西暦二〇四八年一一月八日。その日の地中海は曇天が広がり。所々で局所的な雨すら降ると言う天候不良気味だった。
そんな天候に見舞われた地中海に展開する「ズムウォルト級のブリーフィングルームでは、第三三特別混成機動艦隊のメンバー全員が集結し、レイノルズからブリーフィングを受けていた。
アンツィオ沖一帯のマップを表示した大画面ディスプレイを前に、指揮棒を手にレイノルズは行ったり来たりしながら作戦説明を行う。
「我が第三三特別混成機動艦隊は明日に開始されるアンツィオ逆侵攻作戦、『シングル作戦』実施に当たって、本艦隊より分派されてくるドイツ空母艦娘艦隊のフォン・リヒトホーフェン空母機動部隊と共に、深海棲艦地中海艦隊に対して、陽動作戦を実施する。
空と海にかけて大規模で、苛烈な戦闘が予想される。陽動部隊を担う君達には敵に対して君達が攻撃部隊本隊と錯覚させるだけの活躍を求める。
我が第三三特別混成機動艦隊はアンツィオの南側から侵攻を開始。深海棲艦地中海艦隊に対して積極的攻勢を仕掛ける。東部進撃隊の残存艦隊の戦艦リシュリュー、ジャン・バールを基幹とした戦艦戦隊、フォン・リヒトホーフェンを基幹とした第一航空戦隊、イントレピッドと伊吹を中核とした連合空母打撃群、そして第三三特別混成機動艦隊の母体となった第三三戦隊の四個艦隊を持って、深海棲艦地中海艦隊に対して航空攻撃と水上攻撃の両方を仕掛ける。
敵に君達が本命と思わせる為に、今回は目に入った深海棲艦は手当たり次第に全て撃破していく様に立ち回って貰いたい。
敵艦隊は駆逐艦の多くは大型駆逐艦ナ級とニ級改後期型flagship級など強力なモノが揃っていると考えられる。重巡、軽巡、そして戦艦と空母も棲姫級やそれに準じる高性能な難敵な個体で揃っていると考えておいた方がいい。総じて今回の深海棲艦地中海艦隊の攻略難易度は、過去にも例を余り見ないレベルに高いと見るべきだろう。心して掛かってくれ。
今回の君たちの主目標は陽動作戦だが、敵艦隊の精確な陣容把握、つまり威力偵察も兼務する事となる。可能な範囲で敵艦隊の展開海域、編成、その攻撃能力の把握に努めて貰いたい。
君達第三三特別混成機動艦隊の南部戦線での陽動作戦の成功を確認し次第、本艦隊がアンツィオの北部と西部から侵攻、第三三特別混成機動艦隊と共に深海棲艦を北と西と南から挟撃、これを撃滅する」
パシン! と言う音を立て、レイノルズの持つ指揮棒が深海棲艦地中海艦隊の大きなマーカーを叩く。余りの鋭い音に、椅子に座ってブリーフィングを聞く艦娘の何人かが驚いてびくりと身体を震わせた。
「艦長、ス級の存在は? アンツィオ沖に奴はいるのですか?」
挙手して性急に尋ねて来る蒼月に、レイノルズは指揮棒を手に答えた。
「奴がどこに展開しているかも含めての陽動兼威力偵察だ、君達が展開し、奴の射程圏内に入れば砲撃が飛んで来るだろう。瑞鳳のAEW天山、コールサイン・スカイキーパーを常時貼り付けるほか、マリョルカ島からは哨戒機とAWACSが飛び立ち、シングル作戦に参加する艦娘艦隊の支援に当たる事となっている。万が一、ス級からの砲撃が飛来した場合、哨戒機とAWACSが飛翔体を検知して即時艦娘間データリンクで共有してくれる手筈だ。
ス級に対抗出来る火力はまだカードに揃っていないが、その砲撃が来たときそれを早期に察知する守りのカードは既に揃っている、と言う訳だ」
「なるほどです」
納得して下がる蒼月が椅子に座り直す。
蒼月がス級の存在を気にするのは無理も無い。第三三戦隊のメンバーでス級にトラウマを植え付けられた者は居ないと言っていい。恐らくは最もス級に対して恐怖を抱いているであろう愛鷹は表情一つ変えずレイノルズのブリーフィングを聞き入っていた。始め、その横顔とス級の存在如何を問わない愛鷹に蒼月は疑念を抱いたが、よくよく考えて見たら大方愛鷹の考えている事は察せた、
この先、どこへ行こうが、進もうがス級は必ず出て来る、と踏んでいるのだ。覚悟を決めている訳では無いが、予め予想は付けていざと言う時取り乱したり、思考停止に陥らない様に自身を律しているのかも知れない。
実際、蒼月が考えた通り、愛鷹の脳内ではス級が出現した際の事は想定済みだった。恐怖を抱く存在が居るからこそ、その恐怖をどう向き合うべきか。時間を見つけてはよく考えて来た事だ。同時に、ス級の砲撃が飛来した時は、以前の様に刀でその砲撃を切り飛ばして防ぐと言う「アクティブ」な防御はもう以前の様なやり方は出来ない事も実感している。だからス級の砲撃が飛来したら、その振りかざされた巨大な拳を全力で避ける「パッシブ」の防御に徹する事、そして本当に可能な範囲かつやむを得ない時だけ刀で防ぐ、これが愛鷹の中で編み出した当面の対応策だった。
そもそも自分は兎も角として、第三三特別混成機動艦隊のメンバー、それも新規参加メンバー含めて、帯刀艦娘は自分しかいない。刀で砲弾を切り裂いて防ぐ芸当は愛鷹にしか出来ない曲芸技だ。
「この艦の艦娘は良しとして、第一航空戦隊と旧東部進撃隊のメンバーへの情報共有は大丈夫なんですか?」
不安を口にする夕張に、レイノルズは案ずるなと言う顔をする。
「私が君たちに語ったのと同じ事を他の艦娘母艦の将校がブリーフィングで共有している。問題はない。最も説明役の個人差と言うのはあるからな、多少説明のニュアンスは変わって来るだろうが」
