デアフリンガー号の食堂車、そこで演習中の生徒たちは朝食の時間を迎えていた。
作られたミルク粥は寝起きの胃袋にも優しく、味も良い。
昨夜オルキスタワーで出されたごちそうとは流石に比べるべくもないが、それでも十二分に美味と言えるものである。
普段であれば舌鼓を打ちつつ、軽い談笑が執り行われる明るい空間が広がっているものだが、現在は常と異なりどこか重い空気が漂っていた。
「……ユウナさんは欠席ですか」
「うん、第一班のみんなが部屋まで持って行くって」
エイダの問いかけにサンディが応える。
どちらもその表情は浮かないものであるが、そこに込められている意味が両者の間で異なっている。
サンディのそれはユウナを心配するものであるが、エイダのそれはどちらかと言えば……
「そうですか、皇太子殿下の手ずからお食事を運んで頂けるだなんて随分とまあ羨ましい立場ですね」
「……属州人の癖に、とでも言いたいの?」
エイダの告げた言葉の中に含まれた棘、それに敏感に反応をしたのは会話していたサンディではなく属州たるノーザンブリア出身であるヴァレリーであった。
「別にそんな意図はありませんーーーただ、ユウナさんは少々自分がどれ程恵まれた立場に居るかという自覚が足りないのではないかとそう思っただけです」
ヴァレリーからの敵意の込められた言葉を意に介さないようにエイダは鼻を鳴らす。
「良いですか、セドリック殿下は我がエレボニアの皇太子ーーーいずれこの国に於いて至尊の地位に就かれるお方なのですよ。そのお傍に居る事を許されるというのは我々帝国人にとっては感激にむせび泣くべき至高の栄誉です。そのような恵まれた立場にあり、総督閣下からもあのように直々に激励して頂くという栄誉に預かりながら、彼女は昨夜何と言おうとしていましたか?
帝国の為ではない?何なのですかそれは!一体この学院に入学したくてもそれが叶わず涙を呑んだ人間がどれ程居ると思っているのですか?それなのに、端から彼女の中に帝国への忠誠心はなく、ただ自分のキャリアのために利用しようとしていただけだと?共に祖国の為に戦う戦友だとーーーそう思っていたのはこちらだけだったとでも言うんですか!?」
吐き出されたのは「裏切られた」という憤りの言葉。
そのエイダの剣幕を前に食って掛かった側のヴァレリーも一瞬言葉に詰まる。
「……本音を言うならば、私のユウナさんに対するこの感情に“嫉妬”と呼ばれる感情がないと言えばそれは嘘になります。私は羨ましくて、妬ましかった。皇太子殿下の傍に居るという栄誉が許された事も、その上でああも自然体でセドリック殿下に接する事が出来る彼女の事が」
入学したばかりの頃、エイダはユウナの事が嫌いであった、一方的に妬んでいたと言ってもいい。
クルト・ヴァンダールとアルティナ・オライオン、この両名が皇太子殿下と同じ班という栄誉を授かった事をエイダは納得と共に受け止めた。前者はかのヴァンダール子爵家の子息で皇太子とも幼少期からの付き合いだし、席次にしても次席での入学を果たしている。アルティナ・オライオンにしても席次は三位であり、トドメとばかりに後見人をかの英雄直々に務めているのだから、不満の持ちようもない。
ミュゼ・イーグレットにしても席次こそ10番目で自分よりも下だが、それでも十分に優等と評していい席次であり、伯爵家の息女という事を考慮すれば許容することは出来た。
だが翻ってユウナ・クロフォードなる少女とアッシュ・カーバイドなる少年はどうか?席次にしても平均以上ではあるものの優等とは言い難く、片やラクウェルきっての悪童でもう片方は属州たるクロスベル。何故席次に於いて上回っている自分達ではなく、彼女たちなのかとーーーそう思うのもある意味当然の成り行きだったと言えるだろう。そしてそこに
故に入学して程なく、フリッツとエイダの二人は己が担当教官たるリィン・オズボーンへと尋ねたのだ。何故自分達ではなく、あの二人なのか?と。
そんな二人の問いかけに対してリィンは怒るでもなく、ただ微笑を浮かべながらこう答えたのだ。
「理由は至って簡単、あの二人から刺激を受ける事が殿下の成長に寄与すると判断したからだ。
貴官たちは優秀だ。故にあの二人ではなく、自分たちの方こそが殿下のお傍に相応しいとそう思う事を傲慢とは言うまい。
そう言えるだけの才とそれに奢る事無く積み重ねた研鑽を貴官たちは間違いなく有しているのだから。
ああ、貴官たちはいずれ帝国を担う事となる紛れもない逸材だ。まさしく国の宝と称すべきだろう」
尊敬する英雄からの絶賛と言って良い言葉にフリッツとエイダは自身の頬が紅潮するのを自覚した。
「しかしな、そんな貴官達だからこそ、同じ班にしてしまっては殿下の成長に寄与しないと私は思っている」
