艦隊これくしょん この世に生を授かった代償   作:岩波命自

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第一一六話 伊豆諸島沖偵察作戦

 冬の日の出から三〇分が経った頃、第三三戦隊は深海棲艦の大艦隊が展開している証拠である変色海域の赤い海の中へと踏み込んでいた。

 水平線上を陽光以外の色で赤く染め、紺碧の海のそのものが血を彷彿させる赤さで染め上げた変色海域は、まさに鉄分の匂いのしない血の海の様であった。艦娘の艤装と主機の靴底の特殊塗料のお陰で侵食破壊を防いでいるからこそ活動出来るが、一般の船舶、艦艇が立ち入ろうものなら、一時間と経たずに船体が侵食され、自壊してしまう異様さと異常さが混在している空間だった。

 深海棲艦の引き起こす侵食海域の中では、あらゆる生命体も存在できない。見た目こそは既知の海洋異常現象である赤潮に似てはいるが、海洋生物は勿論、赤潮発生の原因となるプランクトンすら変色海域の海水内では観測出来なくなる。今でこそ起きなくなった現象ではあるが、一部艦娘に精神的な干渉を及ぼし、発狂や情緒不安定化などの精神異常すらかつては観測されたのが変色海域の特徴だった。

 変色海域の事について、その実科学的な分野において分かっている事は殆ど無いに等しい。辛うじて、その赤く染まった海によって艦娘の艤装が侵食され、破損していくのを防ぐ特殊塗料が開発されたくらいであり、そもそも何故生命体が死滅するのか、何故赤く海が変色するのか、そのメカニズムの一切が分かっていない。一体何の成分がどの様に海を赤く変貌させるのか、と言う科学的な証明がまるで出来ていないのだった。少なくとも変色海域の海の水に人間の素肌で触れても特に害はなく、普通の人間が変色海域の海水を基に蒸留水を作って飲んでも特に健康面に影響は無いとされる。

 ただし変色海域の海水を基に作った蒸留水を呑んだ艦娘はロシニョール病に罹る可能性がある、と言う都市伝説に近いが強ち嘘と否定し切れない指摘が存在するだけに、全くの無害と言い切れる訳でもなかった。事実としてロシニョール病を発症している艦娘は、その多くが作戦中の喉の渇きを潤す為に艤装に備わるろ過装置などを使って変色海域の海水を基に蒸留水を作り、飲んでいるのが多く、他にも海戦中に偶然変色海域の海水の飛沫を経口摂取してしまった艦娘などでも発症が確認されている。

 そんなある意味では人類を含めた生命の立ち入りを禁じた禁則地とでも言う様な海の上を、愛鷹、青葉、熊野、夕張、瑞鳳、秋月、竹、夕月の八人からなる第三三戦隊が進んでいた

 警戒陣の陣を敷いて進む第三三戦隊に、冬の海風が吹き付ける。冷たい北風が洋上を吹き荒れ、第三三戦隊の艦娘達の制服を激しくはためかせる。旗艦を務める愛鷹も何時もの如く、制帽の顎紐を顎にかけて固定している。

「左舷前方、利島です」

 先頭を切る竹から戦隊全艦のヘッドセットに予定航路上にある島嶼の名前が共有される。

「大島は幸い、変色海域外でしたね」

 幸いとは言いつつも、それが却って意外だと言う様に青葉が言う。それに対して夕張も同感だと頷きながら、過去の例を挙げて続ける。

「深海棲艦艦隊の規模に変色海域の広さが比例するなら、既に東京湾最奥までが赤く染まっていても可笑しくは無い筈ですものね」

「自分達の行動を先読みされない様に、敢えて侵食海域の広さを抑えている……そうとも取れましてよ」

 少し考えてから熊野が発言する。

 戦隊の巡洋艦勢からの発言に、愛鷹は無言を貫く。まだ結論を出すには情報が足りない。

「瑞鳳さん、第三艦隊の現在位置は?」

「作戦開始地点から、予定通り特に問題無く進行しているなら野島埼灯台沖三八キロの地点にいるかと」

 第三三戦隊と別行動をとる第三艦隊の進路は、大島の北から西と東に分かれる形で進行している。西の利島、新島、式根島を伝うルートで進行するのが第三三戦隊、大島近海から太平洋へと出るルートで進行するのが第三艦隊だ。

 第三三戦隊が島嶼伝いに進行する中、第三艦隊の一航艦が敵機動部隊戦力を誘引し、機動部隊戦力の敵情把握と陽動を実施とここまでは良い。問題は敵の泊地と化している島々の状況が分からなこと、展開する深海棲艦艦隊の規模が不鮮明である事だ。どんな伏兵が居るかもわからず、どれ程の敵艦隊が一航艦につられずに残るかも分からない。無論、それを把握する為の作戦とは言え、ただ深海棲艦と戦って勝敗を決する作戦よりももどかしさと危険度は高かった。

 瑞鳳から発艦した彩雲と愛鷹から発艦した彩雲それぞれ四機が変色海域の中心部と目される三宅島方面へ向けて飛行しているが、今のところは敵艦隊発見の報は無い。それどころか哨戒艦隊の艦影を見たと言う報告すらない。

 第三三戦隊と一航艦の遥か後方では、本土攻撃が始まった時から管制機と警戒機任務に就いている早期警戒管制機トップ・ドック、哨戒機アトラス5-1の二機が控え、支援任務に当たってくれているが、アトラス5-1の合成開口レーダーで三宅島近海の敵艦隊が把握出来ない辺り、強烈な羅針盤障害でレーダーがジャミングされて仕事にならない状態なのかもしれない。一航艦との分離直後の定時連絡以後は旗艦愛鷹を除き長距離の高出力通信を封じる無線封止を敷いているので、アトラス5-1から第三三戦隊へ通信は行われても、第三三戦隊の方からアトラス5-1へ呼び掛ける事は出来なかった。

 今の第三三戦隊に許されている低出力通信、つまりは部隊間の無線以外、第三三戦隊から発せられる電波は水平線の丸みに遮られて傍受される可能性は無い。それでも敵地のど真ん中へ突っ込む今の戦隊の環境下で無駄口を叩く精神的余裕は全員持ち合わせていなかった。