そう言って少し口元に微笑を浮かべて、にやりとするレイノルズの返答に夕張は頷いた。
ブリーフィングに参加する各艦娘が持つタブレット端末にも大画面ディスプレイに表示されるものと同じ情報が表示される中、ブリーフィングルームの大画面ディスプレイが消され、部屋の照明が付くと、総旗艦を務める事となる愛鷹が席を立ち、全員の前に立った。
「作戦開始は明朝〇五:〇〇。各自、艤装の入念な事前検査及び睡眠、食事を摂り、万全の体制を持って明日の作戦に挑む様に。
今度も必ず勝ち、そして全員で生きて帰りましょう。以上、解散」
サッと敬礼して解散を告げる愛鷹に、第三三特別混成機動艦隊のメンバーも立ち上がって答礼し、ブリーフィングはお開きとなった。
その日の晩の夕食はカレーライスが出され、第三三特別混成機動艦隊のメンバーは舌鼓を打ちながら熱々のカレーを口に運んだ。
「やっぱりカレーよねぇ。これしか勝たない」
大口でスプーンですくったカレーを口に入れながら衣笠が満面の笑みを浮かべて言う。既に三杯はお代わりしていた。
「食べ過ぎでお腹壊さないでよガサ? 戦闘中にトイレ行きたい! って言われても面倒見れないからね」
食欲旺盛な妹の食いっぷりに釘を刺す青葉も、既に二杯はお代わりしていた。
その二人の隣で黙々と食事する愛鷹に、青葉が話しかける。
「愛鷹さんって、カレーの辛さの好みってあります?」
「激辛は無理ですけど、まあ辛口くらいなら普通に行けますよ。勿論甘口でもいいです。ただ、今は甘口で済ましておきたい体調ですね」
「どこか悪いんですか?」
心配そうな顔になって伺う青葉に、愛鷹はスプーンを置いてミネラルウォーターを注いだコップに口を付けて答える。
「最近、頭ばっかり熱くなるんですよ。身体は何ともないのに、頭ばっかり汗をかくんです。滝の様にかいている訳ではありませんが、常に頭が火照って、滲む汗でじめじめしている感じです」
「熱でもあるんですか?」
そう言いながら青葉は自分の額に手を当てながら、愛鷹の額に手を伸ばし。体温を測る。確かに、病気による熱があると言う訳では無いが、暖かい。常人の体感体温より愛鷹の方が高めだろう。念の為に愛鷹の腕も触ってみるが、こちらは至って普通だ、青葉との温度差も無い。
「何でしょうね、解熱剤は?」
「一応、この艦の軍医に処方して貰ってますが、下がる気配がありません……一回、日本統合基地の病院で大規模な検査をしないと駄目っぽい範囲です」
「そうですよね、これは江良さんに一回診てもらうしかないかもです」
色々な意味で、特に愛鷹の身分上の問題も考慮して、見て貰うとするなら江良一択だろう。江良はスーパードクターでは無いが、少なくとも設備が限定され、患者を診る能力にも限界がある軍艦の軍医よりは正確な診断と治療が期待出来る。
「戦えます?」
一番重要な所を突く青葉に愛鷹はカレーのルーと具、ライスをかき混ぜながら答えた。
「まだまだやれます。ただ……刀をぶんぶん振り回しての防御は以前の様には出来ないかもです。先日、飛行甲板で試し振りして見たのですが、自分でも分かるレベルで反応速度が落ちました。やはり人間、昔の様には行かなくなるって事が起きるものですね」
少し寂しさと残念そうな表情を薄らと浮かべて愛鷹は言う。自身の技量には自信を持っていただけに、青葉から見ると明らかな反応速度の低下は愛鷹なりにショックだった様に見える。分からなくもない、帯刀艦娘の活かすアドバンテージとも言えた剣技を生かす技量が低下してしまったのだから、最早愛鷹の両腰に下げる刀は重量をかけるだけのデバフアイテムでしかない。
それでも刀を手放す気がないのは、愛鷹なりに刀への信頼があるのか、愛着があるのか。それとも帯刀艦娘としてのプライドか。
「頭が火照ってしょうがない時にスパイスの効いた食事は控えた方がいいですよ」
手遅れと分かっていながらも一応、青葉は愛鷹にそう進言する。黙って話を横から聞いていた衣笠も同調する視線で愛鷹を見る。
「今度からはなるべくそうしますよ。でも、これが最後の晩餐になるかも、って思うと以前みたいに小食で済ますより、普通に食べたほうが得かな、ってつい思うんですよね」
皿の残りのカレーをスプーンで集めながら愛鷹は返す。かに、と青葉は愛鷹のトレイに盛られていたカレーの量を思い返して、サンドイッチ一択で済ませていた愛鷹着任当初の頃と比べたら、今では人並みにちゃんと食事するようになったなと感心していた。単にサンドイッチだけで済ましていては腹が満たされないだけでなく、栄養も偏るから老い先短い愛鷹にとっては少しでも長生きしたいのなら、尚の事人並みに食事しないと駄目だと考え直したのだろう。
「ま、愛鷹さんが人並みの食事をする様になって、青葉は嬉しいですよ。一緒に同じ内容の食事を出来るって言うのは楽しいものです。食事の時間程、軍人生活で楽しめるものは無いですからね」
にこやかな笑みを浮かべて言う青葉に愛鷹も微笑を浮かべて頷いた。
その横で、かちゃんとスプーンを置く音を立ててカレーを完食した衣笠が、大きくため息を吐きながら青葉に振り返る。
「もう一杯、だめ?」
「駄目! 冗談抜きにお腹壊すよ」
姉としての威厳を持って更なるお代わりをしようとした衣笠を制する青葉に、クスっと笑みを漏らしながら愛鷹も自分のカレーを最後の一口を口に運んだ。
同じく完食した深雪が舌で口の周りに着いたカレーのルーや米粒を舐めて取りながら、満腹からの幸福感に包まれた顔で両手を合わせた。