「それは……何故ですか?私たちには何時だとて祖国と帝室の為ならばこの身を捧ぐ覚悟があります!!」
エイダとフリッツの頭に浮かぶのは皇太子に対する畏敬の念などまるで持ち合わせていないように気安く接するユウナとアッシュの姿。皇室に対する畏敬の念というものを強く抱いている二人にとってユウナとアッシュの態度は余りにも無礼なように思えた。
「そうだな貴官達は極めて模範的な生徒だ。祖国と帝室に対するその忠誠心を疑いはしまい。
だが、だからこそ殿下のお傍には貴官達ではなくあの二人こそが相応しいと思っている。
何故ならば、殿下に今必要なのは忠誠を誓う臣下ではなく、対等の友人だからな。
---聞くが、貴官達はクロフォード候補生やカーバイド候補生のようにああまで気安く殿下に接する事が出来るか?」
「「--------------------」」
「まず出来まい。貴官達は
長年の間に培われた帝室に対する畏敬の念がそれを妨げる。
その点、クロフォード候補生とカーバイド候補生にはそれがない」
片やついこの前に帝国へと併合されたクロスベルの人間。
もう片方はラクウェルきっての悪童。
彼らの中には帝室に対する畏敬の念がほとんど存在しない。
それは軍属としてみれば間違いなく短所として扱われるものだが、皇太子セドリック・ライゼ・アルノールを相手に自然体で接することが出来るという長所にも成り得る。
「無論彼らのようなものばかりを同じ班にしてもそれはそれで偏りが出る。
だからこそ模範生からは次席ヴァンダール候補生と三席のオライオン候補生を選び、バランスをとる意味で伯爵家の人間であるイーグレット候補生も加えたわけだ。
殿下はいずれこの国を統べる事となる。世に居るのが今まで接してきた模範的な人物ばかりではないと知る必要があるーーーそう判断した」
軍属として正しい在り方がどちらかと言えば、それは間違いなくエイダとフリッツの両名だろう。
帝国の士官学校に入学していながら、帝室に対する畏敬の念を持ち合わせていない等叱責されて然るべきものだ。
だというのに、それを逆に評価されて皇太子の傍に居るという栄誉を授かるなど、ひたむきに努力をし続けてきた両名にとってはまさしく理不尽という他ない。
だが長所と短所というのは表裏一体。エイダとフリッツは士官候補生として模範的あればこそ、セドリック・ライゼ・アルノールに対しての接し方は、同級生や友人としてのものではなく、臣下としてのものとなってしまう。
「以上が、私が模範生である貴官達ではなく彼らをこそ殿下と同じ班にした理由だ。
貴官達からすれば少々納得し難いものがあるかもしれんが、理解して貰いたい。
そして貴官達もまた、彼らと互いに刺激し合い成長する事を期待している。
いずれ貴官達と肩を並べて戦う事を楽しみにしているよ」
そんな風に言われてしまえばもはやエイダとフリッツにしてみれば引き下がる以外の選択肢はなかった。
心の中に若干釈然としない思いを抱えながらも。
「ですが、この一年間共に過ごす事で私は、ユウナさんの事をようやく認められるようになりました。
その立場に奢る事無く努力する姿*1を見せられて、多くの事を語り合い、尊敬に値する戦友なのだとそう思えるようになりましたーーーとんだ勘違いだったというわけですね。彼女の中に帝国の為に戦おうという意志等欠片も存在していなかった」
ユウナ・クロフォードは同じ志を抱いて肩を並べる戦友等ではなかった。
昨夜のあの様子を見た事で彼女が帝国に対して隔意を抱いていたという事をエイダは否応なしに理解出来てしまった。
そうしてこの一年の間に培われた敬意と友情が失われてしまえば、再び浮かび上がるのは昇華されたはずの嫉妬の念。
何故、自分ではなく、帝国に対する忠誠心も皇室への畏敬の念も持ち合わせていない
「エイダの言いたいことはわかったよ……でも、それってそこまで責められるような事かな?」
重苦しい沈黙がその場を包もうとしたその時、エイダのユウナに対する失望と妬心、双方が入り混じった吐露へと反応したのは温和な調停役としてクラス内でも人望の厚いスタークだった。
「な、何を言っているんですか!我々は栄えあるトールズ士官学院の生徒なのですよ!?この学院への入学を夢見ながら、それが叶わない者は五万といるのです。多くの者の期待を背負い、我々はこの場に居るのです。そうした立場にあるものが、愛国心を持ち合わせていないなどそんなの許されるはずがないではないですか!」
「でも、それを言ったらクロウ教官はどうなるんだい?あの人が帝国に心からの忠誠を誓っているようにはとてもじゃないけど、俺には思えないよ」
「---それ、は」
痛いところを突かれたようにエイダは沈黙する。
