グラン・ミラオス迎撃戦記   作:Senritsu

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第6節 原初の星、見通す海
> 原初の星、見通す海(1)


 

タンジアの港地図:

【挿絵表示】

 

 

 

 吹きすさぶ火の粉が、まるで雪のように見えた。

 細かい砂のような灰が降りしきる。目が痛んだが、涙を拭くことはできない。

 

 エルタはグラン・ミラオスと相対していた。

 土台を吹き飛ばされて、クレーター状の更地となった大灯台の跡地にエルタは立つ。対してグラン・ミラオスは上半身のみを海上に出している状況だ。それでも見上げるほどの高低差があった。

 

 エルタの両手には穿龍棍が油断なく握られている。獄狼竜の素材を用いた黒き穿龍棍は、内包する龍属性を発揮する瞬間を静かに待っている。

 かの龍の左翼はまだ活動を止めているようだが、右翼からは火山弾と溶岩が絶え間なく海から零れ落ちている。噴煙も立ち昇り続けているが、天へ打ち上げるような大噴火は頻度が減っていた。エルタに注目が向いている証拠だ。

 

 ぐば、と巨大な口が開かれた。紅炎が溢れ出す。

 そこからブレスが放たれるよりも先に、エルタは走り出していた。

 リオレウスなどと違って首から上をほぼ動かさずにブレスを放てるグラン・ミラオスは、ぎりぎりまで目標を捕捉し続けることができる。そして何より、ブレスそのものの速度が尋常ではない。

 海中ですら避けるのが困難で、地上で放たれるものに至っては、見てから回避がほぼ不可能だ。

 距離が保たれたままでは一方的にやられてしまう。エルタの側からかの龍に近づくしかない。

 

 前のめりに走る。左肩の傍を熱塊が通り過ぎていく。

 直後に背後で地面にぶつかったブレスが爆発し、爆風に背中を押されてつんのめり、そのまま宙返りして再び足をついて走り出す。

 グラン・ミラオスが二撃目を放つ直前には、エルタは海中へとその身を滑り込ませていた。

 

 海に飛び込んだエルタの頭上で、波打ち際の地面を削り取るようにブレスが爆発した。間一髪だ。

 それに胸をなでおろしている暇はない。むしろ、エルタはいよいよ海が深刻な状況と化していることを感じ取った。

 

 ここに来る前に、ギルドの備品のクーラードリンクを低体温症になる一歩手前まで飲んでいた。腹の芯から冷えて、頭痛がしていた。薬物乱用に近い使い方だ。

 そんな身体が瞬く間に熱せられていくのを感じ取る。熱さはもはや強い痛みを感じるほどにまで至っていた。つまり、そこにいるだけで軽度の火傷を負っているのだ。

 海水の出入りが少ない湾内でより熱せられたか。地上でもひりつくような放射熱が肌を焦がしていたが、ここに至ってはもはや火山すら軽く凌駕する過酷な環境だ。

 

 全身が茹でられているという本能的な恐怖が腹から湧き上がる。しかし、立ち止まるわけにはいかない。グラン・ミラオスは既に動き出している。

 巨体を左右に捻るようにして、かの龍は前傾姿勢で翼を振った。海上に大きな渦が発生する。

 

 火山弾のばらまきかと頭上を見たエルタは顔を強張らせる。右翼の火口になみなみと満ちていた溶岩が、凄まじい水蒸気爆発の音とともに巨大な布となって覆いかぶさっていた。

 海に沈んでも赤いまま、冷めきっていない。これはもしや、かの龍が迎撃拠点に来る前に仕掛けてきた『水の中で消えない炎』を混合した溶岩か。肌が触れてしまえば最後、たちどころに肉の内側まで溶かすだろう。

 

 頭上から死の布が沈み落ちてくる中で、エルタは安全地帯を探す。

 ────いや、範囲外に出るしかない。大きく水を蹴って、それでも全く足りない。

 エルタは素早く両手を腰の傍に揃えて、穿龍棍のグリップを握り込み、捻る。勢いよく射出された杭が、エルタの身体を数メートル前へと押し出した。

 加えてルドロスキック。両足を同時に上下させて、足の甲で水を蹴る。数秒もしないうちに十数メートル進んだエルタの足元を、徐々に固体化して黒く染まっていく溶岩の布が沈んでいった。

