屈辱の敗戦から一夜明けた翌日。
里自慢の入浴施設でその疲れを洗い流し、ゆっくりと睡眠をとって活力を取り戻すや否や一行は行動を開始した。
リィン・オズボーンとシャーリィ・オルランドの両名はその因縁に決着をつけ第四相克を果たすべく二人は揃って里の郊外へと赴いた。
G・シュミットとその愛弟子たち、そして魔女の眷属達は策定された計画を実行するための綿密な打ち合わせへと入った。
オーレリア・ルグィンとヴィクター・S・アルゼイドの両名は訪れた小休止の間にその英気を養う事を選んだ。歴戦の戦士である両名はもはや自分達の力量が数日程度の稽古でそうそう伸びるものではない事と休養もまた戦いの準備である事をよくよく理解していたからだ。
そして現在事実上のリーダーとなっているオリヴァルト・ライゼ・アルノールは……
「兄上、話というのは一体なんでしょうか」
素晴らしい友人達の助けでどうにか己を取り戻した弟にして皇太子であるセドリック・ライゼ・アルノールとの二人きりでの話し合いに臨んでいた。
「率直に聞こうセドリック、君は今も尚自らが皇帝となる気はあるかい?」
ーーーすまない私は君が思い悩んでいる事に気が付かなかった。全く以て兄失格だ。
そんな兄として言いたかった謝罪を呑み込みオリヴァルト・ライゼ・アルノールは皇族の長子にして帝国の副宰相としての問いかけを皇太子セドリック・ライゼ・アルノールに投げかけていた。
それはそうした謝罪がすなわち自らが弟の事を対等の存在としてではなく、
ならばこそ今オリヴァルト・ライゼ・アルノールはセドリック・ライゼ・アルノールを対等の存在だとみなした上で、これからの行動を定めるにあたって必要不可欠の確認を行っていた。
「ーーーそれは、黒に良いように操られた僕では皇帝の座に相応しくない。故にその座を自らに明け渡せ、という通告でしょうか?」
悔し気に己が手を握りしめながらセドリックは兄からの通告を受けとめる。宰相によってすんでのところで止めて貰ったが自分は危うくその手で皇帝である父を殺すところだったのだ。加えて副宰相として政務をこなしリベールを筆頭とした諸外国の有力者とも交流を深めた兄とは違い、未だ学生の未熟者。自分の方が皇帝の座に相応しいからその座を譲れと兄に言われれば、セドリックとしては甘んじて受け容れるしかない。
「いやそういうつもりはないよセドリック。今君は自分を不甲斐なく思っているのだろうが、私に言わせればその歳でそう思えている君は私などよりはるかに立派だよ。
私はね、ずっと逃げていたんだよ。自らがアルノールであるというその立場と責務から」
どうにも目前の弟は自分という存在を
「私に流れるこの血は私から母を奪った。ただの一平民として暮らし続ける事、それを奪った。正直に言ってこの身に流れる半分の血が疎ましくて仕方がなかったよ。皇帝に成るなんて頼まれたって冗談じゃなかった。
愛する女性と公に結ばれる事も出来ずに、さらには殺されても政治的なしがらみから報復する事さえ出来ない、そんな父の姿を私はこの目で見ていたからね。自由からは程遠いこの国で最も不自由な存在、それが皇帝なのだと思ったよ」
母を失い父である皇帝に庇護される事になったオリビエの父に対する感情は当然ながら良いものではなかった。なぜ母の傍にいずに母を守らなかったのだ!と恨んでさえ居た。それが母が死んだ途端父親面をされたところで父として認めて慕う事など出来ようはずもない。
故に当初オリビエは父を名乗る他人に対して会ったら即刻その旨を告げて拒絶と共に決別してやるつもりだったのだ。だが……そんな想いは父と会ってすぐに消え去った。再会するや否や当時まだ皇太子であった父ユーゲントは涙を流しながら我が子を抱きしめ何度も何度も謝罪を繰り返したからだ。