 とは言え、第三三戦隊がアトラス5-1に状況把握の為の通信の一切を封じられている訳では無い。愛鷹だけはその艤装の旗艦通信機能を生かした通信内容を圧縮してデータ化し、アトラス5-1へ送信する圧縮データ通信を行えるので、受け取り側と送信側に通信内容のデータ圧縮と解凍の時間を要するのを除けば一応通信は可能だった。万一、圧縮データ通信を傍受されても、解凍方法を知らない深海棲艦には只の意味の分からない電波にしか聞こえない。無論、圧縮データ通信とて、電波を発する事で深海棲艦に位置が露呈する可能性はあるので、これもまたなるたけ使わない方向で話が付いていた。

≪アトラス5-1より一方通信≫

 通信の送り先相手の名を明言せずにアトラス5-1から通信が入る。

≪第三艦隊一航艦索敵機が敵機動部隊を発見。敵機動部隊は空母棲姫及び空母棲鬼、正規空母ヲ級改Ⅱflagship級等々を中核とする模様。目標群はアルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、エコー、フォックストロットの六群を確認。全艦対空戦闘用意≫

 青葉以下の七人が一様に呻き声を漏らすのが聞こえて来る。

「ボスラッシュ……とでも言うべき陣容ですね。しかも、空母機動部隊だけでこれですか」

 生唾を飲み干す音を交えながら、夕月が言う。空母棲姫、空母棲鬼、そしてヲ級改Ⅱflagship級、いずれも深海棲艦が繰り出せる純粋な正規空母級としては最高峰の大型空母だ。アトラス5-1からの報告には添えられていないが、脇を固める軽空母ヌ級や艦隊防空の要である防空巡ツ級や軽巡ト級、大型駆逐艦ナ級やラ級も多数控えているのは疑いようがない。随伴に戦艦や重巡が居るのか、はその時々の編成次第だがそこの所は第三艦隊の調べる所なので、第三三戦隊の考える所では無い。

 

 

 利島の西を通過中の午前八時頃、愛鷹の艤装のマストに設置されているE27電波逆探知機(ESM)に反応が出た。艤装内のCIC妖精が画面に表示されるレーダー波の表示を見て報告を上げる。

「強力な水上レーダー電波を検知。地上警戒電探棲姫と思われます」

「厄介なのが出て来た……」

 舌打ち交じりに愛鷹は島の方へと視線を転じる。一種の嫌悪感と同時に、理にかなっていると内心頷きもしていた。

「敵レーダー波の出力は?」

「……少なくともギガヘルツ、水上捜索レーダー波です」

 流石はレーダーサイトを担当する棲姫級だと愛鷹は舌を巻く。深海棲艦の水上艦でそこまでの出力のあるレーダーを載せた深海棲艦はいない。地上に固定され、地上設備からの豊富な発電量を元に、索敵に特化した装備でレーダーサイトを構成する地上電探警戒棲姫ならではの芸当だろう。

 一応、深海棲艦のレーダー網を警戒して、予定コース上にある島嶼部から五キロから六キロ前後の距離を取って進む事を策定していたので、探知は免れている筈だ。

「推測ですが、鵜渡根島や新島、式根島、神津島にも地上警戒電探棲姫が存在する可能性はありますね。三宅島近海にFOB(最前線基地)となる泊地を設けているなら、この近海に哨戒艦隊を置いておいても良いのに、今のところ一群も見当たらない辺り、警戒網を地上警戒電探棲姫に一任して、艦隊戦力と言う戦力を我が艦娘艦隊との決戦、掃蕩の為に温存しているのかも」

 そう推論を立てる青葉に熊野が異を唱える。

「神津島には恩馴島(おんばせじま)と祇苗島(ただなえじま)の二つの島もありましてよ?」 

「その島は、島と言うより岩礁ですから、地上警戒電探棲姫が拠点を構えるには狭すぎるかと。地上警戒電探棲姫だけが居座るなら兎も角、発電施設とかも含めたら余りにも岩礁程度では見通せる距離も稼げない」

 そう答える青葉に熊野は成程と頷いた。

 青葉は更に自前の戦術タブレット端末を出して、全員に推論を共有する。

「神津島から御蔵島までを結ぶ線を構築し、西方に重厚なレーダー網を構築して、こちらの接近を感知出来る早期警戒網を構築している可能性があります。東の太平洋側には強力な機動部隊を遊撃機動部隊戦力として配置し、主力部隊は三宅島近海、或いは三宅島本当に泊地を形成してこちらとの決戦の時を伺っているかと」

「深海棲艦がこちらと同じ決戦志向とは限りませんね。首都の玄関口にナイフを突き立てた状態にして、首都圏に一定規模の有力な艦娘艦隊を置かざるを得ない状況をこちらに強いて、その間に手薄な日本各地への侵攻の橋頭保にするならば、最悪二正面作戦以上の他方面作戦を強いられ、こちらは各個撃破される。

 ただでさえ、火力面で劣勢なのに、数的な劣勢まで生じたら、こちらの手札は全部ブタです」

「急なポーカー例えですね。まあそれは兎も角、深海棲艦は既にストレートドローの状態と?」

「そうなりますね。こちらの対応が遅れれば、向こうはアウツまで引き、向こうはストレートを引いてこちらはゲームオーバーですね」

「では、決定打となる役を完成させる前に、私たちがアウツを引き、勝利を掴む……確かに今の私たちはストレートドローの状態とは言え、手札の強さはドローと呼んで良いのかしら……」

「超電磁砲艤装がこちらの隠し札になれば、戦力差はストレートドローになります。霧島さん達があの艤装を使いこなす慣熟を少しでも行えれば、ストレートドローの状況は維持出来る」

 熊野の言葉に夕張が言葉を添えた。

 ポーカーに例えた会話が戦隊メンバーで出る中、言い出しっぺの愛鷹は、(もっとも……)とポーカーと現実の違いを独白していた。

 ポーカーで負けた金は取り返せるが、現実では失った人命は取り戻す事は出来ない。勝負から降りれば誰かが死ぬし、降りなければもっと多くが死ぬ。だから自分達が戦う事により戦争全体で死ぬ人間の数を減らさなければならない。私達が盤上から降りる訳には行かない。

 

 