 

 やっと息を吐ける。口に含んだ酸素玉まで吐き出してしまわないように呼吸する。

 前を見て────それに反応できたということが、エルタのハンターとしての積み重ねを物語っていたと言えるだろう。

 

 目と鼻の先にあった、エルタの身の丈を優に超す灼熱の前脚。

 エルタが必死になって降り注ぐ溶岩から逃げている間に、かの龍が動かない理由はない。人にとって致命的な攻撃のひとつひとつは、かの龍の一連の仕草の範疇だ。

 逃げられない。咄嗟に体を捻って、真っ赤に染まる四本の爪に真正面から引き裂かれることだけは避けた。

 

 エルタを捉えたのは、その剛爪の一本。

 右肩から背中に変えて、風牙竜の鎧がまるでナイフを通された肉にように切り裂かれて、その内側を穿った。

 滑るような、感触。

 

「ぐっ、ぁぁ……!」

 

 生身の肉が削り取られ、たちどころに水脹れを起こしてぐずぐずに溶けていく。形容し難い痛みに、エルタの口から噛み殺した悲鳴と吐息が泡となって漏れ出した。

 左肩から胸にかけて溶断された。傷は深く、恐らく鎖骨と肋骨が折れている。傷口がケロイド状に塞がって血が流れ出ていないのが不幸中の幸いか。

 

 視界が明滅しそうな程の痛みの中、意識だけは手放さない。赤い海の中で目を凝らす。

 何度も頭の中に思い返す。今の攻撃も、かの龍にすればただ前脚を振っただけ。隙を見せることはない。

 

 グラン・ミラオスは、こちらに向けて抱擁するように、両前脚を広げて倒れ込もうとしていた。

 もし捉えられれば、あの巨体に海底で押し潰される。立て続けに訪れる死の感覚に、本能が全力で警鐘を鳴らしている。

 

 溶岩に照らされた水面が波打っているのが分かる。既にかの龍は目と鼻の先、しかし、迫ってくる速度はやや遅いことに気付いた。エルタ一人を狙っているためか。

 ぶつかっても大怪我はしない。そう判断するや否や、エルタは素早く穿龍棍を構えた。

 

 自らの両脇から掴みにかかった巨大な前脚。先にエルタの身体に触れようとしていた左前脚の指先に向けて、的確に両手の穿龍棍を叩きつけた。

 弾ける龍光。反動が傷口の激痛となってエルタの身体を硬直させた。歯を食いしばる。

 ただ、その痛みに相応しい成果はあった。指先が僅かに、しかしありえない方向に折れている。そこからできた体一つ分の隙間にエルタは身を滑り込ませ、かの龍の抱擁から脱する。

 

 そこから、まるで倒れてくる壁を登っていくかのように。迫ってきた体表に穿龍棍の杭を打ち込んで、それをアンカーとして、圧し掛かってくる巨体にぶつかりながらも移動し続ける。

 三度四度とそれを繰り返すころには、グラン・ミラオスの全身は海底に沈み、水中を舞い上がった塵が包み込んでいた。

 そして、エルタはその傍で息を荒げつつも立ち続けていた。下敷きになることは避け切ったのだ。

 

 腕が痺れている。巨大な壁をあえて殴りつけ続けたのだ。やむを得ず負った打ち身は全身に及んでいる。

 しかし、もしそうせずに背を向けていようものなら、間違いなく間に合わなかった。今、生きている。その次を考えられるのなら、十分だ。

 

 グラン・ミラオスの前脚は、迎撃拠点で戦ったときに比べて軟化している。あのときは色合いも黒く、攻撃を加えてもあえなく弾かれてしまっていた。

 アンカーとして体表に杭を突き刺すことも、迎撃拠点にいた頃は難しかった。それこそ、バリスタくらいの勢いがなければいけなかったはずなのだ。

 今、かの龍は全身の血流を促進させ、灼熱の体液を全身に行き渡らせることによって自らを活性化させている。その代償として肉質が軟化しているのだろう。だから指先に穿龍棍を打ち込むだけで、僅かに折ることができた。

 

