西暦二〇四八年の今の日本においても、一一月は古くからの霜月の呼び方は依然使われているが、その呼び方に反して一一月に霜が降りる事は全国各地で無くなっている。地球の温暖化の進行に伴い日本の冬の最低気温は北海道ですら年々上昇傾向にあり、豪雪地帯と呼ばれる地域が、降雪地帯と呼ばれる程度に留まり始めて来ている。
だが、二〇四八年の一一月二五日の東京を始め、その年の日本列島には暖冬化しつつある近年の日本の気候に反する形で、気温は一〇年、いや二〇年以上前の冬の日本の気温と同等にまで落ち込んでいた。凍え、凍て付く寒さが、沖縄を含む比較的温暖な気候の地域を除く日本に住む人々を覆いつくそうとしていた。
深海棲艦の脅威が叫ばれても、自主避難が呼びかけられても、食料自給率において今尚解決し切れない課題を多く残す日本の食事情を支えているのが漁業だった。農業や牧畜業を担う人口の減少に伴い、人工プラント栽培での食糧生産への移行が盛んな日本において、漁業もまた、人手不足の波は押し寄せている。それでも老いた熟練の漁師とその後継の若き新世代の漁師達の両方を乗せた漁船団は今冬も海へ繰り出し、寒流に乗って産卵の為に北の海へ戻って来た秋刀魚と言った魚達を獲り、往路帰路に哨戒航行中の艦娘艦隊とすれ違っては声援を交わし、手を振って海の上での交流を交わしていた。海に生きる屈強な漁師達にとって艦娘は見慣れた姿であり、また同時にその詳しい人なりを知らない何処か近いようで遠い所にいる存在であった。
漁船を見かけた艦娘達がする事は、まず近海に深海棲艦は居ないと言う事を知らせる事だった。漁師達への深海棲艦警戒警報システムのネットワーク構築は既に完成されているが、不意な出現等、小回りの利いた情報共有システムと言う訳ではない。また漁船にもレーダーが標準装備されているとは言え、その捜索電波が届く範囲は決して広いとは言えない。だから軽快な行動力で哨戒に当たっていた艦娘と遭遇出来れば、彼女達から仕事をしている海域の安全性についての担保がもらえるだけでも、彼らは文字通り大船に乗った気分で漁を続けられるのだ。
漁師達は、決して深海棲艦が怖くないから海へ出るのではない。真意は不明だが、深海棲艦に生きたまま捕食された漁師と言う実しやかな噂は、実体性を持った都市伝説となって広まっている。年に数件あるか程度の人食い鮫に襲われるよりも確実性は高く聞こえてくる話だ。それでも彼らは海へ出る。今夜、明日の安定した食にありつく為に、年々高騰する光熱費を支払う為に魚を市場で売り捌く為にも。
第二六戦隊の戦隊旗艦最上はヘッドセットを介して、偵察と哨戒に出した瑞雲改二の知らせて来る哨戒定時報告を聞いて、ノートPDAにタッチペンでその報告内容を記録していく。
「異常なし、だね。了解。あと二時間、頑張ってね」
ヘッドセットの通話スイッチから手を放し、最上は普段の制服の上から着こむ外套の袖の先から出る手を口元に上げて、軽く暖かい息を吐く。防護機能の環境調節機能である程度の体温保護は出来ているとは言え、完璧ではない。悴む手を摩り、凍え切らない様に温めながら最上は鈍色の空と、黒に近い海を交互に眺めながら第二六戦隊の単縦陣の先頭を進む。
続航する加古、酒匂、時雨、長波、夕月、何れも無駄口一つ叩かない。職務に真面目に、というのではなく、例年外れの寒さに脳が委縮して、余計な口を叩く余裕を失っていたのだった。もし今、全員が防護機能をオフにすれば、瞬く間に無数のナイフに突き刺されるが如くの酷寒に身体を締め上げられ、心臓麻痺であっという間に生者から死者へと変わるだろう。それ程に今の日本の冬の海は過酷な海になっていた。
最上の航空甲板上では、いつもより増員された装備妖精がヒーターで凍結しそうな航空艤装を温め続けている。寒冷地装備・甲板要員と呼ばれる装備妖精達だ。主にオホーツク海等の北太平洋や北極海、北海、北大西洋と言った、温暖化が進む地球上でも尚人間が生身で過ごす事は不可能な酷寒の世界の海で活動する航空機運用艦娘の航空艤装を運用可能にしてくれる特殊な装備妖精だ。寒冷地装備・甲板要員妖精自身も暖かそうなコートとツナギ、イヤーマフを装着している。
風の音が叫ぶ女性の声のように響く中、第二六戦隊は納沙布(のさっぷ)岬沖南西一〇キロの海域を哨戒していた。この海域に出現すると言う、深海棲艦の新型駆逐艦ラ級への偵察も兼ねた哨戒行動は、今日で五日目に入る。現状の成果はラ級のものらしき強力なレーダー波の逆探知以外、会敵も無く、母艦から出撃して、凍えた海へ出る日々が続いていた。
長波がくしゃみをすると、時雨、続いて酒匂がつられてくしゃみをした。第二六戦隊全員が普段の制服の上にそれぞれ支給された寒冷地用の外套を羽織っているが、身体と言うモノは実に正直だった。
第二六戦隊がこの海域に展開したての頃は、秋刀魚漁に繰り出す漁船との会合も何度かあり、幾らか単調気味になりがちな哨戒偵察任務に刺激を与えてくれたが、漁のシーズンは展開を始めた頃には終盤だった為に今では見かける漁船も無く、かと言って深海棲艦も居ない彼女達だけが海にいる時間ばかりが流れていた。
「くっそ、毎日ただ凍える為に来てる訳じゃないってのに」
