日付がもう変わる。消灯時間はとうにすぎ、夜毎に騒ぐ隣部屋の少女たちの声もだいぶ前に聞こえなくなった。自分が呼吸する微かな音しか聞こえない。
部屋の隅の椅子に座り、オレンジ色のランプが机の上の白い紙を弱々しく照らすのをぼんやりと眺めていた。
眠気を何処か知らないところに置いてきたようで、代わりにある思いが頭の中に幅をとって図々しく居座っている。
この思いは実はこの園に着いてからいつの間にか芽をだし、すくすくと大きくなっていったものである。おかげで今の俺はここへ向かう途中の電車の中の昔の俺ではなくなってしまった。もっともその思いだけが俺を変えてしまったわけではないが。
俺はこの思いが何という名前なのかわかりかねていた。
悔しさと焦り。俺を悩ませるその思いの成分は大方この二つであるが、そのどちらも本質とは言えない。
思考を次々と通り抜けていく無数の言葉たちの中にこの思いを形容するにぴったりな言葉を見つけた気がしたが、見なかったふりをした。だがふりをしても見てしまったことは確かで、その三文字が頭の中で何度も繰り返された。
認めなくてはならないことはわかっていた。
多くの賢者がいうように、自らの醜さに向き合わぬ人間は愚か者であるからだ。そして俺は愚かではない。
故に直視しなくてはならない。そしてこの思いを忘れることのないよう、紙に書き留めようか。
だが、結論のみを書き留めたらまるで俺が鳥を見上げる青蛙のように見えてしまう。
だから俺の境遇も含め、事の概略を綴ろう。
俺は観念してペンを握った。
幼い頃から厳しい教育を受けたおかげで、母を早く亡くしていたにも関わらず、学問が荒んだり衰えることもなかった。男なら強くあれ、賢くあれ、との家の教えを守り、父が入れてくださった剣道の道場では同年代に俺の右に並ぶ者はほとんどいなかった。勉学においては日本最難の私立中学に入学し、そこの教職員も神童と誉め称えるまでの成績を納めていて、大田亮太郎という名がテスト成績一位の座から下ろされたことは一度もなかった。こうして一番になることは俺にとって別段不思議なことでなかった。この家の者として恥のないよう生活を送ってきた故のことだからだ。
自分の姓は祖父よりももっと前の代から政界に通じていて、そんな家に息子が生まれたとの知らせは瞬く間に広まったそうだ。
上流階級だけが集まる食事会に連れていってやると、大田家に近づきたい家々がまだ五歳の俺に娘を紹介してきたのだと父は誇らしげに笑いながら語ったことがある。俺と婚約をすれば裕福な生活を、大田婦人として皆に羨まれながら送ることになるのは明白であったからであろう。テレビで見る小太りで脂っこい肌の政治家や、某省でなかなかの地位を持つ者たちも俺を誉め称えたそうだ。
将来が約束された身とでもいうのだろうか。とにかく、俺は国にとって欠かすことのできない有用な人間になるはずだった。
ISさえ、気の狂った科学者がこの忌々しいパワードスーツさえ作らなければ。
インフィニット・ストラトス、通称ISなるものがある天才科学者の手によって開発されたのは、今から十年も前になる。
宇宙開発を目的に作られたこれは兵器としての可能性を見いだされ、いつしか力の象徴となっていた。
このパワードスーツの最大の特徴と言えば、兵器としての性能も挙げられるだろうが、やはり一番は女性にしか動かせないと言う点であろう。
これは世界の力のバランスを大きく乱した。ISを動かせる女は男よりも強く、そして偉い。男尊女卑の世界は瞬く間に女尊男卑の世界に生まれ変わった。
男一色だった国の内閣の顔ぶれは女の方が割合が多くなった。
どんな国でもレディファーストが当たり前となった。
デートに出掛ければ男が全額持つのは当たり前、嫁に来てもらうのではなく婿に行くのが当たり前、逆・玉の輿から逆が取れかかってきていた。
女性だからといって彼女らすべてがISを動かせるわけではないのに、ただ女性であると言う理由だけで男に威張る頭のない馬鹿まで現れた。お前自身は何ができるのだと面と向かって言いたかったが、家の立場をこれ以上悪くするわけにはいかないので大人しくしていた。
俺の生活も変わった。六歳のときの出来事だ。
母は俺がまだ小学校に入る前に亡くなったので家には女の影がなかったのと、世に知れた我が家の世に知れた教えの、男ならという部分が偉くなった女性の気にさわったことが原因で父は社会、経済のすみに追いやられた。