 ただ、これらはかの龍にとってみれば、小さな羽虫に小指を刺された程度にしか認識できないだろう。相対的な差が大きすぎる。

 しかし、塵も積もれば、などと、そんな夢物語を語る気はなかった。その前にエルタは死ぬ。クーラードリンクの効果すらも掠れる熱湯の海の中で屍を晒すのは、一時間後にはほぼ確定している事実だ。

 

 その確定的な死を遠ざけるには。ただそれのみを考え、機をうかがう。

 グラン・ミラオスは四足歩行状態に移行している。迎撃拠点でもベテランのハンターたちを数多く葬り去った、かの龍の独壇場だ。

 水中では外傷用の回復薬は使えない。左肩の染み入る強烈な痛みに歯をくいしばって耐えながら、エルタは自身に目線を向ける、巨大な船より遥かに大きいかの龍を見通し続けた。

 

 

 

 

 

 モンスターの狩猟において、モンスターのペースに持ち込まれるとは、そのまま死亡率が跳ね上がることに直結する。

 モンスターの側の機動性が高すぎて翻弄されている、潜伏を気取られる、明らかにモンスターの側が有利な空間に誘い込まれるなどその理由は様々だが、往々にしてそれは起こり得る。むしろ、狩猟中に一度でもそうならないことの方が少ない。

 

 そういったときにハンターが取るべき行動は、可能な限りその場から脱出すること。やむを得ない場合は背を向けて逃げるよりもそのまま応戦する方が賢明なときもあるが、基本的には前者を最優先に見据えなければならない。

 撤退技術、ハンターにとっては狩猟技術と同じくらい大切なものだ。そしてその難易度は、相対するモンスターが強大であればあるほどに難しい。

 

 熱に浮かされている。エルタはかろうじてそれを自覚した。

 この海に入ってから二十分と経ってもいないはず。迎撃拠点で戦ったときは、今よりもクーラードリンクが効いていない状態で一時間弱は持ったはずなのに。

 かの龍の這いずりやブレスによる攻撃を避けて、合間に牽制のような打撃を与えて、それを数回繰り返しただけで、これか。

 

 この眩暈は頭を振ったりじっとしたりしたところで醒めない。熱中症とはそういうものだ。

 そう、これは明らかな熱中症の症状──湯あたりと言った方がいいのか。思考能力も、身体能力も低下していることをエルタは感じ取った。遠からず、自らの意思に反して、致命的な隙を晒すだろう。

 

 ただ、それはエルタがこの海に入ったときから予感していたことだ。むしろ、この異様な熱の中でそのことだけを考えてきた。

 そしてエルタは、自らが熱湯の海に飲まれてしまう前に、何とかその構図を作り出すことに成功していた。

 

 夜闇に沈む海の中で、エルタを見つめる巨大な灯火。

 対してエルタは、自らが海に飛び込んだ岸壁に近い場所で漂っている。

 

 グラン・ミラオスは水中で一人の人間をなかなか殺しきれないことに、業を煮やしている様子だった。

 人間で例えて言えば、自らの周囲を飛び回る蚊をなかなか捉えられず苛立っているといったところか。もっとも、その蚊の役に当たるエルタは既に飛ぶのも難しいほどに消耗しているわけだが。

 

 その蓄積された怒りは、かの龍にブレスの連発ではなく突進というかたちでの攻撃を選ばせた。

 四足歩行状態でのそれは海中でありながら海竜種並みの機動性を誇り、水中の視界の歪み、その山のような巨体も相成って、距離感を大きく狂わされる。

 気を抜けば一瞬ではねられ、引き潰される。人を一人殺すにはあまりにも強大すぎる力の躍動を前に、エルタは口の中で小さくなっていた酸素玉を噛み潰し、一気に水を蹴って浮上した。

 

 ざばっ、と水面から顔を出す。数十分ぶりに暗い曇天が見える。

 グラン・ミラオスはエルタを捕捉し続けている。這いずりの速度は緩まることはない。あと数秒でエルタの漂っているところまで辿り着くだろう。

 海面が、うねるように大波を創り出しているのをエルタは見た。グラン・ミラオスの突進を受けて押しのけられた、突進の前方の海水が嵩を増して波を創っているのだ。

 

 大灯台が倒れたときほどではないが、十分に大きい。それこそ、エルタが飛び込んだ岸と海面までの高さの差を優に埋めるほどに。

 波乗りだ。海面に漂っているだけでいい。大波に身体ごとぐっと持ち上げられ、かの龍の突進に押し流されるかたちでエルタは陸地へと戻る。

 