「かぁー、美味かったぜ。ごっそうさん」
完食した深雪の隣では衣笠と同じく三杯目を食した蒼月が、満腹感からの笑みを浮かべながら皿にスプーンを置いていた。
「皆さんたらふく食べた様で」
自分もスプーンを置いて水を飲みながら愛鷹は第三三戦隊のメンバーを見回す。心なしか、お替りを沢山した衣笠と蒼月の腹が膨れて見えた。
食える内に食っておくのは良い事だ、と微笑ましく思いながら愛鷹は水を飲み干したコップをテーブルに置いた。
「皆はカレーは何口が好きなの?」
辛さ加減の好みを聞きに来る夕張に、青葉、衣笠、深雪が即座に「辛口」と答える一方、蒼月と瑞鳳が「甘口」と返す。
「そう言う夕張は何口が好み?」
「私は……中辛かな」
瑞鳳に問われて夕張は自分のカレーの皿に目を落として答えた。
「辛口が三に、甘口が三、中辛が一、割れましたね」
ナプキンで口元を拭いながら蒼月が第三三戦隊の中で出た、カレーの辛さ加減の派閥をカウントした、
「仮に均等に割ろうと思っても、第三三戦隊のメンバー数から言って、均等に分かれる事は出来ないねえ」
「それは、何というか今更感はあるわね……」
青葉の言葉に瑞鳳がそれはそうだと言う口調で返す。
「いやあ、元はと言えば第三三戦隊の頭数って最初六人で始めてたじゃないですか。ガサが入って来てからは七人で行動する事も増えたりして、感覚がマヒってる感じがありますけど」
「そう言えば、第三三戦隊を結成した時は六人で始めてたわねえ」
今年の四月頃だったか、と夕張がやや遠い目になって言う。既に結成から半年程が経過した第三三戦隊も、今では新たな改装を受けた艦娘も増え、トータルでの戦闘能力は結成時よりも上がっている。特に艦隊防空能力は右肩上がりの性能向上が図られていた。
「衣笠さんだけ、後から遅れて参加だったわね。ま、一時期青葉が居なかった分、衣笠さんが主役張れた訳だけど」
「主役って言うか、やられ役を交代しただけじゃねえの?」
憎まれ口をたたく深雪に青葉と衣笠から、じろりと険しい視線が飛ぶ。あながち間違ってはいないが、ある意味で二人からすれば禁句な発言でもあった。
「深雪さんはやられた試しが余り無いから言えるんですよ」
ぶすりと仏頂面になって言う青葉に、深雪は苦笑交じりに謝った。
「ごめんごめん、流石に言い過ぎたよ」
姉妹揃って仏頂面になる青葉と衣笠に謝る深雪の姿を横目に、愛鷹はふとこの二人が一番、第三三戦隊の中でも負傷率が高い、と言う事に気が付いてしまった。深雪の言い方は確かにあれではあるが、青葉型が第三三戦隊の中でも被害担当艦になってしまっている感じは否めない。悪運は強い筈の青葉と、意外としぶとい衣笠の二人だが、果たしてこの調子ではいつか取り返しのつかない事態になったりしないだろうか。愛鷹はそこが気がかりになって来た。
「やられ役、は言い過ぎですが、青葉型の二人が被弾、戦線離脱する確率が高いのもまた事実です。お二人とも今後とも細心の注意を払って下さいね」
念の為に釘を刺す愛鷹の言葉に、青葉と衣笠が揃って、愛鷹さんまで、と言う顔をし、深雪も意外そうな顔をする。深雪からすれば愛鷹から追撃をかける様に叱られると思ったのだが、実際は逆だった。
「誰かが欠けるのも部隊にとって厳しい事になるし、戦線離脱で済めばまだしも、命までなくしては元も子もない。青葉さん、衣笠さんに限らずです。全員が被弾、負傷をなるべく抑える努力をしないとなりません。何がきっかけで命を落とす事になるか、分かったものではない」
「私は今言うべき事と言わなくていい事を弁えて居るつもりの艦娘です。ですが敢えて言わせて貰いますと、次の作戦ばかりはそうもいかないでしょうね」
珍しく、いや第三三戦隊の中でその一員として過ごす内に、メンタル面で強化が入った蒼月が強気の、現実を見据えた主張をする。確かに蒼月の言う通りではある。今度の第三三戦隊を含む第三三特別混成機動艦隊が投入される戦いは、激しい深海棲艦の攻撃を受ける事を前提とした陽動と威力偵察だ。激しい攻撃に晒され、戦火の中へ自ら飛び込むやり方。無傷で済む訳にはいくまい。
「賭けますか?」
唐突な愛鷹の奇抜な発言に、全員が愛鷹を二度見した。向けられて来る六人の視線に、薄らと笑みを浮かべながら愛鷹は駆けの対象と駆け額を口にする。
「全員無傷で帰って来るに一〇〇〇円。一人か二人は大破するにも一〇〇〇円」
「オッズはどっちかが高い方があって初めて賭ける価値がありますよ?」
そう進言する青葉に愛鷹はフッと笑って首を横に振った。
「冗談ですよ。人の生き死にを賭けるのは無粋ですから」
「と言われましてもねえ……」
割と本気だったのではないかと思わせる態度と口振りに、疑念を呈した青葉だけでなく、全員が怪しむ目で愛鷹を見たが当の本人はこれ以上話題にする気は無いようだった。食器を持って配膳台へと歩き出していく。
その背を見送りながら、衣笠は青葉に本気で言った提案だったのかの真意を尋ねる。
「あれ、本気だったと思う?」
「そうじゃないと思いたいけど、割と洒落にならない勢いだったし、でも愛鷹さんって本心を隠すのが上手いからなあ。ポーカーの場で愛鷹さんがそのポーカーフェイスを崩した事一度も無いし。元から感情の起伏が抑えられている分、時として本心を伺い知れない時もあるし。
感情が昂ぶった時はそれはそれで分かりやすい反応をしてくれるんだけどね」
