グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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海は煮え立ち、空より炎が降り注ぐ。
人よ、創世の理に従え。




第5節 人よ、創世の理に従え
> 人よ、創世の理に従え(1)


 

 

 タンジアの港、ハンターズギルドの集会場にて。

 金髪を三つ編みにした受付嬢、キャシーは紙の束を見ながら怪訝な顔で首を傾げていた。

 

「うーん……」

「どうしたの?」

 

 隣にいた先輩受付嬢のローラがそれを見て話しかける。いつもはクエストの斡旋などを行っている彼女たちは、今はグラン・ミラオス迎撃作戦の後方支援役として情報管理を担っていた。

 

「この作戦に来てもらったランク5のハンターさんたちって何人かいますけど、その中でもエルタさんの情報が少ないんですよね」

「そう? ……あら、ほんとね。ランク5昇格の理由はキリン亜種の討伐……功績としては十分だと思うけど、それ以外は狩猟記録ばかりね」

「だからちょっと気になっちゃって。かなりストイックな人なのかな……?」

 

 ランク5ともなれば勲章の一つや二つもらっていてもおかしくはない。そういったものを苦手とするソナタですら、モガとタンジアからの感謝状を受け取っている。エルタという狩人はそういったものを一切受け取っていないようだった。

 

「でも、今はそれについて考え込んでる時間はないわ。その話は彼らが戻ってきたときにするとしましょう」

「……そうですね!」

 

 迎撃作戦は今もなお継続中だ。最前線に出ている者から第二第三の防衛線に出向いている者まで含めれば、ハンターの数は百人を優に超えていく。彼らの居場所の管理はキャシーたちが務めるのだ。

 彼らが迎撃拠点へと向かう前、キャシーは不安を隠しきれず、ハンターのアストレアやソナタに逆に励まされてしまった。受付嬢ともあろうものが、情けない話だった。

 

 キャシーは意気込みを新たにする。今度こそ、彼らの帰りを信じ、笑顔でお帰りを言うのだ──。

 

「……? 今、何か聞こえなかった? 耳鳴りかしら」

「い、いえ。私も聞こえました。どぉーんって、太鼓の音みたいな……」

「あの方向から聞こえたような……。──なに、あれ」

 

 キャシーの健気な決意は、ローラの呟きによって塗り替えられていった。

 感情が抜け落ちてしまったかのような声音。ローラが呆然と見ている先をキャシーも目で追った。それは水平線の向こう、厄海の迎撃拠点がある方向の空────。

 

 赤い。

 

 太陽は既に昇っている。さっきまで青空が広がっていたはずだ。けれど、その空はまるで暗い血の色に染まったかのように赤かった。

 夕焼けとも朝焼けとも違う、不気味な赤。しかもそれは布に零れたインクのように、じわじわと青空を侵食していく。

 

 ぞっとするような悪寒に駆られて、キャシーは喘いだ。

 ハンターでなくとも分かる。あれはいけない。恐ろしい。

 

「……街の住民に避難指示をだせぃ」

 

 そして、先ほどまでカウンターで黙って酒を飲んでいたギルドマスターが口を開いた。それを聞いたギルドの職員が慌てて聞き返す。

 

「ひ、避難指示ですか? それは迎撃拠点からの連絡を待ってからの方がいいのでは──」

「非常事態じゃ!! 分からんのかっ!!」

 

 一喝。びくっとキャシーの肩が跳ねる。こんな剣幕のギルドマスターを見るのは初めてだった。

 

「あの空はかのグラン・ミラオスの仕業と見て間違いなかろう。ワシの見立てじゃがの。……()()()()()()()()ぞぃ」

「そんな……っ!」

 

 否定の言葉が口から出かける。ギルドマスターの言葉がキャシーには信じられなかった。信じたくなかった。

 だって、あんなに凄腕のハンターが数多く集っていたのだ。シェーレイ率いる海上調査隊は、かの超大型古龍ゾラ・マグダラオスの撃退経験を持つ歴戦の部隊のはずなのだ。そんな彼らが、まさか。

 

 けれど、あの空の彼方は。残酷なまでに、赤い。

 