父は落胆し、疲れはて、しかし俺を養うために自尊心を傷つけながら仕事を選ばずに働いてくれた。貯金までは奪われなかったのも幸いして、ISが開発される以前と同じような生活を送ることを許されていた。
俺は父の姿を見て、少しでも大田家を再興させねばと、それが一番の恩返しであろうと思い、それまで以上に勉学も武道にも励んだ。その結果が、前述した通り、日本最難の中学への入学である。
周りの女子生徒は教養があったからか変に男に対して威張ることはなかったが、彼女らよりもずっといい成績を修め続ける俺を恨めしく思っていたことは確かであろう。
そして周りから、男にしてはできが良いと誉められ続けて数年たち、高校受験の季節になった頃、事件は起きた。
男でISを動かせる人間が見つかったのだ。
名を織斑一夏という。奇しくも彼は俺が剣道の試合で唯一勝てなかった男だ。
さて、彼が見つかると世界中がISを動かせる男を探し始めた。
その男のデータによっていまだ暗闇に包まれたままのISのコアの解析が進むこと、そして男の復権が期待されての動きだった。
俺の中学でも検査があり、男子生徒は皆体育館に集められ、列になり、順にISに触れていった。
ISに触れたときのことはよくよく覚えていた。銀白色の大きな武者鎧のようなそれは荘厳な雰囲気を携えていた。係の科学者と思われる白衣の女性に慇懃に頭を下げると、どうせ動かせないのだから早くしろと言われた。猪口才な女だと思ったがいま考え見れば生意気でない女の方が珍しいので特別取り上げるべき問題でもなかった。
女に何と言われようとも、俺はこれを動かさねばならないと、どこか焦りを感じていたのを覚えている。手のひらは汗で湿り、喉は乾いていた。
ゆっくりと手を伸ばして、指先から装甲に指紋をつけていく。ひんやりとした鉄の冷たさが徐々に薄くなっていって、それがいつしか暖かさへと変わった。指先から顔をあげるとIS全体が光を帯びていて、それを見た女が驚愕の声をあげた。
俺はやはりかと思うと同時に、これが目標に近づく大きな一歩となったことを喜んだ。
こうして俺は世界で二人目の男のIS操縦者となった。
俺はすぐに父に連絡を入れると彼はたいそう喜んでくれた。俺は父にこの家の復興を約束し、父は俺を優しく強く抱きしめた。
俺は織斑一夏同様、IS学園に入学することとなり、送られてきた辞書のような分厚い教科書を熟読し、IS操縦の試験にそなえた。
結果は、まぁ、芳しいものではなかった。今まで、ここまでうまくいかないことはなかったのだが、それで機嫌を損ねてしまったことは我ながら情けない。
上手くいかなかったとは言えども、俺はあくまで標準的な成績でIS学園に入学した。
入学初日、門を潜ってから教室に入るまで俺が歩けばあちらこちらで女子生徒が集まってなにやらヒソヒソと会話をしている様子が散見できた。男がいることの珍しさからだろう。
ある程度注目されることには馴れていたし、覚悟もしていたが、連絡先を教えろと声をかけてくる輩にはさすがに閉口した。失礼のないよう丁重に断って、とにかくいま優先すべきなのは織斑一夏と合流することだと考えて、教室に急いだ。
彼は同じクラスだった。学校の配慮であろう。
彼は教室の一番前の真ん中の席に固い顔をして座っていたが、俺が教室に入ってくるのに気がつくと、笑顔をみせ、こちらに手をふった。俺はそれに応じると一度席に自分の荷物を置きに行って、そして一夏のところへ戻り話をした。
俺たちはすぐに仲良くなった。一日も待たずにお互いを名前で呼び捨てる仲になった。仲良くなるしか道がなかったと言われればそれまでであろうが、例えば普通の学校のクラスメイトだったとしても仲良くなったと信じたい。
剣道の試合の決勝であたったことを彼も覚えていたのでそれが話題のきっかけとなった。よく笑う人でつられて俺も笑顔が増えた。
彼の姉は織斑千冬といって、第一回モンド・グロッソで、いや、別に特筆すべきことではなかろう。彼女の業績を知らないのは赤子と老人だけだろうから。
驚くべきは彼女がこの学園で教師をしていたこと、そして名字から察しはついていたが、一夏の家族、姉であったことである。
やはり、才能は遺伝するものなのだろうか。いや、そんなはずがあってたまるか。努力に勝るものなどないのだ。俺の努力不足がこの失態を招いたのだろう。しかし、失礼だとは思うが、一夏は俺ほど勉強をしていただろうか?
