八月……期待の秋月型八番艦冬月「お冬さん」は出るのでしょうか。
その前に第二〇話をどうぞ。
翌日、敵機動部隊捜索に出撃準備中の青葉たちのいる整備工廠に、初めて磯口が訪れた。
工廠に入って来た磯口に敬礼しようとする青葉たちに、「続けろ」と制しつつ「話がある」と切り出した。
「愛鷹だが、熱は大分下がった。
ちゃんと飯も食って、睡眠も死なない程度に取っているから、明日には全快に持っていけるだろう。
ついでに悪い知らせだ。
先日近辺で発生した大型熱帯低気圧・コードネーム『カーラ12』が作戦海域に接近中だ。
『カーラ12』がこの海域に来るのは明日、つまりLRSRGの出迎えに出る時になる」
「のんびりやってられそうにねえな」
腕を組んだ深雪が眉間に皺を寄せる。
「つまり、明日私は絶対出撃出来ない訳ですね」
苦い表情で瑞鳳が磯口に聞く。
「そうなる。改二になったお前の優秀な技量でも無理な悪天候になる。
だが、悪天候だからと言って行くのを中止にするわけにもいかん。
連中の燃料はぎりぎりだ。
そこで、明日は能代、第八駆逐隊の朝潮、荒潮、満潮、霞、補給艦風早、知床の七人と一緒に出撃してLRSRGの補給作業支援に当たってもらう。
風早は三日前に退院したばかりの奴だ、元気ぶっているがそう言う奴ほどすぐに死ぬ。
補給作業支援だ、楽になるはずの任務だろう。給料分働けよ」
「あの二人と一緒にやるのかよ」
深雪が口をとがらせると、磯口は「軍務に私情を挟むな」とぴしゃりと返した。
溜息を吐いて深雪が黙ると、蒼月が入れ替わりに尋ねた。
「あ、あの愛鷹さんは?」
「退院したての奴を、即刻戦線投入する気はない。
以上だ、貴様らはやるべき事をやって来い、私は私の仕事に戻る」
そう残して磯口は工廠を出て行った。
「磯口提督はマイペースな人ね」
腰に手を当てた夕張が言うと、衣笠が苦笑を浮かべて頷いた。
「まあ、きっとツンデレなのよ。
だから霞ちゃんや、満潮ちゃんと上手くやれているんじゃないの?」
「男のツンデレっているのかあ?」
やれやれと深雪は肩をすくめる。
その輪には加わらず、青葉は熱帯低気圧「カーラ12」が来るから、今日は多少天気がマシという訳ですか、と予報図を挟んだ計画書を読んでいた。
今日は久しぶりに天候がまともになる、と気象班が発表しており、それに乗らない手は無いと青葉は大急ぎで瑞鳳の彩雲による航空偵察計画を組んだ。
今回は彩雲を普段より増量した航空団編成を組んでいる。烈風改一個中隊分を下ろし、彩雲一二機を入れ替わりに組み込んでいた。
晴れているうちに彩雲で探れるだけの海域を航空偵察して、敵機動部隊を発見することを先決にした編成だ。
早めに敵を見つけられれば、この基地の戦力で何とかしてくれるはず。
ショートランド奪還の為に温存の一点張りでも、目の前の敵を一掃する為には多少の戦力は割くはずだ。
自分たちが無理する必要は無い。
「さあ、皆さん。準備は良いですか」
「問題ないわ」
「艦載機の準備はOKよ」
「爆雷、魚雷異常なし」
「長一〇センチ高角砲の整備は大丈夫です」
「私も問題なし。行けるわよ青葉」
夕張、瑞鳳、深雪、蒼月、衣笠からのGOサインに青葉は頷いた。
「よおし、出撃です」
そろそろ、第三三戦隊メンバーが出港しているころだ、と自室で読書をしていた愛鷹は時計を見た。
次席指揮官の青葉に一任しているから、問題は無いだろう。
航空偵察を主体とした今日の出撃だから、直接敵艦隊と水上戦闘が起きるのは無いと思いたいが。
悔しい気はするが、療養中の自分が出撃することは出来ない。
明日までの我慢だ。
磯口は明日回復しても出さないと言ってはいるが、艤装点検をするなとは言っていない。
だから明日は艤装点検を、いや調査を行うつもりだ。
ずっと、燃料消費の変異がどうしても腑に落ちなかった。
自分の艤装は、注入された燃料の質が多少は落ちても、あそこまで酷く落ちる設計ではない。
寧ろタンク内で質が安定して、エネルギー変換効率に大きな変化が出にくくなる設計になっている。
ダウングレード状態とは言え、燃料消費までそうさせるのは、そもそも技術的に難しい。
なら、どうして数値が悪化するのか。
色々と考えてみた末に、一つの可能性があった。
ハードに問題があるのではなく、ソフトの方に問題があるのではないか、と。
愛鷹が燃料の消費管理プログラム自体に、何らかの細工がされていて、その結果自分の艤装の燃料消費や質の安定性が意図的に落とされているのではないか、と考えたのだ。
ある意味、妙な事を考えた気もしたが、これ以外に思いつくものが無い。
細工自体は、艤装技術に詳しい明石や夕張もあまり慣れていない自分の艤装だから、気が付かなかったのかもしれない。
やれやれ、とため息が出る思いだった。
お前にこの艤装はくれてやるが、最大の力を発揮させるほどこちらに気前の良さなどない、そう宣言された気分だった。
これでは一種の足枷だ。
それでも、もしこの足枷を外すことが出来れば、これから先苦労することは随分減るかもしれない。
イチかバチかの様だが、やってみる価値はあるはずだ。
「ターミガン1、2、3、4発艦。
行ってらっしゃい」
弓から放たれた矢から出現発艦した彩雲四機へ、瑞鳳が見送りの声を送った。
瑞鳳が放った彩雲偵察機は八機。
ターミガン隊四機とフェーザント隊四機だ。
発艦作業が完了すると第三三戦隊メンバーは、単従陣に隊列を組みなおし、巡航速度で航行する。
「連中、どこに潜んでいるんだろうな」
連装砲を持った手を後ろ手に組んだ深雪の呟きに、誰も答えない。
皆が思っている疑問だし、深雪も答えが返ってくることは期待していない。
島が多いと言っても、無数にあるという訳ではない。
確かに、ここ最近の火山活動で新たに出来たとみられる無人島の存在はいくつか確認されているが、隠れ続けるには限界がある。
哨戒線の内側でもうじき一か月近くにもなる長期間、無補給で動ける程深海棲艦もオーバーテクノロジーの存在ではない。
恐らく高速補給艦が随行しているだろう。
ただ高速とはいっても、最大速力には限界があるのは、人類の補給艦と同じだ。
航空偵察で広範囲を探せられれば、あるいは。
ここは愛鷹が指揮していた時よりも、もっと大手で彩雲の手に頼った航空偵察がいいと青葉は判断して、今回の作戦を立案したのだ。
もっとも愛鷹が指揮していた時は天候がすぐに崩れることが多かったから、航空偵察が満足に出来なかったと追う理由もある。
たまたま、今日は天気がいいだけかもしれない。
そろそろ、向こうも隠れ続けるのには限界の筈だ。
あと少しで見つけられるはず、そう青葉は信じていた。
「良く見えますねえ」
雲はそこそこあるが青空は比較的あり、見通しのいい空を青葉は見上げる。
その後ろを航行する衣笠も空を見上げて、残念そうな表情を浮かべた。
「この青空がずっと続いていたらいいのに……」
「そうねえ、明日は派手に荒れるのか」