おおらかで、のんびり気質、隙あらば何時でも居眠りしているのが好きであり、滅多に口調を荒げ、激昂する事も無い加古があからさまな不満と不平を込めた言葉をつぶやく。ここ最近の第二六戦隊二番艦加古の愚痴は決まってこれだった。恐らく口には出さないが酒匂、時雨、長波、夕月も同じだろう。真一文字に結んで寒さに耐える口の中には、単調な哨戒偵察行動への不満が溜まり込んでいる。実際、最上自身も同様だった。戦隊旗艦だから我慢しているのであって、彼女自身も肩透かし同然の現状に不満を抱えてはいた。事前の予想では、ラ級を含む艦隊と遭遇して、小規模ながら激しい突発遭遇戦を繰り広げるのかとばかり思っていたが、実際に来てみればラ級の「R」の文字も見えない海だ。
最上は左手首の腕時計を見た。母艦へ引き上げにかかるまでまだ二時間弱はあった。あと二時間、帰投する頃には日没の時間帯だ。日が短いこの季節、北の海は尚の事暗闇が訪れるの早かった。
「はい、あーんして」
スプーンで掬ったスープを口元へと差し出す大和もとい和美に対し、頭の包帯が取れたばかりの愛鷹は露骨に嫌そうな顔をした。別に味気ないスープが嫌いなのではない。大和のおままごとの相手と言うか、まるで小さい子供の食事の手伝いをしているかのような光景が静かに愛鷹の自尊心を傷つけていた。
とは言え、致し方ない所はある。和雄の予想通り、愛鷹が目を覚まし、意識が回復するのは確かに速かった。しかし、手足の麻痺や痺れが残り、当面の間の朝昼晩の食事、トイレには介護を要するレベルに愛鷹の両手は彼女自身の握力や感覚をまだ取り戻せていない。つきっきりで看護してくれる大和はその点、有難い存在であったが、少々子ども扱いされている様な感じもしてきて、それが愛鷹の癪に障った。
それでも口を開けて、喉に流し込まれるスープを呑み込む。口を自由に開閉させられるようになったのも随分進展したモノだった。最初は口を満足に空ける事も出来なかったのだから。
「艦娘になってから、当然の事だけど結婚もしていないし、子供を授かった事も無いから言うのも何だけれど、なんだか赤ちゃんの食事を手伝うお母さんの気分だわ」
大和自身は楽しそうに容器の中の具やスープを混ぜながら言う。傍らのベッドの愛鷹は勿論反対に仏頂面だ。
「私はおままごとの遊び道具になった覚えは無いんだけど」
「でも、手足の自由がまだ覚束ない内は、ちゃんと食べる為にも介護は必要よ」
「もうちょっとやり方と言うものがあるのじゃないかしら?」
「なぁに、おこちゃまあちゅかいに不貞腐れてるの?」
「当然よ、私の肉体年齢が何歳だと思ってるの」
「じゃあ、お婆ちゃんなら尚の事介護は必要でしょ?」
愛鷹は溜息を吐いた。悔しいが、これ以上は反論出来ない。
最後のスープの一杯を呑ませて貰い終わると、その日の昼食は終わった。容器と食器を片付けた大和が部屋に戻って来るまでに、愛鷹は右腕を試しに持ち上げてみる。両利きなので右腕でも左腕でもどっちでも構わないが、社会的に様々なものが右利き対応に作られているから、自然と右腕の使用率は高くなっていた。
右腕を上げる事自体は今朝と比べてすんなり出来る様になっていた。ただまだ綺麗にぐーとぱーを作れるような指先の器用さが取り戻せていない。慢性的に四肢の端が痺れ続けて力が入らないと言った状態が尚残っている。回復速度自体は速いが、リハビリ込みであと一週間はこの病院で生活する事になりそうだった。
早く自分の脚で歩きたいと言う憧憬が胸の中に広がる。艦娘としてまた海に戻りたい。焦る気持ちばかりが先走っていく。こうして何もせずにじっとしているのは本当に性に合わない。
食器を片付けて来た大和が戻って来ると、愛鷹は遮光カーテンで閉ざされた窓の方へ眼をやりながら、呟いた。
「まるで、施設と同じ監獄ね」
「我慢して頂戴。今の貴女は自分で自分の身を護れない無防備な状態よ。貴女の命を狙う一派が完全掃蕩されていない以上、狙撃されて死にたくはないでしょ?」
「……そうね。でも、やりたい事をやる事が出来無いのは苦痛だわ」
「我慢しなさい。それが病人と言う身分なのよ。貴女はじっとして身体が万全になるまで待つと言う事が出来ないタイプだけれど、今貴女を解き放っても却って貴女の苦しみを増すだけの話よ」
「……リハビリは何時から……?」
「貴女の回復速度から言って、明日から始める事は出来るかもしれないわね。明日次第だけれど」
「それまでに退屈死しそうだわ」
「映画でも見る? アカデミー賞受賞の名作映画からマニアックな人しか受けないB級映画まで、何でも見られるわよ」
病室の枕元から伸ばせるブームの先に取り付けられた液晶ディスプレイで、半分体を起こした状態で映画を見る事は出来た。患者へのレクリエーションの為に大量の映画がライブラリーに収録されている。大和の言う通り、アカデミー賞を取ったものからマニアックな層だけが喜ぶB級映画、映画祭では最低賞を多数授与されたが映画ファンからの人気は高い悲運の名作まで、何でも見られた。
「王道の怪獣映画でも見たいわね」
分かったわ、と大和は頷き、モノクロの時代に取られた大昔の怪獣映画を選択した。初放映の年を見て愛鷹は眩暈を感じかけた。一九五四年ですって? 九四年も前に数々のシリーズタイトルが生まれる事になる名作が作られたなんて。
カメラのレンズが捉える先には一隻の巡洋艦が居た。
「巡洋艦『あいづ』。まさか、あの艦が再稼働する日が来るなんて……」