「ごほっ、ごほっ……」

 

 涼しい。冗談でなくそう思った。

 少なくとも海中より地獄ではない。体内に押し込められていた熱が一気に開放され、異常なまでの発汗が起こり始めた。体内の熱調整が壊滅的に狂わされている。

 ぐわんと頭を殴りつけられるような眩暈に、うまく立てずにエルタはえづいた。いくらか涼しい場所に移動したからと言って、熱中症はすぐには回復しない。しばらくはこの吐き気と倦怠感、頭痛に苛まれることになるだろう。

 

 悠長にしている暇はない。ポーチから外傷用の回復薬を取り出して左肩の傷に浴びせるようにかけているところで、再び押し寄せた海水が周囲を水浸しにした。

 体中から滝のように海水を滴らせて、グラン・ミラオスが海中から再び姿を現す。今回はさらに積極的に。前脚と違って重厚な両後ろ足で、岸壁を半ば崩すようにしながらよじ登ってみせた。

 

 グラン・ミラオスの全身が露になる。エルタが陸上でその姿を見るのはこれで二度目。あのときは迎撃拠点から離れるのに必死で遠目でしか見ていなかったが、今は真正面から向き合うかたちだ。

 海中ではまだ抑えられていた放射熱が全開で解き放たれている。まるで工房の炉の近くに立っているかのようで、実際、それくらいの常軌を逸した体温なのだろう。だが、それすらも海中の環境に比べればまだましと言えるところだった。

 

 少なくともこれで、熱によって自滅という最悪の事態は避けられた。この身体がまだ動かせるならば僥倖だ。

 強く地を蹴る。瓦礫が散乱しており足場は悪いが、比較的平らなだけましだ。

 ここまで距離が近ければ、ブレスが放たれてから着弾するまでの時間差はほぼゼロに等しい。避けるなどもってのほかだ。とにかく、グラン・ミラオスに接近するしかない。

 

 モンスターのブレスは総じて非常に強力だが、ここで人の小ささが功を奏することがある。かれらのブレスは灯台下暗しになることが多いのだ。

 かの龍にもそれは適用されるはず。今まで戦ってきた限りでは、かの龍の首の可動域はリオレウスなどに比べれば広いものの、生物的な範疇には収まっている。

 

 そして、エルタの目論見通り、エルタを狙って放たれたのであろうブレスは、その前に懐に潜り込んだエルタの背後で爆発した。

 走った勢いをそのまま利用して、右腕の穿龍棍でかの龍の右後ろ脚の指を殴りつける。これまで危険すぎて誰も攻撃できていなかった後ろ脚は、その黒い色合いに反し、杭を僅かに食い込ませた。

 流石に前脚や光核ほど柔らかくはないが、弾かれないだけ十分だ。龍属性も効いているだろう。

 

 グラン・ミラオスが攻撃を受けた方の後ろ脚を持ち上げた。二撃目まで加えたエルタは咄嗟にその場から飛び退く。

 直後、持ち上げられた右後ろ脚が荒々しく振り下ろされた。

 

「ぐっ……!」

 

 ずごん、とエルタの視界を激しくぶれさせるほどの振動が伝播した。地面が砕け、一部はめくれ上がり、地下からみしりと物々しく不気味な音が響く。振動はこの周辺一帯に届いただろう。

 それは右脚だけにも留まらない。次いで左足で同じような足踏みをしたグラン・ミラオスに、岩盤が悲鳴を上げている。燃え残ったテントや建物の残骸ががらがらと崩れていく音が僅かに聞こえた。

 

 突然襲い掛かった強烈な振動に、膝の自由が効かなくなってエルタは思わず地面に手をついた。

 そのまま復帰するまで待てればいいが、グラン・ミラオスはそれを許さない。今の衝撃に触発されたのか、首元や翼の火口から立て続けに火山弾が零れ落ちる。グラン・ミラオスの足元など、どちらの火口からの落下範囲に含まれる危険地帯だ。

 四つん這いになりながらもエルタは何とか上を見上げ、転がるようにして落ちてくる火山弾を掻い潜る。無様でもいい、死ななければ。

 やっとのことで火山弾の雨から抜け出し、立てるようになったかと思えば、グラン・ミラオスがエルタのいる方に身を向けていた。

 

