装の機関部からのエネルギー供給無しでも動くので、プールの上をスーッとフィギュアスケーターの様な優雅な滑り方で清霜の元へ向かい、助け起こす。

「やはり、あの主砲艤装は駆逐艦娘には無理か」

 肩を落とす雲野の言葉に、夕張は片手に持っていたタブレットを改めて見て、そこに表示されるデータをスクロールして見ながら、唇を噛んだ。

「駆逐艦娘の中でも清霜ちゃんは甲型に分類されるので、ある程度の増加装備のマージンはありますけど、やっぱりどう軽量化しても過積載ですね。結論から言えばあの主砲艤装を駆逐艦娘に載せるのは無理ですよ。主砲艤装だけでなく、背中には大容量バッテリーと急速充電器を始めとする追加装備も載せますし、機関部に無理を言わせている、とかのレベルじゃないですよ」

「となれば、やはり軽巡以上の艦娘専用装備か」

「うーん、軽巡艦娘の艤装でも厳しいと思いますよ。なんなら重巡艦娘や戦艦艦娘ですら耐荷重量は怪しいです」

 とは言え、清霜でテストした主砲艤装の有効性自体は夕張も活路を見出しているモノであるから、一概にこれは無理だ、と言い切るのも歯がゆさが残る。今テストにかけている主砲艤装、艦娘携帯式レールガン艤装は、戦艦艦娘以外にもス級を始めとする戦艦級の姫級、鬼級の重装甲艦をマッハ六以上で発射する徹甲弾で射抜き、吹き飛ばす事を期待して開発されたものだ。

 艦娘携帯式レールガン艤装、通称四八式超電磁砲艤装の威力自体は申し分ないのだが、砲身には構造上、マズルブレーキを付けられないので反動は恐ろしく大きい。構え方をしくじれば肩の脱臼待ったなしだ。それに四八式艤装を支える大容量バッテリーや急速充電器を含めた重量も膨大なものになる。夕張の見立てとして砲身だけなら軽巡艦娘以上が構えられなくはないとは思うが、バッテリーと充電器込みになれば流石に軽巡以上でも過積載だ。当然ながら機関部への負荷も大きくなって、先程の清霜の様に水面に立つ事すら危うくなる。

「せっかく、ス級へのカウンターになりそうな艤装の先行試作量産品が納入されたのに、これじゃあなあ」

 オオマツの技術者も頭を抱えていた。それを聞いて、清霜を抱えてプールから上がって来る明石と、プールの縁で同じく聞いていた夕張は、設計段階で気が付け、と胸中で毒づいた。

「戦艦並みの威力の主砲艤装を持つのはやっぱり無理なのかしら……」

 明石の手助けを借りてプールの縁へと昇った際に落ち込んだ声で呟く清霜に、夕張は少しばかり痛まれない気分にもなる。清霜の戦艦艦娘への憧れは本物だったし、それ故に駆逐艦娘はどうやったところで戦艦艦娘にはなれないと分かった時の落ち込み様は、見るに堪えなかったものである。改二になってからは駆逐艦娘としての本領に目覚めている節はあったけれど、未練はその少しだけ改二化の際に外観的にも大きくなった胸の内側に残っている様だ。だから今回の「戦艦艦娘以外の艦娘にも、戦艦並みの火力を付与できるかもしれない」と言う四八式艤装のテストに真っ先に志願して来たわけだったが、結果は清霜の憧れを現実と、技術的限界と言う名の二つの要素が無残にも打ち砕いただけであった。

「運用法に関しては、ちょっと工夫がいるかもしれないわね」

 手近な工具箱の上に腰かけて、明石は溜息を洩らした。夕張もタブレット端末に表示される数字の羅列を見て、どう運用すればいいか、思考を巡らせる。現状、ス級への対抗手段が、既存の戦艦艦娘や重巡艦娘の集中砲火で副砲系を破壊し尽くした後、愛鷹による接近戦でその大口径主砲を無力化し、その後に水雷戦隊の駆逐艦娘の魚雷攻撃で撃沈すると言う物しか確立出来ていない。ス級一隻を沈めるのに必要な艦娘の数は正確な数は算出されてはいないが、三倍や五倍では済まない物量差が求められるのは夕張自身の実体験から確証を持って言えた。そしてこの対抗戦術の中にはス級の砲撃によって負傷、損傷し、戦列から脱落する事は度外視しているから、実際はもっとうまく行かない。