「確かに愛鷹さん、普段は余り感情をハッキリと表現しないけど、出す時は本当にはっきりと出すわよね。激昂した時は激昂するし。結構、感情が大きく出る時のボーダーラインが曖昧と言うか……」
むうと考え込む仕草をしながら瑞鳳も言う。よく見ていた様で、案外そうでも無かったのか、身近な存在だった様で、意外と距離感は一定の距離がとられていたのか。中々にその本性は謎な女性である。正体や生い立ちを知ったとは言え、それイコール愛鷹と言う女性を知り得た訳では無い。
「まあ……艦娘はお互いの身の内をハッキリを明かさなくていい、って不文律があるからな」
後ろの髪を揉みながら深雪がその場を取り繕う様に言う。深雪自身も気になる所ではあった。だが、誰でも何でもかんでも自分の内側を曝け出したいとは思わない。深雪自身、同じ一一駆の姉妹たちに何でもかんでも自分の事を語った訳では無い。
「改めて振り返ると、ちょっと不気味な所もあるし、いいキャラしている所もあるし……感情の起伏こそ薄いとは言っても、キャラは立ってるわよね。良くも悪くも」
そう語る夕張の言葉がある意味で最も正確に愛鷹と言う艦娘、女性を言い表していた。
「マティアス・ジャクソン」の居住区の談話室で一人、編み物をして暇をつぶしていた大和は、出来たセーターを見てにこりと微笑む。自分の持っている茶色のセーターと同じサイズのものをもう一着、愛鷹にあげる事を目的に暇な時を見つけては編み上げて来たセーターが一応の完成を見た。細かい所はこれから修正しないといけないが、これでお揃いのセーターを着れる様になれる。
愛鷹自身が喜ぶかは分からないが、昔ほど邪険に思っていない彼女なら受け取ってくれると思って、一生懸命編んだものだ。これで嫌がられたら流石に大和も凹む。
金属が軋む音とドアのレバーを上げる重たい金属音を立てて、談話室へのドアが開き、矢矧が入って来る。大和以外誰も居ない談話室をきょろきょろと振り返って大和の姿を見つけた矢矧は、入って来た彼女に気が付いた大和が向けて来る視線に自身の視線を合わせた。
「大和、日本の統合基地から直接通信が入っているわ。個人用の通信だから、貴女の部屋のPCでビデオ通信で確認して頂戴」
「ありがとう矢矧」
編み棒とセーター等の道具を片してまとめて小脇に抱える大和を見て、矢矧は「編み物?」と聞いて来る。
「ええ、ちょっとした贈り物作り」
「誰にあげるの?」
「内緒」
「あら、そう。戦友として教えてくれても良いのに」
そう言いながらも深く詮索はしない主義の矢矧は自室へと戻る大和に道を開ける。その脇を通りながら、大和は日本から通信とは何だろうか、と軽く首を傾げる。何だったかな、と考えるがパッと思い出せることが無く、そのまま自室についていた。
部屋に入りPCを付けてビデオ通信の環境をセットアップすると、椅子に座ってディスプレイを覗き込む。
今の日本艦隊を預かっている身である谷田川がディスプレイに映る。少将の階級章が紺の略装の肩に輝くのを見て、彼も昇進したのだったっけと思い返しながら、谷田川と挨拶を交わす。
「それで谷田川さん、私に何か?」
≪うん、実は君にどうしても話を通して欲しいと言う人が押し掛けててね……藤堂龍之介と言う人なんだが≫
「藤堂龍之介……」
その名を聞いて大和の顔が曇る。大和がまだ民間人の身分だった時、八島和美と名乗っていた時、親同士の取り決めで決められた結婚相手の男性の名だ。顔を合わせた事はあっても、付き合った事などは無い。と言うよりは親に強制された結婚をする未来が嫌だったから、それをしなくて済む様に海軍に入隊して艦娘になったと言っても良い。ただ、親に強制された結婚が嫌なだけで藤堂龍之介と言う男性の人柄の良さ、根の良さは知っていた。
≪君、来月に誕生日だろう? その時だけ会う事は出来ないかってコンタクトを取って来てな≫
「市民と艦娘との個人的な交流は軍規違反になりますが?」
努めて冷静に返す大和に谷田川は、参った事になと言う様に頭をゴリゴリと揉みながら答えた。
≪藤堂氏は我らが日本艦隊の装備品を納入してくれる敷島重工の若き社長だ。親の七光りで社長になったような男ではあるんだが、調べて回った感じ単なる七光りに収まらない逸材と来た。そんでもって、君への一途な愛情を唱えているが為に、両親から勧められている他の女性との結婚すら蹴っているほどの男でな≫
「はあ……」
だからどうした、と言いたい大和の顔は文字通りうんざりした顔のそれだったが、谷田川も間に挟まれて巻き込まれた人間と言う都合上、取り敢えず伝えるだけの事は伝える体を成した。
≪君の御父上も、今でも藤堂氏とのご結婚を強く望まれている、との事だ≫
今度こそ大和は大きなため息を吐いた。終身軍人の身である自分が結婚など、冗談にも程がある。それは勿論、龍之介は良い人だ、大和自身も気を許した事はあるし、谷田川の話が本当なら相当大和に一途な男と言う事になる。大和自身、そういう一途な想いを寄せられては揺らぐ心もあるが、自分は艦娘、終身軍人なのだ、その道を自分で選んだ以上、もう引き返せない。
≪ま、そういう顔はすると分かってたから、こちらの方で何とか退いては貰った。ただ一応贈呈品だけは帰国したら受け取ってくれ。誕生日プレゼントも兼ねて、だそうだ≫
「……そんな事の為にわざわざ通信を入れて来たのですか?」
≪ここまでが前座だ。本題はここからだ≫