「──ッ!!」

 

 そのまま、人が地面にいる虫を叩き殺そうとするように、無造作に前脚をエルタに向けて叩きつける。

 エルタの方から見れば、突然見上げるほどの高さから灼熱の刃が巨体ごと降ってきたのにも等しい、迎撃などできるはずがない。振動から立ち直った足をばねのように弾いて、その場から飛び退く。

 

 ずん、と岩盤が叩き割られた。エルタはその範囲から逃れていたが、次いで起こった爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされる。

 視界が二転三転し、体中の打ち身が悲鳴を上げる。今のはブレスと同程度の爆発だった。地上で前脚が地面に叩きつけられると、前脚に籠っていた灼熱の圧力が一気に高まって爆発を起こすのか。吐き気と痛みに苛まれつつも、エルタは思考し続ける。

 

 考えることを止めないこと。その強大さに思考停止、自暴自棄にならないこと。精神力が持つ限り、直感を研ぎ澄ませ続けること。

 そうでなければ、かの龍の眼前に立つことはできない。あまりにも軽い死から逃れ続けることはできない。

 この両手の武器だけは手放さないように。エルタは再び立ち上がった。

 

 

 

 

 

 振り払われた前脚を飛び退いて紙一重で避け、黒く巨大な頭部のあごの下あたりに突き上げるような穿龍棍の一撃を加える。

 重厚な尻尾が薙ぎ払われたならば、穿龍棍を地面に叩きつけて跳躍、空中へと逃げる。海の中と違って、その重い尻尾は地面から持ち上がることはしない。まるで曲芸でもするように、背中を逸らして尻尾のすぐ上を潜り抜ける。

 もとは平らだったはずの地面はその絶大な質量によって砕かれ、流れ出す溶岩によって塗り固められ、ただの岩場のようになっていた。

 

「はっ、はっ……」

 

 エルタは肩で息をしていた。かの龍が上陸してからどれくらいの時間が過ぎ去ったのだろうか。少なくとも、海中にいたときよりも長く戦えているような気はしている。

 グラン・ミラオスは地上で四足歩行状態に移行していた。それによる機動力の上昇は地上でも相変わらずだが、若干方向転換に時間がかかるようになっている。その隙がエルタの生存に大きく関わっていた。

 

 かの龍は未だ健在だ。それは残念に思うまでもなく、エルタにとってはごくごく当たり前の摂理だった。

 かの龍をもひとりで相手取り、エルタよりも多くの傷を与える凄腕のハンターも存在するだろう。才能や実力の差と言うのはどうしようもなく存在する。エルタは自分の実力がかの龍とひとりで相対するには足りないということを分かっていた。

 自惚れない。少しでも手傷を与えようとか、この街を護ろうなどという使命感を抱かない。

 ただ、迫りくる死に対してひとつひとつ的確に対処する。攻撃できそうなタイミングで攻撃する。そんな狩人の基本的なルーチンを延々と繰り返す。

 

 その繰り返しの先にあるものに、自分を存在させるために。

 

 グラン・ミラオスが突如として這いずりながら大きく後退した。エルタがいるこの広場は、それができてしまうほどには広かった。

 エルタはその行動を不審に思ったが、間髪置かれずにブレスでも放たれようものならまず避けられない。反射的にグラン・ミラオスとの距離を詰めようとした。

 

 その口元から、コォォ、という不思議な音と共に、緋色の光が迸っていた。

 

 まて、まさか。

 まさかそれを、ひとりの人間に向かって撃つのか。

 

 かつてないほどの死の予感。エルタはそれを見た瞬間にブレーキをかけるが、遅い。いや、もしエルタがあの場に佇み続けていたとしても、結果はそう変わらなかっただろう。

 チャージは二秒。

 グラン・ミラオスが解き放った火種は、明確な質量を持たないにも関わらず、先ほどの足踏みで起こった地震よりも遥かに強い衝撃をタンジアに響き渡らせた。

 