カメラのシャッターを切りながら青葉は呟いた。自分より四つほど歳上になる、軍艦で言えば老朽艦に入りかけている比較的古い巡洋艦だ。かつては海上自衛隊第二護衛隊群第二護衛隊所属のあづま型ミサイル護衛艦CG191「あづま」として、深海棲艦との戦争が始まる直前に就役し、奇しくも機関不良でドック入りしていたお陰で第二護衛隊群が深海棲艦との戦闘で壊滅した沖縄沖海戦での戦没を免れ、その後の船団護衛から国連海軍の非艦娘戦力のみでの作戦として最後となるハワイ奪還作戦である「オペレーション・パシフィック・フリーダム」の歴史的大敗すらも生き延びた強運艦だった。「日本の『あづま』、アメリカの『サラトガ』」と言われる程に深海棲艦との戦争で強運を発揮した軍艦の一隻として名高い。
かつて深海棲艦との戦争初期の激戦を生き抜いた護衛艦は、旧自衛隊の戦力の大半が国連軍に吸収された事と、艦齢、そして海軍の主力が艦娘艦隊とその支援艦艇に絞られていく中で役目を失い、横須賀でモスボール保存されていた。今は新設された戦略防衛隊の海上防衛隊の軍艦として大規模な改装を経て艦種を「巡洋艦」に、艦名を「あづま」から戊辰戦争で新政府軍に激しい徹底抗戦を行った会津藩の名を冠した「あいづ」の名を改めて再就役を果たしていた。逆を言えば、新造艦を用意する余裕が無いから、老朽艦で誤魔化すしかないと言う事情もあるのだが。
戦略防衛隊海防隊の非艦娘艦隊戦力はこの「あいづ」と「あこう」の二隻のみ。戦略防衛隊海防隊所属の艦娘達の本格的母艦機能すら無く、殆ど純粋な軍艦としての再就役と言う、深海棲艦の厄介さと狡猾さ、それに既存兵器での対抗の難しい相手と長い戦争の最前線に身を置いて来た青葉の身からすれば、前時代的な軍艦と言わざるを得ない。一応、艦尾の艦上構造物を改装して、クレーンで戦略防衛隊の艦娘を文字通り「投下」「揚収」する簡易的な艦娘母艦機能こそあるが、お世辞にも青葉の本職艦娘の身から言えば「母艦」と呼びたくはないレベルではあった。とは言え、青葉からすればそのレベルでも防衛隊の艦娘からすれば充分に母艦機能を発揮してくれるのだろう。
「あいづ」の外観は実に奇抜と言えた。深海棲艦に対する目視での監視能力を強化する為に、既存の航海艦橋の一段上に新たに旧日本海軍の第二次世界大戦時の長門型戦艦の様な形状の艦橋が設けられ、相対的に全高が高くなっている。ヘリ格納庫周り一体も改装によって様代わりし、簡易艦娘母艦機能の付与と引き換えに後部のVLSは廃止され、誘導弾は全て艦首の六四セルのVLSからとなっている。その他の五インチ単装主砲、三連装短魚雷発射管、CIWS、RWSと「あづま」の頃からの兵装は遺されている。噂に聞く限りでは、対深海棲艦対応能力強化改修なるものまで施されたと言うが、どの程度効果を発揮するのか未知数過ぎた。
航海艦橋の上に設けられた艦橋はある程度のステルス性は考慮されているが、それでもあづま型本来のステルス性は損なっている構造物だった。ステルス性を犠牲にしてでももう一段の艦橋を設けたのは、深海棲艦との戦いが「有視界戦闘」である事から、目視可能な距離を嵩上げし、水平線上の見通し距離を稼いだという所だろうか。当然ながらこのような改装は艦のトップヘビー化を招くので、「あいづ」には現代の水上戦闘艦にしては、空母以外では珍しいバルジを両舷側に設けていた。元が被弾しない事を想定して建造された現代艦なだけに、一応の深海棲艦の砲撃への堪航性も上げる改装も施したと言える。他には外観からは見えないが、増大した重量に対して機関部の強化も行っているかも知れない。
艦橋とバルジの増設、機関部の強化、その他対深海棲艦対応能力の付与の改修といったFRAM(大規模改修)の為にかかった改装予算を想定すれば、防衛隊海防隊の艦艇が二隻に留まる理由も見えて来る。新造艦を建造する、或いは保管艦艇のFRAM実施の予算捻出が出来ないのだろう。戦略防衛隊は国連軍の指揮下には無い、日本固有の軍事力だ。世界各国の国連加盟国の軍事力が国連軍戦力として集約統合され、自前の軍事力を持たない中、様々な国連憲章や法規制の網をかいくぐり、必要最低限の警察力・防衛力の維持という範疇内で整備が認められた組織である。格付け的にはアメリカ合衆国の州兵と同等の存在と言う評価すらあった。
防衛力の維持という点に重点を置いているだけに、海上兵力においては揚陸艦や輸送艦すら保有していないと言う徹底ぶりだった。全くの侵攻能力を持たない、国土防衛に特化した軍備。航空戦力こそ多少緩和や妥協した兵力の保持が認められているが、その他は全くと言っていい程に旧自衛隊の敵地攻撃能力やら水陸機動団設立以前と概ね同じレベルの装備要求水準になっていた。
そう言った日本独自の軍事力の保持は、国連と国連軍の大きすぎるが故に初動対応にはどうしても遅延が生じると言う組織的欠陥を埋め合わせる目的がある。とは言え、国連から予算は降りない為、日本独自で組織の維持、装備調達、人件費と言った様々な経費、予算を捻出しなければならず、結果として金食い虫の海防隊は艦艇二隻、中古艤装を纏った艦娘多数と言う規模と組織が精一杯という体裁になっている。国土防衛軍としての都合上、陸軍は予算が比較的多めに割り当てられているので、装甲戦闘車輛は充実している方だが、個人装具に関しては旧陸上自衛隊のモノを使い続けている部隊が大変に多い。小銃でも世界的に6・8mm弾や5・56mmNATO弾薬への弾薬の統合化とそれに対応した新型小銃の配備が進められる中、防衛隊では二八年前に採用された二〇式小銃が最新装備と言う具合だった。現状二〇式小銃改の提案や開発こそ進められているが、実銃が日の目を浴びるにはもう少しかかるだろう。