「すまないオリヴァルトすまない。お前から母を奪ったのは全て私の愚かさが原因だ。恨んでくれて良い、許さなくても良い、父だと思ってくれる必要とてない。だが頼む、今だけはどうか私のいう事を聞いてくれ。お前にまで何かあってはそれこそ私はアリエルに申し訳が立たないのだ。だからどうか頼む」
ーーーと。そうして抱きしめられているうちにオリビエの中にあった父に対する隔意はいつの間にか消失していた。父は決して自分の事も母の事も大切に思っていなかったわけではない事をその温もりから理解したからだ。
だが父に対する隔意が消えたのならば当然オリビエの中にはある疑問が残る事となる。ならば何故自分と母は父と離れ離れに暮らさなければならず、更には母はその命を奪われる事になったのか?という疑問が。そしてそれらは皇族としての教育を受けていくうちに氷解する事となった。すなわち皇族という地位が自分達家族を引き裂き、母を奪ったのだと。
「だから私は皇位継承権なんてものを放棄する事になって、そして弟である君がそれを引き受けてくれると知って心底安心したんだよ。
ーーーああ、これでこんなくだらないものに自分の人生を縛られずに済むとね。酷い兄だろう?それを背負う事がどれだけ辛い事なのかを理解しながら弟にその責任を押し付けて善しとしていたんだから」
セドリック・ライゼ・アルノールにとって兄のその言葉は完全に想像の埒外だったのだろう、完全に虚をつかれた表情を浮かべていた。
「で、でも僕から見た兄上はとてもそんな風には……」
「そりゃそうさ、私は君たちのお兄ちゃんだったからね。弟や妹の前ではそんな情けないところは見せたくないと思うのが兄心というものだろう?
まあそれ以前に皇太子という責務を真面目に果たそうとしている君からすると私の振る舞いが実像以上に大きく見えたのだろうね。でも何度も言うがかつての私の振る舞いはそんな立派なものじゃなかった。万が一にも皇帝なんて地位を押し付けられないためにもやっていた事だったんだ。
真面目に責任を果たそうと努力している皇太子とそうした責任を知らぬ存ぜぬとばかりに振舞っているちゃらんぽらんな長男、どっちが皇帝に相応しいと思うかは明らかだろう?」
セドリックが自分に対する気遣いと受け取っていた部分はむしろオリビエ自身の都合に基づいて行われていたのだという吐露、それはオリビエにとって叶う事ならばしたくない事だった。
いみじくも彼自身語った通り誰しも見栄を張りたい存在というのは居る。オリヴァルト・ライゼ・アルノールにとって弟と妹はそういう存在だったからだ。叶う事ならば妹と弟には自分を立派な兄だと思っていて欲しかった。
だがそんな見栄が目前の弟を追い詰めてしまったのであればそれを払拭しておかなければならないとオリビエは勇気を以て過去のみっともない自分の素顔を弟へと教えていく。
「放蕩皇子という私に対する揶揄、あれは今ではすっかりそう呼んだ者達の見る目がなかったという事になっているが実際は違う。かつての私は全く以てそう呼ばれても否定できない不良皇子だったよ。何しろそう呼ばれること自体を本望に思ってまるで改善しようとしなかったんだから。
精一杯皇太子として相応しくあろうと努力していた君と違い、どうしたらそうした皇族としての責任とやらから逃げられるのかばかりを考えていたのさ。もしもリィン君がもう10年早く生まれて私と同じ位の年齢だったのなら、それこそ君やアルフィンとは違い表面上だけの礼節は守った慇懃無礼の生きた見本みたいな態度を取られていたんじゃないかな?」
リィン・オズボーンは自らの責務を果たそうとしない者に対してとにかく厳しい。その厳しさには自分も含まれるどころか自らに対しては他人に求めるよりも尚一層に厳しいからこそ文句も言えないという非常に性質が悪い男である。そしてその厳しさは皇族相手であろうと容赦ない事をセドリックは良く知っている。
何故ならば彼はヴァンダールの教えを受けた者だが同時にヴァンダール家の者ではない。彼の剣が捧げられた対象は皇帝でも皇族でもなくその先にあるエレボニア帝国という国そのものなのだ。
