なので例えばクライマックスで至宝の力で今まで死んだ人たちが皆生き返る的な事は御座いません。死者は死者です。死者の想いだの願いだのなんてものは生者が想像するしかないのです。勇敢な死者を哀れな死者を想うことが出来るのは生者だけなのです。
「失礼します……オズボーン宰相?すいません、お邪魔だったでしょうか」
父の部屋へと入室したセドリックは父の最大の腹心とされる人物を見た事で驚きの表情を浮かべる。
「いいや、ちょうど先頃話は終わったところだ。なあ宰相」
「ええ。せっかくの父と子の水入らずの時間、それを邪魔する気は私には御座いませんとも」
「せっかくの機会だ、卿の方も
「ふふ、そうですな。たまにはそれも良いかもしれませんな」
父たる皇帝のリィン・オズボーンを指した自慢の息子という言葉。
そしてそれを聞いて否定する事無くどこか誇らしげな様子で肯定する宰相の様子。
それを見た瞬間にセドリックの中に抑えつけたはずのドロリとした昏い感情が再び暴れだす。
それは今までは鍛えられた理性と自制心によってどうにか抑えられていたものだった。
だというのに
「父上……父上はそこにおられる宰相閣下が獅子心皇帝の生まれ変わりだと知っておられたのですか?」
気が付けばセドリックは
「そなた……どこでそれを?」
セドリックの問いかけに皇帝はあからさまに驚いた様子を見せる。
そしてギリアスは何かに勘づいたように険しい表情を浮かべる。
「かの槍の聖女が語っていたのですよリィン将軍に……貴方の父である鉄血宰相は獅子心皇帝の生まれ変わりだと……」
セドリックの脳裏に過るのは師が聖女と繰り広げた神話の如き光景。
絶望的な状況から決して諦める事無く奇跡を起こし勝利をつかみ取った余りにも鮮烈で輝かしい“英雄”の姿だ。
あんな風になりたいと焦がれていた。
あんな風になれると無邪気に思えていた時期が自分にも存在した。
今は違う。わかってしまった。自分は決してああはなれないとその格の違いを見せつけられてしまった。
だからこそーーー直視するのが耐えられなくてそこから目を逸らした。
「そうか……かの聖女がな……」
「父上はその事を知っておられたのですね……だからこそその子息であるリィン将軍に“獅子心将軍”等という渾名をお与えになられた」
「ああ、その通りだ。彼の者はまさしく英雄と称するに相応しい器の持ち主だ。あの者にとって諦めや逡巡などという言葉はその意味は理解していたとしても当人の頭にはほとんど過る事がない言葉だろう。そこにいる父である宰相と同様にな」
「………」
ギリアスは何も言わない。
ただセドリックの事を注意深く観察していた。
「ええ、確かにそうですね……本当にあの人はそんな方です……」
自分には決して生涯届かぬであろう輝きそれを思い出してセドリックは強くその両手を握りしめる。
「セドリック……辛いのならば止めても良いのだぞ?」
「……………え?」
告げられた皇帝たる父からの言葉、それが理解できずにセドリック・ライゼ・アルノールの頭の中が真っ白になる。
「そなたがあの内戦の後どれだけ努力したか知っているつもりだ。
内気なところのあったそなたがかの学院に於いて首席となるまでに重ねた努力決して並大抵のものではなかっただろう。立派な事だと心より思うし、父として誇らしくもある。
だがなアレを師と仰ぎ間近で接したならばわかるだろう、アレは単に努力でどうこうなる次元の存在ではないと。真に女神に愛された存在と称する他ない者がこの世には居るのだという事を。誰もがアレのようになれるわけではないーーーいやアレのように
「………ッ!?」
ユーゲント・ライゼ・アルノールはリィン・オズボーンの事を高く評価しているーーーそしてそれ故にそんな存在に憧れを抱いてしまった愛息を危惧する。
彼の持つ祖国に対する忠誠と献身は何ひとつとして偽りがない。彼は真実己が命と祖国の繁栄を天秤にかけられたら迷うことなく己が命を捧げられる男だろう。
そしてそんな男だからこそ
彼は皇室に対しても相応の敬意を抱いているのだろう、しかしそれはあくまで皇室が上に立つ者としての義務を果たしていればこその話。皇族としての義務を果たさず与えられた立場に比して器が釣り合っていない者に対して彼は決して甘くはない。