ハンカチで手汗を拭きながら夕張も青空を見上げた。
「大荒れの天気は……小さい時、台風で避難したことはありすけど、ここではどれだけのモノなんでしょうね」
「日本のとは、また一味違う奴だな。
心配すんな、艦娘は雨の子、って言うぜ?」
「言う訳ないでしょ」
この地では未経験だらけの蒼月の疑問に深雪が答えると、瑞鳳が腕組をして返す。
「でも、日本とはまた違うのは確かね」
「瑞鳳さんはここで戦ったことは?」
「あるわよ。
祥鳳と何度もここでは戦っているからね。
MO作戦の時に私は被弾して出られなかったから、祥鳳が出たんだけど、大破して帰る羽目になったっけ……」
「あの頃からだよな、連中の攻撃力がやけに強くなり始めたのは」
渋い表情を浮かべる深雪に瑞鳳は「そうね」と頷く。
「祥鳳の背中、ひどい火傷だったわ。
あと四分搬送が遅かったら助からなかったわ」
「あの時、護衛していたのが青葉たち六戦隊でしたね……」
聞こえていたらしい青葉の重い声に、一同に暗い空気が立ち込めた。
祥鳳が大破炎上する羽目になった原因は複数あるが、あの時祥鳳を護衛していたのは六戦隊(と駆逐艦漣)だった。
直掩機をはるかに上回る敵機の絶え間ない爆撃、被弾した敵機の体当たりは、辛うじて飛行甲板を盾にしたおかげで致命傷に至らずに済むも、祥鳳に深手を負わせることになった。
沈黙する一同に深雪が溜息を吐いた。
「おいおい、辛気臭いことになってるぞ。
今更悔いても始まんないだろ、もう過ぎちまったんだからな。
祥鳳は幸い死ななかったし、あの時の戦いがその後の対策にもつながっている訳だろ?
失敗をいつまでぐじぐじ引き摺っても始まんねえよ。
あの時ドジったことをこれからどうすりゃ繰り返さないか、って考えていく、違うか?」
「そうね」
表情を和らげた夕張が頷くと全員の顔にも明るさが少し戻った。
「それより、索敵だろ。
しくじったら、寝床の愛鷹に顔向けできないぞ」
「それを言うなら病床」
「細かい事は良いんだよ」
ツッコミを入れる瑞鳳に苦笑交じりに深雪が返すと、全員の顔の表情が元通りになっていた。
この底抜けに前向きな姿勢が、電さんのトラウマや、愛鷹さんの性格を和らげられたんですね……先頭を進みながら後ろで喝を入てくれる深雪に、青葉は頼もしいモノを感じた。
誤射を受けて生死を彷徨い、原隊を除籍されてからは、色々な部署をたらいまわしにされる便利屋扱いを寧ろ楽しむその底抜けに前向きで明るい性格。
艦娘になる前の経歴については青葉も知らないが、もしかしたら愛鷹と同じ仕打ちを受けても、深雪なら立て直せるのではないか? そんな気がしてきた。
実際、昨日愛鷹から自身の過去を明かされた時、深雪の様な性格に強いあこがれを感じていると語っていた。
あの過去を、深雪が聞いたらどう感じるだろうか……。
「出撃、私がですか?」
きょとんとした目で、仁淀は姉の大淀を見返した。
「日本近海で深海棲艦の潜水艦隊が多数出現していて、対潜任務に当たる水雷戦隊が今必要なの。
私は、ここでの任務があるから。
貴方は第三水雷戦隊の第一九駆逐隊の子と組んで、太平洋側の対潜警戒任務に当たって貰う事になるわ」
大淀は事情と任務内容を掻い摘んで説明した。
多少仁淀は不安になった。あまり出撃した経験が多くないし、姉の大淀より後から配属されただけに艦娘としての経歴も浅い。
しかし人手が足りないとなったら、自分もやらない訳には行かない。
「分かりました、お姉ちゃん。私、頑張ります」
「気負い過ぎないでね。貴方は……私の大切な妹なんだから」
「第一九の皆さんがいますから。大丈夫ですよ、私だって艦娘ですから」
にこやかに答える妹に不安が無いわけでもない。
しかし、素人ではないし第一九駆逐隊の面々はベテラン揃いだ。
何かあったら、仁淀の言う通り彼女たちにサポートしてもらうのもアリだろう。
大淀型はどちらかと言うと、素での対潜能力が低い。
その代わり対潜哨戒・攻撃を行える瑞雲やオ号観測機を最大一二機搭載可能なので、艦載航空機による中距離対潜戦闘が出来る。
仁淀が航空機による対潜哨戒と中距離対潜攻撃を、第一九駆逐隊の磯波、浦波、敷波、綾波で近距離対潜攻撃という形での戦いになる。
軽空母、護衛空母と護衛の駆逐艦による対潜戦闘にも似ているが、仁淀は軽巡なだけに軽空母、護衛空母より機動性が高く、素での対潜攻撃も可能だ。
後は仁淀の練度次第だ。
部屋のドアをノックされた武本が「入れ」と返すと、長門がタブレット端末を手に入って来た。
「提督、先の海戦で重傷を負った金剛の事でお話が」
「……続けてくれ」
一瞬、表情に陰りを見せながらも武本は長門に先を続けさせた。
「は、意識はまだ戻りませんが傷の治療はほぼ終わったとの事です。
酷い怪我でした……内臓の半分は損傷、左足大腿骨は粉砕骨折、右手首も折れ、肋骨も六本折れて一本が肺に刺さっていたそうです。
頭部の裂傷は、幸いにも頭蓋骨が防いでくれたおかげで脳に影響はないとの事でしたが、頸部の傷はあと一ミリずれていたら……命はありませんでした。
心臓にも破片が到達しており、術後経過は、素人の綱渡りを見る様なものだったと医師が報告しています。
後は右目に血が入ったことで失明の危険性もありましたが、心臓の手術よりはまだマシだったそうです」
持っていたタブレット端末を渡された武本は、金剛の負傷部位の報告、術後経過の報告を見ていった。
ス級の砲撃の着弾位置に一番近かった金剛が戦艦だったのが、彼女を救った大きな要因だったのかもしれない。
緊急展開された防護機能は、機能の全損と引き換えに金剛の傷を可能な限りここまで抑えたのだ。
これが駆逐艦だったら、と思うと背筋が冷えた。
四肢欠損で済めばまだマシで、下手すれば即死レベルである。
「一命はとりとめたか……。
だが体は治せても、一番の問題は心に負った傷の問題だな……」
「金剛の事ですから、心配はないと思いたいですが……」
そう言いつつも長門は不安な思いを隠しきれていはいない。
強いリーダーシップと明るい性格が持ち味の金剛と言えど、所詮は人間だ。
恐怖、潜在的に脳に植え付けられていくであろう敵への恐怖をどう克服しながら、艦隊に復帰できるかだ。
復帰後にPTSDやトラウマのフラッシュバックで動きが鈍り、そこを突かれたら命の危機に陥りかねない。
「それと、気になる報告が……」
「気になる報告?」
何だ、と武本は眉間に皺を寄せた。
「実は比叡の事です。
先の海戦で比叡は重傷を負わずには済んだので、『見過ごされた』という声もありますが。
……あの海戦以降から彼女の持病が再発しています。
江良さんの話では……レベル4です……」
「なんだと……」
フェーザント隊の索敵機四機が収容され、第二陣が発艦した時、瑞鳳のヘッドセットにターミガン7から「所属不明艦船の航跡を確認」の一報が入った。
「どこ?」
鋭い声で瑞鳳が尋ねる。
(現在地、南緯11°48′32″,東経139°56′68″.