フッと民間からの個人的要望に突き上げられ、大和個人からは嫌がられて、の嚙み合わない意見に潰されていた顔を吹き消し、谷田川は隣に目配せして、ワイプをもう一つ表示させた。江良だ。
≪愛鷹の事で、江良が話したいことがあると言って来たのだ≫
本題に入るまでの自分の家の問題話は一体何だったんだ、と回りくどすぎるそのやり口に呆れながらも、新たに表示された江良のワイプを見つめて大和は回線がつながるのを待った。地球の反対側から地上局と通信中継飛行船を経由して来るので、若干接続までのラグが生じる。
≪大和、本題に入りましょうか≫
「本題ってなんです、江良さん」
しょうもない話だったら容赦なく通信を切る覚悟で返す大和に江良は手元のカルテを見ながら、大和に説明を始めた。
≪愛鷹の乗り込む『ズムウォルト』の軍医から、彼女のここ直近の健康状態に関する注意すべき報告を受け取ったの。彼女、ここ最近頭だけ過熱している症状を訴えているの。でも軍医が見たところではその身体に一切の病的症例が確認出来ないのよ≫
「身体が火照る体質、なら分かりますが、頭だけ、と言うのは確かにおかしいですね……」
大和は艦娘になる以前、父である八島和雄の跡継ぎも目されて医学の勉強をしていた事があるので、人間の体質と言うものを知っていた。父は外科医だったが、大和は精神科医の課程を履修していたので、多少はその手の分野に明るい所がある。最も本格的な医学の勉強をする前に艦娘になる事を選んでしまったので、知識は所詮は医学生初等科以下でしかないが。
≪愛鷹の診察を行った軍医には重ねて確認を取ったのだけど、やはり異常に過熱しているのが頭だけ、なのよ。詳しい事は日本で精密検査して見ない事には分からないのだけど、その前に、貴女に何か心当たりが無いかと思って連絡を入れたの。
谷田川提督にちょっと詰まらない話をしてもらったのは、この通信が愛鷹タイプのクローン排除を目論む軍内の過激派の目を避けるため段階だったの、ごめんなさいね≫
「心当たり、ですか……」
椅子の背もたれに寄りかかって、江良の言う心当たりを探ってみる。曲がりなりにも愛鷹の誕生に携わった一人であり、同時に愛鷹の身体の成り立ちのあれこれを知る一人でもある。
「愛鷹は頭だけが異常過熱している、と訴えていると?」
≪そうよ≫
暫く昔の、五年程前の記憶を頼りに考え込んだ大和は一つの仮説を思いついた。これ以外に考えようがない、と言うレベルのモノだ。
「……もしかすると、愛鷹の脳内を満たす人工脳脊髄液が劣化し始めているのかも知れません」
≪人工脳脊髄液? 劣化するとどう言う不具合を来すと言うの?≫
「考えうる症状としては思考能力の低下、頭部の体温の過熱、脳機能の低下などです。愛鷹の脳は常人の数十倍は高い処理能力を持っているので、今の愛鷹の脳は良くてノーベル賞をギリギリ取れるくらいか、取れないかくらいの脳の処理能力にまで落ちていると思われます。
分かりやすい例で言うと、PC等の電子機器のグリスが乾いてしまうと、処理速度や機能のパフォーマンス全般が低下するのと同じです。彼女の頭脳はクローンとして人工的に作り出された時に、常人を遥かに凌ぐ高い処理能力を有するようにあらかじめデザインされているんです。当然そう言ったハイスペックな脳をフルに動かすには冷却剤となるモノが必要になる。それが人工脳脊髄液なんです。
愛鷹は生れてこの方、人工脳脊髄液の交換をしていない筈なので、十中八九劣化による脳の冷却機能不足によるものと推測します」
≪貴女の言う通りの人工脳脊髄液の劣化だとして、これへの対処法とかは考えられているの?≫
「人工脳脊髄液自体は大学病院などの脳外科手術が行える病院で生成可能です。ただ、愛鷹の場合恐らくは人工脳脊髄液をそっくり新しいものと交換しないといけないレベルだと思われるので、相当腕の立つ脳外科医に頼む必要があります」
≪そう……分かったわ。いざと言う時には必要な医者は私の方でスカウトするわ≫
「つてはあるんですか?」
≪何とかしてみるわ、日本医師学会とかにパイプがあるから≫
任せろと言う顔で答える江良の表情を見て、大和はため息を吐いた。もし、求められるオペに見合う腕前の医師が見つからなかったら、と思うと暗澹たる気分になる。一応、個人的に頼れる先はあると言えばある。先述の大和の父、八島和雄だ。「世界のヤシマ」と言われる程の脳外科医も含めたスーパードクターとして優れた医師である大和の父だが、今は第一線を退いて、地元の小さな病院で内科医として診察する日々を送っている筈だ。
自分が藤堂家との婚姻を拒否して海軍へ入隊する形で逃げた結果、長い事手紙のやり取りもしていないので、自然と疎遠になっている父に頼らざるを得ないと言うのは、中々実行するのが厳しいものである。だが、自分がこの世に連れて来る事を選んだ愛鷹の命だ、それに対する責任は生みの親の一人としてプライドを捨ててでも果たさねばならない。
≪貴女は今、貴女がすべき事に全力を出しなさい。今はそれだけよ≫
「はい」
説き伏せる様に言う江良に、大和は短く、だが両目で江良の目をディスプレイを通して見つめ返しながら答えた。
ジッポで葉巻の葉先に火を付ける小さな音が鳴り、チリチリと葉先が音を立てる。
薄らと葉先にオレンジの火が付いたのを見て、ジッポをぱちんと音を立てて仕舞うと、愛鷹は胸いっぱいに葉巻の煙を吸った。
