第六二話 向かうべき地
カレンダーを捲り、引きちぎる音が室内に響いた。
「一〇月か……」
カレンダーに書かれた「October 1th」の文字を見て愛鷹は小さな溜息を交えながら呟く。
北海及び北極海での制海権を奪還した国連海軍は、全艦娘戦力を地中海に回して反転攻勢に出ていた。
しかし、いまだに健在なス級を始めとする深海棲艦の機動艦隊が地中海の各所で抵抗を続けており、戦局は再び膠着状態に入っていた。
愛鷹を始めとする日本艦隊の艦娘はツーロン港に拠点を移して以降、随時現地艦隊のバックアップとして駆り出される日々が続いていた。
北極海の戦いで負傷した青葉と衣笠は昨日退院し、輸送機でツーロン港へと移送中だ。
日本艦隊の抱える問題は大和と高雄の長期戦線離脱にあるだろう。北極海で新型戦艦との砲撃戦で右腕を破壊された大和は当面の間入院を余儀なくされ、高雄も火傷の傷が深く治療にはしばしの時間を要すると診断されていた。
大和が戦線離脱を余儀なくされた結果、彼女が担っていた欧州派遣艦隊総旗艦の任は妹の武蔵が預かる事になった。
カレンダーの九月の分をゴミ箱に放り込むと、新たに宛がわれた自室のベッドにごろりと横になる。
天井をぼんやりと見上げながら、ふと日本艦隊統合基地に置いて来たハイタカのハッピーの事を思い浮かべる。
「ハッピー、元気かな……」
面倒は神鷹らに頼んでおいたとは言え、やはり気にはなる。元気に過ごしているだろうか、ちゃんと食事はとっているだろうか、と同居人の事がいささか気がかりになる。
真っ昼間にも拘らず、今の自分は暇だ。本来なら愛鷹の様な主力艦娘は猫の手も借りたい程忙しい筈なのだが、北極海での功績から一日だけ休暇を出されていた。
一日だけではツーロン基地周辺の観光も出来やしないし、欧州一体の情勢悪化で沿岸部の住民の避難が進んでいる今、街に繰り出しても閉まっている店ばかりで観光どころでもない。
「暇ね……」
口から出る言葉が全て呟きのレベルになるが、話し相手が居ないのでどうにもならない。夕張や深雪たちは自分と違ってツーロン基地周辺の対潜哨戒任務に駆り出されて居ないし、瑞鳳は第三三戦隊全艦分の艦載機の整備で忙しい。
再びため息を吐きながらベッドの上で寝返りを打つと毛布をかぶって目を閉じた。眠れる内に睡眠でもとっておこう。
寝落ちしてからどれくらい経ったか、ドアをノックする音で目が覚めた愛鷹は、目をこすりながら時計を見やる。
「どなた?」
「鳥海です」
誰何すると愛鷹の部屋にドア越しに鳥海の声が響く。
「愛鷹さん、青葉さん達が着きましたよ。同時に出頭命令が出ました、第二会議室にお越しください」
「了解です」
ベッドの上で伸びをして、部屋着を脱ぎ、制服を手早く身に着けて行き、制帽を被る。
ドアに向かおうとしてペタペタと言う足音で、靴はおろかソックスすら履き忘れた事に気が付く。
寝ぼけてる、とポンポンと頭を叩きながらニーソックスと靴を履き、改めてドアに向かう。
ドアを開けて自室を出るとメガネをかけた高雄型重巡艦娘の末っ子である鳥海が待っていた。
「お昼寝中でしたか、よく眠れまして?」
「二時間ほどは。で、出頭命令とは?」
「さあ、ただ、私を含めて高雄以外の四戦隊他複数の艦娘に第二会議室へ出頭命令が出ている様です」
「ふーん……」
制帽の鍔を掴んでぐっと目深に被り直しながら、鳥海と共に第二会議室へ向かう。
第二会議室はブリーフィングルームも兼ねた部屋だった。
愛鷹が鳥海と共に部屋に入ると、既に四戦隊の愛宕と摩耶、空母艦娘の伊吹、駆逐艦娘の陽炎、不知火、綾波、敷波、それと北米艦隊の艦娘の空母艦娘イントレピッドと駆逐艦娘フレッチャーとジョンストンがいた。
「何が始まるんですかね」
「さあ……四時までには全員集まれとしか私も聞いてません」
何気なく尋ねる愛鷹に鳥海も首をかしげる。
と、愛鷹と鳥海の背後でドアが開く音がして、どやどやと第三三戦隊の仲間達が入って来た。キール軍港の病院から空路で来たばかりの青葉と衣笠もいる。
自分の姿を見た青葉がニコリと笑顔を振り向けて挨拶を送って来る。
「ご無沙汰しています愛鷹さん」
「ご無沙汰、と言う程別れてもいないですけど、衣笠さん共々青葉さんも元気そうで何よりです」
「ガサ共々、怪我は軽く済みましたから」
けろりと返す青葉に愛鷹は軽く安堵の溜息を吐く。
入室して来た青葉と衣笠に、摩耶が座っていた椅子から首を回して振り返り、同様にキール軍港の軍病院に運ばれた長女高雄の事を尋ねる。
「高雄の具合はどうだ?」
「意識はあるんだけど、火傷の範囲が広くて暫く動かせないわ」
両腰に手を当てて衣笠が答える。暫く動かせない、と言う彼女の答えに摩耶は気落ちした様にため息を吐いた。
「姉貴、手紙も連絡も寄こさねえからどうしてるかと思ったら、そっか、思った以上に悪いのか」
「連絡を寄こせる様な状態じゃないだけで、意識はあるし、普通に会話もできるわよ。私達が発つ前までには何とか両腕が動かせるようになっていたし、明日には両足を動かせるようになってるわよ」
「けどよ、身体の三〇パーセントも焼けたんだろ……姉貴を疑う気は無いけど、マジで大丈夫か……」
本当なら傍で看病してやりたい気が山々なのだろう。心配でならない表情の摩耶の背中を愛宕がそっとさする。
一方、会議室に集まった艦娘の数を見て愛鷹は何がこれから始まるのだろう、と疑問に思っていた。会議室に集まった艦娘の数は総勢一八名。連合艦隊編成を組んでも尚お釣りが出る艦娘の頭数だ。これだけの数の艦娘を集めて何をすると言うのか。