 瑞鳳、そして愛鷹が放った彩雲から第三三戦隊が距離を取って来た島々の上空から確認出来た島の様子が、無線情報で共有されて来た。

 やはり、利島の宮塚山の頂上、新島の安土山、丹後山、式根島の佐々木山、神引山、神津島の天上山に地上警戒電探棲姫の存在が確認出来ると言う。いずれの山も標高は一〇〇〇メートルにも満たないが、頂上部に置かれた地上警戒電探棲姫ならば極めて広範囲に渡ってレーダーによる索敵網を形成できる。

 彩雲は何れも地上部からのレーダー照射を受けたものの、迎撃機が上がってくる気配はないとの事だった。飛行場姫が確認され無い辺り、利島、新島、式根島、神津島はさしずめレーダーサイト運用に留め、必要以上に防衛戦力を割く事を防いでいるのだろう。最悪、展開する地上警戒電探棲姫はいざとなれば切り捨てられる捨て駒なのかもしれない。破壊されれば、予備の個体を再度展開させれば良い。

 問題は地上警戒電探棲姫の設置場所だ。いずれの島々の島の最高峰にある分、そのレーダーによる見通せる距離は海抜零メートルの海上よりも上がる。艦娘では無い通常兵器の軍艦のマスト頂部にあるレーダーよりも遥かに高い位置にある分、見通せる距離はより広がっている。

「西ルートは事実上封じられているわね」

 タブレット端末で推定されるレーダー探知圏内を表示して、愛鷹は呟いた。艦娘が近接する必要のない航空攻撃を行うなら西ルートは問題無いが、第二艦隊と艦娘水上戦群には伊豆諸島西側は警戒網が分厚くて進行不可と言えた。

「もしこのルートで進行するなら、事前に各島々の地上電探警戒棲姫の破壊が前提条件になるわね」

「それでしたら、戦略防衛隊の『あいづ』『あこう』のトマホークミサイルや、百里基地、横田基地の空軍の戦闘機にDEAD(敵防空網破壊)を頼めばすぐに済む話かと」

 そう語る青葉に竹が意見を述べる。

「ですが、何れの島も敵の本拠地があるであろう三宅島の目と鼻の先です。先の欧州戦役と違って、深海棲艦の事前集積物資と予備戦力が豊富な場合、短期間で再建されてしまう可能性が高いかと」

「予め潰したら、その日の内に攻め込まないとまた建て直される。それは承知ですが、少なくとも各島々には対空砲となる砲台小鬼が居ない。つまり巡航ミサイルによる攻撃を遮る存在は無いと言う事ですよ」

「巡航ミサイルよりも、『あいづ』『あこう』のMk.45 五インチ砲による艦砲射撃が有効では? 弾着観測にはHS(哨戒ヘリ)を併用するとか」

 深海棲艦に対する誘導兵器の不確実さに言及する竹に、青葉は確かにと頷いた。

「実際の所、あのレーダー網に飛び込んだら、どの程度の敵艦隊が釣り出せるのでしょうか」

「実際に飛び込んで、巣穴を突いてみるのはどうでしょう?」

 そう疑問を口にする熊野に、夕月がにやりと口元を緩めて提案する。それに対し、秋月が渋面を浮かべて言った。

「なわばりを荒らされ、怒った存在程、怖いものはありませんよ」

「『オオカミ少年』って言う寓話があるじゃあありませんか」

「あれと同じ下りをするには、何度も何度も警戒網に飛び込んでは何もせずに全力で離脱する、を繰り返さないといけません。勿論、その間に事故による速力低下が起きないものと言うのが前提条件ですが」

「オオカミ少年プレイは愚策よ、戦力の逐次投入にもなるわ」

 瑞鳳も口を尖らせ、反対した。

 活発な議論が飛び交う中、愛鷹は戦術タブレット端末をしまうと、夕張に尋ねた。

「夕張さん、リミッター解除でどれ程の時間を何速まで出せますか?」

「そうですね、見積もって一時間は私以外の皆の最大戦速相当まで出せます」

 夕張改二特艤装の最大速力は二八ノットが限界なので、三〇ノット以上を出せる他のメンバーの最大戦速から見れば四戦速相当が彼女の最大戦速になり、戦隊全体の巡航速力そのものの基準を下げる要因になっていたが、リミッター解除による機関部への一時的なブースト自体は可能だった。

 しばし思案を巡らせた後、愛鷹は決断した。

「夕張さんは夕月さんと共に瑞鳳さんを連れてポイント1-1Rで待機して下さい。残るメンバーで敵地上警戒電探棲姫の警戒網に突入、敵哨戒艦隊の出現を確認次第、直ちに反転し戦域外へ離脱します」

「敢えて敵中へ突っ込むと?」

 そう問う青葉に愛鷹は頷く。

「どの道、今得られている情報では敵が東京湾再侵攻にあるのか、迂回して九十九里や鹿島灘方面からの侵攻を行うのか、今後どう出て来るかの判断材料に欠けます。より敵中へと足を踏み入れて得られる情報の量を増やすほかありません」

 

 

 船足が遅いと言う理由で置いて行かれる夕張は少し膨れ面をしながら並ぶ瑞鳳に、少し申し訳ない気分になっていた。夕張単独で残すのは危険だから、後方で支援に当たるのが向いている瑞鳳がなし崩し的に一緒にされ、更に対空対潜警戒と言う意味で夕張だけでは不安が残るから夕月も残される。二人からすれば、少し夕張の割を食った様な立ち位置で不満が残る様だった。

 ただ、その不満を夕張へぶつける様子は無かった。それが却って夕張に罪悪感を与えに来る。いっそ文句を言ってくれた方が気は楽なのだけれど、と胸中で呟く。一方で今の艤装の速力改善の為に缶を一基追加して、基礎的な速力を上げるか、と改善策も考えていた。

 すると夕張の心情を察したのか、瑞鳳がぶすりとした口調で言った。

「別に、夕張の足の遅さが不満なのじゃないの。愛鷹さんに連れて行ってもらえない事が私には不満なの」

「まあ……空母は前線に出る艦娘では無いですからね」

 夕月の言葉に瑞鳳は不承不承と言った様子で頷く。

「今は待ちましょう。不満は後で愛鷹さんに言って頂戴」

「言っても多分、変わらないわよ」

 最後は諦観した様な口振りで瑞鳳は溜息を吐き出した。

 

 

