だが、国民に公平感は与えなくてはならんのだ。
七耀暦 1206年8月1日
獅子心将軍の凱旋によるお祭り騒ぎも一段落して、帝国には平穏が戻っていた。
そしてそんな最中、トールズ士官学院は一週間の夏季休暇へと突入していた。
昨年までは貴族生徒には一ヶ月の、平民生徒には5日間の休暇とされていたが、本年度より一週間にて統一。多くの生徒が実家へと一時的な帰省を果たしていた……
「良く来てくれましたね、いつもクルトが世話になっているみたいで歓迎させていただきますよ」
アッシュ・カーバイドの前でそう丁寧に挨拶を行うのは美女と称してなんら差し支えの無い友人と同じ蒼色の髪をした女性、曰く風御前との異名を持つオリエ・ヴァンダール。
何故今アッシュがこうしてクルトの実家に来ているかと言えば、端的に言って彼は故郷にいちいち帰省するのが面倒だったからだ。
既に自分を引き取った母親は亡くなっており、帰るための旅費や時間も馬鹿にはならない。いっそ寮に残るかと思ったところ、友人であるクルトが提案してきたのだ。「うちは門下生が一杯居て幾らでも泊まる場所ならあるから良ければ泊まるか?ちょうど母上も君に会いたがっているみたいだし」と。
アッシュにとっては渡りに船であった。何せクルトの実家は帝都に存在するのだから帝都で遊ぶにはもってこいだと。この男にしては珍しく、素直にその好意を受けることとしたのだ。
「どうも初めまして、アッシュ・カーバイドと言います。
クルトからすると気色悪いことこの上ない声色でアッシュはそうオリエへと話しかける。
友人の母親である事など関係ない。彼にとって美女に粉をかける事など当然の行為であり、むしろ男としての義務であるとさえ思っていた。
「いいえ、私はクルトの母のオリエと言います。貴方の事はクルトからの手紙で良く知っていますよ」
「お、マジっすか!いや~照れますね」
「ええ、貴方がクルトやセドリック殿下に
瞬間、オリエから凄まじいプレッシャーが放たれる。
アッシュは瞬時に離脱しようとする、しかし、オリエの動きはアッシュのそれよりも遥かに早かった。
「息子が色々と世話になったお礼です。この一週間せめてもののお礼として貴方には精一杯の饗しをさせて貰いましょう」
「てめぇクルト!図りやがったな!!!」
「僕は嘘など何一つ言っていないし書いていない。ただ事実をありのままに包み隠さず伝えただけだ!」
「ふざけんな!普通15も過ぎたら親に隠し事の一つや二つするもんだろ!どんだけマザコンなんだてめぇは!!!」
「安心しろ、友人を見捨てるような不義理な事をするつもりはない。母上からの修練を受けるのは僕も一緒だ」
「てめぇみたいな修行マニアの変態と一緒にすんな!てめぇにとっては修行が趣味だろうが、こちとら帝都で色々と遊ぶ為に計画してたんだぞ!」
「本当に仲が良いようで、母としては嬉しい限りです。さてそれでは息子が世話になったお礼を存分にさせてもらうとしましょう」
その言葉を皮切りに、アッシュ・カーバイドの地獄の如き夏季休暇が幕を開けるのであった……
・・・
「どうユウナ、向こうでの生活は?イジメとかにあっていない?」
一家団欒の夕食の場でユウナの母たるリナ・クロフォードは久方ぶりに会う娘へと問いかける。
何せトールズ士官学院と言えば、かの灰色の騎士の出身たる帝国最大の名門としてこのクロスベルでも有名であり、そこには帝国全土から若き英才達が集結している。そんなところに属州となってしまったクロスベル出身の娘が行っているとなれば、親としては当然の心配というものだろう。
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。皆良い人達ばかりで友達だって一杯出来たんだから」
級友は皆いい人ばかりだ。
共和国が侵攻してきた時も心の底から
自分たちの預かり知らぬところで共和国がクロスベルの併合を承認した事を喜んでくれた。
「これでクロスベルが侵略される危険性は大分下がった。
ーーーそこに悪意などは一切見えなかった、それは確かに断言できる。
恵まれているか、恵まれていないかで言えば確かに自分は恵まれているのだろう。
それこそ属州出身かと見下すような人間とて山のように居るのだから。
そんな風にユウナは割り切れない思いに蓋をするように、母からの問いかけに精一杯の笑顔を浮かべて答える。
「そうかい?それなら良いんだけどね……ただもしも辛くなったら何時だって帰ってきたって良いんだからね?