四時を過ぎたら何か分かるかも知れない、と時計を見上げあがら手近な椅子に座る。
北米艦隊のイントレピッドとフレッチャー、ジョンストンの三人は日本語達者な事もあって、陽炎らと親しげに会話を交わしている。
艦娘は国連軍として活動すると言う名目上、自国語以外にある程度は英語を話せる位の英語力が求められているので、この場にいる日本艦隊の艦娘は総じてある程度は英語を話せるが、イントレピッドとフレッチャー、ジョンストンは積極的に日本語を使って日本艦隊の艦娘とコミュニケーションを楽しんでいた。
確か……と愛鷹は依然読んだこの三人の人事ファイルを思い出す。三人とも旧在日米軍の家庭で育った事もあり、母国語を話す時間と日本語を話す時間は同じくらいだと言う。イントレピッドは多少母国語の訛りが残るものの三人の日本語は日本人から聞いても支障ないレベルに確かだった。
日米合同艦隊となるのだろうか? と思う一方で一八人の艦隊で一体どこへ攻め込むのかと言う疑念が愛鷹の中で湧く。
戦艦が一隻もいないのがこの場に集まった艦娘の特徴でもある。水上打撃火力で戦艦程頼りになる存在は無い。
一方でその戦艦に匹敵する航空打撃艦である空母艦娘が二人もいる。伊吹はジェット機空母だし、イントレピッドはエセックス級空母艦娘ならではの大規模な航空戦力を有しているからこの二人の航空戦力だけでもかなり強力と言える。
戦艦が無いとはいえ、代わりに改二化された青葉型重巡二隻に素の艤装性能に優れる高雄型の愛宕とその高雄型の改二化艦娘の鳥海と摩耶の五人の重巡艦娘もいる。水上戦闘要員として頼りにして良いのは間違いない。
駆逐艦艦娘に関しても、改二化され艤装性能が向上した陽炎型の陽炎、不知火に、同じく改二化されている特型駆逐艦の綾波、敷波、深雪もいるし、北米艦隊のフレッチャーは制服を見た感じではMkⅡ形態で現在運用中のようだ。
軽巡が夕張のみと軽巡事情はいささか心許ないが、まあどうにかなるだろう。
非改二艦娘もいるにはいるにせよ、総じて練度も高い艦娘が揃っているから艦隊戦力のバランスは優れていると言える。
どういう作戦を企図しているのか、と思いながら四時になるのを待つ。
四時になってから更に五分程して第二会議室のドアが開き、武本と北米艦隊欧州派遣艦隊司令官のブラッドショー少将、それと欧州総軍の作戦参謀二名の計四人が入室して来た。
起立しかける艦娘達にそのままでいいと制しながら武本は会議室の演台に立ち、ブラッドショー少将と参謀二人はその隣に置かれているテーブルの席に座った。
「全員揃っているな、よし。今回諸君に集まって貰ったのは新設の機動艦隊結成に当たって諸君らを編入する為だ。
我が軍は北海、北極海の深海棲艦を完全駆逐して以来、動員可能な艦娘戦力をここ地中海へ投入して反転攻勢の時を伺って来た。
その時が来たと言う訳だ。我が軍は、これより『地中海の自由作戦』、オペレーション・メディトレニアン・フリーダムを発動する。
その第一段階として発動されるデュアルワイルダー作戦の西部進撃部隊の前衛部隊として諸君らを投入する事となった」
そこまで言って武本は作戦参謀に合図をすると、参謀は部屋の照明を消し、第二会議室の大画面液晶パネルに地中海を中心とした地図を表示させた。
イタリア半島はアンツィオを中心に赤く塗りつぶされた場所が広範囲にわたって広がっている。深海棲艦の地上軍によって制圧された場所だ。
この他にイタリア南部のシチリア島やマルタ島の他、地中海西部のサルディーニャ島、コルス島、マリョルカ島、メルカ島、アイビッサ島、フォルマンテーラ島も深海棲艦によって制圧され赤く塗りつぶされていた。
全体的に地中海全域が深海棲艦の手に墜ちた状態である。
そんな敵地と化した地中海をジブラルタル海峡とクレタ島を起点とする形で青い大きな駒が二つ表示される。
「オペレーション・メディトレニアン・フリーダムの第一段階のデュアルワイルダー作戦の作戦目標は深海棲艦の手に奪われたアンツィオの奪還にある。
ジブラルタル海峡とクレタ島の二正面から我々はアンツィオを目指しつつ、地中海の制海権を奪還。深海棲艦の撃滅を実行する。
我が日本艦隊は北米及び、欧州総軍英国艦隊、ドイツ艦隊と共に多国籍艦隊である西部進撃部隊を形成。ジブラルタル海峡よりアンツィオを目指す。
クレタ島からは欧州総軍のイタリア艦隊、フランス艦隊、ギリシャ艦隊等欧州総軍の各国艦隊が参加し、東部進撃部隊を結成し同様にアンツィオを目指す。
アンツィオを目指す傍ら我が西部進撃部隊は地中海西部の各島々の奪還作戦も並行して実行する。艦娘各員は地中海に存在する深海棲艦の全力排除、制海権の奪還を主目標として作戦に従事してもらう。
西部進撃部隊の前衛を務める諸君ら一八名の精鋭は本日をもって航空巡洋戦艦愛鷹を旗艦に、第三三特別混成機動艦隊として編成する」
(第三三特別混成機動艦隊、か)
新編艦隊の名前を聞き愛鷹は胸中でその名を独語する。主力艦隊の前衛を務める、と言う意味では第三三戦隊時代から大して任務の内容そのものは変わっていない。
ただ大幅に配備される艦娘が増員されたのが特徴だろう。連合艦隊編成一二名を組んで六名のお釣りが出る頭数だ。現場判断で随時編成を変えられると言う利点がある。
黙って武本の説明を聞く艦娘一同に対して、武本は作戦内容の伝達を続ける。
「第三三特別混成機動艦隊は、明日ジブラルタル海峡基地へ移動し、現地にて待機中の艦娘母艦『ズムウォルト』に乗艦。西部進撃部隊の前衛としてまず主力艦隊の前路掃蕩と地中海西部の敵情把握に当たって貰う。場合によっては君達を用いた威力偵察、囮任務部隊の役割も担ってもらう状況が発生するだろう。