 傘状の煙が立ち上る。広場には大灯台の根元が吹き飛ばされたときにできたクレーターを上書きするかたちで、ふたつめのクレーターができあがっていた。

 グラン・ミラオスは二足歩行状態に移行している。ブレスの反動で身体が持ち上がったのだ。

 爆発の中心から少し外れたところにいたはずのエルタの姿は見えなくなっていた。防具ごと消し飛ばされたか、爆風に乗せられて遥か彼方まで吹き飛ばされたか。

 グラン・ミラオスの側からすれば、両者はささいな違いに過ぎなかった。煩わしかった羽虫がやっといなくなった程度の認識だろう。

 

 しかし、これでグラン・ミラオスはようやく自らの本来の活動を再開することができる。

 あのブレスは今のグラン・ミラオスにとっても大きなエネルギーを消費するため、あまり使用したくないものだった。しかし、あれ以外に立ち向かう者がいないなら、今出し切ってしまっても構わない。

 

 かの龍はその場でその巨大を屈ませた。自らの内側から更なる熱を引き出すように。引き出した熱を自らの身体に行き渡らせ、際限のない溶岩の源へと変換していくように。

 それは、この街を焼き尽くしたあの炎の雨の再演だ。両翼から天に至るまで噴煙と火柱を立ち上げて、そこにあった景色を塗り替える。それがグラン・ミラオスの在り方だ。

 

 撓まれたかの龍の胸部の光核が再び黄金色に輝きだす。その黄金色の血潮は徐々に全身へと伝わり、どくどくと脈動させる。

 港の入り口の灯台を倒したことで折れて機能を失っていたはずの左翼も、再び息を吹き返そうとしているかのように赤い筋が伸びようとしていた。

 右翼はもはや解放のときを待つのみ。なみなみと注がれた溶岩は溢れ出して地面へと零れており、それが地面を水のように溶かしては黒く冷えて固まっていく。そして小さな錐をかたちづくった。

 

 これまでよりも、濃く、広く。これまでよりも長い時間、その場で力を蓄え続ける。

 傷の修復も兼ねたこの沈黙が過ぎれば、あとはかの龍の在るがままに。延々と活動するのみだ。

 

 左翼の紅が取り戻されてゆく。もう少しで、溶岩の泉が蘇る。

 かの龍の全身から放たれる脈動の波動が、音という実体すら持とうかというころ。

 

 

 

 ────「撃えぇぇ──ッ!!!」

 

 

 

 どこからか響いたその声を聞き届けるよりも早く。

 空気を切り裂いて飛来したいくつもの砲弾が、かの龍へと届けられた。

 

 ごっ、どごっ、と立て続けに重い衝撃音が響き渡る。かの龍の後ろ脚の付け根、左翼、首筋に炸裂した火薬と鉄の花が咲く。

 全く予想外の方向から、予想外のタイミングで立て続けに攻撃を受けたグラン・ミラオスは、しかし、いつものように応戦することができない。

 自らの内側でエネルギーを溢れ出させている今は、逆に言えば、とても純粋で不安定化しやすい力を扱っていることになる。まして、空から無数の火山弾を降り注がせるほどの膨大なエネルギーだ。下手をすれば、暴発する。

 

 そしてそれは、強大なモンスターたちと渡り合ってきた船乗り、ハンターたちからすれば常識の範疇にあった。

 標的へと飛び掛かろうと自らの筋肉を張り詰めさせるナルガクルガに大きな音を与えると、倒れ込んでしまうように。ジンオウガが雷光虫を集める際に、無防備な姿をさらしてしまうように。

 まして、彼らの多くはかの龍のその仕草を一度見ていた。その力が解放されるのをただ眺めることしかできなかった、迎撃拠点で。それならば、既に一度見ているならば、やるべきことはひとつ。

 

「モンスターが明らかに力を蓄えているときは、それが危険だと分かってるならなおのこと、何としても妨害する! 当たり前だよなぁ!!」

 

 エルタやソナタたちを乗せていた撃龍船の船長は、堂々とそう言い放った。

 

 彼らは諦めてなどいなかった。

 大灯台の崩壊により発生した大波にさらわれた人々を、できる限り助け出していた。

 ありったけの海上調査隊員、ハンター、一般住民すらも集めて、陸に押し流された最も大きな撃龍船、一番船を引っ張って海へと復帰させた。

 

 折れた帆を修復し、奇跡的に湿気ていない火薬を探し出し、ありったけの船の修復素材や消火具、ハンターたちの道具を詰め込んで。

 この混沌とした絶望的な状況でで、それらを一時間といううちに全てやってのけて、今、かの龍の前に立ち塞がったのだ。

 