だからこそそんな彼から見限られる事なく熱心な指導を受けている事がセドリックにとっては自らが皇太子に相応しい振る舞いが出来ている証左なのだと思えていたのだから。
「そんな私が本当の意味で変わることが出来たのは5年前のリベールへの旅を経てからだった。私はあそこで未来のために今を懸命に生きる人々の姿を知った。私よりも一回り以上も下の少女がその身に付きまとう責務へと惑いながらも、それでも背負う事を決めた姿を見た。人も国も、いくらでも気高く在れる事を知った。
そしてならばこそ自分が酷く情けなくて小さい男なのだと痛感させられた。責務を弟へと押し付けて逃げ続けていた自分がね。道化を装っているつもりで本物の道化に成り下がっていた事を知ったのさ。本当にミュラーはよくも私を見捨てず支え続けてくれたものだ、彼には感謝してもしきれない」
皇族としての責務と振る舞いについて口やかましく説教をしてくる事はあれどミュラー・ヴァンダールはオリヴァルト・ライゼ・アルノールを見捨てる事は決してなかった。自らはオリヴァルト・ライゼ・アルノールの臣下であると同時にオリビエ・レンハイムの友でもあるのだと言わんばかりにずっと傍で支え続けてくれたのだ。
「わかるだろうセドリック、私が本当の意味でこの国の皇子となる事が出来たのは25になってようやくだったんだ。それまでの私は皇子としての責任など背負うつもりは毛頭なかった揶揄された通りの放蕩皇子そのものの有様。
彼のようなスパルタ極まりない人物からの教えを積極的に希い、それを成長の糧としてトールズの首席を務めるようになった君とどちらが皇太子に相応しいか等誰が見たって明らかだ。君が私の事を何やら大層な人物だと思っていたのだとすれば、それは10以上も早くに生まれた経験の差、そして兄としての意地がそう見せたというだけの事なのさ」
責任から逃げていた者とそれを背負うために必死に藻掻いていた者、
「君は黒に操られていた自らを責めているのだろうが、それにしたって君自身が紡いだ絆によってそこから戻ってきて見せた。立派なものさ、何度も言うが私が君位の歳の頃は真実放蕩皇子そのものの有様だったんだから。これはお世辞じゃない、本心から思っている事だ。
出来る事なら思い出したくもない自分自身の黒歴史までこうして君に明かしたんだ。信じて欲しいものだね」
「……正直まだ半信半疑な部分はありますが、それでも兄上が僕の事を高く評価してくれている事は一応理解したつもりです。先の発言が決して僕が皇帝の座に相応しくないと思うが故のものではないことも。でもだとするならば一体如何なる意図だったのでしょうか?」
セドリック・ライゼ・アルノールにとって自由闊達に振舞う目前の兄は幼き頃からの身近な憧れだった。故にその憧れていた姿が実情はある種の逃避の結果によるものだった、等と言われてもそうすんなり呑み込めるものではない。どちらかと言えば兄として弟である自分に気を遣った結果、殊更自分を貶めるような事を言っているのではないかという想いの方が強い。
「言っただろう、私は皇族としての責任を弟に押し付けている事に気が付いたと。これから先我らが祖国は確実に苦難の時代を迎える。
戦勝に次ぐ戦勝によって沸き立ち繁栄を謳歌していた民に我らはこれから冷や水をかけにいかなければならない。勝って勝って勝ち続けた果てにいきついた先があわや大陸全土を巻き込んだ大戦になるところだと知らしめなければならない。
当然のように諸外国からの目は厳しいものとなるだろう。国際的な信頼の回復、そのために多くの譲歩を強いられる事にもなる。そしてそうなれば確実にこう思う者も一定数出るだろう、「あのまま宰相の指導の下共和国と戦争していた方が良かったのではないか?」とそんな具合にね。
