「トワ、クロウが死んだよ」
夫婦二人きりでの時間と会話。しかしそこに色っぽさは微塵たりとてなく、トワ・オズボーンは目の前の夫がかつてに近い状態である事にすぐさま気づいた。
「そしてその魂は俺と共にある。だから生前何を考えていたのかがよくわかるんだ。アイツ、どうやらこの戦いが一段落したら遊撃士になるつもりだったんだとさ。諸々難しいのを承知でそれでもガキの頃に本当に夢見た正義の味方に成るんだと、そう思っていたみたいだよ」
「そっか……クロウくんらしいね」
「アイツらしい?」
「うん、だってクロウ君って表向きは
トワの言葉はクロウ・アームブラストという男の正鵠を射抜いていた。
クロウ・アームブラストの根っこの部分はかなりの
でなくば己が人生を費やしてまで復讐に等邁進せずにどこかで現状と折り合いをつける事を選んでいただろう。
祖父を犠牲にしながらも滞りなく回り続ける世界に納得できない想いが彼を歪ませて復讐へと駆り立てたが、それがなければ存外最初から遊撃士の道を選んでいたかもしれない。
そしてそれは目前のトワ・オズボーンの最愛の人もそうである事をトワは知っていた。
「そうだな……そうかもしれない。俺もアイツもきっと願い求めた世界は本当は同じだった。誰もが幸福に成れる世界があればどんなに良いことかとそんな子供じみた想いが俺たちの根っこにはあった。
だからこそ激突を経てそれでも俺たちは友として肩を並べ合う事を選ぶことが出来た。いつか5人で交わした約束を、卒業旅行を果たせる時が各々が進んだ道の先にあるのだと信じて」
ーーー学院を卒業したら5人揃って卒業旅行に行こう。
リィン・オズボーン、クロウ・アームブラスト、トワ・ハーシェル、アンゼリカ・ログナー、ジョルジュ・ノーム、固い友情で結ばれた5人が交わした他愛のない約束。
それは祖国を取り巻く情勢と各々の立場から
各々がそれぞれの立場で尽力して晴れてお役御免になった老人になってからでもいい、その時は周囲がどれだけ静止しようが5人揃って数十年越しの卒業旅行をやろうじゃないかーーーそんなアンゼリカの提案に全員が微笑を零しながらその時までお互い壮健なれと交わした約束。
「
ーーーああ、やっぱりだ目の前の夫はもうすでに自分を死ぬものとして扱っている。
「私たち4人で、でしょう?クロウ君が死んでしまったのはとても悲しいけど、本当に本当に哀しいけど、だけどそれでもあなたはまだ生きているじゃない」
自らの言葉がどの程度夫に響くか正直トワには自信がなかった。今の夫はかつて見た時とそっくりでありながらもどこか違うのだ。かつては「こう在らねばならない」という強迫観念にも似た想いだったそれが今は違う、もうこれしか道はないのだと完全に悟った透明な覚悟を感じるのだ。
「いや俺は無理だ。黒の騎神イシュメルガの打倒と祖国の呪いからの解放、これを為すためにもはやリィン・オズボーンの死は避けられぬ事だからだ」
「それは、命を賭さなければ為せないからだとかそういうのじゃなくて……」
「ただそれだけならばいくらでも生きて必ず帰ってくると君に約束する事も出来たんだがな……」
トワからの問いかけにリィンはどこか困ったような笑みを浮かべる。
「俺の心臓は父から移植されたものだ。幼少期、心臓を家屋の廃材に貫かれて死にかけていた俺を救うために父は悪魔と契約を結んだ。黒の騎神イシュメルガは己が起動者となる事を条件に父の心臓を俺に移植する事で俺を長らえさせる事で父の望みを叶えた。
ーーーだが悪魔と結んだ契約には当然のように裏があった。俺の胸に宿る心臓、それは今尚父との間に霊的な繋がりが結ばれたままだ。すなわち俺の心臓は黒の騎神イシュメルガとも繋がっている」
リィンの言葉の意味するところ、それを悟った瞬間トワは自身の足元を喪失するような感覚に陥った。
「黒キ星杯の地で俺たちは黒の騎神イシュメルガを打倒するつもりで勝負をかけた。勝算は十分にあった、これ以上ないとそう言えるだけの布陣を整え、陛下をも見殺しにし、結社とさえ手を組み挑んだ。イシュメルガを打倒した上でローゼリア殿達の封印術で以てその力の大半を喪失した状態で奴を封印さえしてしまえばこの心臓を通して行われる多少の干渉程度は抑え込むだけの自信があった。
だが俺たちは敗れた。必ず勝たなければならなかった乾坤一擲、それに失敗した。無論諦めるつもりは毛頭ない。イシュメルガは何としてもこの手で討ち果たす。だが同時に奴の封印に失敗した以上もはや奴を完全に討ち滅ぼす以外の選択はなかった。そしてそのためには俺は俺自身の手で自らの心臓を穿たなければならない。さもなくば奴はそこを起点に俺を乗っ取りにかかるだろう」
「だったら!だったらそれを抑え込む方法をみんなで探せばいいじゃない!リィン君だったらそんなものに負けたりしない、そうでしょう!?」
縋りつきながらのトワの言葉、だがそれもやはりリィンを困らせるだけだった。