地中海に展開する深海棲艦の布陣状況は 詳細は不明だが欧州全域で確認された深海棲艦の最大火力艦であるス級八隻の内既に三隻は撃沈されている為、残りは五隻と見られる。深海棲艦がス級を増派したと言う様子は今のところ確認されていないが、最大限の警戒は怠らない様に。
海上でのデュアルワイルダー作戦の成功をもって、イタリア半島北部から国連軍地上軍が前線を押し上げ、陸と海からの二正面よりアンツィオに雪崩れ込む。
アンツィオに展開する深海棲艦だが、これも現状詳細は不明なところが多い。少なくとも戦艦棲姫や空母棲姫の姿が確認されている。
また留意点が一つある、よく聞いてくれ。先日、アンツィオを無人機で偵察した際、新型の深海棲艦の存在が確認された」
新型の深海棲艦、と言う言葉にざわりと愛鷹の肌が粟立つ。まだ深海棲艦には新型艦がいると言うのか。未確認の深海棲艦となるとどれ程の戦闘力を持つのかと言うデータが一切ないから手探りの戦闘になるのは確実だ。
液晶パネルに無人機偵察を行った際に撮影されたと見られる新型艦の写真が表示される。
「まるで馬鹿デカいナ級だ……」
摩耶が呟く通り見た目は巨大なナ級の様な姿にも見えるが、細部の艤装が違う。
「見た目はナ級に似ていなくもないが、ナ級の如く恐ろしい雷撃戦火力と対空戦闘能力、侮れない砲撃戦火力を持つのかは現状分からない。
ただし、一つ特徴としてこの深海棲艦は人語を介すると言う事が判明している。偵察機はこの画像を撮影した直後に撃墜されたが、撃墜される直前にこの新型深海棲艦が喋ったと思われる声を収録する事に成功した」
「人語を話す深海棲艦……つまり、人類の知識を一部持つ深海棲艦と言う事ですか」
メガネの位置を正しながら鳥海が推測した新型深海棲艦の持つ能力を口にする。
「人類の知識を持つ、つー事はこっちの戦術を知っている可能性もあるって訳か?」
そう尋ねる摩耶に鳥海は肩をすくめながら首を振る。
「そこまで知っているかは私も分からないわよ……」
「この深海棲艦は現時点ではアンツィオから離れたと言う情報がない当たり、拠点防衛に着くタイプの深海棲艦であると見られる。
詳しい情報は君たちが直接会敵して収集して貰う事になる。危険な任務ではあるが、可能な限りの支援を約束する」
そう言い切る武本に愛鷹が挙手し、質問をぶつける。
「支援を約束すると言いましたが、具体的にはどういった支援を受けられるのですか?」
「後方に展開する西部進撃部隊には北米艦隊から抽出された空母『ドリス・ミラー』も含まれる。同艦から航空妖精が乗る陸攻部隊を発艦させ、随時君たちへの航空支援を可能とする。
また、マリョルカ島を奪還する事が出来れば、現地の飛行場からAC130ガンシップを進出させることも可能になる。航空優勢を確保する事が前提になるが、より強力な火力支援を行う事が可能になる筈だ」
誘導弾に頼らない武装を搭載するAC130は、艦娘を支援する作戦機の中でも航空妖精が乗り込む陸攻部隊よりもより強力な火力を集中的に投射可能なので、かなり航空支援を行う機体としては頼りになると言える。ただし自衛火器が全くないので航空優勢が確保されていない空を飛ぶ事は出来ない。
AC130による火力支援を受けるには、深海棲艦の空母部隊を排除する事が前提になるだろう。
「他にも後方の主力艦隊から敵艦の位置を座標指定する事で効力射支援を行わせることも可能だ」
「なる程」
前線で孤立する事態にならなければ、第三三特別混成機動艦隊は友軍の支援の下、存分に戦えると言う事だ。
勿論、何事も想定通りに運ばないのが戦場の常だ。必ず支援が受けられると言う保証はない。
とは言え、国連海軍としてもこれだけの規模の前衛艦隊をみすみす失う様な事態は起こしたくない筈だ。第三三戦隊として活動していた頃、と比べればバックアップはかなり手厚くなったと考えるべきだろう。
「作戦の要であるデュアルワイルダー作戦の概要はどうなっているのです?」
武本に挙手して作戦概要を尋ねる青葉に、武本は作戦参謀に合図を送ってパネルの表示を切り替えさせ、作戦の概要を表示させた。
「艦娘艦隊への航空支援を可能とする、と言う意味でまず我が西部進撃部隊が最初に攻略を目指すことになるのはマリョルカ島を始めとしたバレアレス諸島の奪還作戦になる。
西部進撃部隊が深海棲艦を撃滅、制海権を奪還の後、英国、フランス、ドイツ艦隊の揚陸艦に分乗した海兵隊がバレアレス諸島の各島に上陸作戦を実施し奪還に当たる。
バレアレス諸島を奪還の後、コルス、サルディーニャの二つの島の奪還作戦に当たる。この二つの島を奪還する為の橋頭保を築くと言う意味でも、バレアレス諸島奪還の意味合いは大きい。
一方の東部進撃部隊はイオニア海の制海権の奪還とシチリア島の奪還、メッシナ海峡突破が主な任務となる。シチリア島を奪還しそこに橋頭保を確立すれば、我が軍は今次作戦最終目標である地中海における深海棲艦の一大拠点であるマルタ島へチェックメイトを仕掛ける事が出来る。
日本艦隊が東部進撃部隊の作戦に関与する事は無いと思うがな」
「マルタ島奪還も今次作戦の目標、と?」
目を細めて聞き返す愛鷹に武本は無言で頷く。
「アンツィオを奪還して、更にマルタ島へ逆に攻め込んで地中海そのものを奪還する、って訳か」
地中海の東西から進撃する国連海軍の進撃コース表示を見つめて深雪が呟く。
パネルに表示される西部、東部進撃部隊の進撃コース表示は、何の障害も無くデュアルワイルダー作戦の最終目標、アンツィオを目指しているが、その道中にどれ程の深海棲艦が待ち受けているかは表示されていない。