国にとって無益な存在である程度ならばまだ良いだろう、だが一度有害と判断したならばあの男は決して躊躇いはしない。何故ならば彼にとって最優先されるのはエレボニア帝国という国でありアルノール家ではないのだから。身も蓋もない言い方をしてしまえば彼の皇族への敬意と忠誠はアルノール家が帝国という国を回す為の有用な駒だからに過ぎない。
そこが臣下であると同時に友でもあるヴァンダール家の者とは決定的に異なる点。
リィン・オズボーンはどこまでも己を
そんな確信を彼を獅子心十七勇士の筆頭に任じた際にユーゲントは抱いた。
ほんのわずかな一瞬過った失望の感情ーーーアレは名君などと世間で謳われている男の本当の器が凡夫のそれに過ぎないと見切ったが故のものだったのだろう。
そしてその過った失望の感情を一瞬で沈めてのけた理性ーーーそれはまさしく自らを主君の剣と定めたヴァンダールの教えを体現する者のそれであった。
器は凡夫為れど義務を果たしているが故に
そしてそれは一度合格したからその後は無条件でこちらの言う事に従ってくれるなどという生易しいものでは決してない。
アレは耐えず主の器を図り続ける。一度アレの主人となれば振るうに相応しい担い手であることを示し続けなければならないのだ。
内戦の終わりに娘と再会した時にユーゲントはその成長ぶりに驚かされたものだったが、なんのことはないアルフィンはそうせざるを得なかったのだ。
それでもアルフィンはまだ良かった、内戦の終了と共にアレに相応しい担い手ーーー主君であることを示さねばならないという重責から解放されたのだから。
だが皇太子であるセドリックは違う。自分亡き後生涯アレと付き合い、捧げられた剣に見合う主君であることを示し続けなければいけないのだ。
そしてアレは父たる宰相のように代わりに全ての責任を背負ってくれる程に優しい存在ではない。
主君が綺麗である為に自身が穢れる事を厭わない代わりにその主君は真実綺麗な存在でいる事を求めるーーーそういう男なのだ。完璧である事を求めるほどに鬼ではない、だが少しでも完璧に近づく為に
ーーー何故ならば貴方は帝国を導く皇帝なのだから、この私が剣を捧げた主なのだから。貴方の命じる通りに私は敵を討ち滅ぼそう。代わりに貴方は流した血に見合うだけの繁栄を祖国に齎せーーーとそんな具合に。完全無欠の正論で以て。
大多数の民衆にとっては有難い事この上ない存在だろう。汗水垂らし、命を削り、奴隷のように働きながら祖国とそこに住まう民に繁栄と光を齎し続ける“英雄”などそれこそおとぎ話の中にしかいないような余りに都合が良い存在なのだから。
だが英雄が無邪気に自身が勝ち取る恩恵を享受するのを待ち続ける受け身の姿勢を許容するのはあくまで力も責任も持たない民衆だけだ。
英雄の剣を捧げられた王はその剣に相応しい王である事を生涯示し続けなければならないのだ。
自分か英雄、どちらかの命が尽き果てる事になるその時まで。
ユーゲント・ライゼ・アルノールという凡君がリィン・オズボーンという英雄を御すことが出来ていたのは偏にギリアス・オズボーンという希代の名宰相が居たからに他ならない。
だがユーゲントの跡を継ぐ者はその補佐なしに自らこそが魔剣の担い手としてそれを御し続けなければならないのだ。そして巨イナル黄昏とやらが起こった事で巻き起こる騒乱をも治めなければならない。
重い。ただでさえ皇帝という立場は重責だというのに、そのような厄介事まで加わった玉座の重みはユーゲントをして想像を絶するものだ。目前の息子の器は未だわからねど、それにしても未だ成人すらしていない身で背負う物としては余りにも重すぎる。
「だからなセドリック、そなたが無理をする必要はないのだ。
そなたは決して一人ではない。頼れる兄が居るのだから。
荷が重いというのならば頼ればいい、頼って良いのだ。
可愛い弟からの頼みを無下にする程アレは決して狭量ではないのだから」
だからこそユーゲント・ライゼ・アルノールは真実善意から告げるのだ、そのような重荷を必ずしも背負う必要はない。立派な兄に託すという選択肢が存在するぞと。それは真実善意から述べた言葉であったし、語った内容も父として何もおかしいところはなかっただろう。親から見て聊か頑張りすぎな末っ子に一人で何もかも背負い込まずに頼れるお兄ちゃんを頼りなさいと要はそういう内容だ。