大きなため息と共に煙を吐きながら、「ズムウォルト」のヘリ甲板からコルス島沖に停泊する西部進撃隊艦隊の陣容と、島の影を眺める。深海棲艦の手で破壊し尽くされていた市街地には野鳥が時折その建物の残骸に止まったりしているのが見えるだけだ。今は国連軍の海兵隊が二つの島に前線基地を確立しているだけで、荒廃したサルディーニャ島とコルス島の市街地には民間人の帰還の目途は立っていない。
だが、それも暫しの内だ、と愛鷹は葉巻を吸いながら思う。いずれ今次欧州戦役が落ち着けば、民間人もまた故郷に戻って来るだろう。何度も深海棲艦の大攻勢を退け、その都度破壊された故郷を立て直して来た人々だ。何度でもその灰の山の中から不死鳥のごとく立ち上がって元の日常を再建してのけるだろう。
「あの街の再建にどれ程の時間がかかるのか、考えた事あります?」
いつの間にか来ていたのか、青葉が自身の煙草の箱とライターを手に愛鷹の隣に立って、ボニファシオの街並みを眺めながら尋ねて来ていた。
葉巻を口から外して、溜息の吐息と共に煙を吐きながら愛鷹は軽く鼻を鳴らす。
「さあ、少なくとも『ローマは一日にして成らず』の様に、短期間では無理でしょうね。破壊は想像よりも容易いし、短期間で済ませられるけど、作り出すのは難しく、時間がかかる。戦争と同じです。戦争と言う世界で破壊し尽くすのは本当に短期間で終わります。核兵器がそうだ。
逆に再建となると、本当に時間がかかる。灰と言う『0』がある限り、そこから不死鳥の如く『1』が蘇ると人は言いますけど、また『10』や『100』にするまでには、『5』や『50』に相当する過程を踏まないといけない。
そしてせっかく『10』や『100』まで復活させても、その都度繰り返される戦火でまた『0』に戻る」
「逆を言えば『0』がある限り、何度でも蘇られるとも言えますけどね」
口に咥えた煙草に火を付けながら青葉は言う。
「深海棲艦から『0』の概念を奪い取れば、数十年は平和な世界になるでしょう。逆に深海棲艦に『0』の概念を残したままにすれば、また何度でもこの世界と海は、涙と血を飲み、赤く染まる事になる」
深海棲艦との戦いの経験の厚さでは愛鷹よりもずっと長く、分厚い青葉の語りには、説得力を充分に持たせていた。陽気でアクティブな性格と言う顔の裏側には、戦場と現実のリアリズムを強く滲ませ、血と硝煙に汚れた事のある顔をしていた。
「青葉さんに問いますが、深海棲艦から『0』を奪って根絶し、数十年の平和を掴んだとしましょう。私はその数十年の平和の内に死ぬでしょうが、『数十年の平和』の後、世界には何が起きると言うのですか?」
そう尋ねる愛鷹に青葉は肩をすくめて答えた。
「新しい戦争の時代が始まるだけです。今確立された艦娘と言う海上機動歩兵の概念が、今度数十年、一〇〇年後には普遍的なものとなり、今は女性だけの専売特許である海上機動歩兵たる艦娘の世界も、男性の海上機動歩兵が何れ誕生する可能性も皆無では無いです。
無論、海上機動歩兵の行動力を補う為に、正規の軍艦が根絶される事は無いでしょう。数十年の平和の先にはきっと艦娘同士の戦争が起こりうる可能性だってある。所詮、国連による世界統一政府体制だっていつかは瓦解する時だって来るでしょう。
でももし、人間の知恵と忍耐と団結力が真に発揮されたら、人類は一つの旗の下で再び宇宙を目指せるかもしれない。人類が地と海から足を放して宇宙(そら)へ踏み出した時には、艦娘も過去の遺物として語られるだけの、歴史の欠片になるでしょうね」
「……関係ない話ですが、青葉さんの口から、今後数十年、数百年先の事を考えた発言を聞くとは思いませんでしたよ」
正直な感想を口にする愛鷹に、青葉は苦笑を浮かべた。
「まあ、人間、一〇〇年生きられれば御の字の寿命ですからね。そりゃいちいち一〇〇年も、一〇〇〇年も先の事なんか考えてられませんよ。遠い未来の事を考えるより、明日、明後日、一週間後、一か月後、一年後の具体的な事を考えるのが精一杯です」
そこまで口にして、老い先短い愛鷹に言っていい事だったか、と青葉は内心失敗した気分になったが、愛鷹は気にした様子もなく、頷きながら聞いていた。
再び葉巻を吸い、煙を吐きながら愛鷹は呟く様に言った。
「新しい戦争、ですか。まあ、今の戦争も、『新しい戦争』に入るんでしょうね」
「今の戦争で艦娘と言う新規の軍事技術が確立され、磨かれてますからね。この戦争がもし人類の勝利に終わった時、過去の歴史になぞらえればきっと国連は大幅な軍縮を打ち出すでしょう。そうなれば余剰となった艦娘の装備はお払い箱になり、軍高官の私服肥やしにブラックマーケットや第三国に流れ、そこで再活用されるかも知れない。今は『かつての軍艦の記憶の継承者』でなければ、艦娘にはなれないと言うお約束があっても、何れ人為的なやり方で艦娘の存在を捏造し、乱造する事だって出来る様になる技術が出来るかも知れない。
そうなった時、テロ集団や海賊、国連軍では無い、特定国家占有の戦力としての艦娘部隊と、国連正規軍の艦娘部隊との衝突、だってあり得る訳です。国連に不満を抱いている国は一つや二つじゃありませんからね。UNの旗に反旗を翻す国がアメリカ合衆国だったと言われても別段おかしくはないですから」
青葉なりのリアリズムに基づいて語られる今後の世界予想に、愛鷹は背筋がさーっと冷える様な思いがしていた。あれ程戦友として親しんで来た艦娘と撃ち合う艦娘同士の骨肉相食む戦争の時代が来るかもしれない、と言う青葉の予想は、愛鷹の過去の経験からすれば、トラウマの再現以上の悪夢と言えた。
