襲撃から一夜明け、クロスベル総督府は常の落ち着きを取り戻していた。
昨夜の襲撃によってオルキスタワーの最上階から凡そ5階分がその高熱によって修繕が必要となった物の、それでもタワーの全損は免れたため予定通りに議会は開催。レーグニッツ知事より八大都市構想についての話が議場では話されていた。
そして、クロスベル州議会議長ヘンリー・マクダエル氏は体調の不良のためこれを欠席。昨夜もその場に居合わせてなかった事から、昨夜の襲撃は曰くマクダエル議長が裏で糸を引いていたものではないかという噂が
「マクダエル議長に限ってそのような事はあり得ない。彼は独立騒動の際にも一貫して帝国と皇室への忠誠を尽くした気骨ある忠臣だ。しかし、そのような方であっても老齢から来る身体の衰えばかりはどうしようもない。今回の議長の欠席はあくまでも
と議長を擁護する声明を直々に発表。これによりヘンリー・マクダエルの行動はしばらくの間封殺される事となった。
何故ならば此処で健在な姿を自分が見せてしまえば、それはそのまま病と偽りながら裏で結社と繋がって総督たちを亡き者にしようとしていた黒幕であるという疑念の再発を意味するが故に。
かくしてヘンリー・マクダエルというクロスベルに於いて数少ない気骨の士を欠いた議会はルーファス・アルバレアの思惑通りに進む事となるのであった。
・・・
「オライオン候補生、劫炎の打倒のために貴官の力が必要だ。30分後に出発するためそれまでに準備を整えておくように」
明朝、開口一番にアルティナが告げられたのはそんな命令であった。
それはアルティナにとって神からの啓示にも等しい絶対のものであったはずだ。
常のアルティナならば恐るべき速度で了承の意を伝えて、30分どころか数分で出発の準備を整えただろう。
だというのに何故だろう、アルティナは即座に動く事が出来なかった。
普段の太陽のような笑顔をどこかにやったようにふさぎ込んでいる同室の少女が頭の中に過って離れなかった。
「クロフォード候補生の事が気がかりか?」
「……はい。正直、私はユウナさんが何故塞ぎ込んでいるのかはわかりません。
ユウナさんがバニングス中佐を始めとした特務支援課の事を尊敬している事は知っています。
だからこそ根源の語る言葉に対して反発したのはわかります」
自分の崇敬する人物を愚弄されれば反発して当然だろう。
アルティナにもそれは痛い程理解出来る。
だからユウナがマリアベルに対して食って掛かったのは当然の事だ。
諫めはしたが納得出来る。そうそこまでならばアルティナにとっては理解の範疇だった。
「ですがその後ルーファス総督によってその彼女の語った虚偽は明かされました。
バニングス中佐は総督閣下から確かな信頼を寄せられ、大任を任されています。
それはユウナさんにとっても喜ばしい事のはずです。
なのにどうしてあのように総督閣下に反発めいた態度をとったのか……」
「簡単な事だろう。彼女は帝国に対して隔意を抱いているとーーーまあそういう事だろう」
サラリと告げられた言葉にアルティナは目を丸くする。
「なんだ、そんなにも慮外な事だったか?別段そうおかしい事ではないだろう。
元よりクロスベルは独立騒動が起きるほどに住人の自立心が強い地だったんだ。
併合してこの地が正式に帝国領となって未だに2年半程度。帝国に対して含む事があるのは人としてある意味当然だろうーーー郷土愛が強い人物であればなおの事だ」
「それは……その、よろしいのでしょうか?」
軍人とは何に於いても国家に対する忠誠をこそ求められる立場だ。
そしてトールズ士官学院は今やアルティナの目の前に今立っている人物の活躍もあって帝国最高峰から最高の名門と呼んでいいものとなった。
所属している生徒は皆将来帝国の中枢を担う事を期待された国の宝と言える人材なのだ。
ならばこそ国家に対する忠誠心というのは
「公然と発言すれば流石に処罰せざる得ないが、まあ
一つの価値観で統一された集団というのは強固であると同時に危うくもあるからな。
強い集団を作ろうと思うならば多様な個性を持つ人物を抱える度量を上に立つ者は持つ必要がある」
無論国家に対して忠誠を捧げている人物の方が当然望ましいが、軍人とはいえ人間である以上一事が万事そう在れるものではない。軍隊には様々な人間が集う。中には当然、食うために仕方なく軍人になった者もいるし、それこそついこの間まで敵として戦った北の猟兵などもリィンが指揮する部隊にはいるのだ。
ならばこそ心の中で不満を抱いている事や愚痴を吐く程度の事も許容し無い程にリィン・オズボーンは狭量ではない。
公的な場で公然と言われては流石にけじめのために処分せざるを得ないが、ルールさえ守っているのならばそれで良しとしよう。
こちらの寛大さを甘さと勘違いして増長して法を逸脱するような事があれば、その時はその身を以て然るべき報いを受けてもらうだけの事なのだから。
「だからこそクロフォード候補生が現在塞ぎ込んでいる理由も粗方推測はつく。