 三人と別れ、愛鷹以下五人で進む海域は、海面が赤い以外、至って普通の海域だった。空気は刺す様に冷たく、冬の晴天が五人の頭上に広がり、反対に赤く染まった海面が水平線一杯に広がっている。

 単縦陣を組む愛鷹、青葉、熊野、竹、秋月の隊列の前方には、一同の頭上にある晴天とは真逆の鈍色を通り越した黒い雲が天空を覆いつくし、水平線上に至るまでダークグレーの背景で埋め尽くしている。まるでそこだけがこの世から隔絶された異世界か、或いは人類が足を踏み入れてはいけない禁足の区域かの様に。

「怯む訳では無い、訳では無いのだけれど……」

 決して愛鷹は臆病では無い。超常現象に驚きはすれど、怪奇現象に背筋を冷やしても、怯む事は無い。そんな肝の座っている愛鷹ですら、言い知れぬ不安、立ち入ってはならない場所へ向かっているかのような恐怖が脳裏を過っている。

こんな気分になったのは初めてだった。あそこには行ってはいけない、そんな気持ちと、これも仕事だと言う使命感の二つが愛鷹の中で対立している。無論、何かあれば即座に撤退するとは言え行ける所まで行って、確かめなければならない事がある。

「ESM探知、左舷より式根島の地上警戒電探棲姫のレーダー波を検知」

「捕捉された?」

 艤装に備わるE27電波逆探知機を見ていた妖精からの報告を受けた熊野の報告に、青葉が質問を向ける。同じポニーテールの重巡級艦娘同士の視線の片方がその目線を左右に振った。

「追尾して来ている様子は無いですわね」

「偶然、周囲を走査していたレーダー波を検知しただけ……でしょうか? 確か地上警戒電探棲姫のレーダーアレイは普段は常に回転している筈ですし」

「レーダーアレイが海上を走査している隙が存在するのなら、そこを縫って侵入する事は出来ますね」

 秋月の言葉がヒントになった愛鷹はにやりとほくそ笑む。式根島と神津島の地上警戒電探棲姫のレーダーの回転速度を測れば、その間に進入が出来る空白があるかも知れない。

 勿論、神津島を大きく南側へと迂回していくルートもあるのだが、それでは第三三戦隊の艤装の燃料の余裕や、陽動作戦を実施している一航艦の作戦時間とのずれが生じる。現状取れる最短ルートを突っ切るしかない。

 そこで愛鷹はE27を持つ青葉と熊野の二人をそれぞれ式根島と神津島よりの航路で進ませ、それぞれ二つの島の地上警戒電探棲姫のレーダー波の計測を行わせた。最低限の通信が出来る出力の限界距離まで二人を二つの島に向けて前進させ、地上警戒電探棲姫のレーダー波を逆探知させる。一分間から五分間にどれ程の回転速度で走査しているかを確認し、二つの地上警戒電探棲姫のレーダー波から見て取れるレーダーの隙間を読み取る。 

 五分後、二人は愛鷹の元へ戻って来た。レーダー走査の早さに違いは無かった。ただ、式根島の走査時間と神津島の走査時間にずれがあった。約四〇秒間、この二つの島の間にレーダーで警戒されていない空間が生まれる。

 四〇秒間の間に愛鷹達は二つの島の間を抜ける事は出来ないが、愛鷹の艦載機の彩雲なら最大速度で飛べば抜けられる。

 索敵から帰投し、一時着艦して補給を受けていた彩雲が再び愛鷹の飛行甲板を蹴り、腕時計の盤面を見ていた愛鷹の合図と共に突入したのは午前九時四三分の事だった。

 三宅島までは二時間もあれば充分偵察して回れる。

 その間、五人はひたすら海上を目視で監視していた。目は海上を凝視し、耳は海中の音に澄ます。最も海上には影らしい影も無く、変色海域のお陰で生命が存在しない海中は魚の鳴き声は愚か泳ぐ音すら聞こえて来ない。風と波、この二つの環境音と海が赤く変色しても空気までは変わらないが故に冷たさが五人の五感を刺激した。

 二時間も遊弋と言う形で待つのは、能動的な事をせずに二四時間を過ごすのに等しい程に長く感じられた。体感では二四時間だったかもしれないし、四八時間にも感じられるかもしれない。深海棲艦がひょっこり姿を表せば、逆に気も引き締まっただろうが、その気配も霊圧すらも無い。深海棲艦の一大拠点がすぐ其処にあるのに、艦娘を舐めて哨戒と言う行動を全く行っていないかと思わせる程にパトロールが居ない。

 無論水上艦に限らない。無数の潜水艦が足元に人食い鮫の如く潜んで、狩りの期を伺っているかも知れない。それだけに対潜艦を担う竹と秋月は念入りに対潜警戒に当たっている。

 延々と続くかの様な遊弋の間、何か暇つぶしの会話でも出来れば、焦れる気持ちも軽くなったかもしれないが、すぐ其処に深海棲艦の一大拠点があると言うだけに、その緊張感で全く無駄口と言う概念の余地が無かった。逆に無駄口を叩けば、物理的に仲間から叩かれそうな雰囲気が今の五人にはあった。

 欠伸を噛み殺し、異様に遅く感じられる腕時計の盤面を何百回も見る事二時間一三分後、冬の太陽が一番高い位置に登ろうとした頃に、彩雲は帰って来た。

「ドレイク1、2、着艦アプローチに入ります」

 エアボス妖精が告げる。現在の愛鷹の航空隊は艦上戦闘機を装備する紫電改四のヒットマン、グリフィスの各八機の二個中隊と、彩雲を装備するドレイク隊八機の編成に落ち着いている。第三三戦隊で偵察機と哨戒機の役を担っていた天山一二型甲改は結局、現在の彩雲の脚の速さを重視されて偵察機、哨戒機の枠を外され、第一一八特別航空団から退いた。

 ドレイク1のコールサインの彩雲がアングルドデッキに滑り込み、着艦フックがワイヤーを捉えて機体を急制動させる。甲板員が駆け出していく中、ドレイク1は誘導員の誘導に従って駐機位置へ移動する中、早くもドレイク2の着艦誘導が始まる。