クロウ・アームブラストはその能力こそ疑いようがないが、愛国心が強いとはお世辞にも言えない人物だ。
だが、それでも彼は帝国の英雄たるリィンから信頼されているのだから。
「クロウ教官だけじゃない、俺だってそうだよ。
国の為に胸を張って死ねるかと言ったら即答は出来ないよ。
俺がこの学院に入学したのはそんな綺麗な理由じゃなくて、ただ無料で高等教育を受けられるのが此処位だったからって理由だったし」
ジュライは現在経済特区として繁栄を謳歌している。
しかし、だからといってすべての人間がその繁栄を謳歌出来るかと言えば答えはNOだ。
勝者も居れば、敗者も居る。それが世の中というものであり、彼の両親は敗者の側ーーーそうした繁栄に取り残された側だった。
商いを営んでいるが、経営状態ははっきりいって余り良くない。
それこそ神童と呼ばれるほどに優秀な息子に高等教育を受けるための学費を捻出するのも難しい程に。
だからこそ、彼は無料で高等教育が受けられる士官学院へと入学した。
引き換えに5年間軍務に就く必要があるが*2が、代わりに帝国の軍部のみならず政財界に確固たる影響力を持つ、トールズ閥とのつながりを得られるのだ。
そこに国の為だとか、誰かの為といった綺麗な理由は存在しない。
あくまで自分と家族の為にこそスタークはこの学院の門を叩いたのだ。
そしてそれを言われてしまうとエイダとしても余り強く物を言うことが出来ない。
彼女の父は帝国正規軍に於いて大佐の地位に在る高級将校であり、母にしてもまず裕福と言って良い生まれだ。
貴族でこそないものの一般的に言って、自身が恵まれた立場の人間という自覚が彼女にはある。
「……私の言ったことは間違っていません」
だとしても自分の言ったことが間違いだとエイダは思わない。
何故ならば自分たちは国家の為に身命を捧ぐ軍人の卵なのだから。
それが恵まれた立場の人間だからこそ言える強者の論理だったとしても、自身の言葉は決して間違っていないはずなのだ。
「そうだね、エイダの言っている事は俺も正しいと思うよ。
でも俺はユウナも別にそう間違っているとは思わない
腹の中に何か含む物の一つや二つ、誰だって持っているものだろ?
その上でユウナは普段それを表に出さずにちゃんと俺たちに歩調を合わせていたじゃないか。
それは別に俺たちを欺いていたとかそういうのじゃなくて、彼女が俺たちに対してその辺気を遣っていたって事だろ?
だから俺としてはエイダにあんまりユウナを追い詰めるような事をして欲しくないなって思うんだよ。
級友同士が争うところなんてあんまり見たいものじゃないからさ」
「…………」
スタークの言葉にはやんわりとした口調の中に確固たる意志が込められていた。
それを受けてエイダは思案するかのように目を幾ばくか閉じると、おもむろにため息をついて
「……わかりました。基より教官方が罰を下していないというのに、級友に過ぎない私が一方的に糾弾するというのもおかしな話ではあります、貴方の顔を立てて徒にこちら側から波風を立てるような真似はしません。
ですが、それはあくまでこちらから事を荒立てるような真似をしないというだけの事。今後もこれまでのように彼女を共に肩を並べる級友と思えるかどうかは、これからの彼女次第ですーーー良いですよね?」
「ああ、それはもちろん。その人物が信頼出来るかどうか決めるのはエイダ自身だ。俺が口を挟む事じゃない。
俺はただ単に、あんまり彼女を追い詰めないで欲しいと思っただけだからさ」
「貴方も中々どうして、気苦労の絶えない人ですね」
告げたエイダの言葉に当初の刺々しさは消え、級友を労う優しさがそこには込められていた。
「ははは、小さいころにヤンチャな兄貴分に連れまわされてそれの尻ぬぐいしていたせいかな。
どうもそういう性分になっちゃったみたいだ」
今では蒼の騎士等という似合わない異名で呼ばれるようになった兄貴分との懐かしき記憶、それを思い出してスタークはそっと苦笑するのだった。
スタークって割とトールズに入学した理由が謎なんですよね。
クロウが兄貴分でそのクロウとクロウの祖父がどうなったかを考えれば余り帝国に好意的であるようには思えない。
かといってⅢやⅣでの様子を見ているとそんなに帝国に隔意を抱いているようにも思えないし、大分大人びているように思える。
その事から、割とのっぴきならない事情でトールズに進学して、それ故にそうしたイデオロギー的な物に対してある程度達観しているんじゃないかなと思い今回の役回りとなりました。
エイダとフリッツについては模範的、それ故に多少傲慢なところのあるエリートだと思っています。
ちなみにリィン将軍は教え子たちの今回のやり取りを見た場合「計画通り」となります。