あの貴族勢力が後退している時期に次期カイエン公になる事を例の失態までは有力視されていて、カイエン公になれなかった後も相応の権勢を有している事がⅣで確認されていますので。
俗物だけど政治的には有能と言える水準、軍事的には糞無能位を想定しています。
蠢動していたテロリストの撃滅、それを終えた翌日リィンは元カイエン公爵家の城館を訪ねていた。目的は無論、現在ラマール州を治める責任者に対しての報告を行うためだ。
光翼獅子機兵団は皇帝直属の部隊として独自に行動する権限を有している。故に現地の責任者に対して了承を得たり、報告を行う必要は
しかしだからといってそうするかというのはまた別問題だ。法的に問題がなかったとしても無視をされれば当然、された方が良い気はしないだろう。
ただでさえリィン・オズボーンは色々と無茶を押し通して各所から反感を買っているのだ、故に有事ならばいざ知らず平時に於いては出来るだけその辺りに気を遣っておく必要があった。
---例え、その相手が本来であれば極力同じ空間に居たくないような恥知らずの俗物であったとしても。
「……というわけでこの地で蠢動していたテロリスト達の撃滅は完了致しました、侯爵閣下」
「おお、そうかそうか。いやはや流石は音に聞こえし獅子心将軍殿。見事な手並みであった。全く役立たずのウォレスの奴めにも見習わせたいものだ」
そう言って亡きカイエン公に代わってラマール州統治を担う男ウィルヘルム・バラッドは笑う。
その瞳の奥には打算と欲望が満ちており、彼が紛れもない俗物である事を示していた。
何故そのような俗物に帝国政府がラマール州統括官という重職を任せているのか、それには当然理由が存在する。
それは彼がカイエン公爵家と縁深く、この地でも有数の権勢を持つ大貴族バラッド侯爵家の当主であり、なおかつ内戦終了と共に全力を以て政府に対して協力的な姿勢を示した
十月戦役の罪により帝国最大の貴族カイエン公爵家は取り潰される事となった。
それにより海都オルディスを誰が統治していくかというのが必然問題となったのだが、ラマール州は何といっても内戦の首謀者たるカイエン公が治めていた地である。
いきなり帝国政府の直轄とするのは現地の反発やクロスベル戦役でのオーレリア、ウォレス両将軍の活躍を思えば強硬策を取るのは余り得策と言える状態ではなかった。
さりとて全面的にゆだねる事は当然出来ようはずもないーーー既にこの時ノーザンブリアを併合する事を見据えていた政府、ひいてはギリアス・オズボーンにとってより一層活発化する事となるオルディスの地を経由して行われる海上貿易の齎す富は
そこで帝国政府が目をつけたの政府に協力的な態度の貴族をその地の統括官に据える事だ。
これならば現地の人間の反発は全てその地を治める者へと向かい、政府はただオルディスへかける税率を上げてその海上貿易の齎す富を国庫へと加えることが出来る。
そしてそれを任せるにあたってウィルヘルム・バラッドは最適な人物であった。
ウィルヘルム・バラッドは俗物である。その心は私欲に満ち、領民に対する愛、貴族としての責務そういったものはほとんど持ち合わせていない。
しかし、精神性と能力というものは必ずしも一致するわけではない。
俗物極まりないウィルヘルムだったが、その能力は決して無能というわけではなく少なくともバラッド侯爵家の当主という座を獲得してその権勢を広げるだけのものを有していた。
なればこそこのまま取り潰されたカイエン公爵家と縁深い自分に待っている未来が禄でもない事を理解していた。
理解していたが故に、全力で帝国政府に対して媚びたのだ。
例え自分が媚びた結果他の貴族が苦境に立たされようと彼にとってそんな事はどうでも良かった。
何故ならば彼は貴族の誇りなど持ち合わせていない
無論彼は決して無能ではない。なればこそ顰蹙を買いながらもその財力に惹かれて彼を頼ってくる貴族に対しては相応に良い思いをさせてやった。
そして中央政府からの要請に対しては一にも二もなく了承し、
ならばこそウィルヘルム・バラッドは中央政府にとって現状ラマール州を任せるにあたって最適の人物であった。
そして不満がくすぶり高まり続けそれが臨界に達した暁には帝国政府はラマール州に於いてかつてはカイエン公に次ぐ、今最大となったバラッド候ウィルヘルムを処断するだろう。暴政からの解放者として。