ヘリ格納庫の前、第二煙突との間にある艦娘デッキとでも言うべき構造物の奥に、戦略防衛隊の艦娘らしき女学生レベルの若い女性の姿が見えた。カメラのレンズを向けて最大望遠で覗き込んで青葉は溜息を洩らした。食っていく為に国連海軍に艦娘として志願した一〇年前の自分の姿を見ている様な気分になる。垢抜けない顔立ち達はいずれも育ちの良さを感じる。名声か、英雄にでもなりたいと言う浅はかな願望か、実りの早い愛国心か。志願して来た理由は青葉には分からないけれど、女子高生レベルの女子を艦娘にする等、本職艦娘である青葉が言うのも何ではあるが異常事態だった。少年兵が合法になるのが艦娘。冷静になって考えてみれば艦娘と言うのは、その入隊時の年齢を考えれば極めて異常過ぎる世代揃いだった。海防艦娘等に目を向けたら、もう目を背けたくなる。
勿論、戦略防衛隊の艦娘と違って国連軍日本艦隊の艦娘達は、それぞれが入隊した時の日本の時事的な問題と言う決して明るくはない背景を抱えている。青葉のように身寄りのない孤児が食べていく為に艦娘適正を生かす海軍に入った者は多い。身寄りはあっても実家が貧しく、家族を養うために高額の艦娘手当を目的に入った者だっている。一方で生活に困った事も無く、将来だって約束されていながら自らの意思、好奇心、郷土愛と言った様々な志願理由で入隊した者も少数いた。
現在の戦略防衛隊の艦娘は、安定しつつある現在の日本の社会で不自由なく育ってきた世代である事は間違いない。青葉達と違って困窮した経験のない者達。果たしてそう言った安全が保障された社会で、不穏な海の向こうでの世界情勢を聞きながら育ったに過ぎない海防隊の艦娘がどれほど深海棲艦との戦いに役立つのか。
青葉はしかし、彼女達の勇気を否定したくはない。両親の意向で無理やり入れられたとかでも無ければだが、志願して入隊して来た同類の勇気だけは讃えたかった。勿論勇気だけで深海棲艦との戦いを乗り切れるものでも無いが。
「JK艦娘、だったかな……ああ言うのが増えないと良いんだけど」
得られるのは名声か、それとも恐怖か。捨てるのは人間性か、それとも己の命か。見るのは絶望か、それとも勝利か。
新しい被写体を求めて統合基地の長浦港側へと移動した青葉の背後から呼ぶ声があった。高飛車なお嬢様声は熊野だ。ただ、青葉を呼び止めた熊野のその声は高飛車さを徹底的に削ぎ落し、物事をお願いする一人の女性の声に落ち着いていた。
「何ですか、熊野?」
振り返る青葉に向けられて来る神妙な緑色の瞳に、青葉も隔たりの無いフランクな態度から第三三戦隊臨時旗艦艦娘としての威厳を持って答えた。
コツコツと歩み寄って来る足音そのものに、熊野らしからぬ反応を感じ取りながら青葉は彼女と正対する。上半身一つ分程度の距離で熊野は止まると、青葉と同じポニーテールをばさりと揺らしながら頭を下げた。
「お願いがあります」
らしくもない丁寧語を発するクリーム色ポニーテールの航巡艦娘を見下ろしながら、グレイッシュピンクのポニーテールの航巡艦娘は無言で要件を促す。
「わたくしを第三三戦隊に編入させて下し」
最後、彼女らしい口調になりながらも熊野は斜め四五度で下げた頭を上げずに言う。
内心は驚きながらも、青葉は努めて陽気さと朗らかさを消し、事務的かつ、少し冷たい空気を貼り付かせて答える。
「理由は? 普段の熊野の口調で答えていいです」
「日本艦隊の重巡戦隊の定数整理のお話はお聞きに?」
「ええ。それと、まだるっこしいのでいつもの熊野の口調で」
「では。その様な事情もあり、わたくしは七戦隊に身を置いていられませぬの。かと言って遊兵となって無為な時間を過ごす間抜けではありませんわ」
「現状、第三三戦隊の定数増員の構想はありますが、実行段階ではないのですよね」
本能的にだが青葉は熊野がスカウトされている事をその場で隠した。スカウト対象であっても、場合によってはその内面の心情次第では青葉の権限で除外させる事だって出来る。
遠回しに空きは無いと言う青葉に、熊野は身体を震わせ始める。
「……鈴谷の無念を晴らしたい、という事ですか?」
その胸の内を見抜いた青葉の言葉に、熊野は震わせていた身体をびくりとさせる。
「……はっきりと嘘偽りなく申し上げるとそうなりますわ……」
「その意気や良し、と言いましょうか。やる気がある艦娘は歓迎です。ですが、行動原理に復讐心、報復心がある艦娘は危うい。それをコントロール出来ない内は、仮に貴女が第三三戦隊のもう一つの分艦隊のメンバーとして候補に挙がっていようが、次席旗艦として旗艦や司令官に反対を投じる権限が青葉にはあります」
「全てを復讐心、報復心任せに頼んでいる訳では御座いませんわ」
反射で顔を上げて反論しそうになってもおかしくはない中でも、熊野は頭を下げ続けた。
「鈴谷が戦えなかった分を、生きられなかった分を、何より鈴谷が果たせなかった分の損失を少しでも」
「熊野は鈴谷の代わりにはなれない。鈴谷もまた熊野の代わりにはなれない。それは承知で?」
「勿論ですわ」
熊野の後頭部を見下ろしながら、青葉は溜息を吐いた。
「愛鷹さんの帰還次第、第三三戦隊の再編成が行われるでしょう。それまで待ってください。熊野の意思は受け止めました」
そこで初めて熊野は顔を上げた。らしくない神妙な顔つきだが、きっと自分が同じ立場なら同じような顔になっているのだろう、と青葉は思った。