 主脚が甲板を叩き、フックがワイヤーを握りしめ、着艦時の喧騒と騒音をひとしきり鳴らし終えた後、ドレイク隊の収容作業は終わった。

 駐機位置へ一旦向かい、次いでエレベーターで格納庫へと降ろされた彩雲にUSBケーブルを抱えた航空艤装妖精が機体にケーブルを繋ぎ、CICに偵察結果のデータをダイレクトに転送する。再発進に備えて機体の整備作業が始まる中、転送された偵察情報が愛鷹の戦術タブレット端末にも共有されて来る。

「リンク17で皆さんにも共有します」

 タブレット端末の端のボタンを操作して青葉達にも見せながら、愛鷹はタブレット端末に表示される偵察画像を見て、ふむと頷く。

 先の本土攻撃に参加していなかったか、或いは増援として送り込まれたのであろう棲姫級や新型艦、更には北方海域からの増援を合わせて、三宅島には形態を問わず巨大戦艦ス級一六隻、戦艦水鬼八隻、戦艦棲姫四隻、航空戦艦レ級一六隻、直掩らしい軽空母ヌ級flagship級八隻、超巡ネ級改Ⅱ一二隻、重巡ネ級改が八隻、重巡では新個体になるヰ級四隻、馴染み深くなって来た重巡リ級改六隻、ネ級六隻、更に比較的新しい軽巡の姫級である軽巡新棲姫が一二隻、ト級flagship級一二隻、ツ級一六隻、駆逐艦ナ級とラ級は最早数えるのも諦める数が停泊していた。

「主力艦クラスだけでも一二八隻……駆逐艦や潜水艦も含めたら二〇〇か三〇〇か」

 更にこの数字を補完するのが補給艦ワ級の数だった。その数は何と二〇〇隻にも上る。単一艦種で五〇隻以上の艦が一度に集結、参加する事は極めてまれだ。補給艦として動員されたワ級だけでなく、上陸する地上部隊の輸送任務に当たっているワ級も含むのだろうが、大艦隊であることに変わりない。

 更に三宅島には移動準備形態の集積地棲姫等の陸上型姫級深海棲艦も多数確認出来た。恐らくは上陸地点の橋頭保構築の為に用意されたであろう存在達だ。

 逆に、深海棲艦艦隊には開戦初期に見られた形態のイロハ級深海棲艦はほぼその姿を消している。写真に出て来るものはその全てがflagship級やelite級、改や改Ⅱ、後期型といった姿であり何かしらのバージョンアップを受けている。

 一方で全艦が即座に戦闘可能な状態にある、と言う訳でも無い様だった。前線展開泊地棲姫の広げたドックにス級flagship級が八隻入渠しており、そのス級に繋がれたパイプは物資搬入真っただ中を表す太さだった。レ級flagship四隻も同様に入渠かクレーンアームを装備したワ級に接舷しており、茨城県大洗沖に敷設した機雷原を強行突破した弊害として一時的に修理が必要な状態になっている様子だ。

 複数ある前線展開泊地棲姫の広げたドックには、喫水線、つまりは足元を損傷したであろう深海棲艦が多数入渠しており、お世辞にも艦隊の規模と威容に反して稼働状態にある艦は多い訳では無い。勿論、稼働状態にある艦だけでも、今統合基地に結集している艦娘艦隊を凌駕する物量と質なのだが少なく見積もっても二〇〇隻いるであろう戦闘艦で戦闘可能状態にあるのはその半分か良くても三分の二と言う様子だった。

「意外と、入院患者の多い事で」

 皮肉を込めて熊野が言う。

「病人ばかり、いや負傷者だらけと言うあたり、意外と先の海戦での撃退や機雷原を強行突破したのが響いているようですね」

 意外だと言う様に青葉も言う。ただ青葉の経験上、損傷艦の多くは一週間、早い艦は三日以内には戦列に復帰出来るだろうと言う状態ではある。

「とは言え、これとは別に第三艦隊が今陽動作戦で吊り上げている空母機動部隊がある訳ですから、数で劣る事には変わり有りませんね。ですが、今直ぐに行動を起こせば、数の不利はある程度苦しいのが和らぐでしょうね」

「行動を起こす、と言う事はつまり」

 何かを確信した愛鷹その発言に、青葉が先を促す。第三三戦隊旗艦艦娘は確たる意思を以て答えた。

「攻撃は最大の防御、と昔から言うじゃないですか?」

 

 

 殷々と海上と空に鳴り響いていた砲声が止み、遠くの空で旋回する航空機のエンジン音が聞こえてくる中、艦隊は隊列の再編成に移行していた。

 正午に至るまでに一航艦が受けた航空攻撃は実に六波にも上った。理論上は確認された敵機動部隊から一度ずつの航空攻撃を受けた計算になる。

 こうなる事を見越し、一航艦の空母艦載機の比率は偵察機と艦上戦闘機を主体にしていただけに、第三波までは完全に艦隊への攻撃を退けていたが、第四波からは艦隊による防空射撃が発生し始め、第六波では旗艦赤城を含む空母艦娘が危うい所まで追い詰められる事態になっていた。

 幸い、空母艦娘に小破以上の被害は出ていないが、随伴護衛艦となる艦娘に被害が散見される。駆逐艦娘の樺、楓、大月が被弾して戦闘不能になり、欅、橘、満月を随伴護衛に避退している他、利根と筑摩が艦娘水上戦群に引き抜かれた結果、唯一の巡洋艦級である五十鈴、由良、阿武隈の三人も若干の損害を被っている。他に唯一の戦艦級である金剛が空襲により小破の被害を受けていた。

 艦隊を構成する艦娘も、特に駆逐艦は水上戦闘を重視している駆逐艦である陽炎型や夕雲型を省き、対空戦闘と対潜戦闘のバランスが優れた松型や秋月型で固めているとは言え、深海棲艦艦載機群の機体性能も合わさり、鉄壁の防空網と言う訳には行かなかった。それに加えて秋月型は兎も角、松型は装甲規定耐久が低く、諸に被弾すると派手にやられやすい。

 上空を守る航空隊に関しては良くやってはいるが、その航空隊も連戦となって来ると戦力が低下する。操縦桿を握る航空妖精は疲れ、機銃弾は消耗していき、弾切れや燃料切れで戦闘不能になる戦闘機は少なくない。補給に降りられないだけでなく、攻撃が反復される事で、必要な迎撃高度へ昇れず、中途半端な高度帯で失速し始める機体すらいた。エンジン馬力において改善はしてはいるものの、アメリカ機より上昇力と降下速度に劣る日本機の悪い所が出ていた。