「願わくば、青葉さんの唱える『新しい戦争』の時代が来ない事を願うばかりです」
「青葉も同じです。先述したのはあくまでも最悪のケースの話です。異なる未来を人類が描けたら、地球上から争いが淘汰され、人類一丸となって、世代交代を繰り返しながらその漆黒の宇宙、無限の宇宙の彼方へ旅していく未来もあり得るでしょう。
そして新しい星で、大昔の戦史の一つとして青葉達の事が語られるのかも知れない。ま、さっきも言った様に、一〇〇〇年先の事なんて分かりませんからね。この話も希望論で終わりですよ」
最後は苦笑と違う、さっぱりとした顔で青葉は言った。
青葉の語りを聞いている内に愛鷹はその長い時間の中で、自分の命の輝きは、一瞬の閃光にもならない短いものなのだろう、と少し悲観的に捉えかけたが、考え直せば人間の寿命自体、果てしない目で見れば本当に一瞬の瞬きにもならないモノだと思い直す。自分の命の輝きは、青葉の様な普通の人間の命の輝きは少し短いだけなのかもしれない。
煙草の煙を吸って、吐きながら青葉は再び苦笑を浮かべた。
「ちょっと風呂敷を広げ過ぎましたね」
「いえいえ、たまにはこういう話するのも刺激があって楽しいですよ。ただ、青葉さんの語る未来が現実になる様なら、私はそんな世界、嫌ですね」
「個人が嫌と言おうが、大多数の人間がそれを望めば、大多数が望んだ意思が反映されるのが世界ですからね。反対する個人は息をしにくい世界で窒息しかけながら生きるしかないんですよ」
「何を経験したら、そんな達観した見聞が出て来るんですか?」
短くなった葉巻を吸いながら問う愛鷹に、青葉は煙草を吸いながら、空の遠い所へ視線を泳がせて答えた。
「むかーし、海軍に入る前の色々と苦労を重ねた日常、ですね」
その晩、明日に備えて早めに寝床に着いた愛鷹は、陽動部隊となる自分達と、東部進撃隊、それとドイツ第一航空戦隊の艦娘との間で、綿密な艦隊運動演習を行っていない事への不安に駆られながら、眠りについた。
いつだって、肝心な時はぶっつけ本番な気がする、と頭の中でぼやいたのを最後に、愛鷹の意識は眠りの底へと落ちて行った。
横須賀の日本艦隊統合基地からやや離れた三浦半島の三浦海岸を望む国道134号線沿いには、国連陸上軍日本方面軍第一師団の第一偵察戦闘大隊の一六式機動戦闘車五二両が道路上にずらりと並び、砲搭を海辺と向けていつぞ終わるか分からない待機命令を過ごす日々を送っていた。
沖合には海軍の無人艦隊が単縦陣で浦賀水道への入り口に阻止線を形成しているのが見える。深海棲艦相手にどこまで通用するのか、最早自明とは言え、使えるものは何でも使う精神で防備を固める日本方面軍の方針があ表されていた。
「随分、町も寂しくなったものであります」
国道上に並ぶ機動戦闘車とは反対の方を見て、陸上軍との連絡役として派遣されている揚陸艦艦娘のあきつ丸が台詞同様活気の無くなった街を見て、寂しそうに言う。
「致し方ありません。深海棲艦の攻撃が始まってから避難を開始しては遅いです。予め銃後の方々には内陸部へ自主避難をして頂かなくては、我々艦娘もいざと言う時戦いづらい」
同じく連絡役を務める揚陸艦艦娘の神州丸が変わらない抑揚のあるトーンで言う。その返しを聞いてそれはそうだが、と言う顔をしながら、あきつ丸は肩と気を落とした声で街の方へ視線を向け続ける。
「少子高齢化と過疎化が進むとは言え、自分は横須賀を含めてここ一帯の町の活気が好きでありました」
「それはこの神州丸も同じです。しかし、深海棲艦はいつ仕掛けて来ると言うのでしょうか……。対深海棲艦防衛線が敷かれてそろそろ大分経つものですが、一向に来る気配がない本土侵攻の可能性があるのなら兎も角として」
「それは自分も聞きたいところです。公衆電話から深海棲艦に問い合わせて見るのでありますか?」
ちょっとした冗談を交えるあきつ丸に神州丸はふっと口元を緩める。
「問い合わせても電話代を無駄にするだけであります」
「確かに」
沿岸部防衛戦を展開する第一偵察戦闘大隊の視察を終えた二人は、高機動車の運転席と助手席に乗り込み横須賀基地へと戻る道へ車を走らせた。
「神州丸はQ号指令が開封される折には何処に配属されるのか?」
ハンドルを握りながら問うあきつ丸に、神州丸は頬杖を突いて窓の外に向けていた視線をあきつ丸に戻して、答えた。
「わたくしは船団護衛に駆り出される予定となっております。海防艦の子達と共に海上交通路の保全に務めろとのお達しを受けています」
「ふむ……」
「かく言うあきつ丸は?」
「自分も同じであります。陸軍艦娘に出来る事は結局のところ、疑似護衛空母代わりでありますからな」
「わたくしも、生まれ方が違えば空母艦娘になりたかったものであります」
ちょっとした自身の憧憬を語る神州丸に、あきつ丸は苦笑を交えながら返す。
「国連軍編成替え前に、陸自に陸士入隊していた貴殿が空母艦娘を所望するとは意外でありますな」
「自衛隊に入る前は海自か陸自かで迷ったのでありますよ。結局は親の薦めで陸自に入ったのでありますが」
自衛隊時代の事を語る神州丸は少しばかり懐かしむような顔をしていた。あきつ丸自身も神州丸と同じく元はと言えば陸上自衛隊上がりの艦娘だが、あきつ丸の方が入隊が早かったので、陸士長の頃に艦娘として海軍へ移籍した神州丸と違い、あきつ丸は海軍移籍前は三等陸曹にまで昇進していたので、実のところ、あきつ丸の方が神州丸よりも先任の艦娘と言える。