昨夜の一件で改めて突きつけられたのだろう、彼女が愛したクロスベル自治州もクロスベル警察も既に存在せずに、今あるのは帝国領クロスベル州と軍警察だという現実をな。
まあ訪れるべくして訪れた試練という奴だな」
リィンは突き放すように告げる。
いや、真実突き放しているのだろう。リィン・オズボーンにとってみれば最優先すべきは帝国の秩序と安寧だ。
なればこそ帝国の未来を担う事となるトールズ士官学院所属のユウナ・クロフォード候補生には教官として相応に目をかけているが、クロスベル出身の少女の私人として抱く葛藤に寄りそう気は彼にはない。
内面にどのような葛藤を抱えていようが
今の内に大いに悩むことだ若人よ、そして悩んだ末に出したその答えをこそ先人として祝福しよう。
その上で出した答えが帝国に益を齎すものならばそれで良し。仮にかつてのクロスベルを取り戻す等という夢想にとりつかれて帝国に仇名すものであればその時は全力を以て粉砕するまでの事。
それがリィンの認識である以上、彼からユウナにかける言葉など存在しない。
かけるとしてもそれは昨夜ルーファス総督がユウナにかけた言葉の焼き直しとなるだろう。
「栄光ある帝国の一員として貴官が帝国に貢献していく事を私は期待している。だからこそ敵の悪意ある発言などに惑わされる事なかれ」---とまあそんな内容だ。
リィン・オズボーンはもはやその程度で揺らぐことなどない。既に何千何万もの敵兵を殺した英雄にとって属州出身の少女の抱く
彼には彼にしか為せない事が山のようにあるのだから。
それは将としては間違いなく正しい態度ではあったが、人としての温かみに欠けた態度でもあっただろう。
そんなリィンを前にしてアルティナはほんの少しだけ顔を歪める。
「不服そうだな、
そしてそんなアルティナの様子を見て、どこか嬉しそうに口角を吊り上げながらリィンは告げる。
「い、いえそんな事は決して!だってリィンさんの語るお言葉に間違いなんて何一つとしてありませんから!!!」
焦りと共にアルティナはリィンの告げた言葉を否定する。
不服等という事があるはずがないーーー何故ならばアルティナの敬愛して止まぬ目前の人物が語った言葉はどこまでも
彼がユウナ・クロフォードを指導しているのはつまるところいずれ彼女が帝国に貢献する人物になる事を期待しているからこそ。
リィン・オズボーンの行動原理はあくまでも祖国たる帝国とそこに住まう民の幸福である以上、その帝国に対して隔意を抱いているユウナに対してどこか突き放した態度になるのは当然だろう。
彼にしてみれば帝国に忠誠を誓いさえすれば、そうした葛藤から解放されるだけの事なのだから。---むしろ彼女のそうした隔意を承知しながら、罰するような事をしていないだけ寛大な態度とさえ言えるだろう。
だからこそ、そんなリィンの言葉にアルティナが不満を抱くなど
何故ならばアルティナ・オライオンにとってリィン・オズボーンとは
それに不満を抱いたとすれば、間違っているのはそんな不満を抱いた自分の方であるーーー等とアルティナは思っていた。
「確かに私自身今語った言葉が間違っているとは思わない。
だがなアルティナ、それは軍人として間違っていないだけだよ。
そして士官候補生たるアルティナ・オライオン曹長には私の命令に従う義務が存在するが、私人としてそこに反感を抱く事は別段問題はない」
だが、そんな自身の言葉に不満を抱いたアルティナの態度をむしろリィンは喜んでいた。
これこそ紛れもない目の前の少女の成長の兆しなのだと心から。
「オライオン候補生、私は先ほどの発言も貴官に下した命令も取り消すつもりはない。
劫炎のマクバーンは此処で確実に仕留めなければならない危険極まりない敵であり、そして奴を打倒する作戦には貴官の存在も必要不可欠だからな。故に、貴官が友人たるクロフォード候補生の事が気がかりであったとしても、任務を放り出して彼女の傍に居る事を認めてやることは出来ん」
何故ならばそれこそが軍人だから。
愛娘に生じたその私情を喜びながらも、それを優先させてやることは出来ない。
「だが、出発までの30分までの間に
塞ぎ込んでいる友人が居て、それを放置したままでは心情的に任務に支障をきたしかねないというのならば、それを晴らす事も準備の範疇だろう。
伝えてやればいい、単なる士官候補生の同期というだけではないユウナ・クロフォードの友であるアルティナ・オライオンの想いをな」
「はい……!」
告げられた言葉を噛み締めながらアルティナは自分たちの寝室へと向かう。
目的は出立の準備をするため、そして大切な友達に自分の想いを伝えるため。
そうして走り出した愛娘の背中をリィンは優しく見送るのであった……
リィンの語る理屈が正しいと思う気持ちも嘘じゃない。
だけどそれはそれとしてそうした理屈を抜きにして落ち込むユウナを放っておけないと思う気持ちも嘘じゃない。
そんなアルティナちゃん