理想を何度見ただろうか。夢をいつまで追い続けていたのだろうか。すでに摩耗した心は何を訴えているのか。……そしてここはどこだろうか。
紅い外套を羽織った男は庭らしき場所を歩いていた。桜が散った頃なのか、石畳には花びらが零れ落ちている。木は均等に並べられ美しさを引き立たせていた。辺りには白い浮遊霊のようなものが不規則に飛んでいる。
「やれやれ、困ったものだ」
歩いている方角は間違いないと確信している。何故ならその方向には強い妖気の類を感じるからだ。
歩を進める。やがて眼前に家の景色が広がる。
「私の家と……似ているな」
木造建築のわりにはしっかりとしていて、古き良き時代の趣がある。ここは手入れがされていて無造作に花びらは地面に落ちてはいない。
「白玉楼に何用ですか」
澄んだ声が耳に通る。
「ここはどこだ。私はそうだな、アーチャーとでも名乗っておこう」
「私は魂魄妖夢です。また外来人ですか……」
どうやらここは現世とは違うらしい。尤も英霊となった今ではどうでもいいことだが。
「見たところ君は武人のようだが、誰かに仕えているのか?」
「えぇ、ここの主に。冥界から出来れば出て行って欲しいのですが」
「客人ですか、妖夢」
「幽々子様……」
幽々子と呼ばれた女性を見ると、アーチャーに戦慄が走った。妖気はこいつのものだと確信する。近くにいる妖夢と言う従者には邪悪なものはない。しかし、幽々子と言う奴は違う。真っ直ぐでとても素直な――悪だ。死が常に隣り合わせ、いや直結している存在であることがわかる。ならば、私のやることは決まっている。――――多くのものを救うために排除、もしくは――――
「君の力を見せてもらおうか」
両の手は空手だった。次の瞬間には両手に剣が握られている。剣の軌道は明らかに幽々子だ。妖夢は起動察知し、抜刀――こちらも二刀。主に指一本触れさせはしない――。その剣を打ち払い、返す刀で横に薙ぐ。しかし、その攻撃は跳躍一つで避けられた。弓兵は大きく距離をとる。
「幽々子様は下がって!」
「なかなかの反射神経だな」
ギリッと歯が擦れる音が妖夢の脳内を満たす。自身にはわからない。だが、見ればわかる。彼女は怒っているのだと。その様子を見ても弓兵は、表情を崩さない。
「幽々子様は……私が守る!」
護るという言葉を発した後、弓兵の眉がぴくりと動く。守るという言葉のその重み。良く知っている彼だけに、その言葉を聞き過ごす訳にはいかない。
「アレは脅威だ。貴様は知っていて見逃すのか」
妖夢の表情が微かに揺れる。そう、幽々子こと、西行寺幽々子には死を誘う程度の能力が内包されている。彼女が願えば生物は死ぬ。
だが、妖夢は知っている。彼女がそんなことをするわけがないと。無闇に能力を使い破滅の運命を歩むはずがないと。
「幽々子様がそのようなことをされるわけがない!」
主を否定されたという一種の叫び。その叫びでアーチャーは認識する。アレをどうにかしなければと。
「ならば――――力で示せ」
アーチャーが繰り出す双剣を全力で妖夢は受け止める。剣圧で妖夢の身体がその場所からずれた。
「力……」
思わず聞き返す。
「そうだ、アレを任せられるほどの……護れる力があるかどうかだ!」
剣速が一段と増す。次は受けるのではなく流すのが精一杯だった。その者の剣は修練によって磨かれたものだと妖夢は視た。体捌き一つをとっても、体が柔らかいことや筋力に優れているというわけではない。身長は恵まれているものかもしれないが、作りそのものは平凡にすぎない。
「はっ!」
いつまでも受けているわけにはいかない。双撃を受け切った後、返す形で剣を突く。その攻撃をアーチャーは後ろに下がり剣の殺傷範囲から逃れる。故に――それが魂魄妖夢の攻撃の合図。小柄の身体に相応しい敏捷を活かした一撃。踏み込みは疾く、剣閃は速く、剣戟は重い――――。
振り下ろした両の剣は、交差した双剣に阻まれる。が、衝撃によりアーチャーの足場が平坦な地面から、歪な凹凸へと変わる。それだけで威力が計り知れる。
当のアーチャーは笑っている。嘲笑の類は一切ない。
「あぁ、良い攻撃だ」