「早いものですなあ、一〇年余りも昔の事ですぞ」
「そうですね。もう一〇年も戦争しているのですね」
「自分は艦娘適正とやらが判明していなかったら、二曹への昇任試験予定であったのに」
「あきつ丸は陸自を続けていたらどう言う将来を描いていたのでありますか?」
「自分は深く考えずに入隊してしまっていたので、将来的にはC幹として士官を目指そうかなと皮算用していたものです。まあ、訓練や課業が厳しいのを除けば、食べて行くところと寝る所に困らぬ場所でありましたからな自衛隊は」
「課業に忙殺されて、陸曹長にどやされていた頃が懐かしいものですな」
「全くであります」
けらけらと二人は笑いながらも、陸自時代の下っ端時代の過酷さを思い出すと、もう二度と体験したくはないと言う思いで一致していた。
あきつ丸や神州丸等の所謂陸軍艦娘と言うのは海兵隊が予算を提供する形で整備された艦娘の事を示し、運用、所属は海軍であるものの、陸上戦を担当する海兵隊が深海棲艦との戦いにおいて、その存在感を示しておきたい、と言う思いから生まれたようなところがある。実際、彼女達の口調が陸軍式なのを除けば、陸軍艦娘と言いつつも海軍の指揮下で運用されるので、実質海軍艦娘との違いは殆ど無い。ただ、基地の警務任務も加わるので、陸軍艦娘は細目な身体の線とは裏腹に、その実地上での白兵戦能力等は並の艦娘を上回っている。
もし基地に駐留中に深海棲艦が着上陸作戦を実行する時が起こり得るならば、陸軍艦娘は海軍の基地警備隊や海兵隊の部隊を指揮して基地防衛を行う権限も与えられており、その為に陸軍艦娘は総じて海軍と海兵隊の両方の大尉の階級を付与されている。
最もあきつ丸も神州丸も、艦娘として陸上で死ぬ気は更々ない。陸軍艦娘と言えど、彼女達も根は艦娘、海で生きる人間だ。
「欧州では大攻勢に転じると聞いてますが、こちらは大攻勢ならぬ、大守勢の状態ですね」
「守りを固める相手には三倍の兵力を用意せよ、と誰かが言っていたものでありますが、本当にこの日本艦隊の艦娘の三倍の深海棲艦が押し寄せたら、防ぎ切れるのか、たまに心配になるモノでありますよ」
「トハチェフスキーですね。突破を企図する地区での戦力比を最低でも相手の三倍の戦力が必要、と主張したのが原点と聞いております」
かつてのソビエト陸軍の高級将校の名を口にする神州丸に、あきつ丸はそれだと左手の人差し指を立てる。
「ソ連軍では攻撃においては相手の六倍、一〇倍の兵力集中も要すると戦闘教義に書いたとか。米陸軍でも『防御において決して敵の三分の一以下にならない様に、攻撃においては六対一の優勢を確保すべし』と説いていた事があったとか。時代に応じてその教義も変わっていったとも聞きますが」
「神州丸は博識であるな。士官を目指していた自分の知見の狭さを自覚する所であります」
苦笑を浮かべるあきつ丸に、神州丸は少しばかり申し訳なさそうな顔を浮かべるが、あきつ丸は大して気にしてはいなかった。今では頑張って功績を立てて、勉学に励んで、と言う手順を踏まずとも大尉の階級を得ているし、いざと言う時の部隊指揮権限もあるから、今の自分は陸自の曹だった頃と比べれば随分出世したものだと思う。
「先任にそう仰られるのは恐縮であります」
微笑を浮かべる神州丸にあきつ丸も微笑を返す。
二人が高機動車の車内で談笑をしている内に、一時間もしない内に車は統合基地に帰り着いた。
警衛を担当する同じ陸軍艦娘の熊野丸と山汐丸の出迎えを受けて、基地内へと乗り入れると、二人が出かけていた間に搬入されて来たのだろうか、高射隊のPAC-4地対空ミサイル発射機と射撃管制装置車輛が、基地の広場に展開していた。
「PAC-4と言う事は、海兵隊航空軍の高射隊でありますな」
「ええ、恐らくは武山分屯基地の第二高射隊かと」
PAC-4ことペトリオット地対空ミサイルは、PAC-2地対空ミサイルの後継として開発された地対空ミサイルだ。現在国連軍で配備が進むのは、深海棲艦の艦載機や小型自爆ドローンの様な小型航空機に対応した弾頭のモノであり、旧式化したPAC-2を代替すべく、生産配備が進められている。海兵隊の航空軍の高射隊に配備されている者であり、海兵隊の陸上軍の野戦高射隊に配備される地対空ミサイルとは別物だった。
「この基地が爆撃される事も、谷田川提督殿は見越して、と言う事でしょうか」
高機動車から降りながらPAC-4だけでなく、C-RAMⅡ対空砲を載せたトレーラーの姿も見ながら、神州丸は言う。
運転席のキーを抜いて、高機動車の運転席から降りながらあきつ丸も対空陣地を見て、古代ローマの警句を引用して答えた。
「『汝平和を欲さば、戦の備えをせよ』でありますからな。備えていなかった、より過剰に警戒している方が万が一の時対応できると言うものです」
定期的に深海棲艦との戦争が続く中で、国連軍の軍備の維持に異を唱え、あまつさえ深海棲艦の侵略を受ける中でも軍縮や対深海棲艦融和政策を唱える欧州諸国や欧州をメインに活動する自称平和団体や環境保護団体の存在を脳裏に思い浮かべながら言うあきつ丸に、神州丸はその警句通りだと頷いた。
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また次回のお話でお会いしましょう。