それだけではない革新派の指導者であったかの宰相がそうした失態によって失脚したとなれば、貴族勢力もまたここぞとばかりに動き出すだろう。皇室に弓引き、内戦を引き起こした逆賊に組したという一件があればこそ彼らもおとなしくしていたわけだがそれもお相子になるのだからね。
この情勢下で皇帝に成るというのはすなわちされらの苦難に向き合い、背負った上で国の舵取りをしなければならないという事だ。セドリック、君にその覚悟はあるのか?」
普段のどこかおどけた態度とは異なる皇族の長子として、そして副宰相という要職を務める者としての真摯な瞳がセドリックを射抜く。
「君が皇太子に相応しくあろうと必死に努力し続けていた事を知っている。そんな君がかつての放蕩皇子であった頃の私に比べればはるかに皇族として立派だという想いは噓偽りないものだ。君に皇帝としての器がないのだとは毛頭思っていない。
だがその上で君は未だ成人も迎えてない未熟な若者に過ぎない。そんな君がこの情勢下で皇帝として戴冠するというのは想像を絶する辛苦を味わう事となるはずだ。あの素晴らしき友人達とも離れ離れになるかもしれない。余りにも辛く険しい道だ。
だからもしも君がそれを厭うというのならば、私がそれを引き受けるつもりだ。今は亡きユーゲント・ライゼ・アルノールの長子として、そして君の兄として」
オリヴァルトの告げる言葉、そこには紛れもない兄の弟に対する優しさが満ちていた。目前の兄が甘言を弄して皇帝の座を自分から奪い取ろうとしているわけではないことがセドリックにはわかる。
そもそも目前の兄はそうした立場に縛られる事を嫌う人物である事を想えば皇帝にだって本当は成りたくないのだという事をセドリックもことここに至って理解した。ならばこそこの提案はそうした苦労は長子である自分が引き受けるから弟である自分は自由に生きていいのだという兄としての紛れもない優しさに他ならず……
「……」
セドリック・ライゼ・アルノールの脳裏にかけがえのない友人たちの姿が過る。もう1年半、本来であれば自分は彼らともう1年半一緒に居られるはずなのだ。
まだまだ彼らと共にやりたいことがセドリックには無数にある。自分に好意を伝えてくれた翡翠髪の少女の好意にだって応えたい。にやついた顔で囃し立ててくるであろう悪友の姿も浮かぶが、それさえも友と呼べる人物などクルト位であったセドリックにとってはかけがえのないものに思えた。
そう自分は未だ皇太子といっても成人もしていない未熟な若者なのだ。ならばこの立派な兄に総てを託して任せて一体何の不都合があるのだろうかとそう囁く声がセドリックには聞こえる。自分には皇帝の器がない事を痛感した、だから真にその器を持った兄にその座を譲ると発表してしまうのだ。
そうすれば自分はまだまだ彼らと一緒にいることが出来るのだ。口さがない者達は好き勝手言うだろうが、友である彼らならば自分が皇太子ではなくなったからといって態度を変えたりなどしないとそうセドリックは心から信じている。
言え言ってしまうのだセドリック、「どうにも器じゃない事がよくよくわかったので後の事は兄上に総てお任せします。もっとも僕も弟として皇族の一員として学院を卒業後はアルフィン共々出来る限り兄上の助けになるつもりですから」とそう笑いながら言ってしまえばいい。
そうすれば自分が引き受けるはずだった苦労の大半を目前の兄が引き受けてくれる。そして自分はかけがえのない友人達と青春時代を謳歌すれば良いのだ。他ならぬ兄自身が言っていた事ではないか、兄が自分自身位の歳の頃にはそうして遊び呆けていたものだと。何故自分ばかりがただ皇族に生まれたというだけでそうした労苦をこんなにも早く引き受けなければならないのか。
かつてとは違いセドリック・ライゼ・アルノールは自らを対等の友として扱ってくれる者達に囲まれることの喜びを知った。それに比べればこの国に置いて至尊の座とされる皇帝という地位のなんと寒々しく映る事か。