艦種識別中ですが、雲量が増えつつありここからでは目視観測が難しいです。
高度を落として確認します)
「了解。注意してね、アウト」
交信を終えた瑞鳳がヘッドセットから手を離すと、夕張が首を傾げた。
「そこは味方の勢力圏内じゃない。
地元の人の漁船とかじゃないの?」
「しかし、深海棲艦の機動部隊出現で民間人の船舶出港は自粛、禁止が発令されているはずですよ」
そう蒼月が返すと深雪が頭を振った。
「いや、漁師の中にはそれを承知で、船を出す奴もいるかもしれないな。
収穫が途絶えたら、生計が成り立たなくて生活できねえ。
生きて行く為には、多少危ない橋を渡る事をしないといけないこともあるのさ」
「死んだら元も子もないのに……」
「残念だけど、それが現実なのさ」
その後、夕張の予想通り彩雲が発見した艦船は、地元住民の小型漁船だと分かった。
バンクを振って見たら、手を振られたと言う。
呑気なのか、いつも通りの生活を過ごす余裕からなのか。
出撃から大分時間がたったが、未だ敵発見の報は入らない。
「暑い……」
手袋をはめた手の甲で額を拭う衣笠の言葉通り、気温は三五度を超えている。
すこし、休息を取らないと暑さと疲労で集中力が途切れると判断した青葉は、仲間に振り返った。
「ちょっと、休憩しましょうか」
「賛成」と全員が頷いた。
強速に速度を落とした一同は、レーションと経口補水液を摂った。
「艤装の熱で、目玉焼きって焼けねえかな」
クラッカーを食べながら、深雪が指で艤装の煙突部分を触った。
「あっちいぃっ!」と悲鳴を上げる深雪に、経口補水液のボトルの中身を飲んでいた瑞鳳が答えた。
「前に試したけど、全然焼けなかったわよ」
それに青葉が興味を示した。
「試したんですか? 誰が協力を?」
「初雪ちゃん。試しに焼いたら食べてみようって言ってやったんだけど、結局失敗しちゃったから卵焼き作ってお詫びしたわ」
「ありゃりゃ」
「でも焼けたら、いろいろ便利かもしれないわね」
真顔になった夕張が、腕組をして考え始めた。
「でも艤装がそれでぶっ壊れても洒落にならねえぞ」
「そう言う問題も解決した物を作るのよ。
……帰ったら線引きかメモくらいしておこうかな」
怪しい笑みを浮かべだす夕張に、「おいおい……」と引き気味に深雪が笑みを浮かべた。
何だか愛鷹さんがいない時は、皆さん弛緩しているのか、リラックスしているのか……と蒼月は愛鷹がいない時といる時の仲間の姿を見比べて、この差は何だろうと考えていた。
よくは分からないが、青葉が旗艦を務めると彼女の性格が伝播でもするのだろうか。
そして愛鷹が旗艦を務めると、緊張感が全員に共有されるのか。
分からないが、この差が少し気になる所があった。
ゼリーを飲み下し経口補水液を飲んでいると、空に何かが光るのが見えた。
何だろう、と目を凝らす。
「何かいます。方位一-五-八、高度……一〇〇〇メートル程」
「目がいいわね」
口に入れたクラッカーを食べながら衣笠が褒めるが、食べながらなので何を言っているのかよく分からない。
蒼月が双眼鏡出して倍率を上げて見ると、機影が見えた。
「あれは、敵機です! 深海棲艦の艦載型偵察機」
それに全員がぎょっとした目を蒼月に向け、次いで蒼月が見ている方角を見た。
「全艦、対空戦闘用意!」
青葉の号令に、一同は急いでレーションをしまい込んで輪形陣へと隊列を組み替える。
「青葉、撃つか、撃っちまうか、撃っちまおうよ」
「止めておいて下さい、下手に撃ったらこちらがいる事が分かります。
機動で分かります、向こうはまだこちらに気が付いていません……」
「あの偵察機、もしかして敵機動部隊の?」
主砲に対空弾を装填しながら衣笠が青葉に聞くと、「それしかないよ」と青葉は返した。
射撃を控え、様子を見る第三三戦隊メンバーが見守る中、偵察機は北へと飛んでいった。
「どっちだ……奴の母艦がいるのは……」
構えを解いた深雪の呟きに、蒼月が腕組をして返す。
「発着艦のしやすさでは天候の安定している北側ですが、こちらの勢力圏からの離脱を目論んでいるなら南側。
……私は南側だと思います。
発着艦には天候が荒れ始めているとは言え、多少練度があれば荒天下でも発着艦は可能と聞きますし」
「蒼月ちゃんの意見に賛成ね。
私も空母としてその考えに筋が通っている気がする」
蒼月が立てた推測に、空母として実際に経験がある瑞鳳が頷く。
それを聞いていた夕張も確かにと呟いた。
「専門家の意見は、裏付けと説得力があるわね」
「ですが、一応索敵機を北側にも振り向けて索敵しましょう。
ブラフの可能性も捨てきれませんから」
その青葉の指示通り、瑞鳳はさらに索敵機を上げて、航空偵察を行った。
接近する低気圧による強風と、気流の荒れと格闘していた彩雲の一機が、敵機動部隊発見の報を入れて来たのはそれから三時間後の事だった。
自室で本を読んでいた愛鷹の元に、磯口自身が敵機動部隊発見の報告を知らせに来た。
「敵機動部隊を発見ですか」
「ああ。パパラッチの読みが当たったよ。
