時刻は08:00
当の昔に起床時間を過ぎていながら、ユウナ・クロフォードは未だ起き上がる事が出来ず、ベッドの上でシーツに包まっていた。表向きの理由は体調を崩したという事になっているが、それは嘘だ。いや、一概に嘘とは言えないのかもしれない、何故ならば今の彼女は肉体にこそ問題がないもののその精神面に大きな亀裂が入った状態なのだから。
ユウナはずっと夢見ていた。憧れの英雄の背中に追いつき、肩を並べられるようになることをーーーただの後輩ではなく特務支援課のユウナ・クロフォードとなるその日を。
しかしそんな夢に暗雲が立ち込め始める事となったーーークロスベルが帝国に併合され、特務支援課が解散となり、ユウナ自身も警察学校を退学になりかけた事で。
それでもユウナは諦めなかった。憧れのあの人たちが諦めずに頑張っているのだからーーーと、歯を喰いしばり続けてきた。
そうして努力し続けた果てに突き付けられたのは余りにも大きな壁。
自分は愚か、自分の憧れの人でさえも帝国という強大な存在には有用な駒として扱われ、どれだけ自分たちはあくまでクロスベルの為に戦っているのだと叫んでもクロスベルの人から見れば帝国に媚びたのだとみられるという現実。
それを仕方がない事だと飲み込むにはーーー彼女は余りにもまだ若く青臭く、未熟だった。
どれほど歯を喰いしばり続け頑張ったたとしても、結局笑うのは帝国で、自分のような小娘はルーファス・アルバレアによって利用されて終わる*1だけなのだとそんな諦観が彼女の心の中で張り続けていた糸を断ち切ってしまったのだ。
(もう……疲れちゃったな……)
どれほど必死に努力をしても埋まらず突き付け続けられる本物の天才たちとの埋めがたい差とはるか雲の上に位置する英雄の存在は耐えずユウナの心を削り続けてきた。
そしてトドメとばかりに昨夜見せられた、どれほど頑張ろうとも結局それはルーファス・アルバレアの掌の上で踊るだけに終わるのだと言わんばかりの問答ーーーそれがユウナの心に大きな亀裂を生んだ。
どれほど辛くても歯を食いしばりながら前に進み続けるしかないーーーそんな事はユウナにだってわかっている。
だけどそれでもユウナ・クロフォードは心を持った人間ーーーそれも未だ成人もしていない未熟な少女なのだ。
時に立ち止まって、休みたくなったとしてもーーーそれは仕方がない事だろう。
壁など踏破するものでしかないと言わんばかりに、怯む事無く挑み続ける存在こそが異常なのだ。
「ユウナさん……せめて食事だけでもきちんと取ってください。心が弱っている時程きちんと栄養を摂らないと」
「あんな女の嫌味程度でへこたれてんじゃねぇよ。あんなのは単に適当にそれっぽい理屈を並べ立てているだけだろうが」
ミュゼの気遣いに満ちた言葉、アッシュの発破。ありがたいはずのそれも今のユウナにとっては煩わしいものでしかなかった。
ーーーいっそ彼らが、いかにも傲慢な宗主国の人間であればユウナは思う存分に帝国を憎むことが出来た。
しかし、こうして友人として誠意に満ちた態度を向けられてそんな事を出来るはずもない。
要らないと意思表示するかのようにフルフルと力なくユウナは頭を振る。
「………………」
何かを言わなければならない、目前の気落ちした学友の様子を見てセドリックの胸の中にはそんな思いがくすぶっている。何故ならば自分はこの国の皇太子なのだから。クロスベルの民の中に帝国に対する隔意が燻ぶっている事はわかりきっていた事だったーーーだからこそ、目前の少女クロスベル出身であるユウナ・クロフォードを担任にして師でもある英雄は自分と同じ班にしたのだろう。
だからこそ、自分は何かを言わなければならないのだ。何故ならば自分はエレボニアの皇太子ーーーいずれ帝国に住まうすべての民を統べる事となる存在なのだから。