本当に何も事前情報が無いのか、とフレッチャーが武本に質問する。
「五里霧中と同じレベルに地中海の敵情は不明なのですか? 何か一つでも分かっている敵艦隊の展開状況などは?」
「深海棲艦が地中海一帯に羅針盤障害を起因とした大規模な通信障害を引き起こしているせいで、本当に五里霧中状態だ。敵も無尽蔵の戦力がある訳では無いだろうが、どこに具体的にどの規模の艦隊が展開しているかは全く持って不明だ。
艦隊前進を前に敵艦隊の敵情把握に当たらせて来た第三三戦隊に、今回大幅な人員増強を行って第三三特別混成機動艦隊として再編成した理由もこのためだ。把握しなければならない敵の規模が大きい事予想される為、偵察を担う前衛部隊を大幅に強化すると言う手に出た訳だ」
「I see(なるほど)」
地中海は太平洋や大西洋と比べて規模は確かに小さい海だが、それでも広大な面積がある海である。
西部進撃部隊が担当する区域だけでも、第三三戦隊七隻だけで捜査しきれる範囲とは言い難い。単純な対応策として、人員増強で偵察戦力を強化したと言う訳だが、旗艦を務める愛鷹として艦隊運動を取った事のない艦娘を新たに複数編入するとなると、作戦前に艦隊運動演習を入念に行っておきたいところではあった。
何しろ地中海にどの程度の深海棲艦がどこにいるのか分からないのだ。霧の中を手さぐりに動く事になる以上は、暗黙の了解で互いの位置をカバーしあえる位の艦隊運動能力は得ておきたい。
幸い、日本艦隊艦娘の多くは過去の作戦で艦隊運動を共にしたことがある同士なのでさほど時間はいらないだろう。
北米艦隊の三人も、比較的日本艦隊との共同作戦経験が豊富な三人だから経験の面で不安があるのは愛鷹自身と蒼月、伊吹くらいだろう。
「艦隊旗艦として、全員での艦隊運動演習をある程度こなしておきたいのですが」
そう進言する愛鷹に武本は指を三本立てて応えた。
「作戦準備期間として第三三特別混成機動艦隊に三日の時間を与えられる。三日で何とか意思疎通から回頭指示の伝達まで実戦レベルにまで上げてくれ」
「三日、ですか。了解です」
艦隊運動演習に掛けられる期間は三日。その間に徹底的な艦隊運動演習と最低限の戦闘関連の演習もやっておきたい。
早速脳内でスケジュールを立て始める愛鷹をよそに作戦伝達はそれで終わり、解散となった。
愛鷹の隣の席に青葉が座り、メモ帳とペンを出す。
「スケジュール、どうしましょうか」
「一八人全員、素人では無いですし、基礎的なところは省けるだけ省いても問題ないでしょう。
艦隊運動だけでなく、全員で可能な限り演習弾を使った模擬戦もやっておきたいですね。参謀役、頼みますよ」
「お任せを」
演習スケジュールの立案にかかる愛鷹と青葉以外の第三三特別混成機動艦隊のメンバーは各自自室に戻り、支援艦「ズムウォルト」に移動するための準備を始めた。
準備とは言っても、手持ちの荷物は大して多くないし、普段から整理整頓しているから出発準備にかかる時間はそれ程必要でも無かった。
衣笠も一〇分程度で着替えを詰めたショルダーバッグを揃え終え、暇になった。そもそもついさっきツーロン基地に来たばかりだったから私物を広げる暇も無かった。
同室の青葉の荷物は青葉自身でやるから手を付けないとして、暇になってしまうのはやはりつまらないので宿舎を出てツーロン基地内を散歩する事にした。
臨戦態勢下にあるツーロン基地の各所に対空砲陣地が築かれ、トラックや軽装甲車輛がひっきりなしに走り回っていた。
増設された近隣のVTOL機基地ではMV-38コンドルやMi-240スーパーハインドと言った輸送機が離着陸して補給物資や人員の輸送作業に当たっているのが見えた。
ターボファンエンジンの音を響かせながら頭上を航過していくコンドル輸送機を見送りながら基地内を歩いていると、角の先からフランス語で会話する声が衣笠の耳に入った。
姉に感化されて大分はっちゃけるお転婆娘ではあるが、これでも生まれは良家の令嬢でもある。特に家の都合で海外系の企業と繋がりがあった事で両親からは海外の言語についていくらか仕込まれてきた衣笠だ。真面目に取り込もうとしなかったとは言え英語とフランス語程度なら分かるくらいの語学力は実は身に着けている。
マルチリンガルの青葉や愛鷹とは比べるまでも無いが、それでもまだいくらか多言語は話せる衣笠が聞こえてきた会話に聞き耳を立てた。
「明日、イタリアへ派遣か」
「嫌だよなあ、海外派遣なんてよ。イタリア人の問題はイタリア人で解決しろってんだ」
「だよな、なんでフランスがイタリアの助力なんかしなきゃいかんのだ」
男性兵士数人の会話なのは聞いてて分かる事だが、国連軍の兵士であるにも拘らず彼らの話す口は明らかにネガティブなモノだった。
今の国連軍は国連加盟国の固有の軍事力を全て国連に委ね、国連が全軍事力の指揮権を有している。
日本艦隊と名打っている衣笠を含めた艦娘達も日本政府からの指示は受け付けない。艦娘を含めた国連軍の兵士に指示を出せるのは国連軍司令部だ。
つまり各国の意向どうこうではなく、国連と言う世界統一政府機関の意思決定で各軍は世界各地へ派遣されるのが国連軍兵士としての常識である。その筈なのだが、会話するフランス方面軍所属らしき兵士たちの話す内容は海外派兵に極めて否定的だった。
「イタリアの問題は、イタリア人でけじめを付けろって事だよなあ。なんで俺たちフランス人まで血を流してまであの半島を守らなきゃいけないんだか」
「イタリアが失陥しようが別に知った事はねえしなあ」
「ちょっと」