ただ問題は、連中が低気圧の中にいる事だ。
航空偵察で発見されたことを知った連中は、低気圧のさらに奥に逃げ込んで行方が分からん。
厄介な話だ、LRSRGの奴らが通るコースにかなり近い」
苦々しい表情を浮かべる磯口に、愛鷹は敵機動部隊編成を訪ねた。
「敵の編成は」
「空母ヲ級二隻、軽空母ヌ級一隻、駆逐艦が六隻と重巡リ級三隻、軽巡ヘ級二隻、戦艦タ級二隻、高速補給艦型ワ級二隻の一八隻だ」
「支援艦が付いていましたか……」
「ああ。そうでなければこれだけの期間逃げ切ることなどできん。
今、上はどう連中を叩くか協議中だ」
「LRSRGとの補給会合については?」
「変更はない」
そう返す磯口の声には忌々しさを感じた。
融通が利かない司令部だと言いたげに。愛鷹もそう思っていた。
「予定通り、明日第三三戦隊は軽巡能代と第八駆逐隊、補給艦風早、知床と共に出撃しLRSRGとランデブーポイントで邂逅。
補給を行った後、同部隊をこの基地へ連れて来る……貴様が仕事をしてくれたおかげで取り越し苦労になったがな。
貴様らの頑張りのお陰で、私の苦労が水の泡みたいになったな、全く。
借りは覚えておけ」
「了解」
と言っても、何をもって返せと、と聞きたかったが言う必要は無いか、と思い口には出さなかった。
「補給中に敵機動部隊とかち合わせにならないと良いのですが……」
「まさか自分の部下が信用できんとでもいうのか?」
気になる、と愛鷹が呟くと磯口がじろりと見て来た。
「そう言う訳ではないです」
「パパラッチと言えど、今お前の代役をしているのは『ソロモンの狼』の二つ名持ちの青葉だ。
戦場でもうポカをするような奴ではない。
貴様なら知っているはずだ」
「ええ。勘の鋭さはかなりのものです。
問題は艤装の旧式化にあると思いますが……」
「上層部の予算ケチリは、まさか艦娘にも響いていると言うのではないだろうな?」
眉間に皺を寄せて睨んでくる磯口に、私が知る訳ないでしょ、と愛鷹は表情で答えた。
とは言え、他の艦娘より、国連海軍内部の事情については結構知っている方だと自負できる。
何に使えるかは分からないが、ハッキングの腕だってある。
過酷な過去の訓練課程の中で、趣味になった語学勉強のお陰で多国語にも明るくなれている。
他の艦娘より銃器や刃物の使用・訓練経験も積んでいる。
そして、それによって流された血を見た回数も……。
「あらかじめ言っておくが、万が一補給部隊が襲撃されても、お前は出さん」
「え?」
一瞬、磯口が何を言ったのか分からず、愛鷹は聞き返していた。
出撃させん、と言い放った磯口の目を見ても、ふざけている訳でも、冗談で言っていると言う目ではなかった。
「で、ですが……」
「病み上がりが、いきなり出撃してまた倒れないと言う保証はない。
特に貴様など信用に足らんからな。
話は聞いているぞ、吐血だとな? そんな持病持ちを何人も戦線に投入し続ける羽目になるとは、我々も落ちぶれたものだ」
「何人も……」
「なんだ、貴様はあれを聞いていないのか?」
呆れたような顔をして磯口は愛鷹を見た。
艦娘と言えど、常に健康な体で任務についている訳ではない。
実は艦娘には、艦娘特有の病気を抱えた者が多数存在する。
それ以外にも若年性の癌を発症して戦線を離れ、闘病生活している者や、感染ルート源不明の難病に罹った者もいる。
厳しい訓練を受けた軍人であり、艦娘となる特有の素質を持つ人外の様な存在に見えても、やはり人間であるがゆえに避けられないものを持つのが艦娘なのだ。
自分もその中の一人であることは、自分のことであるから当然知っている。
それも、かなりイレギュラーな存在であることを……。
しかし、磯口の言うアレに思い当たる節が無い。
「はあ……初耳となりますが」
その答えに、深い溜息を吐いた磯口はトーンを落とした、珍しく感情の、悲しみが滲む声で言った。
「比叡が、『アレ』を再発した」
「『アレ』……」
比叡。
金剛型戦艦艦娘の三女で、先の沖ノ鳥島海良い艦隊戦で共闘した仲だ。
親密に言葉は交わしていないから、はっきりとした面識を持っているわけでもない。
ただ長女の金剛を強く慕う、その姿ははっきりと覚えている。
そう、自分にとって「狂おしい程羨ましい」姿……。
その比叡が再発したと言う病気……。
冗談でも「重度のシスコン」などとは言ってはいけない。
そう、彼女が発症しているのは……。
「……レベルは?」
「4だ。正直、そこまで行っているとは武本司令官も思っていなかったらしい。
手術は可能だ。だが……」
ずけずけと言う性格の磯口も流石に言葉がなかなか出にくい。
その姿を見ていると、やはりこの人には強い人情の深さを感じる、と愛鷹は思った。
しかし、『アレ』がレベル4と言う事は……。
「いつからですか?」
そう問いかける愛鷹に磯口は意外そうな表情を浮かべる。
「妙に食いつくな。まあいいが。
先の海戦からだ、貴様が巨大艦とタイマンしたあの海戦だ」
「沖ノ鳥島海域……」
偶然か? それともス級の……?