だが、それはギリギリのところで兄に対して抱いていた劣等感を抑えつけていた少年にとっては余りにも決定的な言葉だった。
「うわあああああああああああっ……!」
「セドリック……!?」
頭を抱えて絶叫した息子の様子にユーゲントは完全に面を喰らい硬直する。
「止めても良い……?無理をする必要はない……?なれなくて当然……?何ですか……それは?何なんですかそれは!」
血走った目でセドリックは父たる皇帝を睨みつける。
ずっと抑えつけていた嫉妬、憎悪、怒り、焦燥……そうした負の感情がその瞳には凝縮されていた。
「僕ではリィンさんのような英雄に……いいや
僕なんかがどれほど努力しようとも決してあの人たちには届く事はないと!!だから諦めてしまえと!!!」
「落ち着くのだセドリック……私は何もそのようなつもりで……」
「ではどのようなつもりで言ったんですか!僕の背負う荷を兄上に預けろと父上は仰った!つまりは
「それは……」
そう言われてしまえばユーゲントとしても即座に反論の言葉を紡ぐ事は出来ない。
何故ならばユーゲント・ライゼ・アルノールは長子オリヴァルトの器を高く評価しているから。
凡君にしかなれなかった自分と異なる名君となり得る器を持つ傑物だとーーーそう親の欲目なしに思っているから。だからこそ心配をしていない。オリヴァルトならば皇帝という地位もリィン・オズボーンという魔剣を御す担い手の役割も十全にこなして見せるだろうと信じている。
だが末っ子であるセドリックに対してユーゲント自身も含めて家族は誰もがみなどうしても
だがそうした過保護さがすなわち自分を信じていないことの証左なのだと本人から言われてしまえばユーゲントとしては返す言葉がない。オリビエに対して抱かなかった心配と危惧をセドリックに対して抱いたという事、それ自体は事実なのだから。
「兄上の方が僕よりも皇帝に相応しい?そんなの……そんなの今更言われたところで納得できるはずがない!僕は皇太子として相応しく在れるようにずっと努力してきた。何度も何度も挫けそうになった。だけどそれでも兄上でもアルフィンでもなく僕こそがこの国の皇太子なんだと言い聞かせて必死に立ち上がってきたんだ。だというのにそれを今更取り上げようだなんてそんなの……そんなの認められるはずがない!!!」
絶叫と共にセドリックは腰へと下げていた剣を抜き放ち父へと襲い掛かる。
そして皇帝にそれを躱す事は出来ない。士官学院で首席となっていたのはもはや30年近くも昔の話。皇帝ゆえに戦場に立つような事もないユーゲントの肉体はとっくの昔にさびついている。
対する剣を振るうセドリックは皆伝にこそ至っていないものの英雄の課した地獄のような修練を乗り越えてヴァンダールの中伝へと至っている。故に皇帝にそれを躱す事は出来ず此処に暴走させられた皇太子による皇帝殺しという凶行が
「親子の語らいに割って入るのは我ながら無粋極まるとは思いましたが、流石に見過ごせませんのでな。失礼させていただきます、殿下」
為されんとしたそれをすんでのところで鋼鉄の意志と獅子の心を持つ男が止めに入る。
現役であった時代は当の昔であるはずなのにその動きには一切の衰えはなく。
ギリアス・オズボーンは無手で皇太子の振るった剣を叩き折り、その掌打を以て皇太子を吹き飛ばす。
「宰相……!」
「やれやれ全く
そんな風にギリアスは
そこに皇太子が凶行を為さんとした事に対する動揺は微塵たりとて存在しない。
それもまた起こり得る事態の一つと予想していたかのような堂々たる態度であった。
「ボクガ……ボクコソガ……コノクニノコウタイシナンダ」
気絶して然るべき一撃。
それにも関わらずセドリックは幽鬼のように立ち上がる。
まるで痛覚が麻痺しているかのように。
「セドリック……」
「どうやら黒はこの場で予言を成就させることを望んでいるようですな。それも皇太子殿下の手で父親を殺させるという何とも悪趣味な方法で」
「黒の騎神イシュメルガ……!」
強く握りしめた手から血がしたたり落ちる。
ユーゲントは怒りと共に愛する息子を操っている黒い影を睨みつける。
「宰相、何とか……何とかならんのか!?」
死ぬことは覚悟していた。
だがこんなのは……こんなのは余りにあんまりだろう!