「兄上、一つだけお聞かせください。兄上にとって、いいえこの国にとって僕が皇帝となるのと兄上が皇帝となるのとでは一体どちらの方が都合が良いですか?副宰相という要職を務めている者としての意見をお聞かせください」
だというのにセドリック・ライゼ・アルノールの口から紡がれたのはそんな言葉。そこにはこれまでのどこか熱に浮かされた危うさ交じりの情熱ではなく、静かな決意と覚悟が宿っているようにオリビエには感じられた。
「……それはもちろん皇太子セドリック・ライゼ・アルノールがそのままエレボニア帝国第90代皇帝へと戴冠してくれることだ。私には皇位継承権がないからね、そんな私が皇太子であった君を差し置いて皇帝に即位するとなればどうしたとて野心によるものだという疑いを持たれるだろう。
君が皇帝へと即位し、その上で私を宰相に任じてくれる。それがオズボーン宰相亡き後に起きる混乱を最小限に収めて、この国を纏め上げることが出来る最善の道だろう」
「ではそうしましょう。最善の道があるというのに僕一人のわがままのためにわざわざ混乱を承知で次善の道を選ぶ事はないでしょう」
「……良いのか、セドリック」
引き返すのならばそれを聞いているのが自分だけの今の内だぞと告げる兄の言葉にセドリックはそっと微笑を零して
「ええ、良いんです。多分皇太子ではなくなった僕でも、なんなら皇族でなくなったとしても彼らはきっと僕の事を友だと認めてくれる事でしょう」
クルト・ヴァンダール、アッシュ・カーバイド、ユウナ・クロフォード、アルティナ・オライオン、そしてミュゼ・イーグレット。
セドリック・ライゼ・アルノールにとってのかけがえのない友達の姿。「というわけでもう僕は皇太子じゃないんだ。皇族のままではあるけどね」などと冗談めかしながら告げる自分を笑いながら受け容れてくれる彼らの姿がセドリックの脳裏に過る。
「でもそれじゃダメなんです。僕自身が誇らしき友達に誇れる自分であるためにも、ここで兄上一人に総てを押し付けるなんて事は出来ない。だって僕はエレボニア帝国の皇太子なんだから。僕がそうする事で余計な哀しみを味わうことなく済む者達が居るのだというのならばそうするべきなんだ」
そこにかつて"英雄"の称号に固執し、自らの欲望を満たすために大陸中に惨禍をもたらす道を歩まんとしていた危うかった少年の姿はない。その身に宿る責務を懸命に果たさんとする紛れもない貴種の姿があった。
そんなたくましく成長した弟の姿にオリビエはそっと微笑を零して
「やれやれまったくこれでは兄として立つ瀬がないというものだね。私が25にもなってようやく抱くことが出来た決意と覚悟を君はその歳で持つに至ったんだから」
そうしてオリヴァルト・ライゼ・アルノールは一転その場へと跪きながら誓約を行う。
「
「その忠誠、確かに受け取った。そして同時にエレボニア帝国第90代皇帝として正式に逆賊ギリアスを宰相の任から解き、汝を帝国宰相へと任ずるものとする。これからもどうか帝国のためにその力を尽くしてほしい」
「はっ!」
それは儀式だ。これから先自分達兄弟は公的な場では兄弟としてではなく皇帝とその臣下なのだとその身に刻み込むための儀式。
これよりオリヴァルト副宰相とその盟友足るリィン将軍として行動していた陣営はセドリック新皇帝とその臣下として逆賊ギリアス・オズボーンを討伐し、帝国に正義と秩序を取り戻すための戦いを開始するのだった。
・・・
「話はちゃんと出来たのか?」
兄と弟の、そして皇族としてのどちらが皇帝となるのかという今後の動きに関わる重要な話を終えて自室へと戻ったオリビエを腹心にして親友のミュラー・ヴァンダールが迎える。
「ああ、セドリックは本当に頼もしく成長していた。自分が皇帝になると確かな覚悟を以て答えた。アレならばきっと大丈夫だ」
「……そうか」
弟の成長を誇らしげに語る親友にして主君の姿、それにミュラーもまた喜びと共に微笑を零す。