守るという明確な意志を持った剣。音が身体の中に反響する。馬鹿らしいと笑えるほどに愚かで、そして真っ直ぐな剣。理想を現実に変えようとしている剣だ。
「ところで……妖夢だったかな」
「なんですか」
気合に入った眼でアーチャーを睨みつける。
「そのスタイルは君にあったものかな」
「お祖父様が教えてくださった剣です」
アーチャーは頷く。すでに左右の手には何も握られていない。
「では、弱点を教えようか」
「なんですって……」
「投影開始(トレースオン)」
その言葉と同時に妖夢の持っているはずの、白楼剣と楼観剣がアーチャーの手元にあった。もちろん妖夢のものを奪ったわけではない。
「これが私の能力だ。剣ならばいくらでも投影することが出来る」
「そんなバカな……」
幻想郷でもこの能力は珍しいものだ。妖夢が見たことがあるはずがない。
「もちろん偽物だ。だが、偽物だから切れない……ということはない」
アーチャーが刀を軽く振るうと大気が裂けた。その太刀筋が妖夢には見えなかった。力量の差を感じる。妖夢はそれでも真っ向からの勝負を望んだ。
彼は言った。主を守れるか――と。ここで逃げるという選択肢は初めから無い。足止めさえ出来れば、手傷一つ負わせれば、その間に幽々子様は逃げることが出来る。私が剣になり道を開き、盾になって追撃を止めればいい。構える。次の攻撃を防ぐために。相手の隙を突き、倒すために。
何度か撃ちあった。技量の差は歴然。相手の剣筋すら見きれず、自身の剣は軽く止められる。これでは勝ち目が全くなかった。相手はぶつぶつと何やら詠唱をしているようだ。
――秘策を出すしか無い。魂魄妖夢は次の一手で、倒すことを決意した。
「So as I pray…」
呪文は残り一節。アーチャーは胸に手を当てる。その仕草を見た時、魂魄妖夢は動いた。刹那とも言える速さでアーチャーの胴元に飛び込み横一閃――――。本能で感じたアーチャーは自身が最も得意とするべき武器、干将莫耶を投影し、迎撃する。
カランと剣が落ちる。分身の残滓とともに。そして一節を紡ぐ。
「はぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」
「上か!」
見上げると魂魄妖夢が落下の勢いをプラスさせ刀を振り下ろす――――。これが魂魄妖夢の狙っていたこと。ダブルスペルだ。幽明の苦輪で分身を作り、現世斬の如き疾さで斬りかかる。分身に視点を集中させ、本体である自分は飛び上がり上から全力で振り下ろす。見せたことのないコンボ、二刀から一刀にしたことにより重さが増す、そしてここで最大の火力はもちろん――――
「断迷剣『迷津慈航斬』!」
刀身が何倍もの大きさになり、衝撃波を纏いながらの一撃。さながら、嵐のような攻撃だったのだろう。彼女はその中で、光を見た。
――勝負は一瞬だった。魂魄妖夢が土に伏し、アーチャーが立っている。その手に握られているのは黄金の刀身だった。
「永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)」
倒れた妖夢に向かって言う。
「この剣は永久に届かぬ王の剣だ。子供じみた理想を求め、挙句の果てに全てを導こうとして殺された」
その声には懐かしさと悲しさが混じっている。
「だが、俺はその彼女を忘れない」
荒野には数多もの剣が突き刺さっている。歯車がぎしりぎしりと音を立て回っている。
「魂魄妖夢。すべてを守ることなど人には出来ない」
アーチャーの姿が遠ざかる。
「くっ、私は……」
アーチャーの背中が薄く淡く光を放つ。黄金の光を放っていた剣はすでに無い。
「ならば、心に決めたものだけ守ってみせろ」
まばたきをするとアーチャーはいなかった。景色もいつもの冥界だ。
「私は……私はっ…………」
風景がぐにゃりと歪む。勝つには程遠かった。負けないことすら出来なかった。
「幽々子様を絶対に守る! 守りぬいてみせる……からっ……!」
顔を上げての決意の慟哭が冥界に響く。いつかはその背中を超えると信じて―――――。
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