正直なところ、熊野の志願参入は悪い話ではない。青葉型の主砲火力の旧式化が否めない二〇・三センチ二号砲と違い、熊野を含む最上型の改二艤装に備わる二〇・三センチ四号砲は使用弾薬が同じでも、砲身の延長や内部機構の強化などで青葉型の改二艤装に備わる主砲艤装では耐えられない装薬の爆圧にも十分耐えうるから砲撃戦においても有効な火力要員となれる。航巡としての任務は青葉で充分足りている感じは無くは無いが、熊野の航空艤装は青葉の航空艤装より大きいから搭載機数が少し多い。瑞雲や紫雲等の水爆や水偵を多数載せて広範囲の航空偵察を実施したり、対潜哨戒や水戦を搭載しての対空戦闘も出来る。航巡としてのバランスや完成度では青葉として少々悔しいが最上型改二の方が完成度は高い。
そう言った意味で、熊野の参入は率直に嬉しい話である。但し、鈴谷の死が響いたゆえの志願理由だった場合は、前線で危うい局面を生みかねない。そう言った危惧が青葉にはある。ただ、今目の前で相対する熊野の目には、「先に死した者の後に続く」「弔い合戦への執着」と言う危うさは見て取れなかった。種子島の戦い以来、熊野がどう生活して、どう深海棲艦と距離を取っていたかは青葉もすべては分からないが、純粋に戦いたいと言う気概は感じ取れた。
その気概に対して自分はどう答えるべきか。愛鷹の最終決定云々ではなく、自身の意思決定として判断を決めておかねばならない、と青葉は少し自分より目線の上の熊野を見上げながら思った。
「レーダー・コンタクト! 方位067に艦影六!」
突如叫ばれる夕月の言葉に、最上は北東に視線を転じる。最上に備わる電探よりも広域を捜索できる夕月の電探が、北の海に姿を現した深海棲艦を捉えた。
「HS(哨戒ヘリ)か哨戒機が居れば、もっと早くに気が付けたかもしれないんだけどな」
言っても始まらない事は重々承知ながら呟く加古の主砲艤装上で、九一式徹甲弾を装填する機械音が鳴り響く。
「ESM探知、敵レーダー波を解析中」
最上の肩の上に立つ装備妖精がCICからの報告を伝達して来る。レーダーを備え、レーダー波を放つ深海棲艦は大体強力な個体だと思って間違いはない。艦娘の強化のお陰で随分型落ちした感じは否めないにせよ、ル級flagship級やタ級flagship級と言った会敵率の高い深海棲艦戦艦だって、そのレーダー管制の砲撃は登場時、随分恐れられたものだった。
「敵レーダー波、既存の深海レーダー波と合致せず。新種の深海レーダー波です!」
「マイク2-1、艦隊基準方位067、距離凡そ六キロから七キロの海域を捜索して」
≪Copy≫
哨戒・偵察に出している瑞雲改二の一機を向かわせ、最上は更に艦隊内通信に切り替えると戦闘配置を令達した。
「全艦、対水上戦闘用意! 砲雷同時戦に備え」
「っしゃ、出番が来たぞ」
拳をかち合わせて、長波が力む。ようやく変化の乏しい哨戒・偵察行動から一戦交えられると喜んでいる様だった。その前を征く時雨もまた、長波程大きくは無いものの、顔面に迫る戦いに対する高揚感を浮かべている。酒匂と加古は既に主砲へ砲弾を装填して「指命(命令待ち)」の状態に入っていた。
戦隊最後尾の夕月は持ち前の大型電探による捜索の結果をノートPDAで確認しながら、両用砲の安全装置をいつでも解除出来るように準備していた。突発砲撃戦になった際には直ぐにでも撃てる態勢だった。
空の一角に、聞き慣れたエンジン音が遠方から戻って来る。マイク2-1のコールサインで呼ばれる瑞雲改二が戻って来たのだ。
艦隊前方一八〇度にわたって展開させた瑞雲隊の索敵網をどうやって掻い潜ったのだろう、と最上は疑念を頭に浮かべるが答えは直ぐに出た。瑞雲隊が通過した後の海域に何処からから、恐らくは北方側から進入して来たのだろう。仮に北方から進入して来たのだとするなら、主力艦隊や分艦隊規模の比較的大きな艦隊が北方にいる可能性はある。ましてや六隻編成の小規模な艦隊にレーダーを備えている艦が居るとなれば十中八九、ピケット艦隊と見て間違いはない。
羅針盤障害の副次被害でもある電波妨害で雑音交じりの回線からマイク2-1の報告が最上に届く。
≪駆逐艦イ級後期型三隻、防空巡ツ級elite級一隻、重巡ネ級elite級一隻、尚先頭の旗艦と思われる艦は未知の艦なり≫
「未知の艦……。その編成でレーダーを備えている艦は不明艦だけの筈だから、そいつが噂に聞く駆逐艦ラ級?」
意外な事だが高い防空能力を発揮するツ級には対空レーダーが備わっていない。人類側からは防空巡にカテゴライズされながら素のエイム力で勝負して来る意外さを持つのがツ級だ。ネ級やイ級もレーダーを備えていないので、発信源はラ級しかない。
遠方から瑞雲のエンジン音をかき消すように、対空射撃の砲声が水平線上の向こうから響き始める。
≪マイク2-1より最上。敵先頭艦対空射撃開始。激しい砲火を受けている、一時、敵艦隊の対空射撃圏外へ離脱する≫
両用砲らしき砲声だけでなく、艦娘の対空機関砲で言う四〇ミリクラスの機関砲の射撃音迄聞こえてくる辺り、防空能力はかなり高いようだった。最上に載せられている瑞雲改二の搭乗員は、ツ級の対空射撃の間合いは分かっているが、ラ級の対空砲火の間合いは分からないから、恐らく接近を試みて迎撃を受けているのだろう。
逃げ切ってくれ、と願う最上のヘッドセットに突如増幅された爆発音が耳朶を打ち、同時にマイク2-1の悲鳴の様な声が飛び込む。
≪メーデー! メーデー! メーデー! マイク2-1被弾、制御不能、マイク2-1は墜落する!≫
≪脱出、脱出だ!≫