立派な警察官になるっていう貴方の夢はそりゃ誇らしいけど、親としては子どもが元気に幸せに生きてくれることが一番なんだから」
笑顔で答える娘の表情の中に僅かな陰りを母は見てとったがそれでもあえて踏み込む事はせずにただ娘にいざという時に帰る場所はあるのだとだけ示す。そんな母親の気遣いをユウナもありがたく受けとめる。
「うん、わかっているよお母さん。大丈夫だからそんなに心配しないで。
そりゃ訓練は滅茶苦茶厳しいし、教官は鬼みたいな人だけど、でも別に差別を受けたり理不尽な目にあっているわけじゃないから」
客観的に見てトールズ士官学院の教官はいい教官なのだと思う。
少なくとも自分の記憶の中では属州人だからと不当に扱われた覚えはない。
主任教官である帝国の英雄は鬼のように厳しいが、別にそれは自分に対してだけではなく生徒に対しては分け隔てなく厳しいーーーそれこそ皇太子相手であろうと例外など無く。
だからそこにユウナは文句を言うつもりはないーーー言えば烈火の如き猛反論をしてくる同室の少女が居るから尚更である。
そういう意味で自分は確かに恵まれた環境に居るという自覚がユウナにはある。
故に母親に対して語っている言葉は決して嘘というわけではないのだ。
「それよりも、そういうお母さん達の方こそ大丈夫だったの?」
「ああ、そっちの方なら心配要らないよ。
何でも共和国の工作部隊が色々とやろうとしていたみたいだけど、貴方の大好きなロイドさんが食い止めてくれたからねぇ」
クロスベルの英雄たるロイド・バニングスは今回の一件で株を上げた。
蠢動していた共和国の工作部隊による破壊活動、それらを鉄血の子どもたるクレア・リーヴェルトやレクター・アランドールらと協力して見事防いだからだ。
ルーファス総督はそれに対して「君たちが後方を支えてくれた事で我々は憂いなく眼前の敵へと注力出来た。この勝利は
無論、これらはルーファスのロイド・バニングスに対する個人的好意によるものではなく、極めて政治的な理由がそこには存在した。
まず第一に功績を挙げた者に対しては生まれの別なく厚く報いる事を知らしめ、より彼が標榜する実力主義を徹底する事。
第二にクロスベルの英雄たるロイド・バニングスと総督府は決していがみ合う関係ではなく、協力し合う関係にあるのだと示す事でクロスベル市民の総督府への感情を軟化させる事。
他にも他にもーーールーファス・アルバレアがこの手によって得たメリットは無数にある。
そして、そんな風に良いように利用されているとわかりながらもロイドには現状それを拒絶する事は出来なかった。
何故ならばロイド・バニングスはクロスベル軍警察に所属する警察官であり、ルーファス・アルバレアはクロスベル総督なのだから。正当な指揮系統から下された命令をーーーそれも自分が動かなければ無辜の市民が犠牲になるかもしれないという事態を前に動かない事などロイド・バニングスの信じる“正義”が許さなかったのだ。
「帝国に併合された時はどうなるかと思ったけど、思ったよりもそう悪いもんでもないのかもしれないね」
つぶやいた言葉は紛れもないレナ・クロフォードの本音であった。
ルーファス・アルバレアはクロスベルの統治に於いてクロスベル市民が
ルーファスにとっても自己の能力に依るのではなく、ただ貴族であるだけ、ただ帝国人であるという
故に彼はそうした豚を庇うような真似は一切せずに、むしろクロスベル市民の溜飲を下げるための生贄として用いた。
自分は帝国人だから、帝国貴族だから属州の平民如きに多少の無体を働こうと許されるそんな傲慢な考えで法を犯した者は尽く厳罰に処された。
この地がかつてそうした帝国人や共和国人に対して何も出来なかったのは偏にクロスベルという地が宗主国である両国の顔色を伺わなければならないからであった。
だが、ルーファス・アルバレアは違う。彼はそんなものを伺う必要はない。何故ならば彼は今や鉄血宰相に次ぐ程の権勢を持つ
故にこそ皮肉にも今のクロスベルは自治州時代よりもはるかに公正に帝国人、共和国人の犯罪が取り締まられている状態にあった。
無論、人の心の中に根付いた特権意識というのはそう簡単に拭い去れるものではない。日常レベルに於いて属州と見下してくる帝国人というのは山ほどいる。
しかし、そう言った存在は自治州時代にも存在した事を考えれば、自治州時代よりも悪化したとは一概には言えないものであった。
そして経済の面に於いても帝国の資本が優遇されてどんどんクロスベルの経済が乗っ取られ始めていると言っても夫がミシュラムで働いており、自身は専業主婦のレナにとって見れば別段夫の収入は変わっておらず、あからさまに重税になったわけでもないのでいまいちピンとくる話ではない。
だからこそ、レナ・クロフォードは別段今の生活に激しい不満は無かった。
何故ならば彼女は国家の行く末等ではなく家族の幸福をこそ願っている善良な一市民だから。
彼女にとっては強大な権力者に抗う等という行為は想像の埒外であり、少しでも
そしてクロスベル総督となったルーファス・アルバレアに対して彼女は全く不満を抱いていないわけではないが、それでも汚職と乱行によって逮捕されたミハイル・ハルトマン元議長や独立を煽って生活に多大な負担をかけた挙げ句結局最悪の結果で終わったディーター・クロイス元市長などに比べれば遥かに
「・・・・・・・・」
「ユウナ?どうかした?お母さん、なにかまずいこと言ったかしら?」
レナとしてはただ現状こちらも特に問題なく上手くやっている。
だから心配する事はないとただそれだけの事を伝えたつもりなのに、どこか浮かない顔を浮かべた娘の表情になにかまずいことを言ってしまったのだろうかと心配する。
「あ、別に気にしないで。ちょっとお母さんの料理が懐かしくてしんみりとした気持ちになっちゃっただけだから」
誤魔化すように告げる娘にレナはあえてそれ以上踏み込むような事はしなかった。
その後は特に暗い話題になる事もなく久しぶりに勢揃いしたクロフォード家は他愛ない事を話し合い、ユウナは久方ぶりに実家で穏やかな一時を過ごすのであった……
英雄の家族までもが英雄的な精神を持っているわけじゃないよねという話し
クロフォード家、ハーシェル家はそれぞれ標準的かつ良識的なクロスベル市民及び帝都市民を想定。