「もう遅いかもしれんがのぅ……それでも手は打たねばならん。キャシー、ローラ、エリナ。逃げたければ逃げて構わん。ここからが正念場じゃぞぃ」

 

 手に持ったジョッキに入ったビールを飲み干し、ギルドマスターは重々しくそう告げた。

 ローラも、背後に立つ大銅鑼担当のエリナも黙っている。キャシーは震える手をぎゅっと握りしめた。

 突然迫り来た危機に、心が悲鳴を上げている。けれど、キャシーはこのタンジアハンターズギルドの受付嬢だ。前線で戦っているハンターたちに背を向けて、逃げ出すわけにはいかない。

 

(ソナタさん、アスティちゃん、どうか無事でいて……!)

 

 

 

 

 

 そのキャシーの願いが聞き届けられていたのか。

 ソナタとアストレア、そしてエルタは生き残っていた。──いつ死ぬかも分からない状況ではあったが。

 あの大爆発から数十分が過ぎ去り、エルタたちは撤退のために撃龍船へ乗り込んでいた。

 船はまだ湾外に接岸したままだ。湾内の迎撃拠点から逃げてくる人々の受け入れをしている。

 

「水をありったけ汲んで来い! ぼうっとしてりゃ船ごと沈んで全員死ぬぞ!」

 

 厄海の演習で知り合った船長が檄を飛ばしている。彼が立つ甲板は煤まみれで海水と血が沁み込んでいた。黒く焼け落ちている箇所も至る所に見られる。

 

「船長! また来ます!」

「ちぃ……っ!」

 

 彼が続いての指示を出すよりも早く、何度目かの炎の雨が降り注ぎ始めた。

 一発一発が人の身とほぼ同じ大きさの火山弾。貫通力では大砲に劣るが、人の頭上に直撃しようものなら間違いなく致命傷だ。さらに炎を纏って砕け散るために容易に船に火をつける。

 それが超広範囲にわたって雨のように降り注ぐ。舞い上がる細かな灰と赤く染まった空と海の景色が相なって、まるで燃え盛る火山の只中にいるかのようだった。

 

「うわぁっ!」「ぎゃっ……!」

 

 また二人、その無慈悲な雨に巻き込まれる。避けようとしてすぐ傍に着弾したのか、吹き飛ばされた二人は服に燃え移った炎をかき消そうと転げ回っていた。

 その一人の元へ他の船員が桶を持って海水をぶちまける。もう一人の元へはエルタが駆け付けた。同じように海水を浴びせて、肩を貸して船内へと運び込む。

 そうしているうちにもまた一発、この船に火山弾が直撃したようだった。二人の怪我人を出した火山弾による炎も放置されたまま、このままでは火事になりかねない──。

 

 ばき、と。甲板の板をたたき割るような音と共に、燃え広がっていた炎は煙を立てて掻き消えた。

 床そのものに向けて大剣を叩きつけたソナタはふうっと息を吐き、油断なく周囲と頭上を見渡しながら再び駆けていく。そんな彼女に船長が呼びかけた。

 

「ソナタ嬢、すまないが頼む! 甲板をぶっ壊す勢いでいい、とにかく火を消してくれ!」

「はい!」

 

 ソナタの持つ大剣、海王剣アンカリウスは剣自体が常に水を蓄えているという古龍武器ならではの特異な性質を持つ。それを使ってソナタは火消しに努めているのだ。

 アストレアは小回りの利く身体を生かしてソナタの手助けに入っていた。片腕で桶を持って、ソナタが大まかに鎮めた炎を確実に消し止めに行く。

 

 彼女たちが動き回るようになってから、死屍累々と言った有様だった撃龍船の上はある程度落ち着いてきている。

 それと単純に降ってくる火山弾の数が減っているというのもあるのだろう。最初はもっと数が多かった。つまり、グラン・ミラオスがここから離れているのだ。

 

「陸にいる連中はだいたい回収できたか!?」

「はい! 少なくともこの船に乗ろうとしている人はもういません!」

「よし、離岸するぞ。帆を張って錨を引き上げろ!」

 