制御不能の機体から脱出したのか、それとも通信機が破損したのか、不快なノイズを残してマイク2-1との交信は切られた。
瑞雲の最後の通信を聞き届けた最上は唇を噛み締め、ヘッドセットに当てていた手を下ろしながら、その掌に拳を作る。仮に脱出出来ていたとしても、この荒れる海の中、航空妖精の救命ボートは文字通り木の葉のようにひっくり返されてしまう。生還は絶望的だろう。
「最大戦速、新たな方位067」
「了解、真方位067、ヨウソロー」
加古が復唱し、二六戦隊全員が最大戦速へと加速する。彼我の方位、距離をモニターする夕月がPDAに表示される電探の反応を逐一報告する。
「目標、正艦首。距離五七〇〇」
「距離二〇〇〇で面舵一杯。敵艦隊の頭を抑えるよ」
セオリー通りの丁字有利を想定した動きに、加古が復命した時、対潜能力に秀でる時雨が突如、ヘッドセットに両手を当てて叫ぶ。
「聴音聴知、魚雷航走音! 方位067、的針181、的速四五ノット、雷数五。五発来る!」
「先制雷撃!?」
酒匂が呻き声を漏らす。距離五〇〇〇メートル以上での先制雷撃はかなりの遠投だ。それだけの距離で当てる自信があって撃って来るのなら相当高精度な先制雷撃精度と雷撃戦能力を持つ相手と言う事になる。また消去法でネ級、ツ級、イ級は先制雷撃が出来る様な装備構成では無いから、撃ったのはラ級だと言う事にもなる。
「回避運動、とーりかーじ!」
叫ぶ最上の身体が左へと振れる。最大戦速で一五度の変針は相応の遠心力を彼女の身体に与えて来る。先制雷撃は大抵、探知出来た時には回避困難な距離になっている事が多いし、深海棲艦の先制雷撃用魚雷は航跡を引きにくいタイプなので、目視での確認も難しい。
それでも微かに魚雷そのものが紺碧の海の中と、洋上との境界面付近に姿を見せながら迫って来るのが見えた。近い。
艦娘の主機の磁気に反応する近接信管なら、今にも起爆出来そうな近距離である。
「総員、衝撃に備え!」
万一に備えて叫ぶ最上に、続航する加古達が身構える中、夕月から「敵艦隊、回頭!」の報告が律義なまでに入る。まず魚雷を回避する事に専念する最上は、時雨の知らせて来た五発と言う魚雷本数に留意しつつ、夕月に返す。
「敵艦隊の的針は!?」
「方位356、Uターンして北方へ離脱する模様」
先制雷撃の魚雷は、必中を期したモノではなく、あくまでも牽制目的だったらしく二六戦隊に被弾するものは出なかった。だが、回避運動を強いられた事で、六〇〇〇を割っていた距離が徐々に開いて行く。
「追撃するか?」
最上に続いて魚雷を避けた加古が問う。その問いに即答せず、最上は夕月に的速を問う。
「敵はどれくらい出してる?」
「凡そ第三戦速、こちらと向こうが現速度を維持すれば、一五分以内には最上と加古の主砲の有効射程圏内に収められます」
「どうする、やるか? 引き返すか?」
次席旗艦である加古の新たな問いに最上は顎を摘まんで考え込む。ラ級の性能を推し量るのも込みで、第二六戦隊はこの北方海域に派遣されたのだから、敵主力の元へつり出されるなら、それもまた情報を得られると言う意味でも意義はある。一方で快速の戦艦を含む水上戦隊が迎撃、追撃に来た場合、火力よりも速度を重視している二六戦隊は逃げ以外に打つ手はない。
「加古はどう思う?」
「あたしらの任務目的は情報収集だ。露骨な撒き餌かもしれないが、ここは釣られてみるのもありかも知れない。向こうの陣容がどの程度のものか、分かるかも知れないからな」
「よし、全艦、単縦陣に陣形を再編。敵艦隊を追撃するよ」
「了解」
左右にくねらせられていた航跡が一本に纏まり、最大戦速へと加速した白波を後ろへと流し出すまでに時間はさほどかからなかった。
強風が吹き始める中、転進した二六戦隊に合わせて瑞雲改二もその前面に展開していき、航空索敵の網をかける。
「位置、納沙布岬沖西一・二キロ。目標は現在、萌茂尻(もえもしり)島との間、珸瑤瑁(ごようまい)水道を北へ第三戦速で北上中」
厄介な所に入り込んだな、と最上は顔面に渋面を浮かべた。萌茂尻島と日本名で読んだが、現在はロシア連邦領ストロジェボイ島と呼ばれている、所謂北方領土の一つだ。今尚日本とロシアとの間での領土係争地帯である。深海棲艦は当然ながらそう言った人間同士の境目などお構いなしだから、見えない国境線を悠然と跨いで航行し、時に国際法を順守する艦娘を翻弄する。
「なるべく、納沙布岬側、萌茂尻島からは距離を取って追撃しよう」
「でもさ、ロシアの領海にあいつらの本隊がいる場合はどうするのさ」
「加古ちゃん、一応、酒匂達は国連軍の所属だから、越境自体は問題にならないと思うよ。これが戦略防衛隊の艦娘だったら、面倒沙汰だろうけど」
さりげなくフォローを入れて来る酒匂の言う通りである。名目上は日本艦隊所属だが、その日本艦隊の上部組織が世界規模での軍事行動を行う国連軍なのだから、一応事前通告なしの越境行為は許されている。ただし、完全に日本独自の艦娘戦力である戦略防衛隊の艦娘だった場合は、最悪日露の外交問題に発展しかねない。
親元国連の身分で良かった、と軽く溜息を吐きながらも、最上はそれでも後々提督や関係各所から事情聴取は受けるだろうな、と帰った後の面倒事を予想して、口元を歪めた。本来ならこの辺りには日露主体の国連軍基地となる幌筵泊地が建設される予定だったのだが、ロシア側が「深海棲艦との戦争の後」を想定して難色を示している事や、深海棲艦の北方艦隊の脅威もあって構想から九年が経った今でも建設には至っていない。