 しかし四八式艤装の超電磁砲なら、その様なプロセスを省いて、ス級と渡り合える可能性を秘めているだけに、現状痒い所に手が届きそうで届かない状況と言えた。

「更なる軽量化は出来んのですか?」

「無理ですね。少なくとも今の技術力では無理です。あと一〇〇年、二〇〇年の時間と、潤沢な予算が割り当てられれば、艦娘だけでなく、戦車や地上軍の歩兵携帯装備レベルにまで軽量化とシステム的なコンパクト化が出来るかもしれませんが」

 雲野の問いかけにオオマツの技術者は軍事技術者なりの予想を語る。世界で初めて軍艦の艦載砲としての超電磁砲を開発し、試験艦で試験運用にまで漕ぎつけたのは日本が実質初めてだから、超電磁砲の開発技術と言う点においては他国の企業よりもアドバンテージを持っている。そんな日本の軍需産業でも艦娘サイズの超電磁砲の開発は一筋縄でいく分野では無かった。

 だが、運用方法次第ではこの過積載の四八式も使い物になる筈だ。そう信じて夕張は脳内でスケッチを広げた。

 

 

「駄目だなあ」

 引き上げた釣竿を見て深雪は呻き声を漏らした。釣り針の先に取り付けた餌に食いついた様子すらない。蒼月はしゃがんで釣竿を構えてじっと海面を見つめているが、こちらも竿がしなる気配が無い。海は魚の気配すら感じさせない程に静寂に包まれていた。

「今は駄目駄目だな。日本近海を深海棲艦がたむろする様になって以来、魚がここにまで泳いでくることが無くなちゃったよ」

 同じく釣竿を振っていた望月も諦めがついた顔で、自分の釣竿を引き上げる。深雪と蒼月を他所に、望月は早くも道具を片して店じまいに入った。

 道具を担いで戻る望月は、足を止めて尚粘る深雪と蒼月に振り返らずに、空を見上げて言った。

「止はしないけど、いくら粘っても駄目だと思うよ。寧ろ、今は釣りなんて止めておいた方が良いのかも知れないな……魚の生態系的にもね」

 それだけ言って望月は駆逐艦寮へと帰って行った。

 深雪も蒼月も望月の言う事は恐らく正しいのだろうと考え始めていた。深海棲艦の活動が盛んになる海域の周辺では、魚の生態系が不活発化すると言う調査結果が存在する。日本近海に深海棲艦が活発的に活動を始めているのが明らかな今、僅かな希望にかけて釣り針を垂らすよりも、もっと別の事に時間を割いた方が非番の時間の使い方として利巧と言えるのかも知れない。

「……止めとくか」

「そうですね」

 二人は釣竿を引き上げると、道具の片付けに入った。ケースの中に道具を仕舞い込み、蓋を閉じてぱちんと金具を留めると、深雪は取っ手を持って蒼月に一言言った。

「帰るか」

「はい」

 そんな時、タイミングが良いのか悪いのか。魚が釣れなかった事で余計に、と言うべきか。蒼月の腹が空腹を知らせる内蔵の叫びを上げた。少し顔を赤らめて恥ずかしそうに俯く蒼月に、深雪は苦笑交じりに空いている左手で自身より背の高い戦友の背を叩いた。

「何か奢るぜ。一緒に間宮さんとこでお茶でもしに行こうか」

「……アップルパイが食べたくなりました。何故か分かりませんけど」

「ん、それでもいいさ。アップルパイか、うなぎパイやミートパイは?」

「アップルですねぇ」

「おっけ。任せとけ」

 

 釣り道具を寮の倉庫に戻した二人は、その足で間宮が仕切るカフェテリアへと向かった。

 普段は非番の艦娘で混雑し、口に入れた甘味の美味に黄色い声がそこかしこから上がっていた間宮のカフェも、来るべき有事に備えて日本各地へ艦娘が分散配備されている事もあってか、利用者も減り、閑散としていた。