 船長の指示に従って船員たちが慌ただしく動く。火山弾は常に降り続けているわけではなく、時間差がある。その間に船を出すのだ。

 ばっと帆が風を受けて膨らみ、船体が徐々に岸から離れていく。

 

「ああ、あの船はダメか……!」

 

 船員が指差す先には、濛々と黒煙を立ち昇らせながら炎上する二隻の船があった。火山弾による火を消しきれなかったのだ。帆の柱にまで火が燃え移っている。あれはもう離岸できないだろう。

 片方が撃龍船で、もう片方が輸送船だ。炎に包まれていく船の中から、逃げ遅れて蒸し焼きになる人々の悲鳴や嘆きが聞こえて来るかのようだった。

 他の船も続々と離岸していく。焼け落ちていく二隻の船に構っている余裕は、どの船も持ち合わせていなかった。今まさに、自らの船の消火に努めているのだから。

 

 この船内も相応の修羅場だ。怪我人を船内へと運んだエルタはそれを実感していた。

 もはや、動ける者の方が少ない勢いだ。怪我人を寝かせるベッドなど既に満杯で、個室や通路の床にまで人が転がっている。包帯も回復薬も、とても足りない。死人の数を数えるのはもう、止めている。

 

 この戦いで誰が生き残って、誰が死んだかなど誰も把握できないだろう。それくらい混乱した状況だった。トップを失った組織は無秩序になるということを痛感させられた。

 そう、これまで信号弾を駆使して作戦を指示していた人々はもういない。あの爆発によって作戦本部は跡形もなく消え去ってしまった。無論、その人々の中には総司令のシェーレイも含まれていることだろう。

 海上調査隊は、負けたのだ。

 

 

 

 時は少し前に遡る。

 エネルギーを蓄えて、砲弾を射出する直前だった巨龍砲の砲塔。そこにグラン・ミラオスの放った特大のブレスが吸い込まれていくのを見たとき、エルタは背後にいた二人に耳を抑えて伏せるように言った。

 直後にかっと光が閃き、大爆発が起こった。鼓膜など容易に破れるほどの大音量と、衝撃波じみた爆風。三人が伏せていなければ、遥か向こうまで吹き飛ばされて気を失っていただろう。

 びりびりと肌を打つほどの衝撃がようやく収まってエルタが顔を上げた先には、地獄絵図が広がっていた。

 

 巨龍砲があった場所を中心にして、切り立った崖だったはずの場所に巨大なクレーターができあがっていた。

 その地表は赤熱化し、龍属性の雷光がばちばちと弾けていた。巨龍砲とグラン・ミラオスを隔てていた木造障壁など跡形もなく、その残骸は遠く離れていたはずのエルタたちの元まで届いていた。

 

 その惨状の間近に、グラン・ミラオスはいた。

 かの龍もまた、その龍属性の爆風を真っ向から浴びて無傷とはいかないようだった。全身の赤い光の筋は黒ずみ、至る所から血を流していた。

 しかしそれは恐らく、かの龍に巨龍砲を当てられたときよりは少ない損傷だった。実際にその身に砲弾を受けていないというのは大きい。

 その証拠に、グラン・ミラオスは怯むことすらせず、しばらく立ち止まっていた後に新たな行動に出た。

 

 身体を屈め、尻尾を丸めて力を溜めるような挙動を見せる。この場にいるハンターならば誰もが察しただろう。あれは、できる限り阻止しなければならない類の予備動作だと。

 しかし、それを止められるものなど誰もいなかった。まず、物理的に近づくことができなかった。ただ警戒することしかできないままに時間が過ぎた。

 

 しばらくして、かの龍が咆哮と共に蓄えていた力を解き放ってからが、悪夢の始まりだった。

 全身の光の筋を黒ずんだ赤から黄金にまで輝かせ、グラン・ミラオスは膨大な量の火山弾を一気に放出した。火柱は雲を突き抜けて天まで達していた。

 やがて、溶岩の雨が降り始めた。

 大地を溶かし、水蒸気爆発を起こすほどの炎を纏った火山弾が、赤い雲の中から次々と地上めがけて落ちてくる。その数は優に百を超えていた。

 