それから約一五分後、最上と加古の主砲有効射程に入る、という直前で深海棲艦艦隊の反応が消えた。
「コンタクトロスト? そんなバカな。海に潜ったとでも言うのかい」
驚愕半分、呆れ半分に最上はレーダーロストを告げる夕月に言う。
「電探の探知圏外に出たのかも知れません。海洋条件によっては電波の探知距離や反応も変わりますし」
気温と海水温によっては、水平線上の向こう側にいるオブジェクトもレーダー探知出来る事もあれば、本来探知できるような距離ですら探知出来ない、と言う意外にも、そして複雑過ぎる条件で天候に左右されるのがレーダーだった。今の海水温と気温を考えれば、レーダー反射の伝わり方が変則的になるのも充分あり得る。
「どうする?」
進退を問うてくる加古に直ぐには答えず、最上は機関科妖精の機関長を呼び出し、残燃料を尋ねた。
「現速度を維持したら、最悪母艦を呼び寄せるか、ヘリを呼び寄せるしかないですね」
「つまり燃料に余裕がない、と」
「かれこれ半日程は走っていますからね。帰りの分を度外視するのは機関長として反対です。何かあった時に燃料切れで対応不能と言うのは目も当てられません」
第二六戦隊から見れば先任部隊である第三三戦隊が、小笠原諸島まで無補給で行った例はあるが、あれは統合基地への帰投を想定していない拠点間移動だったから長距離航海が可能だった訳だし、任務によってはより長大な数百キロの行程を消化する長距離戦略偵察群の艦娘に至っては使い捨てのプロペラントタンクを抱えて航続距離を延長している。第二六戦隊には「帰る」行程があるから、これ以上の哨戒・索敵は不可能と判断するべきだろう。
「仕方ない。帰ろう」
肩を落としながら最上は反転し、後方の艦娘母艦への進路を指示した。明らかに消化不良な表情を浮かべる二六戦隊の仲間達だったが、燃料不足には抗えない。無限の反応動力が艤装の機関部の主動力になればこの手の悩みは消えそうだが、艤装は無限に動いても、それを纏う艦娘の側の体力が尽きて動けなくなる。彼方立てれば此方が立たぬの理論、ジレンマは艦娘の長時間運用に付き物の課題だった。
≪……ここネヴァダ州にある前線基地には、『大いなるアメリカ行進曲』作戦の中で北米西海岸サンフランシスコ、サンディエゴといった諸都市奪還の作戦を担当する北米方面軍の参加地上部隊が続々と結集しています。北米方面軍の西海岸奪還作戦は『翻る星条旗』作戦と呼称され、参加兵力は陸海空合わせて四〇万人を超えます。中南米から北米にかけて行われる史上最大規模の反攻作戦の一つとも数えられる『大いなるアメリカ行進曲』作戦ですが、深海棲艦に制圧されたカリフォルニア、ワシントン、オレゴンの三州奪還と言う故郷を奪還する一大作戦を前に、兵士達の緊張感がひしひしと伝わってきます。
先程ある戦車部隊の兵士に話を伺いましたが……≫
明日から始まる中南米から北米にかけての一大反攻作戦、「大いなるアメリカ行進曲」作戦を報じるメディアのニュースに、談話室に集まった艦娘達もテレビの画面にくぎ付けになっていた。本来ならばここに在日北米艦隊の艦娘達も居る筈だが、彼女達すらも西海岸奪還に駆り出され本国へ帰還していた為、日本にはアメリカ艦娘が一人も居なくなっていた。
「いよいよ始まるのね」
誰と無く夕張が呟く。その傍らで衣笠、深雪、蒼月が無言で頷いていた。
四〇万人。国連軍に吸収される前の陸海空の日本国自衛隊の総戦力を凌駕する人員が西海岸奪還作戦の為に動員される。北米、アメリカ合衆国だけでこの数だ。中南米のメキシコなども含めれば、総動員兵力は一〇〇万を超える。過去に一〇〇万人を超える動員兵力の軍事作戦が無い訳では無いが、二一世紀に入ってからで言えば最大規模の軍事作戦となる。
「艦隊新聞のネタとしても有益そうだけど、青葉は何か把握してるのかしら」
「何も聞いてないの?」
情報通の姉の青葉の有志作成新聞の事を引き合いに出す衣笠の呟きに、夕張が意外そうに尋ねる。
「最近ね、愛鷹さんが居ない分、代理の旗艦として忙しいのよ青葉」
「毎日カレー食って満足してる衣笠と違って、青葉はやる事だらけなんだよ」
ちょっとしたおふざけを交える深雪に衣笠はシンプルに傷ついたが、何も言わずにテレビの画面に視線を向けなおした。
そこへ噂をすれば何とやらと言うべきか、談話室に青葉が入って来た。仲間達の姿を見て、歩み寄って来る。
「瑞鳳は?」
「戦隊航空参謀として、新規配備の紫電改四の配備に関する調整やらで、忙しいらしいです」
答える蒼月に青葉は鼻の奥を鳴らした。第三三戦隊の艦載機は既存の配備機から全面的な更新が決定されているので、航空母艦艦娘たる瑞鳳がその部分においての調整に当たるのは自然な流れだろう。最も、航空機マニアである彼女に新規配備の航空機のレクチャーは釈迦に説法にも等しい気がするが。
「愛鷹さん、リハビリ明日からだってさ」
そう告げる青葉に他のメンバーが少し安堵した表情を浮かべる。術後経過など詳しい事は知らされていなかったので、近況報告が入っただけでも充分朗報である。何よりちゃんと脳髄液の交換が成功し、リハビリに至れるまで体力的にも回復したと言うのは大きい。
「愛鷹さんが居ないと、やっぱり誰かが足りなくて、違和感が強いわよね」
「ガサの言う通りだね」