 それでも出た損害に見合った情報は得られている、と赤城は確信していた。六群に登る敵機動部隊の編制、艦種を一航艦から飛び立った彩雲は事細かく調べて情報を持ち帰って来てくれた。また別動隊戦力として、対潜哨戒機として出した天山が潜水艦隊を複数発見している。こちらも各機の帰投後のデータの照らし合わせを行えば、詳細な戦力状況が把握できるだろう。

「第三三戦隊から連絡はありましたか?」

 相棒の加賀からの問いに、赤城は無言で頭を振る。

「まあ、連絡が無いって事は悪い知らせも無いって事でしょうね」

「悪い知らせ、がどちらを示すかにもよりますが、彼女達が今無事ならそれはそれでいい事でしょう」

 余り愛鷹と言う艦娘がどんな人間なのかを知らないが、彼女の下に配属されている艦娘は赤城も良く知る者達ばかりなので、大丈夫だろうと言う安心感はあった。

「加賀さん、戦闘機隊の可動機の状況は?」

 実務の話に話題を切り替えて問う赤城に、加賀は先程収容を終えた戦闘機隊の状況を飛行長に二言三言尋ねてから答えた。

「未帰還機は一二機、使用不能機体は七機です。赤城さんは?」

「大体同じって感じですね。五航戦や二航戦他皆さんの方もどうなのか確認を取り、可能であれば敵機動部隊を……」

 言いかけて赤城は苦笑を浮かべて止めた。攻撃機に積む爆弾や魚雷を今回は持って来ていないのだった。

「ディフェンス一辺倒と言うのも戦術の一つですが、オフェンスをやれないのは少し歯痒いですね」

 同様に苦笑を浮かべて加賀は言うと、定位置へと戻っていった。

 

 

「ソーナー探知。180度、距離九〇〇、深さ五メートル、速力一二ノット。目標群アルファと識別。艦影五、本艦隊に向けて急速に近づく」

 さっとヘッドセットに手を当てて、第三三戦隊の輪から外れて一人静かにしていた夕月が報告を上げた。

 瑞鳳達と再合流を果たし、帰還の途につこうとした矢先の敵潜発見の報告だった。

「対潜戦闘用意」

 直ちに愛鷹から戦闘用意の号令が令達される中、一同のCIC妖精がほぼ同時に電文の逆探知を知らせた。深海棲艦固有の電文波長のそれに、愛鷹は顔を歪ませた。

「敵に位置を報告されたわね」

 潜水艦、いや潜水艦隊は恐らく手出しはせずに味方に報告するに留めているのかも知れない。下手に自分達の位置を正確に特定され折角構築したピケット艦を潰されては本末転倒、と言う考えなのか。最も第三三戦隊が受信出来る位置で発信した辺り、何か急いでいたものがあったのか。

「情報を得ている第三三戦隊を生かして帰す訳には行かない……そう言う事でしょうかね」

 双眼鏡を覗き込んだまま、青葉が言う。

「ならば、逃げるが勝ちです。さっさとここから離脱して、追撃部隊を振り切ればいいだけですよ」

 そう具申する竹に、その通りだと一同が頷く中、最後尾を務める夕張から艦隊編成よしの報告が上がる。

「全艦、最大戦速。現海域より全速で離脱します」

 再び警戒陣を組んで既に北上している艦隊各位に愛鷹は言いつつ、追撃部隊が何処から来るかを想定していた。

 海中の潜水艦隊は全速で走り回れば射点につく暇を与えないから考えなくていいし、水上艦隊は今から追っても第三三戦隊が追撃可能圏外に出るのが速い。必然的に空からになるだろう。

 

 

 再び、今度は右手に利島を望める位置に着いた時、AWACSトップ・ドックから敵機接近の知らせが入る。

≪こちらトップ・ドック。敵艦載機群、凡そ七〇機。方位165、高度一〇〇〇より接近中。第三三戦隊、対空戦闘に備えられたし≫

「たった八人相手に七〇機も送り込んで来るとは」

「青葉達は見られちゃいけない物を見ちゃいましたからね」

 輪形陣に陣形を移行させながら、旗艦艦娘と次席旗艦艦娘は言葉を交わした。

 瑞鳳と愛鷹の飛行甲板から紫電改四が次々に発艦していく。愛鷹に艦載されている一六機全機と瑞鳳から三二機の計四八機が発艦し、迎撃に為に高度を上げていく。その間、第三三戦隊はひたすら全速力で北上を続けた。

「万が一、撃墜されてベイルアウトする事になった航空妖精が出たら、どうやって回収するんです?」

「潜水艦の皆さんに頼むしかないでしょう。水上艦ばかり出番が来てつまらないってゴーヤさんが言ってますから」

 瑞鳳の問いに、秋月が答える。全速で北上している艦隊が被撃墜機の航空妖精を回収しに戻る猶予は無い。万一の時は出番がないまま待機している潜水艦娘に任せるしかない。

 

 

 高度一二〇〇まで上昇し、迎撃態勢に入っていた紫電改四の前方下方に、黒い球体型の機影が複数見えた。

 増槽も付けていない紫電改四各機にトップ・ドックから「アタック」の攻撃指示が飛んだ。愛鷹のヒットマン、ドレイク隊を先頭に、四八機の紫電改四が翼を翻し、眼下の深海棲艦艦載機群へ上方から被る。

 深海艦載機群も紫電改四の機影を確認するや、即座に迎撃に移行する。夜猫深海艦戦が次々に上昇に転じ、夜深海艦爆の群れは互いの距離を縮めてコンバットボックスを敷く。

≪ドレイク5、エンゲージ≫

≪ドレイク8、エンゲージ≫

≪ドレイク3、エンゲージ≫

≪ドレイク1、エンゲージ≫

 次々に交戦の宣告が無線に飛び、次いで銃弾が空を搔っ切った。先手を取ったのはどちらだったのか。或いは鏡合わせの様に同時に撃ったのか。

 銃撃音の後に、紫電改四と夜猫深海艦戦が二機ずつ空戦の舞台から蹴落とされていた。紫電改四の一機はエンジンカウリングが吹き飛び、プロペラが弾かれ、ずたずたに引き裂かれたエンジン部分から黒煙を引いて海面へと落ちて行く。もう一機は被弾した風貌を真っ白にして、原形を留めたまま海面へと真っ直ぐ落ちて行く。一方被弾した夜猫深海艦戦は黒煙を引きながらもがき、立て直そうとして錐もみに陥ってそのまま海面へと転がり落ちて行った。