その手で父たる自分を殺したとなればきっともう愛する息子は闇より二度と帰ってこれなくなってしまう。
そんな事はユーゲントにとって決して認められない。
「……この場で殿下の心の闇、それを祓うことは残念ながら陛下にも私にも不可能でしょう」
宰相の告げた言葉に皇帝は絶望的な顔を浮かべる。
「ですが、望みをつなぐ事は出来ます。
要は殿下に父殺しをさせなければ良いのです。
さすれば殿下の心は闇の底にまで堕ちきりはしない。
絆という光が殿下を再び照らす可能性は十二分にあるでしょう」
その瞬間ギリアスの脳裏に過ったのは晩餐会に皇太子の友人として呼ばれた若人たちの姿。
彼らと共にいる時、セドリックは掛け値なしの笑顔を見せていた。
それは友である彼らの方も同様だった。彼らは皇太子としてではない一人の友としてセドリックを見ていた。
それがおそらく一筋の光明となるはずであるとギリアスは信じたかった。
「故に陛下……少々予定外とはなりましたが陛下には
ギリアスが懐から取り出したもの、それは黒の工房によって作らせた特注の爆弾。
「本当に周到な男だ……このような事態まで掌の上とはな」
「基より陛下の死は共和国の仕業に見せかける予定でしたからな。
そしてそれをやるにはやはりこうして爆破テロという形をとるのが一番都合が良い
何せ私自身もそれの対象となるのです。説得力としては十分でしょう?」
皇帝の死、黒の史書の予言で定められたそれを覆す事は黒の傀儡たるギリアスには出来ない。
だが黒の史書に記されているのは皇帝の死であって、誰が皇帝を殺すのかという事までは記されていない。
あくまで黒に選ばれ贄という事しか記されていない以上、それは黒に黄昏を遂行するための駒として選ばれたギリアス・オズボーンも当然該当し得る。
そして皇帝暗殺の実行犯はギリアス・オズボーンが担うのが
「宰相……世話になったな」
「こちらこそ。貴方は自らを卑下していたようですが、真に卑小な者ならば当の昔に心が折れてすべてを投げ出していた事でしょう。こうして我が子の為に命を賭した貴方は皇帝としてはともかく父としては立派なものです」
「皇帝としてはともかく……か。そうだな、余は皇帝としてはそう大した存在ではなかった。暗君ではなかったと思いたいが、それでも巷で言われているような名君等ではない卑小な凡君だ。だが、そんな男にとて譲れぬ意地はある。そなたにも……わかるだろう?」
「ええ、無論ですとも。何せ前世に於いてはともかく今生の私もまたそれを理由に全てを投げ捨てたのですからな。実のところそうとやかく陛下を非難出来る立場でもないのですよ」
「そうか……そうであったな」
親としての通じる思い、それを感じ取ってユーゲントは笑う。
歴史上に於いて
「ガアアアアアアアアア」
「セドリック……」
最後に見る息子の姿、それがああも痛ましい姿であることがユーゲントには残念でならない。
それでも最期にユーゲントは通じると信じて精一杯の言葉を紡ぐ。
「愛しているよセドリック、そなたたちの父で在れて私は幸せだった。
プリシラにオリヴァルトにアルフィンといつまでも仲良く幸せに暮らしてくれ。
偉大で特別な英雄になどならなくても良い。それだけが真実私のたった一つの願いだ」
「ア……チチ……ウエ……」
そうしてユーゲントは息子に対して微笑む。
悔いはある。子供たちの成長を本当はこの目でもっと見たかった。
叶うならば孫をこの手に抱くことだってしたかった。
だがこれこそが自分に為せる精一杯なのだとユーゲントは悔いの多かった自らの生涯に最期の最期で胸を張り
ーーーそれらを抱いた想い毎呑み込むように轟音と衝撃と業火が皇帝の居室を包み込んだ。
エレボニアの黄金時代の終焉