流石に後者は考えすぎかもしれないが、それよりも再発した時期がつい最近だったとは。
そしてレベル4。
「他に誰がこれを?」
「今は武本司令官、長門、陸奥、私、それと貴様だ」
「……混乱防止ですね」
「そうなる……。
怖いだろうな、艦娘と言う貴様らには『アレ』……『急性ロシニョール病』がな」
「急性ロシニョール病」
単にロシニョール病とも呼ばれるこの病気は、艦娘にのみ確認されている難病だ。
現在に至るも原因の解明は出来ておらず、ワクチンも存在しない。
空気感染など、他の艦娘への直接感染も確認されていないが、完治する手段は現時点で存在しない。
精々、どうにか開発された抑制剤で「再発しない状態を維持」するか、手術で発症箇所をピンポイントで潰すしかない。
しかし抑制剤はあくまでも発症を防ぐ程度で、手術も発症箇所が非常に広範囲な上に、手が届かない場所に簡単に転移しやすく場合によっては手の施しようがない。
つまり、治療する術が無くなった時点で、もう艦娘は長生きできない。
余命は平均で一年未満。
レベル1から3なら、まだ望みはある。
4だと、最悪の事態を防げるかどうかが厳しくなり、5ではもう手の施しようがない。
発症原因は深海棲艦に起因するものとされる説もあるが、特定に至っていない。
「ロシニョール……フランスの医学者アメリ・ロシニョール博士の名前を冠した病気。
ロシニョールの名は、フランス語でサヨナキドリを意味し、その英語名はナイチンゲール。
なんだか皮肉ですね……評価は分かれど、医学に貢献したナイチンゲールのフランス語名が、難病の名前となっているなんて……」
「そんな事は、学のないボンクラ凡人の私には分からん。
精々知っているのはアメリ・ロシニョールもかつては艦娘だったってことくらいだ」
その言葉に愛鷹は軽い驚きを覚えた。
アメリ・ロシニョールが元艦娘と言う事を知っているのは、海軍内でも、実はかなり限られた者しか知らない。
かつてはフランス艦隊初の艦娘、リベルテ級戦艦艦娘リベルテとして着任し、創世記のフランス艦隊を支えた。
因みにリベルテと親交がある艦娘が、舞鶴基地司令の三笠でもある。
事故で艦娘としての生涯を失ってからは、旧姓旧名に復帰し後進育成と医学発展に貢献し、自らもロシニョール病に罹り四年前に三五歳の若さで死去している。
戦艦リベルテ、もといアメリ・ロシニョールは艦娘の中で唯一、海軍在任中本来の名前に戻った艦娘である。
ロシニョール博士……いい人だったな……私に味方し、優しく接し、育ててくれた数少ない人……。
忌まわしき過去の頃、自分によっては灯台のような存在だった。
自暴自棄になりかけていた自分に、生きる事のすばらしさを説いてくれたのも彼女だ。
彼女がいなかったら、今ここに自分はいないかもしれない。
母性の様なものを感じさせない所は、自分への何かしら思うところがあったからなのかもしれない。
ロシニョールは自らの名前の付いた病気の解明のために、その身を捧げた。
自らの命と引き換えに。
その結果が抑制剤の開発、手術方法の発案だった。
しかし、彼女の犠牲を持っても、まだこの病気に苦しむ艦娘は存在する。
そして、それに罹っているのが、顔を合わせたことがある関係の比叡だったとは。
「比叡がこの先どう生きるか、それは私ら大人が決める事ではない。
あいつの自由だ。生きるも死ぬも、決めるのは自分だ」
そう言う磯口に愛鷹は小さな声で返した。
「生きて欲しい……比叡さんには、足掻き続けて欲しい。
蝋燭の火が、蝋の一滴を使い尽くすまで燃え続けるように……。
この世に生を授かった無情の喜びを、最後の最後まで、この世に享受した生を、比叡さんには最後の一秒まで満喫して欲しい。
彼女が心のよりどころのように慕う金剛さんの傍で、愛を受け続けて欲しい……」
そう語る愛鷹に磯口は、こいつは何者だ? と思いながら返した。
「比叡がいつ死ぬかは、比叡が決める。
つまり、そう言う事だ」
夕暮れが近づいて来た時、久々にタバコが吸いたくなった武本は引き出しに入れていた市販品のタバコの箱を出した。
秘書艦室で仕事中の陸奥に一服してくると伝えると、胸ポケットにタバコの箱を入れて部屋を出た。
階段を上がる途中、報告書の束を抱えた釣り目の駆逐艦娘と出会った。
曙だ。ツンデレ性格の中でも提督であろうと「クソ」呼ばわりする口の悪さで有名だ。
ばったり出くわした武本に、軽く驚いた眼をしながらもいつもの口調で聞いて来る。
「どこ行くのよ」
「屋上だよ。ちょっと一服して来るだけさ」
「タバコね。ヤニ臭いのバラまかないでよね」
「そこまでヘビースモーカーじゃないよ」
「本当でしょうねえ?」
「口に気を付けないと、あいつを呼ぶぞ?」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべた武本に、曙はぎょっと顔を引きつらせ、次いで顔を赤らめた。
「こ、このクソ提督! あいつ呼んだら許さないわよ!」
そう残して曙は報告書の束を抱えて駆けだした。
込み上げてくる笑いを堪えながら、武本は司令部の屋上へ上がった。
「まあ、あいつの心の白さには私もかなわんな……何が凡人だよ」
屋上に上がって、ベンチの一つに腰掛けると、夕暮れのオレンジ色に染まる海が見えた。
良い風景だ。
そう言えば、愛鷹くんも煙草、いや彼女は葉巻か、を吸うのならここで吸っても構わんのに……。
胸ポケットに入れていた箱を出し、紙巻きタバコを一本抜く。
口に咥えたまま、火を付けずに暫く無心で海を眺めた。
「俺が艦を降りて……もう一五年か」
能登半島沖で多くの仲間と、「あきつかぜ」を失い、PTSDの再発を恐れた海軍上層部が地上勤務に回してから、もう長い事艦に乗っていない。
艦娘の支援艦に乗り込んで指揮をした事はあるが、それを海に出て艦に乗ったと言う気持ちで数えた気はない。
何をすれば、この胸に開いている様な空虚な気持ちをふさぐことが出来るだろうか。
比叡の難病再発が発覚し、まだこの事を霧島と榛名に伝えられていない。
二人ともラバウルにいるからすぐには伝えられないのもあるが。
溜息を吐いた武本は、ジッポを探す。
しかしポケットに入っていたジッポはガス切れだ。
舌打ちして他のポケットを漁ると、マッチが出て来た。
マッチを出して火を付けようとするが、摩耗しているのか付かない。
「くそ……」
「タバコは、体に毒ですよ?」
急に背後から話しかけられ、武本は飛び上がった。
誰かと思って振り返ると、灰色のコートを着て制帽を被った、古風な趣を感じさせる女性士官が立っていた。
「あれ、君……」
「お久しぶりです、武本提督」
舞鶴基地司令官の敷島型戦艦艦娘三番艦、三笠だった。
「はぁっ、いや、三笠君?
いややや、聞いてないぞ、今日ここに来ると言う話は?」
「出張でちょっと移動中でして。
せっかくなので、ご挨拶でもと」
端正な容姿に笑みを浮かべて言う三笠だが……酒臭さがする。
また昼間から飲んだな、コイツ……また減俸してやるか?