「そして私はそんなセドリックから宰相の座に任じられた。だからこそミュラー、私は決めたよ。兄として宰相として私がセドリックを支える。セドリックが父上の跡を継ぐというのならば私がかの宰相殿の跡を継ごう」
「オリビエ……」
これよりオリビエたちはセドリック・ライゼ・アルノールを新帝として擁して行動する。だが無論そうして皇帝へと戴冠したセドリックが直々に親政を行えるかと言えば答えは当然否だ。如何に帝国憲法上の建前はそうなっているとはいえ、政務に携わった事がないセドリックがその意気込みと覚悟だけでなんとかなる程に政治というのは甘くはない。
ならばこそそんなセドリックに代わり、そしてギリアス・オズボーンという強力な指導者の代わりに、彼亡きあとの混乱を収めて帝国を導く政治指導者が必要となる。そしてそれこそが宰相の役割に他ならないのだ。
「無論、継ぐといっても別段かの宰相のやり方をそっくりそのまま真似るわけじゃないさ。それでは一体かの宰相殿に叩きつけたあの宣戦布告は一体なんだったのか?という話だからね。私は私なりのやり方でこの国を正しいと思う方向に導いていくつもりだ」
自らが正しいと思う方向に国を導いて行く、それがいったいどういう事なのかオリビエはもう知っている。それはつまり
ギリアス・オズボーンがアレほどまでに憎まれたのは彼が強権的なやり方を以て敵対勢力を怯むことなく叩き潰す事を選んだからではあるが、では彼が今少し穏健的なやり方で以て改革を行っていたのであれば彼は憎まれずに済んだだろうか?答えは明確に否だ。
穏健的であろうと何だろうと政治に携わるというのはすなわち異なる方針の勢力から嫌われ憎まれるという事なのだから。カール・レーグニッツが良い例だろう、彼はオズボーンに比べて穏健的で革新派の良心ともいえる立ち位置だったがそんな彼でも革新派であるというだけで貴族勢力からは大いに憎まれた。そしてカール・レーグニッツはその良識故にギリアス・オズボーン程に熱狂的な支持を獲得するには至らずあくまでギリアス・オズボーンの有能な補佐役という立ち位置に甘んじる事となったのだから。
オリヴァルト・ライゼ・アルノールがこれまでその地位に比してほとんど憎まれずに済むことが済んだのはオズボーン父子という圧倒的な
だがこの戦いが勝利を以て終わった後そんな憎まれ役を引き受けてくれていた父子は消える。そしてオリヴァルト・ライゼ・アルノールこそが帝国宰相としてこの国の舵取りを行い、皇帝である弟の代わりにそうした矢面に立たなければならないのだ。
カール・レーグニッツに任せる事は出来ない、何せ革新派の指導者が盛大にやらかした後なのだ。その跡を革新派のNO2が引き継ぐ形では反発する者が余りにも多すぎる。そしてカール・レーグニッツには残念ながらそれを収めきるだけのカリスマと称されるような統率力までは存在しない。あくまで優秀な補佐役であってこそ輝く存在、それこそが革新派の良心カール・レーグニッツという男なのだから。副宰相となり支えて貰うのが一番だろう。
貴族勢力に任せるというのはオリビエにとっては論外だ。既に歴史の針は進み始めている。どれだけ貴族勢力が嘆こうとももはや身分制は解体していくほかないとオリビエは確信している。無論余りにも急進的なやり方では混乱も大きいため一定の配慮と各所との調整は必須だろうが。
そしてその結果どうなるかといえばオリヴァルト・ライゼ・アルノールこそが新たな帝国に於いては
革新派は不満を抱くだろう、改革の速度がギリアス・オズボーンが宰相を務めていた頃に比して遅くなる事に。
貴族派は不満を抱くだろう、結局改革を行い貴族制度を解体していく事それ自体は何も変わらないのだから。
民もまた不満を抱くだろう、オリビエの掲げる国際協調という方針は強きエレボニアを体現して黄金時代を齎した宰相に比して余りにも弱腰に映るのだから。
そうした不満に向き合い、宥めながらオリヴァルト・ライゼ・アルノールは祖国を正しいと思う方向に導いていかなければならないのだ。まさしく茨の道という他ない。