≪メイジ2が撃墜された!≫

≪メイジ3、被弾!≫

 無線にオフラインの雑音が騒々しく鳴り響き、二機の味方機の撃墜を知らせる。二機の味方機撃墜が報告される間にも、空戦は進んでいた。

 二〇ミリ機銃の咆える音と、夜猫深海艦戦の機銃の叫ぶ音が飛び交い、空を切り裂く射撃の向こうでバレルロールを打って回避する紫電改四や、スプリットS等を駆使して躱す夜猫深海艦戦の姿があった。彼我のフルスロットルの咆哮が入れ違い、射撃音と被弾する機体を掻き毟る金属音が弾ける。

 紫電改四が四機を失い、夜猫深海艦戦が五機を失う中、瑞鳳の紫電改四が四機、夜深海艦爆の編隊に斬りかかる。

 撃ち降ろされた二〇ミリを食らった夜深海艦爆の一機が姿勢を崩し、左に回転しながら高度を失っていく。更に一機、二機と食われた夜深海艦爆が黒煙を引いて編隊から脱落していく。

 夜深海艦爆を襲う紫電改四に、夜猫深海艦戦の一個小隊が反転するが、その反転様の腹部へ別の紫電改四が銃弾を叩き込んだ。

≪ストライダー3、ガンズガンズガンズ≫

 爆散した夜猫深海艦戦の煙を主翼で切り裂き、黒いコントレイルを引きながら紫電改四が再度機体を翻す。その上下入れ替えられた機体の腹部を掠める様に夜猫深海艦戦の銃弾が飛び抜け、機体底部と底部を合わせる様にヘッドオン状態から紫電改四と夜猫深海艦戦がすれ違う。

 紫電改四の二〇〇〇馬力のエンジンが猛然とプロペラを回転させて機体を前進させ、敵機へと食らい付かせる中、夜猫深海艦戦もメカニズムの不明な推進部を吹かして紫電改四に挑む。

 空のそこかしこで空戦が繰り広げられ、徐々にその高度が下がる中、逆に高度を上げ、第三三戦隊に対する急降下爆撃に備えようとしていた夜深海艦爆に、突如その前面に巨大な火球が炸裂した。火球は無数の白煙を引く鉄片となって散り、その無数に伸ばされる手の指に絡めとられるが如く、夜深海艦爆が次々に爆散する。何事かと動揺したのも束の間、即座に残存機で編隊を組み直す。

 

 紫電改四の迎撃と、愛鷹の三式弾の迎撃で、四〇機程の夜深海艦爆は三〇機弱にまでその数を減らしていた。

 更に青葉、熊野の三式弾射撃が加わり、三機が編隊から脱落する。残る二〇機以上は再度編隊を組み直して、攻撃態勢に入る。

「対空戦闘! 旗艦指示の目標、攻撃始め!」

「主砲、撃ちぃ方始め! ってぇッ!」

「発砲!」

 振り下ろされる剣の切っ先の様な勢いで愛鷹が対空戦闘を発令し、秋月、夕月の高角砲がそれに答えた。対空電探と連動した二人の高角砲が対空弾を次々に砲口から叩き出し、空へと打ち上げる。

 秋月は改二へと改装を果たしているだけに、四基に増えた長一〇センチ高角砲の射撃は、細い秋月の身体に容赦なく衝撃の鞭を振るう。交互撃ち方にしている分、斉射よりはマシとは言っても全身を濡れ雑巾で殴りつける様な感覚は、あらゆる五感を麻痺させにかかる。

 夕月もまた一二・七センチ連装両用砲から対空弾を打ち上げる。対空電探の七一号と、対空射撃電探の四三号の二種類から正確に得られた射撃修正値を基に、夕月の一二・七センチ連装両用砲から毎秒一二〇〇メートルの初速で近接信管対空弾が打ち上げられる。二人の防空駆逐艦娘の対空射撃に夜深海艦爆の一機がアッパーカットを食らったかのように機体を弾かれ、編隊から少し離れた所で四散する。更に一機が横殴りの近接信管の弾片を浴びて隊列から吹き飛ばされる。

 秋月、夕月の射撃に加えて、夕張、竹、そして青葉と熊野、愛鷹の主砲、高角砲、機関砲、噴進砲が弾幕を張る。弾芯と装薬の改良で弾道の直進性が向上した二五ミリ三連装機銃の撃ち上げる銃火が、急降下に転じた瞬間の長機を打ち砕き、それに続く機体に圧を掛けて投弾コースを逸らす。

 第三三戦隊にとっては都合のいい事に攻撃隊は戦闘機と艦爆だけで構成されていた。これに雷撃機となる艦上攻撃機が加わっていたら、対処が面倒になっていたかもしれない。

 艤装上で衝撃音と発砲音が同時に走り、その度に対空弾が放たれる。それを感じながら夕月は瞬きする間も惜しんで敵機を凝視し続けた。

 あの機体は突っ込んで来る、いやあの機体は逸れる、と直感で判断し、電探で追尾し、正確な修正値を算出させて自分は撃発のトリガーを押す。睦月型駆逐艦娘夕月と言うよりは、夕月型駆逐艦娘夕月と言っていいくらい、夕月は睦月型駆逐艦娘の原形を留めていない。ある意味では夕月と言う名の艤装の中に、夕月と言う艦名を与えられた艦娘が陣取り、その艤装を動かす歯車として機能しているかの様な光景であった。

 秋月と夕月が発砲する度、その艤装が打ち上げた矢弾が夜深海艦爆を射抜き、兵装を生かす暇を与えず空から引き摺り落としていく。盛んに高角砲と機銃の対空弾を宙空へと打ち上げる二人の様はまるで活火山を彷彿させた。曳光弾の絶え間ない射撃は四方へ散る火山弾にも見える。