流石に聞き捨てならない、とハイヒールの踵を威圧的に鳴らしながら衣笠は流暢なフランス語で会話の主達に踏み込んだ。
衣笠の姿を見た三人の海軍兵士は、彼女の肩についている大尉の肩章を見て表情を硬くした。三人とも三等兵曹だ、彼女よりもはるかの階級は下である。
「今の話、どういう事よ? 貴方達、国連軍の兵士でしょ? 国がどうこう関係ない組織に身を置くと入隊する時に誓ったんじゃないの?」
「……」
入隊時の宣誓は国連軍として活動する、と言う事だけに言語以外に宣誓内容は世界共通だ。衣笠が入隊時に誓った文言は三人の兵士たちもフランス語で誓った事である。
「イタリアに住まう人々だって、貴方達と同じヨーロッパに住まう人々よ? 隣人と見捨てる気?」
「……失礼ながら大尉は艦娘でありますか?」
一人が衣笠に尋ねる。そうだと胸の艦娘重巡徽章を見せながら衣笠は頷いた。
「自分らに限った話ではありません。ドイツの連中もブリテンの連中も、何なら先日北米から派遣されて来た北米地上軍の連中もみんな同じ事言ってました」
「え……」
どういう事、と眉間に皺を寄せる衣笠にフランス艦隊の海軍兵士は続けた。
「どこの国の連中も、そもそもの話イタリアの奴らも同じですよ。他国の為に国連の名の下に死ぬ気はない。上からやれと言われたから俺達は従っているだけ。軍に入ったのだって皆食って行く為、生活の為ですよ。国連軍の為なんて理想や大義を掲げて軍に入る奴なんてほとんどいません。
艦娘くらいですよ、利他的な思想で他国の為に命を喜んで投げ出しているの何て。自分らには理解出来ません、その精神が」
「……」
フランス方面軍に限った話では無い、どこの国の方面軍兵士も皆、他国の為に国連軍の名の下に死ぬ気はない、その言葉に衣笠は眩暈を感じた。
理解出来ない、と言い放つ兵士の言葉に衣笠は何も言わずにその場を離れた。
少なくとも艦娘の間では国連軍の名の下に深海棲艦を打倒し、海の自由を取り戻す、と言う大義名分が結束の理由でもあった。
この理想像が艦娘同士でグローバルな世界を作り出し、国境を越えた軍組織構造が作り出されていた。
だが、非艦娘の国連軍兵士からすれば所詮国連軍など食って行く為、生活の為の営みの場に過ぎない、と言う現場の兵士たちの本音を衣笠はこの時初めて知った。
彼らからすれば国連軍の大義名分などどうでもよい、他国の事だって知ったこっちゃない、利己的思想が非艦娘国連軍兵士の共通思想だと言う事実に衣笠はそれなら、先に散っていった艦娘達はなぜ死んだ、何のために死んだのだ、と言う疑念が沸き起こって来た。
信じていた筈の世界に裏切られる思い。全員がそうでは無いだろうとは言え、母数の数で言えば、人々の意思は結局のところ世界は未だにステンドグラスの絵のようにバラバラのままと言う事なのだろうか。
「なんで、何の為に戦ってるのかしらね……」
歩く足を止めてぽつりと呟く衣笠に答える声は無い。
翌日からジブラルタル基地へ移動した第三三特別混成機動艦隊全員による艦隊運動演習と戦闘演習が始まった。
愛鷹は愛鷹自身を分艦隊旗艦とし隷下に青葉、衣笠、愛宕、鳥海、摩耶を加えた主力隊、夕張を分艦隊旗艦とし、深雪、綾波、敷波、陽炎、不知火を隷下に入れた水雷戦隊、それと瑞鳳を分艦隊旗艦としイントレピッド、伊吹、フレッチャー、ジョンストン、蒼月が隷下に入る支援隊の三隊に艦隊を分割し、それを基礎編成として更にそこから随時メンバーを入れ替えた編成パターンをいくつも繰り出してそれに応じた艦隊運動演習を行った。
全員、それなりに経験と場数は踏んできているだけあって、愛鷹の繰り出す編成パターンに応じた艦隊運動は的確にこなしていき、大きな乱れも特になくスムーズに演習は進んだ。
戦闘演習においても、各自空母三人を除く全員の射撃の腕前は極めて確かであり、不安要素は見当たらなかった。
対空戦闘に関しては摩耶と蒼月、フレッチャーとジョンストンが居れば大体の事は解決出来るだろう。対潜戦闘に関しても、駆逐艦艦娘全員のスキル的に不安に感じる所は全くない。
念を入れて三日の期限を貰ってはいるが、一日チョンボしても別に問題は無いくらいのレベルで全員の航行、戦闘スキルは確かだった。
徹底的な艦隊演習を行って二日目を終えた日の夕方。演習に関する報告書を書き上げて武本に提出した愛鷹が伸びをして自室のベッドにごろりと横になっていると、衣笠が部屋を訪れた。
急にどうかしたのかと部屋に招き入れた愛鷹の前で衣笠は低い声で愛鷹に問うた。
「愛鷹さん、私達って何の為に戦っているんでしょうか?」
そう尋ねる衣笠の表情からして何かあったらしいことを察した愛鷹は、神妙な表情で何があったのか先を促した。
肝心な主語を抜かしていた事に謝りながら衣笠は先日フランス方面軍の兵士たちから聞いた事を話した。国連軍一般兵士たちの間で共通思想となっている利己的な思想、艦娘とは相反する自国至上主義な考え。
また難しい話題を振って来たな、と溜息交じりに腕を組みながら愛鷹は天井を仰いだ。
「……今の世界は、深海棲艦と言う共通敵を前に強引に国連の名の下に統合した世界、ですからね。
それまで国境と言うモノで守られていた各国の世界が、この国連の名も元に勧められたグローバル化で強引にその敷居を下げられた結果の弊害は発生しているのが現状です。
元々は国境を敷き言語も違えるレベルに違いを置いておきたかった関係の国を無理やり統合化した訳です、国連の強権的な行動や発言に不満を持つ人日がいるのは当然な事ですし、軍に入った理由が生活の為、と言うのも理解出来る話です。軍にいれば衣食住に困りませんし、削減される恐れも無い給与もしっかり出る。