やれやれと思いながらもベンチの隣を譲ると、「お言葉に甘えて」と返して座った。
三笠は座ると、武本がタバコに加えたまま火をつけていない事に気が付いた。
「点けないのですか?」
「マッチ棒しかない」
「点け方ならありますよ。一本下さい」
どうする気だ? と思いながらもマッチを一本三笠に渡す。
受け取った三笠は、おもむろに自分の靴底にマッチを当てると、そこでマッチの先端をこすって火をつけた。
「どうぞ」
「靴底で点けるとは、感心できんな」
「手っ取り早くて良いじゃないですか?」
「レディらしからぬやり方だ」
「私の家系と繋げたことを言っているのですか?」
じろりと見て来る三笠に、ああ言えばこう言う、と溜息を吐きたくなる。
「暁くんの前では、しないでくれよ」
「やりませんって」
苦笑を浮かべる三笠に、今度こそ溜息を吐きながらも、マッチの火で煙草に火をつけた。
ちりちりと先端が音を立てると、マッチを離し左手の指で火をつまんで消す。
吐く息と共に煙を拭いていると、薄いボトルに三笠が口を付けているのが目に入った。
「おいおい、昼酒は毒だぞ?」
ボトルの中身を呷った三笠は、舌で唇を舐めながら武本に細めた目を向けた。
「もう、お昼は過ぎました……今日は、彼女の命日なんですよ?
飲みたくなります……」
普段の性格からは分からない、寂しげな口調。
目元にも明るさが無い。
「彼女……リベルテか」
そう言えば、リベルテの命日は今日だったな……そう思いだした時、呟く様に三笠は言った。
「彼女の名前はリベルテではありません。
……アメリです」
「……そうだな」
三笠の酒好きは元々だが、四年前に親友が無くなって以降、執務中も飲むようになった。
普段は明るい性格だが、三笠なりに裏では悲しい過去を抱え込んでいた。
フランスにホームステイした際に知り合い、以後腐れ縁になったと聞いている。
葬儀には武本も出たから、墓前で涙する三笠の姿も見ている。
「酒で寂しさ、悲しさを紛らわす……か」
「ええ。彼女はここにはいる様で、いないので」
そう言いながら腰の剣に三笠は触れた。
親友からプレゼントされた剣だ。
肌身離さず持ち歩くところからも、仲が良かったことが垣間見える。
「彼女の形見はここにあるのに、何故かここにいるような気が半々なんです。
まるで距離を置かれたような」
形見……そうだな、三笠はアメリの死の真相をよく知らないんだったな。
戦艦リベルテ、もといアメリは病死したのが真相だが、実は表向きでは原因不明の急病を発症し、動きが鈍った隙を突かれた戦死として扱われている。
死を偽装する為に、彼女の遺体はわざと傷つけられた。
しかし、三笠はそのような最期をアメリが遂げる筈が無いと信じず、独自に調べていると聞く。
真実を知ると言う事は、必ずしもその結果で報われるとは限らない。
君が真実を知った時、どう受け止める?
敵機動部隊を発見した第三三戦隊メンバーは、食堂でささやかな祝杯を上げた。
祝杯と言っても、明日も出撃するから酒は無い。
祝ってくれた愛鷹の奢りだった。
これで全部終わったわけではないが、随分苦労したのだから、息抜きのつもりで、と言う事だ。
愛鷹がコーヒーを飲む中、深雪と衣笠、夕張、蒼月、瑞鳳は注文した料理を談笑しながら食べていた。
「サンドイッチばっかりで愛鷹さんは飽きませんねえ」
毎度のメニューしかない愛鷹のトレイを見た青葉が苦笑交じりに言う。
ふっ、と小さく笑った愛鷹は「大食いは、性に合わないので」と返した。
「ただ、ここを離れる時くらいは郷土料理位食べておきたいですね」
「人生は一度きりですからね」
「ええ……」
注文した料理を平らげた深雪は、手を合わせて「はー、食った食った。ごっつぁさん」と笑みを浮かべた。
「明日に響かない程度のお代わりをしていいですよ。
今夜は英気を養っておいて下さい。
明日は大荒れになります」
「私も出撃したかったな……」
残念そうな顔する瑞鳳に夕張が慰めるように肩を叩く。
「戦いだけが、私たちの全てじゃないわよ」
「どうでしょうね。
私には戦いこそが、艦娘が生きて行くうえでの可能性の一つなのかもしれない、と考えることがありますけど」
夕張の言葉にそう返す愛鷹の顔に、「サンドイッチばっか食ってて、よく、なんだ、すげえ言葉が出る頭になったな」と深雪が感嘆した。
それに茶化すように瑞鳳が言った。
「単に深雪が単細胞なだけなんじゃないの?」
「単細胞だって?