「……度し難いな私は。宰相殿のやり方を否定したというのに。彼は文字通りその命を捧げてこの国と世界の未来を守ろうとしているというのに。早くも彼が居なくなることを人として悼むのではなく、宰相としての打算から惜しんでいる自分がいるよ」
自らが宰相となった時の事、それを考えるとオリビエはリィン・オズボーンという帝国の英雄が惜しくてたまらなかった。
彼ならば、多少の不満を飲み干しそれが帝国の為とあらば従ってくれるだろう。
彼ならば、自らが憎まれる事も厭わずその武威を以て国内と国外への睨みを利かせ続けてくれる事だろう。
惜しい、鉄血宰相ギリアス・オズボーンの死という巨大な空白によって生じるであろう帝国の混乱、それを想えばリィン・オズボーンという国家にその忠誠を捧げた英雄までもが同時に居なくなる事は余りにも痛手であった。
そして国を守るために自らの命を捧げようとしている自分よりも年下の若者をそうした政治的な利用価値で以て図ってしまっている自らがなんとも汚れてしまったようにオリビエには思えて仕方がなかった。
「オリビエ……」
自嘲の笑みを浮かべる友の姿をミュラー・ヴァンダールは痛まし気に見つめる。
こうした政治的な次元の話となってしまうと無力となる自分が不甲斐なくて仕方がなかった。
そしてそのたびに自分にあの弟弟子のような軍事のみに留まらない政治的な手腕や影響力があればーーーと一体何度思った事だろうか。
「ミュラー、私がこれから歩もうとしているのは茨の道だ。そして君も知っての通りオリヴァルト・ライゼ・アルノールという男は元々そう大した男じゃない。25になるまでの間ずっとオリビエ・レンハイムである事に拘り、弟に押し付ける事を善しとして責任から逃げ続けていた、そんな情けない男だ。
今はこうして殊勝な事を言ったり考えていたりするがいざその段階になったら嫌気がさして逃げ出そうとするかもしれない。自分がそうした情けない男であった事を忘れて棚に上げて傲慢な権力者と成り果てるかもしれない。
だからミュラー、もしも私がそんな風になりかけた時はどうかわたしを叱ってくれ。私の、オリビエ・レンハイムの幼少からの友として」
「ああ、承知した。どこまでも付いていき支え続けるさお前という男をな」
ならばこそせめて支え続けようこの誇らしく成長した友にして主君を。それこそがリィン・オズボーンという英雄でさえも為すことが出来ない、ミュラー・ヴァンダールだからこそ出来る事だとそうミュラーは信じているのだから……
オリビエの境遇ってそんな最初から皇族としての自覚だの誇りだのを持てるようなものじゃなかったと思うんですよね。なので放蕩皇子という彼に対する揶揄はリベールに旅行に行く前は真実その通りのものだったと思うんですよ。そこにはおそらく万が一にも長子である事を理由に担ぎ上げられちゃ敵わんと自ら皇帝の座を遠ざける意図もあったんでしょうけど。
そんな彼がじゃあどうしてそこから卒業する事を決めたかと言えば、それはミュラーという親友の存在やヴァンダイク学院長を筆頭とした恩師の下のでトールズでの日々がまずきっかけになったのでしょう。そこで彼は実際にアルスターのような辺境の里以外の国を支えるエリート層の者達を知った。皇族という名の牢獄がそうした人たちから求められて存在する事を知った。
無論それでもすぐに自分が国を担おうなんて気になれるものでもないし、父である皇帝の信認を得ている鉄血宰相は有能で推し進めている改革も身分制の解体というオリビエの希望にも合致しているものです。故に強引なところはあれど「まああの宰相殿に任せておけば良いんじゃないかな?」位の気持ちで当初は居たと思うのです。
そしてそんな放蕩皇子の転機となったのがモラトリアムの延長を兼ねて行ったリベールへの旅行だったのでしょう。そこでの旅が放蕩皇子を真の貴種へと変えたのだと思います。