あと一勝、あと一勝さえすれば。
勝ち星がひとつ足りなかった。
日本代表のひとりが引退を決め、その年の代表候補生のなかでもっとも戦績の良い者を後釜に据えることが決まった。
代表選考最終戦――IS環太平洋大会。試合会場はアリーナではなく、広域フィールドである。
真耶が「次へ」へ行くためにとても大事な勝負の場だった。
選ばれた者だけが立てる舞台。その切符。もうすぐ、もう少しで手が届く。
初戦でカナダを、二回戦で中国を、準決勝でアメリカの代表候補生を撃破した。
だが、今の真耶はアサルトライフルを抱えながら激しい水飛沫のなかを突き進むしかなかった。
女の持ち物としてはあまりに銃身が長い、無骨な
真耶の精神はひどく摩耗していた。彼女の愛くるしい顔立ちには苦悶の表情が浮かんでいる。
試合開始の合図から四時間以上が経過していたのである。
深緑色の
対戦相手の打鉄は無傷。超高圧縮の水を弾丸の代わりに用いた鉄砲を持っている。試作品だという、その武器を構える様子は華麗だったが、空に向けて引き金を引いていることが多く、無駄撃ちが多かった。
片や鉄の塊を抱えた真耶は、地味一辺倒。積載限界まで装甲を追加し、脚部スラスターを増設し、武装は
勝負の盤上にいつまでいられるのだろうか。彼女にトドメを刺されるまで? それとも一矢報いるまで?
ひとつでも弾痕をつければ真耶が勝ち越せる、というのに。
真耶が見ている風景が不意に上下反転した。
脚部スラスターの出力エラー。回転しながら足先を一瞥する。生身の足先から向こう、肉体の延長が消し飛んでいる。何かが木々をなぎ倒す。ちぎれた機械の足だ。くるぶしから先が砲弾のごとき速度であさっての方向へ飛んでいった。
待てども試合終了のブザーは鳴らない。エネルギーゲージが残っている。真耶はPIC制御しながら斜面を滑り落ちていった。
▽
二十歳になっていたが、山田真耶は典型的な万年代表候補生だった。
代表候補生へ昇格して、今年で五年目になる。体つきは少女から女へ変貌した。実力は伸び悩んだ。花形である機動戦闘が不得手だった。
生来愛らしい顔つきの彼女だが、時として表情を曇らせ、厳しさが目立った。誰も手を出す気になれないほど。
対戦相手である――更識刀奈――は巧妙に姿を隠して接近している。
刀奈は山田真耶の狙撃能力を恐れていた。同じ競技者として、日本代表の座を巡って競い合う者として、
刀奈が薄氷を踏む思いで戦に臨んでいるとはつゆ知らず、真耶は不得意な機動戦闘を強いられていた。
ふと、真耶の眼は空を見入った。
灰色の空。黒々した雲。
天候が悪化している。
「……!」
思わず叫んで、体躯を泥濘のなかへと突っ込ませた。
真耶は沼地を這い進み、PIC制御装置への電力供給を絶つ。代わりにほとんどの電力を
事前に大会規則を読み込んである。ISの使用武器は核兵器や化学・細菌兵器を除けば自由だ。競技用機体のエネルギーには制限があった。
IS競技ではシールドを最大出力で展開するのが常識だ。人体は脆い。シールドは目に見えないため、不安を助長させる。
真耶はリスクを取った。
一発逆転を期すには莫大な電力が必要なのだ。泥濘のなかで身を伏せ、刀奈の未来位置へ銃口を向ける。沼地に達するには沢の斜面を降りねばならないからだ。
刀奈はリスクを取らないだろう。索敵重視のためハイパーセンサーを最大出力で使用している。音・電波・光・熱など様々な情報を拾い上げている。
ISは大量の熱を発する。大出力エンジン、火器、シールド発生装置の電力消費。PIC初動時もそうだ。
音もすさまじい。打鉄、ラファールは共に操縦性において定評はあるが、静粛性はさほど考慮されていない。国家代表の専用機といった莫大な開発予算が投じられた機体ならいざ知らず、汎用訓練機は
故に熱源・音源が突然消失したら、消失地点を調べずにはいられない。真耶の機体は著しく損傷していて遠くには行けないのだ。
互いの手の内を知り尽くした者同士の試合だ。出場者は各国の代表候補生だから興行収入を意図しておらず、代表同士の試合よりも制限が緩い。
決勝戦に制限時間の規定はない。過去には勝敗を決するのに二日かかった例さえある。
真耶は二時間待った。途中、雨が降り出したので視界は最悪だ。