目前の級友の悩み程度容易く受け止めて見せ、叱咤して速やかに立ち上がらせなければならない。
リミットは08:30。現状自分たちがミハイル教官にとりなした事で大目に見て貰っているが、その時刻になっても起き上がれないようであれば、ユウナを置いて自分たちは演習を開始せざるを得ないだろう。
当然の事だ、今回の演習に際しても学院側は労苦を要している。
班員が一人気落ちした状態だからと言って、それに何時までも他の班員が付きっ切り等という事が許されるはずもない。
時刻になればユウナを今日の演習から外すという決断をセドリックは下さざるを得ない。
そしてそれは“違う”とセドリックは感じていた。
一年以上付き合った友人の悩み一つ受け止める事が出来ずに、帝国をーーー数千万の民を統べる事が出来るはずもない。
だからこそ、自分は目前の友人に何かを言わなければならないはずなのだ。
だというのに、その何かが口から出ようとしては
そしてそれはクルトも同じであった。何かを告げなければならぬという思いはあるのに、それを言葉にしようとするとそれらがどれも違う気がしてならないのだ。
それは、彼らが
しかし、今のユウナにそうした帝国の士官学院生として
セドリックとクルトも無意識のうちにそれを理解しているからこそ、言葉が浮かんでは消えてを繰り返しているのだ。
ただ時間だけが無為に過ぎていく、そんな中扉を開けて現れた彼らもよく知っている少女の姿、それを見てセドリック達は目を丸くする。
「アルティナ君……?どうしたんだい、確か君はリィン将軍から作戦への同行を求められたために今日は僕らとは別行動を取るという話だっただろ?」
セドリック達はアルティナ・オライオンがどれ程リィン・オズボーンを崇拝しているかを知っている。
そんな彼女からすればそれは文字通り神からの託宣にすら等しい絶対のものであるはずだった。
だというのに、この場に姿を現したのか?それがわからずセドリックは問いかける。
「出発までの間に準備を整えろというご指示をリィン将軍から受けました。
だからこそ、任務に支障を来さないよう心残りな事を解消するためにこうして来たのです」
そしてその問いかけに応じるとアルティナはそっと布団に包まったままのユウナの下に近寄っていき
「ユウナさん、私は貴方の事が好きです」
「「「「「-------へ?」」」」」
真剣そのものの様子でその場に爆弾を投下した。
思わずユウナも含めたその場の5人全員から間の抜けた声が漏れる。
しかし、アルティナはそんな5人の様子を気にすることもなく次々とその場に居た者達に視線を向けて行き
「ミュゼさんが好きです、アッシュさんが好きです、クルトさんが好きです、セドリックさんの事が好きです。Ⅶ組の皆さんの事が好きです。ーーーみなさん大切な仲間で、私にとっては初めて出来た大切な友達です。だから、大好きです」
ああ、なんだそういう意味ねーーーと今度は口に出る事はなかったが5人の気持ちはまたしても一つになる。
そんな周囲の様子に一瞬だけキョトンとなったもののアルティナは真剣そのものの様子で言葉を続けていく。
「ユウナさん、私にはあなたの気持ちがわかるーーーなんて事は言えません。
そもそも私はつい先ほどまで自分自身の気持ちにさえ気づけていませんでしたから。
そんな私がこんな事を言うのは一体何様なのかと気分をひょっとしたら害されるかもしれないとも思ったのですが……それでも、ちゃんと言わずに後悔したくはないので言っておきます」
そこでアルティナは一度自らのを気を静めるように深呼吸をして
「ユウナさん、私はまだまだこれからも
ですからお願いします、どれほど悩まれたとしても学院を辞めたりはしないで下さい」
ピクリとアルティナの言葉にユウナは反応を見せる。