 エルタたちは空を見ながら走り、避難壕に隠れるので精いっぱいだった。

 高ランクのハンターたちですらそれだ。砲撃場に構えていた海上調査隊員たちは惨憺たる被害を受けた。

 洞窟にでも隠れない限り、あの炎の雨からは逃れられない。急造の木の櫓や小屋などは瞬く間に破壊され、むしろそれが火種となり、中にいた人々を殺していく。各地の安全な場所に置かれていたはずの火薬庫にすらそれは容赦なく襲い掛かり、大爆発を引き起こした。

 

 人々は勝手に死んでゆき、グラン・ミラオスは再び歩き出す。

 もはやその進行を阻むものなど誰もいない。湾の奥で立ち塞がっていたはずの岩山は崩れ去り、そこを通れとでもいうようにかの龍の目の前には一本の道ができていた。その視界の先には海も見えただろう。

 火の海の中をグラン・ミラオスが歩いていく。いくつもの火口から噴き出す溶岩は留まることを知らず、たびたび大噴火を起こしては空に火山弾を降り注がせた。

 

 ここにいても埒が明かない。覚悟を決めて外に出たエルタたちは、山を越えて湾内から湾外へ、そして船で脱出しようとしているだろう人々に合流した。

 道中で錯乱していた兵士たちを先導するように先駆けたが、その間にも何度か火山弾が降ってきていて、エルタたちに続いて湾外の停泊所まで辿り着けた人々は少なかった。

 それを案ずる暇もなく、炎上寸前の撃龍船に乗り込んで、命の危険が伴う外での消火活動を手伝った。そうしているうちに今に至る。

 

 

 

 流石に疲労が激しい。エルタは自らの意思に反して閉じようとする瞼をこじ開けた。

 海中での戦いからほとんど休む間もなく山越えし、船の中でも動き回っている。しかもその間、空からの脅威に一時すらも気を抜けないのだ。

 

 そう、一時すらも。まさに、今だ。

 山なりに飛んできたらしい火山弾が、迎撃拠点のある方の上空から撃龍船の帆のひとつを撃ち抜いた。

 うわぁっと船の各所から悲鳴が上がる。ソナタが大剣を担いで駆けていく。

 帆柱は根元から折れるとまではいっていないものの、耐火性のあるはずの布は一気に燃え広がって灰になり、その機能を完全に失ってしまった。

 

「飛び火するなよ……!」

 

 撃龍船の船長は半ば祈るような面持ちでもうもう一本の帆を睨む。それが失われれば、この船はいよいよ立ち往生してしまう。

 ソナタたちがいる限り沈むことはないかもしれないが、かの龍が彼方の海まで行くまで待ちぼうけするだけの船に成り下がる。いや、船に乗り込んだ人々の多くはそれを望んでいるかもしれないが、少なくとも船長はそれを望んでいないらしい。無論、エルタもだ。

 

 火が完全に掻き消えたとき、もう一つの帆は未だに風を受けて張られ続けていた。

 

「舵取りいっぱい! グラン・ミラオスを迂回してタンジアに戻るぞ!」

 

 火に塗れた世界で、船長は堂々と指示を出した。これからかの龍が向かうだろう場所へと向かうと。

 もとから彼の部下だった船員たちは覚悟を決めているようだったが、そうでない人々が多く逃げ込んでいる船内からは動揺の声が聞こえた。もういやだ、という声も聞こえる。船長はその声を睨みつけて言い放った。

 

「このまま逃げようなんて魂胆の奴はこの船からとっとと降りろ。ここにいるどこかの船が拾ってくれるだろうよ。タンジアは俺たちの故郷だ。見捨てていられるか……!」

 

 シェーレイが最悪の展開と想定していた、グラン・ミラオスのタンジアの港への上陸。

 それが今や避けようのない事実となりつつあることを、この船にいる誰もが感じ取っていた。

 

 






執筆BGM『絶対魔獣戦線:メソポタミア』

本節では群像劇のように次々と語り手が切り替わります。予めご了承ください。
次回はゴールデンウィークでの更新を目指します。

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