そう、本当に書きたいのはここからなのだ。
まだ学校が始まって一週間もしない頃のある休み時間にセシリア・オルコットというイギリスの代表候補生が俺と一夏に喧嘩を売ってきたのがはじまりである。
彼女は典型的な女尊男卑主義者だった。男がクラスにいるのは不快だとか、男は役立たずだとか、自分がいかに優秀かといった話をわざわざ俺と一夏が話しているところにご高説いただいたのだ。チャイムがなるまでの約五分間それは続いた。俺がチャイムに感謝することはもうないだろう。
次の授業の前に織斑先生がクラス代表を決める話をした。
自薦でも他薦でも構わないと言うので、俺と一夏は真っ先に名前が上がった。実際、クラス代表を務めたと経歴に残るのは決して悪くない、むしろ良いことなので俺はまんざらでもなく、一夏に言って譲ってもらおうと考えていた。
依然としてクラスの女子生徒は俺か一夏以外はあり得ないとでも言うように騒ぎ立てていた。その流れは俺にとっても都合がいいのだが、それに水を差したのがセシリア・オルコットである。
曰く、実力があるものが代表になるのが必然で、運が良かっただけの黄色い雄猿に任せるのは道理にあわないのだとか。
彼女の我々に対する雄猿という評価に腹は立つが、実力がある者が上に立つのは確かに当然のことである。だが、いくら彼女が代表候補生だからといって、入試首席だからといって引く気は毛頭なかった。
三人でリーグ戦を行い、勝者が代表になるというセシリア・オルコットの提案を織斑先生が受理、翌週の月曜日に試合が行われることとなった。
出来る限りのことはした。ぎりぎり試合に間に合うらしい俺の専用機についての情報を、セシリア・オルコットの情報をかき集め、戦法を考えた。訓練機の使用許可をとることは叶わなかったが実戦でものにできるように教本を読みあさった。無駄な時間などでは断じてない。断じて。
月曜日きっかりに俺の専用機は届いた。黒の多い機体で、ところどころに別の色で装飾が入っているのだが、その色がまぁ独特で、光の当たり具合によって青になったり赤になったりするのだ。
その機体はエリスと名付けられていた。不和と争いの神の名である。
さて、俺はISに乗り込みまずは初戦、セシリア・オルコットと当たった。
その戦いの内容だが、誇れるものではない。
遠距離型の敵に対して俺は近距離型の機体。距離を詰めるために色々な策を講じてきたのだが、悉く破られ、距離はいっこうに縮まらない。俺は防戦一方となった。戦闘中、ファーストシフトが完了し、背中から六つの浮遊する剣が飛び出したが、生憎俺にはそれらを攻撃に使いながら彼女のビーム攻撃を避け続けるほどの実力はなく、粘りこそしたものの、敗北を喫した。悔しかった。自分をあれだけこけにした女一人に負けるのは屈辱的であった。
続いて、セシリア・オルコットと一夏が戦ったのだが、あと一息というところで一夏が自滅。そして、そうだ、一夏が負けたことに安心したのを誰が責められようか。情けないことだとは理解しているが、聖人君子でないならばどんな人でも必ず胸を撫で下ろしたに違いない。
問題は次の試合、一夏と俺の戦いである。
悔やんでも悔やみきれない。もし、どうして、から始まるフレーズが試合後から頭のなかを常に流れている。気持ち悪いし、頭がくらくらした。直後は吐き気もあった。
俺は挫折らしい挫折は今まで味わったことがなかった。剣道の試合で一夏に負かされたときもISが世に現れたときも、なんでそうなってしまったか、次はどうすればいいかを考えて、それを潰して乗り越えてきた。セシリア・オルコットに負けたときも、訓練が思うようにできなかったから許可されたら死に物狂いで練習しようと考えていた。代表候補生の彼女に比べた俺の訓練時間など米の一粒にも満たないだろうから。
一夏は授業が全くわからないと言った。俺は理解できた授業が。
一夏は教科書をまだ十ページも読んでないと言った。俺がつい先日頭に入れきった教科書を。
果たして、俺に欠けている何が一夏にあったと言うのだろうか。
ISでの訓練の時間は俺と同じくらい、つまり全くと言っていいほどしてないそうだからそれではない。
努力に勝るものなどない。これは俺が好きな言葉のひとつだ。
俺は努力した。彼はしてない。にも関わらず、俺は、俺は負けた。言い訳のしようもないほどにあっさりと、瞬殺された。
それが結果、全てである。
努力に勝るものがあると、認めなければいけない日が来たのだろうか。
それが才能と簡単に認められないのは、きっと俺がそれを認めた瞬間から俺は落ちぶれてしまうとわかっているからなのだろう。
全くもって、どうすればいいのかわからない。だが、気持ちの整理はできた。例の、俺の知らない感情の名の答えを合わせて、ペンを置こう。
この感情はきっと、劣等感という。
開始1話目で心つかまなきゃ!
※ミスったから直した!(2018/11/19)