「反撃してくる様子はないな、狙い通りだ! 今のうちだ、何としてもやつを怯ませろ!!」

 

 彼はそう言って部下やハンターたちを鼓舞する。三番船の進水が行えず、一番船の船長が負傷したことから代理で船長を務めることとなった彼は、その手腕を存分に振るっていた。

 撃龍船の右舷に設置された三門の大砲が次々と火を噴く。夜闇で照準に難しさはあったが、タンジア出身の船乗りにとってここは庭のようなものだ。初撃からほぼ完璧に命中させてきた。

 

 命中した砲弾の身を数えて、十発目、頭部に直撃した砲弾がきっかけとなった。

 不安定に明滅していた胸元の光核の黄金色の光がかっと強く輝きを放ったかと思うと、そのまま消失して深紅に戻った。それと同時に、グラン・ミラオスがよろける。

 

 オ、オォ──……ァァ────

 

 そしてそのまま、立ち続けることができず、悲鳴のような咆哮をあげながら倒れ込む。ずずん、と地響きを立てて、大量の瓦礫埃が舞い上がった。

 復活しかかっていた左翼の火口は、再び岩そのもののような黒色に戻ってしまっていた。

 

「止まった!! やった……!」

「効いたぞ、今度こそ明らかに効いた!!」

 

 船上で歓声が巻き起こる。船長を含め、かの龍がこちらの攻撃に対して明確に地に倒れ込むような反応を見せたのはこれが初めてだ。

 

「よしっいい成果だ。だが気を抜くなよ! 取舵いっぱい、これより岸壁へ移動する! やつが倒れてる間にハンターを岸まで届けるんだ!」

 

 船長はそう言って砲撃を止めさせ、矢継ぎ早に指示を出して船を方向転換させた。追い打ちで集中砲火を浴びせたいところだが、かの龍に近づくには今しかない。

 半ば岸にぶつかるような形になっても構わない。その程度ならこの船は耐える。とにかく有志のハンターたちを急いで岸へ送り届けなければ。

 

 

 

 船の最も高所にある観測台では、測距や風向きの確認が繰り返し行われている。

 そこから望遠鏡で陸の状況を見ていた船員は、ふと首を傾げた。

 

「人がいる……?」

 

 最初は見間違いかと思った。しかし、かの龍の紅の光に照らされて浮かび上がるそれは、やはりひとりの人影だった。

 自分たちとは別に、陸路からあの広場へと辿り着いたのか。しかし、陸地は瓦礫や崩れた地面が散乱していて、近づくのは難しかったはず。

 いや、もしや。彼は息を飲んでその人影を追った。夜闇と降灰、土埃によって視界が悪く、何者かは分からない。しかし、倒れ込んでいるグラン・ミラオスのもとへ、意志を持って駆けている。

 

「あんたがずっと、戦ってたのか……?」

 

 彼らが船を出す準備をしている傍らで、何者かがグラン・ミラオスの注意を引き付けていたのは誰の目にも明らかだった。空から降ってくる火山弾の数は大きく減っていたし、何より、遠くに見えるグラン・ミラオスは何かと戦っているような仕草を見せていたから。

 迎撃拠点での惨状を考えれば、それは自殺行為にも等しい。準備不足だったとはいえ、二十人近くの凄腕のハンターが一時間程度で蹴散らされたのだ。あんな化け物に敵うはずがないと逃げ出してしまった者もいる。

 

 しかし、その何者かはやり遂げてしまった。撃龍船がここに辿り着くまでの一時間、グラン・ミラオスは大灯台周辺に留まり続け、他に注意を向けなかった。

 明らかに何か一つだけを狙って放たれたチャージブレス。その後に隙の大きい溜め行動に入ったのを見て、彼らはその何者かが死んだものとみなした。あの攻撃は、人を一人殺すには過剰すぎる。

 

 間違いなく無謀だ。けれど、勲章並みの功績だ。

 たとえこの船に乗る誰もがこの先の戦いで死んだとしても、そこまでを繋いだということが語り継がれるべき物語になり得る。

 

 だが、それでも。それでも止まらない。

 

「まだ、戦い続けるのか……!」

 

 何者か(エルタ)は、グラン・ミラオスに肉薄した。

 

 


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