ーーー無論そんな事はウィルヘルムとて勘づいている。彼は私欲に塗れた俗物で軍事に於いては無能だが、政治的には決して無能とは言えない。長年大貴族の当主として君臨し、カイエン公没落後もその権勢の維持に奔走し、薄氷の上とは言え立場を維持する事に成功した老獪なる大貴族なのだから。
政治とはそういうものだ。一方的に利用される者などいない。利用される側は相応の見返りがあればこそあえて利用されてやるのだ。
カイエン公爵家と縁戚関係にあった彼にしてみればそうして帝国政府に対して自分には利用価値があると思わせる以外に生き残る道などない以上選択肢など存在しない。
どうせ自分がやらねば他に適当な家を見繕って同じ事を帝国政府はするだけなのだから。
自らの為に他者を踏み台にすることなど誰だとてやっている事なのだからそれを行う事への躊躇いなどウィルヘルムにはなかった。
そしてそんなウィルヘルムにとって今目前に居る青年は是非とも好意と歓心を得ておきたい存在であった。
獅子心将軍リィン・オズボーンーーー帝国でいや大陸でもはやその名を知らぬ者など物心つかぬ乳児か痴呆の始まっている老人かという位の帝国の若き英雄。
かの鉄血宰相を父に持ち、皇帝と皇太子からの寵愛も得ており、将来的には軍部の頂点に立ち、父の跡を継ぐことを確実視されているこの男と相応の関係を得ておけばウィルヘルムの立場がより強化される事は疑いようがないのだから。
「ウォレス中将を始めとする統合地方軍の責務はこの地の守護に在ります。
増してや領邦会議が開かれ、そちらの警備に人員を割かれている以上どうしてもその他に割く人員が少なくなるのは仕方がないでしょう。
それに今回の作戦は正直に言えば敵の潜伏先を突き止めた時点で八割方終わったも同然のものでした。
そういう意味で今回の結果は統合地方軍が限られた人員の中でも最大級の警戒を行い、潜伏先がある程度絞り込める状態であった事。そして何よりもアランドール中佐を筆頭とした帝国軍情報局の働きに依る部分が大と言ったところです、この手のテロリストやゲリラを相手にするにあたって最も厄介なのはその拠点を突き止める事ですから。どこに潜伏しているかを突き止め、先制攻撃を仕掛ける事が出来た時点で我々の側が負けるという事はまずあり得ませんよ」
そんなウィルヘルムの世辞に乗る事もなくリィンは淡々とした様子で応える。
それは謙遜ではなく単なる事実であった。
猟兵と呼ばれる存在を相手にするにあたって厄介なのは彼らは正規の軍人のように決まった拠点を持たない事が挙げられる、加えてあくまで金で雇われる立場の彼らは別段軍人と違って守護の対象が存在するわけでもない。
故に猟兵団と呼ばれる存在を撃滅するにあたって第一の関門は彼らの潜伏先を突き止める事にあり、これが仕事の八割を占めると言っても過言ではない。
光翼獅子機兵団は今や帝国ーーー否、大陸最強の戦闘集団だ。正面切っての戦いでまず負けるという事はない。
しかし負けるとわかっている戦いをするものはまずない、正規軍が自らの撃滅に出たと聞けば潜伏してやり過ごそうとするのが猟兵の定石だ*1。
だからこそ今回の戦いでの功が誰に帰するかと言えば、それはレクター・アランドールを筆頭とした帝国軍情報局の面々であるとリィンを考えていた。
ーーー無論その情報を有効に活用することが出来たのは偏にリィン・オズボーンの“神速”と称す他ない行動の迅速さと部隊の展開速度があればこそだが、それを為し得ているのは皇帝直属という政治的な制約からほとんど解き放たれて、軍事的合理性を優先させる事が出来る立場である事も大きい。
ウォレスにとっての不幸は彼が今、統合地方軍という政治的に難しい立場に置かれている軍の総司令の重責を担わざるを得ない点だろう。
軍事は政治に従属する以上、彼がこの地で軍事行動を行う場合は絶えずこの地の行政責任者たるバラッド候に伺いを立てなければならない。
そしてバラッド候は兎にも角にも帝国政府の顔色を伺っており、その軍事行動は絶えず束縛される事となる。
これでは如何なる名将と言えどもその将才を発揮する事は難しい。
政治的制約を受けるが故に後手に回らざるを得ないウォレスとそうした束縛を受けない、あるいは跳ねのけてくれる後ろ盾が居るがために先手を打つことが出来るリィン。
帝国軍情報局から警戒を受け監視を受けている立場のウォレスと蜜月関係にあるリィン。
今回の結果の明暗はそうした置かれた立場の違いが齎したものだとリィンは理解していた。