「ちわー」

 一声かけてカフェのドアを開けて入る深雪に続いて蒼月も入店すると、キッチンテーブルで詩の本を読んでいた間宮がようやく利用客が来たという様に顔を明るくして出て来た。

「いらっしゃいませ。何をお召しになります?」

「蒼月にアップルパイを。深雪様は……深雪様もアップルパイで」

「はい、かしこまりました」

 間宮のカフェテリアは、元は日本艦隊の秘書艦兼航空参謀として招聘されている鳳翔の居酒屋を改装した新装店だった。欧州戦役が始まる少し前に小規模な改装を経て開店し、深雪も何回か利用していた事がある。給糧艦娘間宮は一応、艦娘ではあるけれど、その足が海を踏みしめた事は多く無く、殆どの時間を陸の艦娘の胃袋を支える店で過ごして来た。最も、全く戦闘職に就いた事が無い訳ではない。間宮は兵站系の職務に就いているが、通信系にも造詣が深いので随分昔には間宮をSIGINT艦娘として運用して深海棲艦の通信を傍受、解析して作戦を行った事もある。

 だが、暫くの時間の後に深雪と蒼月の元へアップルパイを運んで来た間宮の顔立ちや立ち振る舞いからは、諜報戦担当として実戦に出たと言う事がにわかには信じられない雰囲気はあった。深雪自身、間宮と共に作戦行動に入った事は無いから、実戦経験のない間宮の経歴を盛ったのではないかと言う疑念が無い訳ではない。

 厨房へと戻っていく背に視線を向け乍ら、アップルパイを口に運ぶ。深雪の口いっぱいにリンゴの甘みと、パイの生地のサクサクとした食感が広がった。

「おいしい!」

「旨いよな~」

 何枚でも食べられそうな蒼月に、微笑みかけながら深雪もアップルパイを頬張る。噛む度に程よく焼かれたパイの生地がカリカリといい音を立てて咀嚼される。そしてその内側から本命のアップルパイのリンゴの味がじわりと口の中へと広がっていく。何か気分が落ち込んでいる時、これを食べるだけで何もかもが解決するのではないか、そう思えて来る程に美味しい。

 そう言えば、と深雪はテーブルの傍らにあるメニュー表を手に取り、アップルパイの値段を確認した。

「う、ちょっと高いな」

「原材料が上手く輸入出来なくて、食材と言う食材が高騰しているんですよ。元手を取るには単価を上げないと、で」

 少し申し訳なさそうに言う間宮の言葉の中身からも、今の日本が間接的になっていた筈の深海棲艦の脅威が直接的に代わりつつある影響を端的に語っていた。

 

 

 第三三戦隊のメンバーの中で唯一業務に就いていたのが瑞鳳だった。第三三戦隊の主力艦上戦闘機を紫電改四に機種転換するにあたって、第三三戦隊の航空関連の首席参謀格として、紫電改四の運用に当たってのレクチャーを身に着ける事が求められていた。

 最も瑞鳳は大抵の空母艦娘で運用される艦載機の運用経験はある。少なくとも艤装が対応していないジェット艦載機以外なら、殆どの実装機体は運用経験があるので、昔の経験を思い出しながら、機種転換に伴う問題点について、再確認を行っている所だった。

 空母艦娘航空団の艦載機運用面に詳しい士官のレクチャーをマンツーマンで受ける瑞鳳は、退屈だと内心思いながら講習を聞いていた。知っている情報ばかりで、注意事項も耳に胼胝ができる程に聞いて来た事だし、日常的に自分でも意識して注意している箇所ばかりであった。

「海軍はつくづく無駄が好きね……」

いつだったか瑞鳳自身がぼやいた台詞を思い出しながら、欠伸を堪える。改二艦娘を舐めるんじゃないわよ、と内心くどい説明に腹も立って来るが、階級が上になる相手に無理に話を遮る事は出来なかった。艦娘とは言え、階級は艦娘以外の軍人相手ではしっかり機能するシステムだ。艦娘同士では階級を意識しない不文律があっても、艦娘以外の軍人はそうはいかない。本来であれば雲上人にも等しい提督や艦隊司令官相手にため口を叩く事自体ご法度レベルの話であった。

 

 ようやく瑞鳳が解放された時には日が暮れようとしていた。一一月の日暮れは早い。腕時計を見れば五時台だと言うのにもう夜の帳が足音を静かに鳴らしながら近寄って来ている様であった。