過酷な軍隊生活に目を瞑れば、軍人と言う職業は収入源としては魅力的ですから」
「全部割り切るしかないって事ですか」
しょげた表情で聞く衣笠に、愛鷹は少し考え込む。
「兵士達の本音はそうだったのかも知れない。でも私達艦娘が深海棲艦を退けた結果守られた人命がある。
キース島の避難民を例にとってみれば分かりやすいでしょう。私達があの時避難船を護衛しなかったら、乗船していた民間人は深海棲艦に成す術もなく殺害されていたかもしれない。
少なくとも、私達艦娘の戦いには意味があります。やらなくてはならない使命がある。やり遂げなくてはならない意義がある。
無意味な戦争ではありませんよ。国連軍の一般兵士はそうでは無くても、私達は違う。私達は私達です。彼らは彼ら。気にし過ぎる事も無いですよ。ほっとけばいいんです。どの道世界中の人間が同じ考えを持つ事なんて無理なんですから」
「そっか、そうですよね」
少し元気を取り戻した様に衣笠はその顔に微笑を浮かべた。
その笑顔に見て愛鷹自身も少し安心感を覚える。
「青葉さんにはこの事は話さなかったんですか?」
「青葉より、なんて言うか愛鷹さんの方がこの手の話題に向いてる気がして」
「そうは言われても、私も全知全能たる神ではありませんからね」
分からぬ世界は分からぬと返しながら愛鷹はベッドから立ち上がってコーヒーポットとカップに手を伸ばし、コーヒーをカップにそそぐ。
コーヒーを旨そうに飲む愛鷹に衣笠は少し申し訳なさそうに「失礼しました」と頭を下げて椅子から立ち上がった。
「急にお邪魔してすいませんでした。何か衣笠さんにもお手伝い出来る事があったら呼んで下さい」
「ええ、その時は頼みますよ」
と言っても、書類仕事はひと段落ついているし、衣笠に手伝ってもらう事も無いのだが。
部屋を辞した衣笠を見送った後、コーヒーカップに口を付け、微糖のコーヒーを飲みながら愛鷹はふとキール軍港の軍病院にいる大和の事を思った。
今頃どうしているのだろうか。リハビリ中らしいのは青葉から聞いたが。
両利きの自分と違って右利きの大和だ。右腕を破壊されたせいで利き腕が使えない不便な状況を強いられている。リハビリ生活も上手くやれているかどうか。
もう一人の自分の事に思いを馳せていると、ふといつもは大和からその身を案じられていた側の自分が、逆の立場になっている事に気が付き、人知れず口元に苦笑が浮かんできた。
まあ、案外いいモノ食べて後方での一時の休みを満喫しているんじゃないだろうか、と考えながらカップのコーヒーを飲み干す。
自分もここでいい飯を食べるとしよう、と夕食の時間帯になった食堂へ愛鷹は足を向けた。
愛鷹から艦隊の習熟は問題無し、即日出撃可能と言う報告が上げられてきたが、作戦開始の時刻そのものは変えられないので、武本は第三三特別混成機動艦隊のメンバーに待機を命じる一方、愛鷹にだけ基地から数十キロ離れた町チピオナへ向かうよう内容を伏せた指示を出した。
単独行動は過去の愛鷹の経験から言って危険であると言う事で青葉と衣笠を連れて行け、と指示する武本の命令に従って愛鷹はこれも武本が用意してくれた乗用車に乗り、メモ帳にメモした場所が記された指定された町へと向かった。
チピオナへハンドルを握る愛鷹がナビに従って車を走らせる中、後部座席に座る青葉と衣笠は窓の外から見えるスペインの風景を堪能していた。
ハイウェイ381号線を乗用車で飛ばす。山中を抜け、街中を抜け、ロタ海軍基地があるロタを通りチピオナの町内へ入る。
ジブラルタル基地まで一日で往復するには充分な距離だが、明日からデュアルワイルダー作戦の西部進撃部隊の前衛を務める大作戦が待っているだけに、あまり長居は出来そうにない。
そもそも一体チピオナで何が待っているのだろうか、と言う疑念が愛鷹の中で渦巻いていた。ただ、用意された車は只の車ではない辺り、愛鷹の存在を疎む一波の襲撃に備えた準備がされているのは分かった。
実は出発前に青葉と衣笠が来る前に用意された乗用車を色々調べた結果、ボディ、窓ガラスは防弾、車内には古いながら強力な弾丸を詰めたAR15が二丁備えられているのが分かったのだ。明らかに軍の要人輸送用の防護車。
そんなものをわざわざ艦娘の外出の為に貸し与える程本来海軍は気前は良い訳では無い。
武本が裏から根回しして用意したのは想定出来るが、これを用意すると言う事は相応に襲われる可能性も視野に入れていると言う事だ。
しかし一体何に襲われるのか、と訝しみながらハンドルを切る愛鷹の目に答えが見えてきた。
如何にもアウトローな佇まいを漂わせる男たちが進入した街中に車とセットでたむろしている。
「うわ、おっかなそうなオッサンがいっぱい……」
「あれはマフィアだね。スペインにも結構いるんだ……」
衣笠にマフィアだと教える青葉の表情が硬くなる。
緊張感を一気に高める二人に、愛鷹は努めてリラックスした姿勢で二人に言う。
「マフィアなんて、どこの国でもいますよ。南米ならマフィアより麻薬カルテルが顔をきかせてますけどね。変に身構えるより、肩の力を抜いて楽にして、笑顔を向けた方がやり過ごせますよ」
そう忠告する愛鷹に青葉はこわばった表情を浮かべながら訪ねる。
「愛鷹さん、アウトロー社会の事も分かるんですか?」
「入れ知恵程度なら」
そう返しながらナビで目的地がもう目の前と言う通知に愛鷹はブレーキに足をかけた。
街を通り過ぎる際に、マフィアだけでなくPMCの会社のロゴが入ったバンの姿も愛鷹は見かけた。
(USET ARMS社のバン……なぜこんなところに?)