自身の能力に相応の自負を抱いているリィンだが、流石にかの黒旋風を相手にして自身の方が将として圧倒的上だ等と思えるほどに自惚れてはいない。
「いやはや、貴殿は謙虚だのう」
しかしそうした事情をバラッド候は理解していない。
彼は自身がウォレスの足を引っ張っていることを欠片も理解していないし、斟酌もしていない。
故に単に結果のみを判断する。
ウォレス率いる統合地方軍が撃滅出来ていなかった不穏分子をリィン率いる光翼獅子機兵団は鮮やか且つ迅速に撃滅してのけたーーーそれが彼の認識であった。
「まあなんにせよ良くやってくれた、今宵は歓迎の宴を用意したのでな。思う存分に楽しんでくれたまえ」
「ご厚意に感謝いたします侯爵閣下。喜んで出席させていただきますよ」
腐臭が漂ってくるような打算と欲望に満ちた笑み。
私人としては本来であればにべもなく断りたいそれをリィンはにこやかに笑いながら受け容れる。
何故ならばリィン・オズボーンは帝国正規軍に於いて中将の階級を有している将軍だから。
将官ともなればただ戦って勝てば良いというわけではない、有力者と顔を繋ぐ事も重要な仕事だ。
ウィルヘルム・バラッドに対して個人的に好感を抱く要素はリィンには一切ない。
しかし、ある一定以上の地位の者にとっては食事の場というのは一種の仕事だ。
そこで顔を繋ぎ、ある程度は話の通じる奴だと思わせてこそいざという時に無茶を押し通すことが出来る。
そこが腐臭漂い、出席するだけで精神がささくれ立つ俗物だらけの場所であろうと出席しないというわけにはいかなかった。
軍事は政治に従属し、そして政治は経済によって左右される。
それが変わる事はないのだから、軍の頂点を目指す身としてそうした有力者と顔を繋ぐ機会をみすみす逃すわけにはいかなかった。
城館を跡にしたリィンは深く息を吐き出す。
本音を言えばあの手の俗物をリィンは一掃してしまいたい。
上に立つ者としての気概を感じさせない欲徳塗れの俗物などリィンにとっては侮蔑して止まない輩だ。
だが忘れてはならない、リィン・オズボーンのように国の為、そこに住まう民の為、そんな顔も知らない誰かの為に粉骨砕身働く事が出来る者はあくまで少数派に過ぎないのだ。
世を構成する大多数は凡人ーーー地位も金も名誉も欲しい
ならばこそ決して短慮になってはならない、軍とはその国の最大の暴力機構である以上そうした自省と自戒を忘れてしまえば容易く暴走し、世の大多数を切り捨ててしまう事となるのだから。
斬り捨てるという行いは結局のところ世界を狭くしておく行い、余りにも膿んでしまった患部は早急な切除が必要だが、それはあくまで最低限でなければならない。
理想や気概など持ち合わせていない俗物、そんな存在とも利用し合う程度の気概を持たずして頂点に立つことは出来ないのだから。
胸の内より溢れ出る正義感から湧き上がる殺意という最も律する事が困難な焔を強固な理性によってリィンは抑え込む。
暴走するのは悪だけではない、正義もまたいともたやすく暴走する。
独立騒動を起こしたディーター・クロイスが良い例だろう。
彼は彼なりの正義感に基づき理想を追いかけ、結果見事に失敗した。
「俺はああはならない」
戒めの言葉をそう口にした瞬間、所持する通信機がけたたましく鳴り出す。
通信の相手は先ほどまでの利用対象とは異なる、リィン・オズボーンが心からの信頼を寄せる相手クレア・リーヴェルトであった。
柔らかな声色で通信に出たリィンだったが、慌てた様子で告げられた内容を聞いた瞬間にその表情を強張らせる。
「調査を行っていたミリアムちゃんが消息を絶った」
それはこの地に於いてリィン・オズボーンが為すべき事がなんら終わっていない事を示すものであった。
帝国政府がバラッド候をオルディス統治に利用しているのは銀英伝でラインハルトがフェザーン併合にあたってボルテックスを利用したのをまんまパクっています。
俗物というのはある意味で求めているものがわかりやすいので、傑物よりも利用はしやすいんですよね。
そして当作では随所でディーター大統領をボロカスに言っていますが
個人的にはディーター大統領自身は割と好きなキャラです。
基本的に自分は大きな理想を持っていて、その為ならば悪辣な手段も用いるってタイプは贔屓する傾向がありますので。
ただ政治とは結果によって判断されるもので、ディーター達の行動の結果どうなったかを考えればまあまず政治に携わる者達からの評価はボロカスだろうなというだけです。