「皆は良いオフの時間を過ごせたかな?」

 今日の朝方に横田基地に降り立ち、午前中に統合基地へ帰り、昼食の後の少しの自由時間の後から始まった瑞鳳への機種転換に関する講義の間、入院している愛鷹以外の第三三戦隊のメンバーは皆、各々に自由に時間を使って長旅と異国の地での軍事作戦からの休息をとっている筈だ。

「明日はゆっくり休めると良いな……」

 流石に今日一杯艦娘としての業務に従事したのだから、一日くらいは息抜きをさせて欲しいものだと思う所であったが、深海棲艦が明日にでも日本に攻め込もうなら、ゆっくりと眠っている暇も無いかも知れない。

 食べられるうちに、食べておかないと。そう思い瑞鳳は食堂へと足を向けた。どちらかと言うと食事は作る側の楽しみを覚える方だが、今は食べる側の楽しみが彼女には必要だった。見た目通りな軽い足音を鳴らして歩く瑞鳳の頭上を、闇に包まれているが、雲は無い晴れた夜空が広がり始めていた。

 

 瑞鳳が食堂に着いた時、時間帯で言えば夕食時で賑やかになっている筈の基地の食堂は、妙に閑散としていた。艦娘の日本各地への分散配備や、哨戒艦隊の出動も重なっているのだろうとは言え、一〇〇人以上が一度に食事出来る広い食堂は海防艦娘が何人か食事を囲んでいるくらいで人気と言うもの自体から遠ざかってしまったかのようだった。

「頂きます」

 夕食を手早く配膳員から配膳して貰い、一人寂しくテーブルに座って夕食を摂る。航空機ネタで盛り上がる航空機マニア同士の秋津洲も二式大艇を用いた長距離哨戒任務に出ている為、第三三戦隊の仲間を意図的に集めでもしない限り、一緒に食事する程仲のいい艦娘が居ない。別に瑞鳳自身が艦娘個々を相手に好き嫌いを出している訳では無いが、プライベートでも任務でも交流の少ない艦娘と共に食事しても、果たしてそれは美味しいのか、という疑問があった。

 それに一人飯も偶には悪くないと、自分以外の調理員が調理した卵焼きに箸を入れながら瑞鳳は思った。仲間とワイワイしながら囲む食事は好きだが、独りでひっそりと楽しむ食事もまた好きだった。仲間と食べる時は寧ろ食事の味と、同席する艦娘との会話で忙しいまである。逆に独りで食べる食事は、黙々と食事にのみ頭が専念出来るので、食を堪能するなら独り飯が最適なまである。

 

 卵焼きに関して、一家言ある瑞鳳も満足な焼き具合の卵焼きを呑み下し、白米を口に運ぶ。咀嚼すると口の中一杯に広がるでんぷんの味が舌に染み渡り、国産米を安定して食べられる事への感謝の念すら湧いて来る。今瑞鳳が口にする白米を始めとする食事の素材となる日本の食料自給率は、深海棲艦の海洋封鎖による破滅的な奈落を味わって以来、日本では特に力を入れて再興を計っている分野なので瑞鳳が生まれる前の時代よりも少しばかりだが自給率が向上していた。最も農業従事者が増えたと言うよりは、巨大建屋内に建設された農業プラントで、AI管理による半自動化栽培と言う形が整えられたからだが。

 そう言う農業関係者と行政の努力、そして衣食住を確実に保証される国連海軍の艦娘と言う身分もあって、瑞鳳を始めとする艦娘達はまず食事に困った事は無かった。離れた所のテーブルを囲う海防艦娘の中には、きっと艦娘になって初めてまともな食事にありつけた、という者も少なくは無いだろう。

 常に瑞鳳が食事前に「頂きます」と食事後の「ごちそうさまでした」欠かさないのは、そう言う食糧生産業従事者への彼女のなりの感謝の念が強く籠められていた。そして自分自身が提供された食品を用いて食事を作る側に立てば、尚の事そういう方面への関係者には足を向けて寝る様な事自体出来る訳が無かった。

 

「ごちそうさまでした」

 米粒一つ残さずに食べつくした茶碗を置いて、完食したトレイの上で手を合わせて言う。あとは空になったトレイを流し台へ戻すと、瑞鳳は空母寮へと戻った。

 

 