「ユウナさんが帝国に隔意を抱いている事は昨夜の一件で私も何となくわかりましたーーーそれについて思うところがないと言えば多分それは嘘になります。
でも、それ以上に私はユウナさんの事が好きです。大切な……友達ですから。卒業するまでーーーいいえ、それこそ卒業してからもずっと今こうしているように皆で会えたらとそんな風に思っています。
だからユウナさん、どうか
そうしてアルティナはペコリとその場に居る面々に頭を下げて立ち去っていく。
後は任せたとそう合わせた視線で告げて。
アルティナの語った言葉は自らの望みをただ一方的に告げた我儘である。
故にユウナが今直面した大きな壁、それを乗り越えるために何らかの寄与をするわけではない。
しかし、それは確かに悩める友人に対して何を告げればよいのか迷っていた級友たちの心を揺り動かした。
どこか晴れやかな顔を浮かべながらセドリックら四人は視線を交わし合い、静かに頷き合うと
「ユウナさん、私達もアルティナさんと同じ気持ちです。
私たちは皆それぞれ生まれも立場も違いますーーーそこにはきっと埋めがたい断絶があるのでしょう」
エレボニアの皇太子たるセドリック。
ヴァンダール子爵家の次男たるクルト。
イーグレット伯爵家の令嬢たるミュゼ。
リィン・オズボーンの養女たるアルティナ。
ラクウェルきっての悪童たるアッシュ。
そしてクロスベル出身のユウナ。
Ⅶ組第一班の面々の生まれや立場も国家に対するスタンスというものには大きな相違がある。
どれほど心を通わせようとどこか譲れない一線を互いに違える時が来るのかもしれない。
「だけど、それでもこの一年間私たちは確かに仲間でした。そしてーーー友達でもあります。
共に過ごしたその時間にきっと嘘はなかったはずです。
だからこそ私たちは信じていますーーー貴方が
時に立ち止まり休みたくなる時があったとしても、必ず立ち上がってまた前に進める強さを持った人。
ユウナ・クロフォードとはそんな強さを持った自慢の友人だと信じていますから」
友人としての言葉を告げ終えると、ミュゼはそっとその場に持ってきた朝食を置いてその場を立ち去っていく。
「先行って待ってんぞ、休み終わったら来いや」
「ユウナ、頑張れ」
そしてそんなミュゼにアッシュとクルトも続いていく。
短い言葉の中に確かな友誼と信頼を込めて。
「ユウナ、僕はこの国の皇太子だ。
いずれ父上の跡を継ぎ、この国を統べる事になる」
ポツポツと最後に残ったセドリックは語り出す。
「そんな立場にありながら、僕は今まで何も知らなかった。
勿論皇太子として相応の教育は受けてきた。
だけどそれはあくまで学問としてだ。
実際にそこではどんな人々が、どんな風に暮らしているか、それをまるで知らなかったんだ。
クロスベルの件にしてもそうだよーーー正直僕は君が帝国に忠誠を誓っていることを疑っていなかった。
大国であるエレボニアに正式に併合された事で多くの懸案事項が解消されたのだから当然の事だと思っていたんだ」
自らの不明さと何故師が目前の少女を自分と同じ班にしたのかそれがわかりセドリックは自嘲する。
「だけど人の誇りというのはそう簡単に行かないものなんだよなーーー君のおかげでそれに気づくことが出来た。
だからこそこんなところで終わりにはしたくない。もっともっと聞きたいこと、語り合いたい事が山ほどあるんだ。だからユウナ、待っているよ」
そうしてセドリックもまたその場から立ち去っていく。
後に残されたユウナはしばらくするとゆっくりとその身を起き上がらせ、用意されたミルク粥を手に取り食べ始める。
とっくに冷めてしまったはずだというのに不思議とそれは温かかった。
若者たちの青春パートは終わったので次回は再びゼムリア大陸頂上決戦