妹の言葉にその通りだと頷きながら、青葉は同時に臨時とは言え旗艦の座を降りる日が遠くない事へのちょっとした寂しさも感じなくはない。艦隊の旗艦として君臨するのは大任で大変だとは言え、一種の愉悦はある。実力はありながら、第六戦隊では不遇の日々を送って来た過去があるだけに、戦隊旗艦、艦隊旗艦の大任を任されるのは自身の実力と実績を認められた気がして、気分が良いものである。
だが第三三戦隊の旗艦と言えばやはり愛鷹、という認識は青葉の中にはある。
「愛鷹が返って来るまで、深海棲艦が来ないと良いんだけどな。ま、深雪様たちの部隊の事だ、寒い北の海に行く事になるだろうってのはちょっと辛いけど」
切実さが籠った深雪の言葉に全員が頷く。第二六戦隊の活動報告は同じ任務を担当する部隊として耳にしているから、きっと再編成が完了したら、第三三戦隊の活動範囲は北の海になるだろう。酷寒、荒れた海。人間の過ごす環境としては過酷な海での活動だ。暖かい今の基地での日常が何れ恋しくなる日が来るかもしれない。
「それまでの間、いっぱい食べて、良く寝て、備えましょうよ」
食い意地の強い蒼月の言葉に、青葉、衣笠、夕張、深雪は自然と苦笑がこぼれた。
青葉達がテレビを見ている頃、瑞鳳は一人、空母艦娘の練習場で新規配備の紫電改四の運用に当たっての実演と発着艦訓練を行っていた。一人とは言っても無論、監督する海上訓練指導隊群の空母艦娘指導官は何名か立ち会っている。
瑞鳳の左腕に載せる様に差し出された飛行甲板へ紫電改四がアプローチして来る。着艦誘導員の艤装妖精がハンドサインを送り、紫電改四の航空妖精はハンドサインと、瑞鳳の飛行甲板の左右両端から伸びる着艦誘導灯を頼りに、適切な進入角度で飛行甲板へとアプローチして来る。着艦進入速度は七〇ノット前後。数度の旋回とフラップの展張等で機速を落とした紫電改四がゆっくりと降りて来る。
「ヒットマン1、進入角良し。ボールをコールせよ」
≪ボールを確認。着艦する≫
エンジンの音が急速に大きくなり、空の一点に浮かぶ小さな粒だった紫電改四の機影が急激に大きくなってくる。飛行甲板に張られたアレスティング・ワイヤー(着艦制動索)へと降りて来る紫電改四が、まさに理想的と言って良い程見事な進入角と速度で舞い降り、主脚がどんと飛行甲板とその下の瑞鳳の腕を打つ。次いで尾部のアレスティング・フックがワイヤーを捉え、紫電改四は制動索によって一気に機速を殺し、少し制動索を引きずりながら前進してやがて完全に制止する。即座にキャットウォークからフックランナーを担当する艤装妖精が駆け出していき、外された制動索を回収しに行く。一方、着艦した紫電改四には別の艤装妖精が群がり、エレベーターへと機体を押していく。
「全機着艦良し」
右手の親指を立てて、指導官にOKのハンドサインを送る瑞鳳に、指導官も満足気に頷いた。
日も暮れて来て、航空機が飛ばせる時間帯では無くなって来たのもあって、用具収めがかかりその日の実技は終了となった。
「流石、第三三戦隊一の練度の空母艦娘なだけはある。ケチの付け様がないのが悔しい位だ」
「そりゃどうも」
少しばかり悔しがる指導官の一人に軽く舌を出しながら、瑞鳳はスロープへ向けて微速で進み、瑞鳳自身も陸地へと戻る。
乾いた足音を鳴らしながらスロープを昇る彼女の耳に、紫電改四とは異なるエンジン音が聞こえて来てふと空へ視線を舞い上げる。
四機のフィンガーチップ編隊を組んだ機影が、翼端の赤と緑の航空灯を暗くなっていく空に光らせながら整然と飛んで行く。零戦系列の最終発展型と言える零戦七一型だ。発動機ことエンジンを二〇〇〇馬力級のものに換装し、更に夜間航空作戦能力を付与した全天候型戦闘機だった。F4UやF6F系列にある夜間戦闘機と同様、右翼の一部にレーダーポッドが突き出ている。見た目こそ零戦だが、全体的に一回り胴体サイズから全長全幅が大きくなっているが、これは元の零戦の胴体サイズでは二〇〇〇馬力級エンジンを載せるのが寸法上無理だったからだった。艦上戦闘機なので大型化した分、翼の折り畳み機能も付与されている。また完全に陸上基地での長距離戦闘機運用と戦闘爆撃機としての運用を想定した七二型も同時に開発されている。
「零戦の発展型ね……」
頭上を過ぎ去っていく四機の零戦七一型を見送りながら、瑞鳳は呟く。実家のアルバムには、太平洋戦争で実際に三航戦に配備されていた零戦乗りにして、航空母艦「瑞鳳」がエンガノ岬で撃沈されたその日まで搭乗員として戦い抜いた彼女の遠い先祖の写真がある。瑞鳳が生まれるずっと前に亡くなっているので、面識も無いし、どんな人柄だったのか余り良く知らないが、少なくとも彼女の先祖が乗っていた零戦五二型と比較すれば、七一型は遥かに進んだ性能をしている。
ふと瑞鳳は思う。もし先祖にあれくらい発展改良が進んだ零戦が行き渡っていたら……。たらればの話をしてもしょうがないか、と頭を振って、艤装整備場で艤装を返却し、艤装と主機に付着した海水の洗浄を行い簡単なデブリーフィングを行って解散する。実技の後はレポートの作成と、のんびりしている暇は中々訪れない。
爪先立ちしながら伸びをする瑞鳳の傍らを、指導官達が何事か語り合いながら通り過ぎていく。何れも彼女の頭頂部より上に肩のラインがある者達を見て瑞鳳は軽く頬を膨らませた。私も、あれくらい背丈が欲しかったな。なんで背、伸びなかったんだろう……。
巡洋艦「あいづ」はゴジラの映画見たらなんか好きになっちゃったので、登場させようと思って出しました。今後活躍の機会は勿論ありますのでお楽しみに。
感想評価ご自由にどうぞ。
ではまた次回のお話でお会いしましょう。