「それは大地の聖獣殿がその身を以て呪いの大半を抑え込んでいてくれていればこそ成立する話だった。だが今や奴は聖獣殿が抑え込んでいた呪いさえもその身に取り込みより強大な存在になった。
すぐさまこの身体を明け渡すほどに軟なつもりではないが……それでも奴は俺を起点にしてヴァリマールを乗っ取りにかかるだろう。そうなってしまえばおしまいだ。最終相克が果たされて総ての騎神を取り込んだ巨イナル一、その総てを奴は手中に収めてしまう。もはや誰も奴を止められず世界は終わる」
他の至宝を持ち出すというのも現実的ではないだろう。何せ巨イナル一は焔の至宝と大地の至宝、その双方が内部で無限の闘争と相克を繰り返す事で誕生した代物。その力は圧倒的なもので如何に女神の七至宝とはいえ単一で抗えない事は必至。
そもそも至宝の暴走に対して至宝を持ち出し至宝同士が激突した場合でも平気なほどにこの世界は頑丈には作られてない。かつての大崩壊に匹敵する大惨事がもたらされるだろう。それこそ史上初の
そも女神の七至宝はどれも厳重なる封印が為されているものばかり、すぐさま解放して使いこなすことが出来るようなものではない。
「だからこそもっとも確実なのは奴をこの手で討ち果たした直後に俺が俺自身の手で己が心臓を抉り取る以外にない。
そうしてヴァリマールが俺との霊的な繋がりを断ち切ってしまえば奴にヴァリマールを乗っ取る術はなくなる。
最終相克を経て巨イナル一の力を手にするのはヴァリマールに成る。黒の騎神イシュメルガを真の意味でこの世から葬ることが出来るだろう」
伝えられた計画、それは完全に自らの死を受け容れて勝利のための対価とすると決めたもの。かつてとは異なり情緒的な懇願では決して覆せないことがわかるものだった。
何せかかっているのは全世界の存亡なのだ。これに失敗してしまえば死ぬ人間は数万どころの騒ぎではない、それこそ全人類が滅亡する結果に繋がったとしても何らおかしくではない。
そんな状況でリィン・オズボーンという男が自分一人の命を惜しむはずもない。仮に自らも助かる光明が見えたとしてもその可能性が彼が考えたプランを上回るだけの可能性があると判断しなければ彼は頷かないだろう。
だからそうトワ・オズボーンがリィン・オズボーンに生きて欲しいと願うならばそうした現実的なプランを提示する以外にないのだ。
必死にその明敏な頭脳を働かせる。何か、きっと何か方法があるはずだとそう信じて。
「とまあ俺が
もしも、そうもしも俺が考えたプランよりも
まだまだこれから先君と一緒に生きていたいし、アルティナの成長だって見届けたい。フィオナ姉さんとナイトハルトさんの結婚式にだって出席したいし、五人揃っては無理になってしまったが卒業旅行の約束だって果たしたいしね。
何せこちらにはかの獅子心皇帝に助力した魔女の長殿が付いているんだ。亀の甲より年の劫、ローゼリア殿なら俺なんかが思いつくよりもはるかに良い方法が思い浮かぶかもしれない。その辺りの事をこれから
そうだ、そうだそうだローゼリアさんなら何かいい手を思いつくかもしれない。だってあの人は自分なんかよりもはるかに長生きをしていて色んな事を知っていて不思議な力だって使える本物の魔女なんだからーーー文字通り縋るようにトワ・オズボーンは祈りを捧げる。
「だけど、もしも今俺が提示した以外の方法がなかった場合、黒の騎神イシュメルガを葬るためにはリィン・オズボーンという男の死が不可避なものであった場合は……どうか、止めないで欲しい。
君に泣かれてしまうとそれがきっと
その言葉が今度こそトワ・オズボーンから言葉を奪いとる。かつてのようなわがままをぶつける事は出来なかった。
何せかつて覚悟を固めたリィンにトワがわがままをぶつけた時とは状況が全く違うのだから。
あの時トワがリィンにした
だが今回かかっているのは世界の存亡であり、相手は英雄帝や獅子心皇帝、数多の英傑が打倒することが叶わずリィン・オズボーンもまたすでに一度敗れた神の如き力を持った存在が相手なのだ。
命を賭しても勝てるかどうかわからない、そんな状況で覚悟を定めた戦士に「生きて欲しい」などという願いをぶつけたところでもはやそれは相手を困らせるだけのわがままでしかない。
だって英雄とて別に死にたいわけではないのだ。それでも、そうそれでも命を賭してでも為さねば為らぬことがあると信じるが故にその命を賭すと決めたのだから。
「君と話したかった事はこれで全部だ。また後で。愛しているよ、トワ」
そっとされた口づけも今のトワにはもはや別れの言葉にしか思えなかった。
きっと、何かきっとあるはずだーーーとそんな女神への祈りを捧げながらトワ・オズボーンもまたオリヴァルト・ライゼ・アルノールの秘書として会議の場へと赴くのであった。
砕けた夢が刺さる痛みに喘ぎながら 怒りの刃を鬼にして戦い続けるだけ 閃く刃に刻む軌跡