 二〇機以上の艦爆が一〇機程度にまで数を減らし、数機が爆弾投下を強行するが、及び腰気味の高度から投下された爆弾の着弾位置に留まる程、第三三戦隊の艦娘はアマチュアでは無い。ジグザグに捻じれた航跡を各々の身体を海上に立たせる二本の脚から伸ばしつつ、夜深海艦爆の狙いを難しくさせる。

 右に左にと蛇行を繰り返す八人の航跡を吹き飛ばすかのように、外れた爆弾が落下面の海水を吹き飛ばし、粉々に砕けた爆弾の弾片を周囲に撒き散らす。しかし、海面を掘り返す爆弾の加害範囲内に第三三戦隊の彼女達の姿は無い。爆撃はただその足跡と言うべき航跡を水柱でかき乱すだけだ。

 艦爆隊の支援に周ろうと、夜猫深海艦戦が二機、低高度へと舞い降りて来て機銃の銃口を向けたが、その射線を遮る様に大きな艤装が割って入った。

「艦対空噴進砲、攻撃始め! サルヴォー!」

 愛鷹の艤装から噴煙が猛然と湧き上がり、その中から無誘導の対空ロケット弾が弾幕を形成していく。無誘導なので艦対空ミサイルの様な効果は期待出来ないが、心理的な効果は期待出来る。

 銃口を加えている様な夜猫深海艦戦が、口を閉じ、銃口を引っ込めて急旋回で伸びて来るロケット弾の火箭から逃れようとする。急激な上昇をせず、ヨーイングとバンクを併用した緩旋回で伸ばされて来るロケット弾を躱していく夜猫深海艦戦が一瞬の隙を見つけて、再度銃口を展開した瞬間、直ぐ傍を通ったロケット弾の近接信管が目覚め、弾頭から無数の弾辺が吐き出され、夜猫深海艦戦がいる空間を鉄の欠片で埋め尽くした。

 隙を見つけた様で、隙を晒した夜猫深海艦戦が一機、粉微塵に砕けて残骸を海上へ投げ込む中、片割れは欲張らず回避に専念して愛鷹の弾幕を振り切ると、そのまま射程外へと逃れて行った。

「トラックナンバー2022、25、26、27、離脱していきます」

 CIC妖精の報告に無言で頷き、愛鷹は輪形陣を組む仲間達に視線を転じる。被弾の黒煙は見えないが、念の為に被害確認を取ると、元気な七人の声が返された。

「全員無事で何よりです」

 そう言ってから、表情を曇らせる瑞鳳を見て、しまったと愛鷹は自身の失言に気が付く。防空戦闘で瑞鳳の戦闘機隊は五機の被撃墜機を出していた。艦娘に視点を限れば確かに全員無事だが、航空妖精も同じ仲間と見なす瑞鳳の様な空母艦娘にとっては、理屈は理解出来ても、艦種的には納得し難い所があるのだ。

 最も表情を曇らせ、渋面を薄らと浮かべている瑞鳳自身、愛鷹の発言に食って掛かるつもりは無い。広義の人的被害と言う観点では確かに第三三戦隊は無傷で切り抜けた訳だし、妖精の存在など、砲弾や魚雷と同じ幾らでも代替される消耗品扱いだ。妖精自身がそこに疑問を持った事が無いし、疑問を持つ事に疑問を感じるくらいだ。

 だがそうだとしても、割り切れないモヤモヤとした感情を空母艦娘としては感じてしまうのが、瑞鳳の本音ではある。同時に同じ航空機運用艦娘の愛鷹は空母では無く、航空巡洋戦艦と言う水上戦闘艦と空母の相の子的艦種だから、そう言う意味では瑞鳳程の航空妖精への愛着や思い入れに欠けるのかも知れないと瑞鳳は思っていた。勿論その意味では先代の第三三戦隊の航空巡洋艦娘だった青葉と、今の航空巡洋艦娘である熊野にも同じ事が言えるのだが。

 モヤモヤとした感情を一時的に抱きはするが、瑞鳳は何も言わずに愛鷹とあっていた視線を逸らし、目を瞑って軽く瞑想する。空母艦娘らしく、失った航空妖精の事を心の残しつつもいつまでも後に引きずらない切り替えの良さは彼女にも備わっている。それよりも失った航空妖精より、帰って来る航空妖精の為にも帰るべきところ、母艦艦娘として迎え上げる用意をしなければと意識は既に切り替えが始まっていた。

 

 深海棲艦の送って来た追っ手を振り切った第三三戦隊から、圧縮データ通信でもない通常の軍用無線でアトラス5-1へ帰投する旨の報告が上げられた。それを受けて、第三艦隊にも帰還命令が下され、赤城達は防空体制を維持したまま、反転し北上する進路を取り、帰投の途についた。

 

 

 統合基地へ戻る合間に、西の水平線へ、富士山が遠くの水平線上に見えそうで見えない海と空の境界へと日が傾いて行く。冬の短い日中が急激に終幕を引こうとしていた。

 葉巻でも吸いたいと言う衝動を堪え、内服薬のタブレットを軽く口に放り飲み下しながら、愛鷹は溜息を洩らした。吐き出される吐息が白く煙となり、海風によってあっという間に散らされていく。その瞬く間に吹き散らされていく白い吐息の儚さと、自分達の命の重さをついぞ重ねてしまう。

(あの赤い海が、本当の血に染まった赤い海になる日が来るのかしら……)

 帰路、変色海域を背にしながら愛鷹は考えたくも無いが、考えられる事態を想定して、軽い自己嫌悪を覚えた。誰も傷つかない戦いなど有り得ないのは頭では理解していても、それを受け入れると言う事は容易い事ではない。死が日常の異常さに、戦争の醜さを覚えた。

 せめて血は流されても、命は三途の川に流される事だけは防がれて欲しい。そう願うばかりである。

 戦争の必然が生み出した存在である自分が、戦争を忌むのは矛盾しているのだろうか。誰と無く尋ねたくなる議題を飲み込み、愛鷹は単縦陣の先頭を力強く進む。戦うだけでは無い、この海の上から陸地に帰る事だけでも艦娘は過酷な環境での活動を行う存在だ。先導する旗艦である自分が道を見失えば、後に続く七人の命は戦い以外の形で失われてしまう。

 どんな時も、皆を必ず連れて帰る。連れて帰られなかった亡き戦隊の三人に思いを馳せながら、愛鷹は吊り目の眼を細め、北の水平線を凝視した。




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