マフィアに雇われたか? と言う疑念が過るがUSET ARMS社の様な官営企業と主に契約するPMCがマフィアの様なアウトロー集団と契約をするとは思えない。
何だろうか、と首をかしげながら愛鷹はナビで目的地と定められたところの駐車場に車を停めた。
「ちょっと行ってきます。二人は車で待っててください」
「りょーかいです」
車内に残った青葉と衣笠に背を向けると、愛鷹はメモ帳の番地表示を頼りに歩き出した。
目的の場所はすぐ見つかった。噴水のある小さな公園。
石畳の道をコツコツと足音を鳴らしながら歩いて公園に入ると、見覚えのある男女がベンチに座っていた。
公園に入って来た愛鷹の姿を認めた男女二人が立ち上がると、小柄な女性がメガネをかけ直しながら愛鷹に軽く手を振った。
「大淀さん⁉ それに、有川中将!」
今は情報部の元に身元を引き取られている大淀とその情報部のリーダーである有川がいた。
驚く愛鷹に大淀がおずおずと少し気まずそうに近付きながら挨拶をした。
「ご無沙汰しております、愛鷹さん」
「大淀さんも、お久しぶりです。お元気そうで」
大淀の格好は見慣れた海軍の制服ではなく私服だったが、アンダーリムの特徴的なメガネとカチューシャで一目で大淀だと分かった。
「どうしてここに?」
「有川中将と仕事でこの地に来てまして、偶然愛鷹さん達もジブラルタル基地に来ていると聞き、中将にお願いしてここに愛鷹さんを読んで欲しいと。どうしても私の口から言いたいことがあったので」
「何です?」
背後に立つ有川は無言で愛鷹と大淀の方を見つめている。介入する気はないのは見て分かった。
実質二人っきりの状況で大淀は愛鷹の目を見据えると、深く頭を下げて謝罪した。
「あの時は本当にごめんなさい。ただ貴女にこの一言が言いたかったのです」
「あの時……ああ」
一か月ほど前、種子島で大淀に銃撃された時の事を思い出す。やられた本人でありながら欧州派遣後の任務など色々あり過ぎて忘れかけていた。
仁淀の身柄と引き換えにやらされた、と言う事実は愛鷹も聞いていた。当然だがやってよい事ではない。厳罰に処される事案だ。
しかし愛鷹自身は大淀の事を攻める気持ちは微塵も湧かなかった。あったのは同情と憐れみだった。
大切な妹の事のあまり周りを見る目を失ったばかりか、自分すらを失いかけた大淀だがそんな彼女を責め立てる気持ちにはなれない。
かつて大勢のクローンの命を殺めて来た自分自身とどこか被さる影を感じてしまうのだ。大淀がやった事は確かに利己的ではあったが、愛鷹自身も生き残りたいと言う利己的な考えから自分と同じ顔、同じ姿の少女達を大勢殺して来た。
それしか取る選択の手段が無かった、と言う追い詰められた境遇同士。
「もういいですよ、気に病まなくて」
頭を下げる大淀の両頬に手を当てて頭を起こしながら愛鷹は許した。
「……いいんですか」
「それしか選択の手は無かった。少なくとも貴女にはあの時、私を撃つ以外の手が無かった。鈴谷さんの一件は度し難いですが、それに関しては最上さんや三隈さん、熊野さん相手に言うべきでしょう。もっとも事態を隠蔽しておきたい軍部としては、大淀さんのせいだったと言う事は口外無用にしているでしょうからあの三人が知る事は無いでしょうけど」
「……」
「もう過ぎた事です。貴女は反省して償いをしている、違いますか?」
「……はい。愛鷹さんの命を狙う一派の後をあの日からずっと有川中将と共に追っています。進捗は今のところそれ程ではありませんが」
「そうですか」
ここ最近ずっと基地に姿を見せなかった理由がそれだったか、と心の中で納得する。
自分を暗殺しようとした一派から離反し追う側に回ったと言う事か。
「仁淀さんの消息は?」
「それもまだ分かりません。ですが候補地は絞り込めつつあります」
「具体的には?」
核心に触れて来る愛鷹に大淀は一瞬、言っていいのか迷う素振りを見せたが、隠すべきではないと即座に考え直し、小声で答えた。
「キス島の第666海軍基地が一番怪しいと見ています」
「あそこが……?」
キス島とは、アリューシャン列島キスカ島の沖合にある島だ。
そのキス島がある海域は深海棲艦の出現後は羅針盤障害が極めて強い海域でもあり、同時にそれ以前から近海に眠る鉄鉱脈が発する磁器の影響が極めて強く、航法機器が狂う事で有名な場で古来から波の高さも相まって航海の難所とされてきた。
その島にある第666海軍基地が一番臭いと言う。あながち間違ってはいないのではないか、と言う思いが湧いて来る。
何故なら愛鷹が誕生したのはそこ(キス島第666海軍基地)だったからだ。人造艦娘の実験を繰り返し、その結果クローン艦娘を製造した基地。
何らかの人体実験を行うのであればそこが適地と言える。
そこにもし仁淀が移されているのだとしたら、何が行われているか。彼女の肉体を利用してまた新たな手段で人造人間の開発を行う気だろうか。
「他にもあの子が移されているんじゃないかと踏んでいる場所はあるんですが、一番人目に付かなくて一番アクセスしづらい場所と言ったらあそこしかないので」
「確かに今の季節はキス島に上陸するのは困難ですからね……」
キス島一帯は深海棲艦の脅威が僅かながら存在する。同地を管轄するロシア太平洋艦隊の手でほぼほぼ同海域の制海権は奪還されているが、ポイント・アルファ・リマと呼称された島に居座る北方棲姫が悪天候を味方に国連海軍の討伐艦隊を悉く返り討ちにしてきている為未だ攻略出来ず脅威として残っていた。