笑えねえぞ……」
そう渋い表情を浮かべて返す深雪に、自然の一同に顔に笑みがこぼれる。
その後しばらく食堂でくつろぐ一同の耳に、遠雷が聞こえて来た。
「来た……」
急に憂鬱そうな表情を浮かべた衣笠が、窓の外を見る。
低気圧が来たのだ。
「あの雷の音からすると、荒れますね。
かなり大きな風になりそうです」
神妙な眼差しで青葉が言った時、窓の外から雨の降る音が、はじめは日本で聞く音に、そして直ぐに豪雨の音へと変わる。
「この雨の中、明日行くって言うの?」
呻き声を上げる衣笠に「そうなりますね」と蒼月が相槌を打った。
日本で言えば土砂降りもいい所だ。
しかしこれが南洋の雨である。
「地球温暖化で、環境が昔より悪化してますから。
雨足も以前よりおかしくなってますよ」
「愛鷹さん、昔のここの雨を生で見た事あるんですか?」
静かに語る愛鷹に夕張が聞くと、愛鷹は苦笑を浮かべて頭を振った。
「文献と、『映像で追う、人類の歴史』を見て知った知識です」
「『映像で追う、人類の歴史』って、あのどこか虚しい気分になるテーマソングで有名な記録映像集ですよね?」
興味を示した蒼月が尋ねる。
「ええ。
私が、見ることが出来なかった過去の世界を知る時に、よく見ます。
映像集は全部持ってますよ。あれは私も信頼できる映像資料です」
「映像集コンプ!? あれ全部で五〇万円以上もしますよ!?」
思わず頓狂な声を夕張が上げる。
「お金持ちだな、愛鷹って」
深雪も目を丸くすると、愛鷹は微笑を浮かべた。
「お給料、あまり使わないので」
「旗艦手当とか、階級手当、傷病手当、作戦成功ボーナス……結構入ってそうね」
指を折って考える瑞鳳の額に冷や汗が滲み出る。
実際、愛鷹の預金は着任して以降ほとんど減らない。
五〇万円出費も余り表に出ないくらいだ。
ファッションには興味が無いし、化粧もあまりしない。
衣食住は保証された生活だし、葉巻も高級品が欲しいと思わないから、こちらも出費が低い。
映像集を購入する以外に大金をかけたと言えば、私物を入れる家具の資材と道具を購入した時程度だ。
因みに愛鷹の部屋の家具の大半は、愛鷹の自作である。
艦娘の間では形式的な階級も、給料という面では格差が出ている。
事実上艦娘の中では最高階級が大佐であるところから見ると、一つ下の中佐である愛鷹は意外と高給与を得る立場でもあった。
ふと、思い付きの提案を仲間に持ちかけた。
「……今度、皆さんにお小遣いでも出しますか?」
「え、良いの!?」
思わず地が出た声で瑞鳳が聞く。
口元を緩めた愛鷹が頷いた。
「私はあまりお金を使わない方なので。
年を越すことが出来たら、お年玉も考えましょう」
おお、と一同が歓声を上げる。
その姿に微笑ましいものを感じながらも、「無駄遣いは駄目ですよ」と釘を刺した。
荒天下の航行はLRSRGの面々にとって、訓練で慣れていることである。
しかし、休息をとる暇がなく、水とゼリー以外口に入れていないままほぼ一日中航行し、さらに豪風と来れば流石に疲労が滲みだす。
続航する部下を気遣いながら航行するイリノイも、疲労を感じていた。
「拙いな、みんな疲れてきている」
サモアが眉間に皺をよせ、深刻そうに呟く。
「二四時間の航行は訓練で慣らしてはいるが、ここまで酷い豪風はそうないからな」
「燃料がそろそろ心配です。
補給部隊との邂逅まで持つか」
「速度を落とそう。長距離通信でラバウルに連絡を入れろ」
「ラジャー」
ヘッドセットの通信ボタンを押してラバウルを呼び出す。
しかし、激しい雑音しか聞こえて来ない。
「ラバウルUNPACCOM、こちらTF12.2所属USSサモア。
こちらの通信は聞こえますか、オーバー」
「どうだ?」
「……駄目です、通信できません。この天気のせいかな?」
腕を組んで少し考えたイリノイは、自分自身で通信を試みる。
「……いや、それにしては流石にこのノイズはひどすぎる。
ただの天候不順にしてはおかしい」
「前例の無い悪天候の為では?」
そうカーペンターが言うが、イリノイはすぐには答えずレーダーも確認した。
「……もしかすると、これはコンパスジャミングかもしれん」
「深海棲艦の機動部隊ですか」
ウースターが神妙な顔になる。
「このタイミングでかち合うのは拙いですね。
こちらは燃料に余裕がありません。
航空機による空爆は無いと思いたいですが、対水上戦闘にしてもこの天気は最悪すぎます」
渋い表情を浮かべるジャイアットにイリノイは「ああ」と相槌を打った。
「一番、戦いたく無い環境下だな。
となると、不用意に通信を送ればこちらが窮地に追い込まれる可能性があるな……もう追い込まれていると考えるべきか。
全員、疲れていると思うが警戒は怠るな」
了解の返事が返って来た。
雷が響いた時、その轟音で寝床にいた瑞鳳は飛び起きてしまった。
「あー、びっくりした……」
雨戸の向こうから、激しい風雨が叩きつける音が響く。
雷で目を覚ますのは久しぶりだった。
寝ようと毛布を被った時、再び大きな雷が鳴り響き、肝が冷えた。
すると隣の愛鷹の部屋から愛鷹の悲鳴が聞こえた。
その悲鳴に雷が落ちた時よりも仰天したが、瑞鳳の背筋をさらに粟立たせたのは、壁越しに愛鷹がのた打ち回る音が聞こえる事だった。
咄嗟に髪を整えるのも忘れて寝床を飛び出し、部屋を出て愛鷹の部屋のドアに向かう。
他のメンバーは眠っているのか、起きてくる気配がない。
「愛鷹さん? 大丈夫ですか? 瑞鳳です、聞こえますか」
部屋からは瑞鳳の問いかけに応える愛鷹の言葉は無く、「や、やられる……やられる前に……」「殺さなきゃ!」「ダメ!」と訳の分からない喚き声が聞こえた。
誰かが踏み込んでいる⁉
思わずそう思った瑞鳳は、構わずドアを開けた。
部屋の電気をつけると、口元から吐血し、血走った目で何かと戦っている様な愛鷹が暴れていた。
錯乱しているのか、それとも霊と格闘しているのか。
とにかく愛鷹に駆け寄って、暴れる愛鷹を体格差に苦戦しながらも抑え込みながら「愛鷹さん! 瑞鳳です、落ち着いて、聞こえますか!?」と呼び掛けた。
「ずい……ほう……さん」
正気に返ったらしい愛鷹が瑞鳳を見た。
我に戻った愛鷹に瑞鳳はほっと溜息を吐いた。
「……す、すみませ……」
そう愛鷹が謝ろうとした時、激しく咽込んだかと思うと床に激しく吐血した。
その背中をさすりながら、愛鷹の枕元に置かれているケースに気が付くと、それをとって何錠か出して愛鷹の口に入れた。
「愛鷹さん、お薬」
呑み込んだ愛鷹が落ち着くまで背中をさすり続ける。
そしてそれまで見ることが出来なかったタブレットケースを、少し眺めてみた。
特に飾り気のない錠剤ケースだ。
ケースの底に薬剤名らしい横文字が刻印されているが、瑞鳳にはさっぱりわからない。
ただ「INHIBITORS」=「抑制剤」と言う意味だけは分かった。
抑制剤……まさか、愛鷹さんは重度のロシニョール症に?
激しい息遣いの愛鷹は瑞鳳がケースを見ていることに気が付いていないので、瑞鳳はもう一度刻印を見て頭に記憶すると愛鷹に手に握らせた。
それから瑞鳳は、落ち着き始めた愛鷹の介抱に掛かりっきりになった。
大事にはしたくないのは愛鷹の望むことだと分かっていたから、瑞鳳だけで愛鷹の吐血の後始末を手伝った。
お湯で湿らせたタオルで血に汚れた愛鷹の顔を拭き、着替えを手伝い、布団を整えなおした。
床の血をモップで吹き、畳の染みを染み抜きでぱっぱと綺麗にする。
自分で全てやろうとする愛鷹を押しとどめて、後片付けを終えたのは一時間後だった。
白湯を注いだコップを渡しながら瑞鳳は愛鷹に尋ねた。
「なにがあったんですか」
「……雷で、昔を思い出してしまって。
悪夢……みたいなものですかね」
酷く沈みこんだ表情で愛鷹は答えた。
悪夢……。
あそこまで酷い状態になるのは全く聞いたことが無い。
しかし、愛鷹の過去がかなり荒んだ、凄惨なモノである事は、知り合ってから垣間見ていたから不思議には思えなかった。
「とうとう、瑞鳳さんにも、私の素顔を見られてしまいましたね」
表情と同じ声で愛鷹は瑞鳳に言う。
『瑞鳳さんにも』……この言葉に引っ掛かるモノを感じた。
もしや、もう知っている人が存在する?