狙撃手が待機する間、その場を動かないのと同じように待った。照準のなかに飛び込んでくる瞬間を狙って、あらゆる不便を無視した。
▽
刀奈は自機の位置を特定されないよう、慎重に探索していた。熱源の塊が突然反応を消した。二時間以上探索しているが、未だ見つかっていない。
危険な兆候である。真耶が狙撃点に着いたのだろう。ならば今この瞬間も照準器を覗いて動きを窺っているのだろうか。
ゾッとした。
刀奈は生唾を飲み下し、真耶が準決勝で見せた長距離狙撃を思い出す。
アメリカの代表候補生サラ・コナーは米海兵隊武装偵察部隊の
真耶の
真耶はIS学園時代の伝手を頼り、火器メーカーとIS用装備の共同開発に携わっていた。代表や代表候補生が企業と手を組むことは珍しくないのだが、そういった場合思いつきで作ったような派手な武器であることがほとんどだ。
しかし、真耶は弾丸の初速向上にとにかくこだわった。ある方式を使えば理論上限界がなくなる。それを知った真耶はISコアのエネルギーを
いずれ自分もIS学園へ進学するつもりで顔つなぎの役目を果たしたから、真耶が何を生み出したのか見当がついている。
真耶の
彼女の機体が重装甲なのは、損壊が前提であるからだ。駄目になった装甲は切り離す。
長期戦に持ち込んで自滅を誘う。が、優秀な狙撃手から逃れる術は少ない。細心の注意と幸運、緻密な作戦が必要だ。
真耶は危険だ。彼女が代表になれば
刀奈もまた、発射の瞬間を待ち焦がれていた。銃口からプラズマが出現し、安全装置が働いて損壊した装甲を切除する。その間、真耶は動けない。
刀奈は雨雲を一瞥した。
「狙撃される前に終わってくれたら……」
刀奈は試作武器を空に向けた。
弾丸を避け、すかさず反撃すれば勝利が確定する。
そう、当たらなければ。
▽
刀奈の打鉄は武装以外は標準装備である。元より打鉄は静粛性に欠け、特徴的な音を放っている。出場機体の音響的特徴は解析が済んでいた。もちろん他国だけでなく、自国のISも解析し、耳で記憶した。
刀奈の打鉄が発する駆動音と熱。パッシブ・ソナーの要領で距離と向きを計算して求めた。雨が条件を悪化させたが、事前に取得したデータを用いて余分な情報を取り除いた。
得られた計算値を頼りに照準を定める。
いた!
刀奈は小刻みに動き回っている。が、熱も音も隠しきれていない。
木々を楯にしても無駄であった。
雨水が頬をたたく。真耶は静かに長く、息を吸い込み、指先へと意識を向ける。
刹那、銃口から
弾丸落着により地面がえぐれて土埃が舞い上がる。
真耶は顔を上げた。
試合終了のブザー音が鳴り響き、結果は――。
▽
真耶の敗北であった。
だが、刀奈の打鉄は弾丸直撃によりシールドエネルギーを全損。表面装甲の約九割が粉々に砕かれ、マニピュレーターや脚部装甲が元の形をとどめていない。
刀奈自身に命の別状はないが、絶対防御が発動してしまい動けなくなっていた。
真耶は極度の緊張で疲れ切った頭で問うた。
「どうして」
弾丸発射時の反動による損壊を考慮に入れていたにも拘わらず、弾丸が到達するまえにラファールのシールドエネルギーが尽きた。
判定では頭上からの攻撃でダメージを負ったという。攻撃をされたという認識がなかった。
刀奈の武器は超高圧縮の水鉄砲だ。試合中、何度も空に向けて撃っていた。
真耶は沼地のなかで膝をつく。
エネルギーを使い果たした機体は、駆動部がとうに耐用限界を超えていた。安全装置が働いて拘束が外れる。
節々から白いもやが漂いだした。オーバーヒートだ。
戦闘は六時間強におよんだ。
積載規定値ギリギリまで装甲を詰め込んだ機体は、エネルギーが尽きて金属の塊へ変貌した。
ISから降りて回収を待つ間、沼地のほとりに座って空を見上げる。とっさに目を瞑った。雨が降っている。激しくなりつつあった。
気力を使い果たし、体を動かすのも億劫だ。膝を抱え、機能停止した機体をぼんやりと見つめる。
雨、雨水、水――。刀奈は雨水を制御し、ゆっくりとシールドエネルギーを削り取った。長期戦でなければ不可能だ。
深くため息をついた。ずっと更識刀奈の手の上で踊っていた……。
泥まみれの機体。泥まみれの自分。
「これで最後」
誰もが予想したとおり、代表は更識刀奈で決まりだ。
手の甲で目元を拭う。
真耶は