 翌日、帝都医科大附属病院は通常よりも強化された警備員の警備の元、一人の患者が入院する事となった。表向きには政財界の大物、と言う体が取られていた物の、実態は情報部の有川中将の手回しであった。一般病院への入院と言う一番愛鷹の命をつけ狙う一派からすれば、軍の基地内にいるよりも無防備な状態に置かれる愛鷹の暗殺には好機と言える今の守りを硬くするためのカバーストーリーだった。ただカバーストーリーとは言え、実際に政財界の大物である人物が健康診断も兼ねての入院を行うのは事実だったし、政敵の多い当人の警護と言う名目が成立しているので怪しむ者はいない筈だった。

 脳外科病棟の病室で愛鷹は眠っていた。大和はつきっきりで看病をして居たかったが、艦娘としての職務履行が求められた以上は看病の為に留まる事も出来ず、花束だけおいて統合基地へ帰らざるを得なかった。

 心拍を図るセンサーの電子音が規則正しく鳴り響き、調律されたリズムの様に静かな呼吸音が酸素マスクの下で響く。脳がマトモな処理を下せないとは言え、心肺を動かす等の身体への生命維持の為の生存本能から来る指示伝達だけは最低限確保出来ている状況であった。しかしそれ以上、例えば身を起こして、コップに水を注ぐと言う簡単なタスクすら、今の愛鷹の脳には過負荷がかかり、実行するには大変な苦労がかかる状態だった。

 限られた人手だけが眠り続ける愛鷹の身の回りの世話を担当していた。愛鷹の命をつけ狙う一派だけでなく、マスコミの中でも特ダネと言う物の為なら倫理をかなぐり捨てる様な過激な存在からも守らなければならない。その為にも関係者は必要最低限に留められていた。

 病床で眠る愛鷹は、そう言った自分の周りで起こっている事全てに気が付いていないかのように、眠り続けていた。意識が戻る事は無く、束ねられていたのを解いた長い髪を下にして、愛鷹は静かに眠り姫の如く目を覚ます事無く、静寂と無の空間の狭間に沈み込んでいた。

 

 

「こんな数値や単位は初めて見ます。人の頭部の内側を満たす脳髄として、本来ならある筈がない成分ばかりです」

「何て言いますか、自然的と言うより人工的、というか、人の体内を循環する液体と言うより、サイボーグの中を流れる人工血液みたいだなと言いますか」

 口々に困惑を口にする脳外科医師たちを前に、和雄は一通りそれらの台詞を聞いてから、一言だけ答えた。

「やれるか、やれないか。この二点で言えば、私達の力でなら出来るレベルの話。そうだろう?」

「ええ、まあ。しかしこんな脳髄液で頭の中が満たされている人は初めて見ます」

「そうだろうな、私もだ。だが医者として、例え相手が自然なる形で生まれた人間であろうが、ヒトの遺伝子を基に人工的に作り出された人造人間(アンドロイド)だろうが、私達の手で患者を元気な姿に戻せる相手であるなら、医者としてその全力を尽くすまでの事だ。他の感情は要らない」

「先生は昔からそのスタンスでしたね。相手が誰であろうと、自分達が救えるのなら救う。そこに区別はない、と」

 感心した様に付き合いの長い医師の一人が言う。

「それで脳髄液をそっくり取り換える訳ですが、オペの方法としてはどの様に?」

「前例がないオペだからな。ほぼ自転車操業になるだろう」

そう言って八島は自身の策定した案を会議室の大画面ディスプレイに映した。

「まず、管を二本頭部に入れる。片方から劣化し切った脳髄液を抽出しつつ、もう片方から同量の新しい脳髄液を注入する。開頭はあまりしなくて済むとは思うが、抽出量と注入量のバランスを取るのが重要だろう。抽出量が偏ると脳の機能に影響が出かねないし、その逆もしかりだ」

 CTスキャンした脳の映像も映されるが、脳自体は至って正常そのものだった。脳に関する病気となれば大抵どこかしら腫瘍なり肥大化している所なり、異常個所がハイライトされる筈だが、愛鷹の脳は正常そのものだった。どこにも異常がない。

 この一見すると正常そのものの脳の機能を取り戻すと言う、奇妙に思えて来るオペに向けて和雄は念入りなブリーフィングを行った。娘との約束もあるし、何より彼自身、医療従事者としてこの患者を絶対に治すと言う強い使命感があった。




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