「すいません、実は……」
瑞鳳は、「しだか」で愛鷹と大和のあの光景を見てしまったことを明かした。
それを聞いた愛鷹は「そうですか」とだけ返した。
「まあ、もう青葉さんも知っていますけどね……」
「青葉も?」
「昨日……」
そう返す愛鷹の表情はいつになく沈んでいる。
「もう、寝ます」
「……愛鷹さん。
今夜は私も一緒に寝ますよ、また何かあったら私が手伝います」
その言葉に愛鷹はしばし沈黙し、逡巡した。
「すみません。
では今夜だけ、お願いします。
ごめんなさい」
謝る愛鷹に、瑞鳳は「謝らなくていいんですよ」と優しく言った。
翌朝。
止まぬ激しい雨の中、第三三戦隊メンバーは整備工廠に集まった。
既に第八駆逐隊の朝潮、荒潮、満潮、霞、阿賀野型軽巡二番艦能代が準備中だった。
第三三戦隊メンバーが整備工廠に入ると、朝潮と能代が青葉に寄って来た。
「青葉さん、今日は朝潮以下第八駆逐隊を、よろしくお願い致します」
「同じ部隊を組むのは久しぶりですね、青葉さん。
よろしくです」
「こちらこそよろしくお願いします」
今回の出撃では青葉が補給部隊旗艦となっていた。
三人があいさつを交わしている間、他のメンバーも準備を進める。
霞、満潮は険しい視線を蒼月と深雪に向けるが、蒼月が軽く会釈し、深雪が睨み返すと何も言わず自分たちの準備に戻った。
「あらあら、喧嘩はよくないわよぉ」
つかみどころのなさを感じさせるふわふわとした口調で荒潮が両者を宥める。
荒潮は蒼月とは仲は悪くなく、普通に付き合える関係だ。
もっとも、親しくしている関係という訳でもない。
程なく、補給艦風早、知床も二人も来て準備を開始する。
圧縮された艤装燃料を入れた燃料タンクを艤装に収容し、二人が準備を終えると、補給部隊の準備が終わった。
出撃する少し前に磯口がやって来た。
「いい話があるぞ。
もう一本骨を折って見たら上がAWACSをポートモレスビーから上げた。
低気圧下でも強力なレーダーで管制してくれるぞ。
コールサインはガード・ドックだ。
給料分仕事して、さっさと帰って来い。
健闘を祈る」
了解と青葉が答え、敬礼すると、一同は踵を揃えてそれに倣った。
〇八:〇〇。
特別混成支援隊と名付けられた補給部隊は、激しい嵐の中へと錨を上げた。
何事も無ければ昼食前にLRSRGのメンバーと共に、この基地へ全員で帰って来られるはずだ。
そう、何事も無ければ……。
「警戒! エネミーインバウンド、敵艦隊が出てきました」
コンパスのレーダー表示を見ていたウースターが警告を発した。
イリノイは自分のコンパスを手に取り、レーダー表示機能に切り替えた。
敵はタ級一隻、リ級一隻、ヘ級二隻、イ級二隻。
戦艦を含む六隻の有力な水上打撃部隊。だが空母はいない。
深海棲艦が空母だけで行動させる事は無い。
護衛を含めた別働隊、いや本隊がどこかに展開している可能性がある。
この水上打撃部隊は、その護衛で別行動をとっていたのだろう。
「敵の哨戒ラインを踏んだか! 各艦、Set General Quartersを発令。
ただしガンズ・ホールド、離脱を優先だ」
「了解!」
一同が応答した時、砲声が風の轟音に交じって轟いた。
敵艦隊に見つかっていたようだ。
砲声からして恐らくタ級。
この荒天下で初弾の直撃はまず無理だが、侮っていい相手でもない。
「来たな、出来れば交戦しなくて済めばよかったのですが」
そう言いつつサモアは自分の主砲に徹甲弾を装填した。
イリノイも主砲に徹甲弾を装填し、荒波の向こうに見える敵艦隊を見据えた。
「そう上手くはいかんよ」
(こちらAWACSガード・ドック。
特別混成支援隊、敵艦隊とLRSRGが会敵した。
放っておけばガス欠が近い彼女たちが壊滅しかねん。
特別混成支援隊は第三三戦隊所属部隊をLRSRG援護の為に分派し、補給部隊臨時指揮は能代が引き継げ。
絶対に彼女たちを生還させろ、一人たりとも死なせてはならん。
敵艦隊を撃退せよ)
「マジかよ! そいつは無理な注文だぞ!?」
ガード・ドックの指示を聞いた深雪が難色を示すが、ガード・ドックは取り合わなかった。
(敵艦隊を排除せよとも、殲滅せよとは言わん。追い払うんだ。
奴らの相手をしろ、重巡青葉。
貴様がやらなければ、貴様ら全員が海の藻屑だ)
「……青葉、了解」
そう静かに返す青葉の目は普段と違っていた。
普段のおとぼけた目ではない、鋭さを増した狼の様な目になっていた。
ガード・ドックの指示で荒れる海の中でLRSRG援護に出る青葉たち。
暴風の中で展開される戦闘の中、LRSRG、そして特別混成支援隊に危機が迫る!
その時、待機状態の愛鷹は……?
次回、荒れる海の中で艦娘達は思わぬ被害を受ける事に。
名前での登場だった艦娘三笠の初登場となっています。
今後、彼女が同本編に絡んで来るのか、お楽しみを。
変人提督磯口の違った顔、比叡くんの難病発症、さらに深まった愛鷹くんの謎。
後者二つがこの後どうなるか楽しみにお待ちください。
曙くんが苦手とする「あいつ」とは、残念ながら「あいつ」が提督であること以外は明かせませんし、物語に関与することはなく、伏線もありません。
「あいつ」が何者かは読者の皆さんのご想像にお任せします。
リベルテ級戦艦の解説を少しすると、フランスに実在した戦艦で敷島型戦艦とはほぼ同世代です。
一番艦リベルテはフランス語で「自由」を意味し、1911年弾薬庫爆発事故で失われています。