ポイント・アルファ・リマへの深海棲艦の補給路も絶たれて久しい為、キス島まで北方棲姫が発進させられる陸上機の稼働率は低下している筈だが、島の防衛力低下を補う様に天候異常が頻発している為、完全な撃滅が困難であり結果アリューシャン列島一帯の制海権の完全確保はなっていない。
そんな立地の悪さを上手い事利用すれば隠し事にはもってこいの場所でもある。
そもそもキス島は民間航路の海図にも載っていない島だ。火山噴火で出来た新島であり、国連軍が発足する前にアメリカ海軍が発見した島である。キス島が発見されて以来、島の周囲の海域への民間船の接近の禁止が定められ、島には気象観測を目的とした軍事基地が建設された。
それが何時しか立地条件から海軍の秘密研究所へと変わり、紆余曲折の末愛鷹誕生の地へと至った。
「私が日本艦隊に着任する前まであの島にいましたが、基地機能は半分以上閉鎖されて基地そのものを閉鎖する動きすらありましたが……まさか」
「そのまさかを確かめる為に、今度の上陸可能時期に査察目的で上陸する予定です。そこで何か分かるかも知れない」
「成功を祈りますよ。貴女と仁淀さんのご無事もお祈りします」
「愛鷹さん、本当に……ありがとうございます」
許してくれた事、自分の事を思ってくれ、心配までしてくれたことに感謝の念を述べながら大淀は愛鷹の手を取ってぎゅっと握りしめた。
自分の手を取る大淀の手を握り返す愛鷹が口元に微笑を浮かべていると、二人の元に有川が静かによって来て大淀の肩を掴んだ。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
「はい」
硬く握っていた手を離しながら大淀はもう一度愛鷹の方を見ると、微笑む彼女に微笑みを返した。
大淀さんらしい綺麗な笑顔だ、と見つめ返す愛鷹に有川は周囲に目を向けながら言った。
「気を付けて帰れよ。この辺りマフィアが出張っている上に、我々を付け回している連中がいるのが判明している。
お前を殺そうとした輩が我々を追っている可能性が高い。護衛を当てたやりたいところだが、生憎こちらも人員の余裕がない。一応ここに来る時に使ったであろう381号線が通っているアルカラデロスガスレスにあるホテル・ラ・パルモサで『GEAR』と言うPMCが護衛についてくれる。
お前が乗ってきた車のビーコンはGEARの連中も把握しているからアルカラデロスガスレスに入ったら向こうから合流してくれるだろう。
「PMCが護衛とはVIPになった気分ですね」
「VIPと言うよりはお前は抹殺派からすればHVT扱いだけどな」
「確かに。しかし、ここからアルカラデロスガスレスは遠いですね。それまでに襲われないと良いんですけど」
「その予防策として小銃付き防弾乗用車をお前に貸させたのさ」
「なる程」
武本提督の根回しと言うよりは有川中将の進言によるところが大きいと言う訳か。
納得する愛鷹に大淀と有川は別れを告げて公園から去った。
愛鷹も用はないと公園の風景を少し眺めてから、乗ってきた車の元へ戻った。
車内では青葉と衣笠が持ち込んでいた携帯ゲーム機で対戦ゲームして待っていた。
足音を響かせながら車に戻って来た愛鷹に気が付かない程ゲームに熱中している二人に、窓ガラスを叩いて戻った事を無言で知らせながら運転席に入る。
「用件は済んだんですか?」
ゲームを中断して聞いて来る青葉に「ええ」と答えながらシートベルトを締め、エンジンをかける。
「結構すぐ終わりましたね。何していたんですか?」
「まあ、色々私事ですね」
「なんですかそれ、青葉にも教えてくださいよお」
ねだる様に迫って来る青葉を軽くあしらいながら二人がシートベルトを締めるのを確認すると、愛鷹はアクセルを踏み込んだ。
381号線に乗り入れ道なりに車を走らせていると、途中で二台のバンが三人の乗る乗用車の後を追う様について来た。
いつもの葉巻ではなく、市販の煙草を吹かしながらハンドルを握っているとバックミラー越しに追いかけて来る二台のバンが見えた。
(GEAR社のバンじゃないわね……あのバン、さっき見たUSET ARMSの車じゃ)
嫌な予感が急に胸の中に湧いて出る。ハンドルを握る手にじわりと手汗がにじみ出た。
そんな不安を覚える愛鷹の心中に構わず、青葉と衣笠は対戦ゲームに熱中している。
381号線は計ったかの様に愛鷹達が乗る乗用車と後ろの二台のバン以外、車の往来が無い。深海棲艦の出現以来、沿岸部一帯の民間人の疎開が行われているのもあって、民間車輛の往来がそもそも無かった。
(軍のお仲間、と言う訳でもなさそうね)
バンの車内は窓ガラス越しには見えない。だが、もう勘が危うい事を示していた。
無言でギアを入れ替え、アクセルをさらに踏み込み加速する。三人の乗る乗用車が加速すると二台のバンも加速して追いかけて来た。
「嫌な予感がしてきた」
そう呟いた時、バックミラー越しに二台のバンの天井からそれぞれ二人の男が身を乗り出し、何かを構えた。
バックミラー越しに四人の男たちが構える者を見て愛鷹は戦慄を覚えた。
(AK-37!?)
国連軍規格弾薬六・八ミリ弾を使用するロシア製の新型アサルトライフルだ。そのライフルの銃口が三人の乗る乗用車に向けられている。
「拙い狙われている」
「なんです?」
対戦ゲームの敗北BGMに萎えた声を上げていた青葉が聞き返した時、銃声が後方から響き、銃弾が三人の乗る乗用車を打ち据えた。
来年も愛鷹達の物語にお付き合いいただけたら幸いです。
次回は少し路線がずれますがちょっとした愛鷹達のガンアクション回になります。
よい年末を。良きクリスマスを。